2009年3月22日
闇サイト殺人/「被害者一人」でも極刑は当然
インターネット上の「闇サイト」で知り合った男三人が見ず知らずの女性を路上で拉致し、殺害した事件で名古屋地裁は、被告二人に死刑、自首した一人に無期懲役の判決を下した。
厳罰化を明確に示す
判決は被害者が一人で被告に前科がなくとも、残忍極まる犯罪には極刑をもって臨むほかないとの判断を示した。被害者が一人の場合、死刑を回避する傾向があったが、判決は凶悪犯罪への厳罰化を明確に示した。意義ある判決である。
同事件は朝日新聞拡張員だった男らが闇サイトの掲示板で仲間を募り、「金を奪うなら弱い女性がいい」と計画。二〇〇七年八月、名古屋市の路上で通勤帰りの被害者女性を車に拉致し、ハンマーで頭を数十回殴り、首をロープで絞めて殺害、金銭を奪った後、遺体を山林に遺棄した。「無慈悲で残虐で、戦慄を禁じ得ない」(判決)凶悪犯罪である。
裁判では被害者一人で死刑が適用できるかが焦点の一つになった。最高裁は一九八三年、死刑適用の基準として「永山基準」を示し、犯罪の動機、殺害方法、被害者人数、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状、遺族の被害感情など九項目を考慮して判断するとした。
とりわけ重視されたのは被害者人数で、死刑反対論や被害者よりも加害者の人権を優先する主張に押され、被害者が一人の場合、死刑判決は殺人の再犯や身代金目的の誘拐など、ごく一部の凶悪犯罪に限られた。被害者が一人で前科がなければ死刑にしないのが「量刑相場」とされ、遺族の被害感情は著しく軽視されてきた。
こうした「基準」は、大多数の国民感覚から懸け離れていると言える。遺族にとって命を奪われた痛みは被害者人数で左右されない。また前科があろうがなかろうが、残虐行為の事実は重い。初犯だからといって凶悪犯罪に甘くなれば、社会的悪影響を及ぼす。
今回の事件はその最たるものだろう。被告らは名前も顔も知らなくてもネットの闇サイトで、いとも簡単に凶悪犯グループを形成した。お互い素性を知らないことで、逆に一人で行い得ない凶悪な犯行が可能になった。この種の犯罪は模倣され易く、凶悪化する危険があると判決が指摘したのはもっともだ。
動機も「利欲目的のみ」で、殺害方法も残忍、そして裁判では互いに罪をなすり付け合い、遺族に謝罪の言葉の一つもない。被害女性の母親が始めた極刑を求める署名には約三十二万人が賛同している。
それでも被害者が一人で、初犯だからといって極刑を回避すれば、社会秩序を維持し安寧な社会を築けるだろうか。この問いに判決は常識的な判断から「永山基準」の悪弊を破った。
「永山基準」改める必要
もはや被害者人数と前科の有無は極刑の適用基準に必要ない。被害者一人での死刑判決には静岡女子短大生焼殺事件(東京高裁判決、〇五年)や長崎市長射殺事件(長崎地裁、〇八年)の前例もある。五月二十一日から裁判員制度がスタートするが、その前に最高裁は「永山基準」を改めておくべきである。