元東洋太平洋バンタム級チャンピオン Text By 新田 渉世 Photo By 山口裕朗 |
ドリームジム 三浦利美会長 |
陽春という言葉のイメージにはもう一歩かな・・・、という少し肌寒い下町で、“第48代日本バンタム級王者”、“第12回エディ・タウンゼント賞受賞”、“2001年度年間優秀トレーナー賞受賞”という燦々と輝く栄誉を手にした男の、熱い、熱い語らいに触れた。 セレス小林(本名:小林昭司=第13代WBA世界S・フライ級チャンピオン、現・セレスボクシングスポーツジム会長)さんの紹介で、ご自身の師匠である三浦利美ドリームジム会長を訪ねたのは、4月に入ってすぐのことだった。東十条の駅から、国道沿いを10分ちょっと歩いた先を左に折れると、大きな倉庫のような建物に「ドリームジム」と看板が掲げられていた。 三浦さんは、“クラッシャー三浦”というリングネームで活躍していた現役時代、スタイリッシュなハードパンチャーとして人気を集めた。A級ボクサートーナメント決勝戦で、相手を1RKOで粉砕した試合を、デビュー間もなかった私は後楽園ホールで生観戦した記憶がある。また、私の名前が6回戦で初めてポスターに載ったのは、三浦さんの前座試合でのことだった。何となく気になる存在だった三浦さんと、じっくり話をするのはこれが初めてだった。 青森県下の高校ボクシング部員だった三浦さんは、アマチュアで数十試合を戦った後、上京して1982年に国際ジムからプロデビューした。そして、A級トーナメント優勝、日本タイトル獲得などの実績を残して1990年に引退した。 引退後は国際ジムトレーナーとして活躍し、2001年にはエディ・タウンゼント賞、年間優秀トレーナー賞受賞という栄誉を手にした。世界王者セレス小林のトレーナーとしては、あまりにも有名である。 数々の栄誉もさることながら、この人の人柄は業界でも評価が高い。実際じっくり話してみて、というより話を聞いてみて(とにかくよく話す)、その人柄には私も魅了された。 三浦さんは、若いトレーナーでも選手でも、そして自分のジム以外の人間でも分け隔てなく面倒を見る。「やってあげたら、きっと何かで返ってくる。本人からでなくても、その息子から戻ってくるかもしれない」トレーナーとして手にした栄誉も、若い連中にどんどん取って欲しいと思っている。自分や自分のジムだけの小さな利己主義ではなく、ボクシング界全体のことを考えているのが、ひしひしと伝わってくる。これは「ボクシングへの恩返し」なのだと言う。 「オレ達みたいな小さいジムが、どんどん世界チャンピオンを作っていかなくちゃ!」大きな会場でおこなわれる世界戦などの前座に、有望な4回戦選手らを立たせてゆくことが、将来きっと良い結果につながる筈だという持論を三浦さんは力説する。 「オレは今でもスポーツ大好き少年。何でも見る。そしてボクシングに取り入れられることは何でも取り入れるんだ」―相撲からは柔らかい股関節の重要性を学んだ。「宮本武蔵だって『剣は股関節』と言ってるんだぜ!」―小学生時代に夢中になったスキージャンプからも取り入れられることがある。ダンプカーのタイヤの上をピョンピョン跳ねて下半身を鍛えるトレーニングもそのひとつだ。「どんなスポーツの基本も、まず走ることだよ!!」 とにかくよくしゃべる、底抜けに明るい人だ。「試合が決まったら風邪をひかせない為に選手にマスクをさせるべきだよ。日本中のジムがやるべきだ。デビュー戦前に風邪ひいて負けて引退したらボクシング界の損失だ。デビュー戦に負けて引退する選手は67%もいるんだ」しゃべりだしたらもう止まらない。「オレはね、立場は会長だけど心はトレーナーなんだよ!」 私は三浦さんの話を聞きながら、自分の中に眠っていた“何か”にかすかな灯がともるのを感じていた。「立場は会長だけど―」“心”はトレーナー、マネージャー、プロモーター、実業家、タレントetc・・・と、業界には様々な会長さん達がいる。私はまだ、三浦さんのようにはっきりと断言出来る“心”を持っていない。しかし、熱い、熱い話に聞き入ってゆくうちに、よりボクサーに近い“トレーナーの心”が呼び覚まされるのをかすかに感じた。 ところで、世界王者セレス小林を育てた三浦利美“トレーナー”の逸話に触れよう。 「あいつの世界戦の前は、マジで胃潰瘍になったよ」世界戦当日、セレス選手を勝利に導く為、考えに考え抜いた三浦トレーナーは“セッティング”に力を注いだ。試合中、ピンチやチャンスが訪れる度にセレス選手の心理状況を見極め、後援会の平安閣社長、セレスさんの母親、子供、その他様々な人をセコンド脇に呼び、効果的な言葉を投げかけさせた。その度にセレス選手は心を震わせてコーナーを飛び出していった。心理学者さながらの芸当を演じた三浦トレーナー曰く、「勝たせる為なら、誰にでも何でもやらせる!」 この心理学者は、もしアッパーを使うべき試合なら、下手くそなアッパーでも「アッパーがいいよっ」と褒めて騙して使わせる。どんな選手にも「負けた時はオレの責任だ」「自分に合った階級があるはずだ」と、選手に必ず“逃げ場”を用意しておく。「オレは考えてないようで、すっごい考えてるんだよ!」綺麗に剃られたスキンヘッドを自分の手で撫でながら、三浦さんはニコニコと笑ってそう言った。 生粋のトレーナー魂を持つ三浦利美会長の話は尽きない。「オレは経営は得意じゃないからさ、もしドリームジムがつぶれたら他のジムでトレーナーをやるぜ。その時はオレを使ってよ。必ずチャンプを作るからさ!」冗談とはいえ、三浦さんのトレーナー魂を感じるのに象徴的な言葉だった。 そんなボクシングクレイジーにも、奥さんとふたりの中学生の娘さんがいる。自分でお店を経営する三浦婦人は帰宅が遅くなることが多く、娘さんがお父さんのご飯を作ってくれるという。「小さい頃は厳しく育てたけどね、今でも普通に仲の良い親子でいられるから良かったのかな・・・」意外と家庭的な面も併せ持つ不思議なタイプの人だ。 「この人は温かいんだよな」―久しぶりに同行したライターの丸山氏が、ボソッとつぶやいた。 「今度そっちのジムに行くよ!」突然、私がさっき頼んでいた話の返事をくれた。新田ジムに来て、トレーナーや選手達にいろいろ話しを聞かせてやって欲しい―という依頼をしていたのだ。対談を通して私のことを認めてもらえた気がして、何となく嬉しかった。「行く、行く。やっぱ小さいジム同士でそれやってかなきゃ!」ボクシング界全体を思う心が、またスパークした。 東十条の居酒屋から浅草のパブに場所を移しても、三浦さんの“マシンガントーク”は止まらなかった。それでもこの人の話を聞きたいと感じるのは、きっと「この人は温かい」からなのかも知れない。三浦利美会長は、今月末に新田ジムに来てくれることになった。 |
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