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【編集局デスク】

「真相報道」が泣く

2009年3月21日

 「この程度で報道番組はできているのか、と視聴者に思われてしまう」

 辞任した久保伸太郎社長が、いみじくも言った。よくもまあ「この程度で」、まさか「この程度で」である。同じ報道に携わる身には、とても信じられない。

 日本テレビの『真相報道バンキシャ!』が、うその証言をうのみにし、岐阜県庁で裏金づくりが続いていると報じた問題だ。

 偽計業務妨害の疑いで逮捕された元建設会社役員は番組で「県の担当者に頼まれ、架空工事をしたように見せかけて裏金をつくり、振り込んだ」と証言。すべてがでっち上げだった。

 彼の会社は、県の工事を受注した実績がほとんどない。証拠に示した文書も改ざんしていたという。少し調べれば、うそは見抜けたはず。「情報源を守るために」調べなかったというが言い訳にもならない。

 報道の取材とは、直接の当事者に迫る営みと言っていい。だが、たどり着けないケースも多く、隔靴掻痒(かっかそうよう)の間接取材を積み重ねることを余儀なくされる。

 それが、当事者が自ら口を開いてくれるとなれば、つい飛びつきたくなる。

 そこを我慢して一呼吸置き、疑ってみる。言葉は悪いが、このところが肝心なのだ。たとえ当事者でも、思惑や思い込みから情報がゆがむことがある。裏付け取材で慎重に吟味し、客観的な事実だけを浮かび上がらせなければならない。

 本当の当事者であってもこれが取材の基本である。忠実にやっていれば、偽の当事者を見破るのは容易だったろう。『真相報道』の看板が泣いている。

 最近、テレビ報道の危うさが目につく。記者に基本をたたき込んでいるのか、いぶかしい。外部の制作会社頼みも多いと聞く。

 報道不信は、テレビにとどまらず、メディア全体に広がりかねない。私どももあらためて自戒したい。

 (名古屋本社編集局長・加藤 幹敏)

 

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