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「卑弥呼の宮殿」邪馬台国論争が再燃 

3月20日20時26分配信 産経新聞


「卑弥呼の宮殿」邪馬台国論争が再燃 

大規模な神殿跡とみられる柱穴が出土した纏向(まきむく)遺跡(手前)。中央は箸墓古墳=18日午後、奈良市桜井市(本社ヘリから、飯田英男撮影)(写真:産経新聞)

 畿内か、九州か−。宮殿を思わせる建物群跡が見つかった奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡。「卑弥呼の宮殿の手がかりが見えてきた」「邪馬台国には、まだ遠い」。邪馬台国論争に再び火がついた。

 卑弥呼が中国・魏に使者を送ったのは239年。今回見つかった建物群跡は、まさにこの時期にあたる。纒向遺跡が邪馬台国の中心とみる石野博信・兵庫県立考古博物館長は「方位を合わせた構造は、中国の宮殿と共通している。卑弥呼は、魏の使者を迎えるにあたって外交交渉上、国の威容を整えようとしたのかもしれない」と推測する。

 辰巳和弘・同志社大教授(古代学)も「魏志倭人伝は『卑弥呼は鬼道(きどう、呪術)につかえ、よく衆を惑わす』と記す。まさに女王が祭祀(さいし)や政治を行った場所の一部だろう」。

 今回の発掘現場を昭和53年に調査した寺沢薫・奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長は、西側に張り出した柵(さく)と、方位を合わせた建物群の計画性に注目し、「儀式を行う特別な建物だったことは間違いない。中心施設はさらに東に埋まっているのだろう」と今後の調査に期待をよせた。

 勢いづく畿内説に対し、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は慎重な姿勢を崩さない。「数棟の建物跡と柵が見つかっただけで、邪馬台国を議論するのは時期尚早。全体構造が明らかになっていない段階では、九州と比較もできない」と指摘し、魏志倭人伝の記述や発掘成果をもとに「邪馬台国は、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)などを有力候補とした北部九州であることは動かない」と話した。

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最終更新:3月20日20時26分

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