1992
小松和重・倉森克敏・夢の遊眠社の浜野正幸・制作の鈴木智恵が中心となり、
お友達である橘高千代子・渡辺正志を加えた、役者5人に制作1人の合計6人で「サモ・アリナンズ」を結成。
新宿にあった喫茶店「ふらんす屋」(今は無い)に集った幹部4人の厳正なる会議の末、
じゃんけんで負けた小松が座長に任命される。
6月/旗揚げ公演『マリーラフォレはもう聞かせないで』ー熱血暴れ太鼓編ー
気の遠くなるようなミシン掛けをして、タイニイアリスの客席全体にオレンジ色の布地を敷き詰める。
何故そんな事をしたのかは良く覚えてはいない。
旗揚げ公演の成功で調子に乗った小松・倉森。その為に肝心の第2弾の脚本を3日で書き上げてしまう。
これで失敗してしまうとも思わずに・・・。
1993

1月/サモ・アリナンズプロデュース迎春お正月公演『バーバ馬場ボディランゲージ2』
仕込みの日、ライダー気取りの浜野がバイクで事故り首の骨が欠ける。
そして浜野はムチ打ちの人が付ける白いプラスチックを首に付けて本番を乗り切る。
本番前に事故るなんて言語道断。以後、浜野はバイク禁止の刑となる。
高森美砂・徳田真弓が入団。役者が計8人になる。
倉森克敏が改名、倉森勝利に。漢字が変わっただけで読み方は一緒。
制作の鈴木智恵も改名、浅川智恵に。しかし結婚した訳ではない。
7月/サモ・アリナンズプロデュース第3弾『プッシュで押忍!!』〜復習するは我にあり編〜
旗揚げ公演と同じように外国人を客演として呼ぶ。初心忘れるべからずだ。
旗揚げからのスタッフ、アニキ肌の音響・伊勢さんから、腰の低い音響・山口さんにバトンタッチ
入団当初から劇団内で裏番を張っていた高森、人間関係が嫌で退団を決意。
「あたし辞めるから徳ちゃんも辞めなよ」と徳田を巻き込み2人で退団。代わりに(?)竹内すみえが入団。
役者は全部で6人になった。
1994
第6弾『ガッチリ行こうぜ少年ガッツ!!』はこの年の7月に公演予定だった。
しかしその稽古中の6月、橘高の誕生日に今度は小松がバイクで事故り重傷。直前で公演中止を余儀なくされる。
劇場のキャンセルは出来なかった為、劇団員は毎日駅前劇場に通い、知らずに来て下さったお客様に詫びを入れた。
皆が謝っている頃、小松は自宅に友人を呼び「退院祝いじゃ!」と酒を飲み続けていた。ば〜か。
そんな小松に愛想を尽かした渡辺、「俺は小説家になる。夢を追い続けるっていいよね。」
そう言い残してサモアリを去る。役者は計5名に。
1995
3月/サモ・アリナンズプロデュース ゼロからスタート第6弾
『ガッチリ行こうぜ少年ガッツ!!』〜ポールのミラクル大作戦〜
竹内が退団。代わりに飯山亮、うのけいいち、荘司和世、越智智恵野の4人が大量入団。
役者が8人になり、小松はホクホク顔となる。
期待の新人だった越智、客演の奥居氏に嫌われ僅か1公演で退団。
そんな越智を暖かく見守っていた浜野までも「俺は自分探しの旅に出る」と言い残し自転車に乗ってサモアリを去って行った。
バイク禁止令だけは守っていてくれて皆安心する。役者が計6人になっちまった。
腰の低い音響・山口さんが泥酔状態で風呂に入り、自分の身体を煮込んで大火傷。
なんとか次の公演までには立ち直った。酒飲んで入浴すると危ないよ!
退団した浜野は自分を見つけたらしく、客演として参加し続ける事を誓う。
1996
客演となった浜野「俺はもう浜野正幸を捨てた。これからは久ヶ沢徹だ。みんな、久ヶ沢さんって呼んでくれ」と命令。
もう「浜野君!」と呼んでも振り返ってはくれない。でも3回に1回位は引っかかっていた。
8月/ALBERT HYTZMAN with Bondgirl 2LIVE award『AIR HEADS』
P-M'sとの合同プロデュース公演で初のツアーに出る。小松、各地で泥酔。
旗揚げから宣伝美術をやって下さっていたデジタルクリエーターのGENさんから、アナログの寒がり、岸さんにバトンタッチ。
3年前に人間関係が嫌で退団したはずの負けず嫌い・高森も、久ヶ沢に負けじと海原ローラに改名。
「喉元過ぎれば熱さは忘れるのよ。私のポジションも久ヶ沢と同じにしてね。」と客演宣言。
ついでに森本奈緒美入団。役者は7人になる。
1997
看板女優・橘高「あだじ太鼓打ぢになるの。うぐっふっふふ・・」と意味不明な言葉を残し退団。また役者が6名に。
4月/サモ・アリナンズプロデュース第10弾 少年ガッツ団餘話『ガッツー』
兼ねてからの念願だった大阪の劇団・遊気舎から楠見薫嬢を客演に呼ぶ。
荘司和世「肌が合わないの」と言い残し退団。代わりに林浩介と渡部音子が入団。役者は7人だ。
倉森、初のワークショップを開いてみる。若い子達に囲まれてドキドキする。
11月/サモ・アリナンズプロデュース第11弾『蹂躙』
無理して本多劇場に進出してみた・・・無理だった。大赤字を抱えた。
ワークショップ生として『蹂躙』に参加していた千野ハルナが正式入団。役者が計8人。
1998
第2回ワークショップ開催。今だから言うが『蹂躙』での借金返済の為である。
今回は倉森と一緒に小松も教える立場になってみる。しかし小松には何一つ教えられる事は無かった。
4月/サモ・アリナンズプロデュース第12弾『ロボイチ』
10ステージ中8ステージ飛び入り出演した平田、毎回違うキャラの小道具やら衣裳を自腹で用意し散財する。
文学座出身の林「自分は不器用ですからアングラからやり直してみます」そう言い残し退団。役者は7人に。
第3回ワークショップ開催。講師はもちろん倉森のみ。
飯山「僕は田舎に帰って第二の浜田省吾になるのです。要チェックですよ〜」そう言って彼はバイクにまたがり貝になる。
役者の合計は6人だ。
11月/サモ・アリナンズプロデュース第13弾『ホームズ』
小松の子供の頃からの夢であった「ザ・スズナリ」で初公演。
『ホームズ』にワークショップ生として参加していた伊丹孝利、久保弘美、林ゆう子の3人が正式に入団。
役者の合計は9人。この大所帯に小松は少し照れ笑い。
1999
2月/Slime People『恐怖!スライムピープル襲来』
プロデュース公演第2弾。東京組5人、大阪組5人のガチンコ勝負。みんな大阪が大好きになる。
唯一の二枚目・うのが違う生き方を見つけた為退団。
唯一の変な声・渡部は「サモアリはお金にならないから嫌なの」と退団。やっぱりこじんまりと7人になる。
倉森、第4回ワークショップ開催。楽しくなってきた。
森本、クビになり退団。
代わりに『スネーク・ザ・バンデット』にワークショップ生として参加していた森田知章が役者として、
同じく吉岡香織がサモアリ衣裳部として正式に入団。これでスタッフ2名の役者7名となり、ちょっとした劇団っぽくなる。
10月より倉森がラジオドラマに殴り込みをする。文化放送「マクドナルドちゃぱら店物語」だ。
11月/サモ・アリナンズプロデュース第15弾『ガッツ団』
赤字覚悟で念願だった初の大阪単独公演に挑戦。楽しかったなぁ・・・。
伊丹、江戸川大学に戻る為退団。役者は6人に落ち着く。
2000
倉森、第5回ワークショップ開催。調子に乗ってきた。
3月/文化放送「マクドナルドちゃぱら店物語」の公開イベント開催。
4月/ついにサモアリホームページ開設!山口さん、GENさん、寒がり岸さん、手助けありがとうございました!
5月/サモ・アリナンズプロデュース第16弾『シャイアン』
サモアリはいつになったら黒字になるんだろう?
8月/若手公演をやるはずだった下北沢OFFOFFシアターにて苦肉の策で『ファンの集い』開催。
優しいファン(?)の皆様、観にきて下さってありがとうございました。
9月/千野、森田、久保、林の4人が「もう勘弁して下さい!」と一斉に退団。役者は小松と倉森だけになったとさ。
10月/『シャイアン』にワークショップ生として、『ファンの集い』に若手公演中止のお情けで出演していた佐藤貴史が
「俺はサモアリに付いて行きます」と正式入団。でもすぐに辞めそうだったので公式発表はしなかった。役者は3人トリオになった。
12月〜2001年1月/サモ・アリナンズプロデュース第17弾『マクガフィン』
世紀をまたに掛けて公演しちゃった。大阪にも行っちゃった。案の定大赤字。でもやっぱり大阪大好き!
12月31日/『マクガフィン』公演中のザ・スズナリに於いてカウントダウンイベント開催。
出演して下さった谷口さん、スタッフの皆さん、来て下さったお客様、本当に有り難う。後悔してませんか?
2001
1月/『マクガフィン』出演中の大政知己、
終演後に居酒屋・祭ばやしにて突然「劇団員になろうと思うのですがいかがでございましょうか?」と言い出す。
酔った勢いで皆了承し正式に入団。役者は4人カルテットになった。
4月/サモアリHPが開設一周年を迎える。が、委員長の平田は大阪で毎晩泥酔。
サモアリ関係者は無関心を装い何のイベントも無し。遊びに来て下さっている皆様、有り難うございます!
5月/サモ・アリナンズプロデュース第18弾『ホールアンドナッツ』
初めてこの公演の為だけにオーディションを行い、予想以上の応募者の中から10名に出演していただいた。
身の程知らずの本多劇場9ステージ公演。黒字になるわけがない。
12月/サモ・アリナンズプロデュース第19弾『スネーク・ザ・バンデット』
サモアリ初の再演。とは言っても初演の出演者は小松、倉森、久ヶ沢の3人のみ。
他は馴染みの者、倉森のワークショップ、オーディション等で人を集め、キャストだけで26人の大所帯で公演を行った。
人数、装置、衣裳、内容(?)等、全て初演を上回る出来になったが、動員だけは初演を下回った。
2002
3月/文化放送「マクドナルドちゃぱら店物語」終了!
2年半に渡って続いたサモアリ近親者総出演のラジオドラマもついに放送終了。
出演者の素敵な小遣い稼ぎになっていただけに、今後の生活に不安を覚える者が続出。
4月/サモアリ何回目だ?のワークショップ開催。今回は倉森だけでなく、小松も参加している模様。
しかも初の一年間に渡るもので最後にはワークショップ生による公演も行われるらしい。その頃残っている奴はいるのか?
6月/小松&倉森の長年に渡るアプローチの末、
久米が「何もしなくていいなら劇団員になってもいいわよ」と劇団員になることを了承。
本当は一番下っ端のハズだが、久米には何も命令する事が出来ず、佐藤&大政は相変わらずヘコヘコしている。
これでいいのか?役者は5人になりやがった。
7月/サモ・アリナンズプロデュース第20弾・10周年記念公演『ルーシー26』
サモアリもついに10周年。あんな事あったね。こんな事あったね。
10年の間に関わって下さった全ての皆様に感謝の気持ちでいっぱいだね。
そんなこんなで3年間伸び悩んでいた動員記録をついに更新!ご来場下さった皆様、本当に有り難うございました!
7月/サモ・アリナンズ10周年記念パーチー『サモ・アリナンズの夏の夜の夢』
『ルーシー26』公演中の7月7日の七夕の夜に開催されたイベント。
ラーメンズ、後藤ひろひと氏、宮藤官九郎氏をゲストに迎え、予定時間を一時間以上もオーバーした大ぐだぐだパーチー。
イライラしながらも最後まで観て下さった皆様に感謝。
7月/なんだかんだ言いながらワークショップに大金を払い続け、『ルーシー26』まで4回連続出演した熱意に佐藤が負け、
松村秀憲がとうとう劇団員になる。
そして何故か前回は演助、『ルーシー26』には出演した秋元一典もどさくさに紛れて便乗し劇団員に。
役者が3年振りに7人になりましたとさ。
2003
1月/倉森プロデュースwithサモ・アリナンズ『倉森物語』
倉森初の単独プロデュース公演。
最初はサモアリに馴染みの無い役者を集めたかったらしいが、結局小松がいないだけのサモアリっぽくなってしまった。
その為、本公演と勘違いする方が大勢いて、小松が退団したという噂も巷では流れたらしい。
初日のカーテンコールで泣きマネをした倉森だが、実際は本当にウルウルしていたらしい!?
2月『倉森物語』の稽古場でダメ出しの最中、倉森の「サモアリ辛いか?」の一言が胸に響いた秋元、思い悩んだ末に退団。
劇団員になってから初の公演だったのに、よほど辛かったらしい。これで役者は6人になっちまった。
3月/予想に反してワークショップに一年通い続けた13人に佐藤&大政を加えての卒業公演を下北沢OFFOFFシアターで上演。
この公演が一番タメになったと思ってるのは演出した倉森だって。
4月/サモアリの何回目?もう数えるのも面倒だ!のワークショップ開催。
今回も一年後には公演を行うらしい。サモアリを知らないのに来る奴が多いのにビックリ。後悔しないのか?
6月/大政、佐藤、松村による『しんがりボーイズ』結成。
図々しくも「アイドルコント」と銘打ち、華々しく(?)新宿パンプルムスにて『うわの空Z』を上演。
7月/「今までと待遇は変わらないよ。序列は小松の次にするよ」という甘い言葉に誘われ、
高木尚三が38歳にして劇団員になる。これで役者が7人になり、平均年齢もぐっと上がった。
9月/サモ・アリナンズプロデュース第21弾『ブルージーンズ・ジャーニー』
1年振りの本公演。劇団員+平田+久ヶ沢というシンプルキャストで初の新宿サンモールにて上演。
上演時間1時間45分という久々に短い芝居のくせに、早替えの連続でみんなヘトヘトになりましたとさ。
10月/「何をやっていても楽しくないんです。今、無気力で・・・」と、大政知己退団。
小松、倉森はショックを隠しきれず、よそで本番中の平田もショックで数分間無口になったらしい。
サモアリの役者は6名になり、しんがりボーイズは2名になる。てゆーか、しんがりボーイズは続けるのか?
2004
3月/ワークショップ卒業公演を下北沢OFFOFFシアターで上演。
この公演の為に変なパーマをかけた佐藤は大量の抜け毛に悩んだらしい。
3月/四ッ谷で7年近く借りていた事務所を吉祥寺に移転する。だが決してグレードアップした訳ではない。むしろダウンだ。
おまけに引っ越しで何だかんだと金がかかって浅川もダウンだ。
4月/2年間無駄にワークショップに通い続けた斎藤敦と島村朋子、半年だけワークショップに参加した中澤功が劇団員に。
これでサモアリの役者は9名になったよ!
4月/もういい加減に数えるのが嫌になったワークショップ開催。
5月/サモ・アリナンズプロデュース第22弾『ワンダフル』
3年振りにザ・スズナリでの公演。なんだかバタバタと初日開演ギリギリまでてんてこ舞いだったね〜。
「実家に帰ります。」と斎藤敦が退団。仕方がない理由なので役者は8名に。
10月/劇団ワンダフルズ旗揚げ公演『世界のテレビ』〜イギリスのケーブルテレビ〜
サモアリの別ユニットを結成。ワンダフルズの時は全員芸名を付けるという掟もある。
しかし馴染みのない劇団名の為か動員が悪く、サモアリの名前でやれば良かったと後悔。
ワンダフルズ公演の忙しい片付けの最中、駅前劇場の階段で松村秀憲が浅川に退団表明。
その後打ち上げで「ボランティアがやりたいからです」と告白された小松は「かっこいい!」と松村を応援する事に。
サモアリにいる事も十分ボランティアだと思うが・・・。これで役者は7名。
しかし今はボランティアをやめたらしく「松村のばかぁ!」と小松の口癖に。
2005
3月/1年間がむしゃらに働いて金が貯まり気力が復活した為に客演として「AB男」の稽古に励んでいた大政、
稽古中に倉森から電話で「お前どうすんの?」と言われ、どうもこうもないから一番下っ端としてサモアリに再入団
金があれば何でも楽しんでできるらしい。役者が8人になる。
4月10日/倉森勝利逝去。
4月/サモ・アリナンズプロデュースNo.23『AB男』
初のスペース・ゼロ公演。泣いている暇もなく、バタバタで初日を迎える。
5月23日/本多劇場で倉森お別れ会
劇場を始め、普段お世話になってるスタッフ、関係者、全ての皆様のご好意で営まれた。
普段は満席にならない本多劇場に400人以上の方々が最後のお別れに集まって下さり、サモアリ陣はパニックに。
行き届かない点も多々ありましたが、献花の為にご参列下さいました皆様、どうも有り難うございました。
この年表に名前が刻まれている、サモアリを通り過ぎていった皆も続々と来場し、ちょっとした同窓会気分。
サモアリ馴染みの西口庄屋2階での2次会には80人以上の関係者が集まり、朝までそりゃもう大騒ぎさ。
5月/久米淳子が家納ジュンコに改名。
2月に結婚した事を世間に知らしめたくなり、旧姓を捨て結婚後の名字に改名。
ただし、何故名前をカタカナにしたのかは不明。

12月/サモアリHPリニューアル
リニューアルをきっかけにHP作成ソフトを変えた平田、使い方が全く分からず予想外の時間がかかり、中途半端で公開。
TOPページや各ページのアイコンやらはナミヘイさんに作ってもらいやした。
この時からサモアリ補欠陣にオクイシュージも嫌々加わる事に。
2006
11月/サモ・アリナンズプロデュースNo.24『昔の侍』
約1年半振りの本公演。