2009年3月20日 (金曜日)

ヘトヘト彼岸法話

ヘトヘト彼岸法話

【外道は長生不死だ (安田理深)】

という言葉を手がかりに、本日、
お彼岸の中日の法要で、お話しました。

(ホワイトボードの文字が汚い……)

しゃべってしゃべって疲れました。

“長生不死(ちょうせいふし)”とは
生(都合の良いこと・おめでたいこと)を肯定し、
死(都合の悪いこと)を否定する精神であり、

人間誰しも持っているホンネです。

わかりやすく言うと、
『鬼は外!福はウチ!』
というココロ。

しかし、
そのホンネ部分を
仏教ではキタナイ(穢)と指摘します。

そのココロを問わないまま、
私たちのホンネをますます助長して甘やかす道を宗教に求めていけば、
おみくじ・お祓い・占いが流行る訳で……
それは
「外道(仏教以外の道)」
である、と。

仏教(浄)に出逢うことによって、
自分のホンネの部分(穢)が課題になっていく歩み………【欣浄厭穢(ごんじょうえんえ)】
がポイントになります。

例えば、
親鸞様の和讃

【五濁増のしるしには
 この世の道俗ことごとく
 外儀は仏教のすがたにて
 内心 外道を帰敬せり】

……外面は仏教徒のフリこいて
ホンネは【鬼は外!福はウチ!】とやってるんじゃないの?

とのワタシへの問いかけ。

いくら【鬼は外!福はウチ!】で頑張っても
生きていく上で直面せざるを得ない苦しみや障りを
避けることは出来ず、
所詮、行き詰まる。

ならば
どう引き受け生きていくのか?
そんな自分自身のホンネ部分の矛盾が
そのまま【課題】にならなければならない。

それを
親鸞さまの言葉に確認させていただく………

ってなお話を、時おり脱線しては皆さんを笑わせて、
約1時間しゃべって、

ヘトヘト(笑)。

本堂に満員御礼?たくさんのお参りがありました。

嬉しいな。
有りがたいな。

あ、なんか俺 お坊さんみたい(^_-)

(笑)

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2009年3月19日 (木曜日)

さて。

 
“お彼岸に
ヒガンじゃダメよ……”
 
な〜〜〜んて
親父ギャグ(´Д`)
 
 
 
さて、
1時半から彼岸法要です
 

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2009年3月16日 (月曜日)

昼休みの走り書き投稿

「いいひとだね~~」

とホメラレタ場合。。。。

そういう“評価”とは、

上っ面の自分の好み(都合)の範囲内でしかなされていないのかな。

しかも、

心地の良い「一時的」な関係の中だけの気がする。

ジワジワと沸上がってくる「しみじみ感」が

皆無のような気がするのである。

だから、例えば、僕は、

「いいお坊さんだね~~~」

というホメられても、素直になれないのだ。

「いい人だね~~」

という感激は、

例えば、

相手にとても腹が立ったとか、

一見、ものすごくヒドイ言葉に聞こえたとか、

なんて冷たい人だろう?って思えた、

とか、

そういう場合には起こらない。

(あたりまえか)

でも、

そういう気にくわない人の意見や言葉が、

「愛情の裏返し」的なものだとしたら???

アタマを冷やしてよくよく考え直してみて、

あるいは、

長い目で見て、

あるいは、

深い観点から見つめてみて、

「嗚呼、こういう事をあの人は伝えてくれてたんだなぁぁ・・・」

という

“真意を慮る”

感じでは評価されにくくなっているのかもしれない。

(ま、評価や見返りを期待しての言動ばかりではないけれど)

そして、

みんな、

自分は、「絶対的にただしい。間違っていない」

という1点を揺るがすことなく、

相手を「批判」し、

あるいは、

相手を「評価」する。

「単純」になっているのかもしれない。

「分かりやすくなきゃダメ」な即効性が

昨今なのか。

うん、

僕もそうだしな・・・。

すぐに、批判意見にヘコムしな・・・

その「批判意見」が、

実は僕に期待し、僕を育ててくださる為の「愛情」だったのだ、

と感じたり、味わったりする前に、

ムカついてしまったりするからな・・・。

と、

昼休みの、走り書きでした・・・。

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2009年3月15日 (日曜日)

お経を盗撮?

今日の昼、
あるお宅での法事の帰りに、
その一族のイケメン兄ちゃんが僕に

「お経を盗撮されないように気をつけてくださいね…」

と笑いながら小声で言った。

 
「なんのこと??」
そんな僕に、彼の奥さんが

「いつもながら住職サンが良い声なので、(ケイタイ電話のビデオでお経を)録音しちゃいました!」

とのことデシタ。

あ、それで“お経を盗撮”なのね!
(てっきり 札幌かどっかでの“お忍び姿”でも写メされたのかと僕は苦笑)

う〜〜ん、お経や声をホメられても、俺は「歌手」じゃないしね(^_^;)
それよりも、
「法話」の感想、話した内容に対する意見や反応が欲しいなぁ。ホントはね。

   

・・・・・・・・・・でも
「お経を録音したい」と頼まれてしまう場面は、たまにあるんです。

  

先月もあるお宅へ“月参り”に行った時、

「今日、住職サンのお経を録音してもいい?」

とバアチャン。
で、
録音マイクがお仏壇と僕との間にすでにセットされてました(笑)

 

バアチャン 「はい、スイッチをオンにしますね……はい、どうぞ!」

私 「(チ〜〜〜ンチ〜〜ン) 帰命ぉ〜〜〜無量ぉ〜〜寿如来ぃ〜〜〜………」

バアチャン 「あっ!ごめんなさい!もう一回!オンになってなかった。 はい、どうぞ!」

私 「(チ〜〜〜ンチ〜〜ン) 帰命ぉ〜〜〜無量ぉ…(泣)(汗)(苦笑)…」

  

非常〜〜〜〜に、やりにくい!
録音を意識しちゃって緊張する!
レコーディングじゃないんだからっ!

途中で咳き込みそうになったり、
そのお宅の電話が鳴ったり…
押しベルがピンポ〜〜〜ン♪

あと
終わったあとに巻き戻して、
聞き直すのもヤメテっ(笑)

  

やっぱり
録音するなら
僕の知らない間に

「盗撮」

にしてっ!

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2009年3月14日 (土曜日)

ものすご〜〜くアホでもあり・・・

NHKのBSで『私の1冊 日本の100冊』という15分番組がある。http://www.nhk.or.jp/book100/index.html

俳人・金子兜太さんが、

『橋本夢道句集 無禮なる妻』

を紹介している回を偶然に見た。

”橋本夢道”という俳人は知らなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E5%A4%A2%E9%81%93

番組の中で紹介されていた「句」の中に、

  

“妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね”

  

というのがあった。

「妻」はいない僕だけど、この句に、胸がジワ〜〜ンとなってしまった。

 

番組の中で、金子さんが橋本夢道の娘さんと対話している場面が出てくるのだが、その中で、

父は、母と初めて出逢ったときの感動が、ずっと自分の一生涯を貫いている、と言ってました

というような趣旨の話をされていた。

テレビを見終わってから、今まで知らなかった“橋本夢道”という俳人をネット検索して、その人の生涯や時代背景なども調べてみた。その程度のニワカ仕込みで、俳句の専門的なことを何も知らない自分だけれど・・・・、

もし、こういった「短い言葉」の背景に、読み手側の経験を重ねて味わい、解釈することが許されるならば、

僕は、

妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね

という「句」の中に、

少しだけ自分を重ねることができる。

  

ずーっと出逢えた感動が貫いているから、

ジワーンが消えない。

それが、

良くもあり、

悪くもあり。

豊かでもあり、

でも、

ものすご〜〜くアホでもあり・・・。

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“春の彼岸”の案内を発送

“春の彼岸”の案内を発送

 

世尊我一心 帰命尽十方
無碍光如来 願生安楽国
                            『浄土論』

〈書き下し文〉
世尊よ、われ一心に、尽十方無碍光如来に帰命し、安楽国に生まれんと願う

   

〈訳〉
釈尊よ 私はただひとえに何ものにも束縛されないめざめた心を、私のいのちとして、明るい世界に生まれたいと思う。【高松信英・訳】

   

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何ものにも束縛されないめざめた心を、私のいのちとする……

根拠のないものに振り回されたり、自分勝手な思い込みの世界を右往左往してばかりのワタシ。束縛だらけのワタシ。
そんなワタシが願うのは、やはり「明るい世界」。

「安楽国」とは単純に 死んだ後ではない。

春のお彼岸が近づいてきた。
ワタシの現在の歩みを確認したい。

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