60年以上、情を描く義太夫節を語り続けていると、こんな味わい深い顔になるのだろうか。
文楽太夫陣の頂点に立つ人間国宝は、いまや大阪で生まれ育った文楽を体現する存在だ。
「どんなに時代が変わっても、人の情が薄らいだといわれても、だからこそよけいに文楽は情というものを伝えていかねばあかん」
舞台上手の床(ゆか)がぐるっと回って金の衝立を背に、ぴんと張った肩衣姿の住大夫が現れると、場内は水を打ったように静まりかえる。
たとえ焦がれて死ぬればとて、雲居に近き御方(おんかた)へ鮓屋(すしや)の娘が惚れられうか…
4月、大阪・日本橋の国立文楽劇場で上演される「義経千本桜」。「すしやの段」のヒロインお里が恋をしたのは下男に身をやつした平家の御曹司、平維盛だった。身分違いの恋と知り、けなげに身を引くお里。
住大夫の口から語られると、お里の悲しみ、決意がまるで自分のことのように感じられる。「こんなええもん、やらせてもらっているんやから素直に語るのが一番。そして人間性を磨くこと。冷たい人は冷たい浄瑠璃になる」
「すしや」は情の人、住大夫の十八番である。
× ×
大学卒業後、名人・豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)に入門した。
しかし戦後、文楽は待遇改善問題から二派に分裂。組合側の「三和(みつわ)会」に所属し、言うに言われぬ苦労を経験した。劇場との交渉、チラシの製作まですべて自分たちの手で行う。昭和38年、両派が再び合流するまでの14年間、「食うや食わずどころやない、食わず食わず」の辛酸をなめた。
「でもそのときの経験がいまの僕を作ってくれた。人数が足りひんから若い僕らにでも重い役をつけてくれたり、先代の(野澤)喜左衛門師匠をはじめ師匠方に厳しいけいこをつけていただいたり」
自ら悪声で不器用だったという。「そやから食らいついて食らいついてけいこしたんです。いまの若いもんも必死で奮起せないかん」。文楽の芸を次代につなぐこと。その責任につき動かされ、後輩や弟子のけいこに長時間を費やす。
× ×
文楽の本拠地・国立文楽劇場は4月、開場25周年を迎える。
「早いなあ。うれしいことも悲しいこともいろいろあった。25年前は僕が一番年かさになるとは思わなんだなあ」
古今、80歳を超えて現役の太夫を勤め続けた例はほとんどない。しかも物語のクライマックスの「切場(きりば)」を語るのだから体力的にも並大抵ではない。最近は粗食を心がけているそうだが、週に一度はステーキも食べる。「大好きやねん」とうれしそうに笑った。
「太夫は男が生涯をかけられる男らしい、いい仕事。太夫やれてよかった。心からそう思います」
文楽の顔は、大阪の顔でもある。(文・亀岡典子、写真・竹川禎一郎)
■竹本住大夫(たけもと・すみたゆう)
大正13年10月28日、大阪生まれ。父は人間国宝六世竹本住大夫。昭和21年豊竹山城少掾に入門、豊竹古住大夫を名乗って初舞台。35年九世竹本文字大夫を、60年七世竹本住大夫を襲名。人間国宝、芸術院会員、文化功労者。国立文楽劇場開場25周年記念「4月文楽公演」は4月4日から26日まで。
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