池田さんを標的としているわけではないのだが、もう少しだけ解説をさせいてただきたい。この話は、十数年前から、ずっと言い続けてきたのだが、経済学者はおおむね聞かないフリをするばかりで、暖簾に腕押しに終わってきた。ようやく真面目に聞いていただける時代が来たようなので、大恐慌さまさまである。
「複雑系としての経済」と題する文章のなかで池田氏は、

経済のような開放系では均衡は永遠に成立しないので、古典力学をモデルにするのはナンセンスです。

と言われた。このように均衡経済学が古典力学を範としている、という話は、経済学説史・経済思想史・新古典派批判などなど、色々な文脈で繰り返されてきた。私自身も、長らくそう信じていた。

しかし、実のところ、新古典派経済学は、古典力学に全然似ていない。というのも、理想化された古典力学系では散逸がないので、安定平衡点を持たないからである。平衡概念が大活躍するのは熱力学・統計力学の方である。

古典力学がニュートンを始祖とする17世紀に発展した分野であるのに対して、熱力学はカルノーらを始祖とし、19世紀前半に発展した。散逸のある熱力学を、散逸のない古典力学によって基礎付けようというという試みがボルツマン、マクスウェルらによって19世紀後半に行われ、これが統計力学を作り出す。統計力学がうまくいかない点を乗り越えようという努力の中から、あにはからんや、量子力学が生み出されてしまい、古典物理学の時代は終わる。

たとえば、Wikipedia で物理学の学問体系を調べてみると、次のようになっている。

* 力学--解析力学--古典力学--量子力学--相対論的量子力学--場の量子論
* 熱力学--統計力学--量子統計力学--非平衡統計力学
* 連続体力学--流体力学
* 電磁気学--光学--特殊相対論--一般相対論

このなかで、新古典派経済学が一番似ているのは、古典力学ではなく、平衡状態とその近傍を扱う統計力学である。

ところが、経済現象は明らかに、非平衡統計力学の扱う開放系における現象、それも猛烈に複雑で巨大で眩暈がしそうなくらい取り扱いの困難なものである。「経済学者はこの困難な問題に、平衡統計力学に似たモデルを作って挑戦しているんですよ」と物理学者に言えば、誰でも

(*゚Д゚) エッ!!

と言う。さらに「経済学者は自分のモデルが古典力学に似ていると思っているんですよ」と言えば、

(ノ)゚д゚(ヾ) エッ!!

と言う。

私が十数年主張してきたことは、こういう無謀なことはやめて、もっと実行可能なことをやりましょうよ、ということだったのだが、誰も聞いてはくれなかった。たとえ聞いても、「あなたの言うことはわかる。でも」という枕詞で始まる反論を受けて、結局のところ、今の経済学でもだいたい説明できているからいいじゃないか、と聞き流されてしまうのであった。

しかし、大恐慌のおかげで、ようやく、これまで新古典派経済学がやってきたことが、ほとんど意味の無い、不毛な試みであったことが、少しは理解されるようになった気がする。経済学者の耳にも、上のような議論が多少は入るようになったかも、と希望を抱いている。まぁ、少しでも景気が回復すれば、また聞かなかったことにして、以前の生活に戻るのかもしれないけれど。