八代市

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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八代市(やっちろし、やつしろし)は、熊本県南部に位置する都市である。

の原料となる藺草(いぐさ)や、柑橘類の一種である晩白柚(ばんぺいゆ)の生産が盛んである。どちらも振り仮名がなければ読むことが難しいため、最近の若者には敬遠されがちである。近年では、青々した藺草にかわって、燃えるように赤いトマトの栽培が盛んになりつつある。

目次

[編集] 概要

熊本県第二の都市であるが、熊本市に対する複雑な感情から「熊本」という語を避け、「南肥後の中心都市」を名乗る。これには、福岡県大牟田荒尾と合併して熊本県に編入した場合、八代が第三位に転落する可能性が高いため、それを回避する目的を兼ねているのではないかとみられている。つまり、大牟田は肥後ではなく筑後であるため、「肥後国第二の都市」の座を守ることが出来るという理由である。

八代亜紀の出身地であるため「やしろ」と読まれることもあるが、「八代」の語源は「社」(やしろ)であり、こちらが本来の読み方である。八代市民は寛大であるため、「やしろ」、「やつしろ」、「やっちろ」どのように呼んでも一向に差し支えない。濁点の有無で紛糾する某県とは大違いである。

傘職人の彦一は、とんちの名手として知られている。天狗隠れ蓑を使って無銭飲食を働いたり、借金を返すため死んだまねをして香典を集めさせたりするなど、世間を騒がせた彦一に対する評価は市民の間でも分かれており、熱いまなざしを注ぐ者、生暖かい目で見る者など様々である。当然ながら、ユーモア欠落症患者は彼を詐欺師とみなしている。

[編集] 地理

「九州の顔」・肥後国南部の中心都市であり、西に燃える海、東に寂しい山々を抱える。八代海には不知火(しらぬい)とよばれる謎の不審火が頻発し、多くの漁船が沈む被害が出ている。肥後国が「火の国」と呼ばれる所以である。八代海の干拓によって八代平野は広がり、海岸線は時代を追うごとに西へ西へと移動していき、天草諸島にせまる勢いである。

肥後国が「九州の顔」であるならば、急流球磨川の河口に位置する八代は「肥後の口」にあたるといわれる。「肥後の目」にあたる熊本邪視に悩まされているが、鼻水のような扱いを受けている天草に比べれば少しばかり幸せであるといえる。

八代郡のほとんどの町村と合併した結果、市域が熊本県を横断し、宮崎県椎葉村に到達したことから「熊本県の腹巻き」と呼ばれる。この合併によって秘境・五家荘も八代市内となったが、あまりに山深いため、その実態を把握できていないほどである。五家荘の住民は外部からの詮索を拒んでおり、いくら行政であっても村人の腹巻きの中を探るのは、度が過ぎた行為である。

[編集] 歴史

古くから、中九州南九州を結ぶ肥後最大の港町として、中世には名和氏によって古麓城が築かれ、城下町として栄えた。天正時代には、肥後南半を領した小西行長と、肥後北半を領した加藤清正の対立は凄まじく、関ヶ原の戦いの後、加藤清正が肥後一国の領主となった経緯がある。

小西行長の築いた麦島城は地震によりあっけなく崩壊し瓦礫と化すが、清正の子・加藤忠広が新たに松江城(八代城)を築いた。加藤氏にかわって、細川忠利が熊本藩主となると、忠利の父・細川忠興が八代城に隠居した。忠興は、四男・立孝を自らの後継とし、新たに藩を立てようとしていたが、惜しくも「八代藩」は幻に終わった。まことに残念である。その後は、細川氏の筆頭家老松井氏が八代に入ることになった。ちなみに、彦一話に登場する殿様は松井氏の中の誰かである。

明治の一時期には、肥後南半を占める八代県の県庁所在地として、人吉水俣天草地方をまとめ上げていたが、熊本に県庁を置く白川県に併合された。これが今日における八代と熊本の対立関係の原因の一つである。木材加工業・製紙工業の隆盛によって、いまや中九州を牽引する工業都市に成長した八代であるが、商業面では今ひとつ振るわず、消費都市熊本に活力を吸われるばかりである。

[編集] 交通

熊本から延びてきた鹿児島本線は、八代から人吉方面に至る肥薩線を分岐した後、水俣川内を経て鹿児島方面に向かっていた。ところが、急襲新幹線の開業と引き替えに、鹿児島本線の八代 - 川内間が必殺!俺んち鉄道に変わり果ててしまった。

これにより、八代以北から鹿児島本線のみを利用して鹿児島県に行くことが出来なくなったため、八代市民によって、鹿児島本線の「八代本線」改称運動が加熱しており、「熊本本線」を推している熊本市や熊本県との対立は激化している。

天草地方とは多くの航路によって結ばれていたが、三隅と天草を結ぶ天草五橋の開通によって、宇土方面に流れてしまったお客を呼び戻すため、八代と天草を結ぶ新たな橋を架けようと意気込んでいる。

[編集] 関連項目


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