2009年02月16日

ちょりそのぶさんと久方ぶりの再会

昨日池袋にて、桜玉吉さんの漫画でお馴染みの匠の神・
ちょりそのぶさんと8年ぶりに再会した。
お元気そうでなにより。

何故、会ったのかは、ちょっと秘密なんだけど、
須藤真澄さんと俺の相方を含め、
4人でこれもいいあれもいいとか、
打ち合わせをしたのであった。

当たり前なんだけど、流石はちょりそさん。
こちらのリクエストを聞いて、
さささっとラフを切ってくれる。
なので、見てイメージが出来る為、
打ち合わせは短時間で終わる。

その後、やはり気になる玉吉さんの話題に。
ちょりそさんも最近は会っていないと云う。
ただ、最後に会った時ぐらいには、
盲腸の処が痛いと云っていたらしい。

大丈夫なんだろうか?

で、メンタルな病院に行ってますかね?
と聞いた処、

「俺等がしつこく云うと、意固地になって余計に行かないじゃん」

と云われ、思わず納得してしまった。
うん。
玉吉さんは自己判断で動く人だから、そうだろうなあー。
まあ、それじゃあ漫画復帰はまだまだですね。
と、ちょりそさんに云ったら、

「ちょっと長編漫画は無理なんじゃないの? 
と云うか、漫玉の終わりの頃の様な仕事っぷりじゃ、
俺の方が無理。もう48歳だよ。2日も3日も徹夜出来ないよ」

と、答え、すると須藤さんも

「私も今年、ふたつの目標を立てたの。
ひとつは仕事で徹夜しない事。これはこの前、出来た。
次は締め切りをどれだけ前倒し出来るか。これが次の目標」

と云うので、大変驚いた。
あんなにグレていたますびちゃんが、ついに良い子に変身!?

つーか、みんなもう40過ぎだもんな。
歳をとっちまったんだもんな。
少し寂しいけど、此が現実。

ちょりそさんとますびちゃんは、昼間、麻雀を打っていた。
レートを聞いたら、ノーレートだってさ。
健全だな。
それだったら、お金のない自分でも麻雀が打てる。

今度、誘って下さいね。
と云って、お開きに。

楽しかったけど、異様に疲れた。
やっぱいまは、鬱状態なんだな。
と自己分析し、山手線の人になったのである。
posted by ヒロポン、梵ぬ at 19:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 躁鬱日記

これを書くのは、返り血にまみれる事を覚悟して、書かなければならないのだが……

パチンコ店を辞めて、次に元カノが働いた場所は、
なんともかんとも裏金融であった。

当時、本当に俺は頭が呆然としていて、
元カノの仕事のヤバさを認識していなかったのである。

処がある日、カツヒコさんに

「お前のスケ、なんの仕事しているんだ」

と聞かれ、素直にトサン(10日に3割の利子が付く)の
金融屋ですと答えたら、

「真っ当な人間がやる仕事じゃねえ。
お前が云って、早く辞めさせろ」

と、アドバイスを送ってくれたのである。
それを云われ、なんとも間抜けな事に、

「そっか、そこで働いていたら、警察に捕まるんだよなあー」

と、初めて気付いた次第であった。

その事を元カノに伝えると、不服な顔をしながらも、
最終的には応じてくれたのである。

処が。

負のスパイラルと云うか、元カノが病気が酷くなって、
全く仕事が出来なくなり、それと共鳴する様に、
俺もまるで体と心に力が入らなくなり、
ふたりの生活は困窮する事になった。

思い返してみれば、ふたりの幸せな時間は、
1年ぐらいしかなかった。
平成14年の春。
ふたりでキックボクシングのジムに通っていた頃、
あの頃が幸せのピークだった。

自分は5月に職場復帰するも、
まるで鬱と一体化してしまった様な感じで、
漫画家さん達と打ち合わせをしていても、

「本当にテンションが低いですね」

と云われてしまう始末であった。

結局どうにもならず10月にまたもや休職。
年金基金からお金が出るものの、
とてもじゃないが生活出来る額ではなく、
そこで元カノも働こうとしたのだが、
1日行っては辞めるの繰り返しで、どうにもならなかった。

致し方なく俺は父に頭を下げてお金を借り、
元カノは兄にお金を借りて、
細々と生活をしていたのであるが、
この頃から元カノの俺に対する依存度が高くなった。

起きていると、あまりに悩み事が多く、苦しいので、
薬を飲んで昼寝をしようとすると、
叫びながら俺が寝るのを阻止するのであった。

なので、お金もなく起きていても何もする事がないの状態なのに、
大して面白くもない対戦ゲームをやって暮らしていた。
本当に無益な半年間。

明けて平成15年。
事件は起こった。

元カノの話によると、
店の売り上げの30万円が入った兄のバッグが盗まれたと云う。
その日、元カノの実家にいたのは、家族4人だけ。
兄から借金をしていた元カノが疑われたらしい。

これで3回目の窃盗疑惑をかけられた訳であるが、
それでも自分は元カノを信じた。
自分の家族のお金を盗む奴が、自分の身近にいる訳はないだろう。
そう思ったのである。

だが、いま思えばである。
事件の1カ月ぐらい後に、
譜面書きの仕事の報酬が入ったと云って、
10万円ぐらいのお金を見せて、
生活費の足しにしてと云って来たのである。

無論、これが真相であるという証拠はない。
でも、この頃から薬と鬱でぼんやりとした俺の頭に、
ハテナ・マークが浮かんで来たのである。

そう浮かんでいた。
浮かんでいたのに、俺は浮かれてしまったのである。

エンターブレインはアスキーから分社独立して出来た会社である。
だが、その当時、まだみんなはアスキーの社員であった。
そしてこの年、エンターブレインで働くアスキーの社員は、
正式にアスキーを退社し、エンターブレインに入社したのである。

するとどうなったかと云うと、
アスキーから退職金が支払われたのである。

うおう、このお金があれば、結婚式が出来るじゃん。
と、自分は浮かれたのである。

自分は、元カノが兄から借金していた30万円を、
肩代わりして支払い、結婚したいとの旨を伝えた。
しかし、何故か元カノの家族の空気は微妙だった。
いま思い返せば、であるが……。

とりあえず休日は式場巡りなどをし、平日はビームではなく、
人事部付として、企画書書きやHPのテキスト書きなどをしていた。

いたのであるが、
この辺から元カノの様子が可笑しくなっていった。

自分が出社しようとすると、泣きながら、

「行かないで! あああ!」

と、本当に狂ったのかと思うぐらいの音量で叫ぶのであった。
最初の頃は、致し方ないので、仕事を休み、
病院へ行って先生に看て貰っていた。

然し、有給を使い過ぎた為、当時の取締役から直接呼び出され、
此以上休むなら、進退伺いを出せ、と云われたのであった。

元カノが働いてない上に、俺までクビになったら、
結婚どころの騒ぎではない。

朝具合が悪くなっても、我慢してくれないか。
と、お願いするのであるが、元カノの病状は更に悪化した。
会社から帰って来ると、
今度は包丁を持ってトイレに立て籠もる様になったのである。

朝は泣き叫び、夜はトイレで包丁。
同じ病気を持った者同士であるから、
なんとかして上げたいのであるが、
どうすればいいのか、当時の自分はよく判らなかった。

今日は包丁を持たなかったなあー、と、安心していると、

「頭が痛い。救急車呼んで」

と云う事もざらにあった。
元カノは俺に、何を求めていたのであろうか?
絶対的な父性か?

そんな日々が続く中、結婚式の日は近付いて来たのであるが、
元カノの母親が俺の母がいる前で、そりゃあねーだろう?
と云う発言をして、俺がキレてしまったり、
逆に俺が冗談交じりの捨て鉢な事を云って、
それが元カノの親御さんに伝わり、

「結婚式には、うちの親族は誰も出席しません。結婚式がしたかったら、勝手にやって下さい」

と云われたりした。
その時、俺の父は心臓近くの血管に異変が起こり、
集中治療室にいて、結婚式どころの騒ぎじゃないと云う状態で、
父に悪いけど、俺の判断で結婚式は中止するから、と云って、
その後、慌てて結婚式中止のお知らせのはがきを作って、
発送し、式場には父の病気を理由にして中止して貰い、
キャンセル料は俺が全て払い……。

冗談みたいな1カ月が過ぎた。
そんなある日、元カノは云った。

「結婚しなくてよかったと思うの。
あんな立派なお父さんとお母さんの娘になるのは、
まだ早かったと思う」

と。

その言葉になんて応えようか、などと考える余裕がなかった。
あまりにも色々な感情が溢れ出し、数時間、
急性の失語症になってしまったからである。

振り返れば判る。
元カノと俺が結婚する事に賛成している人は、
俺ひとりだけで、その他の人は誰も賛成していなかった。
と云う事である。

その理由は、時期が来たら、書くかもしれないが……。

最早、同棲を続ける意味がなくなったふたり。
そんな時、元カノの友人から電話を貰った。
ふたりっきりで会いたいとの事。

???

一応、元カノにそう云われたと伝えると、私も行くと行った。
然し、友人はどうしてもふたりきっりでと云うので、
元カノには何処かで時間を潰して貰って、ふたりで会った。

なんの話かと思ったら、その友人は元カノに3回、
お金を盗まれたと云うではないか。
トータルで27万円。
まさか。
然し……。

ただ、友人の証言だけだと、元カノが盗んだかどうか判らない。
なので、元カノも呼んで、3人で話し合い。
当然、話は平行線を辿るのだが、元カノが急に、

「そのなくなったお金、私が代わりに出すから、
もうこの話は止めて」

と云った。

ああ、そっか。
最早、自分の心が崩れて行くのを止める事が出来なかった。

翌日、元カノの父親と自分の父に連絡を取り、
元カノと別離する事を告げた。
同じ病を持つ同士だったら、お互いを理解し合える家庭が作れる。
そんな子供じみた幻想は、両家族の話し合いで、幕を閉じた。

そして元カノと別れた事を主治医に告げると、

「これは個人として云うのですが、
どちらかがどちらかに依存してしまう関係は、
遅かれ早かれ壊れてしまいますよ。
ピロセさん、このことを文章に書いて、
感情を吐き出したらどうですか」

と云われたのである。
だがその当時、自分はナンシーを殺したシドの様な精神状態で、
辛うじて出社はしていたが、
それ以外の時間は、自分の墓石を自分で買う様な状態であった。

もう女の人を愛せないだろう。
そうも思った。
でも、ひとりでいい。
こいつがあれば……。

==============
……と、当時の主治医からのアドバイスが、6年の歳月を経て、
やっと実現した訳なんですけど、この過去日記は、
元カノの事を責める為に書いた訳ではないんで、
誤解なき様、お願い申し上げます。

まあー、なんと云うか、
元カノがやった事は、あくまで病気がさせた事であり、
悪い事をしたんだとしたら
(あくまで憶測です。俺が信じる力を失っただけです)、
それは確実に病気のせいなんです。

いや、マジで。

と、最近やっと思える様になりました。
ここまで来るのに6年かかりました。
色んなもん、失ったけど……。

うん。
まあ、でも、人生にはあきらかに意味がある。
プロローグはこれで終わり。
次回から相方編に話は移ります。
posted by ヒロポン、梵ぬ at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去日記