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寄稿論文

作家アイリス・チャンの思い出
ひたむきに戦争の惨禍伝え

(在米ジャーナリスト・徳留 絹枝)

(2004年12月21日付)


36歳で逝った『レイプ・オブ・南京』の著者

ひたむきに戦争の惨禍伝え



彼女を知る数少ない日本人として

 先日、作家アイリス・チャンを偲ぶ会がロサンゼルスで開かれたので、出席した。彼女は11月9日、ご主人と2歳になる男の子を残して自らの命を絶った。36歳だった。

 私は1998年秋、雑誌『論座』に彼女のインタビュー記事を書いたことがあり、それ以降も時折メールを交換することはあったが、特に親しかったわけではない。それでも、『レイプ・オブ・南京』の著者としてだけのイメージを超え、彼女の人間的側面を少しでも知る機会があった数少ない日本人だったかもしれない。

 最初にアイリスに会ったのは、98年1月、彼女がロサンゼルスにある「寛容の博物館」で講演をした後、主催者だったサイモン・ウィーゼンタール・センターのエブラハム・クーパー師と一緒に遅い夕食を共にした時だった。自分が取り組んだテーマにひたむきな使命感を燃やす姿が、深く印象に残っている。

 その後、『レイプ・オブ・南京』に批判的な記事が日本で多く出たため、彼女自身の言葉でそれらの批判に答える場としてインタビュー記事を提案すると、彼女は快諾した。

 それからEメールを何度もやりとりして記事を仕上げたのだが、一番読者の心に届いてほしいと私が感じたのは、最後の質問への彼女の答えだった。

国境、民族を超え人権問題論じる

 ――『レイプ・オブ・南京』の日本語版が出た後、日本に行く予定は?

 アイリス・チャン 現時点では何とも言えません。今の私に言えるのは、真実を伝えるために一生懸命活動している勇気ある素晴らしい日本人がたくさんいることを、私が知っているということだけです。このような人々は、少数派ではありますが、世界の至るところに見出すことができます。彼らを際立たせているのは、民族や国境を超えた人間性です。

 これらの人々は、南京や中国の他の地域で起こったことが、人間の基本的権利にかかわる問題であること、そして人権問題を論じることとナショナリズムや民族主義は何の関係もないことを、理解しています。彼らはもっと大きな視野に立っているのです。私は、日本のそれらの人々とまったく思いを同じにしていますし、もちろん、いつの日か彼らと会えることを心から願っています。

       ◇

 しかし私が知る限り、アイリスが望んだそのような出会いは起こらなかった。予定されていた日本語版のキャンセルや、日本国内で戦後補償問題に取り組む活動家たちが彼女との交流をそれほど求めなかったことなど、理由はいろいろ考えられるが、98年時点の彼女の気持ちを直接聞いた者としては、残念であった。

 彼女が逝ってしまった今、その思いは特に深い。自殺の理由は単純なものではなかっただろうし、憶測をめぐらすこともしたくない。ただ、彼女がこれまで取り組んできた仕事には、もっともっと多くの人々からの支援が必要だったのではないか。

「バターン死の行進」に取り組む

 いつも毅然としていたアイリス、人々が彼女の業績を称えるのを聞きながら、私は、彼女が日本との友情を最後まで得られなかったことに、深い悲しみを覚えずにはいられなかった。

 アイリスが最後に取り組んでいたのは、「バターン死の行進」生存者へのインタビューだったという。私自身この数年同じテーマを取材してきたが、彼らの体験談を聞くのは本当につらい。彼らの味わった筆舌に尽くしがたい苦しみを知る重さに加えて、晩年を迎えた彼らのために何かをしなければという思いに駆られるからだ。

 アイリスも同様に感じたのかもしれない。南京虐殺の犠牲者と同じように彼らの体験を伝えなければと、ひたむきな使命感に燃えたのだろうか。

 中国の古典楽器が奏でる美しいメロディーが会場を満たしていく。飾られた写真の中で微笑むアイリスは、あまりにも若すぎた。

 (在米ジャーナリスト)

 ●『ザ・レイプ・オブ・南京』

 戦前の日本軍による中国・南京での蛮行を告発した中国系アメリカ人ジャーナリスト、アイリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京(The Rape of Nanking)』(1997年刊)は英語圏で50万部以上を売るベストセラーとなった。

 一部に資料の読み違いや事実誤認が指摘されているが、同書は全米に南京事件を広く知らしめた。しかし邦訳本については、「南京虐殺はなかった」あるいは「中国側は犠牲を誇張している」と主張する勢力もあり、出版が見送られた。

略歴

 とくどめ・きぬえ アメリカ在住。太平洋戦争時の米捕虜の体験を伝えるウェブサイトhttp://www.us-japandialogueonpows.orgの管理者。シカゴ大学大学院修士課程修了(国際関係論)。著書に『忘れない勇気』『いのちのパスポート』(ともに、潮出版社)。訳書に『記憶』(柏書房)。2000年度国際交流基金CGP安倍フェロー。