雑誌記事「名前覚えられない病」 ビジネス的克服術AERA3月16日(月) 13時10分配信 / 国内 - 社会「記憶力に自信がなくて」と言い訳しながら過ごすより、 いち早く名前で呼びかけて、相手との距離を縮めたい。 ビジネスにも、恋愛にもきっと役立つはずだから。 編集部 野村美絵―― 半年前のことだった。机で仕事をしていたら、上司から、 「ノグチさん」 と呼びかけられた。それは私の向かい側に座っている先輩の名前で、私はノムラですけど。そう思ったけれど、言えなかった。結局そのまま会話が終わり、寂しさとむなしさが残った。どうせ私なんて……。 半年も前のことを、と言われるかもしれない。たかが名前じゃないかと。しかし、間違えられた側というのは、しつこく覚えているものなのだ。 営業企画の仕事をしている男性(41)は、10年前に取引先の営業マンに名前を間違えられた。 「何度も顔を合わせて名刺交換もしているのに、同僚の名前で呼ばれたんです。しかも5回も。怒るのも大人げないと我慢しましたが、そんな相手と取引する気にはなりませんね」 団体職員の女性(51)も、15年以上前の出来事を忘れられない。 「ずっと同じ職場で働いていた人に、面と向かって違う名前で呼ばれたんです。もう少しで定年、という方だったので我慢しましたが、ひどいですよね」 ■覚えられない病は58% 名前を間違えられた人は、それを相手に伝えることなく自分の胸にしまいこみがちだ。間違えた人は気づかぬうちに、相手の信頼を失うことになる。企画会社に勤める女性(30)は、名前の間違いで仕事を一つ失った。 著名人に仕事の依頼をしようと事務所から教えられたメールアドレスに企画書を送信したところ、わずか数時間後に断りのメールが届いた。内容には自信があったのにと落胆していると、あることに気がついた。 自分が送ったメールの宛先は「○○様」。でも、相手の署名は「●○」。漢字を間違えていた。 依頼メールには「以前からファンでした」とまで書いていたので、血の気が引いた。あわててお詫びのメールを書いたが返事はなかった。 以来、大事な用件は送信する前にプリントアウトし、読み直すようにしているが、その著名人にはいまだに連絡しづらいという。 もうすぐ4月。新しく出会う人々の名前を覚えなくてはならない季節がやってくるが、アエラネットで「人の顔や名前を覚えるのが得意ですか?」というアンケートをしたところ、58%が「苦手」「どちらかといえば苦手」と回答。「得意」と答えた人はゼロだった。 実は私も、人の顔と名前を覚えるのが大の苦手。間違えるのが怖くて「あの…」「ちょっと…」などと、名前を呼ばずに話しかけがちだ。アンケートでは、 「名前を覚えるのが苦手だと公言しているので、周囲はあきらめている」(34歳、製造業) という人もいたが、苦手だから言わない、というのは悪循環だと脳神経外科医の築山節さんは指摘する。 「骨や筋肉と同じように、脳も使わなければ衰える。相手の名前と顔を覚えよう、思い出そうという行為自体が、脳を活性化するんです」 築山さんによると、記憶力のいい人には、活動的でおしゃべりな人が多いという。 「脳にとって大切なのは、バランス。たとえば、一日中パソコンの画面にかじりついている人は、視覚ばかり使うので、脳の働きが偏る。見ること、聞くこと、しゃべること、手足を使うこと。こうした人間としての基本的な動きが、記憶力を高めるのです」 ■予約電話に「○○様」 たしかに、一流と呼ばれるサービス職・営業職には、“名前を覚える達人”と呼ばれる人が少なくない。彼らの多くは活動的で、コミュニケーション上手だ。 東京・銀座にあるダズルは、フレンチ・イタリアンの創作料理を中心とした高級レストランだ。店内に入ると、 「いらっしゃいませ」 の声と共に、「○○様」と名前を呼びかけられる。よく店を利用するという女性は、 「予約しようと電話をしたら、名乗る前に“○○様、お電話ありがとうございます”と言われました。びっくりしましたが、うれしいですね」 と話す。オーナーの新川義弘さんに話を聞いた。 「許可をいただいてお名前と電話番号を登録しています。“認知されている”と感じていただくことで、お客様との距離がぐっと縮まる。ただし、名前を呼ばれるのを嫌がるお客様もいますから、そこはサービスマンのセンスで感じとることが必要。相手に興味を持ち、目を見て挨拶する。すべてに通じるコミュニケーションの基本ですね」 スタッフには、明るくて快活そうな人が多い。働いて3年目になるという女性(28)に話を聞くと、150人以上の名前を覚えているという。 「“ガス入りの水が好き”“奥の席が好き”など、周辺情報と一緒に、フルネームで覚えます。110席ある店内を約20人が担当するので、メモを取るなどして仲間と情報を共有することも大切です」 大人数の名前を記憶するには工夫も必要だ。 ■20秒で15人記憶 『スーパー記憶術』の著書がある藤本忠正さんは、日常生活のありとあらゆる場面で記憶術を活用している。 藤本さんに、顔と名前を覚える方法を聞いてみた。 「たとえば野村さんの顔を見たら、“野球が盛んな村で育った”とイメージするのです」 「私、野球が得意そうな顔なんてしてますか?」 「意外に得意なんだ、と思えばいいんです」 藤本さんはその方法で、私が持っていた15枚の名刺に書かれた名前を、20秒足らずで覚えてしまった。 実は藤本さんには、記憶障害がある。幼少時に後頭部を強打し、普通の状態では物事を記憶することができない。小学校低学年のときは勉強についていけず落ちこぼれるが、高学年のときに自己流の記憶術を考えつくと、成績は急上昇した。高校時代の模試では、全国1位の常連だったという。 「難しそうに見えるかもしれませんが、コツさえ覚えれば誰にでもできます」 ■覚えてもらう努力 とはいえ、どんなに努力しても、相手の名前が思い出せないことはある。 『人づきあいのレッスン』などの著書がある和田裕美さんは、万が一相手の名前を忘れてしまった場合には、ごまかさずに素直に謝ったほうがよいとアドバイスする。 「コツは、“この間、○○でお会いしましたよね”など、覚えている情報を口にすること。“あなたのことはちゃんと覚えているのですが、名前だけ忘れてしまったのです”ということが伝われば、不快に感じる人は少ないはずです」 さらに和田さんは、覚えるだけではなく、「人に覚えてもらうための努力」をすることが大切だと言う。 「自分のことを覚えてもらいたい相手なら、直後にメールや手紙を送ったり、年賀状や暑中見舞いを送るなど、あきらめずに何度でもアプローチすることが大切です。ただし返事を求めるような書き方をしないこと。放っておいてもいいような書き方をすれば、相手にもプレッシャーになりません」 ■ドライブで「エリ」連呼 都内に住むリエさん(31)の彼は、付き合い始めてしばらくして、リエさんの名前をネットで検索し、出身大学や前にいた企業やその業績まで調べて記憶していた。 「あの会社、大変だったでしょ」 自分が話していないことまで彼が知っているので驚いたが、愛されている証のようでうれしかった。 「記憶は“欲”に結びついているから、自分にとって大切なことは、覚えるものです」(前出の築山さん) 相手の名前や情報を覚えていることは、「あなたが大切です」というメッセージにもなるのだ。 リエさんには苦い思い出がある。1年ほど前、バーで知り合った男性と交際を始めた。付き合い始めたばかりの頃、ドライブ中にこう言われた。 「エリちゃんはさ〜」 私はリエなのに……。彼は前を向いて運転したまま、何度も「エリちゃん」を連呼した。この人、本当に私のこと好きなんだろうかという疑念が生まれた。 その後彼は間違いに気づいたのか、名前自体を呼ばなくなった。不信感が募ったある日、彼に言った。 「あなたからは、愛情が感じられない」 「よく言われるよ」 やっぱり、と思った。結局、2カ月で別れた。 (3月30日号)
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