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世迷言

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☆★☆★2009年03月21日付

 他人の物を黙って失敬する商売ほどいいものはないが、しかしこれは経歴に傷がつくことを覚悟しなければならない。だからこそ、誰もが身を粉にして働きそれなりの対価を得て暮らしている▼ところが、この不況。職にあぶれて金がなくなる。なくなると腹が減る。おまけに住む場所もないとなったら、背に腹は代えられぬ。えいままよ、黙って失敬する商売に転職しようかということにもなるようだ。東京では「ひったくり」が増えて、前年対比何倍にもなっているという▼先日はひったくられたおばあさんが、自転車で追いかけて犯人を捕らえたというニュースを聞いて、その執念以上にその馬力に驚いたが、そんな自信のない方はくれぐれも用心するに越したことはない。というのも、当地でも車上荒らしや置き引きの被害をよく耳にするようになったからだ▼日本人は伝統的な治安の良さに慣れて、ちょっとの間だからと車に貴重品を置いたまま鍵をかけずに離れたりするが、これは外国では「盗んでくれ」というに等しい行為だという。鍵をかけても荒らされるのだから、貴重品は肌身離さぬようにしなければ、その気のない人間まで犯罪人に仕立てかねない▼「昔は玄関に鍵などかけなかった」などと良き時代を懐かしんでも始まらない。人の性を善と見るか、悪と見るか、何千年経っても結論は出ていないが、フトコロの具合によって善にも悪にもなるのが人間であり、不況が犯罪を増加させている現状を考えると、これは「専守防衛」以外にあるまいと思う。

☆★☆★2009年03月20日付

 冷凍ストッカーに入れるものがあってフタを開けてみたら、とうに記憶から去っていた貯蔵品が続々と出てきた。忘れていたというよりもすでに忘却の彼方にあったのだ。これははなから無かったに等しい▼東北高速道を使った旅行の折にサービスエリアで買った二種類のキノコ。食べきれずにカラをむいてしまっておいたアサリ。五キロ単位でしか売っていず、やむなく小分けして調理していたがそれでも食べきれずに煮込んでおいた牛筋など「ようやく気付いてくれたか」と言わんばかりに顔を出した▼むろん、かちかちに冷凍されているから、ムダにはならない。さっそく解凍して息を吹き込むことにしたが、二種類のキノコのうちまずナメコを味噌汁に入れてみると、色味は悪いが味はむしろ新鮮なそれよりおいしい。そこで知人から聞いた話を思い出した▼キノコを冷凍すると細胞が破裂して旨みが増すということを。細胞が破裂云々の個所は「組織が破壊されて」だったかもしれない。いずれ食品の場合必ずしも全てが新鮮をもって尊しとするわけではないことを知らされた。キノコの他にも、冷凍した方がおいしいという食品があると聞いたがそれが何だったかは忘れている▼なにせ、ストッカーに何をいれたか失念するぐらいだからね。もしかしてアサリもそうではなかったか?だからこそ冷凍に回したのではないか。まあ、これは今晩テストしてみよう。ケガの功名というのは案外、うっかりものが享受できる特権ではなかろうか?

☆★☆★2009年03月19日付

 嵐の前の静けさというか、政局がべた凪になったのは西松建設の違法献金問題がこれからどのような展開になるか、与野党ともに固唾をのんで見守っているためだろうと見るのは、うがちすぎだろうか▼それはともかく、これだけ政治の足踏み状態が続くと国民の不満が募って、反政府運動の動きなどが起こり、それが劇的「チェンジ」につながるという例は、政情不安定な国、とりわけ途上国でよく見られる現象である。いまの元首が誰か分からなくなっている国が結構ある▼日本で政変と呼ぶような事態が起こらないのは、社会が成熟、つまり少なくとも経済的にある程度安定しているからだろうか。四方海に囲まれて隣国と距離があることも外的影響を受けにくい面として挙げられよう▼しかし一歩目を外に転じると、政治の貧困が国民生活に甚大な影響を及ぼしている現実が地球上には多数存在する。民族紛争による内乱や独裁者の圧政、無政府状態の政情不安などで安心して国内に住めず、亡命、逃亡、避難などを余儀なくされた人々の窮状はまったく気の毒としかいいようがない▼スーダン政府はダルフール地方で難民の支援活動を行っているNGOに退去命令を出し、難民たちは医療はおろか食料にも事欠くようになってきた。座して死を待つ運命にさらされているのに、国連は手も足も出せない。「決議はすれども行使せず」。国連の無力さを思い知らされる。そんな現実をよそに、国内では政治が膠着状態。一国平和主義から脱し、世界平和のために一肌も二肌も脱ぐ時なのにである。

☆★☆★2009年03月17日付

 十五日に開通した三陸縦貫自動車道「高田道路」のうち先行開通した通岡峠区間を早速走ってみた。快適この上もなく、この区間の国道45号線が、かって有料道路として開通しながらすぐ一般道に編入された経緯を思いだし、時代の流れを思った▼大船渡―陸前高田両市を最短距離で結ぶ路線として、山道を路線改良、舗装してカーブ、勾配も緩やかにした「通岡峠有料道路」は、沿線の衆望を担ってようやく実現にこぎつけたものの、料金所を維持するだけの収入が上がらず、あえなく一般道に格下げされた。通行量だけでなく、改良に値するだけの快適さがもたらされなかったことも原因だ▼とはいえ、両市の往来には不可欠の道路であり、事故多発の危険性と、とりわけ冬季には難所となる不便をしのびながらもドライバーは選択肢がないまま利用せざるを得なかった。そんな不便がウソのように解消された新ルートが開通した喜びは、通勤者にとって筆舌に尽くせぬものがあろう▼とはいえ、安心ばかりできないものがある。通岡インターチェンジと国道との合流点は注意する必要があり、大船渡碁石海岸インターチェンジの一方通行部分が対面に変化した部分も同様だ。変化にはそれなりの対応が求められる▼高田道路は全長七・五キロ。竹駒町の陸前高田インターチェンジまであと四・一キロが残されていて、一日も早い全通が望まれるところである。全線がつながるまでにどのぐらいの年月がかかるかは「神のみぞ知る」だが、それは「天の声」が届かぬ証拠か。呵々。

☆★☆★2009年03月15日付

 米国初の世界的な経済危機に日本も巻き込まれ、経済界全般が苦戦を強いられているが、しかし市場の状況に合わせて柔軟に対応していくのが経済という生き物か。ここに来て昔の商法が見直され出した。それは「薄利多売」▼三井財閥の始祖・三井高利がその呉服商「越後屋」の名を高からしめたのは「現金安売り、掛け値なし」という商法だった。名前の「高利」に似合わず「低利」で大当たり。これが薄利多売の元祖かどうかはともかく、以後この商法は脈々と受け継がれてきた▼しかし高度経済成長期に入るとモノはどんどん売れるから、つい安易に流れるのは人情。物価も「急成長」し、その高値安定のままずるずると近年までひきずってきた。そこへ経済危機という大激震。フトコロ具合はともかく、先行き不安から財布のヒモは当然固くなる。ひところの高級志向はあえなく、安値志向と変じた▼古着が売れ、ユニクロがもてはやされる。都会のオフィス街では安売り弁当に行列ができ、ファミリーレストランすら業績不振にあえいでいる。「グルメ」は死語化し、外食から内食?傾向が顕著になった▼この変化こそ薄利多売時代への回帰を告げるものであろう。あのトヨタもハイブリッドの新型プリウスを二百五万円で売り出すという。ホンダのインサイトが百八十九万円で発売されて好調な売り上げを示している対抗上らしいが、経済危機は消費者にとってある意味で追い風となった。時代は複眼的に眺めるもののようである。

☆★☆★2009年03月14日付

 経済もさることながら、いま地方で喫緊の課題となっているのが医療だろう。医師が不足しているわけではない。偏在しているだけなのである。その原因は何か?政治の無策としか言いようがない▼千葉県・銚子市の市立病院が診療休止に追い込まれたのも、深刻な医師不足によるものだった。医療の充実を掲げて当選した市長が、その公約を破棄せざるを得なかったのはまさに苦渋の選択だったろう。市長の変節を責め立てるのは易いが、悩みに悩んだ末の決断だったはず▼県立六医療機関の無床化に理解を求めるため、達増県知事が議会で土下座した映像にはびっくりしたが、もはや打つ手がないという状況が知事をしてこのような手段を取らせたのだろう。その是非はともかくとして、これは一人県だけに責任を負わせるのは酷というもの。元はと言えば研修医制度の改悪にこそ根源があったのだから▼小欄も当然として無床化には反対だが、では医師の確保をどうするかという前提を抜きにしてこの問題を論じては公正を欠く。現状を打開するためには地方自治体任せではなく、国が本格出動し、医師不足に至った病根を徹底的に取り除く必要がある。政局より政策がなにより早急に求められているのだ▼高齢化社会となって「衣食住」が、いまや「医食住」に変わった。医療を抜きに将来はないという以前に現状が痛切に問われている。無床化を防ぐには地方が一体となって声を上げなければなるまい。

☆★☆★2009年03月13日付

 さて本日はネタ切れだから閉店というわけにいかないのが小欄だ。本日もそうで、ネタは浮かんでも後が続かない。気はあせるが筆は進まない。時間だけが迫ってくる。こういう時のために、酒の肴というネタを取っておく▼さいわいまだ鍋の季節である。さてと売り場を見回しても、がつがつ食った昔のように食欲をそそるような食材が見当たらない。こんな時には迷わずに湯豆腐と決める。豆腐は日本人の心とでもいうべき食品で、これだけあれば何も要らない▼なぜ湯豆腐か。それはまだ三歳児頃のこと。敗戦となった旧満州で職を失った父親が、友人たちと豆腐屋を始めた(むろん成長してから聞いた話)その製品を持ち帰って電気コンロに小さな鍋をかけ、豆腐を入れておいしそうに食べている情景が目に焼き付いているからではないかと思う▼その鍋からはゆらゆらと湯気がたっていて、父親が幼子の(むろん当方のこと)の口に一つをほおばらせた。その瞬間に「豆腐大好き人間」と化したのか。幼児にそんな記憶が残っているはずはないと思われるだろうが、なぜか鮮明に覚えている▼それにしても実に単純な鍋である。昆布でダシを取り、豆腐を入れるだけで鍋たる資格を有することになる。浅学にして比肩する鍋がこの世に存在することを知らない。他の具材を入れる具沢山の湯豆腐もあるが、わが家はあくまで豆腐のみ。熱燗とあいまって、ぽかぽかと芯から温まり、それを見ていたか、豆腐が「これぞ不況時における究極の鍋」と胸を張った。

☆★☆★2009年03月12日付

 「明けない夜はない」世界的経済危機といっても、いや危機だからこそ誰もが躍起となって回生策を考える。日本のファンダメンタルズ(基礎的条件)は、この重圧を跳ね返し必ず朝を迎えると確信した▼昨日のテレビで太陽光発電の特集を見ての感想だ。風力と共に発電の成長株である太陽光発電は、米国が「グリーン・ニューディール政策」(環境重視のエネルギー開発)を打ち出したように、その普及発展のために各国が国策として取り組む道筋が明確になったが、関連メーカーにこれが追い風にならぬわけがない▼特集では、この新エネルギー開発の現状と将来、そして取り組んでいるメーカーの意気込みなどを紹介していたが、その開発には電機など関連業界だけでなく、自動車、紡績など異分野からの参入が相次いでいることに、裾野の広がりを感じて安心したのである▼オバマ米大統領が演説の中で「太陽光発電はわが国が開発したものだが、いまやドイツと日本が先を行っている」とハッパを掛けている場面があり、日本が得意とする「カイゼン」の成果を見るようで、思わず微笑んでしまった。しかし普及率ではスペインがダントツで、こちらの方は残念ながら後発だ▼ところが米国ではこれから原発数基分の電力をまかなう計画というから、これは巨大市場に発展する。家庭用はまだコスト的に問題があるのが現状だが、しかしどの家の屋根にも受光パネルが並べられる時代がすぐそこまで来ている。

☆★☆★2009年03月11日付

 内陸部と比べ確かに陽当たりはいいが、経済的、インフラ的には陽の当たらない場所と言っていい本県沿岸部。しかしそう悲観したものではない。人間と同様、どこかに長所があるはずだからである。そこを見つけ伸ばしていくこと―これが今後における沿岸部共通のキーワードとなろう▼昨日の岩手日報は一面トップで、気仙沼市の水産加工会社が大船渡市に新天地を求めて進出することを報じていた。これが東芝の進出計画発表などで湧いていた昨年だったら、小さな扱いで終わっていただろう。しかし世界的な経済危機に見舞われて以後、本県への企業誘致はストップしてしまったから、一面トップに躍り出た▼仏教語である「他力本願」は転用されて、自分では努力せず他人の力に頼ることという意味で使われているが、その誤用を借りれば、企業誘致はあなた任せに陥るもろさがある。そんな前例を教訓として、ただ双手を挙げて喜ぶだけではなく、新たなパートナーを迎えて地元も奮起することだろう▼幸い沿岸部には恵まれた水産資源、観光資源がある。地元は案外その価値に気付いていないが、先週三陸鉄道を使った観光ツアーには二日間で千二百人も訪れた。これだけの人を誘致できるのは、それなりの魅力があるからで、その一つに明るい陽光がある▼冬季、どんよりとした曇り空が続く地域からこの三陸を訪れたら、それこそシベリアからナポリにでも来たような開放感を味わえるだろう。こういう宝があるのだから、持ち腐れにしてはなるまい。

☆★☆★2009年03月10日付

 定額給付金について麻生首相は当初「高額所得者は辞退すべき」との発言についで「さもしい」と表現、最後は「自分も受け取る」と態度をころころと変えたが、共同通信社の世論調査では「首相は受け取るべきでない」が半数に達した▼給付のための予算も通過、早くも給付した自治体もある。そうなればこの「臨時ボーナス」を受けて当然と変化するのが人情というもので、小欄で書き続けてきた「壮大なムダ」という主張は、いまや袋だたきの目に遭いかねない▼首相も受け取るのだから、それは誰もが受給すべきだろう。でもやはり高額所得者や政治家は例外で、やはり辞退すべきと小欄は考える。二兆円もの金が国庫から消えるのは見るにしのびず、その目減りをいくらかでも減らした方がいいと考えるのは「さもしい」だろうか▼もし自民党が立場上、受給を「党意」とするならば、一度受け取ってそれを一括しかるべき基金に寄付すればいい。これが「食わねど高楊枝」の矜恃というものであろう。高額所得者も同様辞退か寄付という太っ腹を見せてほしいもの。こちらはむろん、善意に期待してのこと▼景気刺激目的というこの給付金案が浮上した時は反対が多数を占めた(世論調査では)が、給付が決定して以後「いただけるものはいただく」という変化を見せたことは想像に難くない。しかしそれとは別に、いやしくも一国の宰相が給付申請書にサインする姿など見たくないというのは素朴で健全な国民感情だろう。


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