■生徒急増、なじめず去る子も
東京都江戸川区にある区立小松川2中の夜間学級。2月末、3年生の数学の授業をのぞくと、6人の出席者のうち5人が中国人の生徒だった。
「袋からボールを二つ取り出した時、いずれも青色になる確率は? 日本語よく聞いてね。意味分かるかな」
教師がかみ砕くように問題を説明し、生徒が頭をつきあわせて中国語で教えあう。指名され、ほおを赤らめて黒板の前に立った孫年(スン・ニエン)さん(18)は遠慮ぎみな日本語で、正解を導く方法を説明してみせた。
戦後の混乱期から、様々な事情で義務教育を終えられなかった人たちに学びの場を提供してきた夜間中学。今、中国人の生徒が急増している。
小松川2中は90人の生徒の7割を超す66人が中国籍。次いでフィリピン国籍が12人、日本人は8人だけだ。中国残留孤児と家族の生徒が99年をピークに減る一方、その目減り分を補い上回る勢いで、就労や結婚などで来日する中国人と家族が増えた。
都内八つの夜間中学とも同じ傾向で、生徒の55%が中国籍だ。全国最多の11校がある大阪府でも中国籍が3分の1を占める。
孫さんは黒竜江省の中学3年だった一昨年末、日本人と再婚した父親に呼び寄せられた。昨年4月に小松川2中の3年に編入。父親が日本在住の知人から、「中国人が多い分、昼間の中学よりなじみやすい」と勧められた。少人数の丁寧な授業に加え、授業料は無料。さらに江戸川区では給食費も区が負担するため、費用は実習授業用経費など年8千円程度ですむ。
中国籍の生徒の親は、コックなどとして働きに来るか、日本人との結婚で来日した人が多い。ほぼ全員が区の就学援助を受ける。
孫さんの父親は都内の弁当チェーン店で朝7時半から働き、月収は20万円余り。妻の通院費も必要で、貯金はほとんどない。「子どもの教育は一番の気がかりだが、実際は仕事に追われて学校に頼りきりだ」と話す。
来日当時、孫さんは日本語がまったく話せなかった。だが一日も休まずに通い、この春、倍率3・7倍超の推薦入試をくぐり抜け、全日制都立高校に合格した。「先生は日中辞典を引きながら根気強く教えてくれたし、面接の前には髪の毛まで切ってくれた」と顔をほころばす。
しかし、孫さんのように高校に進学できる生徒は全体の半数程度。中退する生徒も1割近くいる。島袋恒男副校長は「親の都合で日本に来させられた、来たくて来たわけではないという思いを持つ生徒は多い」と説明する。特に日本で再婚した親に呼び寄せられた子の環境は厳しい。慣れない学校生活以外に、家では言葉の通じぬ新しい親と向き合う。長年、中国の親族に預けられてきたため、実の親とさえ断絶を抱える子もいる。
アルバイトを優先したり、ネットカフェにたむろしたりして学校から足が遠のく。教師らは連日、電話や家庭訪問をしているが、親も日本語が通じず、連絡がつかない例が珍しくない。
小松川2中で10年間生徒を見てきた教師(63)は「彼らには居場所がない。夜間中学も最後の受け皿にはなりきれず、こぼれていってしまう子が増えている」と話す。退学した子たちは連絡も途絶え、その後の暮らしを把握できていないのが実情だ。
08年、江戸川区で外国人登録していた6〜15歳の中国人は484人。だが、区立の小中学校に在籍した児童生徒は214人にとどまる。私立はごくわずか。250人を超える子どもはどこにいるのか。区教委は「登録しただけで引っ越した子や中国に帰った子もいる。両国を行き来する子も少なくない」といい、在住の華人らは「行き場が定まらず、さまよう子供たちがいるのだろう」と懸念する。こうした現象は、都内のほかの区にもある。
■エリートと格差拡大
年齢や日本語などの問題で日本の公立学校に通えない外国籍の子らに学びの場を提供するNPO法人多文化共生センター東京(東京都荒川区)。食い入るように黒板を見つめる生徒らの表情は明るいが、代表の王慧槿(ワン・ホイ・チン)さん(59)は不安を抱えている。
高校受験の学力が身につくようにと、05年にフリースクールを立ち上げた。初年度、延べ24人だった生徒は今年度は100人を超えた。2月末の時点で通う46人のうち、32人が中国人だ。
親の平均像は夜間中学と重なる。高校受験に向け日本の中学に編入させるつもりで子を呼び寄せたものの、中国で卒業しているため資格がないと知り、慌てて駆け込むケースも少なくない。
王さんは「同じ在日華人でも、日本に定着したエリート層と、そうでない層の格差は経済力、情報収集力も含めて広がっている」と指摘する。
昨年度までは受験科目の少ない高校を中心に大半の生徒を合格させてきたが、不況などの影響で都立高の人気が回復。今年の1次試験は17人が挑み5人が不合格だった。
王さんは「学ぶ場がなければ、日本でよりよく生きていく手段を与えられない。行政が手当てしていかなければ、10年後に新たな貧困層を生む」と警告する。(林望)