アイスホッケー:日本製紙がV…西武、有終の美飾れず幕

2009年3月23日 21時37分 更新:3月24日 0時23分

【アジアリーグ最終戦 西武・日本製紙】表彰式でがっくり肩を落とす西武の選手たち=東京都西東京市のダイドードリンコアイスアリーナで2008年3月23日、小出洋平撮影
【アジアリーグ最終戦 西武・日本製紙】表彰式でがっくり肩を落とす西武の選手たち=東京都西東京市のダイドードリンコアイスアリーナで2008年3月23日、小出洋平撮影

 アイスホッケーのアジアリーグ・プレーオフ決勝は23日、東京・ダイドードリンコアイスアリーナで最終第7戦を行い、日本製紙(リーグ4位)が今季限りで廃部する西武(リーグ2位)を降し、対戦成績を4勝3敗として2季ぶり3度目のリーグ制覇を果たした。西武は1勝3敗からの連勝で最終戦に持ち込んだが、2月の全日本選手権に続く2冠はならず、36年の歴史に幕を閉じた。

 日本製紙は第1ピリオドにパワープレーから先制し、第2ピリオドもパワープレーからの得点とFW伊藤雅のシュートで加点。西武も反撃したが、及ばなかった。プレーオフ最優秀選手には好セーブを見せた日本製紙のGK石川央が選ばれた。

 ○日本製紙3-2西武●

 日本製紙は第1ピリオド4分にパワープレーからFW三谷のゴールで先制。第2ピリオド4分にもパワープレーからFW西脇が押し込み、12分にはFW伊藤雅のシュートで加点した。西武は第2ピリオド残り4秒からFW鈴木のシュートで反撃を開始。第3ピリオド13分も鈴木のこの日2点目となるシュートで1点差に迫ったが、序盤の失点が響いた。

 ◇主将の意地…鈴木が2得点

 満員の約2000人が詰めかけたリンクは、優勝が決まると日本製紙の応援席から紙テープが舞った。その中で西武主将の鈴木は声援を送った西武ファンに向かって試合で使ったパックを投げ込んだ。「伝えたかったことはアイスホッケーが良いスポーツであることと……」。後は涙で言葉が続かなかった。

 敗れはしたが、日本代表でも主将を務めるFW鈴木が2得点の活躍。第2ピリオドは残り4秒でゴール左から、第3ピリオドは正面右から。ともにワンタッチで振り抜いた。西武の若林監督は「さすが」と正確な技術をたたえた。

 試合前は笑顔で相手主将と握手をかわすなど気丈に振る舞っていた33歳。だが、試合後「廃部が決定してから苦しかった」とさまざまな思いがこみ上げてきた。リンクを引き揚げる選手と握手をかわし、「このチームだから全日本選手権で勝てたし、アジアリーグでも決勝まで来られた」と振り返った。

 意地は見せた。だが、選手の先行きが不透明なまま今季最終戦を迎え、「これからがつらい時期になります」。西武の選手たちにとって本当の試練はこれから始まる。【飯山太郎】

 ○…2年ぶりにアジア王者の座を奪回した日本製紙・相沢監督は「(プレーオフで計)16試合もやって疲れている中、よく頑張った」と選手をねぎらった。この日も2得点と機能した得意のパワープレーについては「練習の積み重ねです」と胸を張った。リーグ戦では4位と低迷したが、プレーオフでは1位のハルラ(韓国)と2位・西武を連破しての優勝に「横綱(の胸)に頭をつけて勝った」と謙虚に話していた。

 ◇西武プリンスラビッツ

 72年、西武鉄道から分離独立した国土計画アイスホッケー部が前身。74年に日本リーグ、75年に全日本選手権を初制覇した。当初は軽井沢だったホームリンクは品川、新横浜と変わり、国土計画の社名変更に伴い、92年チーム名もコクドに変更した。03年西武鉄道と再合併して、本拠地は現在の西東京・東伏見のリンクに。06年から現在の名称になった。西武グループの総帥だった堤義明・前日本アイスホッケー連盟会長がグループのシンボルチームとして強化に力を入れ、選手のカナダ留学などを積極的に展開、日本リーグで13回、全日本選手権で11回の優勝を誇る強豪チームとなった。

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