西松建設の違法献金事件を巡る東京地検特捜部の捜査が進む中、秘書が逮捕された小沢一郎氏が代表を務める民主党などからは「国策捜査」といった批判も飛び出している。しばしば論じられる「国策捜査」。その意味するものは。【松下英志】
元来、検察は不当な政治的圧力を受けない仕組みを持ち、その象徴が法相の指揮権の制限だ。法相が指揮できるのは検事総長だけで、その指揮権が発動されて事実上、捜査が止まったケースは造船疑獄(54年)以来、半世紀以上ない。元特捜部検事の郷原信郎・桐蔭横浜大法科大学院教授は「国策捜査が政府・与党と結託して捜査するという意味なら、あり得ない」と断じる。ではなぜ「国策捜査」と呼ばれるのか。
過去に広く「国策捜査」と受け止められたのは、破綻(はたん)した金融機関の旧経営陣に対する刑事責任の追及だ。多額の公的資金が投入され「国民の納得を得るには責任所在の明確化が不可欠」との考えが検察当局にもあった。
旧住宅金融専門会社(96年)や日本債券信用銀行(98年)、日本長期信用銀行(99年)などの事件では、いずれもトップが特捜部に逮捕された。このうち日債銀と長銀は、旧経営陣の責任追及をうたった金融再生法の適用事件だった。国の政策に基づく捜査という意味ならば「国策捜査」そのものと言える。
にわかに「国策捜査」が注目されるようになったのは、鈴木宗男衆院議員の「側近」で外務省休職中の佐藤優・元主任分析官の著書「国家の罠」(05年発刊)によるところが大きい。その中で、担当検事は「これは鈴木宗男を狙った国策捜査」と告げたとされる。当時の検察幹部によると、実際にこうしたやりとりがあったという。
鈴木議員は02年、いわゆるムネオハウス問題が浮上して証人喚問などで「疑惑のデパート」と呼ばれた。当時の検察幹部は「国会であれだけ騒ぎになって検察が知らないふりはできない」と振り返る。佐藤元分析官は国策捜査を「国家が『自己保存の本能』に基づいて(中略)初めから特定の人物を断罪することを想定した上で捜査が始まる」と定義。世論が解明を求めた鈴木議員への捜査を、検事たちも「国策」的だと認識したようだ。
政官財界の要人を標的とし、人員的な制約から「一罰百戒」にならざるを得ない特捜部の捜査は「恣意(しい)的」との批判と常に隣り合わせだ。最近の「国策捜査」との指摘は、「世論の支持」が盛り上がらずに捜査が「単騎独行」の様相を見せた場合に現れるようだ。
典型的なのはライブドア事件(06年)。一部識者や堀江貴文元社長は「国策捜査で狙い撃ちされた」と検察批判を繰り返した。けれども判決は1、2審とも「不自然、不合理な弁解に終始し、反省の情はまったく認められない」と一蹴(いっしゅう)した。
「国策捜査」という言葉に、郷原氏は「その都度、意味するものは違うが、検察の捜査に対する不信がこめられている」と見る。
さて、今回の違法献金事件で、民主党サイドが繰り出す「国策捜査」の大合唱。国民はどう判断するのか。
毎日新聞 2009年3月21日 12時42分(最終更新 3月21日 13時05分)