纒向遺跡:卑弥呼時代の建物群 王権の中枢か 奈良

2009年3月20日 20時25分 更新:3月20日 20時29分

纒向遺跡で見つかった3世紀前半の建物跡(後方の森は箸墓古墳)=奈良県桜井市で2009年3月18日、幾島健太郎撮影
纒向遺跡で見つかった3世紀前半の建物跡(後方の森は箸墓古墳)=奈良県桜井市で2009年3月18日、幾島健太郎撮影

 ヤマト政権発祥の地で邪馬台国の「最有力候補地」とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、女王・卑弥呼(?~248年ごろ)と同時期の3世紀前半の建物群が見つかり、桜井市教委が20日発表した。一帯は大規模に整地され、柵で複雑に区画。柱筋は東西方向にそろい、三つの建物が計画的に並んでいた。こうした特異な構造は同時期では例がないといい、市教委は「王権の中枢施設の一角の可能性がある」としている。

 纒向遺跡は東西約2キロ、南北約1.5キロで、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳をはじめ、前方後円墳が誕生した場所。各地の土器が持ち込まれており、邪馬台国やヤマト政権との関係が取りざたされてきた。

 今回の調査地点では、78年度に柵と建物跡を確認。区域を約400平方メートルに広げ、今年2月から再度調査、前回確認した5メートル四方の建物跡と、これを逆コの字状に囲む柵列を検出した。柵列は更に北、南、東の3方向に延び、総延長は40メートル以上になるとみられる。

 この建物跡の東側で、東に延びる新たな建物跡(南北6メートル以上)を確認。柵の西側で見つかっていた柱穴は、今回の調査で建物跡であることが判明した。【林由紀子】

 ▽石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話 3世紀前半に、建物が方位や柱筋をそろえて計画的に並ぶ例は他になく、驚きだ。邪馬台国の有力候補地から見つかったということは高く評価でき、都の一端をうかがわせる。

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