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【正論】政策研究大学院大学教授・大田弘子 医療費効率化の骨抜き許すな
≪大臣在任中から取り組む≫
超高齢化が進む日本で、医療の質を高めながら、できる限り医療費負担の伸びをおさえていくことは、最重要課題のひとつだ。
経済財政担当の大臣在任中から、医療費をどうするかはたいへん難しい問題だった。“骨太方針2006”で社会保障費の伸びを抑制することが決められていたから、国会でも批判の矢面に立った。たしかに産科・小児科を中心に医師不足は深刻な問題になっているし、勤務医の待遇も過酷だ。医療が本来果たすはずの役割を損なってまで、歳出を減らすべきだとは、私とてまったく思わない。
しかし、だからといって、いまの医療にムダがなく、効率化の必要性がないとは決して言えない。いわゆる“薬漬け、検査漬け”の問題は、いまだに解決されていない。かかりつけ医と、高度な病院との分担・連携もとれていない。1人当たりの高齢者医療費は、一番低い長野県と一番高い福岡県とで1・5倍もの差がある。
必要な医療費を増やすことには私を含めて多くの国民が賛成するだろうが、だからといって、いまのまま医療費が増え続け、負担が増加することに無条件で賛成、という人は少ないはずだ。
医療制度がきわめて大事だからこそ、効率化の努力を怠らず、高齢化に耐える制度にしていかねばならない。“骨太方針2008”では、社会保障費の伸びを抑制するものの、必要な医療費は、道路財源など他の歳出を削減して捻出(ねんしゅつ)することを取り決めた。
しかし、いま効率化のために一番大切なことが、骨抜きにされようとしている。それは、診療報酬の明細書(レセプトとよぶ)の電子化である。
≪診療報酬明細の電子化を≫
医師は、患者への治療や薬の代金をレセプトに記入して健康保険組合などの「保険者」に請求する。それを審査機関がチェックして、医療保険から診療費が支払われる。このレセプトは、手書きや印字で作成された「紙」で提出されてきたが、年間16・6億枚もの紙レセプトを処理するには、多大な費用がかかる。1枚につき114円(健保組合・医科の場合)が、保険者から審査機関に支払われているが、このお金は私たちが払った保険料から出される。
費用の問題だけではない。紙レセプトが電子レセプトに変わり、オンラインで請求されることで、治療や投薬のデータはIT上で分析される。これによって、検査が重複したケースや、複数の病院にかかって薬が過剰に投与されたケースが明らかになる。もちろん、不正請求の防止にもなる。医療情報が蓄積されることで、標準的な治療法の確立など、データに基づいた根拠ある政策につながる。
医療の質を下げずに医療費負担の増大を抑えていくうえで、レセプトの電子化は何より大切であり、これなしに効率化の糸口はないとすら言える。
だからこそ、さまざまな反対を乗り越えてレセプトの電子化が徐々に進み、平成23年度から診療所や歯科を含めて、完全に電子レセプトのオンライン請求を義務づけることが閣議決定された。しかしここへきて、医師会や歯科医師会を中心に猛烈な反対が起こり、レセプト電子化の義務づけをやめたり、平成23年度の期限が先送りされたりする可能性が出てきた。私はこのことに、大きな危機感をいだいている。
医師会は地元の国会議員に賛否を問う質問状を送付し、回答は一覧表にして、所属政党の政策責任者や全国各地の医師会に送付するという。
≪保険料負担者の立場で≫
反対の最大の理由は、オンライン機器の導入など負担が増えることや、IT化に対応できない医師が多いことである。しかし、それなら補助金を増やせばいい。
導入に対して税制上の支援や低利融資があるが、それで不足だというなら、拡大すればいい。補助金が一時的に増えても、電子化による効率化のほうが、メリットははるかに大きい。IT化に対応できない医師には、代行の仕組みを整えればいい。僻地(へきち)や離島など特別の理由で対応が難しい場合は、一時的な猶予を認めて策を講ずればいい。
そもそもITへの対応は、他の業界でも楽だったわけではない。それでも民間企業は、生き残りをかけて新技術に懸命に対応してきた。ましてや、医療は保険料という半ば強制的に集められたお金を使っている。他の業界より効率化の努力をしても当然ではないか。なぜ医療においてだけ、私たちはIT化のメリットを享受できないのか。お隣の韓国は、1996年から10年かけて、オンライン化100%を達成している。
ここで閣議決定をくつがえし、レセプトの電子化を骨抜きにすることがあってはならない。政府・与党は、徹底して保険料負担者の立場に立ち、レセプトの電子化を進めるべきである。
また、医師会の質問状に対する国会議員の回答一覧表は、マスコミを通して、ぜひ私たちに開示してほしい。(おおた ひろこ)