在日中国人女性と日本人男性のお見合いパーティー。男性が順番に席を移り、女性全員と会話する=1月25日、東京・六本木、樫山晃生撮影
日本人の国際結婚件数
中国人研修生にマナーを教える柿崎栄子さん=山形県戸沢村、みちのくアパレル協同組合提供
■出会いの場 日本男性選ぶシビアな目
「来日して7年半です。3年前からホテルに勤めています。得意なのは栄養管理」。1月下旬、東京・六本木のカフェであった在日中国人女性と日本人男性とのお見合いパーティー。なまりのない日本語で自己紹介を終えた女性が、拍手と男性の視線を楽しむように席に戻った。
参加したのは男女それぞれ10人。男女が向かい合って座り、自由におしゃべりする。
女性は20〜30歳代。留学生や、留学後に日本で就職した人が多い。専門学校で情報処理を学ぶ曹(ツァオ)レンさん(23)は7回目の参加。結婚をあせる気持ちはない。ただ「東京は便利で治安がいいし、生活が楽しい。結婚して住み続けたい。優しく、まじめな日本人がいい」と思う。
都内の中国系企業に就職が内定している。一人っ子で両親は遼寧省にいるが「父も日本で働いたことがあるし、毎日電話するから大丈夫」。
日本人男性は30〜40歳代が中心だ。大手電機メーカー勤務や大学教員などで、この日は半数が年収1千万円を超えた。それでも「日本人女性は要求水準が高く、結婚観が合わない」と参加理由を語る人もいる。
中国人女性の目は甘くはない。この日、女性の半数が交際希望相手の記入用紙に1人の名前も書かなかった。交際が始まっても、結婚まで進む確率は1割程度という。
パーティーを主催したのは、遼寧省出身の宋秀珍(ソン・シウチェン)さん(38)が社長を務める結婚紹介会社、アジアBセンター。宋さんは95年、日本人と結婚して来日し、大学に通いながら、夫が始めた日中結婚紹介ビジネスにかかわるようになった。当初は中国に住む女性を紹介していたが、99年に社長に就任すると、増加していた在日中国人女性の結婚に本格的に取り組んだ。
「彼女たちは学歴や仕事、お金があり、自力で日本で暮らせる。好みでなければ、相手の収入が高くても結婚しない。日本人の女性と同じです」と宋さんは言う。
それでも国内の日本人と中国人との結婚は着実に増えている。00年に1万組を超え、07年は1万2942組。10年前の1.7倍になった。9割は妻が中国人だ。日本人の国際結婚の件数全体を見ても、97年以来、配偶者は中国人がトップで、2位のフィリピン人を大きく引き離す(07年の厚生労働省「人口動態統計」)。
日中間の交流の活発化に伴い、「出会いの場」も多様化している。
日中に12拠点をもつ航空貨物会社スコアジャパン(東京)では、社長ら幹部6人のうち5人が日中、日台間で結婚している。
大沢理社長(47)は中国留学を経験し、98年にスコアジャパンを創業。05年に留学時代に知り合った中国人女性(31)と結婚した。ゼネラルマネジャーの呉新衛(ウー・シンウェイ)さん(32)は、中国留学後も天津にとどまって働いていた日本人女性(41)と出会い、00年に結ばれた。「日本語を覚えてほしいと言われ、何も考えず日本に来た」と呉さんは笑う。日本人ゼネラルマネジャー3人の妻も、それぞれ北京、瀋陽、台湾の出身だ。
スコアジャパンは従業員約270人。平均年齢は30歳代前半の若い会社だ。国内の約120人のうち8割は日中両語を操り、3割は中国人。東京と上海の事務所間のチャットで親しくなり、近く結婚する日中カップルもいる。
■農村花嫁第1世代 役割果たす
かつて日中間の結婚といえば、配偶者不足に悩む地方の農家に中国人女性が移り住む「農村花嫁」が話題になった。彼女たちは今、どんな生活を送っているのか。
山形県北部の戸沢村は人口5814人。ここに海外から結婚して移った35人が住み、うち中国人が14人、あとはフィリピン人と韓国人だ。
柿崎栄子(中国名・邵栄(シャオ・ロン))さん(50)は92年、村で2人目の中国人花嫁として来日した。今は会社員の夫(59)と義母(81)、中学生の息子2人の5人暮らしだ。
34歳の時、故郷の中国・天津でお見合いツアーに来た夫と出会い結婚。日本語も分からないまま来日し、すぐに子どもができた。地元の自動車部品工場でも働いた。「長男の嫁」に正月やお盆休みはない。天津という都会育ちで、異国の農村生活は楽ではなかった。
昨春、義母が要介護になったこともあり、15年務めた工場を退職した。今は週3日、義母をデイサービスに送り出し、空いた時間に専門学校でパソコンを習う。時間ができたら、また仕事に就きたい。
週に1、2回、地元の縫製工場などで働く約80人の中国人研修生や実習生に日本語やマナーを教え、トラブルや悩みの相談に乗る。「同じ中国人。力になりたい」
15歳の長男は今春、県内の高校に進学する。「ここに残って面倒を見てほしい、とは絶対に言わない。好きなところで暮らしてほしい」と思う。
結婚して中国からやって来た女性は、子どもを産み、仕事を持ち、将来は老いた親の面倒を見ることを期待された。農村花嫁の「第1世代」は、そうした役割を果たし、自らが老いを迎える年代に入りつつある。
厚労省の人口動態統計によると、07年の中国人女性と日本人男性との結婚件数は、43都道府県で10年前に比べて増えた。都市を中心にしたさまざまな「出会い」がある一方、地方では中国女性が結婚を機に移り住む流れも続いている。
■世界の華僑4400万人、東南アジアに7割
中国から世界各地に移り住む人は多い。中国・アモイ大南洋研究院の荘国土(チョワン・クオトゥー)院長は昨年、渡航先の国籍を取得した人も含めた中国系と台湾系の人は、世界で計約4400万人とする推計を発表した。
最も多いのが東南アジアで、約3200万人と全体の7割を占める。福建省や広東省を主なルーツとする移住者とその子孫がほとんどだ。
同研究院の郭玉聡(クオ・ユイツォン)教授によると、全体の4400万人のうち600万人は、中国が78年に改革開放にかじを切って以来、留学などの目的で北米や欧州、オーストラリアなどに住み着いた。中国政府は留学生の帰国を望んだが、多くは中国より生活水準の高い渡航先で定着した。こうした移民は「新華僑」と呼ばれ、改革開放以前に渡航した「老華僑」と区別される。
郭教授によると、最も人気があるのは米国で、300万人近くが渡った。改革開放以前に移り住んだ人や台湾系も含めると計360万人。ノーベル物理学賞を受けたチュー・エネルギー長官ら著名人も多い。
日本には、新・老華僑や日本国籍取得者、台湾系を合わせて75万人が住む。米国と同様、改革開放後に来た人が8割以上を占める。(河原一郎)