独壇場の被害者の証言

 

ホロコーストの場合

昨年(2001)の2月、世界各国で『ホロコースト産業(Holocaust Industry) 』という本がベストセラーになった。ドイツでは、初版の5万部が2週間で売り切れたそうである。この本の著者、ノーマン・フィンケルシュタイン氏は、ニューヨーク市立大学で教鞭をとるユダヤ人社会学者である。彼の両親は、ヨーロッパからの移民で、強制収容所を体験した。このフィンケルシュタイン氏は、ユダヤ人でありながら、中東におけるイスラエルの政策を強く非難し、ホロコースト賠償問題に疑問を投げかけている。

『ホロコースト産業』に次のような記述がある:

もともと「ホロコースト生存者」という用語は、ユダヤ人ゲットー、強制収容所、強制労働収容所を、多くの場合、順番に体験し、独特のトラウマに苦しむ人々のことである。終戦時のホロコースト生存者の数は、一般に約十万人と見なされている。現在も生きている生存者は、この数の四分の一を超えないであろう。収容所を生き延びたことは殉教の冠になったので、戦時中、収容所以外の場所にいたユダヤ人も、自分達が収容所の生存者だと紹介するようになった。この偽りの陳述のもう一つの強力な動機は、物質的なものである。戦後のドイツ政府は、ゲットーまたは収容所にいたユダヤ人に対し補償金を提供した。多くのユダヤ人がこの適格基準を満たすように、自分達の過去をでっち上げたのである。(中略)

実際、多くの学者は、生存者による証言の信憑性を疑っていた。「確率的に見て、私自身の研究における誤りのほとんどが、証言に端を発している疑いがある」とヒルバーグは回想している。ホロコースト産業の内部においてさえ、この傾向が見られる。例えば、デボラ・リップシュタットは、生存者がしばしば、アウシュビッツのヨーゼフ・メンゲレに個人的に検査されたと主張することを、渋々認めている。

記憶の不確かさとは異なり、一部のホロコースト生存者の証言は、別の理由から、疑う余地がある。
今や生存者は、現世の聖人と崇敬されているからだ。彼らを疑うなど恐れ多いのである。よって、途方もない声明が批評なしにまかり通る。(中略)

ここ数年、「ホロコースト生存者」はナチスの直接的被害者だけでなく、ナチスから逃れた人々も指すように、定義し直された。例えば、ナチスのポーランド侵略後、ソ連に逃れた十万人のポーランド系ユダヤ人も含まれるのである。ただし「強制収容所の生存者は、まるで生きた屍のようだったのに、ロシアで過ごした人々は、一般市民と同じ扱いを受けていた」と歴史学者のレオナード・ディナースタインは観察している。ホロコースト・ウェブサイトの寄稿者の一人は、戦時中、テルアビブにいたにもかかわらず、彼の祖母がアウシュビッツで亡くなったので、自分はホロコースト生存者だと主張している。(中略)イスラエル首相の執務室は、「現存のホロコースト生存者」の数が百万人近くになると推定した。この誇張的修正の影に潜む主な動機も、簡単に見つかるのである。ホロコースト生存者が少数しか生きていなければ、大量の新しい要求を押し付けるわけに行かないからだ。

(中略)それでもなお、一九五〇年代初頭、ドイツはユダヤ人団体との交渉に入り、賠償同意書に署名した。例えあったとしても、
ほんの少しの外圧で、ドイツは今日までに、六百億ドル(約六兆円)を支払っている。

(以上ノーマン・フィンケルシュタイン『ホロコースト産業』)

米国慰安婦裁判:申立書の驚くべき内容

対日賠償問題に話を移そう。

2000年9月、韓国の元慰安婦を中心とする世界各国の慰安婦は、米国ワシントンDC連邦地方裁判所で日本政府を相手に集団訴訟を起こした。本件の判事であるヘンリー・ケネディー氏は、昨年9月、本件が連邦地方裁判所の管轄外であるという判断を示し、この訴訟を棄却した。現在原告側は、その決定を不服とし、控訴中である。慰安婦側の主任弁護士は、ホロコースト裁判でサイモン・ヴィーゼンタールセンターを代表したマイケル・ハウスフェルド氏であるが、この弁護団が2001年3月に提出した原告申立書には、元慰安婦の次のような驚くべき証言が記載されている。

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日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:

A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。

B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。

C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。

D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。

E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。

F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。

G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。

(上記の申立書、ならびにハウスフェルド法律事務所の各種資料は、

ttp://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html 

よりダウンロード可能)

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この内容は、インターネットの怪しいサイトや、いかがわしいトンデモ本の内容ではなく、アメリカの連邦地方裁判所に正規に提出された申立書に書かれているのだ!

この内容を読んだ人は、残虐写真を見たときと同じで、ショッキングなイメージに気分が悪くなるに違いない。証言者は、日本軍がまるで猟奇殺人者のようであったと証言している。

一人歩きする元慰安婦の証言

フィンケルシュタイン氏によると、『ホロコースト生存者はまるで現世の聖人と崇敬されている』らしいが、元慰安婦のオムニの周りにも、彼女達を世界各国の集会に招き寄せ、恐ろしい日本軍の猟奇殺人を語らせる、対日賠償団体や左翼集団の“信徒”がついているのである。

筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。

この元慰安婦の婦人もそうであったが、元慰安婦はなぜかいつも民族衣装を着ている。2000年の師走に開催された『女性法廷』でも、東京に集結した世界各国の80人以上の元慰安婦は、皆それぞれの国の民族衣装を着ていた。これは何故なのだろう?裁判のときに、着物で出廷する日本人はめったにいないと思うが...これは何かのイメージ操作ではないか?

このような民族衣装姿のオムニの証言に少しでも『疑問』を投げかけるようなら、その人は、たちまち、思いやりのない人と後ろ指を差され、下手をすると右翼のレッテルを貼られてしまう。また、彼女達の証言を否定できる目撃者はいないので、いわば証言者の独壇場なのである!

 

 

 

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