アーカイブについて
私は1992年10月1日に、日本コロムビア〔梶l、渇。浜銀行、潟oンプレスト、渇~谷プロダクションの4社共同出資による潟tォルテ・ミュージックエンタテインメント(FME)を設立しました。
何の音源も持たない新会社ですから、会社の核となる優れたアーチストを育成することは急を要することでした。
数組の新人アーチストの中でも、特にオリジナリティのある詩とメロディーを持っている、まだ大学在学中の子がいました。
それがKYOKO Sound Laboratoryでした。
当時NACK5(FM埼玉)の人気番組であったJapanese Dream (発売前の新曲を聴衆の投票によって選ぶ番組)に、彼女の新作「See You Again」(1993年2月シングル発売)を参加させ、激戦の末200曲近い中から第3位の高得票を得ました。
ベテラン歌手の作品が多く参加した中からですから、まさに快挙と言えました。 多くのプロダクションから、「彼女を預かりたい」との申し入れがありましたが、 まだ学生であったことと、この子は自由にやらせるならば、もっともっと伸びる可能性を充分に秘めていましたので、私はお断りしました。
その期待の通り、1994年11月度「Kyire」は月間グランプリを獲得したのです。 1994年8月頃、広告代理店・読売広告社の大野部長から、買取枠(5分番組〜正味3分30秒。テレビ朝日)のスポンサーが急に降りたので、スポンサーになって欲しいという依頼がありました。
当時TVスポットの料金は、15秒=40万でしたから、価格的には半値以下の割安でした。しかも時間帯が試聴者ターゲットとしては好都合な、金曜23時55分という願ってもないものでした。
丁度そのとき、KYOKO S. Lの2枚目のアルバム「月の石がみている夢」の宣伝を行っている最中でもありました。
計算的には採算がとれるものでしたから、お受けすることにしたのです。
企画は私・木村英俊、新人漫画家への依頼は庄野ひろ子(漫画家・安倍圭子の遠戚にあたる)、タイトルのジングルは安倍圭子と打楽器奏者、映像製作はTime Warpというスタッフで、「歌の映像化」にチャレンジしたのが「プチCOM」という番組でした。
放送と同時に、大きな反響がありました。視聴率も深夜番組としては驚異的な5%を越えるものでした。
10年余を経た今日、もう一度見たいと言う要望がパソコンを通じて多くのフアンからいただいていましたので、Time Warpの時森社長にマスターの存在を問い合わせしましたところ、もう既に廃棄してしまったので存在しないと言う残念な返事でした。
当時プレビューのために頂いた十数本のテープが当社に保管されているだけです。
KYOKO S LのWebsiteで紹介するのならばOK〔契約書を調べての返事〕ですという了解を頂きましたので、「KYOKO Sound Laboratory アーカイブス」 として、フアンの方々に、そしてまだ見たことの無い方々のためにPageを作りました。
どうか、お楽しみください。そして木屋響子・KYOKO Sound  Laboratoryへのご支援をこれからも宜しくお願いいたします。


2007年1月21日
                              (有)ジーベック音楽出版
                              代表取締役 木村英俊


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