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  2009年3月24日記載
  なぜ自分だけ?聞けば聞くことイメージダウン
 

ひとつの事例を取り上げる。例えば駐車禁止場所に他の車が駐車したので、自分もすぐ近くに同じように駐車したとする。しばらくして車に戻ると自分の車だけ駐車禁止ステッカが貼ってあった。このときどう感じるか。おそらく「なぜ自分だけ」と思うことだろう。

確かに他人も同じ違反をしているのに自分だけ検挙されるのは不公平である。過去私が初めて原付の2段階右折で検挙された時、自分が警察に停止を求められた直後に、他の人が同じ違反をした車両がいた。警察官も目撃した。ところが警官は自分の対応に追われていたために他の違反車両を見過ごしたのだ。なぜアイツも捕まえないのかと警官にまくし立てた経験があった。

自分が違反したことは紛れもない事実である。そもそも他人も同様な違反をして捕まらなかったのは面白くないのは確かでも、だからといって自分の違反が帳消しとする理由にならない。心情的な部分と事実認定とは別の次元で物事を考えなければならない。

西松検察の政治資金献金問題も同じだ。民主党、小沢代表の発言の中に、なぜ自分だけと解釈できる発言が繰り返された。なぜ総選挙が迫っている今の時期なのか、なぜ民主党だけ狙い撃ちするのか。こんな発言をするということは他も同じようなことをやっているに決まっていると断定しているようにも聞こえる。更に検察の勝手極まりない政治的意図があるとまで発言した。

こうした発言を聞く国民はどう感じているのだろうか。自民党だからとか、民主党だからとか、総選挙が近いからとか、そんなことはどうでもよく、そもそも嫌疑が浮上したから逮捕に踏み切った、それだけである。

小沢氏は検察批判を繰り返し徹底的に戦うとまで言う。戦う先は検察ではなく裁判で戦うのが筋である。戦う相手を間違えている。そもそも起訴されてから「戦う」という発言をすべきである。最近の発言は、聞けば聞くほど本当に国民のために政治をしているのかと疑問に思えてならない。国民のためというより、政権を取り、自己の金銭欲と名誉欲を手に入れることだけしか考えていないのではとの疑念が強くなっていく。

国民は小沢氏、ならびに民主党に対し、同情の念が生まれるのか。おそらく逆であろう。検察批判をすればするほど、政治不信は拡大するだけである。疑われる要素が何もないなら堂々とすれば良い。もし起訴されることがあったなら、裁判で潔白を証明すれば良い。批判よりも前向きな姿勢こそ好感度が上がると見ているが、どうだろう。

本日(24日)、東京地検からの一定の回答が出る。結果はそっと見守るとして、政治とカネの問題はいつの時代でも共通する。政治資金規正法は国会議員が自己都合で作り上げた法律だ。それだけでも国民のための政治より、政治家個人の権威獲得のためだけの政治に写る。

国民の代表である国会議員。日本を豊かにするために存在する国会議員。そこには我々からでは計り知れない、骨肉の権力争いが繰り広げられている。権力争いも度が行き過ぎると実の恐ろしい。

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