兵庫県丹波市・篠山市を含む『丹波医療圏』には公的な基幹病院が3つあります。ここには3年前に7人の小児科医がいましたが、徹夜・呼び出しが当たり前の過酷な勤務に、小児科医が都会の病院などに次々と流出。2年前には実質2人になってしまったのです。
「このままでは、町から小児科医がいなくなってしまう」と立ち上がった母親たち。去年のNEWSゆうでの特集から1年、活動は実を結んだのか?その後を追いました。
■「小児科を守れ!」母親たちの叫び
【県立柏原病院小児科 和久祥三医長】
「絶望的な、状況でしたね・・・」
2年前、兵庫県立柏原病院の小児科は、診療休止の危機に瀕していた。 外来、入院、救急・・・。次々と押し寄せる患者の波に、残されたたったひとりの小児科医が悲鳴を上げたのだ。
そんな中で立ち上がったのが、子育て中の母親たちで作る『県立柏原病院の小児科を守る会』だった。
【県立柏原病院の小児科を守る会代表 丹生裕子さん】
「子どもたちを守りたい。それと同時に、お医者さんを守っていけるような地域になれたらと思って、活動を始めました」
一昨年4月に発足した守る会は、当初、医師の増員を求めて署名を集めた。しかし、医師不足は全国的な問題・・・。
「求めるだけではダメだ。自分たちが変わらなければ」と考えた守る会は、「『昼間は忙しいから』などと、夜間や休日に病院へ駆け込むコンビニ受診を止めよう」と、地域住民に呼びかけた。
その結果・・・柏原病院の小児科では、時間外での救急患者数が激減。守る会の活動前に比べ、ほぼ半減したのだ。
「ママたちが起こした奇跡」と賞賛された母親たちの活動で、病院は、そして地域はどう変わったのか?『小児科を守る会』のその後を追った。
記者「きょうは何を?」
丹生「県のパワーアップ事業で助成金を頂いていて、助成金を使って1年間でどんな活動をしたか発表するパネル展示なんです」
およそ20人で活動を続ける『柏原病院の小児科を守る会』。定期的に集会を開き、今も草の根の活動を続けている。
去年は多くのメディアに取り上げられ、全国各地から講演に招かれるようにもなった。
丹生「これは『ありがとうカード』で、私が奈良の橿原市に講演会に行った時に会場の皆さんに呼びかけて書いてもらったもの。宛名の先生の下に郵送しようかなと・・・」
地元での評判も広がり、お母さん同士の繋がりから新しいメンバーも増えた。
【守る会のメンバーは・・・】
「お医者さんに行ったら『診てもらうのが当たり前』という感じがあって・・・。でも、現状を知って『当たり前じゃない、ちゃんと感謝を伝えなきゃダメだ』と、肌で感じています」
その柏原病院では、予想もしなかったことが起きていた。去年4月以降、小児科医が新たに3人も病院にやってきたのだ。
【県立柏原病院 梁川裕司医師】
(Q.どうして柏原病院に?)
「『守る会』は画期的なので、そういう所で一度働いてみようかなと・・・」
【県立柏原病院 加藤神奈医師】
「『守られている』という意識はあります。救急で重症の患者さんが来る時は、その子だけに集中できるのでありがたいです」
7月には、守る会と柏原病院の噂を聞きつけた舛添厚生労働大臣が、病院を視察。「地域医療再生のモデル」と絶賛した。
【舛添要一厚生労働大臣】
「皆が努力しないと、 医療の困った状況は改善できない。その非常に良いモデルなので、参考にして、政策を作る中で充分に生かしていきたいと思っております」
【県立柏原病院小児科 和久祥三医長】
「(以前は)現場がいくら訴えても改善に向かわない絶望的な状態でした・・・」
「その頃から見ると、今は働き甲斐があるというか、診るべき人にちゃんと時間が割けますし、幸せな状況です」
地域住民の意識が変わったことで、柏原病院の小児科は文字通り『再生』しつつある。
丹波市のすぐ隣の西脇市も、以前の柏原病院と同じような問題を抱えていた。
一昨年7月、市立病院の小児科医はたったひとりになり、小児科では入院を受け付けられなくなってしまったのだ・・・。
【市立西脇病院 許永龍小児科部長】
「できれば自分のところで診たいという気持ちはありますが、総合病院で入院を診ないで、外来だけだったら病院の役割を果たせるか・・・。疑問は持っています」
そんな西脇に『小児科を守る会』が発足したのは、偶然ではなかった。柏原の『守る会』発足から半年後、子育て中の母親たちが動き出した。
【市立西脇病院小児科を守る会代表 村井さおりさん】
「何からどうしていいかわからなかったので、先に活動されている柏原の『守る会』へ行って、先輩ママの皆さんが学んでこられたノウハウを、惜しげもなく教えていただきました」
西脇の『守る会』では、開業医を招いて独自の勉強会を開催。その内容を、それぞれが地元に帰ってメンバー以外の母親たちに伝えている。
【藤田 位医師 勉強会の内容より】
(Q.受診の時期を迷うが、どうしたら?)
「子どもの病気は、お母さんが不安だったら病気だと思います。鼻水が出て心配だったら来てもいいし、お母さんが見て大丈夫と判断したならそれを尊重します」
勉強会は知識を得るだけでなく、医者と患者の距離を縮める効果がある。
【参加したママは・・・】
「病院へ行っても症状を見てもらうだけですが、ここでは直に聞きたいことを聞けるので」
「先生と言えば『ちょっと上の人』って感じだけど、こういう場で話すとすごく身近な存在に感じます」
【藤田 位医師】
「お母さんたちに病気のことを知ってもらって、そのお母さんたちがまた違うお母さんに伝えていく。この会がその一歩になれば、お母さんたちもハッピーだし、我々もハッピーになります」
西脇病院では、4月から小児科医が1人増員されることになった。
医療者と患者がお互いを理解することで、少しずつではあるが、何かが変わろうとしている・・・。
地域医療再生の芽が育ち始めたかに見えた、柏原病院と西脇病院。しかし、病院全体に目を向けてみれば、とても喜んでいられる状況ではなかった。
【県立柏原病院小児科 和久祥三医長】
(Q.柏原病院のドクターの数は?)
「5年前は43人いたのですが、19〜18人を繰り返しています。半分以下ですね・・・」
柏原病院では、確かに小児科医の数は増えた。しかし、小児科以外では医師の流出に歯止めがかからない。今では、13ある診療科のうち、7つの科で常勤医が不在。入院はおろか、毎日の外来診療すらままならない状況だ・・・。
【県立柏原病院小児科 和久祥三医長】
「例えば、僕が街ではねられた少年を見た。しかし、自分の病院には連れて行けないんです。脳外科はないし、麻酔科もいないし・・・。刻々と『とどめを刺されている』というか、今が崩壊している時・・・」
先月のある週末、柏原の『守る会』の代表・丹生裕子さんは、岡山へ向かう新幹線の中にいた。
丹生「岡山県のシンポジウムに招待されまして、そこでお話をさせていただきます」
去年以降、守る会には全国から講演の依頼が殺到。丹生さんは依頼をできる限り断らず、時間と体力の許す限り、全国各地に足を運んでいる。
【県立柏原病院の小児科を守る会代表 丹生裕子さん 講演より】
「私たちはお医者さんの過酷な勤務実態を知りました。これ以上『先生頑張って』なんて言えない。『この現状を、もっとたくさんの人に伝えなければ』と考えるようになりました」
この日、丹生さんはおよそ100人の医療関係者の前で『守る会』の活動を紹介した。
【シンポジウムに参加した小児科医は・・・】
「あなた方から『医者に感謝すべき』という話が出てきたということは、本当は僕ら医者が患者との関係を修復しなければいけなかったのに、できていなかったということ・・・。きょうのお話は素晴らしいと思って聞かせていただきました」
『守る会』発足以来、こういった講演を40回以上こなしてきた丹生さん。その原動力は、どこにあるのか・・・?
【県立柏原病院の小児科を守る会代表 丹生裕子さん】
「私は、こういう講演会に呼ばれることを種まきだと思っています。その種に、地域の方が水をやって、肥料を施して、光を当てて・・・」
「色んな地域に地域医療再生の花が開くと、それを見ている私たちも幸せな気分になる。これからも、力を入れていきたいと思っています」