講演・発言をする学生たちの感想
最近の3年ゼミ生による講演・発言活動の様子を、こちらにアップしました。
行ってきたのは、尼崎小田高校と、兵庫の非核の政府を求める会です。
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 19・9条が輝く兵庫をつくろう(ウィーラブ兵庫2)
2009年・09年7月県政刷新に向けたブックレット第2弾、「戦争のできる国づくり」を推進する県政のままでいいのか
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 17・女子大生と学ぼう「慰安婦」問題
2008年・2人の女子大生が男女2人の中学生にバーチャル旅行をしながら教えます。
日本婦人団体連合会: 16・女性白書 2008
2008年・論文「女性の人権-2008年、日本で」、雇用と家庭、ワークライフバランス、靖国派によるバックラッシュなど。
石川 康宏: 15・覇権なき世界を求めて―アジア、憲法、「慰安婦」
2008年・世界の構造変化を多面的に探究し、日本の進路を考える
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 14・ウィー・ラブ・兵庫―憲法どおりの兵庫をつくろう
2008年・論文「憲法を設計図に、兵庫県政の転換を」、09年の県知事選に向けた学習用テキスト
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 13・「慰安婦」と心はひとつ女子大生はたたかう
2007年・学び、体験し、変化する学生版「たたかう若者」論
石川 康宏: 12・いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう!―政治を変えるのは、あなたです。
2007年・経済・政治・歴史・教育など、多面的に憲法問題を論じた講演録
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 11・「慰安婦」と出会った女子大生たち
2006年・ハルモニの声を伝え学生たちの成長を描く。2008年には韓国語版が出版される。
石川康宏ゼミナール: 09・ハルモニからの宿題―日本軍「慰安婦」問題を考える
2005年・はじめて3年ゼミで「ナヌムの家」へ,学習と行動の記録
石川 康宏: 07・現代を探究する経済学―「構造改革」、ジェンダー
2004年・日米関係に注目しながら現代日本の経済・政治を科学的社会主義理論を駆使して分析
森永康子・神戸女学院大学ジェンダー研究会: 06・はじめてのジェンダー・スタディーズ
2003年・「主婦とはどういう存在なのか」「仕事にまつわるジェンダー・ギャップ」他
神戸女学院大学文学部総合文化学科: 05・知の贈りもの―文系の基礎知識
2002年・「グローバリゼーション」と「資本主義」の項を執筆
労働者教育協会編集: 04・知りたい聞きたい経済学Q&A
2002年・「Q16・国際競争に勝つためにはリストラはしかたないのでしょうか?」「Q17・ルールなき資本主義とはどういうことですか」「Q18・規制緩和すれば経済が活性化するといわれていますが……」
平井 雅子他: 02・共同講座 20世紀のパラダイム・シフト
2000年・論文「20世紀経済学のパラダイム・シフト」
最近の3年ゼミ生による講演・発言活動の様子を、こちらにアップしました。
行ってきたのは、尼崎小田高校と、兵庫の非核の政府を求める会です。
「慰安婦」決議の採択を市議会に求める堺市の取り組みだが、採択の舞台は来年3月に移ったとのこと。
すでに1万人以上の署名を集めているが、さらに粘り強い取り組みが続いていくとのことである。
尼崎市議会での「慰安婦」決議の審議ですが、1月市議会への継続審議となりました。
関係議員さんに、「本」を届けるなど、新たな取り組みのゆとりができたということです。
自治体から国に「慰安婦」問題の解決を求める意見書の採択を求める取り組みだが、尼崎の議論は、12月11日の経済環境企業委員会から開始されるらしい。
さて、市会議員各位の見識やいかに。
他の自治体からも、ギリギリの線での取り組みの進行が伝わってくる。
一旦「廃止」が決まった「教育再生懇」だが、存続が決まったそうだ。
とはいえ、それは靖国派の巻き返しである以上に、文科省が予算獲得に向けて活用できるチャンネルと位置づけた結果のようである。
文科省巻き返し?「教育再生懇」一転して存続決定(読売新聞、08年12月4日)
麻生首相は4日、首相官邸で塩谷文部科学相と会談し、政府の教育再生懇談会(安西祐一郎座長)について、当初の廃止方針を転換し、存続させることを決めた。
首相直属の検討機関として引き続き活用し、政府一体で教育改革を推進する。麻生政権発足後初めて、今月中旬に全体会合を開催する。
首相は会談で、懇談会の新テーマについて、教育委員会の改革や教育の経済負担のあり方、スポーツ庁設置などを挙げ、次回の全体会合までに最終的な案をまとめるよう、文科相に指示した。メンバーの増員も検討する。文科相はこの後、記者団に対し、「教育は継続性も必要なので、(懇談会の)名前はそのままだ。人選は新しいテーマに即した人を加える」と説明した。
首相は当初、教育再生懇談会について、「『具体論は文科省に任せればいい』との考えで、活用する意識は一切なかった」(首相周辺)といい、現在取り組んでいる教科書や教育委員会の改革などの議論がまとまった段階で廃止し、教育問題を中央教育審議会(文科相の諮問機関)に委ねる方針を固めていた。
だが、こうした首相の姿勢に、政府内から「麻生政権は教育への関心が薄い、とのメッセージを国民に与えてしまう」と懸念する声が上がり、文教族である河村官房長官も、首相に「教育は簡単なものではない」と存続を進言していた。
懇談会の前身である教育再生会議は、安倍元首相の肝いりで2006年10月に発足した。同会議は、文科省と中教審が主導する政策決定を否定し、同省と衝突したが、福田政権で懇談会に衣替えすると、「融和ムード」に変わっていった。
文科省側が「官邸の懇談会と連携すれば、予算獲得や政府内の発言力確保に有利」との計算から、存続へ強く巻き返しを図ったとの指摘も出ている。
11月17日、堺市議会に、「慰安婦」問題の誠実な解決を国に求める意見書の採択を求める「陳情書」が提出された。
賛成するだろう民主・共産・市民派で20議席。だが、過半数は26。
焦点は公明党の姿勢になっているとのことである。
大学の中では、教育関連ニュースが教職員宛に流されている。
毎日いくつもあるのだけれど、その中から2つを紹介。
若い世代の非正規雇用比率の上昇はひどいものだ。
他方、靖国流「教育再生」を目論んだ「教育再生懇談会」(旧教育再生会議)は廃止となった。
若者の非正規雇用、10代後半は7割=内閣府(時事通信出版局・内外教育研究会、08年11月21日)
内閣府は21日、2008年版「青少年の現状と施策」(青少年白書)を発表した。若者の間で派遣や契約社員、フリーターなど非正規雇用の割合が増えており、10代後半では、ここ15年間で72%に倍増。内閣府は「中卒や高卒の若者が正規雇用職員になれず、非正規雇用に流れるケースが増えたのが要因」としている。
総務省の就業構造基本調査によると、雇用者全体に占める非正規雇用者の割合は、15-19歳が1992年の36%から07年には72%に、20-24歳は17%から43%にそれぞれ増えた。非正規雇用の比率は全年代で増えているが、25-29歳(12%から28%)、30-34歳(14%から26%)に比べると、24歳以下の増加幅が大きい。
このほか白書では、子どもとの接触時間が「ほとんどない」と答えた父親の割合が、2000年の14%から06年は23%に増えたほか、子どもの悩みを「知らない」と答えた父親が約70%、母親が約35%いるという調査結果を紹介。「長時間労働など家庭を取り巻く環境の変化が、子どもにとって好ましくない状況の背景となっている」と指摘している。
「教育再生懇」首相が廃止決定、教委改革一段落後に(読売新聞、08年11月21日)
麻生首相は24日、政府の教育再生懇談会(安西祐一郎座長)の廃止を決めた。廃止時期は、懇談会が取り組んでいる教科書や教育委員会の改革などの議論がまとまった後とする方向だ。
同懇談会廃止後の教育に関する有識者会議の在り方については、近く首相と塩谷文部科学相が会談し、調整に入る見通しだ。
懇談会は、安倍内閣が2006年10月に設置した教育再生会議を今年2月に衣替えしてできた。5月には英語教育の強化などを盛り込んだ1次報告を福田首相(当時)に提出。来年1月までに2次報告で教科書の充実、3次報告で大学や教育委員会の改革などを答申する予定だが、福田政権下での9月22日の会合を最後に、麻生政権では1度も全体会議が開かれていない。
同懇談会の議論は、文科相の諮問機関、中央教育審議会(中教審)との重複も多いと言われてきた。自民党文教族として影響力を持ってきた首相が、直属機関である同懇談会の廃止に踏み切る背景には、「首相は大方針を示し、具体論は各省に任せた方がいいという考えが、麻生首相にはある」(周辺)ためと見られる。
ただ、同懇談会の前身である教育再生会議が、学力低下への不安に対し、政府として初めて「ゆとり教育の見直し」を提言したことへの評価もあり、官邸主導の教育行政の継続を求める声もある。一時は教育再生会議と衝突した文科省内にも、「有識者会議と連携できれば、世論喚起や予算獲得で利点がある」との声があり、今後の調整が注目される。
11月7日、札幌市議会が政府に対して、「慰安婦」問題での以下の「対応」を求める意見書を採択。
地方議会からは、宝塚、清瀬につづく3つ目だが、人口の多い政令指定都市からのものであり、全国各地の取り組みにはずみをつけるものとなるのだろう。
「案は民主党が作成し、民主、公明、市民ネットワーク札幌、共産が賛成し、自民のみ反対したとのこと」と伝えられる。
意見書の全文はこちらにアップ。具体的な要望部分は次のよう。
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よって、国会及び政府においては、1993年の河野洋平官房長官の談話に基づき、「慰安婦」問題の真相究明を行い、被害者の尊厳回復に努め、下記の事項のとおり、誠実な対応をされるよう強く要望する。
記
1 政府は、「慰安婦」被害の事実を確認し、被害者に対し閣議決定による謝罪を行うこと。
2 政府は、「慰安婦」問題解決のための法律をつくり、被害者の名誉回復と損害賠償を行うこと。
3 学校や社会の教育において「慰安婦」問題の歴史を教え、国民が歴史を継承できるようにすること。
以下は、10月27日に韓国国会本会議で採択された「慰安婦」決議です。
サイト「『慰安婦』決議に応え 今こそ真の解決を」からいただきました。
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日本軍「慰安婦」被害者の名誉回復のための
公式謝罪及び賠償を求める決議
議案番号1125
提案年月日:2008年10月8日
提案者:申楽均(シン・ナッキュン)女性委員長
主 文
大韓民国国会は、第2次大戦の期間に、日本帝国主義の軍隊が当時、朝鮮人女性をはじめとして、アジアのさまざまな国の女性たちを強制動員したり拉致して、性奴隷(「慰安婦」)化したことに対して、
2007年の米国下院の決議採択を初めとし、ヨーロッパ議会、オランダ、カナダで決議が採択されるなど、全世界的に日本の公式謝罪と賠償、そして後世のための教育が必要だという国際的認識が具体的に広がっていることに触発されて、
特に2008年3月以後、日本の宝塚市議会、清瀬市議会などの地方自治体で、「慰安婦問題に対する政府の誠実な対応」を要求する請願と意見書が採択されたことを歓迎し、
1993年のウィーンの国連世界人権大会以後、国連人権委員会を中心に2008年6月に至るまでこの15年間、国際社会で持続的に提起されてきた日本国に対する慰安婦問題の解決を求める多角的な勧告を日本政府が受け入れずにいるということに、深刻な憂慮を表して、
慰安婦被害を受けた生存者の健康状態が甚だしく悪化し、生存者の数が急激に減っている現状況で、日本軍慰安婦被害者の名誉回復のために、次のように決議する。
1. 大韓民国国会は、日本軍慰安婦被害者の名誉回復のために、1930年代から第2次大戦に至る期間に、アジア・太平洋地域の女性たちを日本帝国主義の軍隊の性奴隷化したことに対し、被害者たちに日本政府が公式に謝することを求める。
2. 大韓民国国会は、日本軍慰安婦被害者の実質的な名誉回復がなされるようにするために、日本政府が反人権的犯罪行為について、日本国内の歴史教科書にその真実を十分に反映し、慰安婦被害者たちに対して被害の賠償をすることと、日本の国会が関係法の制定を速やかに推進することを求める。
3. 大韓民国国会は、日本軍慰安婦被害者の名誉回復のために、国連人権委員会と国連女性差別撤廃委員会など、国際社会の勧告のとおりに、日本政府が公式謝罪、法的賠償及び歴史教科書への反映を履行するよう、韓国政府が積極的で明白な役割を果たすことを求める。
提案理由
第2次大戦当時、日本帝国主義の軍隊による韓国人をはじめとする多数のアジアの国家の女性たちに対する性奴隷化の犯罪に対する公式謝罪・賠償・教育問題は、韓・日間の重要な懸案であり、1993年のウィーン世界人権大会以来、国連を中心に全世界的に深刻に提起されている問題である。
周知のように、世界人権会議の1993年ウィーン人権宣言及び行動綱領38条は、武力紛争状況での女性の人権蹂躙、特に殺人、組織的強姦、性奴隷、そして強要された妊娠を含むこのようなすべての種類の違反には、特別に効力ある対応が必要であることを宣言し、これを初めに、
1995年の国連世界女性会議の北京行動綱領で、戦争中に女性が被る強姦に対する処罰と賠償の必要性の究明、1996年と1998年の日本軍慰安婦被害者の名誉回復と法的賠償の責任が日本政府にあるという国連人権委員会の報告書の採択、2003年の国連女性差別撤廃委員会で、日本当局に「戦時慰安婦」問題に対する長期的な解決策の摸索のための努力を勧告し、最近の2008年国連人権理事会第8会期で、日本政府に慰安婦問題の解決のために、国連の勧告に真摯に応じ、具体的な方法を用意することを求める報告書を採択し、そして2006年の戦時の女性に対する性暴力問題を含む女性への暴行対する国連事務総長の心証報告書の発表に至るまで、国際社会は日本軍慰安婦問題と関して持続的で明確な立場をとってきた。
このような世界的な共感を基盤に、2007年だけでも米国、ヨーロッパ議会、カナダ、オランダで決議案の採択がなされ、2008年には日本の国内でも地方自治体の請願と意見書の採択など、慰安婦問題の解決を求める前向きの流れが形成されている状況である。
大韓民国国会は、日本政府の法的責任を明示した、日本国の「戦時性的強制被害者問題解決の促進に関する法律」の制定を求める決議案を、2003年2月26日に議決し、日本の国会に送付したことがあり、2007年の米国下院での慰安婦決議の採択を支持するという支持決議を国会の女性家族委員会で議決している。
しかし、まさに大韓民国が日本軍慰安婦問題の最大の被害国のうちの一つであるにもかかわらず、大韓民国の名義で日本軍慰安婦被害者の名誉回復のための、日本国の公式謝罪と被害の賠償及び教科課程への反映を求める内容の決議案は、いまだに採択されていない実情である。先の17期国会の期間中(注:2004年5月30日~2008年5月29日)に提案された謝罪と賠償を要求する3件の決議案は、採択されないまま、任期満了で廃棄された。
1993年以来、日本軍慰安婦被害者として登録された234名の生存者のうち、すでに135名も死亡し、99名だけが生存している状態であり、認知症など健康状態が悪化している。日本軍慰安婦被害者たちが直接乗り出した日本大使館前の水曜デモは、1992年1月8日に始まり、2008年10月8日(水)現在で16年を超え、834回に至っている。2006年7月5日には、当時の生存者109名の名義で、慰安婦被害者の名誉回復のために努力をしない政府に対して憲法訴願審判請求をしている状態である。また、韓国挺身隊問題対策協議会と韓国労働組合総連合、全国民主労働組合総連盟は2008年8月31日に共同でILO基準適用専門家委員会に「強制労働禁止条約」違反の事例である日本軍慰安婦問題の解決のための訴えと要請を記した報告書を、1995年に続いて再度提出している状態である。
日本軍慰安婦被害者の問題は、現存する被害者たちの名誉回復の問題であり、さらには戦時の女性に対する拉致、強姦、集団性暴力と人身売買という最悪の女性人権侵害事件で、世界史的に警鐘を鳴らすべき重大な事案であるだけに、日本軍慰安婦被害者の名誉を回復し、今後同じ事件が世界の歴史上再発しないように、女性の人権に対する尊重意識を現在の世代と未来の世代に鼓吹するために、同決議を提案するところである。
〔訳・森川静子〕
*2008年10月8日 女性委員会(申楽均委員長)採択
*2008年10月27日 国会本会議採択(全会一致)
9月8日から11日まで、学生たちと韓国を訪れる。
今回は、ビデオ撮影に専念しており、
「写真」はほとんど撮ることができず。
後日、同行のみなさんから集めたものを、
別に紹介したいと思います。
〔9月8日〕
9月8日は、8時30分起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
9時30分には、一族3人で外に出る。
相方運転のクルマに乗って、
11時ちょうどには、関空4Fに集まっていく。
京都のA子・B男・C男も早い時間にやって来ており、
新参との「ご対面」を達成していく。
B男・C男は「抱き方がわからん」と笑い、
新参もなんだか居心地が悪そうである。
自民党総裁選についての電話取材を受け、
空港の中でメモをみながら、あれこれしゃべる。
この旅行であだ名を定着させる
「重役」K島さんも到着し、
あれこれの手続きに入っていく。
今回の旅行参加者は、ゼミ生12名、甲南大学3名、
明治大学1名、近畿大学1名の他、
前年につづいての参加となったM尾さん、
岡山から一家でこられたS本さん3名、
体調をととのえて参加されたT花さん、
石川とその一族計4名(うち1名龍谷大学)と、
合計26名である。
別便でおくれて参加するT石さんもおり、
結局、総勢は27名の大所帯となる。
12時50分の離陸となる。
機内「ゴータの人」から「ビデオ撮影プランの人」へ、
「ウトウトの人」へと変態し、
3時前には、韓国・仁川空港に到着する。
ガイドをお願いしたKさんと合流し、
貸し切りバスでソウルへ移動。
バス代を安くあげるために
「免税店」にも寄っていく。
こちらがブラブラ時間をつぶすあいだに、
カネの計算をまちがえたB男・C男が、
さっそく全所持金を失っていく。
まったく、アホな話しである。
明日からのメシは、どうしていくのか。
6時にはホテルに入り、
ソウルの梨花女子大に留学している
Mさん(神戸女学院)・S藤さん(明治大学)
T島さん(武庫川女子大)さんと合流する。
さっそく、明治大学同士の交流がある。
学部も同じであるらしい。
世間というのは狭いものである。
今夜は、自由時間である。
学生たちは、さっそく元気に外にでかけ、
こちらは、Mさんたちの案内で、
おいしい食事にありついていく。
「明洞餃子」は、人気の店であるらしい。
食後は、グイッとソウルタワーに場所をうつす。
ソウルのタクシー事情には、
まだまだ課題があるようだが、
それでもなんとか全員到着。
ここは、観光客の多い場所で、
若者たちのデートスポットでもあるらしい。
展望台からは、360度の見事な夜景が見えていた。
10時30分には、ホテルにもどり、
1人で遅れてやってきたT石さんと合流する。
ここで、酒をあけながら、大人たちで、
戦争、制服、食料、自民崩壊などを語り合う。
11時30分には、学生たちももどってくる。
1時30分の就寝であった。
〔9月9日〕
9月9日は、8時起床の朝であった。
同じ部屋のT石さんと、さっそく外をブラブラ歩く。
地元の食堂に入り込み、
「いまの時間はこれしかないよ」という「朝定食」を食べていく。
おカネを払おうとすると、
店の大将が小指をたてる。
数字の6ということであったらしい。
1人3000ウォン(300円程度)の
合計6000ウォンということである。
10時には、全員でホテルを出る。
留学生のMさんも、同行する。
貸し切りバスで、ソウルを出て、
「ナヌムの家」に向かっていく。
11時半には、早めの昼食とする。
ここから先には、大人数で食事のできる場所がない。
料理は、ミニ韓定食であるらしい。
本当にたくさんの野菜が出てくる。
ここで、しばらく時間を調整し、
1時ちょうどには、「ナヌムの家」に到着する。
研究員のM山さんとは、1ケ月ぶりの再会である。
ボランティアで来ているという
東京外大院生のF橋さんは、
ゼミで出した本についての感想を
こちらにメールしてくれたことがあるという。
事前に連絡のあった早稲田の学生とも合流し、
ビデオを1本みて、
「日本軍『慰安婦』歴史館」に入っていく。
ビデオ撮影の許可をもらい、
あれやこれやを撮っていく。
4時からは、イオクソン・ハルモニの証言をうかがう。
質疑もふくめて、5時20分頃までのものとなる。
買い出し部隊、炭起こし部隊、
メシ炊き部隊などにグループが分かれ、
6時すぎには、中庭で、サムギョプサルを開始する。
夜のうちにソウルにもどらねばならない
早稲田の学生を優先し、
チームおっちゃん数人で
ワイワイいいながら焼いていく。
いっしょに食べてくれたペチュンヒ・ハルモニが、
大きな声で歌を披露する。
9時30分には、早稲田の学生たちがもどっていく。
後片付けを行い、
10時半には、部屋にもどる。
予定していなかったことに時間をとられていくが、
それもまたひとつの経験である。
2時すぎには、眠りにつく。
〔9月10日〕
9月10日は、7時起床の朝であった。
めざましは、いつもの白い犬である。
バシャバシャとアタマを洗って、
朝の中庭を歩いていると、
「ゴハンを食べなさいよ~」、
カンイルチュル・ハルモニが笑いながら
声をかけてくれる。
夕べのうちから、M尾さん・S本さんが用意してくれていた
朝食を、みんなでサクサク食べていく。
片づけを行い、掃除を行い、
9時30分には「ナヌムの家」を後にする。
「いつでも予定どおりに企画ができるように」
去年までなかった大きな雨よけが、
今年はしっかりついていた。
11時すぎにはホテルにもどり、
みんなの荷物を預けていく。
多少の時間調整ののち、
パゴダ公園に移動する。
1919年3月1日に
「独立宣言」が読み上げられた場所である。
たくさんのレリーフをビデオカメラにおさめていく。
独立運動指導者の像を映していると、
通りがかりのオジサンが、
その人物の名を聞かせて教えてくれる。
1時には、水曜集会の場所へと移動。
8月3日の大阪企画で会った(飲んだ)
挺対協のYノジャさんと再会し、
Yミヒャン代表とも言葉をかわす。
早稲田の学生もやってきて、
第830回の「水曜集会」がはじまっていく。
今日は、日本人比率がきわめて高く、
集会の随所に日本語への通訳が入り込む。
学生たち3人も、マイクをにぎって発言していく。
韓国からは民主労働党の党首も参加していた。
緊張のうちに、1時間の集会は終了する。
ホッと力が抜けたところで、
みんなで食事の場へと移動する。
初顔あわせのボランティアの学生さんが、
留学生Mさんと、梨花女子大で同じクラスであるとのこと。
互いが、それぞれ驚いていた。
ここでもまた、案外、世間は狭いのである。
ここから、学生たちは、自由時間の満喫にでかけ、
こちらはホテルにもどっていく。
シャワーをあびて、ベッドにころがる。
グイッと眠ってしまい、
3兄弟との集合時間におくれてしまう。
スマン、スマンと降りていき、
街をブラリ、ブラリと歩いていく。
問屋街なのだろうか、
消火器屋が3件ならんでいるなど、
日本では、なかなか目にせぬ光景がつづく。
7時には、ホテルのフロントにもどり、
チーム大人等の集合となる。
挺対協のYさんをまじえての夕食である。
近くの、やはり今夜も焼き肉屋へと入っていく。
8時すぎには、「ナヌムの家」から
M山さんもかけつける。
「新しくボランティアに来てくれた」
という日本の学生Y下さんもいっしょである。
店をかえ、ファーストフード店の路上で、
あれやこれやを話し合う。
日本の政治、韓国社会の課題など、
話題はグッと社会科学方面に向いていく。
たくさんの話しの中に、M山さんから
「日本へ行って赤字になることがある」との話題も出る。
ハルモニを招待する側の経費負担が
不十分な場合があるのだという。
日本のみなさん、もっとしっかりやっていこう。
M山さん・Y下さんが帰った後、
コンビニで酒を買い込み、
ホテルでワイワイつづけていく。
最後は2時30分の終了となった。
Yさんは、はたして無事に家にもどれたのか。
〔9月11日〕
9月11日は、8時30分一瞬起床の朝であった。
3兄弟に「朝飯無理」とメールを打って、
そのまま眠りつづけていく。
11時になって、ようやく立ち上がり、
12時集合に間に合っていく。
バスに乗り込み、途中、みんなで石焼きビビンバを食べ、
西大門刑務所を見学する。
独立運動の「義士」等を閉じ込め、
拷問し、殺害を繰り返した現場である。
学生たちといっしょに、
独房などにも入ってみる。
韓国の小さな子どもたちが、
先生につれられて学びに来ている。
同じ場所にいるのは、なかなかつらい。
3時には、バスで空港へ向かい始める。
途中、バス会社と契約する「お土産屋」にも寄りながら、
ゼミ生全員が、旅行の感想をマイクで語る。
それぞれの話しには、考えることの違いがあり、
新たな躊躇もあれば、深まる意欲もある。
こちらも、いくつかを語ってみる。
誰もが、自分のアタマで考えていく。
バカボンのパパではないが
「それで、いいのだ」。
チーム大人からS本さんや、
他大学の学生から甲南大学のKくんも発言する。
途中、バスを止めてもらっての発言交流の時間であった。
5時には、仁川空港に着き、
にぎやかに記念写真をとり、
各種手続きをとっていく。
6時には、3兄弟としゃべりながら夕食をとる。
それぞれに、思うところがあるらしい。
7時すぎには、離陸となる。
機内で、偶然、乗り合わせた
1年生に声をかけられてビックリする。
「自然の人」から「空科の人」へと変態し、
9時前には関空に着く。
おしまいの儀式では、
チーム大人からT石さんに語ってもらう。
そして、ただちに解散である。
迎えに来られていた
ゼミ長S川さんのオカアサンとご挨拶。
確か香川の方だと思うのだが、
なぜか伊勢の「赤福」をいただいてしまう。
ありがとうございました。
他大学の男子学生たちも、
はじめてマジメな顔で挨拶してくれる。
8時30分には、空港バスに乗り込んでいく。
しばらくすると、
A子からは「来年か、再来年、もう一度行きたい」と、
B男からは「自分の勉強もがんばる」と、
C男からは「ゼミ生の発言に学ぶところがあった」と、
それぞれなりに考えたメールが届いてくる。
わが3兄弟もふくめ、たくさんの人に、
新しいエネルギーを届ける旅行となったらしい。
車中「古典復習の人」となり、
JR「西宮」へ、「尼崎」へ、「加島」へ移動。
10時ちょうどの帰宅となった。
たくさんの郵便物をひろげ、
洗濯を行い、留守電を聞き、
190本のメールをホイホイながめていく。
この夏の人生に、また、
ひとつの区切りがついたということである。
8月10日は、8時30分起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクを新参とわかちあい、
9時20分には、外に出る。
JR「加島」から「大阪天満宮」へ、
谷町線「南森町」から「天満橋」へ、
車中「社会保障の人」となって移動する。
10時からの「関西フォーラム 『慰安婦』決議に応え
今こそ真の解決を!」にまにあっていく。
会場は、ドーンセンター7階ホール。
たくさんの知った顔があり、
3・4年ゼミの学生たちも、
10人ほどが参加である。
午前中は、フィリピンの元「慰安婦」被害者
ピラール・フロレンダ・フリアスさんが証言をする。
タガログ語での証言を、
リラ・ピリピナ(マニラに拠点をおく被害者女性支援のNGO)の
レチェルダ・エクストレマドゥーラさんが英語になおし、
さらにそれを日本語になおすという二重通訳。
日本兵による強姦と「慰安婦」加害が、
文字通りの侵略と一体であることが良くわかる。
昼の休憩には、外で食事をとっていく。
4年生2人をふくむ5人で、
勝手のわからぬ「天満橋」界隈に店をさがす。
ミニ丼と、うどんゾゾゾの昼食とする。
午後は、各国で「慰安婦」決議採択を推進してきた
運動家たちのシンポジウム。
アメリカ下院で決議推進の中心にたった
121連合のリーダーのアナベル・パクさん、
EU議会などヨーロッパでの取り組みを推進した
アムネスティ・インターナショナルの
キャサリン・バラクロウさんが話をする。
情熱的なバクさん、論理的なバラクロウさんと
個性の違いはあれど、
この重大な人権侵害の放置は許されない、
それは現代における性奴隷制克服の重要な一環をなすもの、
そうした問題意識は鮮明である。
質問用紙に、「『慰安婦』決議と、その直後に採択された、
イラク戦争に対する日本政府の協力への感謝決議の関係」を書いて見る。
戦場でのレイプが繰り返されるイラク戦争の推進と、
「慰安婦」問題の解決を求めることとの関係を、
アメリカの下院議員たちがどのように「整理」しているかを問うたもの。
25通もの質問があり、
残念なことに、直接の回答は得られなかった。
だが、アメリカで活動するパク氏の
シンポジウムでの発言には、
すでに、以下の重要な指摘がふくまれていた。
「政治的バランスに配慮し、日米の協力関係に配慮する議員もいた。
そういう議員にどのように話をしたか」
「決議は日本を非難するものではなく、将来にむかった展望的なもの」
「日本が様々な問題に誠実にこたえるなら、日本はより強い国となり、
世界のリーダーとなりうる」
「地域の安定・平和に寄与するものとなると語っていった」。
他の質問に対する回答にも、
次のように、同じことがふくまれた。
「決議によって日米関係はむしろ強くなる」
「日本の不安定化はアジアでの平和・安全保障の観点からも
好ましくないと説得した」。
これは、先日出版した『覇権なき世界を求めて』の内容に
深くかかわる問題。
この本では、アメリカ下院の決議採択に
様々な思惑が込められたとして、
①それが東アジアにおける日本のリーダーシップの回復につながる、
②反米靖国の台頭を抑えることは、
日本を従属的同盟のもとに置き続ける条件を強める、
この2点を、アメリカ政府の主な目論見だと述べておいた。
先のパク氏の発言は、
少なくない下院議員の発想に、
遠からぬものがあったことの傍証となる。
ただし、同じく『覇権なき…』で指摘しておいたように、
アメリカ下院の決議は
そうした個々の政治的思惑をこえて、
国際的な反響を呼んでいく。
EU議会やオランダ、カナダ議会の決議は、
内実にあっても「人権」を核心としたものとなっている。
バラクロウ氏の発言によれば、
アムネスティは、ドイツ、イギリス、オーストラリアでも、
決議採択の努力を行っていく(る)という。
世界各地の批判は、
今後もますます拡大していくということである。
なお、パク氏から、日本政府による
「決議を採択するな」というロビイングが、
「日米関係にヒビが入るという一種の脅迫」
であったことの紹介につづき、
そうした「脅迫」が有効である理由として、
「アメリカは世界に友人が少ないので
唯一の友人日本は貴重な存在なのだ」と語ったことも、
今日の世界構造理解に、重要なところとなっていた。
日本政府によるアメリカ第一主義の愚かさは、
アメリカ政府の愚かさとともに、
これらアメリカの市民運動家にとっても
良く見えているということである。
全体として、非常に聞き応えのあるシンポジウムであった。
主催者は、宝塚市議会、清瀬市議会の意見書採択を重視し、
また、国会における問題解決にむけた法律作成を重視して、
少なくとも大阪選出の国会議員には、今日の企画を案内したそう。
結果として、民主党と社民党からは、
現職国会議員の参加と発言があった。
他に、少なくない地方議員の紹介もあった。
こうした「一致点での共同」の広まりは大切である。
各政党と議員各人には、
柔軟な連帯への新たな挑戦の姿勢と、
それを具体的に示す行動の一層の習熟を期待したい。
参加は、560人。
「次は、9月の水曜集会であいましょう」。
たくさんの友人と言葉をかわし、
5時ちょうどには、会場を出る。
4人ほどで、近くの喫茶店に入り、
あれや、これやと感想を述べあう。
解散後、「天満橋」から、
JR「大阪天満宮」へとスタスタ歩く。
「この夏は歩く量をちょっと増やそう」作戦の実行である。
JR「大阪天満宮」から「尼崎」へ、
ここで、同行したS本さんとお別れし、
「チイチャイ電車」をながめる
新参・相方と合流する。
買い物をして、7時ちょうどには「加島」にもどり、
風呂で遊んで、夕食とする。
竹中元大臣方面の書籍を
まとめてガッシンと注文する。
9月後半には、グイッと読んでいく計画である。
8月3日は、9時起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
今日のパワポ内容を再点検する。
夕べの相談も反映させて、
強調点をいくつか確認。
10時すぎには、外に出る。
JR「加島」から「大阪天満宮」へ、
谷町線「南森町」から「天神橋筋6丁目」へ、
車中「パワポチェックの人」となって移動する。
会場は、大阪市立すまい情報センターである。
すでに多くの実行委員メンバーが集まり、
基本の設営を終えている。
京都のメンバーが持ってきてくれた
「慰安婦」問題のパネルである。
こちらは個々の被害者の「人生」に焦点をあてたもの。
椅子もならび、正面スクリーンに
「私たちに何ができるか」の文字が入る。
副題は「若者たちと考える『慰安婦』問題」。
パネリストとしての発言準備をしている4年生たち。
全員で弁当を食べ、
受付の準備も完璧である。
あとは、人が集まるのをただ待つだけ。
事前の参加確認は、
ほとんどまったくとっていない。
3年ゼミ生たちがやってきて、
さっそく、フロアーからの発言準備を行っていく。
1時ちょうどには、よびかけ人代表U野さんが
開会のあいさつを行う。
じつに無駄のない話であった。
こちらが40分間「学生と学ぶ『慰安婦』問題」をしゃべったあと、
「ナヌム家」・日本軍「慰安婦」歴史館研究員の
M山さんが話をする。
参加者は、次第、次第にふえていく。
最初の休憩時間の3年生たち。
しぶとく発言準備をしている姿もある。
再開後は、学生シンポジストの発言である。
まずは、甲南大学の学生・卒業生から。
訪韓の様子、学内での証言集会の様子が語られる。
つづいて、神戸女学院大学の学生たち。
学びの様子、訪韓、講演活動などが紹介される。
もちろん、しっかり、本の宣伝も行っていく。
2度目の休憩のあと、
フロアーから、たくさんの人の発言がある。
「被害者を招かなくても、こんな立派な集会ができるのか」
「もし、被害者がこの場にいれば、どんなに喜んでくれることか」。
教育の現場から、宝塚の市議会決議の経過、
これからのいくつかの取り組みの紹介と、
短時間に充実した発言がつづいていく。
パネリスト全員が2度目の発言を行い、
主催者から「私たちに何ができるか」の事例を示して、
終わりとする。
4時30分の終了後も、
たくさんの方との交流がつづく。
6時から、実行委員会の打ち上げである。
企画参加者は、合計136名。
大阪日々新聞、毎日新聞、大阪民主新報、赤旗
の記者も参加した。
集められたカンパ5万3120円は、
その場で、「ナヌムの家」に寄附される。
酔っぱらう前にと、全員が企画についての
評価や感想を語っていく。
「それぞれに努力する様々な団体が、
きもち良く互いに交流する良識を示した」
「それを可能とするところに、
個人が呼びかけ人となる企画の
特別に大切な意義があるかもしれない」。
9時には、2次会の場所へと移動。
新たな友人も得て、
遅くまで、楽しく、充実した時間をすごしていく。
11時30分のおひらきである。
1ケ月後には、韓国で再会するM山さんと、
かたい握手をかわしてお別れする。
遠いところを、おつかれさまでした。
JR「天満」から「京橋」へ、「加島」へ、
いい気分での帰宅となる。
家には、帰っていた新参が
スースー寝息を立てて、ころがっていた。
〔7月5日〕
7月5日は、6時起床の朝であった。
メールをチェックし、
特殊栄養ドリンクをクピリと流す。
ゴミを出して、7時20分には外に出る。
JR「加島」から「伊丹」へ、「大阪空港」へ、
予定の8時には、3年ゼミ生全員集合となっていく。
9時には「大阪空港」を出て、
10時30分の「羽田空港」到着である。
機内「多喜二の人」となっての移動であった。
ドォ~ンという着陸だったが、
となりに座ったO野さんは、
身動き一つせず、眠り続けていた。
「民主青年新聞」の若い記者W田さんと合流。
モノレールで「浜松町」へ、メトロで「日本橋」へ、「早稲田」へ、
ここでいったん解散し、
各自昼食をとることにする。
12時10分、早稲田つけめんをゾゾゾゾゾ。
あまりの辛さに、ダラダラ汗を流して、
記者さん撃沈となる。
1時には、「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)に到着。
久しぶりのスタッフみなさんにご挨拶をし、
各自500円分ずつ持ち寄ったお菓子を贈呈していく。
かきあつめられるお菓子の山。
毎日ボリボリ食べても、1週間はもちそうである。
フェリスの先生、学生さんとも合流し、
さっそく学習態勢に入っていく。
「1932年に、海軍陸戦隊が上海に」
「1937年には、南京大レイプが」
「『慰安所』、個別の強姦、地域ぐるみのマスレイプ、
『慰安所』がつくられなかった地域での強姦所など、
レイプには4つのタイプが」
「幼い頃のレイプで泌尿器が傷つき、
生涯おむつがはずせなくなった人もいる」
「漢口の積慶里はおそらく最大の『慰安所』街だった」
「戦後、対日『協力』者を裁いた漢奸裁判で被告とされる」
「被害者が戦後も迫害され、暴力を受けていく」
「アブグレイブ刑務所でも男性被害はTVになるが」
「夫の前でのレイプや家族の『名誉』を守るという『名誉殺人』の対象にも」
「状況理解にジェンダー視角は欠かせない」
1時間ほどの解説を受け、
あとは各自が学んでいく。
思い思いの学習である。
いくつかの資料や文献をリュックをつめて、
3時前になったところで、
こちらはWAMを後にする。
学生たちは、そのまま夜まで学習。
メトロ「早稲田」から「高田馬場」へ、JR「代々木」へ、
車中「メモ整理の人」となって移動し、
本づくりでお世話になっている出版社へ。
書籍編集部におじゃまするのははじめてである。
短いおしゃべりの後、
学生時代の友人と会うことになる。
予期せぬ状況の展開であった。
近くの大きなビルの1Fで、
30年ぶりの「再会」である。
「非正規雇用問題などでの若い世代の取り組みに対する
テレビ、新聞、雑誌のかなり熱心な連絡」
「マスコミの雇用構造が『非正規』だらけであることも」
「自分も現代の蟹工船の乗組員である、
だが、他方には、あの船員たちのように
酒を飲んで話し合うことができないもどかしさの共有もある」
「学習では身近な問題からはいることが大切、
体系に身近な問題を埋め込むのではなく」
「体系的な学びに自らいたる道をつくることに工夫がいる」
やあやあと握手してから、
あっという間の2時間だった。
なるほど、専門家には聞いてみるものである。
JR「代々木」から「新宿」へ、
車中「メモ整理の人」となって移動する。
地図を片手に居酒屋をさがし、
ミドリの帽子をかぶった4年ゼミEてぃと合流する。
6時半には、3年生もドヤドヤと集まり、
にぎやかに宴会の開始となる。
8時までの時間制限があり、
飲み食いは、一挙にすすんでいく。
聞けば、WAMにはその後も新たなグループの到来があり、
そちらとの交流も、多少あったらしい。
店を予約してくれたのは
東京在住の卒業生H野さん(2年前卒)であり、
わがゼミ2期生の卒業生I塚さんも顔を出してくれた。
8時すぎには一次会終了となり、
学生たちは「カラオケ」へ、「クラブ」へと、
元気一杯に繰り出していく。
チーム「ちょっと大人」は、
もっともしゃべろうと2次会へ。
「たった今まで学会に出ていた」と、
鍼灸師のタマゴHろも
「新大久保」から歩いてやってくる。
あれこれのおしゃべりは尽きるところがないのだが、
11時ちょうどの終了とする。
〔7月6日〕
7月6日は、8時すぎ起床の朝であった。
ヨーグルトと野菜ジュースの朝食をとり、
9時30分には、1Fロビーに集合となる。
それにしても、やたらと外国人の多いホテルであった。
タクシーに乗り込み、「九段下」へと移動する。
サミットのためだろうか、
あちこちにたくさんの警察官がいる。
10時すぎには、「しょうけい館」に到着し、
スタッフのみなさんにご挨拶。
記者W田さんとも、再合流。
さらに、今年もガイドをお願いしている
長谷川さんと合流する。
「この建物の3Fには傷痍軍人会がある」
今年はイヤホン初実験での解説であった。
「明治6年(1873年)に徴兵制が確立する」
「徴兵検査は20才の時」
「公娼制があったので、
性病罹患は重要な検査項目のひとつとされた」
「陸軍のデータでも戦病者の8~9%は精神病、
戦場はそのように人の精神を痛めつける」
学生たちは、たくさんのメモをとりながら、
展示をながめ、館内を歩く。
傷ついた軍人たちの戦後を描いた映像も見る。
「目をやられて、子どもの顔が見れなくなった」
「足をやられて正座ができなくなり、
いつもあぐらをかくのを『横着者』といわれ
人づきあいができなくなった」
「いまも戦場で傷つき一晩を一人ですごした
あの夜の恐怖が忘れられない」
1Fには、傷痍軍人・水木しげる氏のコーナーもある。
「目玉のオヤジのヒントは戦傷病者の義眼、
妖怪の世界に描かれるジャングルは戦時の南方の様子だと思う」
長谷川さんが語られる。
11時30分には、「しょうけい館」に荷物をおかせていただき、
九段会館(旧軍人会館)へ移動する。
屋上に移設された護国神社だが、
これは靖国に何かがあった場合にそなえる別宮だとのこと。
靖国の大鳥居をくぐる前にも、
歴史を示す史料がたくさんある。
こちらは薩摩出身の大山巌像。
日露戦争では、満州軍総司令官であった人物である。
暑いので、木陰をえらびながら靖国へ。
まずは境内をジックリながめていく。
一対の狛犬の奥にある石獅子。
『靖国神社誌』(1911年)には
「明治27、8年役の戦利品なり」と明記されている。
日清戦争のことである。
去年は「晋ちゃん饅頭」が人気だった
お土産屋さんだが、
今年はこんな具合である。
「やっくんのねじれ餅」よりも、
(ねじれ国会にかけているなら何とも見事なネーミング)
麻生太郎氏の「男前揚げ」や「太郎ちゃんの暴れ 明太子せんべい」
に力が入っている様子。
靖国政策の相違がなせるワザであろう。
店の横では、軍服のオトウサンが、
こんな展示のテーブルを出していた。
「長野を聖火が走った日には、
このへんのウヨクは人っ子一人いなくなった」
長谷川さんが、当日の様子を教えてくれる。
富国徴兵保険相互会社が贈呈した大燈籠。
兵士の「勇敢な闘い」を描いたリレーフは、
47年2月にいったんコンクリートで塗り固められるが、
57年4月にははがされている。
徴兵保険は、男子15才まで保険料を払っておれば、
徴兵と同時に1000円(そのころのサラリーマンの年収)が
受け取れるものであったらしい。
第一徴兵保険会社(戦後の東邦生命)が
1934年に奉納した神門である。
材料は良質の台湾檜。
正面から見た拝殿である。
何人もの方が、拝んでおられる。
この1つ奥に本殿があり、
さらにその奥に霊璽簿奉安殿がある。
天皇・皇后の休憩所である「齋館」の前で、
「天皇による参拝は行われていないが、
勅使による参拝がこのように」
と、長谷川さんが写真を示してくれる。
映画「靖国」であらためて注目を集めた「靖国刀」だが、
ここに1932年に設置された「行雲亭」があった。
日本刀鍛練会の鍛練所であり、
終戦までに8100口の日本刀を製作したという。
戦没者の魂をまねく儀式を行った
招魂斎庭の跡である。
現在は、多くが月4万円の駐車場に姿をかえ、
靖国の重要な収益源に場所をゆずっている。
2005年に建立されたパール博士顕彰碑。
同氏は、東京裁判での被告28名の
「全員無罪」を主張したことで良く知られる。
とはいえ、博士は裁判の手続きに意義を唱えはしたが、
戦争犯罪がなかったことを主張したわけではない。
もともとは97年、京都霊山護国神社に、
元大本営陸軍参謀・瀬島龍三氏を代表とする
陸士出身の経済人たちがつくったもの。
この碑には英訳がなく、
靖国が配布している英訳つきの「やすくに大百科」には
碑があることの紹介もない。
軍犬慰霊像には、この日は、ドッグフードがそなえられていた。
遊就館の中に入る。
入口にあるのは「ゼロ戦」だが、
これが「ゼロ」という敵性語で呼ばれるようになったのは
もちろん戦後のことである。
1時をすぎて、ようやく昼食。
海軍カレーと海軍コーヒー。
「肉じゃが味のカレーですね」
学生たちの感想だが、
戦時中の軍人食が「うまい」わけはないのである。
30分ほど休んで、館内の展示をながめていく。
展示は撮影禁止であるから、
こちらで、わずかばかりを体感されたし。
映像「私たちは忘れない」を10分ほどながめる。
これは、いまは YOU TUBE に全体がアップされている。
「『北清事変』の歴史的意義をキチンと学んでほしい」
「日露戦争後のポーツマス条約で、
日本は朝鮮への『指導権』を獲得した」
「38式歩兵銃で最後まで闘った、
日本には自動小銃がなかった」
「日本の木造家屋を焼失させる焼夷弾が工夫された、
アタマの重りで屋根の瓦を砕くようになっている」
「これの開発にあたったのがカーチス・ルメイだが、
戦後、航空自衛隊への指導の功績を理由に、
ルメイには勲一等旭日大綬章が授与された」
「アメリカは1945年11月に
九州上陸をはたすオリンピック作戦、
46年3月に関東上陸する
コロネット作戦をすでに立てていた」
「毒ガスやイネを枯らすための枯葉剤も用意していたが、
枯葉剤はベトナム戦争で使用されることになっていった」
「8月15日がなければ、日本全土が沖縄以上の悲惨
を味わっただろう」
「アメリカは、目的の周辺でも爆発するVT信管を開発し、
特攻機の多くが打ち落とされた」
「戦後、昭和天皇は各地を巡幸するが、
1947年6月には兵庫県にもいっている」
(6月12日に神戸女学院を訪れている)
たくさんのお土産もならんでいるが、
この場所ならではのものがたくさんある。
自衛隊の饅頭には、1つ1つに
日の丸や旭日旗、戦闘機、戦車、軍艦の絵があった。
日の丸は、食っていいのか、うまいのか。
5時ちょうどには、靖国を後にし、
コインロッカーを使わせていただいた「しょうけい館」にもどっていく。
歩き詰めの1日である。
最後に、ご自身の父上の話まで紹介していただいた長谷川さんに、
ゼミ生代表が、お礼の言葉を述べていく。
最後の記念の1枚である。
長谷川さん、記者のW田さんとは、ここでお別れ。
今年も多角的充実の学習ツアーとなった。
長谷川さん、ありがとうございました。
W田さん、いい記事を書いてください。
一路「羽田空港」へ。
搭乗口集合までは、自由とする。
レストランがどこも一杯なので、
こちらは、空弁を待合室で食べていく。
目の前の滑走路を、
にぎやかなピカチュウ飛行機が移動する。
みんなが集まったところで
今後のゼミについて相談をする。
「明日のゼミは休みとする」
(ワー、キャー)
「ただし、次回のゼミでは、①今回特に印象的に思えた事実、
②それを印象的に感じた理由を、各自15分で発表のこと」
(「やっぱりドSや、ドS」、「また尋問やで『それで? 根拠は?』」……)。
まったく、最後まで、良くクチの動くメンバーである。
7時20分には、飛行機に乗り込む。
機内「多喜二の人」となっての移動である。
8時50分の「大阪空港」到着。
前の飛行機がトリと接触し、
離陸がずいぶん遅れていく。
しかし、横にすわったT越さんは、
それら一切に気付くことなく爆睡していた。
「大阪空港」でのシメの儀式。
こちらは、9時40分の帰宅であった。
点線以下、知人からのメールの一部。
反対したのは自民党だけ。
08年3月の「安倍発言」時に、「河野談話」の「見直し」を否定しなかった公明党もここでは賛成にまわったようす。
それほどにこの問題での日本政府の立場は、内外での孤立を深めているということ。
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東京・清瀬市議会で6月25日、市民団体「清瀬子どもと教育ネット」が提出した「従軍慰安婦」問題についての意見書提出を求める陳情が採択され、「従軍慰安婦」問題について政府の誠実な対応を求める意見書が可決されました。
知り合いの議員に聞いたところ、公明党に熱心な議員がいて賛成してくれたので自民党が反対しても可決されたということです。
7月1日付の赤旗「首都圏版」に記事が掲載されています。
清瀬市議会の会派構成は、次のとおりです
清瀬自民クラブ 8
日本共産党 5
公明党 4
風 4
自由民権 1
計 22
意見書の全文は下記の通り。
■「従軍慰安婦」問題について政府の誠実な対応を求める意見書
昨年7月以来現在までの間に、アメリカ、オランダ、カナダ、EU,フィリピンなどの議会において、「従軍慰安婦」問題につき日本政府の公式の承認と謝罪、賠償、歴史教育などを求める決議が採択されました。
さらには5月の国連人権理事会で、フランス、オランダ、韓国、北朝鮮などの諸国が「従軍慰安婦」問題で日本政府に前向きな対応をとるように求めました。
しかし、日本政府は未だに「従軍慰安婦」問題の真相を究明する誠意を欠き、被害にあった女性たちに対し公式の謝罪もせず、充分な賠償も全く棚上げにしたまま、教科書からその記述を消し去り、責任ある対応をしていません。その恥ずべき態度には国内外でひろく批判の声があがっております。
政府においては、平成5年の河野洋平官房長官の談話などと矛盾しないように、さらに「従軍慰安婦」問題のお真相究明を行い、陳謝し、賠償責任を果たし、学校で教えることで、各国の被害者の尊厳回復に努め、誠実な対応をされることを強く求めるものであります。
以上、地方自治法代99条の規定により、意見書を提出します。
平成20年6月25日 清瀬市議会
林博文氏(関東学院大学教授)のHPをながめていて、次の新聞記事が紹介されていることに気づく。
リンクして、紹介させていただきます。
なお、同HPによると、この記事は「東京」ではまったく報道されなかったという。
根深い「菊タブー」ということだろうか。
「御真影」など焼却命令/旧海軍、戦争責任を意識か/英公文書館で暗号解読文書(2008.4.4 共同配信記事 2008.4.5 各紙に掲載)
一九四五年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。関東学院大の林博史(はやし・ひろふみ)教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。
研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。
重要文書類の焼却は、四五年八月十四日の閣議決定などを受け、連合国軍進駐までの約二週間に、政府や旧軍が組織的に実施。研究者らは、焼却は戦犯訴追回避が目的で、御真影などの焼却も、天皇と軍の密接な関係を可能な限り隠し、天皇の責任が追及されるのを避けようとした可能性もあると指摘している。
今回発見されたのは、四五年八月十六日から二十二日までの間に、東南アジアや中国などで連合国側に傍受された通達で、計三十五の関連文書のうち天皇関係は四文書。
同十七日の第二三特別根拠地隊司令官名の命令は「すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ」と指示。第十方面艦隊司令長官は翌十八日に御真影、紋章などを神聖なものとして「最大限の敬意を払い、箱に安置」するよう指示し、敵に渡る恐れがある場合は処分を命じた。さらに、二十一日のスラバヤ第二一通信隊の命令は「御真影は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に報告せよ」と、焼却を具体的に指示した。
ほかの焼却命令は、暗号帳や軍艦に関する文書、個人の日記などを細かく指定し、今後の「外交関係に不利となる恐れ」のある文書はすべて焼却するよう繰り返し指示していた。(ロンドン共同)
英公文書の要旨
旧日本海軍の暗号による文書焼却命令を解読して作成された英公文書の要旨は次の通り。
▽一九四五年八月十六日、第一七警備隊より
一、ポツダム会談の××(判読不明)、帝国は以下の手順で機密文書を処分することになった。
一、現在使用中の暗号帳、機密文書を除き、すべてを完全に焼却せよ。作戦終了後、残りも完全に焼却せよ。命令了解後、この通達も焼却せよ。
▽同、大本営海軍部第三部長より(海軍)学校長あて
一、捕虜や尋問に関する全文書は、敵に口実を与えないように、この通達とともにただちに確実に処分せよ。
▽同十七日、海軍より第九特別根拠地隊あて
一、軍艦旗、機密に関する本、資料、帳面、日記といった作戦の目的を敵に知らせる恐れがあるものはすべて即刻焼却せよ。この電文を内容理解後すぐに焼却せよ。
▽同、第二三特別根拠地隊司令官より同隊分遣隊などあて
一、すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ。
▽同十八日、クパン分遣隊第六警備隊より
一、わが国の外交関係に悪影響を与える恐れのあるすべての暗号通信文や文書を焼却し、その旨を報告せよ。
▽同、第十方面艦隊司令長官より同艦隊などあて
一、天皇陛下の御真影、勅命、紋章などは最大限の敬意を払い、箱の中に安置せよ。敵の手に渡る恐れがある場合は処分せよ。
▽同二十一日、スラバヤ第二一通信隊より第六警備隊などあて
一、天皇の御真影と××(判読不能)は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に電報で報告せよ。 (ロンドン共同)
原史料なく重要な発見
一橋大大学院の吉田裕(よしだ・ゆたか)教授(近現代史)の話
今回の英公文書から、旧海軍が一九四五年八月の段階で、天皇の戦争責任の訴追回避をかなり意識していたのは確かだと思う。焼却命令で、天皇の御真影や紋章などに言及した日本語の原史料は残っておらず、今回の発見は重要だ。
政府は敗戦で、開戦責任まで問われることは理解していた。焼却で天皇と軍の結び付きを弱く見せようとした可能性もある。連合国側が御真影などを入手した場合の日本軍将兵らへの衝撃などを恐れたとも考えられる。
政府や旧軍の焼却命令は関係者の回想などでは残るが、原文は陸軍関係が若干確認されただけだ。旧海軍の焼却の実態解明は最も遅れている。
この徹底焼却のため、日本の指導部を裁く東京裁判は証人に依存した裁判となった。対照的にドイツのニュルンベルク裁判は連合国側が押さえた証拠書類に基づく裁判と言われる。(ロンドン共同)
敗戦確定直後、旧海軍が日本人「慰安婦」を看護婦として雇用するよう命じた通達が明らかになった。
「共同通信」は「解説」の中で、「新たな立法措置」の必要を述べており、「琉球新報」は「恥ずべき旧軍の事実隠ぺい」を社説で批判した。
共同通信 2008.6.19配信 6.20 各紙朝刊掲載(中国新聞、6月19日他)
敗戦後、慰安婦を看護婦に/旧軍の命令、文書で初確認/「特別な関係」の事実補強
第二次大戦での日本の敗戦決定直後、旧海軍が日本人慰安婦を
従軍慰安婦問題では、政府の謝罪や補償の根拠となる当局の関与の
慰安婦を看護婦としたことは元兵士らの証言や、オーストラリア人
英公文書によると、東南アジア方面に派遣された第一南遣艦隊司令
また、同二十日付の「第八通信隊」から海軍民政部の全責任者に出
林教授ら研究者によると、軍が慰安婦を看護婦として雇用した理由
解説--〝慰安婦隠し〟が狙いか/法的責任認めぬ日本政府
第二次大戦時の慰安婦らを敗戦直後に補助的な看護婦として雇用す
従軍慰安婦問題では、韓国などの元慰安婦らは今も
国連人権委員会は一九九六年、元慰安婦への賠償を勧告したほか
今も〝慰安婦隠し〟を続けているという国際的な批判を避けるため
ある高齢のオランダ人元慰安婦は昨年十一月、国際人権団体がロン
識者談話-軍属待遇との見方を補強/中央大学の吉見義明(よしみ・よしあき)教授(日本現代史)の話
慰安婦の身分は、純粋な民間人でも軍が雇用する軍属でもなく
これまでの史料で、軍が慰安所を建設し、慰安所規則も作成
また、慰安婦を看護業務にあたらせたという元日本兵の証言なども
慰安婦の存在については「慰安所」という遠回しな表現からも
英公文書の要旨
英公文書の要旨は次の通り。
▽一九四五年八月十八日、第一南遣艦隊司令長官からサイゴン第一
一、シンガポールの海軍「慰安施設」に関して、日本人従業員は海
▽同二十日、第八通信隊から(海軍)民政部の全責任者あて
一、全地区の日本女性を地方病院(第一〇二病院または民政部病院
(共同)
従軍慰安婦問題
従軍慰安婦問題 第2次大戦中、朝鮮半島や中国などの女性が
「従軍慰安婦 はずべき旧軍の事実隠ぺい」(琉球新報、2008年6月21日・社説)
またも旧日本軍の犯罪の一端が明らかになった。戦後補償の焦点ともなっている従軍慰安婦問題で、旧軍が敗戦直後に、日本人慰安婦を看護婦に雇用するよう通達していた。
従軍慰安婦問題を隠ぺいする姑息(こそく)な工作である。一事が万事。この際、国には慰安婦問題に関する旧軍犯罪の徹底調査を求めたい。
従軍慰安婦問題では、第2次大戦中、戦地の慰安所で日本軍に性的被害を受けた朝鮮半島や中国などの女性たちが、日本政府に謝罪や賠償を求め続けている。
政府は1993年に官房長官談話の形で「おわびと反省」を表明し、95年には「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)を発足させている。
しかし、民間募金を「償い金」とする方法に、元慰安婦らは反発している。民間募金では、日本政府の正式な謝罪と受け取れないというのが理由だ。
加えて、1人当たり200万円という補償額を受け取るために、従軍慰安婦として名乗り出る社会的デメリットもある。実際、償い金を受け取った元慰安婦は90人余にとどまったまま、事業は2002年に終了している。
実態解明も不十分なまま、口先だけの謝罪では、性的奴隷とされた元慰安婦たちの傷は癒やされない。だからこそ元慰安婦たちは現在に至るまで日本政府に対する公式謝罪と損害賠償請求を繰り返し提訴している。
これに対し最高裁は昨年、「日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄された」との判断を示し、慰安婦の請求権を否定している。
従軍慰安婦問題では、政府の謝罪や補償の根拠となる当局の関与の度合いが常に問題になってきた。
今回見つかった英公文書で、旧軍が日本人慰安婦を軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達電文(1945年8月18日)の存在が明らかになった。
軍が戦中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な資料とされる。
しかも、内容から旧軍が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性も指摘されている。
通達電文は「完全に理解した後、焼却」との指示も明示している。
「慰安婦隠し」で、犯罪を隠ぺいする重犯行為ともいえる。
戦後60年余を過ぎてなお慰安婦問題で謝罪も賠償も不十分な日本政府に国連人権委員会や欧米議会から非難決議が続いている。
旧軍による慰安所建設や慰安所規則、利用日指定、性病検査の実施の事実は、すでに判明している。政府がすべきは旧軍の犯罪隠ぺいをほう助し、責任逃れをすることではない。国民が求めているのは旧軍犯罪の徹底調査と告発であり、被害者への謝罪と補償である。
何度か話題にした、本学の奉安殿(戦時中に御真影と教育勅語を収めた建物)と昭和天皇来院の件である。
『神戸女学院百年史・総説』(1976年)によると、中庭につくられた奉安殿は、このような形のものであった(222ページ)。
この写真でみると、先日ブログに紹介した場所は、少しズレていたようである。
より正確には、このあたりということになるらしい。
中庭に無造作におかれたこれは、観音開きの扉の上の部分と見える。
『百年史・総論』によると、奉安伝がつくられたのは1937年である。
完成後、10月7日・8日に文部省の「視学官」による視察があり、次の2つのクレームがついたとある。
①屋根が低く、周囲の建物に見下ろされる形になっている。
②学院の設立趣意書にキリスト教主義教育より教育勅語を優先して打ち出すべし。
①については兵庫県が認めたのだからと、そのまま許されたという記述があるが、②への対応がどうであったかについての記述はない(以上222~223ページ)。
1937年12月18日、御真影が県庁より「授与」される。
「学院では職員・生徒一同正門から総務館に至る沿道に整列し御真影の到着を厳粛に迎え、その後奉戴式が行われた」(同223ページ)。
デフォレスト院長(当時)は、自伝の中でその頃のことを次のように書いているという。
こちらは『神戸女学院百年史・各論』(1981年)の武田清子氏の文章による。
「御真影を納めて初めての夜、私が院長室で寝てその番を致しました。
あとは部長やら男の先生たちに順番に事務所に寝ていただきました。
気にかかったのは学校に対し悪感情を持つ人があれば、奉安殿を開き御真影を盗んで逃げられるのが学校を何より傷つける復しゅうの仕方だということでした」(393ページ)。
ミッション・スクールが戦時を生きのびることには、様々な苦労があったわけである。
他方、戦後の昭和天皇来院の件についても、『総論』に写真と記述があった。
上の写真の中央が、本学を訪れた天皇である。両側に銃を構えて護衛する米兵たちの姿がある。
昭和天皇は、1946年1月1日にいわゆる「人間宣言」を行い、2月から各地の「巡幸」を開始する。
兵庫へは6月11~13日が予定され、「畠中院長(当時)は、この巡幸の途中天皇の昼食の場所として女学院の院長室を提供する話をすすめた」。
そして「6月12日午前11時45分、進駐軍のM・Pに先導された天皇の軍隊がキャンパスに着いた。」
「天皇は院長室で昼食をとり、畠中院長、デフォレスト名誉院長とも会い、中庭で学生の歌う賛美歌『祖国』を聞いた。」
「これに聞きいる天皇の目には光るものがあった。」
「侍従にうながされて天皇はやっと藤棚へと歩を移し、ここで高等女学部のマスゲームを見、1時40分車で岡田山を降りていった。」
「その天皇の車の前後は、多くのジープやトラックに分乗して銃をかまえ肩ををいからせた米兵にかこまれていた」。
本学の院長がどういう意図をもって、天皇との昼食の機会をもったかについては記述がないが、総じて当日の様子がよくわかる文章である。
ところが、同じ段落の最後にあたる、以下の箇所は一転意味がとれないものとなっている。
「正門近くの溝に立って見送っていた一学生はこみ上げてくる腹立たしさを感じ、それまでの『天皇は戦争の責任の故にいさぎよく退位すべきだ』という持論を放棄した。」
「戦後の天皇巡幸は軍国主義日本の主権者の変身の場であった」(以上277~278ページ)。
「一学生」は一体誰に(あるいは何に)「腹立たしさを感じ」、それまでの「持論」を「放棄」してどのような見解を持つにいたったのか。
それがまったくわからない。「主権者の変身」についても同様である。
アジア女性基金を推進された和田氏の文章である。
基金の活動の全容がデジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」にアップされていることを紹介しながら、そこで何を行うことができ、何が課題として残されたかを、もう一度考えてほしいとなっている。
解散(2007年3月)にあたって、同基金は外務大臣(麻生太郎氏)宛の「申し入れ書」を提出したが、そこにも決して小さくない今後への課題が示されている。
必要なことは、そうした課題の達成に向け、過去の取り組みに対する立場・意見の相違を乗り越えて、多くの人が手をつなでいくことなのだろう。
アジア女性基金がのこしたもの:慰安婦問題のデジタル記念館設立=和田春樹(毎日新聞、6月3日)
◇批判的検討の願いこめて
昨年三月、アジア女性基金が解散してから、はや一年が経過した。基金が解散されたのは、政府と基金がともに、慰安婦被害者のための事業は可能なかぎり行った、これ以上は実施できないと判断したためである。
実のところは、基金は中国、東ティモール、北朝鮮の被害者に対してはいかなる事業も行いえなかった。事業を実施した韓国でも、ハルモニたちが基金からうけとったことが政府と世論によって公認されないままである。日本大使館の前では毎週水曜日、ハルモニたちをふくめた慰安婦問題の解決を求めるデモが今日もつづいている。つまり、基金は解散したが、慰安婦問題はなお解決していない。終わったのはアジア女性基金の時代である。
アジア女性基金は解散のあとにデジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」を恒久的な施設としてのこした。インターネット上のヴァーチャル・ミュージアム(www.awf.or.jp)である。政府は平成一八年度予算からこの記念館設立のために四五〇万円を提供し、あとは制作スタッフの無償の奉仕で完成した。日本の戦争がアジアの人々にもたらした被害と苦痛、それに対する日本政府の謝罪、そして国民的な償いの努力に関する最初のナショナル・ミュージアムであると言っていい。展示は日本語でも英語でも見られる。
玄関ホールには村山談話が掲げられている。第一室では日本政府とアジア女性基金が慰安婦問題についてどのような認識に到達したかが示されている。慰安所はどうしてつくられたのか、慰安婦はどのようにして集められたのか、慰安婦の数、慰安所での生活が説明され、各国別の状況が述べられている。
第二室と第三室では、アジア女性基金はどのようにして生まれ、事業をし、どのような結果をのこしたかを説明している。各国別にも事業が説明されている。基金をうけとった金田君子さん、ロサ・ヘンソンさんが自らの体験を語り、願いを述べているセクションもある。彼女たちの文章を読み、ビデオを見ることができる。基金に関(かか)わった政治家、官僚、基金メンバー、外国支援者のオーラルヒストリーも収録されている。とくにオランダとフィリピンの活動家の話は胸を打つ。第四室は基金ではない道の模索のあとを示している。国連機関で作成された報告、慰安婦裁判での訴状と判決文、慰安婦補償に関する立法案、国会審議の議事録を集めている。
最後に文書庫がある。慰安婦関連資料集全五巻がここで閲覧できる。それとともに、基金活動の基本文書、フィリピン、オランダ、インドネシアと交換した覚書、三国が作成したアジア女性基金事業報告書などが公表されている。さらに基金の九八回の理事会の議事録、附属資料が一二年間の新聞切り抜きとともに公開されている。アジア女性基金の出版物も全点がここで読める。活動のビデオも三〇分もの一本が見られる。
アジア女性基金は一二年間に事業実施経費だけで国費三五億円を使った事業である。事業の内容に対する批判も強かった。だからこそ、関係資料を最大限公開して、これを内外の批判的検討に委ねるのが記念館にこめた願いである。アジア女性基金はどこまでやって、どこに問題があったのか、のこされていることは何なのか、それを解決するにはどうすべきか、デジタル記念館を訪れて、展示と資料をみて、もう一度考えていただきたい。(わだ・はるき=元アジア女性基金専務理事、東大名誉教授)
国連人権理事会が、加盟192ケ国の人権状況を4年で審査していく「普遍的定期審査」の一環として、日本の人権保護状況を議論した。
42ケ国が発言し、死刑制度と「慰安婦」問題に議論は集中した様子。
従軍慰安婦問題への対処要請=国連人権理の対日審査で-北朝鮮など(時事通信、5月10日)
【ジュネーブ9日時事】国連人権理事会は9日、日本の人権保護状況を検証する作業部会を開いた。会合では、北朝鮮、韓国、フランス、オランダが旧日本軍による戦時中の従軍慰安婦の問題を提起し、日本政府に誠実な対応を求めた。
これに対し日本政府は、「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、2007年に解散)を通じて元慰安婦への支援を行ったことなどを説明、理解を求めた。
国連人権理事会:死刑執行停止を日本に求める(毎日新聞、5月10日)
【ジュネーブ澤田克己】国連人権理事会は9日、国連欧州本部で日本の人権状況を審査した。英仏など欧州諸国は日本が死刑制度を存続させていることを批判。10カ国以上が、昨年12月に国連総会で採択された死刑執行停止決議を受け入れるよう日本に求めた。また韓国と北朝鮮、オランダ、フランスの4カ国は、従軍慰安婦問題で日本政府が前向きな対応を取るよう求めた。
審査は国連加盟国すべてを対象に人権状況を調べる「普遍的審査」で、日本が対象になるのは初めて。
死刑制度への批判に対し日本は「死刑制度は日本では世論の支持を受けている」などと反論した。従軍慰安婦問題では、政府としても謝罪をしているという従来の立場を強調した。
国連の人権審査、日本の死刑増加に懸念表明相次ぐ(読売新聞、5月10日)
【ジュネーブ=大内佐紀】国連人権理事会で9日、日本を対象とする「普遍的定期審査(UPR)」が開かれ、死刑制度、従軍慰安婦問題などが人権侵害にあたるのではないかとの指摘が各国から相次いだ。
UPRは、国連人権理事会が国連全192加盟国の人権状況を4年をかけて審査するという新しい制度で、今春から導入された。
対日審査では42か国が発言を求め、特に欧州諸国から「最近、死刑執行が増加していることに強い懸念を覚える。死刑は非人道的だ」(ルクセンブルク代表)など、死刑制度の廃止を迫る声が相次いだ。
従軍慰安婦問題については、北朝鮮、フランス、オランダ、韓国の4か国が、日本政府の対応が補償などの面で不十分だと批判した。中国は、日本の戦時中の問題には一切、言及しなかった。
9条世界会議が、予想超える人数を集めて開始された。
会場に入りきれなかったみなさんには、お気の毒だが、しかし、じつに心強い動きである。
こちらは「9条世界会議・関西」に、「慰安婦」問題のブースを出す。
5月6日(火)のことである。
ご来場のみなさんは、ぜひ一言、お声かけを。
「9条世界会議」開幕 市民続々、約3千人会場に入れず(朝日新聞、5月4日)
作家の井上ひさしさんらが呼びかけ人となった「9条世界会議」が4日、千葉市の幕張メッセで始まった。憲法9条の意義や核兵器撤廃などについて議論する。9条を守ろうという趣旨に賛同する市民らが主催者の予想を超えて各地から集まり、主催者によると、3千人以上が会場に入りきれない事態になった。
この日は、9条にエールを送る海外ゲストの発言が相次いだ。76年にノーベル平和賞を受賞した北アイルランドのマイレッド・マグワイアさんは「9条を放棄しようとする動きが日本にあることを憂慮している」と述べた。
約1万2千人が入れる会場からあふれた人たちは近くの広場で、講演を終えたアメリカの平和活動家コーラ・ワイスさんらを囲んで、集会を開いた。バス2台で福島県郡山市から来た星光行さん(57)は「会場に入れなかったのは残念だが、ゴールデンウイークのさなかに9条のためにこれだけ人が集まったことに感動した」と話していた。
会議は5日に分科会などを開き、6日に閉会する。
「9条は希望与え続けた」 平和憲法を考える世界会議(東京新聞、5月4日)
戦争放棄をうたった日本の憲法9条の意義を話し合おうと、非政府組織(NGO)の「ピースボート」などが4日、「9条世界会議」を千葉市の幕張メッセで開き、主催者発表で約1万2000人が参加した。
基調講演した英国北アイルランドの平和運動家で、1976年にノーベル平和賞を受賞したメイリアド・マクガイアさんは「9条は60年間にわたって世界の人々に希望を与え続けた」と評価。「北アイルランド紛争で、私たちは武力なしで平和をつくることが可能だと実践した」と非暴力の重要性を説いた。
一方で「9条をないがしろにすることは、広島、長崎の被爆者への侮辱でもある」と憲法改正の動きを批判した。
スイスに本部がある平和団体「国際平和ビューロー」元会長のコーラ・ワイスさんは、中米のコスタリカにも常備軍の保有を禁止する憲法があることなどを報告。「日本が“自衛”を拡大解釈すれば平和な国際社会はつくれない」と訴えた。(共同)
9条世界会議:千葉で開幕 1万人が「不戦の精神」考える(毎日新聞、5月4日)
憲法9条の「戦争放棄」の理念を世界に発信しようというイベント「9条世界会議」(主催・同会議日本実行委)が4日、千葉市美浜区の幕張メッセで始まった。6日までの3日間「世界の紛争と非暴力」「アジアの中の9条」などの分科会を開催、憲法にうたわれた不戦の精神について意見交換する。
初日の全体会は約1万人(主催者発表)が参加。ノーベル平和賞受賞者による講演や加藤登紀子さんらのコンサートに聴き入った。同賞受賞者の元ケニア副環境相、ワンガリ・マータイさん(68)はビデオメッセージで登場。スクリーンを通じ「世界は9条という夢、ビジョンを実現すべきだ。9条は人類全体が賛同すべきものだ」と訴えた。
第二次大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の一員として憲法起草にかかわった米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさん(84)は当時のエピソードを披露したうえで「戦争放棄という9条の精神は、さまざまな国のモデルになると思う」と話した。【柳澤一男】
読売新聞の世論調査で、改憲「反対」43.1%が、改憲「賛成」42.5%を上回った。
同調査によると、これは1993年以降、なんと初めてのことだという。
読売の社説は、こうした変化の原因を「憲法論議の沈滞」にあるとしている。
しかし、「沈滞」しているのは「憲法論議」ではなく「改憲論議」だろう。
そして「改憲論議」の「沈滞」を招いたのは「護憲論議」の拡大である。
それは「新憲法制定議員同盟」が、2年つづけて総会で「9条の会」を名指しし、敵視していることにもあらわれている。
私たちは、草の根の護憲運動の力を過小評価すべきでない。
この逆転を安定したものに育て上げ、さらに「憲法どおりの日本をつくる」取り組みへと、取り組みの中身を大きく飛躍させたいものだ。
憲法改正「反対」43%、「賛成」を上回る…読売世論調査(読売新聞、4月8日)
読売新聞社が実施した憲法に関する全国世論調査(面接方式)によると、今の憲法を改正する方がよいと思う人は42・5%、改正しない方がよいと思う人は43・1%で、わずかながら非改正派が改正派を上回った。
ただ、各政党が憲法議論をさらに活発化させるべきだと思う人は71%に上り、改めたり加えたりした方が良いと思う条文を挙げた人も7割を超えた。施行61年を迎える憲法に、時代にそぐわない部分が増えているとの認識は根強いようだ。
調査は3月15、16日に年間連続調査「日本人」の一環として行った。
1981年から実施している「憲法」世論調査では93年以降、一貫して改正派が非改正派を上回っていた。しかし、今回は改正派が昨年より3・7ポイント減る一方、非改正派が4・0ポイント増え、これが逆転した。憲法改正に強い意欲を示した安倍前首相の突然の退陣や、ねじれ国会での政治の停滞へのいらだちなどが影響したと見られる。
改正派にその理由を複数回答で聞いたところ、「国際貢献など今の憲法では対応できない新たな問題が生じているから」の45%が最も多かった。非改正派では「世界に誇る平和憲法だから」が53%で最多だった。
憲法で関心のある点(複数回答)では「戦争放棄、自衛隊の問題」が47%で7年連続で最多となった。昨年との比較では「裁判の問題」が20%(昨年15%)に増え、裁判員制度への関心の高まりをうかがわせた。
改めたり加えたりした方がよいと思う憲法の条文(複数回答)としては、〈1〉自衛のための軍隊保持27%〈2〉良好な環境で生活する権利25%〈3〉国と地方の役割22%――を挙げた人が多く、「特にない」は24%だった。
自衛隊の海外派遣全般に関する原則を定める恒久法を必要と思う人は46%で、「そうは思わない」42%を上回った。9条を今後どうするかについては「これまで通り、解釈や運用で対応する」36%、「解釈や運用で対応するのは限界なので、改正する」31%、「厳密に守り、解釈や運用では対応しない」24%となった。
社説 憲法世論調査 改正論を冷やす政治の混迷(読売新聞、4月8日)
日本政治の混迷が、憲法改正の世論を冷やしているのだろう。
読売新聞の世論調査で、憲法を「改正する方がよい」と思う改正派が42・5%へ減少した。「改正しない方がよい」という非改正派は、43・1%になった。
1993年調査以来、改正派が非改正派を常に上回ってきた。わずかな差だが、今回逆転した。改正派は、4年連続の減少だ。
最大の要因は、国会や各政党の憲法論議の沈滞にあるだろう。
昨年5月、憲法改正手続きを定めた国民投票法が成立した。だが、それに基づき設置された憲法審査会が、いまだ始動していない。
憲法改正に積極姿勢をみせていた安倍前首相が、昨夏の参院選での自民党惨敗のあと、突然辞任した。後継の福田首相は、打って変わって、憲法改正問題には、ほとんど触れなくなった。
今回、自民党支持層のうち改正派は47%と、98年以降では初めて、5割を切った。衆参ねじれ国会の下、憲法改正論議の進展は困難、という判断と、憲法改正への首相のメッセージの乏しさが、影響しているのではないか。
民主党は、参院選を前に、与党との対決色を出す思惑から、国民投票法に反対した。党内にある憲法改正慎重論や、「護憲」を掲げる社民党との選挙協力などへの配慮もあった。
民主党支持層の改正派は、2005年には67%に達し、自民党支持層の64%を上回っていた。それが今回は41%に減った。
憲法改正問題に正面から取り組もうとしない民主党の姿勢が、支持層の改正派減少をもたらす一因になっていないか。
先の臨時国会では、インド洋での海上自衛隊の給油活動再開や、自衛隊の国際貢献のあり方が焦点になった。だが、前防衛次官の汚職事件や、海自の燃料の対イラク作戦転用問題などが重なり、憲法論議は深まらなかった。
今回、こうした自衛隊の海外派遣についてのルールを定める「恒久法」についての質問では、「必要だと思う」が46%で、「思わない」42%を上回っている。
「国際貢献など今の憲法では対応できない新たな問題が生じているから」――。改正派があげた改正理由のトップは、これまでと変わっていない。これから憲法論議を「活発化させるべきだ」と思う人も、7割にのぼる。
安全保障や環境問題など、さまざまな観点から憲法を議論しあうことが求められている。
「年間連続調査・日本人(4)憲法」2008年3月調査(面接方式)(読売新聞、4月8日)
▽調査日:2008年3月15-16日
対象者:全国有権者3,000人(250地点、層化二段無作為抽出法)
方法:個別訪問面接聴取法、回収:1,786人(59.5%)*
Q18(36;37 )日本の憲法についてお聞きします。
あなたは、今の日本の憲法のどんな点に関心を持っていますか。回答リスト10番の問題は、すべて憲法に関係するものですが、あなたがとくに関心を持っているものを、いくつでもあげて下さい。
答え 10.天皇や皇室の問題 20.1
20.戦争放棄、自衛隊の問題 46.9
30.平等と差別の問題 17.6
40.言論、出版、映像などの表現の自由の問題 10.6
50.情報公開の問題 11.8
60.プライバシー保護の問題 15.3
70.生存権、社会福祉の問題 18.8
80.環境問題 31.0
90.集会やデモ、ストライキ権の問題 2.1
01.選挙制度の問題 10.7
02.裁判の問題 20.4
03.靖国神社への公式参拝の問題 15.0
04.憲法改正の問題 13.0
05.三権分立の問題 4.6
06.地方自治の問題 13.0
07.国会の二院制の問題 6.8
08.憲法制定の過程や背景 4.3
09.その他、とくにない、DK.NA 15.5
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q19(38)あなたは、今の憲法を、改正する方がよいと思いますか、改正しない方がよいと思いますか。
答え 1.改正する方がよい 42.5 2.改正しない方がよい 43.1 3.DK.NA 14.4
(2008.03.15-16)(2008.04.08)
SQ1(39)【質問対象=Q19の答えが(1)の人だけ】
あなたが改正する方がよいと思う理由は何ですか。回答リスト11番の中から、いくつでもあげて下さい。
答え 1.アメリカに押しつけられた憲法だから 31.2
2.国の自衛権を明記し、自衛隊の存在を明文化するため 24.5
3.権利の主張が多すぎ、義務がおろそかにされているから 24.6
4.憲法の解釈や運用だけで対応すると混乱するから 30.8
5.国際貢献など今の憲法では対応できない新たな問題が生じているから 45.2
6.その他 3.0
7.DK.NA 2.0
0.非該当(Q19の答えが(2,3)の人)
(2008.03.15-16)(2008.04.08)
SQ2(40)【質問対象=Q19の答えが(2)の人だけ】
あなたが改正しない方がよいと思う理由は何ですか。回答リスト12番の中から、いくつでもあげて下さい。
答え 1.すでに国民の中に定着しているから 42.7
2.世界に誇る平和憲法だから 52.5
3.基本的人権、民主主義が保障されているから 26.6
4.時代の変化に応じて、解釈、運用に幅を持たせればよいから 17.8
5.改正すると軍事大国への道を開くおそれがあるから 27.3
6.その他 0.9
7.DK.NA 1.0
0.非該当(Q19の答えが(1,3)の人)
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q20(41)戦争を放棄し、戦力を持たないとした憲法第9条をめぐる問題について、政府はこれまで、その解釈や運用によって対応してきました。あなたは、憲法第9条について、今後、どうすればよいと思いますか。回答リスト13番の中から、1つだけあげて下さい。
答え 1.これまで通り、解釈や運用で対応する 36.2
2.解釈や運用で対応するのは限界なので、憲法第9条を改正する 30.7
3.憲法第9条を厳密に守り、解釈や運用では対応しない 23.9
4.その他 0.3
5.DK.NA 8.9
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q21 憲法第9条の条文には第1項と第2項があります。それぞれについて、あなたが改正する必要があると思うかどうかを、順にお答え下さい。
S1(42)「戦争を放棄すること」を定めた第1項については、改正する必要があると
思いますか、ないと思いますか。
答え 1.ある 12.5 2.ない 81.6 3.DK.NA 5.9
(2008.03.15-16)(2008.04.08)
S2(43)「戦力を持たないこと」などを定めた第2項についてはどうですか。
答え 1.ある 36.8 2.ない 54.5 3.DK.NA 8.6
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q22(44)日本と密接な関係にある国が武力攻撃を受けたとき、この攻撃を、日本の安全を脅かすものと見なして、攻撃した相手に反撃する権利を「集団的自衛権」と言います。政府の見解では、日本もこの権利を持っているが、憲法の解釈上、使うことはできないとしています。この集団的自衛権について、回答リスト14番の中から、あなたの考えに最も近いものを、1つだけあげて下さい。
答え 1.憲法を改正して、集団的自衛権を使えるようにする 18.7
2.憲法の解釈を変更して、集団的自衛権を使えるようにする 22.1
3.これまで通り、使えなくてよい 51.6
4.その他 0.3
5.DK.NA 7.3
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q23(45)政府は、国連のPKO、平和維持活動以外で、自衛隊を海外に長期間派遣するときには、その都度、特別な法律を作って対応してきました。あなたは、これを改めるために、自衛隊の海外派遣のルールを総合的に定めた新しい法律、いわゆる「恒久法」が必要だと思いますか、そうは思いませんか。
答え 1.そう思う 46.0 2.そうは思わない 42.1 3.DK.NA 11.9
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q24(46)憲法は、国会の構成を衆議院と参議院の二院制としています。国会の二院制のあり方については、様々な議論がありますが、回答リスト15番の中から、あなたの考えに最も近いものを、1つだけあげて下さい。
答え 1.一院制にする 18.8
2.二院制を維持し、衆議院の役割や権限を強化する 12.5
3.二院制を維持し、参議院の役割や権限を強化する 17.5
4.今のままでよい 44.2
5.その他 0.3
6.DK.NA 6.6
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q25(47)憲法では、衆議院が可決した法案を、参議院が否決しても、再び衆議院が3分の2以上の多数で可決すれば、その法案は成立すると定めています。衆議院での再可決について、回答リスト16番の中から、あなたの考えに最も近いものを、1つだけあげて下さい。
答え 1.再可決は当然だ 9.7
2.再可決はやむを得ない 35.6
3.再可決はできるだけ避ける方がよい 33.8
4.再可決は避けるべきだ 14.1
5.DK.NA 6.8
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q26(48)憲法改正の手続きを定めた国民投票法は2年後に施行されます。昨年8月、憲法についての具体的な議論を行うための憲法審査会が国会に設置されました。あなたは、今後、各政党は、憲法に関する議論をさらに活発化させるべきだと思いますか、そうは思いませんか。
答え 1.そう思う 70.8 2.そうは思わない 19.3 3.DK.NA 9.9
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q27(49)民法に定められている成人年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に見直すことを条件に、国民投票法では、18歳以上に憲法改正の投票を認めるとしています。あなたは、憲法改正の投票ができる年齢は、18歳以上がよいと思いますか、そうは思いませんか。
答え 1.そう思う 36.2 2.そうは思わない 59.7 3.DK.NA 4.1
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
Q28(50;51 )日本の憲法について、あなたが、今の条文を改めたり、新たな条文を加えたりする方がよいと思うものがあれば、回答リスト17番の中から、いくつでもあげて下さい。
答え 10.天皇の地位やあり方 14.1 01.国と地方の役割 22.1
20.自衛のための軍隊保持 26.5 02.憲法裁判所の設置 5.1
30.積極的な国際協力 19.5 03.その他 0.2
40.行政機関の情報を知る権利 19.1
50.個人情報やプライバシーの保護 17.7
60.家族の尊重 12.7
70.良好な環境で生活する権利 25.3
80.緊急事態などへの首相の権限強化 13.0 04.とくにない 24.4
90.衆議院と参議院の役割 14.7 05.DK.NA 4.5
(2008.03.15-16)(2008.04.08)*
1年以上も前の記事だが、記録のために。
靖国色が強すぎた安倍政権と、アメリカの北朝鮮政策とのズレをめぐる摩擦の問題である。
「拉致解決に固執すれば日米歩調に乱れ」…米タイム誌(読売新聞、07年3月10日)
【ワシントン=五十嵐文】米タイム誌(電子版)は8日、北朝鮮による拉致問題に対する日本の対応について、「安倍首相が一切の譲歩を拒否すれば、日朝間の離反が続き、北朝鮮への積極対応に転じた同盟国・米国との歩調にも乱れが生じる」と報じた。
記事は、安倍政権が拉致問題で進展がない限り、北朝鮮との国交正常化や対北朝鮮支援はないと明言していることについて、「核計画より4半世紀前の拉致(の解決)を優先させるのは健全ではない」と指摘。さらに、いわゆる従軍慰安婦問題に言及し、「首相は一握りの日本人の拉致の清算を北朝鮮に求める一方、何百何千と言われる性的奴隷(慰安婦)に対する自国の責任に疑問を投げかけているように見える」として、慰安婦問題が6か国協議での日本の立場にも影響を与えると警告した。
さらに、先にハノイで行われた6か国協議の日朝国交正常化作業部会が拉致問題で難航したのは「日本の責任かもしれない」と論じ、「日本が(6か国協議で)取り残される危険があり、そうなれば(北朝鮮総書記の)金正日を喜ばせるだけだ」と指摘した。
大阪地裁は、「集団自決」(強制集団死)をめぐる「岩波・大江訴訟」で、原告側の主張を全面的に棄却する判決を下した。
原告側はただちに控訴するとしているが、記者会見では「集団自決に関する軍関与」をもって「隊長命令」があったとする「論理の飛躍」を批判するにとどまり、「軍関与」そのものへの反論は行われていないようである。
高校の歴史教科書から「集団自決」を修正・削除させた文科省検定の根拠が、司法の判断によって1つ消えたといっていいのだろう。
「集団自決」軍が関与 岩波・大江訴訟(琉球新報、3月28日)
【大阪】沖縄戦中、座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの本の記述は誤りだとして、座間味島の元戦隊長梅澤裕氏(91)らが「沖縄ノート」著者の作家大江健三郎氏と版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決が28日午前、大阪地裁(深見敏正裁判長)であった。
深見裁判長は元戦隊長ら原告側の主張を全面的に棄却した。判決は両島での「集団自決」について「梅澤、赤松大尉が関与したことは十分に推認できる」と指摘。「元守備隊長らが命令を出したとは断定できない」としながらも、大江氏らが両隊長の自決命令を真実と信じるには相当の理由があったとして「沖縄ノート」と家永三郎著「太平洋戦争」は名誉棄損には当たらないとし、元戦隊長ら原告側の主張を退けた。原告側は週明けに控訴する。
判決は、体験者の多くが日本兵から自決用に手榴弾(しゅりゅうだん)を渡されたと証言していることや、沖縄で「集団自決」が発生したすべての場所に日本軍が駐留していた事実などを踏まえ「集団自決には日本軍が深くかかわった」と認定した。元戦隊長ら原告の「隊長命令説は戦後、島民が援護法の適用で補償を得るためにねつ造された」との主張には「戦時下の住民の動きに重点を置いた戦記として資料的価値を持つ『鉄の暴風』などは援護法適用以前から存在していた」などとし「ねつ造を認めることはできない」と退けた。
その上で、両書は歴史書や戦後民主主義を問い直すものとして公益を図る目的で刊行され、大江氏らが書籍の刊行時、記述を真実と信じる相当の理由があったとして名誉棄損の不法行為責任に関する一般法理から、両書の原告への名誉棄損は成立しないと結論づけ、岩波側の主張を認めた。
係争中の昨年3月、文部科学省の教科書検定で高校歴史教科書から日本軍の「集団自決」強制の記述が修正・削除された。同省は当時、梅澤氏が訴訟に提出していた自決命令を否定する陳述書を検定意見の根拠の一つに挙げていたが、28日の判決で検定意見は根拠の一つを失った。
原告は梅澤氏と、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟、秀一氏(75)。2005年8月に提訴し、両書が梅澤氏の名誉や、赤松氏の兄を慕う心情を侵害していると訴えていた。
沖縄集団自決訴訟で大阪地裁が28日、言い渡した判決は次の通り。
「沖縄ノート」は座間味島と渡嘉敷島の元守備隊長を原告梅沢及び赤松大尉だと明示していないが、引用された文献、新聞報道などで同定は可能。書籍の記載は、2人が残忍な集団自決を命じた者だとしているから社会的評価を低下させる。
「太平洋戦争」は、太平洋戦争を評価、研究する歴史研究書で、「沖縄ノート」は日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直した書籍。原告に関する記述を掲載した書籍は、公共の利害に関する事実にかかり、公益を図る目的で出版されたと認められる。
原告らは、梅沢らの命令説は集団自決について援護法の適用を受けるための捏造だと主張する。しかし、複数の誤記があるものの、戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置く戦記として資料価値を有する「鉄の暴風」、米軍の「慶良間列島作戦報告書」が援護法の適用が意識される以前から存在し、捏造の主張には疑問がある。原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言は、経歴などに照らし、宮村幸延の「証言」と題する書面も、同人が戦時中に村にいなかったことや作成経緯に照らし採用できない。「母の遺したもの」でも捏造を認められない。
座間味島と渡嘉敷島では集団自決に手りゅう弾が使われたが、多くの体験者が、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に交付されたと語っていること、沖縄に配備された第32軍が防諜に意を用いていたこと、米軍に保護された2少年、投降勧告に来た伊江島の男女6人が処刑されたこと、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載にも日本軍が、住民が捕虜になり、軍の情報が漏れることを懸念したことをうかがわせること、第1、第3戦隊の装備から手りゅう弾は極めて貴重な武器で、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され、食糧や武器の補給が困難だったこと、沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯していたことなどを踏まえると、集団自決に日本軍が深くかかわったと認められ、島で原告梅沢らを頂点とする上意下達の組織だったことから、集団自決に原告が関与したことは十分に推認できるが自決命令の伝達経路などが判然としないため、書籍に記載された通りの自決命令自体まで認定するのはためらいを禁じ得ない。
原告梅沢らが集団自決に関与したと推認でき、2005年度までの教科書検定の対応、集団自決に関する学説の状況、判示した諸文献の存在とそれらに対する信用性についての認定及び判断、家永三郎及び被告大江の取材状況などを踏まえると、原告梅沢らが書籍記載の内容の自決命令を発したことを真実だと断定できないとしても、その事実は合理的資料もしくは根拠があると評価できるから、書籍発行時に、家永三郎及び被告らが記述が真実と信じる理由があったと認めるのが相当。被告らによる原告梅沢及び赤松大尉への名誉棄損は成立せず、損害賠償や書籍の出版などの差し止め請求は理由がない。
沖縄ノートは赤松大尉へのかなり強い表現が用いられているが、意見ないし論評の域を逸脱したとは認められない。
【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(1)「軍命令を明確に認定」(産経新聞、3月28日)
沖縄戦の集団自決訴訟の被告で、ノーベル賞作家、大江健三郎氏と岩波書店側の記者会見は28日午前10時45分から、大阪司法記者クラブで始まった。まずは、弁護団から判決内容についての説明があった。
弁護団「時間も限られているので、こちらからごく簡単に述べた上で、ご質問にお答えしたい。本日の判決の内容は、裁判長が述べた通り、原告の請求をいずれも棄却。『太平洋戦争』それから『沖縄ノート』いずれも違法性がないとして損害賠償を棄却しています。判決要旨で述べられている通り、本件の重要な争点は座間味島、渡嘉敷島などで起きた集団自決が日本軍の命令、あるいは強制によって行ったのかが問題点。これについて今日の判決はその点を明確に認定している。『隊長が具体的に自決命令を出したのかどうかは、伝達経路が明確でないという点があるので、あったと断定するには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ないが、いろんな資料などから2人の隊長が自決命令を下したと信じる根拠がある』と、はっきり判決を下しました。この訴訟の役割を明確にとらえた判決と考えています」
さらに弁護団が続ける。
弁護団「なお1点申し述べると『沖縄ノート』については、隊長命令があったとは書いておらず、日本軍の命令があったとしていた。それについて、『隊長命令があった』と裁判所が認定した点はわれわれの主張とは違います。ただ、われわれも隊長命令の根拠は『日本軍の命令』だとしているわけですから、その点は齟齬(そご)がないともいえます」
続いて、岩波書店側がコメントを読み上げる。
岩波書店「私たちの主張を認めた妥当な判決である。沈黙を破って貴重な証言をしていただいた沖縄の生存者方々ほか多くのご支援に感謝したい」
ここで、大江氏がコメントを述べた。
大江氏「私が『沖縄ノート』には、2つの島で600人にも及ぶ人たちが軍に強制されて自殺した史的な事実を書いています。私は隊長の名を書かず、個人の名前をあげて悪人としたり罪人としたりしたことは一度もしていません。それはこれを個人の犯罪とは考えていないからです。これは軍と国が天皇の国民をつくるための教育を背景に、軍の強制があったとしているわけで、私の書物が主張していることは、きょうの裁判で良く読み取っていただいたと考えております」
【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(2)「裁判背景に大きな政治的動き」(産経新聞、3月28日)
記者会見での大江氏の発言が続く。
大江氏「今回、私は2つのことを問題としたい。一つは、私どもは裁判が始まってから、集団自決という言葉を使ったが、沖縄の人が常にいっていたのは『自決ではない』ということ。自決とは例えば、軍人がある責任をとって自ら死ぬこと。沖縄の人が追いつめられて自殺したのは、集団自決とはあたらない。今後使われないことが望ましいと思う。
もう一つは、裁判の背景に、政治的な大きな動きがあったこと。具体的には、2003(平成15)年に有事法制ができあがった。有事法制について、ある新聞記者は戦争をするマニュアルだといったが、正しいと思う。戦争をできる国にするということだ。2005(平成17)年には私の沖縄ノートの訴訟が提起された。2007(平成19)年には教科書から、いったん軍の関与の意味を含んだ部分が取りさらわれた。
11万人に及ぶ集会もあった。20代の終わりから沖縄にかかわってきたましたが、一番感動した集会だった。この3つの動き、軍の強制、命令、関与についての一連の動きは、有事法制が一番根本にあると思う。
有事法制で日本に戦争できる法律が制定された。日本人が犠牲になるということを精神的、倫理的、道徳的に認めるかは、自由主義史観研究会と新しい教科書をつくる会は、精神的な整理をしなくてはならないと考えています。
『沖縄ノート』に書いたことはこれからも主張する。戦争を忘れず、戦後の民主主義教育を忘れない。有事法制は、精神的、倫理的、道徳的にそれを拒む。この裁判では、経験したことを正確に証言したくれた人が何人もいる。それがこの裁判に反映されており、心から敬意を表したい」
質疑応答に移り、報道陣から質問される。
--この判決を聞いた、率直な気持ちは
大江氏「裁判が始まってから、私の文書が分かりにくいとか、意味が分からないという反響があった。自由主義史観研究会、新しい歴史教科書をつくる会で活躍している人たちの反論もあった。『沖縄ノート』はしっかりと読めば、主張は理解してもらえると思っている。裁判長が正確に読んでくださったということに感銘を受けた」
--民事訴訟の判決には出廷義務はないが、判決にあわせ、大阪地裁まで出向いた理由は
大江氏「この裁判が始まったとき、最初は法廷には来なかった。まずは陳述書を読みたいと思い、それに長くかかった。それらを読んでこの裁判の思いが固まり、進んでここにきました。当初『沖縄ノート』が裁判にかかるとは思ってなかった。裁判を通じ今まで読まなかった書物を読んだ。私どもに共感を持っているものも、批判しているものも読んだ。
裁判で、弁護士の主尋問にも答え、反対尋問にも答えた。きょうは、それを聞いた裁判官がどう評価するかに関心をもっていました。判決は非常によく理解できます。『沖縄ノート』をよく理解してくれているとわかる言葉があり、私の説明をよく聞いてくれたと思う」
--原告側の2人に対する感情は
大江氏「私は、これは慶良間であった大きな犯罪だと考えています。軍が600人に自殺を強要した犯罪です。ただ、書物のなかで個人の名前をあげなかったことに示されるように、私は個人の犯罪でなく軍の犯罪と考えている。原告となっている座間味島の隊長だった方、渡嘉敷島の元隊長の弟さんには、2度お目にかかったが、個人的な感情が動かされることはなかった」
【沖縄集団自決訴訟・原告側会見詳報】(1)「ただちに控訴する」(産経新聞、3月28日)
沖縄戦の集団自決訴訟で原告側は28日午前11時前から大阪弁護士会館で記者会見。原告の2人は出席せず、代理人の弁護士2人が報道陣の質問に答えた。
--今日の判決について
弁護団「これは不当な判決だ。判決は原告側の元隊長、梅沢さんあるいは赤松さんから住民へ、直接自決命令を出したかどうかについて、これを認定できないとしている。だが、集団自決に対する軍関与を認定し、隊長命令があったという記載についても相当性があると判断をし、大江さんを含む被告側の名誉棄損表現を免責した判決だ。
名誉棄損表現は、梅沢さん、赤松さんが直接集団自決命令を出したかということにかかわっているが、その点については認定できないとしているのに、それとは全く別の事実である軍の関与をもって隊長命令があったという内容の表現を相当だとしたことには論理の飛躍がある。
軍が集団自決に関与したという事実と無慈悲な部隊が生き残るために、潔く住民は自決せよということで手榴(しゆりゆう)弾などを渡したという命令とはまったく別個の事実だ。別個の事実で隊長の自決命令という人格攻撃や非難を正当化するというのは、論理の飛躍であって到底容認できない。
また、判決のなかで、時間の経過に伴う証拠評価上の問題点があるということについて触れている。この点について事実認定が困難になっているのは、梅沢さん、赤松さんの提訴が遅れたからだとして、事実認定の困難さの不利益を原告の責任にしている部分がある。これもまた、原告らが置かれてきた状況から考えて、不当。ただちに控訴することに決めた」
--原告2人はなぜ会見に出席しなかったのか
弁護団「2人と弁護団と話して、ここにくる必要はないだろうということになった。『大変残念な判決だ』と2人ともおっしゃっていた。『控訴審で闘おうということを報道陣に伝えてほしい』と話していた」
国に「慰安婦」問題の解決を求める意見書を採択した宝塚市に、いやがらせや「抗議」の電話が来ているそうです。
「ほかにも抗議がきているやろ?」と、動きは明らかに組織的。
とはいえ、意見書は、3月25日午前に、賛成24人、反対1人という多数の合意で採択されています。
議論の最中にこうした動きが目立たなかったということは、彼らも打つ手が後手にまわっているということでしょう。
とりあえず、激励先は以下のようです。
宝塚市役所/議会事務局/議事調査課
電話番号:0797-77-2168
ですが、職員さんも、こんなことへの対応ばかりでは疲れてしまいます。
励ましとねぎらいの言葉を、FAXで届けるというのが正解かも知れません。
FAX番号:0797-74-6902(宝塚市議会)
宝塚市議会の意見書についての報道。
「毎日」の阪神版だが、他に共同通信からの取材もあったらしい。
少しずつでも報道は広がっていくのだろうか。
従軍慰安婦問題:被害者の尊厳回復を 宝塚市議会が意見書採択 /兵庫(毎日新聞、3月27日)
宝塚市議会は26日、旧日本軍の従軍慰安婦問題に誠実に対応するよう国に求める意見書を、全会一致で採択した。意見書は「問題の真相究明を行い、被害者の尊厳回復に努め、誠実な対応されるよう」求めている。近く福田康夫首相と衆参両院議長あてに郵送する。全国市議会議長会によると、慰安婦問題をめぐって地方議会から国に意見書が出されるのはここ数年で例がないという。
民族問題や平和問題に関心のある市民らが結成した「請願を実現する会」が今年2月、約1000人の署名を添えて議会に提出した請願がベース。請願が求めていた「慰安婦問題を教科書に記述すること」などの具体的な項目は、議員間で見解の相違もあって意見書には盛り込まれなかったが、実現する会の木下達雄代表(58)は「関心のなかった市民が歴史に向き合おうとするきっかけになってくれれば」と意見書の意義を強調する。「小さな地方での動きが全国に広がっていってほしい」と話している。【山田奈緒】
宝塚市議会の本会議で、政府に「慰安婦」問題の解決を求める意見書が採択されました。
画期的な取り組みであり、画期的な成果であると思います。
このような取り組みが全国に広がることを心より期待します。
下は、3月25日夕方に、「速報」として受け取ったメールの一部です。
宝塚市議会での「慰安婦」意見書採択に奮闘してこられたTさんからのメールでした。
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みなさま
本日、3月25日午前11時46分宝塚市議会本会議において、日本軍「慰安婦」問題に対して、政府の誠実な対応を求める請願が趣旨採択されました。
議長を除いて25名の議員中、1名だけが起立せず(多田浩一郎)24名が起立して賛成しました。
政府に退出する意見書の文案は、朝9時半からの議会運営委員会で協議され、以下のように決定しました。
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日本軍「慰安婦」問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書
2007年7月30日、アメリカ下院議会は全会一致で、「日本軍が女性を強制的に性奴隷にした」ことを「公式に認め」「謝罪する」よう日本政府に求める決議を採択しました。
当時の安倍晋三首相は7月31日、この決議採択を「残念なことだ」と評し、生存する犠牲者に日本政府は公式謝罪しないことを強くほのめかしました。
これは、1993年の河野洋平官房長官の談話と矛盾する態度です。このような態度をとっていては、これまでに日本政府が口にしてきた「謝罪」が、本心とかけ離れた、口先だけのものであると受け取られても仕方ありません。また、村山首相のお詫びの手紙と共に一部の被害者に届けられた「女性のためのアジア平和国民基金」は、国際社会の批判をかわすための欺瞞であったのではないかと言われても仕方ないでしょう。
日本政府に謝罪と賠償、歴史教育などを求める決議案は、アメリカの議会決議に続いて、11月にオランダとカナダで、12月13日にはヨーロッパ議会で、採択されました。
日本政府が、日本軍「慰安婦」の被害にあった女性達に対して、いまだに公式の謝罪もせず、補償もせず、真相究明や責任者処罰をしないばかりか、教科書からもその記述を消し去って、無かったことにしようとしていることに対して、世界各国で批判の声が高まっているのです。
今、世界中で、日本軍「慰安婦」問題を解決するための運動が広がりを見せています。
しかし、これらの世界の動きは日本では必ずしも十分に報道されていません。
政府においては、1993年の河野洋平官房長官の談話の上、さらに日本軍「慰安婦」問題の真相究明を行い、被害者の尊厳回復に努め誠実な対応をされるよう求めるものである。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。
平成20年3月25日
衆議院議長 河野 洋平 殿
参議院議長 江田 五月 殿
内閣総理大臣 福田 康夫 殿
宝塚市議会議長 小山 哲史
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昨年11月19日の宝塚証言集会でのキルウォノクハルモニとイマクタルハルモニの証言は、大きな力になりました。
大島淡紅子議員、北野聡子議員、寺本早苗議員の3人は、総務委員会の中で、ハルモニの証言を引用して、一日も早い解決を訴えて下さいました。
また、2月24日の市民集会で石川康宏教授の講演を聴いた梶川美佐男議員は、講演を引用して今日の本会議で賛成の熱い思いを述べられました。
草野義雄議員は、総務委員会でも議会運営委員会でも大変有効な意見を出して下さり、請願実現に尽力して下さいました。
韓国挺身隊問題対策協議会からも、各議員にメールが送られ大島議員がそのメールを、街頭情宣で読み上げて紹介してくださいました。
大勢のみなさんの、応援があって、今日の採択になりました。
意見書の中身は決して十分ではありませんが、第1歩を踏み出せたことを嬉しく思います。
……私達は、3月31日を皮切りに、街頭情宣を行って市民に報告します(3月31日午後6時~7時:小林駅前)。
今、市議会での請願なり決議なりを模索している市も複数あり6月議会提出を目指すとのことです。
宝塚市の小さな一歩が、風を呼び起こすことを願っています。
「ナヌムの家」の村山さんが、沖縄戦当時の「慰安婦」の状況を調べている。
それは日本軍「慰安婦」歴史館の展示に反映されるようだから、この夏には学生たちと目にすることができるだろう。
大切な歴史を語り継ごうとする若者たちの取り組みも立派である。
「孤児院で子の世話」/沖縄戦当時の従軍慰安婦(沖縄タイムス、3月16日)
韓国のナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館の研究員らが県内の慰安所跡や「従軍慰安婦」にされた女性たち、朝鮮人軍夫についての聞き取り調査を始めている。同館のリニューアルに向け、沖縄戦当時の慰安婦の状況や新たな証言をまとめ、展示する予定だ。同館の村山一兵研究員は「沖縄戦中の慰安婦の状況について詳しくまとめ、六月ごろから展示したい」と準備を進めている。
調査は十四日から十七日までの四日間。初日は一九四五年ごろ、羽地村(当時)の田井等孤児院で過ごした座覇律子さん(75)=本部町=と、沖縄戦中に朝鮮人軍夫が働く港近くに住んでいた友利哲夫さん(75)=名護市=が証言した。
当時十三歳だった座覇さんは孤児院で元慰安婦だった女性らに育てられた状況を説明。「ササキのおばさん」と呼ばれていた元慰安婦について「日本語は分からないが、子どもたちの洗濯や世話をしてくれた。美人で、とても優しかった」と振り返った。
孤児院近くにあった野戦病院でも元慰安婦の女性が看護師として働いていた。座覇さんは、孤児院を出た後に周りから女性らが慰安婦だったことを聞かされたといい、「慰安婦と言われてもまだ幼かったので、女性たちが何をされていたのかも分からなかった」と語った。戦後、女性らが帰国する記事を見て、「当時は無事に帰国するんだと思ったが、女性が大変なことをされたことを後で知った。今、当時を振り返ると帰国後どんな気持ちで暮らしているのかと思うと胸が苦しい」。
ナヌムの家には現在、慰安婦にされた女性七人が生活している。同館には、渡嘉敷島で慰安婦として働かされたぺ・ポンギさんの生涯が展示されている。
従軍慰安婦の歴史継承訴え/平和会、街頭で寸劇
平和運動に取り組む県内の大学生などでつくる「平和(ぴょんふぁ)会」メンバー約三十人は十五日、那覇市の国際通り周辺で、歴史教科書から削除された従軍慰安婦問題の継承を訴える寸劇や歌を披露した。
「もうやめよう、慰安婦問題と性暴力」のメッセージや亡くなった慰安婦の写真などを掲げ、「日本軍に強制連行された被害者は戦後ずっと苦しんできて、今でも誤解や差別を受けている」と訴えた。歴史継承の思いを込めた「継いでゆくもの」を合唱。従軍慰安婦として連行された朝鮮人の女性が、周囲の人から差別される様子を表現した寸劇が演じられた。
「慰安婦の無念知って」 学生らイベントで訴え(琉球新聞、3月16日)
平和活動に取り組む「平和(ぴょんふぁ)会」や沖縄国際大学の平和学ゼミの学生ら約30人が15日、日本軍「慰安婦」問題を多くの人に知ってもらおうと、那覇市のパレットくもじ前広場でイベントを開いた。韓国の「ナヌムの家」で暮らす「慰安婦」の被害女性たちの写真や女性たちが書いた絵を掲げたほか、歌や劇を披露。被害女性の苦しみ、問題を語り継いでいく大切さ、米兵などによる性暴力がなくならない現状を訴えた。
ナヌムの家に住む被害女性たちは高齢で、ことしに入って2人が立て続けに亡くなった。2人は亡くなる前に「日本は謝ったの?」と話していたといい、交流のあった平和会のメンバーらがその無念の思いを伝えようと企画した。
ナヌムの家で1年間ボランティアをした経験のある平和会の川満美幸さん(23)=沖国大4年=は「慰安婦問題にはさまざまな見方や考えがあると思うが、無関心でいるのではなく、まずは知ってもらいたい。日本政府は事実は事実として認めてほしい」と強調した。
ナヌムの家・日本軍“慰安婦”歴史館研究員の村山一兵さん(27)は「慰安婦問題は今でも解決されていないし、性暴力もなくならない。このことを若い人たちも忘れずに考えてほしい」と訴えた。
「文科省から十分な対応を得られなかった」。
ここが重要なポイントになるのだろう。
安倍首相の政権放り出し、教育再生会議の解散と、靖国派による教育行政ののっとりは失敗に終わった。
それを失敗に終わらせたのは、時の政治に対する市民の批判。
とはいえ、今後も、その手をゆるめるわけにはいかないのである。
学習指導要領改定 「靖国」派が働きかけ 文科省に 愛国心・国防の意義など要望(しんぶん赤旗、3月10日)
文部科学省が改悪教育基本法(二〇〇六年十二月施行)に基づき今月末までに学習指導要領を改定しようとする中、日本の侵略戦争を正当化している「靖国」派が、「愛国心の育成」や「国防の意義」などを盛り込むよう同省に働きかけています。
巻き返しの動き
「靖国」派の総本山・日本会議と連携する日本会議国会議員懇談会の教育改革刷新委員会(委員長・衛藤晟一参院議員)は五日、「新教育基本法に基づく学習指導要領の改訂を!これでは教育現場・教科書は変わらない」とする会合を開きました。会合には民主党の西岡武夫参院議院運営委員長も参加しました。
同刷新委員会は、改悪教基法の成立を受け「愛国心」「公共の精神」「宗教」などについて学習指導要領の改定の項目を列挙して、文科省に要請してきました。関係者によると、会合では「文科省から十分な対応を得られなかった」と、相次いで不満が出たといいます。
衛藤氏は五日の会合後の会見で「新教育基本法に基づく学習指導要領の改訂、教育振興基本計画の策定という非常に大事な時期。教育基本法改正までに苦労した内容を要望項目としてまとめ、反映させていきたい」とし、歴代文科相の力も借りて文科省への働きかけを強めたいと述べました。安倍晋三前首相の政権投げ出しで、「靖国」派の政治的影響力が低下する中での、焦りを伴った巻き返しの動きです。
16項目におよぶ
衛藤氏は、「要望項目」の中身を明らかにしませんでしたが、日本会議機関誌『日本の息吹』三月号は「学習指導要領改訂にあたり16項目の改善点を提案する」として“要望項目”を列記。「愛国心育成を全ての教育活動の目標とする」「天皇に対する理解と敬愛の念を社会科や国語科において育む」「国防の意義や自衛隊が我が国と世界の安全に果たす役割について教える」「日本人の自然観・宗教観の土台にある神道についても教える」などをあげています。
「近代以降の戦争における当時の我が国の立場や主張についても教える」では、「慰安婦、南京事件、沖縄集団自決などの政治的かつ学説が分かれるテーマについては特に慎重な姿勢で臨み」、「児童生徒の情操、心身の発達に配慮し、戦争などに関する残酷な写真や図版、記事については使用を控える」としています。
特異な歴史観の教育への持ち込みです。
3月11日、フィリピン下院の外交委員会が、日本政府に公式な謝罪と補償をもとめる「慰安婦」決議を、全会一致で可決した。
1998年以来のことらしい。
2007年4月に安倍首相は、アメリカ政府に向かって謝罪をしたが、もちろん必要なのは被害者たちへの謝罪である。
この「恥ずかしい国」の主権者として、道を正す努めをしっかり果たしていきたいものである。
従軍慰安婦で国会決議へ、日本に謝罪求める フィリピン(朝日新聞、3月12日)
フィリピン下院の外交委員会は11日、日本政府に対して、「従軍慰安婦」と呼ばれる太平洋戦争時の性暴力被害者への公式な謝罪と補償を求める決議案を全会一致で可決した。近く開かれる本会議でも可決される可能性が高く、日本に謝罪を求める同国初の決議となる。同様の決議は07年に米、カナダ、オランダの各下院と欧州議会で可決され、今回、フィリピンでの審議が本格化するきっかけとなった。
決議案は「日本で最近、93年に河野洋平官房長官(当時)が発表した元慰安婦に対するおわびと反省の談話を薄め、無効にしようとする動きがある」と指摘。日本政府が従軍慰安婦問題に対する責任を公式に認め、謝罪し、被害者に補償することを促すよう比政府に求めた。
この日の審議を元慰安婦の女性約10人が傍聴。被害者と名乗り出て運動を始めて16年。「やっと肩の荷が下りた」と、パナイ島出身の被害者エリサ・アルメソルさん(80)は涙を浮かべた。
元慰安婦の活動を支援する団体「リラ・ピリピーナ」によると、同会に名乗り出た被害者約170人のうち56人がすでに他界。支援者は「残された時間は少ない」と話す。
日本に公式謝罪促せ=慰安婦決議案を採択-フィリピン下院外交委(3月11日、時事通信)
【マニラ11日時事】フィリピン下院外交委員会は11日、第2次大戦中の旧日本軍による従軍慰安婦問題で、フィリピン政府に対し、日本政府に公式謝罪や歴史的事実、責任の受け入れを促すよう求める決議案を採択した。フィリピンで従軍慰安婦に関する決議案が採択されたのは1998年以来。本会議での審議日程は今後、議院運営委員会で調整する。
決議案は昨年7月末に米下院で従軍慰安婦決議が採択されたことを受けて、翌8月に女性政党ガブリエラのマサ議員ら7人が提出していた。委員会での採択について、同議員は「大きな一歩になる」と評価。クエンコ外交委員長は「(本会議でも)すべての政党の支持が得られると考えている」と語った。
2005年夏の訪問の際に、私たちのゼミのために「証言」をしてくださった文必璂(ムンピルギ)ハルモニが亡くなった。
「ナヌムの家」からの連絡によると、3月5日、朝7時45分のことだという。
享年83才(1925年6月18日生まれ)。
「証言」を『「慰安婦」と出会った女子大生たち』に掲載していただき、2006年には、そのお礼を伝えるために学生たちとともに個室にもあげていただいた。
「つないだ手が、すごいちっちゃかった。その瞬間、この人がされたこと、どんな屈辱やったんやろって……」。
2005年に、ある学生がそう心をよせたハルモニである。
悲しく、悔しく、情けない。
ご冥福をお祈りします。
『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(新日本出版社、2006年)の韓国語訳が、2008年1月に出版されているようです。
この本の出版を、私は今日(3月4日)はじめて、韓国在住の友人から知らされました。
私たちの本の翻訳に、何本かの論文が追加される形で出されているようです。
このような翻訳がなされることは、たいへんにうれしいことです。
ただし、本書の出版にいたる経過には、若干の問題がありました。
韓国語訳出版の話は、2006年12月にはじまりましたが、その後、2007年5月を最後に、私と出版社との連絡はとれなくなっていたのです。
なぜ連絡がとれなくなったのか、それにもかかわらず、なぜこの本は出版されたのか、そうした経緯は、私にも良くわかりません。
とはいえ、韓国語訳はすでに流通しています。
そして、私はその本の内容を、現時点で確かめることができません。
そこで、余計な誤解を避けるために、韓国語訳の出版に込めていた私自身の思いをここに紹介しておきたいと思います。
以下の「韓国語版読者のみなさんへ」は、2007年3月に書き、日本語と韓国語訳の両方をただちに韓国の出版社に届けたものです。
この文章が、そのままの形で翻訳書にも掲載されていることを、切に願います。
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韓国語版読者のみなさんへ
この本は日本の神戸女学院大学の学生たちによる「慰安婦」問題についての学びの記録であり,また日本の若い世代に「慰安婦」問題を知らせ,問題解決の緊急性を訴える「慰安婦」問題の入門書です。日本では2006年2月に出版されました。
ご承知のように日本の政府は,学校教育の中で日本による朝鮮半島や中国,東南アジアや太平洋諸島への侵略の歴史を正しく教えることを拒んでいます。そのような社会状況があるだけに,中学生や高校生にも読むことのできる,こうした入門書の出版は日本では重要な役割を果たすものとなっています。
さいわいなことに,同じ年の秋には「ナヌムの家」でこの本の販売をしていただけることになり,それがひとつのきっかけとなって韓国語訳の話がすすみ,このようにみなさんにも読んでいただけることになりました。
日本の国民は,決してかつての侵略戦争を肯定するような人間ばかりではありません。ぜひ,この本を通じて,日本の若い市民の当たり前のものの考え方を知っていただければ幸いです。
さて,安倍首相は,侵略戦争への反省を前提とする戦争放棄の条項(第9条)をふくむ「日本国憲法」の改訂を,任期中に行うことを公言しています。また自民党の政治に強い影響力をもつ最大の財界団体・日本経団連もこれを強く支持しています。その背後には,米軍と自衛隊の一体化を求めるアメリカ政府の要請がありました。これはなかなか大がかりに準備をされた策動です。
しかし,歴史の真実をゆがめ,国連憲章にもとづく平和秩序の実現を求める世界の流れに逆らおうとするこのような動きに未来はありません。日本国内には憲法を守り,改憲を許さないとする政治運動や市民運動の大きな高揚が見られます。
著名な文化人等のよびかけによる「9条の会」は全国に広がり,すでに6000を超える組織を地域や職場につくっています。それは今も増え続けており,私たちの神戸女学院大学でも「9条の会」が活動しています。
また日本には,侵略戦争に反対し,朝鮮半島をふくむ植民地の解放を命がけで訴えた英雄的な闘いの歴史があり,戦後も日米安保条約の強化に数十万の人々が国会をとりまいて反対した,反戦・平和をもとめる運動の伝統があります。
憲法を守る今日の取り組みは,この伝統を受け継ぎ,新しく発展させるものといっていいでしょう。この本も,大きくはその伝統の上に位置づくものです。
翻訳は,韓国のみなさんにお任せしました。最初に韓国語訳のお誘いをくださったのは,韓國民俗劇研究所の朴海順先生です。監修は同研究所所長の沈雨晟先生に,出版については「図書出版東文選」(辛成大社長)のみなさんにお願いすることになりました。
また「韓国語版読者のみなさんへ」の翻訳は,私たちの大学で韓国語を教えてくださっている鄭英子先生にお願いしました。みなさんには心より感謝申し上げます。
日本語版では,冒頭30ページほどがハルモニの絵画をつかった「絵本」となっていますが,この韓国語版では,すばらしい写真が掲載されるとうかがっており,私たちも大変楽しみにしています。
この本が,歴史の真実を正しく見つめ,今日の北東アジアにしっかりとした平和秩序の建設を願う,日韓の特に若い世代の交流と連帯の発展に少しでも役立つならば,これ以上の喜びはありません。たくさんの方に読んでいただけることを,心より期待しています。
2007年3月5日
神戸女学院大学・石川康宏
地方から国へ、「慰安婦」問題の解決を求める取り組みが宝塚市で行われている。
先日の日記で紹介した企画も、こうした取り組みの一環であった。
さきほど、そのメンバーの方から届いたメールによると、本日(3月4日)宝塚市議会の総務常任委員会でこの請願が議論され、「主旨採択」が決定されたとのことである。
これによって「今後、市議会各会派の代表者会で、請願の文書を土台に国への意見書が作られ、3月25日の市議会本会議で採択されることになります」とのことである。
いまだ楽観はできないが、重要な前進の一歩となったことはまちがいない。
「引き続き、皆様からの支援メッセージを、宝塚市議によせていただきますよう、お願いします。宝塚市議への連絡先は、宝塚市議会のホームページにのっています」とのことである。
帯広でも証言集会が行われているのか。
地方自治法の第1条第2項はこうなっている。
「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」。
どうやら帯広市には「自主的」という文字が見えないらしい。
こういう政治が日本社会の足をひっぱっている。
「日本軍慰安婦」認められぬ 帯広市が集会後援拒否(北海道新聞、2月20日)
【帯広】帯広市内で三月に開かれる「わたしたちと日本軍『慰安婦』問題」と題した集会について、帯広市と同市教委が実行委の後援依頼を断っていたことが十九日明らかになった。同市の市民団体「新日本婦人の会帯広支部」などでつくる実行委は同日、記者会見し「時代に逆行する判断」と市の対応を批判した。
集会は韓国の元慰安婦らを招き、証言などを聞く内容。実行委と市によると、実行委が昨年末に後援を依頼。市側は一月、「政府は『いわゆる従軍慰安婦』との表現を使っており、後援すると『日本軍慰安婦』という言葉を市が認めたと誤解されかねない」として依頼を断った。
同市は、同趣旨で初めてだった昨年の集会も同じ理由で後援を断った。昨年の集会直前には、従軍慰安婦の動員には旧日本軍の強制性を裏付ける具体的証拠はないとする、安倍晋三前首相の発言があり、慰安婦問題の中で軍の位置づけは焦点のひとつになっている。実行委の金子かおる会長は記者会見で「多くの国で慰安婦問題について日本政府に謝罪を求める意見書が決議される中、(市の対応は)非常に残念だ」と述べた。
ゼミで映画を見に行くというのも、ありなんだなあ。
4月中旬かららしい。
話題騒然の「靖国」映画が、ベルリン国際映画祭で大絶賛(ハリウッドチャンネル、2月19日)
ロングヒットを記録した「太陽」に続き、さまざまな物議を醸し出しそうな「靖国」の1シーン
7日に閉幕したベルリン国際映画祭のフォーラム部門に出品された日中合作ドキュメンタリー映画「靖国」が現地時間2月11日、12日、14日と行われ、欧米各国の記者も多く押し寄せ、靖国神社の動向はアジアのみならず世界中が注目していることを裏付けさせる盛況ぶりだった。
映画「靖国 YASUKUNI」は在日20年の中国人若手気鋭映画監督、李纓(リ・イン)が10年以上の年月をかけて完成させた渾身のドキュメンタリー。旧日本軍の軍服に身を包み「天皇陛下万歳」と猛々しく叫ぶ人たち、境内で催された追悼集会に抗議し参列者に袋だたきにされる若者、「勝手に合祀された魂を返せ」と迫る台湾や韓国の遺族たち、そして靖国神社のご神体である日本刀を作る刀匠…。“靖国刀”がもたらす意味を、各国メディアはどのように捉えたのだろうか。
現地時間10日に行なわれたプレス試写は、超満員。同じ第二次大戦での敗戦国という歴史的背景をもつドイツだからか、驚くほどの作品への関心の高さをうかがわせた。
11日のプレミアも立ち見が出るほどの大盛況ぶりで20分も遅れて上映開始がスタートしたため、上映終了後の質疑応答は10分ほどの短いものになってしまった。それでも会場の熱気は最高潮に達し、観客からの「日本での公開は難しいのでは?」との質問に李纓監督は、「いえ。今年4月に東京4館を皮切りに全国で公開されます!」と答えると、会場全体からは、地響きのような溢れんばかりの拍手が巻き起こった。
「靖国 YASUKUNI」は 4月中旬全国一斉ロードショー。
【ベルリン国際映画祭】衝撃ドキュメンタリー『靖国』上映で各国メディア話題騒然!(シネマカフェネット、2月18日)
今年も各国から集まった多彩な作品が接戦を極めた第58回ベルリン国際映画祭。世界三大映画祭の中でも社会派の作品が多く集まる傾向にある同映画祭だが、そのフォーラム部門にて、2月11日、12日、14日(現地時間)の3日間にわたり、日中合作ドキュメンタリー『靖国 YASUKUNI』が上映され、地元ドイツを始め、各国メディアの間で大きな反響を呼んでいる。
本作は、日本で活躍する中国人監督、李纓(り・いん)が10年以上の歳月をかけて、靖国神社にまつわる人々を撮ったドキュメンタリー。合祀や参拝の問題をめぐり、アジアのみならず世界の波紋を呼んでいるテーマだけに、上映会場には各国から多くの記者が押し寄せた。10日に行われたプレス試写では超満員、11日のプレミア上映でも立ち見が出て、上映開始が20分も遅れるほどの大盛況ぶりを見せた。
劇中、旧日本軍の軍服を着て参拝する人々や、「勝手に合祀された魂を返せ」と迫る台湾や韓国の遺族たちなど、靖国神社をめぐる、知られざる人々の姿が映し出される本作。その中でも地元ドイツのメディア紙の関心を呼んだのは、靖国神社の軍刀を作る刀匠、刈谷直治氏の存在。その言及内容は以下の通り。
「李纓は、打ってつけの人物を中心に置いている。刈谷直治は、世俗的騒々しさを越えたところで生きている。しかし、この世界では『記憶に刻むことと忘れ去ること』『罪と赦し』に関わる争いは絶えることがない」(ベルリン日刊紙「ターゲスシュピーゲル」批評)
「映画で最後の刀を作っている神社の刀匠、刈谷直治は、質問にめったに答えない。その彼が『靖国刀は機関銃をまっ二つに切ることができる』と言う場面がある。神社が際立っているように、寡黙な88歳の彼も伝統的な技に長けている」(ベルリン日刊紙「タッツ」批評)
ほかにも「戦死した日本の軍人たちを追悼することは、彼らが引き起こした苦しみを忘れなくても可能である。にもかかわらず、日本は未だに戦争責任を認めることをしていない」のように、靖国問題を通して日本に対する批判的な意見もあるが、同じ敗戦国という歴史的背景をもつドイツならではの関心の高さがうかがえる批評が占めた。また、映画の内容から、上映会場では日本での公開を心配する声も出たが、李監督が「今年4月に、東京4館を皮切りに全国で公開されます!」と答えると、地響きのような拍手が巻き起こる一場面も。
“靖国神社”の現実と歴史に深く踏み込んだ、李監督の渾身の一作『靖国 YASUKUNI』。日本に凱旋後、4月、新宿バルト9、渋谷Q-AXシネマほか全国にて公開。
「ナヌムの家」の村山さんから、下のメールがありました。
送信していただいたハルモニの写真をアップします。
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ブログ掲載、感謝します。
この写真も載せてくれませんか。池乭伊(チドリ)ハルモニの生前の写真です。
好きだった花の前で
すましてポーズ取ってますね。
先ほどハルモニの火葬も無事に終わりました。
3月25日の49日までナヌムの仏堂にハルモニはいらっしゃいます。
チドリハルモニの死去にかかわるメールが、「ナヌムの家」の村山さんから届きました。
「多くの方に伝えてください」とのことですので、ここに掲載します。
メールは「悲しいお知らせ」「悲しいお知らせ。つづき。」の2つにわけて届けられました。
2つのメールのあいだは点線で区切ってあります。
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ナヌムより一兵です。
連絡ありがとうございます。お久しぶりです。
2008年も宜しくお願いします。
さっそくメールへの返信をしたいのですが、
訃報をお伝えしなければ、なりません。
メールへの返信は明日します。すみません。
一昨日にチドリハルモニの訃報をMLなどで流したものです。
>>>
あんにょんはせよ。
「ナヌムの家」より歴史館研究員の村山一兵です。
悲しいお知らせです。
今日午後15時24分にチドリハルモニが亡くなりました。
2007年2月6日(水)でした。85歳。
陰暦では12月30日。明日がお正月で86歳になるはずでした。
16時半くらいに、ナヌムの看護士さんへ
ハルモニが危篤だと連絡がありました。
病院へかけつけた所、病院職員やナヌムの看護士さんに見取られる中
15時24分に息を引き取ったそうです。
最後は安らかな表情だったそうです。
ナヌムの僧侶と職員とともに、私も病院へ来ています。
キョンギド ヤンピョン郡 龍門(ヨンムン)面にある
楊平(ヤンピョン)孝(ヒョ)病院にて、明日以降にお葬式になります。
明日、7日(木)午前10時からお棺にハルモニをします。
明後日、8日(金)午前9時に火葬へ出発します。
カンウォンドのインジェという所にある火葬場を予定しています。
参席されたい方は、
+82-(0)10-4229-1980 まで。
チドリハルモニは、
1923年6月5日の生まれで、キョンサン道慶州の生まれです。
中国の石門子の「慰安所」にて性的被害にあい、
解放後も中国で生活せざるを得ず、2000年に韓国に帰りました。
ナヌムには2000年から7年間生活したわけです。
息子さんと娘さんが韓国にて働いており、
もう病院には娘さんが来てハルモにのそばにいます。
チドリハルモニの思い出など、みなさんに伝えたいのですが、
私自身もまだ気持ちが整理できていないのと、
まずは一報すべきと、メールをします。
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ひきつづきです。
多くの方に伝えてください。
>>
つづきです。池○伊(チドリ)ハルモニ ( ○→ 「石」の下に「乙」を書きます )
のことを書きます。
昨日孝病院へ面会に行ったばかりでした。
ムンピルギハルモニとキムグンヂャハルモニも同じ病院に入院しています。
昨日お会いしたときは、他のハルモニたちと一緒に面会しました。
少しこちらの顔を見られ、手を握ってくれていたり
食事を食べたほうがいいと何度もいうと、
指を差し出して、いらないと言うかのように、口の前で横に振ってらっしゃいました。
何週間も食事をなさらず、ここ2週間ほどはお粥も口にしない日々が続き
病院で点滴は打っていましたが、
昨日の話では、牛乳などは少し口にふくむと職員が言っていました。
韓国はお正月のため 他にハルモニたちの中でも娘さんや息子さんの家に行った
ハルモニたちが多い中、職員もお正月で田舎や実家に帰るなか、
さびしく逝ってしまいました。
孝病院に入院しているハルモニたち、そしてナヌムに残っているハルモニたち
チドリハルモニがこの世を去られたことが 大きな衝撃だと思います。。
来訪者を遠くから眺めて、男性を見つけると、「彼」が来たと親指を立てるハルモニ。機嫌がいいときは、部屋からゆったりとしたリズムのアリランが聞こえてきたハルモニ。「彼」に言われたと真っ白な白髪を、黒く染めて嬉しそうに日向ぼっこしていたハルモニ。チドリハルモニの部屋のにおいが懐かしく、涙が出ます。。
思い出は浮かんではきえていきますが、
チドリハルモニの生きてきたことを、刻みたいと思います。
まだ気持ちも整理できません・・・
お正月の前日。800回の水曜集会の一週間前。
2月6日午後15時24分
85歳でした。
明日、7日にハルモニにお別れをして
8日に送り出します。
病院より
(乱筆、長文ですみません)
お話を直接うかがったことはない。
しかし、「水曜集会」では同席したことがあったように思う。
「時間がない」「ワタシたちが死ぬのをまっているのだろう」。
まったく言葉がない。
池 ☆伊さん(チ・ドリ=元従軍慰安婦)6日、老衰のため韓国京畿道の病院で死去、84歳。
23年慶州生まれ。慰安婦だったことを公表し、その経験を証言。日本政府に賠償などを求めソウルの日本大使館前で毎週開かれる集会に参加した。
証言では、45年3月、紡績工場の工員に応募してだまされ、中国黒竜江省の慰安所で働かされた。戦後中国で結婚。2000年韓国に帰国し、元慰安婦の女性らが共同生活を送る京畿道の「ナヌムの家」で暮らした。(ソウル共同)
(注)☆は石の下に乙
安倍流靖国派内閣から福田内閣への転換は、しっかりとした対米従属を再確認し、それに抵触しかねない行き過ぎた靖国色の抑制がふくむものであった。
「教育再生会議」の「終了」は、そうした流れにかなうものである。
そのうえで、次の注目点は「新しい会議」の「新しさ」の中身。
はたして「最終報告」にもとづき文科省をチェックするような、立場の強い会議となるのかどうか。
教育行政の内容が、どこまで「教育再生」路線にそったものになっていくのか。
そこは福田内閣の靖国色をはかる、大事な指標の1つとなる。
提言実行へ新組織 教育再生会議が最終報告(しんぶん赤旗、2月1日)
政府の教育再生会議(野依良治座長)は三十一日、首相官邸で総会を開き、「社会総がかりで教育再生を」と題する最終報告を福田康夫首相に提出しました。
報告は、第一次報告(二〇〇七年一月)から第三次報告(同十二月)までの三つの提言について「すべて具体的に実行されてこそ初めて意味を持」つと強調。「提言の実効性の担保」のためとして、内閣に、後継組織にあたる新たな会議を設置し、実施状況を監視する仕組みを導入するよう要求しました。文部科学省などにも、実施計画を作成し、提言の内容を着実に実行するよう求めています。
首相は「新しい会議を内閣に設置したい」と表明しました。政府は二月中にも新組織を発足させます。
最終報告では、「取り組みのフォローアップ」が必要な主な項目として、▽徳育を「教科」として充実させ、必要な規範意識をしっかり身に付けさせる▽「ゆとり教育」を見直し、授業時数を増加する―などを挙げました。
そして、今後「六十年ぶりに改正された教育基本法を踏まえ、教育三法の施行や教育振興基本計画の策定など、いよいよ教育再生の本格的な実施段階」に入ると述べ、これが「教育再生の鍵を握る」としています。
最終報告には、提言の実施状況を点検する際の「チェックリスト」がつけられました。リストの「直ちに実施に取りかかるべき事項」には、「徳育の教科化」や「反社会的行動を繰り返す子どもへの毅然(きぜん)とした指導」など二十七項目が列挙されています。また、六・三・三・四制の弾力化、めりはりある教員給与体系の実現など九項目を、「検討を開始すべき事項」に挙げています。
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解説 「安倍路線」継承に執念
教育再生会議(二〇〇六年十月発足)の最終報告は、三次にわたって発表してきた提言を着実に実行するための後継組織づくりを求めたことが最大の特徴です。実行する中身は、徳育の教科化、全国学力テスト、教員免許更新制などです。戦前回帰を狙うとともに、教育への国家統制を強め、競争原理をいっそう導入していこうという方向性を鮮明にしました。
最終報告は「提言は、すべて具体的に実行されてこそ初めて意義を持」つと強調しています。「教育再生会議の役割はこの最終報告で終了」するといいながら、官邸や文部科学省を動かし、今後具体的に、再生会議の主張を教育現場に押し込もうというのです。福田康夫首相も施政方針演説で「教育の再生に取り組む」と述べており、再生会議の「生みの親」である安倍晋三前首相以来の「教育改革」路線を引き継ぐ姿勢を見せています。後継組織も含め、今後の動向は決して軽視できません。
ただ、これは、国民や教育現場との矛盾を広げるだけの未来のない路線です。例えば、教員免許更新制や成果主義賃金の導入で、本当に「教員の質」が上がるのか。むしろ教師からやる気や団結を奪い、子どもより管理職の目を気にする教師を増やすだけではないか。精神的、財政的なゆとりを増やすことこそ大切ではないか―。教育現場や教育の専門家からは、こうした批判が起きています。
「一人ひとりの子どもに、目の行き届いた教育を」という、国民が願う教育改革の方向に、再生会議の提言はことごとく逆行しています。これを教育現場に押し付ければ、教育はよくなるどころか混乱するばかりです。「役割を終えた」再生会議の後継組織の設置は、きっぱりやめるべきです。(坂井希)
道徳の教科化直ちに 教育再生会議が最終報告(読売新聞、2月1日)
政府の教育再生会議(野依良治座長)は31日夕、首相官邸で最後の総会を開き、教育再生に向けた最終報告を福田首相に提出した。報告は、「道徳」の教科化や学力向上に向けた対策など、これまでの1~3次報告の提言内容のうち、実行されていない重要課題を改めて明記した。
また、提言を具体化するため、学校現場での実施状況の評価など、新たな役割を担う組織を政府内に設けるよう求めた。2006年10月、安倍首相(当時)の肝いりで発足した同会議は、これで役割を終え、解散する。
最終報告は、〈1〉教育内容〈2〉教育現場〈3〉教育支援システム〈4〉大学・大学院改革〈5〉社会総がかり――の5本柱で構成。同会議がこれまでに提言した内容を「直ちに実施に取りかかるべき事項」と「検討を開始すべき事項」に分け、具体的に列挙した。「直ちに実施に取りかかるべき事項」としては、▽道徳の教科化▽小学校への理科や算数、体育などの専科教員の配置▽大学の全授業の30%の英語による実施――などをあげた。「検討を開始すべき事項」では、▽スポーツ庁の設置▽6・3・3・4制の弾力化▽携帯電話のフィルタリング(選別)機能の義務づけ――などを列挙した。
最終報告は、これらの内容について、文部科学省など関係省庁や地方自治体、教育委員会に対し、実施計画を作って着実に実行するよう求めた。
提言を受け、政府は2月中にも、フォローアップ(事後点検)型の新組織を内閣に設置する予定だ。
提言具体化へ 新組織不透明 政府の教育再生会議は31日の総会で、福田首相に最終報告を提出した。今後の焦点は、提言内容を具体化するための新たな組織の形態をどうするかに移る。ただ、再生会議を主導した安倍前首相に比べ、福田首相の「教育再生」にかける思いは判然とせず、どのような組織となるかは不透明だ。 31日の総会で福田首相は、「これまでの成果を十分生かすように、提言の実現、フォローアップ(事後点検)に取り組み、この後の新しい会議を内閣に設置したい」と述べた。しかし、新組織について、具体的な言及はなかった。 教育再生会議は最終報告で、「最も重要なことは提言の実現とフォローアップ」だと指摘し、「国、地方公共団体、学校などの実施状況を評価、実効性を担保するための新たな会議を内閣に設けることが極めて重要だ」と明記した。そのために、内閣直属の新組織の設置を政府に求めた。 再生会議の要請を受け、政府は2月中にも新組織を内閣に設置する考えだ。メンバーは民間の有識者を中心に5~6人になる見込みで、規模は教育再生会議の3分の1程度となる。 渡辺美樹委員は総会後、記者団に「新組織について、首相や官房長官と話をしたが全く具体的でない。提言がどれだけ実行されるのか心配だ」と懸念を示した。 教育再生会議 教育再生の具体策を検討するため、安倍前首相が2006年10月に設置した首相の諮問機関。ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏(座長)ら有識者が委員を務めた。3次にわたって報告を提出し、安倍前政権は報告に基づいて教員免許の更新制度導入の法改正などを行った。
イラク戦争を推進したブレア政権だが、ナチスドイツによるホロコーストにはキビシイ姿勢もっていたらしい。
さらに国連がこれを国際的な記念日としたそうだが、帝国軍隊による2000万人以上の殺戮を、われわれ日本国民はどうとらえていくべきか。
ホロコースト記念日 英首相が寄稿 過去学ぶ教育の系統的努力を(しんぶん赤旗、1月28日)
【ロンドン=岡崎衆史】ブラウン英首相は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念日を翌日に控えた二十六日、英紙デーリー・テレグラフへの寄稿で、過去の悲劇を系統的に学び、将来の教訓にするよう訴えました。
首相はまず、ナチス・ドイツによるホロコーストで六百万人のユダヤ人が殺害され、そのうち百五十万人が子どもだったことを指摘。「欧州大陸規模の大量虐殺を引き起こした偏見や差別、迫害を許した邪悪な力や誤りをすべての世代が学び理解しなければならない」と強調しました。
その上で首相は、「系統的な努力だけが過去についての共通の知識を維持し、ホロコーストとたたかった少数の人々の勇気をたたえ、将来のための教訓を学ぶことができる」と述べ、過去を風化させない教育による系統的な努力が重要との考えを示しました。
英イングランドでは、ホロコースト学習は中等学校で義務化されています。生徒によるナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所跡地訪問の支援も行われ、首相によると、今年はイングランドの全中等学校から二人以上の生徒が同地を訪問します。
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ホロコースト記念日 ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲者を追悼する記念日で、毎年一月二十七日。ナチス・ドイツのアウシュビッツ(現ポーランド・オシフィエンチム)強制収容所が一九四五年のこの日に解放されたことにちなみます。英国では二〇〇〇年、当時のブレア政権が設定し、翌〇一年から毎年記念行事を実施してきました。国連も〇五年、同じ日を国際的なホロコースト記念日に設定しました。
ハルモニたちには時間がない。
それは、日本という国と日本人たちが、せめてもの誠意を示すための時間ないということでもある。
「行動に移さなければ」。
「今、伝えなければ…」ナヌムの家研究員村山一兵さん(中央日報、1月24日)
日本軍の慰安婦被害者問題解決のため水曜集会。23日、ソウル中学洞(ソウル・チュンハクトン)の日本大使館前で開かれた797回集会の現場には日本人の姿もあった。
27歳の村山一兵さん。彼は日の丸が翻る大使館の建物を見つめながら「日本政府は責任を直ちに認め、真相を究明しろ」と叫んだ。2006年4月から京畿道広州(キョンギド・クァンジュ)にあるナヌムの家の日本軍「慰安婦」歴史館で研究員として仕事をしながら、ほとんど毎週のように水曜集会に参加している彼に現場で会った。
村山さんの韓国語は非常に流暢だった。まず、彼が韓国に来るきっかけについて尋ねた。「川崎が地元なので小さいころから在日韓国人の友人が多かったんです。高校時代に親しかった彼らの影響で韓日関係について勉強するようになりました」
父母の影響もあったという。「両親は1960年代に学生運動をする中で出会いました。全闘共最後の世代だと言っていました。父は日本で働いている外国人労働者を助ける仕事をしています。そのような両親を見ながら(社会問題に対する)関心を育てていきました」
法政大学政治学科に入学した彼は、延世大学に交換学生として2003年にソウルの土を踏んだ。政治学科や社会学科の授業を聞きながら、ナヌムの家でボランティアを始めた。清掃もしておばあさんたちの話し相手にもなった。
――ナヌムの家はどうして知ったのか?
「日本でも韓日関係に関心がある人はナヌムの家をよく知っています。僕もその中の1人です」
そして重大決心をする出来事が起きた。2004年にナヌムの家で暮らしていたキム・スンドクさんが83歳で突然、この世を去ったのだ。
「家族のようなおばあさんの死はあまりにショックでした。亡くなる2週間前まで一緒に話もしていたのに…」
日本に戻って大学を卒業した彼は、結局「より多くの慰安婦だったおばあさんが世を去る前に何かをしなければならない。頭だけで考えずに行動に移さなければならない」と、2006年におばあさんたちの元へ「帰ってきた」と話した。そのときからボランティアメンバーではない研究員としておばあさんたちと寝食を共にしてきた。現在ナヌムの家で唯一の日本人研究員だ。
「被害者であり証人であるおばあさんが現在109人生きていらっしゃいますが、健康状態があまり良くありません。ナヌムの家にいた方の3人が今、入院しています。1日も早く問題が解決されなければと思います」
特に体力の低下で証言や集会への参加などが難しいと訴えるおばあさんが増え、それが非常に残念だという。韓日の架け橋としてさらに積極的に取り組みたい思いから、慰安婦の被害者に関する漫画を日本語に翻訳したこともあった。その漫画は漫画家クォン・テソンさんが韓国挺身隊問題対策協議会とナヌムの家から得た資料と証言を元に描いた『もう一度生まれたら、花に』。彼はこれを翻訳してインターネットに載せると、『戦争と性-韓国で「慰安婦」と向き合う』というに収録された。日本の植民地下にあった1926年、ヨニという朝鮮の少女が日本軍からの強制連行を体験する悲しみを描いたものだ。彼の努力で日本で最初に知られ始めたこの漫画の韓国語版は今月出版され、英訳本(Born Again as a Flower)も出版された。彼は翻訳本を「ネイバージャパン」と「ヤフージャパン」のサイトに載せた。掲載から3日ほど過ぎると右翼たちによる悪質な書き込みでいっぱいになった。
「『慰安婦は存在しなかった』という書き込みが多いですね。れっきとした証拠が日本軍の資料にも残っているのにですよ。でもそれより重要なことは日本の普通の人々の考えです。右翼らの考えは柔軟性も何もないが、普通の人々はこの問題に対して知らない人が多いんです。そんな中、右翼たちは有名な漫画家に高額を支払って自分たちの主張を込めた漫画を描かせています。慰安婦を悪いキャラクターに設定して描くんですよ。そんな背景があるから『もう一度生まれたら、花に』の翻訳に打ち込みました」
今は2月16日から22日までナヌムの家で開かれる韓日大学生と被害者のおばあさんが交流するワークショップ『ピースロード(PaeceRoad)の』準備に忙しい。彼はいつまでナヌムの家にいるつもりなのか。
「決まってはいませんが、今後、少なくとも2~3年はいるつもりです。やらなければならないことがたくさんあります」
今、伝えなければいつ伝えるのかと彼は言う。それは日ごろからおばあさんとともに暮らしている彼が痛切に感じていることだ。
日本人だからこそ、韓日関係の暗い過去の歴史を清算するのに力になれたらという。この日の集会とインタビューには彼のいちばん下の弟、龍太さん(19)も参加した。龍太さんは兄の誘いで昨年から数回、ナヌムの家を訪れ、ボランティアをしている。
旧HPからの移転。
「慰安婦」問題をゼミで学んだ第2世代の訪韓旅行。
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最近の出来事(2005年9月特別編)
2005年9月12日(月)~15日(木)……3年生ゼミ旅行で韓国「ナヌムの家」へ!
「歴史館」「ハルモニの証言」「水曜集会」「若い世代の自由な交流」
〔12日〕……いざ韓国へ。
〔選挙結果の他力本願に不安を感じながら〕
3時就寝,9時30分起床の朝であった。
イチジクとキウイで立ち上がり,さらに野菜ジュースを流し込む。
昨日の選挙結果を確認し,いくつかの論評も読んでみる。
単純な「強いものへの期待・待望」に,社会の不気味な一面も感ずる。
「ナヌムの家」の矢嶋さんと,直前の相談をする。
主に食事の問題である。
シャワーをあびて,11時20分には外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ,空港バスで関空をめざす。
停留所で3年生O西tさんと出くわす。
1時間も前に家を出てきたという。
ごくろうなことだ。
バスに乗ると,さっそく顔づくりをはじめ,終了するとただちに眠った。
じつにわかりやすい行動である。
売店で買った新聞たちをながめていく。
「朝日」と「産経」の選挙論評に,そう大きな違いがあるわけではない。
ただし,「産経」の方が「白紙委任」に対する肯定的評価が強い。
生活の苦しさや将来への不安を強く感じながら,
しかし,その根源が何であるかへの理解がとぼしい。
「小泉一任」型の投票は,いわば,問題解決への他力本願的傾向のあらわれであろう。
もっと社会が賢くならなければ。
〔飛行機に遅れかかりながらも関空出発〕
12時40分には,関空に到着。
集合場所である「左側の世界時計」というのを探して,歩いていく。
すでに数人の学生が集まっていた。
集合時間の1時には,学外から参加のT垣さん,T田さん,卒業生のY田さん,
神戸市外大の4年生T井さんもふくめて,全員が集まる。
チケットを配布し,とりあえずの打ち合わせをして,一端解散となる。
手配をしてくれた旅行会社の担当者は,3年生Iりさんの同級生だという。
こちらは,「チーム非学生」の4人組で行動していく。
まずは喫茶店へ。
ランチを食べながら,自己紹介から始め,次第に話題は選挙となる。
あれこれ,おしゃべりがはずみ,時計を見たときには,すでに時間があぶなくなっている。
両替,搭乗手続,安全チェック,出国手続。
特に,安全チェックのゲート通過に,ひどく時間がかかり,
飛行機の離陸時間が迫ってくる。
最後の最後は,4人全員でダッシュであった。
出発時間に1分遅れてしまったらしい。
どんじりというわけではなかったが,それにしても,スマヌスマヌの出発である。
3時15分の離陸となる。
機内「講演録をなおしの人」となっていく。
全法務省労組でのもので,A4で20枚をこえる長いものである。
この旅行の初仕事である。
となりにすわった4年生は,ただちに眠り,
お菓子が配られると,ただちにかじり,
そして,また,ただちに眠りに落ちていった。
ここでも,やはり学生たちの行動はわかりやすい。
〔韓国・仁川空港に到着する〕
5時には韓国の仁川空港に到着。
ここでは入国審査に時間がかかる。
長い例をつくり,ゆっくりと進むなか,「講演録なおしの人」をつづけていく。
みんなが荷物を受け取るころには,なおしも終了。
こちらは,あいかわらずリュック1つの身軽さである。
空港ロビーに出て,ガイドさんをさがす。
「神戸女子学院大学」のカードを発見。
日本語の実に達者な,辛ウッキョンさんが,今年のガイドさんとしてついてくれる。
95年に1年間日本に留学したことがあるのだそうだ。
「『女子学院』じゃなく『女学院』です」。さっそく学生たちがおしゃべりしている。
6時すぎには,中型のバスに乗り込み,ソウルへと向かう。
辛さんが,「韓国入門」「ソウル入門」のような話を,いろいろとしてくれる。
学生たちには,10才上のお姉さんといったところである。
外国語である日本語を上手につかい,日本と韓国の社会や歴史について話す姿は,
自分たちの近い未来を考えるひとつの材料にもなってくれるだろうか。
〔さっそくブラブラ歩いてみる〕
こちらにとっては3度目の韓国である。
いつも同じ場所ばかりを動いているので,町並みもなんとなくなつかしく思える。
7時15分には,いつもの免税店に到着。
こんな日程はパスしたいのだが,これをパスすると,安いツアーが成り立たない。
いったん入って,ただちに脱出。
新聞社が多く,市役所もすぐ近くという,にぎやかなビジネス街を歩いてみる。
片道8車線の大きな道路は,地下道を通って渡ることが多いようだ。
歩道の青信号は,なぜかいつでも点滅している。
そして,人々はそんな信号を無視して,赤信号でもどんどん歩く。
「徳寿宮」というのは,秀吉が朝鮮侵略をした時代の,臨時の王宮だったらしい。
なぜか,たくさんの警官隊が警備に出ていた。
そういえば,市役所前にも警備の警官が。
7時45分には,バスにもどる。
〔韓国学生フレッシュマンとプルコギを食べる〕
8時には,ニュー国際ホテルに到着。
大きな通りに面しており,去年の豊田(プージョン)ホテルよりも,便利なようす。
すでにロビーには,3年ゼミN村さんの友人たちが待っていてくれる。
この夏の「日韓交流平和ツアー」で同じグループになった韓国の友人たち。
部屋に入り,荷物をおいて,ただちにロビーへもどる。
この韓国の学生たちが予約しておいてくもさた焼き肉屋さんに歩いていく。
にぎやかなミョンドンの街へ。
大きな店の2Fを借り切り,26~7名というなかなかの大集団でのカンパイである。
共通の言語は,双方あやしい英語だが,
なかには日本に9年住んで学生もおり,達者な日本語を披露してくれる。
19才(日本の数え方だと18才)のフレッシュマンだが,
じつに精力的に歓待してくれた。
ありがたいことだ。
その前で,大きな鍋がグツグツ煮える。
「これは何?」と聞くと「プルコギ」だと。
これも,エゴマにくるんで食べる方法がある。
汁がおおいが,やってみると案外うまく食べられる。
青い唐がらしもナマでかじってみる。
〔明日の天気はわからない〕
10時には,店を出る。
外には雨が落ちていた。
「明日の天気は?」と聞いてみると,
「洗濯しなさいという人と,洗濯してはダメという人がいる」とのこと。
なるほど,判断がつかないということらしい。
しばらく歩いて,路上でいったん解散とする。
日韓若いもの交流には,まだ先がありそうである。
一方,こちらは,明日にそなえておかねば。
フラフラと歩き,コンビニにもよって,11時前には部屋にもどる。
NHKのBSをしばらくながめ,夜は静かに「網野史学の人」となる。
1時ころ,となりの部屋に酔っぱらった韓国オトッツアンが帰ってくる。
なにやら大声で叫んでいるが,どの国でも,酔っぱらいはこんなものであろう。
モーニング・コールも,めざまし時計も見当たらず,
リュックからケータイをひっぱりだして,眠りにつく。
学生たちも,1時半にはもどったらしい。
〔13日〕……「ナヌムの家」へ,歴史館に学び,証言を聞く。
〔サービスエリアでゴマ団子〕
1時30分就寝,9時起床の朝であった。
お茶をクピクピとのみ,少しからだを動かしてから,
シャワーをあびて,ロビーに降りる。
10時の集合時間に,全員キチンと集合である。
ただし,良くみると,いつもより,全員アタマボサボサの度合いがひどいようではある。
バスに乗り込み,ただちに「ナヌムの家」へと出発していく。
10時50分には,途中のサービスエリアでいったん降車。
ここで食事をとるという作戦である。
気持ちのやさしそうなオトウサンから,
ソーセージとピクルスの春巻きや,フランクフルト,ゴマ団子など買ってみる。
もちろん,言葉は通じず,すべて指さし確認だけでの購入である。
身内で,互いに食べ物交換を行い,
あげかまぼこのようなものもかじらせてもらう。
また,和菓子をあげたようなお菓子も食べさせてもらう。
満腹になったところで,11時30分には,サービスエリアを出発。
バスが山の方に入るにつれて,まわりの景色が再び,見慣れたものに思えてくる。
〔1年ぶりの「ナヌムの家」〕
12時ちょうどには,「ナヌムの家」に到着する。
白いアホ犬が吠えかかってくるものと思っていたが,肩すかしである。
今年は少しだけ「大人」になっていたらしい。
1年ぶりでチュヒョクに会う。
去年よりひとまわりたくましくなっており,日本語もさらに一団と流暢になっている。
あとで聞いたところでは,日本語教師になりたいらしい。
お土産のサザンのCDを渡すと,とてもよろこんでくれた。
12時20分には,歴史館で仕事をしていた,矢嶋さんもやってくる。
相変わらずの鷹揚とした風貌だが,しかし,忙しそうである。
今日は他にも日本人のグループが来ているらしい。
「今年は相方さんは来ないんですか?」とも。
まずは,ビデオ2本をながめていく。
3年ゼミ生たちはすでに見ているものだが,他のメンバーには初めての人もいる。
姜徳景ハルモニについての『私たちは忘れない』,
朴永心ハルモニについての『写真に記録された「慰安婦」』を見る。
〔歴史館での学びの開始〕
1時10分には「日本軍『慰安婦』歴史館」に入る。
矢嶋さんのていねいな解説のもと,あれこれの資料たちをながめていく。
「解放後もいろいろな事情で身動きのとれなかった元『慰安婦』は少なくなく,
かつて慰安所があった場所から数百メートルのところに,
いまだに1人で住んでいる人もいる」。
「沖縄の『慰安所』は134ケ所。
朝鮮人の強制労働によってつくられたハエバルの洞窟のなかの野戦病院にも」。
「インドネシアではオランダ人数百人も」。
「国連では『慰安婦』(comfort woman)という用語をすでにつかっておらず,
『性奴隷』(sexual slave)に統一されている。
『従軍』には自らの意志で戦地におもむいたという意味がふくまれる。
加害国の日本でのみ『従軍慰安婦』という用語がいまだに使われていることは問題」。
「数年前,さきほどのビデオの朴永心さんが,かつての南京の『慰安所』をおとずれた。
それが日本で本になっているはず」。
〔強制された人の多くは朝鮮人〕
「記録に残る最初の『慰安所』は,1932年にまず海軍によって,つづいて陸軍によってつくられた。
当時の日本には公娼制があり,国内で性奴隷とされていたこの人たちが,
初期には『慰安所』で多く活用された」。
「『慰安婦』の総数は良くわからない。5万から30万という人もあれば,
全体で20万という人もあり,朝鮮人だけで20万人という人もある。
しかし,全体のなかで朝鮮人が非常に多いのはまちがいない。
長く植民地であったこともあるし,深い民族差別ということもある」。
「いま『ナヌムの家』には8人のハルモニがいるが,
6人は10代で未婚のままに『慰安婦』とされ,
2人は20代で家族も子どももあったなかで『慰安婦』とされている。
植民地支配下で生活が苦しく,いい仕事があるとダマされて連れさられた」。
「軍関係だけではなく,日本の企業がもっていた産業慰安所もたくさんある。
北海道の炭鉱にも多かった。
九州の麻生産業は,朝鮮人・中国人の強制労働も活用していた。
その経営者たちが,戦後の日本権力にふかくかかわっていくという歴史がある」。
〔実態としては軍が経営〕
「『慰安婦』を『衛生的公衆便所』と呼ぶこともあった」。
「経営形態には種類があったが,軍が民間業者に委託して行なうものが主流。
他に軍が直営するもの,また民間経営だが,
軍人に優先的に利用させるという契約を結んだものなどもあった」。
「民間業者がかかわる場合も,経営の規則や,『慰安婦』の『運搬』を軍が行なっており,
実質的に軍が経営していたといえる」。
「梅毒の治療や妊娠中絶のためには,きわめて有害な水銀の塗布が行なわれた」。
「先日,光州でなくなった元『慰安婦』は12才で『慰安所』に連れ去られていた」。
「『慰安婦』や『慰安所』に軍票やチケットを渡して,セックスすることが多かったよう。
軍票は直接管理者に渡され,チケットは管理者と『慰安婦』に渡される場合の両方があった」。
「この形式をもって『商行為』だという人もいるが,
拉致そのもので『慰安所』につれていかれたという強制性,
密閉された空間で,兵士のいいなりにならねば生きられなかったという強制性,
『商行為』だという人たち,これらの問題にふれようとしない」。
〔1人の学生が倒れてしまう〕
ある「慰安所」を再現した場所の前で,1人の学生の気分が悪くなって倒れてしまう。
ドイツ人女性ボランティアのエバにもかかれられて,事務室で横にならせてもらう。
「日本から来た人には時々あること。カラダの自然な反応です」と矢嶋さんはいう。
看護士の資格をもったスタッフもいるらしい。
残りのメンバーで学習をつづけていく。
「外務省,厚生労働省,防衛庁,警察庁などに資料が残っているが,公開されないままになっている」。
「解放後も,殺される,置き去りにされるなどのことがあり,
戦後60年もたってから,ようやくふるさとに帰った人もいる」。
「最近,1945年の11月か12月に沖縄のコザで撮影された写真が見つかった。
そこには7名の朝鮮人『慰安婦』が写っており,
あわせて147名の『慰安婦』の名簿も出てきた。
日本史研究者の林博史さんがアメリカで発見し,今年の7月31日の新聞で報道された」。
「韓国政府は国家的プロジェクトとして,真相究明委員会をつくっている」。
〔「アジア女性基金」の問題点〕
「日本の元軍人が戦後出版した手記などには,『ピー屋』という名前で『慰安所』が出てくることがある。
ピーというのは,女性器を意味する中国語の俗語。
『慰安婦』を中国ピー,朝鮮ピーなどと呼んでいることもある」。
「『慰安婦』制度と公娼制度は,かかわりはあるが,まったく別のもの。
公娼については,本人の意志確認が必要。
また公娼の場合は,確認があっても未成年者については,働かせてはならないという決まりがあった」。
「唯一,公的に『慰安婦』への加害が裁かれたのがセマラン裁判。
13名が有罪とされ,1名は死刑となって処刑された。
ただし,これはインドネシア人をのぞく,白人被害者への加害だけを裁いたもので,
そこにはアジア人蔑視のダブル・スタンダードもあらわれている」。
「被害者たちは,『アジア女性基金』による『つぐない金』ではなく,
税金による『国家賠償』を求めている。
『アジア女性基金』は,韓国・台湾・オランダ・フィリピンの4ケ国だけに向けられたもので,
しかも,申請者だけにわたされるとしたもの。
中国・北朝鮮は対象とされていない。
1人500万円という金額は,生活に苦しむ被害者には大きなものだが,
それを受け取ったどうかで,被害者内部にも被害者を支援する運動の中にも新たな対立がつくられた」。
「受け取っていない韓国人が,名簿で受け取ったと記されたことがあり,
本人が抗議したが,国民基金は韓国側窓口に金を渡してあるのだからと,
門前払いを食らわせた。まったく不誠実な態度」。
「当人たちは善意でつくったといっているが,結果的には独善といわれても仕方がない」。
〔告白せずにおれなかったペ・ポンギさん〕
学生たちは,メモ,ペン,ビデオ,カメラなどを手に,
目でみるもの,声で聞くものを,全身で受け止めようとしている。
ほぼ無言のままである。
倒れた先の学生も,このあたりで,みんなのもとにもどってくる。
韓国で最初に,自分が「慰安婦」であったことを告白した金ハクスンさんの,声がながれる。
「私を17才に返してほしい」という言葉が悲痛である。
「沖縄では45年8月15日以後も戦闘がつづき,
自殺を強要するなどの,日本軍による日本人殺害もつづいた」。
「1944年に沖縄につれてこられた,ペ・ポンギさんは,
サンフランシスコ講和条約が発効した52年4月28日に一方的に国籍を奪われる。
その後,沖縄はアメリカの統治下におかれるが,
72年の返還時に,外国人としての登録がないことが発覚する。
それが問題とされたときに,自分が『慰安婦』であったことを告白せずにおれなくなる。
『私を勝手につれてきたのは日本じゃないか』ということだ」。
「沖縄の一部メディアがとりあげたが,大きな注目はされなかった。
朝鮮総連系の人が支援したが,当時の総連と韓国の関係はまったく疎遠で,
ペ・ポンギさんは,韓国へ帰る機会を得ることができなかった。
戦後も「辻」や「米軍基地」でセックス産業にたずさわらずをえず,
晩年はサトウキビ畑の手伝いなどをしていた」。
〔韓国社会の偏見を乗り越えて〕
「ペ・ポンギさんは91年10月に亡くなっている。
金ハクスンさんの告発が91年8月だから,それを知る機会があれば,
ペ・ポンギさんも故郷の韓国を再び訪れる機会がもてたのかも知れない」。
「『慰安婦』の体験を語ることは,韓国国内でも強い偏見との闘いを必要とした。
しかし,90年代以後の取り組みのなかで,
〈汚れた女〉ではなく,かつての日本軍による〈被害者〉という,大きな理解のパラダイム転換が起こる。
日本と異なり,すでに韓国では,その正しい見方が社会の多数派。
加害国の日本では,いまだにそれが多数になっていない」。
「91年1月8日に最初の『水曜集会』が行なわれた。
日本にも共産・社民・民主の参院議員に,この問題の解決に努力している人がいる。
しかし,解決に向けた法案を国会に提出しても,与党がこれをつぶしてしまう。
政治をかえることが必要で,みなさんも政治とのつきあいを本気で考えてほしい」。
「国家賠償を要求して,歴代首相を批判してきたハルモニだが,
話題が昭和天皇におよぶと,気持ちがすくむところがある。
『皇国臣民の宣詞』を,まだ前文暗唱できるハニモニもここにいる。
いかに植民地支配の力が,個人の人格に深い影響を与えるかという一例だ」。
「ハルモニの絵には,自分たちが船にのせてはこばれる姿をえがいたものもある。
ハルモニは知らなかっただろうが,軍は彼女たちを『補給品』として実務処理していた」。
〔歴史の事実と自分のかかわり〕
しばらく,ハルモニたちの絵をながめて,
全員,文献・資料・ポストカードなどがおかれた最後のコーナーに出る。
「慰安婦」であったことの悲惨と,その後の人生の悲惨,
それらの悲惨を強制した加害の罪の深さを,それぞれがあたまとカラダで整理していく。
自然,口数は少なくならずにおれない。
そして,この歴史の事実と,いまいる自分のかかわりはどのようなものであるのか。
この問いにも,1人1人が自分なりのこたえを求めていかねばならない。
何十時間も学んできたことではあるが,
文字からでは学ぶことのできない空気がここにはある。
ひどく降り始めた雨のなかを,もとのホールにもどっていく。
〔ムン・ピルギ・ハルモニの証言〕
3時15分から,ハルモニの証言をうかがう。
今回の証言をしてくださるムン・ピルギ・ハルモニは,中国で「慰安婦」を強制され,
解放後は,長くソウルでくらし,この1年ほど前に「ナヌムの家」にこられた方だという。
証言を,矢嶋さんが翻訳して伝えてくれる。
「私は15才でつれていかれた」。
「故郷はキョンサンナンドのチニャングン。
父は日雇い労働のような仕事をし,母は雑貨屋をやっていた。
ひどく貧しいわけではなかったが,学校にいくことはできなかった。
父に『日本人が経営する学校にいってどうするか』といわたりもした」。
〔15才で中国へ〕
「15才のある日,両親のいない日に,警官らしい人がきて,
『工場で働かないか』『中国の工場で働けば,学校にもいくことができる』といわれた。
『このクルマに乗っていけ』といわれ,最初に汽車で釜山の方へつれていかれた」。
「釜山で美容室のようなところへいき,腰まであった長い髪を切られた。
悲しくて泣いた。
つれていった日本人は非常に朝鮮語がうまかった。
釜山から女5人でソウルへ運ばれ,そこであらたに女が10人乗った,
さらにシンウィジ(?)から次の10人の女が乗った。
全部で25人ほどの女が中国へつれていかれた」。
〔子どもにできることではない〕
「『慰安所』には,軍人はチケットをもってやってきた。
軍人の相手は,とてもつらかった」。
「チケットはつづりになっており,本当なら,決められた枚数を渡さねばならないが,
少ないチケットしか出さない者もいた。
ちゃんとチケットをくれというと,殴られて,怖かった」。
「ちょっとでも言うことを聞かないと,蹴られたり,なぐられたりした。
本来,子どもにできることではないのに。
『オマエたちの国は,オレたちが奪った。だから言うことを聞け』。
そういわれるのが一番くやしかった」。
〔病院にはこびこまれて〕
「ある土曜日,軍人に,暖炉の火かき棒を,脇にあてられた。
朝鮮語をつかってはいけないことになっていたが,
思わず『ナンダ,コノヤロウ』と朝鮮語が出た」。
「あまりの大声に,外にいた軍人がやってきた。
ふるえて倒れている私を見て,『誰がこんなことをした』と問い詰める者もあった」。
「大騒ぎになり,病院で軍医の治療をうけた。
注射され,命をとりとめたが,『部隊の名誉が失われるので,このことは絶対に秘密だ』といわれた」。
ハルモニのとつとつとした証言に,矢嶋さんが何度も質問を繰り返し,
話にまとまりがついたところで,日本語になおして伝えてくれる。
〔週末には1日20人の相手を〕
「週末の土曜・日曜には,多くの軍人がやってきた。
週末には1日20人ぐらいの相手をさせられ,逃げることもできない。
妊娠したある女性は,中絶させられた。
出産した女性の場合は,母子ともに殺される場合もあった。
生んだ子どもを,中国の老婆に頼み込んで,あずけた人もいた」。
「ときには外に出ることもあったが,軍に雇われているチンピラが2人,
監視役として,後ろから棒をもってついてきた。
軍属(軍に雇われ,軍のために働く民間人)だった」。
「チンピラは,ちょっとでも私たちが気に入らないことをすると,
『慰安所』の横の寒い地下室に私たちをとじこめた。
ある女性は,それでカラダをこわした。
言葉につくせない,たくさんの苦労をしてきた」。
〔地獄のようなところ〕
「いま腰がいたいのも,その時の後遺症。からだがつらい。
のしかかってくる男が大きい場合には,その重みでつぶされる思いがした。
地獄のようなところへつれていかれた」。
「梅毒を兵隊からうつされたこともあった。
606号というクスリで良くなったと思っていたが,
ずいぶん後に髪の毛が抜けることがあり,
病院で,そのクスリの後遺症だといわれた」。
「小泉日本政府は,私たちにすべきことをきちんとすべきだ。本当にくやしい。
腰が痛いだけでも,大変な苦労だ。
日本人は本当にヒドイ」。
「梅毒は大きな病院で治療したので,いまは大丈夫」。
〔3年ぶりに故郷へ〕
「解放の瞬間には,突然軍人がいなくなった。
どこかに闘いにいったと聞かされた。
その場に取り残されたが,シンウィル(?)の女性が『帰り方を知っている』といった。
自分よりはだいぶん年上の人で,4名でそこを出ることにした。
まず平壌まで出て,そこでその女の人とわかれた。
女の人がたのんでくれた男の人につれられて,ソウルへついた。
その男の人にオニギリを2つもらったのを覚えている。
平壌ではソ連の軍人を見たし,ソウルの駅ではアメリカの軍人を見た」。
「キレイにしているとソ連兵におそわれるかも知れないというので,
4人で顔に泥を塗りあって,帰って来た」。
「ソウルの駅で,その男の人から『これで帰られるから』と切符をもらった。
なんとか自分の家にもどったが,3年ぶりだった。
母親が『本当に帰ってきたのか? 幽霊じゃないのか?』といった」。
「『もう学校にいく年ではないから,結婚しろ』といわれたが,
それはしたくなかった。
その後,今日まで,結婚することはなかった」。
〔あなたたちの国のために,こうなった〕
「体験については,これくらいにしたい。
小泉は賠償するべきだ。
あなたたちの国のために,こうなった。
カラダはボロボロだ。
どうして,知らぬふりができるか」。
「最近は,竹島(独島)さえ,自分のものだといいだした。理解できない。
お互い生きていかねばならないのに,いつも日本が韓国にいやな思いをさせる」。
「2000年の民衆法廷では,元日本兵の証言があった。
最後に『被害者がいっていることは本当です』といってくれて,嬉しかった。
互いに握手しあった。会場からも泣き声が聞こえた。
たくさんの人が,私たちがどういう目にあったかを,わかってくれたと思う」。
これらは,個人の記憶にもとづく証言の要約と翻訳であり,
さらに,こちらの責任でのメモである。
必ずしも正確でないところが当然にある。
しかし,「慰安婦」であることを強制された3年間の体験と,その後の人生の苦しみについては,
伝わるところが十分あるものと思う。
〔毎日が軍人との闘い〕
話をうかがった側から質問もさせてもらう。
いまおいくつですか?
--「数えで80才」。
現在の生活はどのようで,何が楽しみですか?
--「昨日は病院で,長くまたされ,それで1日がつぶれた。
ふだんはヒマな時間はテレビを見ている。それが趣味。
息子(姉妹からあずかり自分が育てた)家族に会いに行くのが楽しみ。
今日も電話してみたが,留守だった」。
監視役のチンピラはどういう場合にハルモニを地下室にいれたのですか?
--「ほとんどがいやがらせ。とくに私たちが約束をやぶったからではない。
いたずら半分に,地下室にいれるのが目的であるかのようにあつかわれた」。
--「軍人が私たちをつれて歩くことは禁じられていたが,『椿姫』という映画につれていってもらったことがあった。
楽しいことかあったとすれば,それくらい。軍人も大変だったとは思う」。
--「毎日が軍人との闘いだった。本当なら,軍人と闘うために,私が銃をもっていたかった」。
証言は,終始,静かな口調で行なわれた。
〔証言の後には,うなされることも〕
矢嶋さんが,最後に言葉をそえてくれる。
「ムン・ピルギ・ハルモニは,こういう証言をすると,その夜,当時の夢を見ることがあり,
外にもうめき声が聞こえることがあります。
そういう思いをしてでも,みなさんに証言をしなければならないと思っているわけです」。
「入院したことがあるのですが,ベッドに横になっている時には,『慰安所』のベッドを思い出したそうです。
また治療してくれる医者が,軍医に見えたそうです。
あまりに恐ろしかった記憶は,そのような形でいまも残っているのです」。
お礼を述べて,4時すぎには,証言をうかがう時間を終える。
ホールを出て行くハルモニを,何人かの学生が追いかけ,
手をとって,いっしょに生活の場まで,歩いていく。
〔はじめての横幕づくり〕
4時15分,夕食の買い出し部隊と横幕づくりの二手にわかれて,
夜の準備がはじまっていく。
雨が強いので,今年は昨年のように,外でバーベキューというわけにはいかない。
まったくもって残念だが,それでも,自炊を楽しむ時間をつくることにする。
さらに買い出し部隊は,明日の朝食の用意,
夜の酒とお菓子と,ハルモニたちへの果物も買うことにする。
他方,残りのメンバーは,ホールに新聞紙をひろげ,
4メートルほどの布をひろげて,横幕をつくっていく。
全員で,ハングルの1文字ずつを,なれないハケで書いていく。
「謝罪しよう。私たちは本当の日韓友好を実現したい」。
さらに,全員が,1人1人の思いを日本語で,あちこちに書き込んでいく。
もちろん,ワルモノも登場した。
ワルモノのセリフは,「私たちも謝る,日本政府も謝れ」というものであった。
できあがった横幕を,ホールの端にうつし,
テーブルをならべて,食事の準備をすすめていく。
〔緊張の糸をほぐして〕
広くはない炊事場で,たくさんのブタ肉が焼かれていく。
味噌をつけて,エゴマやチシャの葉にくるんで食べる,サムギョプサルである。
野菜をあらい,食器を引っ張りだし,
肉を焼き,焼き上がったものを窓からホールに手渡していく。
ワイワイと,にぎやかな時間となっていく。
6時30分から食事である。
ビールもあいて,ジュースもあいて。
学生たちの顔に,屈託のない笑顔がもどる。
矢嶋さんやチュヒョクもいっしょに食事をとる。
歌姫・ペ・チュンヒ・ハルモニもやってくる。
7時30分からは,去年にひきつづき,ハルモニを先頭とする「カラオケ大会」となっていく。
ハルモニが長年きたえたノドを披露すれば,
チュヒョク(坊主アタマのためか学生に「一休さん」と命名される)がサザンを歌い,
学生たちは,大量のお菓子を食べながら,何やらいまどきの歌を歌っていく。
こちらもいくつかを歌えと追い詰められていく。
ドイツ人のエバもやってくる。
ドイツから日本に留学し,いまはここで短期間のボランティアをしているらしい。
ハルモニの太鼓にあわせて,学生時代に良く歌った,なつかしい歌も歌ってみる。
〔宴はつづく〕
はげしい盛り上がりに区切りをつけて,10時50分には,1Fホールの片づけに入り,
酒飲み大人部隊は2Fへあがる。
2Fは,とどまるところなく盛り上がりの度を増していく。
韓国焼酎ジンロのビンがつぎつぎとカラになり,
話題は,「慰安婦」問題,歴史認識問題,学生たちの姿,
日本の選挙,チュヒョクの日本留学から,プライベートまで。
結局,2時30分には,寝たらしい。
そのあたり,残念ながら,記憶はさだかでないのだが。
〔14日〕……水曜集会で発言,若者たちは手をつなぐ。
〔白犬を上手投げ〕
8時30分,どうにかカラダをもちあげる。
夕べは,気持ちの良い時間となり,例によって飲みすぎてしまった。
はじめてだった昨年の極度の緊張から,
行動の針が一挙に対極にふれとんでいる。
オレンジ・ジュースをグピグピと飲み,9時には,まぶしい朝日をあびてみる。
元気のいい学生たちが,掃除機をもって,2Fホールへあがってくる。
顔をあらって,ヤケクソで,例の白犬と遊んでみる。
母犬は,かまっても,「ハイ,うれしゅうございます」と申し訳程度の喜びだが,
息子の白犬は,全力で「オレ,うしいです」「オレ,うれしいです」と完全二足歩行で抱きついてくる。
しばらく,ふりまわして,最後には,上手投げでころがしてみた。
〔集会の発言者を「あみだ」で決める〕
10時には,チョヒョクとも別れ,バスに乗って出発とする。
矢嶋さんとエバとペ・チュンヒ・ハルモニが,われわれと同じバスに乗り込んだ。
ほかのハルモニたちは,別のクルマで移動である。
「水曜集会」が行なわれる,ソウルの日本大使館前へと移動である。
12月20日に大学で行なわれる「ハルモニの講演(証言)会」の打ち合わせを,
矢嶋さんとしながら,自分がどうも「犬クサイ」ことに気づいていく。
「集会」で発言する3人のメンバーを「あみだ」で選び,どういう発言をすべきかについて,
マイクをまわし,学生たち全員が自分の意見を語る。
「あみだ」という選出方法に,異論は出ない。
このあたり,学生たちは,妙にハラがすわっている。
屈託のなさも,すでにたくさんの学びを重ねてきたことから来ているのだろう。
「矢嶋さんは何もですか?」の声にこたえて,ご本人から簡単な自己紹介をしてくれる。
そして,ソウル市内に入ったところで,
植民地時代につくられたいくつかの建物を紹介してくれる。
〔水曜集会で発言する〕
11時50分には,日本大使館前に到着。
今日は,第674回の「水曜集会」である。
こちらでは「水曜デモ」ともいわれるが,
日本でいうデモ行進ではなく,同じ場所での1時間ほどの集会である。
さっそく,夕べつくった横幕をひろげていく。
主催者あいさつのあと,まずは韓国の高校生たちが発言する。
男の子がしゃべり,女の子がしゃべり,そのたびに,同じ生徒たちから,
応援の黄色い声がとぶ。
このあたり,日韓の少年少女気質に大きな違いはないようである。
2番目の発言が,われわれであった。
全員で前にならび,代表の3人が語っていく。
「日本人全員が謝罪の気持ちをもつべき」
「小さなからだで,たくさんの軍人の相手をさせられたかと思うと本当に胸が痛む」
「知らなかったではすまされない」
簡潔ではあるが,それぞれの気持ちと意志が率直につたわる。
たくさんの拍手をあびて,うしろにもどる。
〔日韓の若者たちが手をつないで〕
つづいて,東大と中央大学の学生たちが発言する。
さらに名古屋からこられた市民団体の方たちも。
今日も,日本からきた人が,集会全体の半分くらいをしめるだろうか。
ざっと見て70~80人くらいの参加に見えたが。
集会のフィナーレは,じつににぎやかなものとなった。
日韓の若者たちが手をつなぎ,1本の龍のようになって,グルグルとかけまわる。
最後には,おそらく,「互いに力をあわせて思いをとげよう」ということだろうが,
たくさんのメンバーが横一列にからだを寄せ合い,背中をまげて,
その背中のうえを,次々と人が歩いて渡る。
小さな前進のために,1人1人の背中(力)が必要ということだ。
われわれのグループからも,2人の学生が手をひかれ,
日韓の若者たちの背を踏みしめながら,前へと進んだ。
笑顔と歓声のなかでの,フィナーレであった。
〔さっぱり冷麺で旅行の目的は完了する〕
中央大学の学生には,見知った顔があり,なんどか言葉をかわしてみた。
さらに,集会のあとに,みんなで入る食堂には,
昨年の旅行でいっしょに酒を飲んだ,市民運動家のカン・ジェスクさんの姿があった。
名古屋からグループの案内をしており,なんと,昨日は「ナヌムの家」にいたという。
偶然というのは,あるものである。
氷のういた冷たい冷麺をツルツル食べる。
酢の効いたさっぱりした味わいが,かわいたからだに嬉しい。
目の前にすわったエバが,「先生はどうしてワルモノが好きですか?」と,上手な日本語で聞いてくる。
意表をつく質問であった。
「それはね……」。
2時30分には,バスにもどる。
ここで,矢嶋さん・エバとお別れする。
矢嶋さんとは,年末に,会うことになりそうである。それまで,お元気で。
3時前には,ホテルにもどる。
これからあとは,明日の朝まで,全員,完全自由時間となる。
4月から今日までの,ハードな全ゼミ日程のいわば「褒美」のようなものである。
〔なぜかそこだけ工事中〕
こちらは部屋にもどり,シャワーをあびて,気分を転換。
「犬クササ」からも解放される。
3時30分にロビーに集まり,今度は3人だけで外へ出る。
この時間については,一切予定を考えておらず,
「独立公園などまわりませんか」という外大のT井さん等につきあうことにする。
ブラブラとあるいて,「景福宮」へ。
ここは,李氏朝鮮時代の王宮であり,
植民地時代には,日本軍による破壊と占領があった場所でもある。
その一角に,王妃・閔妃(明成皇后)が,1885年に殺害・凌辱されたことを記録する碑があるらしい。
目当てはそこにあるという。
広い王宮のなかをあるき,もっとも奥にようやく碑のある場所を見つけ出すが,
不運なことに,その一帯だけが工事中である。
同行した学生が,「雨女」ならぬ「工事女」であったらしい。
ガックリして,5時には,1本買うごとに大きな音楽の流れる巨大自販機の前で,休憩する。
キャッキャッと声が聞こえ,振りむいてみると,
キレイな民族衣装をまとった,20人ほどの小さなこどもたちが,
手をつないで,どこかへ歩いていく。
実に,かわらしい姿である。
〔3・1独立公園へ〕
気を取り直し,今度は,ミョンドンの街を通り抜け,
「3・1独立公園」へ歩いてみる。
去年,矢嶋さんに,ザッと案内をしてもらった場所である。
1919年の独立運動の発祥地でしり,当時の闘いの様子や,日本軍による弾圧の様子が,
何枚もの大きなレリーフに残されている。
宣言文の前文が大きな石碑に刻み込まれ,何人もの闘争の英雄の像がある。
レリーフをながめていると,突然,園内に大きな音楽が流れ,なにやら演説調の放送がはじまる。
おそらく独立運動の解説なのだろうと,わからないながらも,勝手に想像していく。
「国宝」だという大きな塔と,同じく「国宝」だという柱もながめる。
その昔は,大きなお寺があった場所だという。
6時には,公園の入り口が閉まってしまう。
これにて,とりあえずの目的は達成。
〔3日つづけて焼き肉です〕
疲れと空腹を感じて,ミョンドンの街を歩くが,どこで食事をとっていいかがわからない。
何せ,言葉がまるでダメなのである。
結局,「もうここでいい」と,投げやりに決定して入ったところが,
なかなかどうしての焼き肉専門店のようであった。
「私は,日本語がうまくないから」と日本語で話しかけてくれたオトウサンと,
確かに,うまく通じ合わない会話をして,しかし,食べるものはなんとなく決まっていく。
ゆっくりと1時間ほどは食べたのだろうが,
ていねいなことに,そのあいだに4回も5回も,焼き肉の網がとりかえられた。
時間がたつにつれて,韓国サラリーマンたちがふえてくる。
〔ぶらぶら歩きの夜である〕
7時半には,店を出る。
「お土産を買いたい」というので,ミョンドンのそれらしい店を物色していく。
いくつかの妙な置物に心がひかれるが,
これ以上,研究室がヘンなものだらけになっても困るので,静かに衝動をおさえていく。
それに,それらはいずれも韓国の文化とは無縁なもののようであった。
途中,偶然,3年生K元さんにあう。
韓国の友人2人といっしょである。
このように,学生たちのなかには,
個別にそうした日韓ネットワークをもっている人も少なくない。
あらかじめ連絡をとりあっていたのだろう。
買い物をおえて,8時50分にはホテルにもどる。
振り返ってみると,実に良く歩いた1日である。
さらに,これから「アカスリ・エステ」に出かけるグループがあるらしい。
その一群がロビーに集合している。
学生たちの夜のすごし方も様々である。
コンビニを求めて,再び外に出るが,
9時すぎからは,おとなしく部屋で時間をすごしていく。
〔15日〕……予定どおりの帰国となる。
〔ホテルを出る〕
9時30分就寝,12時起床,
さらに2時就寝,7時30分起床。
2段階ダンダラ睡眠の朝であった。
たんに寝ついたのが早すぎただけであろう。
シャワーをあび,水をクピクピ飲んで,片づけをする。
8時30分には,ロビーに集合。
バスに荷物を放り込み,記念撮影となったところで,
学生2名が足りないことに,ようやく気づく。
電話で起こして,ドタバタ下ろす。
初日に焼き肉屋などを案内してくれた韓国の学生たちが,見送りにきてくれる。
夕べも遅くまで,学生たちにつきあってくれたらしい。
試験の時期だというのに,ありがたいことだ。
これもまた学生ネットワークの力である。
さらに数日旅行をつづけるという3年生M本さんを残して,ホテルを出る。
「ナヌムの家」でハルモニに買ったくだものを,渡し忘れていたのだが,
ここでお世話になったガイドさんに,それプレゼントすることにする。
辛さんには,自由時間の学生たちの見学先,夜の「アカスリ・エステ」の安全な往復など,
あれこれととてもお世話になった。
ハニモニたちへは,日本から,別にプレゼントを届けることにする。
〔今後のために意見をうかがう〕
バスのなかでは,パソコンをひらいて「日記作成の人」となっていく。
9時40分,どうやら昨年とはちがう土産物屋に到着する。
しかし,7~8種類のキムチを次々食べさせ,
「さあ,これを買わないか」とプレッシャーをかける方法は同じである。
店内を歩いていても,「買わないのか」という,店員さんのつきまとい攻撃は,実にキビシイ。
ハンパに残っているウォンの分だけ,明太子とチャプチェ(春雨炒め)を買ってみる。
10時40分には,空港へ。
搭乗手続きをすませ,辛さんと全員握手でお別れである。
出国の手順を終え,「チーム非学生」で,軽い食事をとることにする。
日本名「混ぜ冷麺」を食べて,ちょうどウォンがピタリとなくなる。
食事をしながら,この旅行日程に改善点があるとすれば,それはなんでしょうかと,
同行した大人のみなさんの意見をうかがう。
「ナヌムの家での夜の時間」,さらに「自由時間の使い方」もあげられる。
さらに濃密にすることが可能ということである。
〔出版についても若い世代の意見をリサーチ〕
11時50分には,搭乗ロビーに集合。
今度は,外大から参加の学生T井さんに,このゼミ旅行をどう思ったか,
また本を出版することになった場合,
どういう内容であれば若い世代に喜ばれるかと聞いてみる。
「ブログ風の旅行記スタイルが読みやすい」「電車男のように」,
それでいて「歴史認識についてはキチンと学べる1本も」。
なかなか注文はむずかしいのである。
12時20分には,仁川空港をとびたっていく。
去年は出なかった機内食が,なぜか今年はただちに出てくる。
すでに「混ぜ冷麺」胃袋となっていたので,泣く泣く「いりません」と返していく。
去年と同じ時間の飛行機なのに。
機内には,寝て,食べて,寝るという,またしてもわかりやすい学生が多かったが,
こちらはずっとおしゃべりである。
1人の学生と,こんなにジックリしゃべる機会も珍しい。
〔おつかれさまでした〕
1時50分には,関空に到着。
入国し,荷物を受け取ったところで,ゼミ委員長より,解散のあいさつが行なわれる。
ゼミは全2年間のうち,まだ1/4が終わったばかりである。
残りの学生時代のさらなる充実の道を,ぜひ考えてほしいと思う。
これにて,今年の「ナヌム旅行」はおしまい。
参加のみなさん,おつかれさまでした。
相方号で,4時には家にもどり,ただちに196通のメールに迎えられる。
これを無視して,チャプチェと明太子で夕食をとっていく。
ゼミで「慰安婦」問題を学んだ第1世代の旅行の様子。
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最近の出来事(2004年9月特別編)
2004年9月6日(月)~9日(木)……3年生ゼミ旅行で韓国へ!
「ナヌムの家」「水曜集会」「うまいもの」「日韓改革の取り組み」
2004年9月6日(月)……全員集合,韓国へ飛ぶ。
今朝は10時の起床であった。
いつものようメールをチェックし,青汁オレンジ,ヨーグルトの栄養を体内に投入する。
リュックに荷物をつめこみ,シャワーをあびて,
12時10分には相方とともに外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ。
12時35分発の空港バスに乗る。
車中「大日本帝国の人」となって,関空へ。
1時30分には集合場所へ。
おお,すごい,予定の時間に,15名全員がそろった。
「絶対に遅れてくる」と確信していたI田先生も,すでに空港内をブラついているという余裕であった。
先日の「1日集中ゼミ」の資料を,I田先生と3年生Tみさんに渡す。
荷物が少しだけ,軽くなる。
搭乗手続きをすませて,いったん解散。
われわれはいつもの「そじ坊」へ。
日本食とのお別れの儀式を,つめたいそばでとりおこなう。
スリスリとわさびをおろしながら,これからはトウガラシの人生なのだなと,しっかり覚悟を決めていく。
「大日本帝国の人」となって時間をつぶし,3時20分にはゲートに集合。
ワイワイ,ガヤガヤとみんなで搭乗。
3時50分には,関空を飛び立つ。
ふたたび,おお,すごいものだ。
飛んだ瞬間にI田先生は,眠りに落ちた。
その向こうで,F尾さんがはやくも,大量のお菓子をテーブルにひろげている。
「ところせまし」のお菓子の群れである。
コーヒーを飲みながら,車中「大日本帝国の人」となり,
日本海へ抜け,朝鮮半島を横断して,仁川空港へ。
台風が近いのだが,飛行機はこれといってゆれることもなかった。
入国審査でものすごく時間をとられる。
同じ時間についた飛行機が多いらしい。
学生Tみさんが,入国審査で「チュチュミ?」(つつみ)と名前をよばれて,
笑われたらしい。
なにか,韓国語の面白い言葉に音がにているのだろうか。
6時30分,ロビーで,この旅の通訳兼案内人のYジャと合流。
「日本旅行」の現地ガイドさんもおり,ホテルまではYジャの出番はない。
大型バスで,ソウル市内へ,「豊田(プージョン)ホテル」へ向かう。
日本語の達者なガイドさんと,いろいろ話す。
「ナヌムの家」には何度もいったが,「水曜集会」には参加したことがないという。
「民主化世代」なのだろう。
政治問題への関心が深いように思えた。
8時すぎには,ホテルに到着。
荷物を部屋に放り込み,ただちにバスにもどって,「セジョン・ホテル」へ。
その近くの焼肉屋さんを,Yジャが予約してくれているのである。
ホテルからは,相方の専門学校仲間Aやちゃんも同行する。
学生時代に北朝鮮でハルモニ(かつて「従軍慰安婦」とされたオバアサン)の話を聞いたという,
つわものである。
これでわれわれは総勢17名にふくれあがった。
ニンニクを焼き,牛肉を焼き,味噌やキムチとともに,何種類もの葉っぱでくるんで食べる。
これがウマイ。
そして,葉っぱの種類がものすごい。
もちろんビールもゴキュゴキュである。
実は,この店,今年の2月にはじめて韓国へ来た際に,
案内と通訳をお願いしたLさんにつれてきてもらったお店であった。
「ここはウマイ」という定評が確立しているらしい。
酒をのまない学生たちは,いったん,ここで解放する。
われわれ「飲む組」5名は,次の店をもとめて街にでる。
「ミョンドン」の街で,日本の同業者U先生に偶然出くわす。
神戸の研究会でたびたび顔をあわせる相手で,お互いに,「なぜ,こんなところで」,
「そんなバカな」と,しばし,顔を見つめ合う。
聞いてみると,U先生も「ゼミ旅行」だという。
う~む,世間はせまく,アジアもせまい。
Yジャの友人,Kムさんと合流する。
日本への留学経験があり,こちらでも日本語を勉強しているという。
途中,長さ30センチのソフトクリームに,相方とI田先生が食らいつき,
それを食べきらないままに2次会の会場に入る。
店の選択は,かなり,行き当たりばったりである。
Yジャ,Kムさん,Aやちゃん,I田先生,相方と,こちら。
「今日はじめて会いました」という顔が多いのだが,うまいキムチとマッコウリが,あっというまに人をなごます。
時間は軽々と12時をすぎ,われわれもシブシブ店を出る。
YジャとKムさんの「地図が読めない」的あやうい案内をうけ,
途中,コンビニにもよりながら,ついに1時にはホテルにもどる。
Aやちゃんは,自分で調達していたゲストハウスへもどる。
学生たちは,全員,すでに部屋に入っていた。
2時には,バッタリと寝る。
由井正臣『大日本帝国の時代』(岩波書店,2000年)を読みおえる。
ジュニア新書「日本の歴史」の1冊である。
「大日本帝国憲法」発布(1890年)から,サンフランシスコ講和条約の発行(1952年)までの歴史が,
コンパクトに読みやすくまとめられている。
列強によるアジアの分割と,これに負けじと「対抗」する日本の野蛮な姿。
侵略と植民地化のなかでの民衆の立ち上がりに対する目配りもあり,これはオススメの1冊である。
とても勉強になった。
2004年9月7日(火)……濃厚このうえなき「ナヌムの家」。
朝,BS放送をながめながら,買っておいたヨーグルト食べる。
夕べも日本はゆれたらしい。
どうなっているのだ,近畿・東海地方は。
あわせて,台風が猛威をふるっているともある。
こまったものだ。
ニュースのあとには,アメリカのリビング・ウェイジ(生活賃金)闘争の番組がはじまる。
ハーバードの学生たちが,大学にはたらく「現業労働者」のあまりの低賃金に抗議してはじめたらしい。
学生たちの座り込みが,マスコミにもとりあげられ,
労働者,卒業生,他大学の学生の支援もうけて,運動はひろがる。
莫大な資産をかかえた大学当局は,ついにこの社会的圧力に譲歩を余儀なくされる。
AFL-CIOの会長もかけつけるという,アメリカ市民の「連帯」の姿が見える番組であった。
10時20分にはホテルのロビーに集合。
すでにAやちゃんも,やってきている。
雨のなか,昨日の大型バスに乗り込む。
今日からはガイドさんがおらず,すべての韓国語会話はYジャにまかされることになる。
朝まで起きていた(起こされていた)学生もおり,バスのなかには寝息がひびく。
こちらは,「トウモロコシパン」をかじって,車中「外交の人」となる。
「トウモロコシパン」は,ふつうのパンにトウモロコシ味のクリームがはさまったもので,
いくつかの粒コーンにもでくわした。
不思議な気もするが,案外,これがいけるのである。
1時すぎには,「ナヌムの家」に到着。
なつかしの白い犬に吠えられる。
サザン好きのボランティア青年チュヒョクと,
この間,連絡をとりあってきたY嶋さんと再会する。
7ケ月ぶりの顔である。
オランダに留学中だという日本人の院生もいる。
ボランティアで2週間ほどこちらにいるのだという。
台風のために「今日の日本からの飛行機は全便欠航」らしい。
どうやら,あやういところだった。
運が良かったということにしておこう。
Y嶋さんに,日本からもってきた2冊の本をプレゼントする。
1冊は自分で書いた『現代を探求する経済学』,もう1冊は面川誠氏の『変わる韓国』。
あわせて持参した日本酒も見せてみるが,「酒は飲まないので」といわれてガックリ首が落ちる。
しかし,それは仕方がない。
大きな仏サマがいる2Fホールに荷物をおかせてもらう。
「ナヌムの家」の設立,運営には,大きなお寺が深くかかわっている。
1Fホールに移動すると,子どもたちが,ニュースの発送を手伝っている。
この子たちもボランティアである。
いちばん年長の男の子2人は,学校でタバコを吸っているところを見つけられ,
「ここに1週間送られている」のだという。
Y嶋さんが,愉快そうに教えてくれた。
なるほど,韓国のボランティアには,そういう役割もあるらしい。
1時35分から,まずはビデオ『私たちは忘れない』を見せてもらう。
97年になくなった,カンドクキョン(姜徳景)さんの追悼番組である。
最後まで,病院のベッドで,自分のパスポートの更新を心配する言葉を発しつづけていた。
日本政府への「抗議」と,日本での「証言」活動を心残りにしてのことであろう。
2時すぎからは,北朝鮮のハルモニ,パク・ヨンシムさんのビデオを見る。
『写真に記録された「慰安婦」』。
ビルマのラングーンでアメリカ軍によって「保護」されたパク・ヨンシムさんは,
そのとき日本兵士によって妊娠させられていた。
防空壕の前に4~5人がならび,その右端で大きなおなかに手をあて,暗い表情をうかべている,
「慰安婦」関係の本には,良く掲載されているあの写真の当人である。
結局,子どもは生まれてこなかったという。
1937年,「南京大虐殺」の年に南京にだまされてつれていかれ,
「キンスイ楼」という慰安所で「性奴隷」としての生活を余儀なくされる。
42年にはビルマのラングーンに移動し,そこでは「若春」という名前で呼ばれる。
44年,日本軍の「玉砕」によって,アメリカ軍に「保護」されたという。
いずれも短いビデオのなかに,過去の歴史と,過去の清算を行おうとしない現代の日本政府の責任が描かれる。
2時40分から「日本軍『慰安婦』歴史館」を見学する。
展示物のひとつひとつを,詳しくY嶋さんが解説してくれる。
ラングーン「玉砕」当時の米軍の新聞には,
JAP “COMFORT GIRLS”の文字が見える。
現在,韓国に生存するハルモニは約130名で,そのうち10名が,いま「ナヌムの家」にいる。
確認されている「慰安所」の数は多く,日本軍が展開したほぼ全域に渡る。
沖縄にも134ケ所,大阪にも,満州にもあり,インドネシア周辺ではオランダ人「慰安婦」も数百名に達していた。
一般に「従軍慰安婦」と呼ばれるが,「従軍」にこめられた「自らすすんで」あるいは,
「現地での仕事を承知したうえで」という意味は事態を適切に表現しない。
また「慰安婦」というのも,女性を「所有」した側からの呼び名である。
ハルモニたちは「性奴隷」という用語をいやがっているが,次第に,
「日本軍性奴隷」が適切な用語となって定着していくのであろう。
韓国では「挺身隊」や「処女供出」という言葉がつかわれる。
しかし「挺身隊」は,性奴隷以外の「女子勤労挺身隊」を含み,用語としてやはり必ずしも的確ではない。
1932年の上海事変に際しての「慰安所」開設が,資料で確認される最初のものとなっている。
実際にはそれ以前から,同種のものがあったようだが。
この開設にあたって,軍は長崎県知事に女性の提供をもとめている。
当時,東アジアへ出て行く公娼,いわゆる“からゆきさん”に,長崎出身者が多かったからである。
それを「上海にまわせ」ということである。
戦争に異常事はつきものだろうが,当時のその異常事に照らしても,
「慰安所」制度は女性たちの人権侵害という点で国際的に突出している。
そこには,女性蔑視,植民地人民の蔑視とともに,異様な精神主義という日本軍の特殊な性格も強く反映しているようだ。
朝鮮半島を植民地化した日本は,「土地調査事業」を行い,農民の手から土地を奪い取る。
その結果,多くの農民が流浪民化し,
あるものは朝鮮半島を去って大陸へ向かい,
またあるものは日本軍関係者による「いい仕事がある」という誘いにのらずにおれなくなる。
同時に,日本から,当時の朝鮮にはなかった公娼制度がもちこまれる。
戦地への「慰安婦」の送り込みに対して,「天皇陛下からの贈り物」という軍のことばも残されているという。
復元されたある「慰安所」には,金だらいがある。
実際,沖縄でつかわれていたものだそうだが,
当時は1つのコンドームが何度もつかわれ,それを消毒液で洗うのもこの金だらいでのことだったという。
軍だけではなく,企業が所有する「慰安所」も存在した。
九州や北海道の炭鉱などにあったという。
「慰安婦」たちは,性病であると軍医に認定された時にだけ,
性奴隷としての連続レイプの苦痛から,一時的に「解放」されることになる。
ただし,その場合にも,性以外のさまざまな労働が強制されている。
沖縄の首里城近くから発見され,ここに展示されている軍のコンドームには
「突撃一番」という名前がつけられている。
「慰安婦」への「支払い」には,軍票がつかわれたことがある。
敗戦と同時にまったく無価値となった「紙幣」だが,
円の大量流出によるインフレをふせぐことと,
現地経済をコントロールすることを目的に軍によって発行されたものであった。
「慰安婦」の数は正確にはわからない。
何より日本政府が資料の全面公開をいまだに拒んでおり,
終戦時に証拠隠滅のために書類を償却したことの影響もある。
5万人から20万人と推測されている。
アメリカ政府の公文書館も,もっている情報をすべて公開しているわけではない。
特に,「慰安婦」たちへの「聞き取り調査」の公開が重要だと思われる。
「慰安婦」問題が政治問題化してのち,日本政府からは謝罪のことばが発せられる。
しかし,その後も,閣僚等による「慰安婦は公娼だ」「戦争にレイプはつきものだ」といった発言が相次いでおり,
謝罪と反省の言葉はまったく形式的なものに終わっている。
「レイプはつきもの」がたとえ事実であったとしても,
政府自身が集団的で恒常的なレイプの強制を,これほどの規模で制度化した例はないのである。
戦後長く沖縄にくらしていた,ペ・ポンギ(○奉奇)さんは,
「沖縄返還」をきっかけに「慰安婦」であることを告白せずにおれなかった。
サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)により,
旧植民地の人々の「日本国籍」は自動消滅し,以後,彼らには「外国人登録」が必要となる。
「返還」により,日本政府がこの登録の有無を調べたところ,ペ・ポンギさんにはそれがなかった。
「滞在資格がない」という政府の指摘に,
「自分は慰安婦であった」「好きでここにいるのではない」「日本政府が勝手につれてきたのに,今度は出て行けというのか」という,
反論が行われた。
こうして,はじめて日本軍「慰安婦」であったことの名乗りがあげられた。
ペ・ポンギさんが亡くなる同じ年の91年には,
キム・ハクスン(金学順)さんが,韓国ではじめて名乗り出る。
女性蔑視の思想が強く,「慰安婦」には「恥」「汚れ」の思想が強制されていたが,
87年の民主化に前後して「儒教」思想からの精神的な解放もすすんでくる。
女性の地位向上をもとめる団体も生まれてくる。
そういう社会全体の大きな変革のなかで,「慰安婦」たち自身にも自己評価の「パラダイム転換」が起こる。
キム・ハクスンさんは,自ら名乗り出た。
92年1月8日から,ソウルの日本大使館前での抗議行動(=水曜集会)が毎週行われるようになる。
唯一,阪神淡路大震災のときにだけ,ハルモニたちが,みずからこれを取りやめた。
たくさんの日本人が死に,たくさんの在日コリアンが死んだことが,
ハルモニたちの心を動かしたらしい。
日本国内には,この問題の解決にむけた具体的な効力をもちうる運動が非常にすくない。
民主・社民・共産による共同での法案提出が,ほぼ唯一の動きだが,
現在までの国会の力関係で,提出された法案はいずれも採択されるにいたっていない。
ハルモニたちはたくさんの絵を描いているが,ナヌムの家の入口にたつ銅像は,
キム・スンドク(金順徳)さんが描いた「咲ききれなかった花」をモチーフとしている。
「花」は「慰安婦」自身の象徴である。
最後に,キム・スンドクさんの肖像を指紋でつくる「指紋画」に,みんなで自分の指紋を残し,
歴史館での学習を終える。
学生たちは,文字通り「声なし」の状況である。
数人に感想を聞いてみると,「知っていたことではあるけれど……」と,
文字をつうじた学習をこえた,
事実の重みの心身への浸透があるようである。
ホール1Fにもどり,4時10分から,直接,ハルモニの話をうかがう。
カン・イルチュル(姜日出)さんが話してくれた。
Y嶋さんが,ことばを要約してつたえてくれる。
「学生のみなさんが来てくれたことに感謝します」。
「植民地支配の時期に日本語を学んだが,中国で57年くらすうちにすべて忘れてしまった」。
「いまは解放され,日本と韓国は別の国。今後日本の侵略がなければ幸せです」。
「若い人の交流はいいこと。日本人に強制されたが,東洋人としては同じ。問題解決のために連帯しましょう」。
「小泉首相は好戦的。互いに死ぬことのないように」。
「16才(日本の数え方だと14才)で,『慰安婦』にされた。12人兄弟の末っ子。どこにいくかもわからず,朝鮮北部から中国に連れて行かれた」。
「長春まで連れて行かれて,ムン・ピルギ(文必○,いまナヌムの家にいる)と知り合った」。
「さらにハルピンへ行き,ソ連との国境近くのボタンコウ(牡丹江)へいかされた」。
「そこで,北海道出身の日本人女性と知り合った。その女性は解放後も中国でくらし,13年後になくなった」。
「その後,彼女の家族は日本へいった」。
「私は『慰安婦』の時に,腸チフスにかかった。伝染病で,当時は特効薬もない」。
「患者が山積みにされて火がつけられたが,一番下にいたので助かった」。
「キムヨンホという男性が朝鮮独立軍に連絡して,45年6月に自分は救われた」。
「腸チフスは針で血を出すなどの治療でなおした」。
「キツリン(吉林)で偶然,さきの北海道の女性と再会した。姉妹のよう思っていた」。
「いまもアタマに傷がある。これは兵隊に壁にぶつけられたときの傷。包帯を傷の穴にいれて血をとめた。いまも後遺症で鼻血が出る」。
「延世大学とナヌムの家の共同で2003年にトラウマ・チェックをした。昔の後遺症があるという結果がでた」。
「子どものころ学校にいっていた。その頃には勉強のできる子どもだった。いまは頭痛,鼻血ばかり。今日も針を打ってきた」。
「日本へもどったら,私たちのために行動してほしい。日本人も朝鮮人も顔は同じ。お互いが争えば,いまは共倒れになる。争わないでほしい」。
「みなさんには感謝する。兵隊は悪かったが,若い人に罪があるとは思っていない」。
「私は2000年3月3日に中国から帰って来た。両親はなくなり,兄弟もほとんど死んでおり,姉1人だけが生きていた」。
「先日,小泉首相とノムヒョン大統領の会談があったが,『過ぎ去った昔のことだ』とでもいいたげだった」。
「植民地時代の36年間,米を見たこともないほどの生活だった。謝罪してほしい」。
「『慰安婦』問題が未解決だということは,今後に争いの可能性を残すということ。謝罪してほしい」。
「中国からもどったあとで,子どもを呼び寄せた」。
「TVなどに出ると,子どもが恥ずかしいというが,それは日本の責任であり,韓国民の考え方の問題」。
「小泉首相は戦争の準備をしている。今年も小泉首相は靖国神社に参拝した。これがアジアとの摩擦の火種になる」。
ここで話は一段落し,質疑・応答の時間に入る。
お話いただいたことへのお礼を述べ,問題が起こされたのは過去のことだが,
その過去を現在の日本政府がどう評価するかについては,
若い世代をふくめて現在を生きる日本人全員が責任を負っている,とこちらも語る。
「いままで苦労してやってきた。この状況は悲惨である。あとにつづけたくない」とことばが返ってくる。
つづいて,北海道出身の日本人「慰安婦」と植民地から連行された「慰安婦」に,待遇に違いがあったかを聞いてみる。
「少しちがった。日本人は将校クラスの相手を主にしていた」。
「その女性は顔が効いたので,その女性とうまくつきあうことが必要だった。その女性はなぐられなかった」。
「しかし,その女性も,泣きながらくらしていた」。
次に,中国に長くくらしたとのことだが,「慰安婦」であったことにより,中国政府からは生活支援はあったのかと聞いてみる。
「支援はまったくなかった」。
「長春につれていかれたときには,近くに731部隊があった。秘密だったが,何をしているかは,まわりの人にはわかっていた」。
「さきの日本人女性は,もとは事務所ではたらいていた。キップのいい女性だった」。
「その女性は長春で解放軍の病院でなくなった。その時自分はキツリンにおり,会うことができなかった。心残りだ」。
「長く中国にいたが,ソ連と中国は同じ共産主義なのに仲がよくなかった」。
つづいて,学生K下さんが質問する。
何がきっかけで韓国にもどりましたか,とまどいはなかったのですか。
「韓国時代の同級生がTV局にワタシをさがしてくれるようにたのんだ。89年にはワタシが中国にいることがわかったようだ」。
「そのときにはまだ子どもが小さかったので,2000年になってから帰った」。
「解放後,お金はもらえなかった。自分のもっていたものを朝鮮人にだまされてすべて失った」。
「貧しい生活をつづけたが,3年ほどして中国の病院で働くことができるようになった」。
「89年からさがしてくれた同級生とは,いまも電話で連絡している」。
「中国に残っている孫が,去年,みなさんと同じ大学生になった」。
ここで,ハルモニたちの夕食の時間となる。
外にでて,カン・イルチュルさんと記念撮影をする。
あわせて学生を代表してT輪さんが,日本からもっていったお菓子を手渡す。
「全部自分で食べる」と冗談をいいながら,カン・イルチュルさんは部屋にもどっていかれた。
お話は貴重であり,内容はじつに重いものだが,
その人の温かみに接して,こちらもいくぶん心がなごむ。
学生たちも同じであったと想像する。
われわれの食事は朝夕ともに「自炊」とした。
そこで,大量の食材の買い出しが必要となる。
Y嶋さん運転のクルマに,6人ほどで乗り込んでいく。
居残り組は,炊事場へと向かった。
今夜のメニューは外でのバーベキューのサムギョプサル。
「雨がふったらどうしようか」など,事前にY嶋さんと相談していたもの。
「鶴橋」の「福ちゃん」で何度も食べた,ニンニクと葉っぱとトウガラシと豚肉の料理である。
まずは肉屋へ。
豚肉屋には,ブタの笑った(ように見える)顔面がお面のようにぶら下がり,
豚足も,足先だけでなく,足の付け根までが売られている。
とはいえ,ブタである。
足は,そう長いものではない。
つづいて,スーパーに移動し,野菜や味噌,キムチ,ソーセージ,お菓子,飲み物,紙コップなど,
思いつくものを次々と買っていく。
大量の買い出しだが,これが1人1000円程度の金額である。
2リットル入りのペットボトルにはいった,ビールやマッコウリも,もちろん買う。
炊事場にならんで,みんなで野菜を洗い,ザクザクと切り,
食器をならべていく。
すでにゴハンは炊かれていた。
ボランティアの職員さんや,2人のハルモニもあらたに加わって,にぎやかに食べはじめる。
その様子を,椅子にすわってながめているハルモニもいる。
「激辛青トウガラシ」と「普通青トウガラシ」をまぜて,ロシアン・ルーレット風にみんなで食べる。
現場は,犠牲者続出の修羅場と化した。
叫ぶもの,ふるえるもの,涙ぐむもの,飲みまくるもの……。
味噌をつけて食べると,それほど辛いとも思えなかったのだが,
「センセイは舌がおかしい」と学生にあきれられる。
残念なことに,このあたりで,デジカメがつかえなくなってしまう。
充電してあるハズの電池が,なんとまあ,実際にはほとんどカラで,
夕べ,コンビニで買ったこちらの電池では,どうもうまく動いてくれない。
Yジャによると,日韓の電池のちがいで,そういうことがあるらしい。
日本から,あらかじめ予備の電池をもっていくべきだった。
その一方,せっかくもっていったボイスレコーダーは,活躍の機会をもたなかった。
歴史館見学とハルモニの話が流れるようにつづき,自分のリュックをさぐる時間がとれなかったのである。
以後はすべての写真を,ゼミ写真班の「精鋭」たちにまかせることにする。
T田・O坪・N海・Tみ。
ものすごい「精鋭」である。
いいかげん満腹になったところで,サムギョプサルを仕切っていた,ペ・チュンヒ(○春姫)ハルモニの「指導」のもと,
ホールでの「宴会」の準備にはいる。
一方で片づけが,もう一方で,カラオケの準備が。
たくさんの学生たちが,右往左往しながら,ともかく流れに乗っていく。
ペ・チュンヒさんは,満州で「慰安婦」としての生活を強制され,
その後,朝鮮にもどることなく,1951年から81年までを日本ですごした。
キャパレーで歌をうたっていたこともあり,81才とは思えぬ,ハリのある声で日本の歌をうたう。
翌朝,ボランティアさんに聞いたことだが,
ペさんは,NHKのBS放送で,ひさしぶりに演歌歌手の千昌夫を見て,
「ああ,トシをとったなあ,ワタシもトシをとるはずだ」とつぶやいていたそうだ。
「異国まで来たんだから,センセイががんばらないでどうする」と日本語で詰め寄られ,
ひさしぶにこちらもカラオケを歌う。
激辛青トウガラシで汗がでて,ビールを飲んで汗がでて,さらに歌をうたって汗が出る。
杖をついて,歩くのもたいへんそうな,ハン・ドスン(韓道順)ハルモニが,「アリラン」をうたってくれる。
86才である。
大きな声はでないが,Yジャや相方が横にすわって,なにやら話している。
それにしても,ハルモニの「ブルーライト・ヨコハマ」に,
学生たち全員の合唱が起こるというのは,どういうことか。
なぜ80年代生まれの学生たちが,「ブルーライト・ヨコハマ」を。
遠い「異国」で新たな「謎」が生まれた。
10時30分には片づけに入る。
ドタバタ,ドタバタと片づけていく。
テキパキと動く学生,ボーゼンと立ちすくむ学生,
「自分で決める」ということに慣れない学生も多いが,
これは,ともかく経験と訓練を重ねるしかない。
小雨がパラつきはじめるなか,たくさんの布団を運び出し,
女性陣はホール1Fへ,唯一の男性であるこちらはホール2Fへあがっていく。
前回,2月の訪問とは,まるで実感のちがった「ナヌムの家」体験である。
2月には,この問題にあまりに無知であった自分を知り,
また,日本人でいることがいたたまれなくなるような気分におそわれ,
あいさつにでてきてくれたハルモニの顔を直視することもできなかった。
今回は,そこに肉声をかわし,楽しい時間をともにすごすことによる「交流」の成果が重ねられる。
この半年,いろいろなことを学び,問題に向かう自分なりの覚悟をつくってきたこともあるが,
「問題解決にむけて連帯しよう」という,ハルモニのことばには,勇気づけられたところが大きい。
カーテンのむこうに大きな仏サマのいる,八角形のホールで, しばしノートをひろげ,
12時すぎには眠りにつく。
2004年9月8日(水)……緊張の「水曜集会」,そして夜は運動の交流。
他人の迷惑をかえりみず,飽くことなく大声で朝を告げまくるニワトリの声。
さらに散歩につれていけと,吠えまくる犬の声がつづき,
その犬を“ウルサイ”と叱りつけるハルモニの大声で,完全に目をさます。
6時30分にはシャワーをあびる。
明け方には,1Fホールのオンドルに熱が入ったらしい。
あまりのあつさで,クーラーのスィッチがいれられている。
朝が早いハルモニたちの生活にあわせてのことなのだろう。
2Fにはオンドルがなくって助かった。
夕べから準備がすすんでいたキムチチゲと,たまごのお粥が,Yジャのリーダーシップのもとに完成させられていく。
そのあいだ,歴史館のまわりをブラブラ歩いていると,10時発予定の大型バスが,はやくも8時前にやってくる。
降りてきた,黒いサングラスのいかつい運転手さんが,オハヨウゴザイマスと日本語で声をかけてくれる。
どうも,時間をまちがえたということではないようだ。
8時すぎから,朝食をとる。
チゲやお粥の他に,キムチや韓国のりもならんでいる。
食べながら,I田先生がひどく蚊にさされた腕を見せる。
「どうしてなんだろ」「もっと若くておいしそうな血が,まわりにいっぱいあるのに」。
面白かったのは,オンドルの熱にうなされた,Aやちゃんの「夢」。
夢のなかで「Y嶋さんとチュヒョクが,ずっとかまどに火をくべていた」。
「悪そうな顔してた?」
「すっごい,スの顔で」。
どうも,この男性2人組に悪気はなかったらしい。
食後の片づけをしながら,学生T輪さんが,「デジカメのメモリーがなくなった」「おかしい」「買ったばっかりなのに」と騒いでいる。
そこで,「じゃあ,その電池をゆずってくれないか」といってみるが,
「なんてこというんですか。ワタシのデジカメをなんとかしてください」と逆襲される。
その後,問題はT田さんの手で解決されたらしい。
「メモリースティックをいれてなかった」という,超初心者以前的ミスがその原因であった。
朝日のなかで,ノートをひろげていると,Y嶋さんがコーヒーをいれてくれる。
「歌うまいですね。事務所で仕事をしながら聞いていました」。
トホホホホ……。
あれこれ雑談。
この8月に「ナヌムの家」の主催で,展示会があったという。
ハルモニたちの肖像写真と,ハルモニひとりひとりの「歌」を聞かせる展示である。
そのためにつくられたという,写真解説集『断絶の系譜』を1冊いただく。
「一部,文章の書き直しが必要なのでお金はいいです」とのことである。
肖像写真はY嶋さんの作品である。
Y嶋さんは,プロの写真家である。
「面白いものを見せてあげましょう」といわれ,I田先生・相方とともに,歴史館の事務所・資料室にいれてもらう。
ソウルでの展示につかれわた大きな写真パネルがあり,
ハルモニ1人1人の歌を聞かせる機器があり,
壁には,たくさんの文献資料もならんでいる。
I田先生が,韓国でのこの問題の取り上げ方などについて,いろいろと質問をしている。
そのあいだに,目についたいくつかの本のタイトルをメモしていく。
どこでもノートをひろげる姿が面白かったのだろう。
事務所を出るときに,「こういう場所,好きそうですよね」とY嶋さんに笑われる。
10時には「ナヌムの家」を出発する。
今日は水曜日であり,ソウルの日本大使館前で行う抗議集会「水曜集会」の日なのである。
ハルモニたちは,マイクロバスに,
こちらは,いかつい黒サングラスの運転手さんの大型バスに乗り込んでいく。
何人かのボランティアさんとは,ここでお別れである。
サザンオールスターズのファンであるチュヒョクが,
「また来てください」「女の学生さんばっかりですよね」「ラッキー」と1人で納得している。
「なにかサザングッズを送るよ」というと,「CD送ってください」と笑いながらいう。
まだ1週間しかここにいないオランダからの女性留学生(日本人)に,チュヒョクはすっかり従えられている。
どうも,そういうタイプの人間らしい。
お互いに,たくさん手をふって別れを終える。
バスにはY嶋さんにも乗ってもらい,あれこれと話をしながらソウルへ向かう。
まず,大学の予算ですすめている出版企画『ナヌムの家を訪れて(仮)』をあらためて説明し,これへの執筆協力をお願いする。
「ハルモニの写真や絵の解説をしていただき,日本の若い人たちに訴えたいことを自由に書いてほしい」と。
「〆切は12月末ということで」。
「う~ん,文章は苦手なんだけど」といいながらも,「そういう趣旨であれば,やりましょう」と快諾していただく。
ありがたいことだ。
総合文化学科叢書の1冊である。
なんとか今年度中には出版し,いまの4年生たちにも渡してあげたい。
大学とは原稿料などの相談をつめる必要があるのだろう。
つづいて,いままで日本各地で行ってきた「証言集会」のこと,これから計画している「証言集会」のことなど,
いろいろと「ナヌムの家」の活動について教えてもらう。
女性学インスティチュートあたりを主催の中心にして,大学にハルモニを招くこともむずかしくはないようである。
そう多くの費用がかかるわけでもない。
これは今後の課題として,考えていきたい。
さらに,日本で問題解決にむけた具体的な運動をどうつくるかについても,話が及ぶ。
「若いひとたちのピース・ウォークを『政治性がない』と批判する人もいるが」
「肝心なことは,その『政治性』をもつと称する年配の人たちと,若い人たちの豊かな感性をいかに結合していくかにある」。
「結局,問題はいつも政治にいきあたる」
「政治をつくりかえるプログラムを広く共有した市民運動が必要だと思う」。
まったく同感である。
11時すぎ,少し早めにソウル市内に到着する。
「時間があるので」と,Y嶋さんに「3・1独立公園」(塔〔タプ〕コル公園)を案内してもらう。
ここで最初に,大日本帝国からの独立をもとめる「宣言」が読み上げられたという。
日本の植民地支配に対する,1919年の朝鮮民衆による闘いである。
労働者,学生など,さまざまな人々の闘いが大きなレリーフに残されている。
ちゃんと女性の闘い,さらにはキーセンの闘いも,まったく同等にレリーフに残されている。
当時の日本政府は,これに対して徹底的な弾圧と殺戮をもって対抗した。
わずか86年前の事実である。
この闘いで命をうしなった父・母をもつ世代が,たくさんいる。
11時40分には,日本大使館前に到着する。
「韓国挺身隊対策協議会」(挺隊協)が,集会全体を運営している。
今日は第623回目の集会である。
この「継続の力」はすさまじい。
われわれも,日本でつくってきた,黄色い,大きな,手作りの横幕をひろげていく。
大使館を守る韓国の警察隊の姿に,学生たちは緊張の色を隠せない。
通常30名程度の参加者だというが,なぜか今日は80名をこえ,
それにあわせて警官隊の数もふえてくる。
トランシーバーをもって学生たちに話しかけてくる私服警官の様子は,日本とまるで同じである。
「挺隊協」で働いているS田さんという方が,「発言を準備されていますか」「せっかくこられたのですからなにか発言してください」
「先日は同志社大学の学生さんが発言されていきました」と声をかけてくれる。
こちらがしゃべろうかとも考えるが,しかし,ズラリとならんだ10人のハルモニには,
若い声こそはげみになる。
こういう場に「強そう」な3人に声をかけて,短時間での発言準備を依頼する。
発言を通訳するYジャの顔にも急速に緊張がはしっていく。
「岩のように」という,歌の合唱がはじまる。
「どんな困難があっても,強い,岩のような意志をもって,打ち破っていこうという歌詞」だと,
S田さんが教えてくれる。
「あとで学生さんたちにつたえてあげてください」と。
日本人の若い女性である。
まず「挺隊協」のメンバーが演説を行い,つづいて日本からの弁護士グループ,韓国の僧侶,シスターたちと,
集会参加者の発言がつづく。
つづく5番目が「神戸女学院大学石川ゼミ」の出番であった。
最上級の緊張を顔にうかべた9人が,横幕をハルモニたちの前にかかげ,
その前で3人の学生がしゃべっていく。
度胸満点のゼミ委員長O西さん,
見るからに意志の強そうなK下さん,
そして,どんな場面でも緊張とは無縁にみえるN海さん。
急いで書いたメモの1行1行を,まず学生が読み上げ,それをYジャが韓国語に訳してつたえる。
事前にメモの内容は見なかった。
メモがつくられていることも知らなかった。
しかし,予想をこえる出来である。
学ぶこととともに,覚悟を決めて行動するということは,人をしっかりと育てるものである。
昨日,話をしてくれたカン・イルチュル・ハルモニが,大きな拍手を送ってくれたのがうれしかった。
そのあとも,何組かの発言がつづき,韓国語でのシュプレヒコールもつづく。
韓国のテレビ局がカメラをまわし,われわれの横幕には,新聞記者であろう人たちのカメラが何度も近づいてくる。
横幕にハングル文字で書いた言葉は,「私たちも謝る。日本政府も謝れ!」である。
ゼミ生全員で一文字,一文字,Yジャの「お手本」をまねて書いたものである。
そして,そのメインの言葉のまわりに,今回の参加者全員が自由に日本語で一言を書きこんだ。
端の方には,「あやまれ~」と叫ぶワルモノの絵もある。
抗議と連帯の熱気のなか,1時前には,集会が終わる。
東京から来て,憲法9条「改正」問題の重大性を訴えた弁護士さんのグループや,
同じく日本からやってきたAALAの副理事長さんとも名刺をかわす。
こんなところで名刺が必要になるとは思っていなかった。
テグ(大邱)で,ハルモニたちの生活支援をしているというパクさんを紹介されるが,
こちらには,もう交換できる名刺がない。
Y嶋さんからは,「次に来たときには,ぜひ『ナヌムの家』からテグまで足をのばして」と要請される。
パクさんも,明るく元気な女性であった。
やはり,この種の運動には,女性の力が大きくはたらいている。
集会参加者のうち40人ほどで,近くの食堂になだれこむ。
毎週,集会のたびに,ここに来ているらしい。
われわれは二手にわかれ,こちらは,Tみ・T田の「精鋭」写真班およびI田先生といっしょに,食事をとる。
互いにからだがキムチくさいと「自慢」しあい,
「この3つからえらべ」という食事は,I田先生が勝手に「ビビンパ4つ」にまとめていった。
しばらくして出てきたビビンパに,全員でクビをひねる。
ナムルがのっかった日本の石焼風を想像していたのだが,それとはまるでちがう,さっぱりとしたシロモノである。
これは「この店流」で,季節の野菜をつかう特別製なのだそうである。
それにしても,韓国の料理はほんとうによく野菜を食べる。
バスの待ち合わせ時間がせまってきたので,たくさんの人が食事をしているなか,先に店を出させてもらう。
何人かのハルモニに声をかけ,手をふってもらって,外に出る。
集会中は放心状態に近かった何人かの学生も,普通の気分にもどったようだ。
近くの大きな交差点で,Y嶋さんとお別れする。
25時間つきっきりで,ホントウにお世話になりっぱなしであった。
どうも,ありがとうございました。
おかげで,無駄のない充実した時間をすごすことができました。
学生たちもそれぞれにあいさつをする。
これで,この旅行のすべての「公式行事」は終了である。
急に肩のあたりが軽くなり,アタマの上がスッキリする。
こういうエネルギーのいる取り組みを成功させるためには,
「他人にまかせる」ということが大切なのだと,あらためて実感する。
「なんでもかかえこんでしまう」ことが多いわが人生の,重要な改善課題である。
2時20分には「豊田ホテル」にもどる。
フロントで「宿泊が予約されていない」といわれて驚くが,
予約者氏名が,なぜか学生F尾さんの名前になっており,それで話がかみあわないだけのことであった。
「明日の朝8時40分にロビー集合」「それまでは完全自由時間」とみんなに言いわたし,
1Fエレベーター前で解散とする。
部屋にもどり,シャワーをあびて,ひと眠りすると,韓国の世間ははやくも夕方になっていた。
相方は,ホテルのプールで泳いできたという。
6時には,ロビーに降りていく。
Aやちゃんと,カン・ジェスク(姜済淑)さんが,すでに待ち構えている。
カンさんは,しばらく前まで「ナヌムの家」で活動しており,
いまは「平和市民連帯」の代表として,アジア各地で活躍している。
「その道」では,かなり名前のとおった方らしい。
紹介してくれたのはAやちゃんである。
Aやちゃんは,以前に「ピースボート」で南北朝鮮を訪れたときに知り合ったという。
東大大学院に4年留学していたカンさんの日本語は見事である。
運転の荒いタクシーに乗って,イムサドウ(仁寺洞)へ移動する。
まずはフィールドワークだと,天道教の教会を案内してもらう。
ここは,子どもの人権を守る運動の世界的な発祥地(1930年)として,記録されているらしい。
大きな記念碑がたっていた。
そして,この教会の教えは,「東学革命」(東学党の乱,1894年)にもつらなったものだという。
「東学」は「西学」(キリスト教)に対抗する宗教という意味をもつ。
このあたりは,韓国のさまざまな歴史の密集地で,観光コースには入っていないが,たくさんの史跡があるのだという。
「伝統的な瓦づくりの家が多かったが,経済成長と開発で少なくなってしまった」
「土地の値段があがったから」。
近くの美術館に入ってみると,真ん中のテーブルにたくさんの料理がならんでいる。
美術館の展示物が新しいものにかえられるたびに,こうして,いわば人集めのために料理がならべられるという。
「どこも同じ曜日にかえるから,その日に美術館をまわるといろんなものが食べられる」とカンさんは笑っていた。
サッパリと煮込んだ大きな豚肉がとてもウマイ。
ほろ酔い気分であろうか,陽気なフレンドリーオジサンに,このブタは,こうやってキムチを巻いて食べるのだと,
大きなヤツを口の中に放り込まれる。
正月や還暦など,お祝いにつかわれるキレイなお菓子もながめ,
さらに,フレンドリーオジサンに,松の実のジュースを渡される。
さっぱりとした甘さがある。
次の美術館は,書展となっていた。
書道かと思ったが,筆をつかって書いた絵であった。
ここにも料理がならんでおり,日本風の巻き寿司があり,
さらに「お盆のダンゴ」だという,丸い小さな餅のなかにハチミツとゴマがはいったものがある。
餅のなかからトロリとしたものが出てくるというのは,はじめての体験である。
「イムサドウは,メインストリートではなく,こういう裏道が面白い」とカンさんがさかんに語ってくれる。
とある裏道の裏道をカクカクと折れて,突き当たりにあった「風流舎廊」という家庭料理の店に入る。
市民運動の仲間たちが集まる,ある種の「隠れ家」であり,気の置けない仲間の集まる店だという。
壁一面に,ここへやってきた人たちの言葉が書かれている。
ハングルあり,英語あり,日本語ありと,じつに国際色豊かである。
かつて民主的な出版事業をやっていた社長が,いまはこの料理店を経営しているのだという。
その社長が,途中で,顔を出して,あいさつをしてくれた。
言葉はつうじないが,顔を見合わせるだけで,互いの心がわかりあえる気がした。
すりつぶしたゴマと味噌をベースにした,すいとんのスープ。
山ほどのネギが入った魚介のチヂミ。
甘辛く味つけされたタコとそうめん。
これを,松の葉の粉がはいっているという,うすい緑色のマッコウリを飲みながら食べていく。
う~む,ウマイのである。
しゃべる,しゃべる,飲む,飲む,食べる,食べる,笑う,笑う……。
カンさんに名刺をいただくが,申し訳ないことに,やはり,こちらには1枚もない。
さらにプレゼントとして,日本でいう共同作業所の障害者たちがつくったお皿をプレゼントしてくれる。
「平和市民連帯」がつくった,日本語の冊子『韓国の歴史文化フィールドワーク』も。
なんだか,たくさんいただいてしまって申し訳ない気分になる。
カンさんは,とても良くしゃべる,明るい女性である。
ご自身でも「運動は楽天的にやらなくちゃ」と,何度も語っていた。
韓国の運動,日本の運動,その共通点と相違点,一段の発展にむけて必要なことについての問題意識……。
たくさんのことを,楽しく,しゃべっていく。
政治については,昼間のバスでのY嶋さんとの話とつうじるところが多い。
日本の運動については,若い世代が中心となった市民運動と,
狭い意味での政治の世界の運動を結合していく「戦略」の必要を,あらためて感じさせられる。
たくさん質問もさせてもらう。
民主化世代の「同志」たちが,政党,市民運動,あらゆる場所に散らばっており,
そこには,社会主義さえ排除する思想がないという。
「社会主義者の出獄は民主化運動の成果です」とカンさんは語る。
「マルクス・レーニン主義は方法論としては今もいい」とも。
70年代半ばからの「反共攻撃」で,革新自治体をささえた「統一戦線」が破壊され,
思想的にもマルクス主義者と市民運動とのあいだに,乖離がうまれた日本の現状が痛ましく思える。
「まともな社会民主主義」が育っていないという問題,
知識人のなかにさえひろく浸透している反共主義。
政党の側からも,市民運動の側からも,互いに力をあわせる姿勢を,より強いものにしていく必要がある。
他方で,日本は韓国より「敵がみえづらい」という運動の複雑さも話題となる。
教育やマスコミによる「見えない支配」の網が発達しており,「韓国もこれからそうなっていく」とも。
最後には「相方=宇宙人」説で,楽しいひとときのシメとする。
11時20分には,店を出る。
コンビニで「日本人の貧しい朝食」を買い,近くの餅屋で,おいしそうな韓国餅を買う。
タクシーでホテルの前まで送ってもらい,カンさんはそのまま同じタクシーで自宅へもどる。
とても,気持ちの良い,刺激的な時間であった。
元気な,いい人だと,心底思う。
「市民による国境をこえた連帯」の大切さを実感する。
あわせて,自分の歴史観が,「近代国家」の地理的枠組みにあまりに深くとらわれすぎていないかと,
ちょっと反省させられもする。
ホテルの前でAやちゃんともお別れ。
彼女は,われわれより1日長く滞在し,またカンさんと会うことになるらしい。
別れ際,相方に向かって「ちょっとジマンしていいかな」と口火を切る。
「兵庫県うかった」「え~っ」。
2人は医療・福祉方面の専門職をめざす受験生仲間でもあるのである。
「今度うちに遊びにおいで」と声をかけて,サヨナラをする。
新聞記者志望だったというだけあって,自立心旺盛な人である。
11時40分には,部屋にもどる。
夜のニュースをながめていると,韓国のKBSが,今日の「水曜集会」を紹介していた。
焦点は,日本からきた弁護士グループによる憲法問題での訴えであったが,
われわれの黄色い横幕も,少しだけ画面に登場していたようである。
こうした運動や主張の内容をありのままに報道するあたり,
韓国のマスコミは日本のそれよりはるかに健全である。
そういえば,カンさんは,マスコミにおける大株主支配の排除という課題についても語っていた。
視野の広い人である。
2004年9月9日(木)……キムチをゲットし,日本にもどる。
7時20分には起き上がり,日本のニュースをながめながら,ヨーグルトを食べる。
シャワーをあび,ノロノロと動いて,8時40分には,ロビーに全員集合。
例の元気のいいガイドさんも,すでに,やってきている。
昨日は山に登ってきたらしい。
9時前には,バスに乗り込み,ホテルをあとにする。
昨日にひきつづき,バスのなかで「トウモロコシ」パンを食べていく。
ところが,今朝は「トウモロコシ」の味がしない。
そして,コーンの粒も出てこない。
パンの袋は同じにみえたのだが,製造メーカーがちがっていたのかも知れない。
車中「日本外交の人」から,「日韓癒着の人」へと変態していく。
9時40分には,2月にも来た「キムチ土産屋さん」に到着する。
空港へむかう旅行者が,みな降ろされる,定番の土産屋といったところである。
たくさんのキムチの試食をすすめられ,それぞれの値段が紹介される。
ハンパにウォンが残っても仕方がないので,「王様のキムチ」と「明太子」を買ってみる。
となりではT輪さんが,「学生はお金がない」「もっと安くしてほしい」と値切り交渉に入っている。
しかし,成果はなかったようである。
うしろで休憩していたガイドさんに,「明太子」のおいしい食べ方を教えてもらう。
「つぶしたニンニク,しらがネギをごま油であえて,これを明太子といっしょに食べる」のだそうである。
そうすると「味の深みがちがう」と。
なるほど,そうなのか。
韓国ではそういう具合になっているのか。
土産屋は大きなビルの地下にあるのだが,その1F出口で,飲み物の自販機と公衆電話が一体になった不思議な機械を見つける。
コーヒーでも飲みながら,ゆっくり長電話をしろということなのだろうか。
さかんに面白がっていたI田先生が,この自販機で「米の飲み物」を買う。
学生たちとまわし飲みをしていたが,味は「アルコールのない甘酒」といったところらしい。
バスにもどり,しばらく走って,10時40分には空港に着く。
搭乗手続きをとり,ガイドさんとは,ここでお別れとなる。
あれこれ,どうも,ありがとうございました。
あわせて,案内や通訳でとてもお世話になったYジャとも,ここでわかれることになる。
「水曜集会」での通訳では,とても緊張し,「ハルモニという音さえ発音できなかった」という。
なるほど,Yジャにとっても,あの手の集まりははじめてだったわけである。
日本にもどるのは月曜日になるという。
さらに,「集会」で完全に目がテンになっていた学生I本さんも韓国に残るという。
「友だちがいるので」とのことである。
たのむから,無事に帰ってきてくれ。
出国手続きを終え,I田先生,相方とともに,コーヒーなど飲んで,ちょっと落ち着いてしゃべっていく。
I田先生は,夕べ,韓国で女性問題を研究している友人たちと会ってきたという。
お互いの情報をあわせて,紹介しあう。
「独身」女性に対する韓国社会のプレッシャーは,依然,相当強いもののようである。
「慰安婦」問題については,政府が自ら,あれほどの規模でレイプを推進することの格別の野蛮さが話題になる。
「民族浄化」といった,なにかの理念があったわけでもない。
それは,後発帝国主義といった一般的な概念だけで理解されるものではない。
日本社会のいまを,世界各地との比較のなかで,歴史的にとらえることの大切さが実感される。
モノをつくる能力はやたらと発達しているが,「人間の社会」としての成熟度には相当に深刻な欠陥があると思える。
自民・民主2大政党体制,憲法「改正」への企みなども話題になる。
12時40分には,予定どおり,韓国を飛び立つ。
眠気と闘いながら,機内「日韓癒着の人」となる。
移動の際には,どこでも必ずガックリと眠っていたI田先生が,なぜか,眠らずに映画に集中していた。
「日本旅行」社による日程表では「機内食あり」となっていたが,出てきたのは,飲み物と「おつまみ」だけであった。
別に,ゆれがひどかったわけでもないのだが。
どうなっているのだろうか,担当者S山さん。
2時10分には,関空に無事到着となる。
シートベルトをはずしてよろしいという安全サインが出たところで,
「ただちに写真を送ってくれ」とみんなに頼み,機内で「これにて解散」とする。
これで,この大学の長い歴史のなか,はじめての公式海外ゼミ旅行は無事終了となった。
次の課題は,この体験を,春からの学びの成果とともに『本』にまとめていくことである。
お世話になった,たくさんのみなさん,ありがとうございました。
学生たちのひとまわりの成長に,強く期待したい。
細谷千博『日本外交の軌跡』(NHKブックス,1993年)を読みおえる。
列強への仲間入りから現代まで,広く日本の外交政策が紹介される。
戦後の日ソ・日中関係が,中ソ関係のあり方に大きく左右されていること,
またアメリカの対アジア政策に深く規定されていることがよくわかる。
やはり,日本の対外政策の意味をとらえるためには,まずアメリカの政策を知らねばならないようだ。
それをコンパクトに教えてくれる文献がどこかにあるといいのだが。
福田内閣時代の「内需主導型」への転換は,アメリカとの摩擦だけではなく,EUとの摩擦激化のなかでのことでもあった。
なるほど,それで「転換」がサミットでの合意になっていくわけか。
ベトナム以後のアメリカの政策変化も重要である。
旧HPからの移転。はじめて「ナヌムの家」を訪れたときの様子。
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最近の出来事(2004年2月特別編)
2004年2月2日(月)~4日(水)……いざ韓国へ「ナヌムの家」へ
2004年2月2日(月)……初韓国,キムチと読書で夜はふける。
9時の起床であった。
フラフラと,こちらが立ち上がりもしないうちに,相方が,先にとびだしていく。
行き先はソウルである。
仕事の都合が直前になって変わったので,相方は,われわれとは別の飛行機に乗り,
われわれとは別のホテルに泊まるのである。
青汁オレンジを体内投入しながら,メールをチェック。
韓国を案内してもらう李さんと,最後のやりとりをする。
HPをつくり,いつもの朝昼兼用定食のヨーグルトを,ゴマシューに置き換えてみる。
いま食べなければダメになってしまう。
しかし,はっきりいって,あんまりあわん。
シャワーをあびて,11時20分には外に出る。
これで11時35分「尼崎」発の空港バスにラクラク間に合う。
綱渡りの日々ではあるが,なかなか綱から落ちはしない。
「慰安婦問題の人」から,「朝鮮半島史の人」へと変態しながら,関空に着く。
12時40分,すでに全員が集まっている。
こんな時だけ,キチンとしている。
「ちゃんと1本早いのに乗って,30分に来てくださいよ~」といわれる。
チケットを受け取り,手続きをすませて,いったん解散。
コーヒーを飲みながら「半島史の人」をつづけ,李さんへのお土産にとカチコチの煎餅セットを買っていく。
韓国には,同じようなお菓子はあるのだろうか。
2時45分,JALは予定どおりの離陸であった。
学生たちに「慰安婦問題」についてのコピー資料をくばるが,どうも人気はないようである。
すでにアタマのなかは,買い物と食べ物と遊びでいっぱいか。
3時20分には,いつものブロイラー作戦が展開され,あわただしくジュースとおつまみが配られる。
これを残さず食ってしまうところに,我が身のブロイラー化があらわれている。
日韓併合くらいからの歴史しか知らなかったが,中国との朝貢関係,半島内部の対立,朝鮮国の長期安定など,
多様で複雑な歴史を初めてアタマにいれていく。
4時40分,仁川空港にドッスンと着陸である。
荷物を受け取り,両替を行い,ツアーのガイドさんと落ち合う。
「若い女の人ばっかりで,男の人が1人なので,社長さんかと思いましたよ」。
いつものことだが,この集団はやはりあやしく見えるらしい。
いや,そう見られてているのは,こちら1人なのかも知れないが。
それにしても,いったい何の社長か。
謎は深まる。
4年前につくられたばかりのこの空港は,「世界一長い建物」としてギネスにも認定されているらしい。
その種の小ネタが学生の口からとびだしてくる。
外はキッパリとした寒さだが,風はなく,雪も少ない。
バスでソウル市内へと向かう。
タクシー,地下鉄,バス,スリなど,ガイドさんによって,各種の注意があたえられる。
背の高くない山が,葉を落とした木々におおわれている。
なんだが,景色は,千歳から札幌に向かうあたりに似かよっている。
6時30分,市内の免税店に降ろされる。
ガイドさんの指示にしたがわなければならないところが,この「ツアー人生」のつらいところである。
それでも,幸運なことに,頼まれてきた土産をみつけて,サッサと買い込む。
そして,時間をもてあまして外に出る。
路上で,警官をはさんでケンカである。
交通事故のようだ。
ブラブラ歩くと,なんともうまそうな地元密着型の食い物屋がたくさんある。
無理に日本語で書いて,まちがっているものもある。
バス停にバスがはいってくると,人々がわれ先にと,乗車口へ殺到する。
なんだか,生きた人間の「活力」のようなものを感じさせられる。
7時には免税店を出る。
7時半,やたらと立派なラディソン・プラザ・ホテルへ。
「卒業旅行なので,ホテルはちょっといいとこにしてみました」。
旅行係のいっていたとおりである。
すでにロビーでまちかまえていた相方と合流。
「明日の『ナヌムの家』はどうするか?」
こちらのこの提案に,じつは,学生たちもはっきりこたえを出さずに来た。
「楽しい卒業旅行を韓国で」というのが先に決まっていたから,そのあとで「ナヌムの家」といわれてもつらいところだろう。
結局は,別行動をとることになる。
相方と2人で,夕食をとりに出る。
「プチチゲの有名な店」だとガイドブックにあったが,「キムチチゲしかない」といわれる。
情報がすでに古いのかも知れない。
しかし,やすく,うまく,あたたかく食べる。
お互いに外見の違いがあまりわからないので,ありがちな「店のなかで妙に注目される」ということもない。
そのあたり,実に,気がラクである。
筑前煮のような野菜の煮物,カブのキムチ,豆もやしのナムル,
ノリ,出汁をとったあとなのだろうか小さなイワシのつくだに。
そんなところが,ズラズラならんで,ビールとキムチチゲが登場する。
“Hite” と書かれたビールはやや甘口で,キムチチゲはたいして辛くない。
例のカネのハシと,カネのスプーンで食べていく。
8時すぎには店を出る。
ブラブラと「明洞」の街を歩いてみる。
大きな道路が「歩行者天国」のようになり,路上には,たくさんの屋台がならんでいる。
ある案内には,このあたりは「観光特区」とあった。
なるほどと,納得してしまうほどのにぎわいである。
屋台で,イカの足を買う。
プレートであらためてあたためてくれたイカは,ハンバーガーなどをくるむ三角の紙にほうりこまる。
粉チーズ風味の,ちょっと甘い香りがした。
9時30分には,ホテルにもどる。
なにせ,本番は明日である。
風呂につかり,本を読み,コンビニで買った焼酎を飲んで,12時すぎには眠りにつく。
三橋広夫『これならわかる韓国・朝鮮の歴史Q&A』(2002年,大月書店)を読み終える。
100ページちょっとの小さな本だが,原始から今日まで,
とても読みやすく,半島の歴史がまとまっている。
特に,大陸と日本からの侵略の危機につねにさらされながら,いかにして海外とのバランスをとるか,
その工夫と苦労の歴史がわかり,なるほどと思わされる。
そんな感心をするあたりに,こちらの「島国」育ちがあらわれている。
池明観『韓国・民主化への道』(1995年,岩波書店)を読み終える。
「今日の東アジアを学びたい」といったときに,知人が「韓国についてはこれを」とすすめてくれたもの。
明治維新以後の日本の進出と侵略があり,大戦のあとには大国による国家の分断と朝鮮戦争がつづき,
さらに南北の民族と家族の分離のうえで,南北双方に独裁国家がつくられていく。
その苦難の歴史のなかで,多くの犠牲をはらいながらの南の「民主化」の過程が描かれる。
それは,現在進行形の過程だが,軍事独裁政権との闘いの深刻さには,あらためて驚かされる。
2004年2月3日(火)……行ってみたかった「ナヌムの家」へ。
5時に目があいてしまい,6時まで「南北対話の人」となる。
寝なおして,再び起き上がってみると,世間は早くも9時30分。
すでに学生たちは外に出ているのだろう。
シャワーをあびて,あわてて下に降りる。
10時をすこしすぎたところで,梨花女子大の卒業生であり,2002年には本学に留学していた李多恵さんと会う。
結局,こちらは相方との2人だけ。
李さんは,たくさんの学生がいるのだろうと待っていてくれた。
すまない。肩すかしで。
「ナヌムの家」に行くにはまだ早い。
そう判断して,国立民族博物館へ。
「景福宮」のすぐ脇にある建物で,そこまで地下鉄に乗って移動する。
地下鉄は700ウォン(約70円)と安くなっている。
博物館は,時間がないのがもったいなかった。
あちこちに日本語での解説もある。
青銅器の剣・鉾は,出雲あたりに出るものと素人目には,まるで同じにみえる。
小さな銅鐸もある。
土器は「櫛目文土器」の名にふさわしい文様だが,中には縄文式も出てくるという。
海峡をへだてた海の交流は活発だったようである。
青銅でつくられた貨幣も展示されている。
中国の短命だった「新」政権のもの。
円形方孔のもので,方孔部が大きい。
これは日本の福岡あたりからも出土しているという。
大陸の影響がストレートに入ってくる半島文化のダイナミックさを感じさせられる。
後ろ髪をひかれる思いで,あわただしく博物館をあとにする。
小学生から高校生くらいまでの子どもたちが,外に,たくさん列をなしている。
「社会見学」といったとこだろうか。
外に出ると,見事な青空をバックに,中国の水墨画にあるような,ゴロリとたてに長い山がみえる。
「溶岩の粘度が高いのでそうなるのだ」と,相方が豆知識を披露する。
「この先に青瓦台(大統領府)があります」と李さんがいう。
なるほど,今もなお,ここは政治の都ということか。
仁寺洞通りを歩いていく。
骨董品や,古文書などがならぶ,文化の通りである。
そこで「カルククス」という麺類を食べる。
日本語では無理やり「あさりうどん」と書いてある。
3人分が,1つの白い大きな陶器のうつわに入ってテーブルに出てくる。
これを,先割れのやや深めのおたまで自分のさらにすくって食べる。
ちょっと深めの「さら」であって,日本で見るおわんのような器には,このあとどこでも出くわさなかった。
ゴロゴロ入ったあさりの出汁がよくでている。
そして,麺は細めのうどんのようであり,しかし,ラーメンのような粘りも感じられる。
なかなかのものである。
もちろん,キムチもうまい。
腹が満ちたところで,「ナヌムの家」へと,移動を開始する。
地下鉄,バス,タクシーと,思っていたより随分時間がかかってしまう。
まずは地下鉄「鍾閣」から「市庁」へ。
そこから「蚕室」へ。
ケータイの普及率は日本より高いと聞いていたが,李さんの手には,見た事がないほど小さなものが。
相方と李さんが,おしゃべりに花をさかせる横で,黙々と本を読んでいく。
「これがオリンピック橋」「ここがロッテワールド」。
最後に乗った,「ナヌムの家」へ向かう,タクシーのメーターには馬が走っていた。
クルマが走ると馬も走り,クルマがとまるとウマもとまる。
おもしろい。
3時10分,「ナヌムの家」に到着。
静かなところである。
白い元気のいい犬が2匹でお出迎え。
事務所に入ると,日本人スタッフが2人もいる。
こちらが見ていたHPは公式のものではないという。
ちなみに,ただしくはここ。「ナヌムの家」。
日本女子大から梨花女子大に留学中で,「昨日ここに来たばかり」という学生が1人。
そして,じっくりと案内をしてくれた「もともと写真家なんですよ」という男性「やじま」さん。
「局長」の肩書をもつ安さんも,気軽にこえをかけてくれる(韓国語で)。
コーヒーをいれてくれて,「どうして今日は学生は来ないの」と,ざっくばらんに話がはじまる。
ひとここちついたところで,ビデオを見せてもらう。
『私は忘れない』という,日本でつくられた短いビデオ。
97年に亡くなった,カンドクキョンさんの追悼番組である。
・16才で強制的に「慰安婦」とされた。
・「慰安所」でできた子どもは,のちに孤児院で死んでしまった。
・結婚はしなかった。
・日本政府が「従軍慰安婦問題にかかわっていない」とウソをつくのがゆるせず,自分が「慰安婦」だと名乗り出た。
・日本政府は民間の基金をつくってごまかしをはかっている。
・彼女は「慰安婦問題」だけでなく,広く女性への性暴力をなくす国際的な取り組みに参加したという。
手元の走り書きのメモには,そんな言葉が残った。
ビデオが終わったところで,先の「やじま」さんが歴史館を案内してくれる。
・92年ソウルに「ナヌムの家」は始まった,95年にここへ移転し,98年にこの歴史館が出来た。
・入口と出口の大きなレリーフが,ハルモニたち(元「慰安婦」のおばあさんたち)の「現実」と「未来」を表現している。
・「現実」は涙をながす女性が,「菊の紋章」(天皇家の紋章)からとびだす銃剣にからだを貫かれている。
・出口の「未来」は,伝統的な朝鮮の結婚式の衣装を来ている自分たちの姿。
実に対照的であり,そこにハルモニたちのかかえる苦悩の深さと,未来にこれをくりかえしてはならないという決意がみえる。
歴史館の中に入る。
・91年に,自分が「被害者だ」という韓国での初めての告白があった。
・この強制の事実を歴史に残さなければとの思いからである。
・92年,日本の歴史研究者・吉見氏が,防衛庁の資料の中から,政府・軍による「強制」に関する資料を見つける。
・ハルモニたちは,1人1人に対して1枚ずつ公式の謝罪文書を渡すことを求めている。
壁には,慰安所が確認されている東アジア一帯の地図がある。
・「慰安所」は日本軍がいた各地にあり,日本国内にもあった。
・沖縄では134ケ所が確認されており,釧路,松代(長野),大阪などにも。
・中国には,「解放」後もそこに暮らしつづけて,半島に帰らなかったハルモニがいまも生きている。
・政府・軍が強制連行し,くりかえし性暴力をうけた女性たちを「日本軍『慰安婦』」と呼んでいる。
・「従軍」というのは,自らすすんで加わったという意味であり,正しくない。
・国連は“sexual slave”などの用語をつかうが,この言葉にはハルモニ自身に反発を感じる人もいる。
・しかし,英語表記はこれに統一している。
・韓国では「女子挺身隊」と呼ばれたが,これでは労働奉仕と区別がつかない。
・この写真には,「慰安所」の前にならぶ兵隊たちの姿がある。
自分のセックスの順番を待って,笑っている兵士。
関係する写真の1枚,1枚が重く語りかけてくる。
・1932年に上海につくられたのが,資料に残る最初の「慰安所」。
・最初は日本人のプロの「売春婦」がつかわれている。
・「慰安所」をつくる理由を軍はいろいろいうが,実際に,性病・現地でのレイプ・反日感情抑制には効果はなかった。
・唯一効果があったのは兵隊の士気のみ,これは軍としての作戦の一環だった。
・シベリア出兵時にも「慰安所」があったが,これは軍が直接管理するものではなかった。
・そこで性病がひろまったことが,軍による管理の形態へと踏み切らせたといわれている。
・1937年以降,「慰安所」は急増する。それで国内のプロの「売春婦」だけでは足りなくなった。
・そこから特に朝鮮人の「活用」が広まる。
・なぜ朝鮮人からの理由のひとつは,日本政府による土地の奪い取りで朝鮮人の生活が貧困化していたこと。
・ふたつは,すでに日本の公娼制が朝鮮にもちこまれていたこと。
・みっつは,朝鮮人への差別。
・「関与」といった曖昧なものでなく,日本軍自身がこれを「管理」していことについては,資料もある。
関係資料の写真やコピーも展示されている。
つづいて,再現された,ある「慰安所」の中に入る。
こういう施設をハルモニたちの生活の場でもあるここにつくることにはいろんな意見があったという。
しかし,訪れる人に知ってもらうことの大切さを,ハルモニたちも優先したと。
・ここは性の強制の場であり,同時に生活の部屋でもある。
・女性の性器洗浄のための消毒液をいれた洗面器がある。
・1人で1日に30~50人を相手にすることもあった。
・人数が多いと意識がもうろうとし,気がつくと自分の尿と兵隊の精液でベッドがベタベタになっていたということもあった。
・1つの部屋を布切れで区切って3人が強制されたこともある。
・トラックのなかで,テントのなかで,南では大きな葉でくぎっただけで,さらには洞窟で。
・ビルマではお寺も「慰安所」にされている。
・日本軍は「慰安所」をいろいろに呼んでいるが,そのなかに「衛生的公衆便所」という呼び名がある。
・「衛生的」というのは軍が管理しているから性病の心配がいらないということ。
・「公衆便所」というのは,そのまま「慰安婦」を精液を吐き出す道具としてしかとらえていないということ。
・「慰安婦」は,性以外にも,食事・洗濯・看病など,あらゆる労働に従事させられている。
・殴られる,けられるも日常で,いまここにいるハルモニの何人かも日本刀の刀傷をもっている。
再び,いくつかの資料の前で。
・軍のこの資料では,「営業時間」は朝の9時から夜の12時までとなっている。
・記録には10代の女性も多い。
・なぜ10代かというと,当時は純潔イデオロギーが強く,未婚女性には性病の危険が少ない。
・それと,「処女」は兵士が喜ぶという理由から。
・ここには「支払い」につかわれた「軍票(軍用手票)」や「クーポン券」も残っている。
・しかし,それらは「慰安所」の経営者の手にわたり,実際には「慰安婦」たちはほとんど何もうけとっていない。
・それらは「慰安所」の経営者が集め,その数で1人1人の「働き」を管理する道具にもされた。
・着るものをつくらせて,それを借金にさせ,その支払いのために働かせるということも行われた。
・当時の軍の配った「サック(コンドーム)」の実物がここにある。
・沖縄で見つけられたものである。
・45年8月15日を光が回復した日として「光復節」というが,「慰安婦」たちは素直に喜ぶわけにはいかなかった。
・カンボジアの「慰安所」におかれ,その後も長くそこに暮らしたハルモニもいる。
・何万,何十万の「慰安婦」たちのすべてについては,ほとんど全容がわからない。
・軍の機密がもれる,「慰安」の事実を隠すために,逃げるのに足手まといだからと,殺されたり,置き去りにされた例が多い。
・「慰安婦」の管理者名簿を焼却せよという軍の命令書もある。
・もはや,事実はこれを体験した生存者の証言のなかにしかない。
新しいコーナーへ移動して。
・扶桑社の「新しい歴史教科書」には「慰安婦」の記述がない。
・それが文部省の検定をとおったことで,他社の教科書に影響をあたえ,記述のない教科書がふえている。
・実際に現場でのこの教科書の採用が少なくても,そういう「効果」が出てきている。
・かつての軍隊体験の一部として,個人が「慰安婦」をなつかしく,しのぶ調子で本をだすこともある。
・ここにも,資料としておいてある。
・日本の政治家たちの「暴言」の一覧表もある。
・「『軍』慰安婦募集」という朝鮮での新聞広告もある。
・識字率が低く,女性に新聞を読む習慣がなかったことなどから,これは実質的には「人集め」の業者や担当者への呼びかけだった。
・1948年には,戦後のバタビア(いまのジャカルタ)の軍事法廷でオランダ人「慰安婦」にかんする裁判が行われた。
・いまのインドネシアはオランダ領だった。
・セマランの「慰安所」の裁判で,関係した日本人には死刑をふくむ判決がくだり,実際1人は死刑になっている。
・これが唯一の裁判での「勝利」例。
・ただし,アジア人の被害者については,この種の裁判結果は1つもない。
・この裁判には,戦勝国による裁判であったということ,また白人によるアジア人への裁判であったという人種問題もある。
・日本政府がつくった「基金」を受け取るかどうかをめぐって,「慰安婦」たちにも意見の対立がある。
・受け取ったハルモニをせめることは出来ないが,それで政府の公的責任を曖昧にするわけにはいかない。
・ここには「歴史修正主義者の活動年表」もある。
次のコーナーで。
・「純潔イデオロギー」が強い時代であり,「慰安」の経験がその後の被害者にあたえた精神的苦痛は深刻である。
・1972年には沖縄でくらしていたハルモニが,72年の施政権返還をきっかけに「自分慰安婦だ」という告白をする。
・しかし,これをバックアップした団体に朝鮮総連があったため,韓国内ではあまり話題にならなかった。
・これが「慰安婦」自身の告白としては最初のもの。
・このハルモニの場合には,あるインタビューにこたえる時に,10分に1度ずつ手をあらっている。
・「身の汚れ」を意識してか,過度の潔癖症だったと思われる。
・91年に沖縄で亡くなっており,その直後に,韓国で最初の告白がある。
・梨花女子大の元教授が,日本各地を活発にまわって調査をしていた。
・80年代後半にはその結果についての執筆もあり,それが91年の告白につながる土壌ともなった。
・91年に最初に告白したキムハクスンさんは,日本政府やマスコミのウソを知って名乗り出た。
・彼女は17才で日本兵にレイプされている。
・過去を知らねばならない,未来にくりかえしてならないとの気持ちで名乗り出た。
・92年1月8日から,毎週水曜日に日本大使館前で集会をしている。
・7つの要求をしているが,14年間で1つも実現していない。
・民主党・共産党・社民党が通称「慰安婦」法案を準備している。
・しかし,国会の力関係を考えると,いまのままでは成立のメドはたたない。
・立法措置による解決をもとめる動きは,日本にこれだけ。
ハルモニたちのかいた絵の前で。
・心理療法として絵画教室を行ってきた。
・ハルモチたちは多くが教育を受けられず,文字で自分を表現できない人が多い。
・その表現を絵をとおして行っている。
・目隠しされた「ヒロヒト」の処刑の絵を,日本のマスコミは「処刑されているのは誰か」と聞くこともできなかった。
・外国人記者の質問に「昭和天皇・ヒロヒト」と,ハルモニははっきりこたえている。
・日本のマスコミの天皇タブーのあらわれだ。
・チョゴリを来た若い女性たちが船にのっているが,軍の記録にはこれを「補給品」と記録しているものさえある。
・どこへいかされても女性たちには「日本名」がつけられた。
・「創氏改名」とはまったく別の名前。
われわれ,たった3人だけに,実にていねいに説明をしてもらうことができた。
以上はあくまでも,こちらの手元に残ったメモの再現である。
「メモ」についても「再現」についても,責任はすべてこちら(石川)にある。
より正確に,より詳しく知りたい方には,次の本をおすすめしたい。
「歴史館」の解説を,本のなかで行うものである。
ナヌムの家歴史館後援会編『ナヌムの家歴史館ハンドブック』(柏書房,2002年)。
歴史館の出口で,これをふくめて何冊かの本やパンフレットを買う。
そのために,ウォンへの両替は,あらかじめ多めにしておいた。
事務所でもう1度,お茶をいただく。
兵役としてここで奉仕活動をしている青年が,恥ずかしそうに日本語で自己紹介をしてくれる。
大学では日本について学び,サザンのファンでもあるそうだ。
入院している1人のハルモニのお見舞いにでかけていたハルモニたちがかえってくる。
すぐに食事の時間で,お会いできたのはお1人だけだが,どういう顔をしていいのか困ってしまう。
いま思えば,「いっしょにがんばりましょう」ということだろうが,
しかし,声は出なかった。
5時30分,タクシーを呼んでもらい,「ナヌムの家」をあとにする。
学者として,自分に何ができるだろうか。
ハルモニたちのためだけでなく,あわせていまとこれからの社会のために。
いろいろと考えさせられる。
「今日はこなかった学生たちにもよろしく」。
「また,連絡しますから,学生たちに来てもらってください」。
これらの言葉も重く,残る。
現代日本のジェンダー分析を課題とする3年生ゼミに,これは,どういかすことができるだろうか。
しばし,メモを見つめて考える。
タクシーを降り,バスに乗り換え,さらに地下鉄に乗って,ソウルへもどる。
地下鉄は「江辺」から「乙支路入口」へ。
あいかわらず本を読みながらの移動である。
にぎやかな市街地に入り,7時20分には,李さんに紹介してもらった「カルビ屋」さんに入る。
昨日も見かけた,店の前の大きな釜でゴハンを炊いている店である。
李さんは,今度は国費で京大の大学院に行くらしい。
たいしたものである。
「慰安婦」問題については,高校でそれをテーマにした演劇をした経験があるともいう。
テーブルの上には,7つも,8つもキムチが出てくる。
そして,たくさんの「機能野菜」。
ようするに健康促進に役立つ野菜ということらしい。
これにくるんで肉を食べる。
「12種類の豆でつくった」という味噌もうまい。
マッコウリを3人で飲む。
竹筒にたかれたゴハンもおいしい。
9時前には,この「明洞」の街で李さんとおわかれする。
しっかりした気性の人だと思った。
たった11時間のおつきあいだったけれど,彼女がいなければ「ナヌムの家」には到底いけるものではない。
お世話になりました。
どうも,ありがとう。
そして,李さんを紹介してくれた,金さんにもありがとう。
ホテルにもどり,韓国焼酎を片手に,焼肉の香りを落とすべく長風呂の体制に入る。
「北朝鮮論の人」となり,12時30分には,グッタリと寝る。
森千春『朝鮮半島は統一できるのか』(中公新書ラクレ,2003年)を読み終える。
新聞記者として長く韓国にもいた著者が,朝鮮の「統一」にはっきりと焦点をあてて書いた現代政治史。
「体制」と「民族」の相剋が,南北双方の側から様々に描かれる。
同一民族という意識の意外なほどの強さと,そこから生まれる「統一」への願いの強さをあらためて知らされる。
それが「体制」の論理に優越する側面もあると。
「分断」がもたらす悲劇の深さであろうか。
呉善花『韓国人から見た北朝鮮』(PHP新書,2003年)を読み終える。
これは南北両社会をどうとらえるかという社会論として,非常に刺激的だった。
いわゆる「李氏朝鮮」の500年をこえる体制。
そこにつらぬかれた儒教(朱子学)の精神。
それが,今日の北にも,南にもつらぬかれ,「体制」のちがいにもかかわらず,両社会には非常に近しいものがある。
他方,日本に対する侮蔑の意識も「李氏朝鮮」の「中華思想」にもとづくと。
日本の植民地支配によって侮日が始まったのではなく,その根は,思想的にはるかに深いという。
現代の半島事情を知ると同時に,あわせて東アジアの未来を考えるうえでも刺激的な本である。
2004年2月4日(木)……あっという間に日本へもどる。
7時30分,目ざましの音で立ち上がる。
シャワーをあび,コーヒーを飲み,8時すぎにはフロントへ。
ただちに出発となる。
ガイドさんが先日とかわっており,あらたに同行メンバーも出来ている。
バスの中で,しばしの観光案内。
これは,どうも「お土産屋」まで,われわれを眠らせないための作戦らしい。
それでも,昨日来た「景福宮」が,どうやら「李氏朝鮮」スタートの宮殿だということを初めて知る。
ほう,なるほどそうだったのか。
ということは,朝貢していた中国の使いたちがここに,大きな顔をしてやってくることもあったのだろう。
ところどころにいる,いかつい男たちは,青瓦台を警護する「私服警官」だそうだ。
「私服になったのは最近です」。
9時すぎには,「お土産屋」に到着し,「さあさあ,このキムチをお食べなさい」という多角的な攻撃を受ける。
たしかに,手元に半端なウォンを残す必要はない。
その金額にちょうどみあった「たこキムチ」を買う。
もちろん酒のサカナである。
眠そうにしている学生たちに聞くと,かれらが寝たのは4時だという。
よほど楽しいことがあったのだろう。
そういう体験が,これからの日韓関係づくりに役立つこともあるかも知れない。
10時には,仁川空港に到着。
コートを脱げ,クツも脱げ,上着も脱げというキビシイ,セキュリティ・チェックをうけて,あとはしばらく自由となる。
昨日買ったばかりの「ナヌムの家の人」となる。
12時半には,ドヤドヤと飛行機に乗る。
発着ともに,少し遅れたようだ。
キムチのかけら以外は何も食べておらず,今回ばかりはJALの機内食がありがたかった。
それにしても,ちらし寿司とクロワッサンと果物という,あのとりあわせはなんとかならないものか。
2時15分には,関空に着陸。
旅行係より「解散」のおことばが発せられる。
「先生とはほとんどすれちがいでしたが」と,みんなでお金をだしあってくれた「おめん」をもらう。
研究室の「ヘンなものコーナー」に置いとけ,ということであろう。
ありがとう,みんな。
3時すぎには,空港バスに乗る。
車中「ナヌムの家の人」となって,「尼崎」へ,「加島」へ。
4時20分には帰宅する。
相方は,すでにもどっている。
ナヌム・ショックで夕べは一睡もできなかったらしい。
メールをチェックし,FAXを打ち出し,郵便物をあけていく。
そして,この旅行日誌を書いていく。
それで,世間は早くも8時半。
卒業していくみんな,おつかれさま。
この旅行でお世話になったたくさんのみなさん,ありがとうございました。
楽しくも,収穫の多い旅行でした。
9時には,土鍋メシを炊き,「たこキムチ」をバクバク食う。
そして,録画しておいた,「上沼」「ごきブラ」あたりをながめていく。
「日常」の再開である。
欧州議会の本会議で、予定どおりの日程で「慰安婦」決議が採択された。
日本政府によるロビイングは、大きな影響力をもたなかったようである。
議案名は「アジアにおける第二次世界大戦前と戦中の性奴隷『慰安婦』のための正義 」であり、57議員のうち54議員(3名棄権、反対0名)が賛成したとのことである。
「河野談話」「村山談話」を歓迎しながら、この精神に反する動きを批判し、さらに「河野談話」が認めなかった「賠償」を要求するものとなっている。
「遺族」への賠償という要求は、はじめてのものであろうか。
欧州議会が慰安婦決議 日本政府に公式謝罪要求(中日新聞、12月14日)
【ブリュッセル13日共同】第2次大戦中の旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、欧州連合(EU)の欧州議会(フランス・ストラスブール)本会議は13日午後(日本時間同日深夜)、日本政府に公式謝罪などを求める決議案を一部修正して賛成多数で採択した。同種の決議は7月に米下院、11月にオランダ、カナダ両国の下院で採択されている。
立法権がなく、EUの「諮問機関」と位置付けられる欧州議会の決議に法的拘束力はないが、加盟27カ国、計約4億9000万人の「民意」を表明する役割がある。採択は、慰安婦問題への対応をめぐる日本政府への不信感が国際社会で拡大していることをあらためて裏付けた。
最大会派の欧州人民民主党、第2会派の欧州社会党など計5会派の代表が名を連ねた決議案は「過去の日本政府が慰安婦徴用に関与した」として、人権保障条約や国連決議に違反した「20世紀最大の人身売買の1つ」と非難した。
【ブリュッセル13日共同】欧州連合(EU)欧州議会が採択した従軍慰安婦決議の要旨は次の通り。
▽事実認定など
一、第2次大戦終戦まで日本政府は軍に対する性的労働のため、慰安婦徴用に関与。
一、20世紀最大の人身売買の1つ。
一、数十件の訴訟が日本の法廷で棄却。
一、1993年の河野洋平官房長官、94年の村山富市首相の談話を歓迎。
一、日本の一部政治家が談話を希薄化、無効化する意見を表明。
一、日本の一部学校教科書が慰安婦問題を矮小(わいしょう)化。
▽対日要求
一、公式な被害認定、謝罪を行い、明確な形で歴史的、法的な責任を負うことを日本政府に要求。すべての元慰安婦、遺族らへの賠償を要求。
一、慰安婦問題が存在しないとする主張に対する公式な否定を要求。
一、日本の国会に賠償請求の障害を除去する立法措置を要求。
一、日本国民と政府に、自国の歴史を十分に認識することを奨励し、将来にわたる教育を要求。
欧州議会は、今月にも「慰安婦」決議を採択する可能性をもつわけだが、これを阻止するための日本政府の活動が活発化している。
アメリカの決議の際と同じであり、安倍内閣時とも変わらない。
「河野談話」から、さらにすすんで前に出る姿勢があれば、誰もこんな謝罪要求に力を割いたりはしないのだろうが。
広げるべきは、国内の声である。
欧州の「慰安婦」謝罪決議、政府は警戒強める(読売新聞、12月8日)
政府は、いわゆる従軍慰安婦問題をめぐり、各国議会で日本に対する謝罪要求決議が相次いでいることに警戒を強めている。
欧州議会でも同様の決議採択の動きがあることから、外務省は欧州連合(EU)日本政府代表部や欧州議会がある仏ストラスブールの日本総領事館などを通じ、議員らに慰安婦問題に関する正しい理解を訴え、決議阻止に全力をあげる考えだ。
謝罪要求決議は、今年7月30日に米下院で採択されて以来、オランダ下院(11月8日)、カナダ下院(11月28日)と続いた。
欧州議会も11月、韓国の市民団体やアムネスティ・インターナショナルなどの働きかけで、元慰安婦の証言を聞く公聴会を開催。これを受け、決議案を採択する動きが活発化している。
各国議会などの決議は法的な拘束力を持たないが、外務省によると慰安婦問題への認識不足や、事実誤認が見られるという。
訪中に先立ち、民主党小沢代表は、A級戦犯の分祀と、戦争を「間違いだった」とする発言の用意を述べた。
民主党には、5月3日の靖国派改憲案にも名をつらねた、かなりの靖国派議員がいるわけだが、代表による中国での歴史認識の発言は、大きな注目点。
「侵略」と認めることができるかどうか、そこが重要なポイントとなる。
6日に訪中する民主党の小沢一郎代表は4日の記者会見で、日本の首相の靖国神社参拝について「参拝自体が悪いと言ったことは一度もない。A級戦犯の合祀(ごうし)は筋道が違うので、公の立場になったら合祀はやめると言ってきた」と分祀(ぶんし)論を展開した。歴史認識問題では「我々の先輩が迷惑をかけた、間違いだったとすきっと言えばよい」との考えを示した。
訪中には50人近い党所属国会議員が同行する。与党は「国会軽視」と批判しているが、小沢氏は「目的を持った日程だから、何もはばかることはない」と反論した。
「日本会議」メンバーでありながら日米同盟最重視、東アジアとの関係修復に重きをおく福田氏の「現実主義的靖国派」路線に対し、より「古典的原理的靖国派」に近い立場からのグループづくりの動きである。
会長が自民党員でない平沼氏となっているところに、新党結成を視野におさめた布石の意図が感ぜられる。
伝統・文化を守り、戦後システムを見直しするということの内容が、アメリカの対日・対東アジア政策とどのような関係に立つものとなるのか。
そこがとりあえずの注目点といえようか。
自民・中川昭一氏ら勉強会、派閥横断で「健全な保守」推進(読売新聞、12月5日)
自民党の中川昭一・元政調会長や島村宜伸・元農相ら保守色の強い有志議員は4日、派閥横断の勉強会を発足させた。
今後、対中外交や北朝鮮の拉致問題、人権擁護法案などについて積極的に発言していくと見られ、党執行部からは警戒する声が出ている。
設立総会は、東京・永田町の憲政記念館で開かれ、自民党議員29人と無所属の平沼赳夫・元経済産業相が出席。代理出席は29人だった。最高顧問に平沼氏、会長に中川氏が決まった。設立趣意書には、<1>伝統・文化を守る<2>疲弊した戦後システムを見直す<3>国益を守り、国際社会で尊敬される国にする――などの項目を盛り込んだ。会の正式名称は、決まらなかった。
平沼氏は「日本に健全な保守が成立することが望ましい。改革はやらなければならないが、文化や伝統を大切にする姿勢は必要だ」と述べた。中川氏は「自信と誇りと謙虚さを持って進んでいく」と語った。
席上、自民党の人権問題等調査会が3日に新たな人権救済制度を設ける人権擁護法案を巡る議論を始めたことが話題になり、「知らないうちに会議が開かれた」などと疑問視する声が上がった。
中川氏は、福田政権を「全面支援する」としている。しかし、出席者には9月の総裁選で麻生太郎・前幹事長を支持した議員が多く含まれ、党執行部は、勉強会が「反福田色」を強めることを懸念している。メンバーは、安倍前首相とも志向が近い。伊吹幹事長は4日の記者会見で「勉強は結構だが、党の結束を乱さないようにやって欲しい」とクギを刺した。
平沼氏は次期衆院選後、新党結成も視野に自民、民主両党の橋渡し役を務めるとしている。勉強会が政界再編の震源地になるのではないかとの観測もある。
4日の総会の出席者は次の通り(代理出席を除く。敬称略)。
【自民党】奥野信亮、萩生田光一、高鳥修一、西田昌司(以上、町村派)山口泰明、戸井田徹、馬渡龍治(以上、津島派)清水鴻一郎(古賀派)中川昭一、古屋圭司、中野清、小島敏男、江藤拓、鍵田忠兵衛、中曽根弘文、中川義雄(以上、伊吹派)松本純、薗浦健太郎、赤間二郎、鴻池祥肇、浅野勝人、塚田一郎(以上、麻生派)西本勝子(高村派)島村宜伸、水野賢一、武藤容治、山中あき子(「あき」は火へんに華)、永岡桂子、佐藤正久(以上、無派閥)
【無所属】平沼赳夫
自民・中川昭氏が勉強会立ち上げ 保守再結集へ旗揚げ(朝日新聞、12月4日)
自民党の中川昭一・元政調会長が4日、「保守勢力の再結集」を掲げ、新たな勉強会を立ち上げた。同党や無所属の国会議員ら代理を含めると、初会合の参加者は59人。会長に就任した中川氏は「福田首相と党執行部を全面的に支援する」と強調しているが、総選挙後をにらみ、党派の枠組みを超えた保守派結集の核となる可能性もありそうだ。
この日、東京・永田町で開かれた初会合には、自民党の町村、津島、古賀、伊吹、高村、麻生各派や無派閥、無所属の議員30人が出席した。勉強会は、安倍前首相の「戦後レジームからの脱却」路線の継承をめざしており、中川氏は「数カ月前まで、みんなが『やるべきだ』と言っていたことが忘れ去られてはいけない」と訴えている。
人権擁護法案の国会再提出に向けた議論が再開するなど安倍路線転換の動きに、党内の保守派は警戒感を強めている。最高顧問に就任した郵政反対組の平沼赳夫氏(無所属)はあいさつで「やるべき改革は大胆にやる。だが、文化や伝統、侵してはならないものを守る政治の姿勢が大切だ」と呼びかけた。
先日の拉致問題を材料に安倍内閣を黙らせるの補足になる記事である。
今日の自民党政治を継続するためには、対米従属を認める現実主義的靖国派であらねばならないということである。
安倍前首相「慰安婦発言撤回は米圧力のため」(中央日報、11月9日)
安倍晋三前日本首相が3月「慰安婦動員の強制性が証明されなかった」と発言し、1カ月後に撤回したのは米国の圧力の影響を受けたからだと、この問題に精通した日本の政界消息筋が8日、明らかにした。
これらによると安倍前首相の「慰安婦発言」が出た後、トーマス・シファー駐日米国大使が日本政府の高位官吏らと会い、安倍前首相の発言による否定的影響がもっと大きくなれば北朝鮮の日本人拉致問題に対し米国がこれ以上支援しにくいという意思を伝えた。またシファー大使は日本の官吏らに日米関係が危険水位まできていることをほのめかした。
シファー大使の「警告」が伝わった後、安倍前首相は当時の塩崎恭久官房長官、麻生太郎外相を含めた高位官吏たちと今後の対応案を論議し、結局、日米関係の重要性を勘案し、これまで立場から退くことを決めた。
結局4月3日、安倍前首相はジョージ・ブッシュ米国大統領との電話を通じて2次大戦当時、日本軍の慰安婦強制動員を認めて謝罪した1993年の河野談話を受け継ぐという意を伝達しなければならなかった。
共同通信による速報である。
カナダ、慰安婦決議を採択 米国、オランダに次ぎ3例目(熊本日日新聞、11月29日)
【ニューヨーク28日共同】カナダ下院は28日、第2次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に謝罪などを求める決議案を全会一致で採択した。同問題での外国議会の決議は今年7月の米国、今月9日のオランダに次ぎ3例目。拘束力はないが、日本政府への国際的な不信感の広がりを示した形となった。
アメリカ、オランダにつづきカナダでも、日本政府の「慰安婦」問題に対する態度を批判する決議が採択される見込みとなった。
日本政府は、これについても決議を可決しないようにと働きかけを行ったらしい。
安倍内閣から福田内閣に交代しても、その点には、変化が見られないということである。
慰安婦問題で日本に謝罪要求へ=カナダ下院で動議採決の動き(時事通信、11月28日)
【ニューヨーク27日時事】第2次大戦中の従軍慰安婦問題に関し、カナダ下院で日本政府に公式な謝罪を求める動議の可決を目指す動きが強まっていることが27日、分かった。28日に採決に付される可能性が高い。これについてAFP通信は、全会一致で可決される見通しだと伝えた。ただ、動議に法的拘束力はない。
動議は、野党・新民主党所属で中国系のオリビア・チョウ議員が本会議に提出。カナダ政府は福田康夫首相と日本の国会に対し、「20万人以上のアジア人女性が性的奴隷となるよう強制された歴史的事実」を認め、元慰安婦に「公式、誠実かつ明確に謝罪する」決議案を可決するよう促すべきだとしている。
また日本の教科書の中で、「軍の性的奴隷」に関する記述を復活させるよう要求した。
カナダのメディアは27日、第2次世界大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり、同国下院が日本政府に謝罪などを求める決議案を今週中にも全会一致で可決する見通しだと伝えた。決議案には、慰安婦問題が「日本軍による戦争犯罪」であると日本の学校教科書に明記する要求も含まれているという。
同問題では今年7月、米下院が日本政府に公式謝罪を求める決議を可決。今月にはオランダ下院が同様の決議を可決しており、カナダ下院が可決すれば、日本に対する謝罪要求がさらに国際的広がりをみせることになる。
同メディアによると、日本政府が決議案を可決しないようカナダのハーパー首相らに働き掛けたが、主要4党は既に可決の方針で合意しているという。
決議案は、日本が「20万人以上のアジアの女性に大戦中、軍の性奴隷になるよう強制した」ことを認め「公式で誠実、明白な謝罪」を行うよう求めている。
決議案は3月に下院の小委員会で可決、その後、上部委員会での審議を経て本会議にかけられた。下院本会議は27日に公聴会を行い、韓国人やフィリピン人元慰安婦の証言を聞いた。
授業のページに「3年ゼミ-『本』づくり再検討」をアップ。
前回ゼミでの「座談会」の不調を受けて、あらためて「本」づくりを根本から考え直す。
再検討を主導したのは学生であり、これまでに構想してきた本の他に、学生だけで独立した1冊をつくることに落ち着いていく。
結末がどうなるかはともかく、しかし、挑戦が楽しいことであるのは事実である。
あとはゼミ生たち1人1人の意欲と責任感に期待。
田久保忠衛・古森義久『反米論を撃つ』(恒文社21、2003年)を読み終える。
本の帯には「朝日新聞派文化人断罪!」とあるが、それより上に「『テロ容認』『反米エセ保守』の西部邁氏、小林よしのり氏撃破!」とある。
ようするに「親米保守」をののしる原理的靖国派に対する、現実主義的靖国派からの批判あるいは反論の書ということである。
とはいえ、もっとも肝心であるはずの、日本がなぜアメリカについていかねばならないのかという理由はまったく明らかになっていない。
現代世界の大きな構造変化の中で、アメリカはどういう役割を果たしているのか、それを分析しようという視角はどこにもない。
典型的な「アメリカ過大評価」論でもあるのだろう。
オランダ下院の「慰安婦」決議だが、これは11月8日に採択されたと報じられたものと、どこが違うのだろうか?
「慰安婦」決議が採択されるかも知れない欧州議会が12月13日からであること、またオランダ政府が年内の回答を日本政府に求めるというあたりが、新たな情報といえるか。
慰安婦非難決議オランダ下院で可決 欧州議会でも動き(MSN産経新聞、11月21日)
【ハーグ=木村正人】オランダ下院本会議は20日、日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める決議案を全会一致で可決した。オランダ政府は日本政府に決議を伝え、回答を求める。欧州連合(EU)の欧州議会にも12月に慰安婦問題で非難決議案を採択しようという動きがあり、日本政府は対応に追われている。
この問題では7月に、米下院本会議も日本政府に公式謝罪を求める決議案を可決している。
決議案は8日、野党、自由民主党のハンス・ファンバーレン下院議員らが提出。旧日本軍の強制性を認めた1993年の河野洋平官房長官談話を堅持し、「強制売春」に対し責任を取る▽元慰安婦に謝罪と補償を行う▽教科書に慰安婦問題を記載する-ことを日本政府に求めている。
同議員は産経新聞に対し、「わが国の元慰安婦に対する強制性は明らか。日本政府には年内の回答を求めたい」と話した。
一方、欧州議会のジーン・ランバート議員(緑の党、英国選出)は12月13日に開かれる本会議で慰安婦問題に関する対日非難決議案を採択するため、最大会派の欧州人民民主党と調整を進めていることを明らかにした。今のところ同党の同意は得られていないが、「決議案採択の日程で合意できれば決議案は採択されることになるだろう」との見通しを語った。
ここでもアムネスティ等のはたらきかけが一定の役割を果たしているのだろうか。
決議のそれぞれに様々な事情、思惑の相違があったとしても、「慰安婦」問題での日本政府の不当な姿勢は明白である。
これと符丁をあわせる日本国内の取り組みが、ますます大切になっている。
オランダ下院、従軍慰安婦問題で日本に謝罪要求決議(11月10日、読売新聞)
【ブリュッセル=尾関航也】オランダ下院は8日、第2次大戦中のいわゆる従軍慰安婦問題で、日本に謝罪や賠償を求める決議案を全会一致で採択した。
この問題に関する議会決議は欧州では初めて。米下院が今年7月に同様の決議を採択したのが「飛び火」した形だ。
地元メディアによると、8日の本会議で採択された決議は、旧日本軍が戦時中、アジア諸国や西欧出身の女性を「性的奴隷」として働かせたとして、日本政府に元慰安婦への謝罪、賠償を求めている。決議に法的拘束力はないが、フェルハーヘン外相は同日、決議を日本政府に伝達する意向を示した。
オランダ国内では、日本占領下のインドネシアの慰安所で働かされたというオランダ人女性らが、日本に謝罪を求める活動を展開しており、日本政府の姿勢に批判的な世論が強い。
慰安婦で対日非難決議 オランダ下院、全会一致(東京新聞、11月10日)
【ブリュッセル9日共同】第2次大戦中の従軍慰安婦問題でオランダ下院本会議は9日までに、日本政府の対応を非難し、元慰安婦の女性らへの謝罪、賠償などを求める決議案を全会一致で採択した。
同問題では米下院本会議が7月、日本政府に公式謝罪を求める決議を可決しており、日本への不信感や怒りが米国だけでなく欧州にも募っていることを示した形だ。
8日夜に採択された決議は、日本政府に(1)従軍慰安婦問題の全責任を認め、謝罪すること(2)元慰安婦女性に損害賠償を行うこと-などを求めた。
また13日の本会議で、バルケネンデ首相らに今後の具体的な対日外交手段などに関する答弁を求めることも決めた。
発議者のファンバーレン議員は「安倍晋三前首相ら日本の政治家が問題を矮小化する動きを見せたことは容認できない」と述べた。
靖国派の台頭に対するアメリカの警戒心の強さを表す記事である。
①成長する東アジアとのアメリカのうまい折り合い、②「反米」を許さぬ「従米」日米同盟の堅持が、安倍批判を行うアメリカの狙いであった。
そして、福田政権誕生に際しても、アメリカ政府関係者等は、この2つの角度からの評価を行っている。
拉致解決へ支援できず 3月、安倍氏見解を封印(東京新聞、11月8日)
従軍慰安婦動員の強制性に関する安倍晋三前首相の発言が日米間の外交問題に発展していた今年3月、シーファー駐日米大使が当時の政府首脳に「このままでは、北朝鮮の拉致問題で日本を支援できなくなる」と強く警告、これに応じて安倍氏が事態収束を図ったことが8日、関係者の証言で分かった。
拉致問題への支援取りやめをちらつかせて問題の沈静化を迫った米大使の強硬姿勢は、安倍氏の言動で日米関係が危機的な状況に陥っていた実態を浮き彫りにしている。
安倍氏は3月5日の参院予算委員会で、動員の強制性に関し「『慰安婦狩り』のような官憲による強制連行的なものがあったと証明する証言はない。間に入った業者が事実上、強制をしていたというケースもあった。広義の強制性はあったのではないか」と答弁。中国、韓国に加え、米国からも強い批判を招いた。(共同)
この夏、韓国旅行に同行してくれたM尾さんが、「ナヌムの家」でのイ・オクソンハルモニの証言をブログにアップしている。
「『私の話を記録し語り続けてください」~李玉善(イオクソン)ハルモニは女子大生たちにあたたかく語った」がそれである。
ぜひ、ご覧あれ。
甲南大学の先生から、ぜひ神戸女学院大学の学生たちに伝えてほしいとの連絡をいただきました。
あらためて兵庫県下での元「慰安婦」による証言集会をご案内します。
なお、甲南大学での取り組みは、学生たちが中心になって行われているものだそうです。
こうした若い世代の取り組みが、各地に広がることを、心から期待したいものです。
みなさん、よろしくご参加ください。
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【11・18甲南大学証言集会】
●日 時:11月18日(日)午後1時半~
●場 所:甲南大学セミナーハウス(阪急神戸線「御影」下車10分)
・第1部 劇「海を越えてつながる私たち」劇団水曜日
・第2部 イ・マクタルハルモニの証言と、キル・ウォノクハルモニのお話し
戦争と女性の人権博物館建設DVD上映
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【消せない記憶~フィリピンからの証言】
●日 時:11月18日(日)13:30~16:00
●場 所:あすてっぷKOBE(神戸)http://www.city.kobe.jp/cityoffice/15/060/kyodo/astep/
●証言者:ピラール・フリアスさん、ナルシサ・クラヴェリアさん
●資料代:1000円/学生500円、中高生300円
●主 催:「消せない記憶」兵庫実行委員会
●連絡先:078ー351ー0194(兵庫アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会気付)
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【11・19宝塚証言集会
日本軍「慰安婦」被害者の尊厳を私たちの手で回復しよう!】
●日 時:11月19日(月)午後6時半~
●場 所:売布ぷらざこむ3階フリールーム(阪急宝塚線「売布神社」下車5分)
●資料代:1000円
・戦争と女性の人権博物館建設DVD上映
・被害者の証言 イ・マクタルハルモニ/キル・ウォノクハルモニ
・提案 政府に被害者への誠実な対応を求める宝塚市議会決議を!
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大阪・愛知・福岡など、その他の地域での「集会」もふくめて、以下のサイトに情報があります。
授業のページに「基礎ゼミ-女性国際戦犯法廷」をアップ。
ゼミの内部から、ゼミとしてのまとまりが立ち上がってくる。
12月15日にはクリスマス・パーティも行われるらしい。
その前に、ひさしぶりの「南大阪平和ツアー」。
安倍内閣の瓦解により、靖国派流「教育再生」路線と財界流「教育改革」のバランスに変化が起こるものと思われる。
その方向を占う最初の材料の1つといえるのだろう。
「ゆとり」転換を正式決定 改定指導要領で中教審(東京新聞、11月7日)
学習指導要領の改定作業を進めている中教審教育課程部会は7日、約30年ぶりに小中学校の授業時数を増やして「ゆとり教育」を実質転換する「審議のまとめ」を正式決定した。公募した意見などを踏まえ、年明けごろまでに答申する予定。
文部科学省は来年3月をめどに改定学習指導要領を告示、早ければ2011年度から実施する。
審議まとめが示した改定学習指導要領の基本的な考え方は(1)知識を習得し活用する力を確立するための授業時数確保(2)改正教育基本法を踏まえた伝統や文化の尊重、国を愛する態度の育成(3)学習意欲の向上-など。
これらを実現するため、小中学校で主要教科を中心に授業時数を増やしたほか、小学校の英語活動や中学校体育での武道を必修化。ゆとり教育の目玉だった総合的な学習の時間は削減した。道徳の教科化は今後の検討事項として実質見送った。
授業時数増への対応や、子どもと向き合う時間を確保するため教員を増やしたり、外部の人材を活用したりすることが必要と条件整備にも言及した。
学習指導要領改定 中教審部会の「審議のまとめ」について 統制強化 授業を増 中教審部会 指導要領改定へまとめ(しんぶん赤旗、11月8日)
学習指導要領の改定について審議してきた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の教育課程部会は七日、「審議のまとめ」を決定しました。
「まとめ」は「改定教育基本法において…伝統や文化を尊重し、我が国と郷土を愛する…態度を養うことなどが教育の目標として規定されたことを踏まえ、各教科の教育内容を改善する」とのべ、「道徳教育」や「伝統や文化に関する教育」の充実を掲げています。
各教科の「重点指導事項例」を示し、それを子どもが身につけているか全国学力テストなどを通してチェックする仕組みをつくるなど教育内容への国家統制を強める方向です。
日本の子どもたちの学力について「活用力」に課題があるとしました。その背景・原因を「知識・技能を活用する学習活動のためには授業時数が十分でない」として、算数・数学、理科などを中心に現行より時間数を増やし、小学一、二年で週当たり二時間、小学三―六年と中学の全学年で同一時間の増加が必要だとしています。
前回の「学習内容三割削減」で削られた「多位数の計算」(小学校)、「生物の進化」(中学校)など多くの項目が復活しています。
総合的な学習の時間については小中学校とも縮減し、中学校の選択教科も削減。小学校での「外国語(英語)活動」の時間を新設し、中学校の体育では武道の必修化を打ち出しています。
一方で、「教師が子どもと向き合う時間の確保」などの条件整備が必要との認識を示しました。
日本共産党の石井郁子・国会議員団文部科学部会長は談話を発表し、「改悪された教育基本法の具体化として、教育課程への国家統制を強めるものだ」と批判しました。
中教審は今後、十二月か翌年一月に答申を提出。文科省は今年度中に学習指導要領を改定する計画です。
教育統制強める 共産党国会議員団 石井文部科学部会長(しんぶん赤旗、11月8日)
中央教育審議会教育課程部会が七日公表した「審議のまとめ」について、日本共産党国会議員団の石井郁子文部科学部会長は同日、次の談話を発表しました。
◇
「まとめ」は、国が直接「重点指導事項」を教員に示し、その指示どおりに実施されたかどうかを全国学力テストなどでチェックすることにしています。さらに、本来多様であるべき「学力観」や「指導法」についても、特定の内容をしめしています。
これらは、改悪された教育基本法の具体化として、学校の教育課程への国家統制を強めるものにほかなりません。このようなことは憲法と教育の条理に反し、教育の自主性や創造性をうばうものであり、やめるべきです。
一、「まとめ」は、「習熟度別授業」など、競争と格差をひろげ、子どもを選別しようとする施策をあらためて強調しています。いま必要なことは、競争と選別をやめ、学力の底上げを進めることです。
また、「まとめ」は「家庭の責任」なるものを強調しています。「貧困と格差」で傷ついている家庭への公的支援にはまったく触れずに「責任」だけを押しつけるのでは、問題の解決にはなりません。
一、「まとめ」がこれまでの「学習内容の三割削減」をあらため、多位数の計算や生物進化など必要な事項を復活させたことは、現場の声をある程度反映したものです。
しかし全体として、不必要な学習内容も含んでおり、いま以上に深刻なつめこみ授業になる危険をはらんでいます。内容を精選・再編成して、総授業時数増なしで必要な学習ができる方向で見直すべきです。
小学校の外国語活動と中学校の武道必修化は、国民の間で意見が分かれており、強行すべきではありません。
一、「まとめ」は改悪教育基本法にそって、「愛国心」などを上から子どもに押しつけようとしています。国家による内心の自由の侵害は許されません。しかも、沖縄「集団自決=日本軍による強制」を教科書から削除せよとの検定意見に一言もふれない姿勢は、歴史の改ざん、特異な戦争観の強制を容認するものとして厳しく批判されなければなりません。
また「道徳」では、「学校生活で子どもの人権を尊重する」との視点を欠いており、子どもの声を聞き取る姿勢もありません。
一、「まとめ」は、教職員の定数増や教科書・学校図書館の充実に言及しています。現在、教員は総じて過労死ラインで働きながらも、授業準備など子どもと向き合う時間が確保できない状態にあり、教職員増は急務です。ところが政府・財務省は、増員どころか削減を計画しています。
国民の力でこうした自公政権の動きにストップをかけ、教育条件を前進させることをよびかけます。
11月17日に「『慰安婦』問題解決オール連帯ネットワーク」が立ち上がる。
少しでも役に立てるのならと、こちらも呼びかけ人に名前をつらねる。
また、機関紙出版のM尾さんからは、アムスネティ・インターナショシルの動きについての情報をいただく。
この11月から、欧州議会、欧州各国に対して、日本政府へ謝罪と賠償を求めるキャンペーンを行うという。
以下は、その取り組みの一環なのだろう。
賠償を拒否した「河野談話」さえないがしろにするこの国の政治は、内外での孤立をますます深めている。
アムネスティ:元慰安婦3人を招き欧州で証言会(毎日新聞、11月1日)
国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は10月31日、旧日本軍の従軍慰安婦問題に対する関心を高めるため、元慰安婦を招いて証言を聞く会合を11月にオランダのハーグなど欧州各地で開くと発表した。
韓国、オランダ、フィリピンから3人の元慰安婦が参加。アムネスティは「大半の元慰安婦が80代に入っており、欧州で話を聞ける最後の機会になるかもしれない」としている。
3人は運動を支援する国会議員に問題解決を訴える書簡を手渡すほか、日本大使館前での抗議行動も計画している。ブリュッセルでは欧州議会で証言。ベルリン、ロンドンでも体験を語る催しに参加する。
対日謝罪要求決議を=元慰安婦、欧州議会に訴え(時事通信、11月7日)
【ブリュッセル6日時事】旧日本軍の従軍慰安婦として働かされた韓国、フィリピン、オランダの3女性が6日、欧州連合(EU)の欧州議会を訪れ、米下院が今年7月に採択したような慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議を採択するよう訴えた。
韓国のキル・ウォンオクさん(79)は「日本が正式な謝罪をするよう働き掛けてもらうために欧州にやってきた。死ぬ前にそれが実現するよう望んでいる」と話した。フィリピンのメネン・カスティジョさん(78)は「日本兵にされたことを一度も忘れたことはない」と、60年以上前のつらい体験を語った。
「刺した」を「突き殺した」と誤訳したうえで、だから、殺された本人が生きているわけはないと、南京大虐殺被害者をニセモノ呼ばわりしたことへの判決。
「学問研究の成果に値しない」という判決は厳しく、的確なものである。
「控訴する」という東中野氏は、一体何を楯にたたかうつもりなのだろう。
「南京大虐殺」本の名誉棄損訴訟で著者らに賠償命令(読売新聞、11月2日)
「南京大虐殺」を巡る本で名誉を傷つけられたとして中国人女性の夏淑琴さん(78)が、著者の東中野修道・亜細亜大教授と発行元の「展転社」に計1500万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が2日、東京地裁であった。三代川三千代裁判長は名誉棄損を認め計400万円の賠償を命じた。
問題となったのは、1998年に出版された「『南京虐殺』の徹底検証」。判決などによると、夏さんは、南京大虐殺について記した当時の英文資料などに登場する「家族を殺され、生き残った8歳の少女」として、中国や日本で体験を語ってきたが、同書は「8歳の少女と夏淑琴とは別人」などと記していた。
判決は「著者による資料の解釈は妥当とは言い難く、学問研究の成果というに値しない」と批判。夏さんを「8歳の少女」と認定し、「原告が虚偽の証言をしていると強く印象づけ、名誉を傷つけた」と述べた。
東中野教授の話「非常に心外で、控訴する」
南京大虐殺生存者が勝訴 東京地裁 “ニセ被害者”は名誉棄損(しんぶん赤旗、11月3日)
日中戦争中の一九三七年に日本軍が起こした南京大虐殺で生き延びた中国人女性が、ニセ被害者と決めつけられ、名誉を傷つけられたと訴えている問題で、東京地裁(三代川三千代裁判長)は二日、「原告の名誉を棄損し、名誉感情を著しく侵害」したとして、被告に四百万円の支払いを命じました。
訴えていたのは当時、家族七人を殺され、自身も銃剣で刺された夏淑琴さん(78)。夏さんを「南京大虐殺のニセ証言者」とした東中野修道・亜細亜大学教授と出版社の展転社(東京都)に千五百万円の損害賠償などを求めていました。
東中野教授は著書『「南京虐殺」の徹底検証』のなかで、「銃剣で刺した」と訳すべき英語を「銃剣で突き殺した」と誤訳。“夏淑琴さんにあたる八歳の少女は殺されて存在しないはず”と主張していました。
判決は、普通の読者であれば、夏さんが虚偽の証言をしていると理解するであろうとの見方を示し、「原告はいわゆる南京事件の生存被害者として広く知られた人物であるから、(著書の記述は)原告の名誉を棄損するものであり、原告の名誉感情を著しく侵害する」と判断しました。
英語の誤訳について、「解釈はおよそ妥当なものとはいえず、学問研究の成果に値しない」と批判しました。
記者会見で原告側弁護団は「(南京大虐殺の)否定派の代表的な論客である東中野氏に対し、裁判所が断を下したといえる」と評価しました。
“歴史の事実語る” 原告
「やったー」「学者の研究態度のあり方に踏み込む画期的な判決だ」―。二日、南京大虐殺・夏さん名誉棄損裁判判決で、原告団「勝訴」の旗が掲げられた東京地裁門前は、約六十人の支援者の歓声に包まれました。
その場で急きょ行われた報告会では、「南京への道・史実を守る会」の会員は「ほぼ全面勝利の内容です。うれしい。感無量です。少しでも(歴史の事実を)埋め合わせることができました。支援する人の苦労が報われた感じです」と、判決への確信を語りました。
判決後の記者会見で、原告の夏淑琴さんは「来月は事件が起きてから七十年。本当に私にとって記念すべき年になりました。なくなった身内や家族に、このうれしい知らせを伝えたい」と喜びを語りました。一方で「これからも歴史の事実を語り続けなければならない」と、法廷で被告の東中野修道亜細亜大学教授と、一回も対決できなかったことに無念さをにじませました。
南京事件70年 勝訴受け集会 史実は勝つ 原告・夏さんら 改ざん許さない(しんぶん赤旗、11月4日)
南京大虐殺の被害者で前日の東京地裁で名誉棄損の勝訴判決を勝ち取った原告の夏淑琴(かしゅくきん)さん(78)を迎え、「南京事件から七十年―史実は勝つ!」と題した集会が三日、東京都江東区で開かれました。約五十人の参加者はこれまでの運動を確信にし、歴史の改ざんを許さない決意を新たにしました。主催は「南京への道・史実を守る会」。
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日本軍による南京大虐殺で家族七人が殺された夏さんは「ずっと悲しみを背負ってきた」と話しました。被告の東中野修道・亜細亜大学教授の著書のなかで、ニセ被害者とされたことを知ったときは、あまり気にしなかったといいます。しかし、「死んだ家族を思い出すと怒りを禁じえなかった。私は自分の口で多くの人に体験を伝えようと思った」とのべました。
夏さんは「(裁判で)残念だったことは私をひぼう・中傷してきた東中野氏に最後まで会えなかったことだ」と繰り返し語り、出廷しなかった同氏を批判しました。最後に「これからは戦争のない世界を求めたい。日中友好であることが私の願いです」とのべました。
中国の談臻(だんしん)弁護士は「日本の右翼は歴史を改ざんし続け、いつか葬ることができると思っているかもしれない。しかし、それは日本の民衆を葬ることになる」とのべ、「歴史にきちんと直面し、清算することは日本の利益にかなうことだと信じる」と語りました。
心底あきれて、ものがいえない。
こういう人間を選挙に通しちゃダメだよね。
衆院北関東ブロックのみなさん、よろしくご記憶を。
「私らはアイヌの血をひく蛮族」 民主・山岡氏が“差別発言”(北海道新聞、11月1日)
民主党の山岡賢次国対委員長(衆院比例北関東ブロック)は三十一日、国会内で行った自民党の大島理森国対委員長(衆院青森3区)との会談の席上、「私らはアイヌの血をひく蛮族だ」と発言した。山岡氏はその後の記者会見で取り消したが、アイヌ民族を差別した発言として波紋を広げそうだ。
会談の冒頭、同席した民主党の安住淳国対委員長代理(衆院宮城5区)に対し、大島氏が「(色が)白いですね」と話し掛けたのを受けて、山岡氏が近くに座っていた大島氏を含めて「蛮族」と評した。
山岡氏は会見で「冗談交じりの懇談の世界での発言。差別につながるような言葉は取り消す」とした上で「誤解を与えるとすれば非常に申し訳ない」と陳謝した。
さらに発言の真意について「私と大島氏(の地元)は北の方。たくましさや一般人という意味で申し上げた」と釈明。アイヌ民族の認識について「日本の先住民族で、同じ日本人。特に意識したことはない」と述べた。
授業のページに「基礎ゼミ-大本営発表からアジア人差別へ」をアップ。
大本営発表は、靖国神社・遊就館の売店で買ったビデオである。
学生たちは、特に在日コリアンの生き方の大変さに、それとは知らず、しかし、すでにふれていることが少なくない。
10月27日は、9時30分起床の朝であった。
相方が、マンションの「文化祭」に出かけるあいだに、
新参を朝寝に落とし込み、
午後の企画のメモをつくる。
どうしたわけか、これの印刷がうまくいかず、
何度目かの試みでようやくなんとかなってくれる。
夕べのちゃんこ鍋の残りにラーメンを放り込み、
昼は一族3人でゾゾゾゾゾの時間となる。
1時すぎには外に出る。
JR「加島」から「西宮」へ、大学へ。
車中「余裕でインドの人」のはずであったが、
交通事情が悪く、なぜかギリギリになってしまう。
2時から学園祭での3年ゼミ講演企画
「この目で見て考えた戦争と『慰安婦』問題」である。
ところが、学生たちが接続してくれた
研究室のパソコンの調子が悪いらしく、
プロジェクターに情報がとんでくれない。
結局、別のパソコンを利用して、
講演開始となったのは2時30分。
お待たせしてしまったみなさん、
まったく申し訳ありませんでした。
「『慰安婦』問題入門」を、
レジュメにそって、こちらが15分ほど話していく。
あとは学生たちにお任せである。
50人ほどが入る教室で、
外のいろんな音とたたかいながらの話である。
「ハルモニの戦争はまだ終わっていない」と書いたTシャツの紹介。
映像をキレイに見るために、教室の照明は落とされている。
韓国へもっていく横幕を作成している学生たちの姿。
写真はスクリーンにではなく、
大型テレビのような機械にうつされている。
「ワルモノに向かって辞任を表明する安倍首相」。
9月12日午後、昼食のために入った食堂での貴重な写真である。
学生たちがもっていたものを、
今日、はじめて見せてもらった。
もちろん、ただちにパクッていく。
結局、学生全員がこの場で発言を行うこととなった。
ゼミの場では見ることのできない、
学生たちの顔と声がある。
「かつて日本人が犯した罪を、日本人である私たちが
しっかり受け止めなければならない。
それが平和な未来をつくることにつながっていく」。
「問題に正面から向き合おうとしない
大人社会に影響が与えられるようになりたい」。
「戦争と今もなおたたかっているハルモニの後ろ姿を見て、
何もしないではいられないと思った」。
身近な人達との意見の相違や葛藤の様子も語られる。
つくづく、学生たちは自分の力で育つものだと思う。
「教え込む」のでなく、
「みずから考えずにおれない環境」においてやること。
それこそが、この年代の人間を教育する者の
仕事のほとんどなのだろう。
参加してくださった何人かの大人の方が発言してくださる。
学生たちへの期待の言葉がつづく。
おしまいには、
「Tシャツにも横幕にもハングルのスペルの誤りがある」
という、朝鮮語のF先生の言葉が笑いを誘った。
9月の旅行からのわずか1ケ月のあいだに、
学生たちは、自立の度合いを着実に高めているようである。
予定時間を超えて、4時20分の終了となる。
遠く岡山から参加していただいたSさんとも、
仕事の依頼を受けつつ、話をさせていただく。
同行してくれた小学生の娘さんには、
企画のはじまる時に、
チョコレートやビスケットをプレゼントするが、
企画が終わるときには、逆に、新参へのプレゼントをいただいてしまう。
今夜は「京橋」の卒業生の店「わさび」にも顔を出してくれるという。
まったく、ありがたいことである。
教室を出ると、ある学生が「私たちの展示を見てほしい」と
声をかけてくる。
そういわれて「イヤだ」というわけにはいかない。
「慰安婦」問題資料集等、大荷物をかかえながら、
展示のテーマとなっている3人の女性の生き方等、
あれこれ話を交わしてみる。
様々な学生たちが、それぞれなりの思いをもって、
いろいろな取り組みをしているものである。
研究室にもどると5時ちょうど。
4時30分から「森之宮」でおこなわている研究会に、
「いまからではどうにもなりません」と欠席の連絡をする。
4時前に終わるようならと思っていたのだが。
学祭実行委員会からもらったお土産もふくめて、
あれこれをリュックに放り込み、
JR「西宮」から「加島」にもどる。
車中「インドの人」となる。
6時すぎには、一族3人で夕食をとり、
気力・体力をもてあます新参の相手をしていく。
昼の「吉本新喜劇」特番をビデオでながめるが、
すべてを見ないうちにウトウト状態に落ちてしまう。
明日は、四国へフラフラと飛ぶ。
あとは学内仕事の処理である。
各地で学生たちが、「慰安婦」問題での学びを紹介する講演を行っている。
今日(10月26日)は、兵庫県内の高校での講演であった。
以下は、当該の授業を担当されたF先生からのメールである。
学生の名前をイニシャルにした他は、全文、届けられたそのままである。
聞いてくれた高校生の感想がすばらしい。
ゼミ生の話には、当然の未熟さがあり、たどたどしさがある。
だが、それでも聞く人の心をゆさぶる力は十分にあるということである。
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「本日は、Mさんら3人の石川先生のゼミ生が、日本史Aの時間に、お話をいただきました。
3人とも、非常にわかりやすく、聞きやすい言葉で、38名の生徒は満足をしていました。
お世辞ではなく、本当に有意義なお話でした。
彼女たちの学びの過程についての話は、特に大学に進学前の高校3年生には参考になりました。
あのあと、「神戸女学院を受けたい」と新たに言い出す生徒が出てきました。効果抜群です。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
以下、先ほど、生徒から一通のメールが届きました。第一号の感想です。
『どう表現したらいいのかわからないけど、本当にいたたまれなかった。女性としても心臓をもぎとられるような思いがした。
今日本にいる人で、慰安婦問題を知っている人はどれくらいいるのだろう。
学校の教科書では『慰安婦』と一行で書かれている。それだけで済ましていいものなのかと、今日の話しを聞いて感じた。
日本の政府の対応もおかしい。謝罪や賠償金もしない、もししたところで解決はしないと思う。
きちんとこのような悲惨な歴史をもう二度と起こさないために、新しい世代に伝えていくことをしないといけないじゃないかな。
私は今日この話しを伝えられた。
だから私はもうこんな最悪なことが起こらないため、戦争を起こさないため、次の世代、自分の子どもに伝えたい。』」
国連安保理が、紛争時における女性への性暴力を撲滅する努力を、関係各国に求めている。
日本政府が「慰安婦」問題への誠意ある謝罪の意志を明確にし、再発防止につとめていけば、それはこうした世界の流れを促進していく力ともなる。
もっと圧力が必要である。
紛争時の女性への暴力 国連が「重大な懸念」(しんぶん赤旗、10月26日)
【ワシントン=鎌塚由美】国連安保理は二十三日、「女性、平和、安全保障」をテーマに討論を行い、紛争解決・平和構築のプロセスで女性が果たす役割の重要性を改めて確認しました。また戦争・紛争における女性への暴力が依然として存在する問題に「重大な懸念」を表明しました。
討論は、紛争解決や平和構築プロセスにおける女性の役割を初めて盛り込んだ安保理決議一三二五(二〇〇〇年採択)に基づいて行われたもの。同決議は、戦時の女性に対する犯罪の訴追、紛争下での女性と少女の保護強化、国連の平和維持活動ならびに活動現場に派遣する女性の増員、国家、地域、国際レベルの意思決定プロセスに関する女性の参加促進を求めています。
安保理は討論後、議長声明を採択。安保理の意思として「公式な和平プロセスにおいて恒常的に女性の参加が不足」し、女性や少女への保護の必要性が叫ばれているにもかかわらず紛争では依然としてレイプが「広範にわたり、一部では組織的に行われている」ことを確認。決議に基づく、女性や少女の保護を関係各国に改めて求めました。
ジャン―マリ・ゲエノ事務次長(平和維持活動担当)は、決議採択から七年間の活動を振り返り、ハイチやリベリアにおける国連の紛争解決・平和構築活動で、女性の参加に「大きな前進」があったとする一方、コンゴ民主共和国やスーダンのダルフール紛争などでは「レイプが戦争の道具」となったことを報告。性暴力の撲滅には、国連の「政治的指導性が不可欠な道具」となると指摘しました。
決議に基づく行動計画の進ちょく状況を報告にまとめたラシェル・マヤンジャ特別顧問(ジェンダー問題・女性の進出担当)は、性暴力における加害者への刑事免罪や被害者の必要にこたえない対応は「人道的に非難されるべきであり、受け入れられない」と強調しました。「紛争における性暴力、特にレイプは、実態通りに告発されなくてはならない。すなわち個人的な行いや反乱兵士の不品行ではなく、攻撃、拷問、戦争犯罪、虐待である」と報告しました。
討論には国連機関のほか、非政府組織(NGO)の代表を含め約五十カ国が討論に加わり、決議の全面的実施に向け意見交換を行いました。
「集団自決」に関する検定作業に、「新しい歴史教科書」を作成したメンバー等の流れが深くかかわっていたことが明らかになった。
靖国派流「教育再生」活動の一環である。
指摘された渡海文科相は「そういう力が働いてはいけない」と述べているが、古典的靖国派に対する文科省なりの巻き返しという面もあるのだろう。
“靖国史観”教科書の人脈 検定に強い影響力 石井氏質問(しんぶん赤旗、10月25日)
沖縄戦の「集団自決」教科書検定問題で、文部科学省の検定に、“靖国史観”にもとづく「新しい歴史教科書」(扶桑社)監修者の伊藤隆東大名誉教授の門下生や共同研究者が教科書調査官、教科書検定調査審議会委員として深く関与していたことが二十四日、明らかになりました。日本共産党の石井郁子議員が衆院文部科学委員会で質問しました。
「集団自決」への日本軍の強制・関与を削除する検定意見で合議した日本史担当の教科書調査官は四人。調査官の意見書を審議する検定審議会の「日本史小委員会」に属する近現代史の審議委員も四人います。
石井氏によると、教科書調査官のうち、近現代史を担当する調査官二人はともに伊藤氏が一九七一年から東大文学部助教授をつとめていた時代の教え子であり、伊藤氏と共同の研究や著作があります。さらに、近現代史専門の審議委員四人のうち二人が、一九九七年度から二〇〇二年度まで伊藤氏が統括責任者をつとめる研究グループで共同研究をおこない、共同著作があります。(図)
石井氏はこれらの事実を示し、「これで公正・中立な検定といえるのか」と政府の認識をただしました。渡海紀三朗文科相は「検定そのものは、適正な手続きにもとづいておこなわれた」としながらも、「(調査官、審議委員の選定には)疑義を持たれないようにしなければならない」と答弁。「そういう力が働いてはいけないので、配慮、指導したい」と述べ、審議会のあり方などについても、「透明性をあげるよう検討したい」と答えました。
石井氏は、伊藤氏と関係の深い二人の調査官は、「新しい歴史教科書」の検定にもあたっていたこともあげ、「文科省の認識は甘い」と指摘。「学術的・専門的にたえられない今回の検定意見を撤回することなしに、問題は解決しない」と述べ、あらためて文科省の責任で教科書の記述を回復するよう求めました。
政治のイニシアチブとともに、市民のイニシアチブの大切さが語られている。
そこが日本の市民によって良く学ばれるべき点であろう。
仏独 共同歴史教科書シンポ 東京で開く 東アジアが学ぶべきは?(しんぶん赤旗、10月21日)
フランスとドイツでは二〇〇六年から共同歴史教科書による授業が始まっています。そこに至るまでの独仏間の和解過程から東アジアは何を学べるか―をテーマに十九、二十の両日、東京都内でシンポジウムが開かれました。ドイツ文化センターなどが主催したもので、仏、独、日の歴史研究者が熱心に議論を交わしました。
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十九日はドイツのゲオルク・エッカート国際教科書研究所のジモーネ・レシッヒ氏が基調報告。歴史の共同研究には市民のイニシアチブとともに政治の力が必要だと強調しました。
教師の間で交流
▽何度も戦争をたたかってきた旧敵国同士の独仏が共同教科書をつくるまでの前史として、すでに第一次大戦後に独仏の歴史教師の間で交流があった。
▽第二次大戦後には学者や教師などの市民が積極的に動き、一九五一年にはすでに市民がイニシアチブをとって独仏共同教科書への勧告をまとめた。
▽一九六三年の独仏協力条約(エリゼ条約)を境に戦後政治での西独とフランスの協力の中で、歴史の共同研究はさらに促進された。
▽一方、独・ポーランド間の歴史共同研究は冷戦時代の政治体制の違いという厚い障壁に阻まれてきたものの、西独の緊張緩和政策により、七二年に共同研究の窓が開かれ、七六年には「歴史と地理の教科書に関する勧告」をまとめることに成功した。政治の力も必要だった。
高校生模擬国会
基調報告後のパネル討論では次のような議論がかわされました。
静岡県立大学・剣持久木氏=共同教科書づくりを呼びかけた独仏高校生による二〇〇三年の模擬国会の模様を紹介。「重要なのは模擬国会の呼びかけを当時のシラク仏大統領とシュレーダー独首相がただちに活用したことだ」と政治的イニシアチブの重要性を訴え。
フランス国立科学センター研究員・ドゥフランス氏=独仏共同教科書は敵対する二国の「長い長い和解の道のりがあってこそできたものだ」と語り、とくに市民レベルでの交流・理解を強調。
東京大学・川島真氏=日本と中国の共同歴史研究に携わる。日本と中・韓両国との関係と仏独関係の決定的な違いは「侵略をしたというだけでなく、植民地支配をしていたということだ」。そういった難しさの中でも、ともに歩み寄ろうとして(共同の)歴史認識の方向性が形成されつつあると発言。
神戸大学・木村幹氏=日韓の歴史共同研究に参加。戦後二十年間もの間、日韓に国交がなく、その間にそれぞれの国の歴史観ができあがってしまったと指摘。そのうえで欧州側に「(教科書が)できた、よかったではなく、いかに苦労したかを語って教えてほしい」と要望。
“国史”から卒業
欧州側からは、日本の質問にも答えて次のような発言がありました。
独キール大学・コルネリーセン氏「独仏でうまくいったのは、それぞれの国の“国史”こそが大事だという時代を卒業したことだ」
レシッヒ氏「教科書が民族主義をかりたてる道具であってはならない」(片岡正明 写真も)
教育再生会議が再開された。
問題は、これが安倍内閣時と同じく文部科学行政の「乗っ取り」をはかるものなのか、あるいはやはり靖国色を脱色し、財界からの教育改革要求に応える組織に純化されるのか、そこの分かれ目となるわけである。
教育再生会議が福田政権で初会合、「小・中9年制」検討で一致(日経新聞、10月23日)
教育再生会議(野依良治座長)は23日、首相官邸で福田政権発足後初めての総会を開き、論議を再開した。柔軟な教育カリキュラムを編成できるようにするため、現行の小中学校の「6.3」制を見直し、9年制の義務教育学校の創設などを検討することで一致した。
教育再生は安倍晋三前首相が憲法改正などと並んで掲げた重要政策の一つ。安倍氏の辞任で論議が中断していたが、福田首相は冒頭「注目を集める会議と認識している。国民全員が関心を持っている話題であり、建設的な議論をしていただきたい」と求めた。
学校制度の見直しは小中一貫の9年制学校をつくり、地域の実情に応じて「4.3.2」などの学年のまとまりを設ける案を軸に検討する方向。大学への飛び級入学を促進するため一段の要件緩和を進める必要があるとの意見も相次いだ。一方、年末を予定していた三次報告のとりまとめ時期を巡っては「もっと時間をかけるべきだ」との異論も出た。
福田首相、独自の具体案語らず 教育再生会議(朝日新聞、10月23日)
福田内閣で初めてとなる教育再生会議の総会が23日、首相官邸で開かれた。安倍前首相の辞任で、同会議が開かれるのは約1カ月ぶり。12月に予定されていた最終報告は1月にずれ込むことになった。会議に出席した福田首相は、安倍前首相時代の方針を基本的に引き継ぐ考えを示した。
「所信表明演説で、フルにご提言を入れております。みなさま方は常識的な議論をなさっているし、それが世間にアピールしている」。福田首相は総会冒頭のあいさつで、こう語った。
この日の総会では、会議の目標として、首相の掲げる「自立と共生」を新たに打ち出した。池田守男座長代理は会議後の会見で「総理の考えは、私どもとそれほど遠くない。私どもとして非常に意を強くした」と述べた。
会議では、6―3―3―4制の見直しのほか、飛び級と留年制度について議論。池田氏によると、飛び級や留年は義務教育での導入は難しいとの意見で、ほぼ一致したという。
さらに中央教育審議会(文科相の諮問機関)で実現が困難な見通しとなった「徳育」の教科化についても再び議論し、委員の一部が最終報告に盛り込むよう強く求めた。
今後は週1回のペースで合同分科会を開く予定。次回は、6月にまとめた第2次報告で残された課題のうち、バウチャー制度と全国学力テストの検証と活用方法を取り上げる。
この夏、韓国旅行に同行してくれたM尾さんが、自身のブログに、旅行の記録をまとめてくれた。
タイトルは「侵略戦争の事実を隠して日本の未来は見えますか~神戸女学院大学石川ゼミ韓国旅行 同行記」。
どうやらM尾さんは、出版人として、実に、まじめに旅行に参加していたらしい。
そのことがとても良くわかる、大作というべき文章である。
帰りのバスの中での、学生たち全員の声も整理されている。
こんなありがたいことはない。
多謝。
俵義文氏によれば、福田首相もまた「日本会議」のメンバーであり、「参拝する会」のメンバーである。
しかし、政府首脳となると、外交への配慮を欠くわけにはいかない。
念頭される外交の内容は、中国・韓国・東アジアとの関係であるとともに、アメリカの対東アジア政策との関係である。
衆参67議員が靖国参拝 閣僚参拝はゼロ(朝日新聞、10月18日)
超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=島村宜伸・元農水相)の衆参両院議員67人が18日、東京・九段の靖国神社に参拝した。同神社は秋季例大祭中。閣僚の参拝はなかったが、西川京子厚生労働副大臣、山谷えり子首相補佐官らが加わった。
参拝者は衆院が49人(自民45人、民主1人、無所属3人)で、参院が18人(自民16人、民主2人)。島村氏は参拝後、福田首相が参拝しない意向を示していることについて「自分たちの意思で参拝することに何らおくするものはないはず。残念だ」と述べた。
安倍前首相あてに銃弾 靖国参拝要求 右翼団体を捜索(東京新聞、10月18日)
安倍晋三前首相あてに銃弾が入った封書が送りつけられた事件があり、警視庁公安部は十八日、銃刀法違反の疑いで、千葉県東金市の右翼団体「政治結社山匝(さんそう)塾」の事務所などを捜索した。
調べでは、今年八月下旬ごろ、安倍前首相あての封書が内閣府に送りつけられたが、郵便料金不足で東京中央郵便局に差し戻された。同局で調べたところ銃弾が入っていたため、警察に届け出た。封書の差出人名は同塾で、「安倍首相はなぜ靖国神社を参拝しない」という内容の手紙が入っていたという。
同塾は、山口県光市の母子殺害事件の弁護士を脅す内容の手紙と銃弾が今年七月、朝日新聞東京本社に届けられた脅迫事件でも、送り主として封書に記載されており、公安部が関連を調べる。
同塾をめぐっては、千葉県選挙管理委員会にうその政治資金収支報告書を提出したとして先月、千葉県警が政治資金規正法違反の疑いで、会計責任者の男を書類送検している。
授業の計画のページに「2007年・基礎ゼミ(後期)」をアップ。
ただし、この内容は、学生たちとの話し合いによってドンドン修正される可能性があります。
論文のページに「学生と学ぶ『慰安婦』・平和問題」をアップ。
大阪歴史科学協議会『歴史科学』に掲載されたもので、関西歴史研究者「9条の会」での講演をもとにしたものです。
----------------------- 【日時】 10月27日(土) 午後2時~4時 【会場】 L38(文学館38号教室) 【テーマ】 「この目で見て考えた戦争と『慰安婦』問題」
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問い合わせがいくつかありましたので、ここにご紹介しておきます。
神戸女学院大学の学祭で、3年ゼミが講演企画を行います。
老若男女を問わず、どなたでも参加できますので、お気軽にお越しください。
同じ時間に、ライヴなど、たくさんの楽しい企画が行われますので、比較的少人数の参加だろうと見込んでいます。
この数年、学祭実行委員会の学生たちに「マジメな企画もやろう」との声があり、ゼミに声がかかったのがきっかけです。
参加費は、もちろん不要です。
石川が20~30分ほどしゃべった後、学生たちがスライドをつかって1時間ほどの講演をします。
興が乗れば(調子に乗れば)、もっと長くなるかもしれません。
教室の場所については、大学入口の守衛さんにお尋ねください。
正門から、心臓破りの坂をのぼって、10分程度でたどりつけます。
なお、学生たちによる今年の講演は、次のように増殖しています。
そちらへも、どうぞ、ご参加ください。
靖国派による教育行政の乗っ取り策動とも見られた「教育再生会議」だが、その存在さえもが危うくなりつつある。
少なくとも、靖国派の価値観を「教科」として教える動きは、お流れになってくれたらしい。
これもまた、靖国色が強くなることへの内外様々な圧力の結果である。
とりあえずは結構なことだ。
中教審部会 徳育の教科化見送り 再生会議提唱に反論相次ぐ(しんぶん赤旗、10月16日)
中央教育審議会(文科相の諮問機関)は十五日、道徳教育のあり方を議論する専門部会(主査=本田和子前お茶の水女子大学長)を開き、教育再生会議が提唱した「徳育の教科化」の決定を見送り、部会の議論を締めくくりました。改悪教育基本法のもと、すべての子どもに「規範意識」を持たせるためとして徳育の教科化を狙ってきた安倍「教育再生」路線の事実上の破たんです。
部会では「道徳教育の充実を掛け声倒れに終わらせないため、教科化を一つの有力な選択肢とすべきだ」との意見も出されましたが、「良心の自由との関連などハードルも多く、決めるのは拙速だ」「教科にすれば重視されるというのは安易だ」など反論も相次ぎました。本田主査が議論を引き取り、教科化については「一つの選択肢」と指摘するにとどめて部会での議論をまとめる考えを示しました。
今後は教育課程部会に議論が移り、十年ぶりとなる学習指導要領の改訂案づくりが進められます。道徳を新たな教科とするには時間が不足しており、教科化が見送りとなることはほぼ確実です。
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徳育教科化の見送り
特異な価値観押し付け 世論を前に行き詰まる
中央教育審議会(文科相の諮問機関)の専門部会が十五日、「徳育の教科化」を見送る方向で議論を収束したことは、安倍前政権の特異な価値観に立った「教育再生」路線が国民世論を前に行き詰まったことを示しています。
「徳育の教科化」は、安倍前首相肝いりの教育再生会議が今年六月に第二次報告で提唱し、中教審で審議している学習指導要領改定のテーマに、ねじ込んできたものでした。現在、小中学校で週一回行われている「道徳の時間」は、国語や算数のような教科ではなく、教科書や成績評価もありません。教育再生会議は、「すべての子どもたちに高い規範意識を身につけさせる」ためとして、徳育を「従来の教科とは異なる新たな教科」に格上げし、指導内容や教材を“充実”させることを提唱。点数評価はしないとしつつ、記述式などでの評価を検討する含みを持たせていました。
狙いは、国が検定する教科書などで特定の価値観を子どもに押し付けることです。安倍前内閣のもとで教育基本法が改悪され、「国を愛する態度」など二十もの徳目が「教育の目標」に掲げられたことなどからも明らかでした。
日本共産党は、上からの押し付けでなく、国民的討論と合意で市民道徳の規準を確立することを提起してきました。道徳教育については、憲法に基づき、基本的人権の尊重を中心に据え自主的に進めるべきだという立場から、戦前・戦中的な価値観を権力的に押し付けようとする「徳育の教科化」に、きっぱりと反対してきました。マスメディアも「教科にすれば文部科学省による統制が強まり、微妙な価値観を含む道徳教育が硬直し、画一化する懸念がある」(「日経」六月二日付社説)などと批判。中教審会長の山崎正和氏も徳育の教科化は「およそ学校教育にそぐわない」と反対を表明していました。
福田内閣は教育再生会議を存続させ、担当の首相補佐官(山谷えり子参院議員)も留任させましたが、安倍前首相の辞任後会議は開かれず、今後の行方も不透明です。福田内閣は同会議のあり方を含め、安倍「教育再生」路線を根本的に見直すべきです。(坂井 希)
授業のページに「知への好奇心-生体解剖と『慰安婦』加害」をアップする。
終了後には、1年生から個別にたくさんの質問を得る。
BC級戦犯に対する中国政府の態度、その後の日中国交回復の経過、南京大虐殺の真偽、靖国神社とは・靖国参拝とは……。
侵略についての戦後の「決着」の歴史を知りたいとのことであり、研究室まで来て、あれこれの本を探していく。
そういう1年生もいるわけである。
福田内閣は、「安倍お下がり内閣」ともいわれていますが、閣僚たちの靖国派ぶりも見事に引き継がれているようです。
とはいえ、安倍内閣とはちがって、対米従属的靖国派としての性格を徹底し、自らの行動を部分的に抑制することになるように思います。
注目しておきたいところです。
忘れないうちにリンクしておきます。
俵義文さんが、福田内閣の面々がどのような靖国派団体に属しているかの一覧を作成されています。
ぜひご覧ください。福田氏の過去の発言・役割についても紹介があります。
遺族会快調の古賀氏の発言だが、彼のいう「責任」というのはどういう意味なのだろう。
記事には「(戦争)責任」と補足があるが、つづけて語られていることは日本人「戦没者の遺族出してしまった」ということだけのよう。
中国はじめアジアの人々を2000万人以上も殺したことへの「責任」が語られているようには思えないのだが。
分祀の必要性 古賀氏が強調 「靖国」のA級戦犯(東京新聞、10月7日)
日本遺族会会長を務める自民党の古賀誠選対委員長は六日、津市で開かれた三重県遺族会の会合で講演し、靖国神社の在り方について「A級戦犯だけに(戦争)責任があるとは決して言わないが、多くの戦没者の遺族を出してしまった。国の時の指導者に責任をとってもらうのは一つの考え方だ」と、同神社にまつられているA級戦犯を分祀(ぶんし)する必要性をあらためて強調した。
古賀氏は、その理由を「靖国神社が戦没者追悼の唯一の施設であることを基本にして、天皇陛下も含め、すべての国民がわだかまりなく、参拝できる施設にしたい」と説明した。
日本遺族会は今年五月から、靖国神社の在り方に関する勉強会を始めており、古賀氏は「分祀を含めて勉強会をしている」と述べ、分祀を認める方向で議論が進むことに期待感を示した。
同じ大学で、沖縄を中心に東アジア近世の歴史を研究されている真栄平先生の文章を、許可をいただいてアップします。
これは、もともとは、たくさんの方に向けて、10月5日付のメールで送信されたものでした。
メールの件名は「書き換えられた『歴史教科書』」となっています。
メールの冒頭に、次の文章を含む短い前文がそえられていたことも紹介しておきたいと思います。
「『集団自決』があった渡嘉敷島は、高校時代の夏休みにキャンプをしたり、海で泳いだ懐かしい想い出の島でもあります。
そのようなサンゴ礁の島で起こった、戦争の歴史の意味を、わたしたちは若い世代に語り継いでいくことが求められていると思います。」
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「歴史は誰のものか-沖縄戦の真実」
真栄平 房昭(神戸女学院大学)
過去に起こった事実を無かったことにする、「歴史の歪曲」が問題となっている。
戦後62年、戦争体験の記憶がしだいに薄れてきた状況に乗じて、歴史的事実をねじ曲げ、記憶の改変をはかる動きである。
文部科学省による教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)から「日本軍の関与・強制」という記述が削除された。
「集団自決」は住民の意思によって行われた自発的な死であり、国に殉じた「美しい死」であると子供たちに教えていこうというのだ。
こうした復古的な価値観は、靖国神社への参拝問題や憲法改正の動き、「戦後レジームからの脱却」といった主張とも無縁ではない。
戦争を美化し、国民を再び戦争に動員するために、軍隊に対する国民の警戒心を取り除くことが狙いで、軍隊が住民を死に追いやったという事実を歪曲し、歴史から消し去ろうとしているのだ。
こうした歴史の歪曲は、「戦死者への冒涜」である。
これに対し、県民の怒りが沸騰し、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が9月29日に宜野湾市で開かれ、予想をはるかに上回る11万人が参加した。
沖縄戦で日本軍による住民虐殺、スパイ狩り、集団自決、壕追い出し、食糧強奪などが実際に起こったことは、多くの住民の体験から明らかだ。
渡嘉敷島の集団自決で奇跡的に生き残り、両親や弟妹を失って孤児となった16歳の少年は、のちに牧師として「歴史の証言台」に立った(金城重明『集団自決を心に刻んでー沖縄キリスト者の絶望からの精神史』高文研、1995年)。
「平和」の創造こそ人間が生きる核心の課題と見定め、自らの生々しい体験と、平和への思いを綴ったこの本は、戦争体験者の貴重な証言として、多くの人に語り継いでいかなければならない重みをもっている。
いかなる歴史であれ、これを消しゴムで消すように安易に消去することは許されない。
今回の県民大会では、国レベルの教科書検定で危うく消されようとした「歴史の記憶」を自分たちの手で取り戻そう、という切実な願いが強く感じられた。
戦争の記憶を若い世代へと継承していくなかで、私たちは沖縄戦の意味を深く受けとめ、その歴史を未来に語り継ぐ責任があると思う。
授業のページに「基礎ゼミ-『日中戦争』の実態にふれて」をアップする。
実に率直に、いろいろな疑問が流れ出てくる。
その疑問の中に、政治や社会に対する案外しっかりとした視野の広さが見えて驚かされる。
「石川ゼミの『慰安婦』についての3冊の本は全部もっています」という学生もあって、こちらもビックリ。
いまだ大学1年生のワーキャーにぎやかな学生たちだが、平和・歴史・国際関係をわが事として考える素養は十分である。
3年ゼミの2人の学生が、岡山学習協の労働学校「日本の戦争教室」で、記念講演を行ってきました。
若さというのは、ものすごい力をもっているものです。
全国のみなさん、ゆめゆめ侮ることなかれ。
帰りの新幹線から、さっそくメールがありました。
ゼミのみんなへのお土産は「きび団子」だそうです。
詳細については「長久啓太の『勉客商売』 74期がスタート!」をご覧ください。
長久さん、お世話になりました。
ありがとうございました。
姫野市議会が、要するに、アメリカの「慰安婦」決議に国は反論すべきだという意見書を採択したとのこと。
これまでの国の研究を海外に説明すべしとしているようである。
政府が所蔵する資料の全面公開については、長く、歴史家や運動家たちが求めてきたことで、それはまったく結構なこと。
しかし、たとえば92年7月6日の「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」(内閣官房内閣外政審議室)は、次のように述べている。
「今回の調査で発見された資料を整理すると次のとおり」。
※資料は、防衛庁70件、外務省52件、文部省1件、厚生省4件
「慰安所の設置に関するもの(4件)」「慰安婦の募集に当たる者の取締りに関するもの(4件)」「慰安施設の築造・増強に関するもの(9件)」「慰安所の経営・監督に関するもの(35件)、「慰安所・慰安婦の衛生管理に関するもの(24件)」「慰安所関係者への身分証明書等の発給に関するもの(28件)」「その他(34件)」。
「いわゆる従軍慰安婦問題に政府の関与があったことが認められた」。
国による研究の説明は、同議会が期待するものとはならないのだろう。
慰安婦問題で国の主張求める意見書可決 嬉野市(佐賀新聞、9月27日)
嬉野市議会は定例議会最終日の26日、従軍慰安婦問題について、国が世界に対して調査研究に基づく事実を主張するよう求める意見書を賛成多数で可決した。
意見書は米下院の「日本政府は公式謝罪をすべき」などの決議を受け、市議有志で起草して提案。同決議に疑問を呈するとともに、「謝罪を繰り返す国の外交政策は、現在や将来の国民の誇りを失いかねない重大な問題」と指摘。国にこれまでの研究に基づく事実を各国に説明していくことを求めている。賛成18、反対1で可決した。
同市議会事務局によると、県内10市で同様の意見書はこれまでなく、県町村議長会も「県内の町村議会で同様の意見書は記憶にない」という。同市議会の提案議員の1人は「事実はきちんと認めた上で、虚実については違うと強く主張するべき。地方から国にいろんなことを要求することも大事だ」と話した。
これに対し、反対議員は「外交にかかわる問題で事実についても見解が分かれており、慎重に対応すべき」と話した。
「しんぶん赤旗」に掲載された「『靖国』『慰安婦』摩擦で追いつめられた安倍政権」について、ブログへのコメントの他、いくつかメールでも感想をいただきました。
ありがとうございます。
じつは、この文章のような視角からの日米関係の検討については、『「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう』(かもがわ出版)ですでに行っています。
「安倍首相の『慰安婦』発言徹底批判 事実も道理も無視し、世界から孤立するもの」という長いタイトルの論文です。
そこでは、今回の「しんぶん赤旗」で字数の制約のために書けなかった、世界構造の変化の問題にふれています。
アメリカ政府が日本政府に対して「歴史問題」の一定の克服あるいは「歴史認識」の逆行を阻止しようとする姿勢をもたずにおれなくなった要因が、中国など東アジアの経済的・政治的発言力の拡大にあるという指摘です。
そのように今回の日米「靖国・慰安婦」摩擦については、世界構造の大きな変化の中に位置づけてとらえることが必要だろうと思っています。
関心をお持ちの方は、ぜひご覧ください。
オーストラリアの「慰安婦」決議は、34対35での否決となった。
そのかわりに採択された「日本の取り組みを評価」するとされる決議だが、そちらにも「慰安婦」問題を「おぞましい出来事」とする表記があり、さらに「河野談話」を評価する記述があるとのこと(別情報)。
「河野談話」からの後退を認めないとする点で、こちらにもアメリカ政府・下院の姿勢に通じるものがあるということである。
日豪政府の安全保障をめぐる政治的接近のなかでの決議であるから、安倍内閣がつくりだした歴史認識をめぐる日本の孤立がどれほど深刻なものであったが良くわかる。
豪州上院、慰安婦謝罪決議を否決(産経新聞、9月25日)
オーストラリアの上院で、慰安婦問題について日本に公式謝罪を求める決議案が否決される一方、同問題などで日本政府の取り組みを評価する決議案が採択された。7月末に対日非難決議を採択した米国下院とは対照的な結果となった。
豪上院本会議で19日に採決された決議案は最大野党、労働党の議員が提出したもので、日本の国会での謝罪決議の採択や、元慰安婦への公正な補償、学校で慰安婦の歴史を正確に教えることなどを日本政府に促す内容となっていた。
ただ、上院は与党の保守連合(自由党、国民党)が過半数を占めており、労働党案は賛成34、反対35で否決された。
これに対し、20日に賛成多数で採択された、自由党提出の決議案は「“慰安婦”は日本の歴史におけるおぞましい出来事だ」とする一方、慰安婦問題での日本の取り組みを評価。被害者たちとの対話継続を促す内容となっている。(シンガポール 藤本欣也)
自民党新総裁は福田康夫氏に決定した。
当然のことながらアメリカからの受けはいい。
「日本の近隣外交に柔軟性が出れば米国にも……良い」。
ここにアメリカの本音があらわれている。
米国、「現実主義者」と福田新総裁を評価(朝日新聞、9月23日)
米国とのパイプを持ち、中国など近隣諸国にも配慮を示す福田氏の登場を、米政府や知日派の関係者は基本的に歓迎、アジア外交の進展に期待感が出ている。ただ、日本政治の不安定化も予測されており、将来的な不透明感への懸念はぬぐえない。
米政府関係者は自民党総裁選の結果に祝意を表し、「彼の政権と一緒に働くことを楽しみにしている」とコメントした。福田氏はブッシュ大統領や父親の元大統領と関係が良く、べーカー前駐日大使とも親しい。「日米蜜月」を演出した小泉前首相や、米国流の戦略を掲げた安倍首相の派手さはないが、手堅い印象が期待につながっている。
グリーン前米国家安全保障会議(NSC)上級アジア部長は福田氏を「現実主義者だ。日米同盟の重要性を理解している」と評価。「北朝鮮や中国に対し、より実際的な対応をするのではないか」と期待する。
上院外交委員会のスタッフは、福田氏が靖国神社の参拝や従軍慰安婦問題など、近隣諸国を刺激する問題と結びついていない、と指摘。「日本の近隣外交に柔軟性が出れば米国にも日本にも良いことだ」と見る。
一方で同スタッフは、少子高齢化や年金など国内問題が山積する日本では「次の政権で日米同盟の基礎を発展させることは、誰が首相でも難しい」とも語った。
カルダー米ライシャワー東アジア研究所長は「イタリアのように、(日本政治は)政権がくるくる変わった90年代の構図に戻るのではないか」と指摘。テロ特措法の延長問題でも、野党などの反対論に懸念を示した。日本にとってシーレーンの確保は極めて重要であり、「(インド洋上で活動する)テロ特措法への反対は戦略的な現実を反映していない」と言う。福田氏が新首相になった後、当面の外交課題となるこの問題への対応が注目されている。
オーストラリアの上院に提出されていた「慰安婦」決議だが、与党の反対で否決された。
「女たちの戦争と平和資料館」のMLに流された情報によると、2月28日にも、ボブ・ブラウン上院議員(緑の党)の発議で上程されており、その時には、賛成34、反対36の僅差で否決されたという。
今回の賛否の数については、まだ情報はない。
従軍慰安婦決議案を否決 オーストラリア上院(USFL、9月19日)
オーストラリア上院は19日、第2次大戦中の従軍慰安婦問題で日本政府に公式謝罪と補償を求める決議案を、与党の保守連合(自由党と国民党)の反対多数で否決した。野党労働党や緑の党などが賛成に回った。オーストラリア議会で従軍慰安婦決議案が否決されたのは3度目。
同国には、オランダ植民地のジャワ島(現インドネシア)でオランダ人家庭に生まれ、日本軍に捕らわれて慰安所に送られ、戦後オーストラリアに移住した女性がいる。この女性は今年2月、米下院の小委員会が開いた公聴会で証言した。7月に米下院が従軍慰安婦問題での公式謝罪を求める決議を可決したため、オーストラリアの支援者などの間では採択への期待が高まっていた。
オーストラリア国立大のテッサ・モーリス=スズキ教授(日本史)は「与党側には、友好国で主要な貿易相手である日本を批判したくないとの思いがある」と指摘している。(共同)
安倍首相の辞意表明直前の世論調査である。
1年の実績を評価しない70%に対して、評価する27%。
首相にふさわしい人物については、麻生→小泉→小沢→福田の順であった。
「安倍内閣1年」読売新聞社世論調査(読売新聞、9月13日)
読売新聞社は安倍首相が退陣表明する前の8、9の両日、「安倍内閣1年」に関する全国世論調査(面接方式)を実施した。この1年間の実績を「評価しない」という人は「あまり」と「全く」を合わせて70%に上った。「評価する」は、「大いに」と「多少は」を合わせて27%だった。70・3%と高い内閣支持率(政権発足直後の緊急電話調査)でスタートした安倍内閣だったが、年金や政治とカネの問題などがクローズアップされたことで、厳しい見方をする人が多かった。
実績や対応で評価できるもの(複数回答)については、「年金問題への取り組み」(17%)「地球温暖化の防止など環境問題への取り組み」(14%)「北朝鮮問題への取り組み」(13%)――などの順だった。ただ、上位項目も1割台で、「とくにない」が47%と半数近くを占めた。
一方、評価できないもの(同)は、「閣僚の失言などへの対応」が44%で最も多く、「年金問題への取り組み」(42%)「事務所費など『政治とカネ』の問題への対応」(41%)などが続いた。
安倍首相の印象については、「明確な政治理念や目標」「国民に説明する能力」「指導力」の三つの面があるかどうかを聞いた。
「国民に説明する能力」は、「あまり」「全く」を合わせた「ない」が77%だった。「非常に」と「多少は」を合わせた「ある」は21%だった。不祥事や失言による閣僚の辞任が相次いだが、こうした問題などでの首相の説明を不満と思っている人が多かったと見られる。
「指導力」も「ない」計79%が「ある」計19%を大きく上回った。内閣発足1年後の時点で同様の調査を行った過去の首相と比べると、指導力が「ある」という印象を持った人は、宮沢首相(16%)より多かったが、中曽根、竹下、海部、小渕、小泉の各首相(30~50%台)より低かった。
ただ、「明確な政治理念や目標」は、「ある」と「ない」が、ともに49%で並んだ。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、国民投票法の成立や教育基本法の改正を実現させた点を評価する人も多かったようだ。
民主、今後の役割「自民に対抗」57%
民主党が今後、どのような役割を果たすことを期待するかを聞いたところ、自民党に対抗する「野党の役割を果たすこと」が57%で、自民党と連携して「政権に加わること」32%を上回った。民主支持層に限ってみると、「野党の役割を果たすこと」が61%だった。
民主党が政権を担当する能力があると思うかどうかでは、「ある」は32%で、「ない」は55%だった。同じ質問をした2006年11月の調査と比べて、「ある」は1ポイント増え、「ない」が3ポイント減った。同じ質問は02年8月調査以降、6回行っているが、政権担当能力が「ある」と答えた人の割合は、今回が最も多かった。(世論調査部 塩見尚之)
◇
首相にふさわしい人 麻生氏1位
国会議員の中で、誰が首相に最もふさわしいと思うかを、与野党幹部などの中から挙げてもらったところ、1位は自民党の麻生幹事長=似顔=の15%。これに、小泉前首相、小沢・民主党代表が各12%で続いた。安倍首相は7%で4位だった。年代別で見ると、麻生幹事長は70歳以上で20%など比較的高齢者層での人気が高かった。小泉前首相は20歳代で17%なのに対し、年齢層が上がるほど挙げる人が減り、70歳以上では9%だった。
▽調査日:2007年9月8-9日
対象者:全国有権者3,000人(250地点、層化二段無作為抽出法)
方法:個別訪問面接聴取法、回収:1,787人(59.6%)*
Q6(21)安倍首相が就任して、間もなく1年になります。あなたは、この1年間の安
倍首相や安倍内閣の実績を、全体として、評価しますか、評価しませんか。
答え 1.大いに評価する 2.6 3.あまり評価しない 41.8
2.多少は評価する 24.1 4.全く評価しない 28.4 5.DK.NA 3.1
(2007.09.08-09)(2007.09.13)*
Q7
S1(22;23 )安倍首相や安倍内閣の実績や対応で、評価できるものがあれば、回答リ
スト4番の中から、いくつでもあげて下さい。
答え 10.米国との関係 7.2
20.中国との関係 10.5
30.韓国との関係 3.7
40.北朝鮮問題への取り組み 12.7
50.教育基本法の改正など教育改革への取り組み 10.6
60.防衛庁の省昇格 6.8
70.所得などの格差問題への取り組み 2.8
80.年金問題への取り組み 16.8
90.国民投票法の成立など憲法問題への取り組み 3.8
01.新・人材バンクの創設など公務員制度の改革 3.3
02.郵政造反議員の復党問題への対応 2.2
03.地球温暖化の防止など環境問題への取り組み 13.6
04.事務所費など「政治とカネ」の問題への対応 3.4
05.閣僚の失言などへの対応 1.8
06.8月の内閣改造や党役員の人事 3.7
07.その他 0.1
08.とくにない 46.9
09.DK.NA 3.1
(2007.09.08-09)(2007.09.13)
S2(24;25 )逆に、安倍首相や安倍内閣の実績や対応で、評価できないものがあれば、
同じ回答リスト4番の中から、いくつでもあげて下さい。
答え 10.米国との関係 7.3
20.中国との関係 7.3
30.韓国との関係 4.8
40.北朝鮮問題への取り組み 20.6
50.教育基本法の改正など教育改革への取り組み 10.4
60.防衛庁の省昇格 8.3
70.所得などの格差問題への取り組み 24.7
80.年金問題への取り組み 42.3
90.国民投票法の成立など憲法問題への取り組み 7.3
01.新・人材バンクの創設など公務員制度の改革 7.6
02.郵政造反議員の復党問題への対応 16.7
03.地球温暖化の防止など環境問題への取り組み 5.6
04.事務所費など「政治とカネ」の問題への対応 40.9
05.閣僚の失言などへの対応 44.2
06.8月の内閣改造や党役員の人事 15.6
07.その他 0.4
08.とくにない 10.5
09.DK.NA 3.3
(2007.09.08-09)(2007.09.13)*
Q8(26)安倍首相は、8月に、内閣を改造しました。あなたは、安倍首相は、今後、
実績を上げることができると思いますか、そうは思いませんか。
答え 1.そう思う 15.2 3.どちらとも言えない 30.4
2.そうは思わない 52.7 4.DK.NA 1.7
(2007.09.08-09)(2007.09.13)*
Q9 あなたは、安倍首相に、どのような印象を持っていますか。次にあげる3つの面
について、順に、非常にある、多少はある、あまりない、全くないのいずれかでお答え
下さい。
S1(27)「明確な政治理念や目標」については、あると思いますか、ないと思いますか。
答え 1.非常にある 9.8 3.あまりない 34.8
2.多少はある 39.0 4.全くない 13.8 5.DK.NA 2.6
(2007.09.08-09)(2007.09.13)
S2(28)「国民に説明する能力」についてはどうですか。
答え 1.非常にある 2.5 3.あまりない 52.0
2.多少はある 18.9 4.全くない 25.2 5.DK.NA 1.3
(2007.09.08-09)(2007.09.13)
S3(29)「指導力」についてはどうですか。
答え 1.非常にある 1.8 3.あまりない 50.5
2.多少はある 17.3 4.全くない 28.7 5.DK.NA 1.7
(2007.09.08-09)(2007.09.13)*
Q10(30;31 )あなたは、今の国会議員の中で、首相には誰が最もふさわしいと思いま
すか。回答リスト5番の中から、1人だけあげて下さい。(氏名は50音順)
答え 01.麻生 太郎 15.2 08.小池百合子 1.1 15.福田 康夫 5.8
02.安倍 晋三 6.6 09.小泉純一郎 12.3 16.前原 誠司 0.7
03.石原 伸晃 2.1 10.塩崎 恭久 0.3 17.町村 信孝 0.3
04.太田 昭宏 0.5 11.谷垣 禎一 1.5 18.与謝野 馨 0.4
05.岡田 克也 1.1 12.中川 昭一 0.3 19.その他の人 1.2
06.小沢 一郎 11.8 13.額賀福志郎 --- 20.いない 28.1
07.菅 直人 2.6 14.鳩山由紀夫 0.8 21.DK.NA 7.4
(2007.09.08-09)(2007.09.13)*
Q11(32)あなたは、民主党には、政権を担当する能力があると思いますか、ないと思
いますか。
答え 1.ある 31.9 2.ない 54.7 3.DK.NA 13.4
(2007.09.08-09)(2007.09.13)*
Q12(33)あなたは、今後、民主党については、自民党に対抗する野党としての役割を
果たすことを期待しますか、それとも、自民党と連携して政権に加わることを期待しま
すか。
答え 1.野党の役割を果たすこと 57.4
2.政権に加わること 31.5 3..DK.NA 11.1
(2007.09.08-09)(2007.09.13)*
日本軍による「集団自決」強制の記述を教科書から削除した問題にかかわって、沖縄では全政党共同での「撤回」を求める取り組みが進んでいる。
「美しい国」を求める人々がたくらんだ帝国軍隊名誉回復運動に対する、国内からの強烈な反撃である。
沖縄の自民党・公明党からは、それぞれの党本部に対する強い働きかけを期待したい。
国会議員共同声明へ 「撤回が県民総意」(琉球新報、9月16日)
29日に宜野湾海浜公園で開催される「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(同実行委員会主催)を前に、琉球新報社は15日、那覇市天久の琉球新報本社に県内各党の代表者を招き、県民大会に向けた座談会を開いた。各党とも大会に向けて所属議員の全員参加の方針を表明。大会後の超党派での要請に加え、県選出・出身国会議員11人による共同アピールを提出することで一致した。
沖縄戦「集団自決」への日本軍の強制などの記述を削除・修正した教科書検定意見について、「沖縄戦の実相を曲げてはならない。オール沖縄の問題だ」(新垣哲司自民党県連幹事長)と、検定意見撤回が県民総意との見解で一致した。
超党派の大会は「検定撤回、記述回復を求める上で大きなインパクトになる」(照屋寛徳社民党県連委員長)「今回の大会で、解決に向けた一つの流れをつくりたい」(喜納昌吉民主党県連代表)など、大きな意義を持つとの共通認識を示した。
大会後は「県民超党派で国会、大臣、都道府県を動かす」(喜納昌春社大党委員長)、「撤回に向け可能性がある働き掛けはすべてすべきだ」(呉屋宏国民新党県連代表)と、超党派による政府への要請行動や、全国的な運動の拡大の必要性が指摘された。また「県の国会議員11人が共同アピールを出すべきだ」(赤嶺政賢共産党県委員長)との意見に、各党とも賛同した。
教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会に沖縄戦研究者がいないまま記述修正を承認、実質的議論がなされていなかったことに「現実を無視し、実情を把握していない。断じて容認できない」(糸洲朝則公明党県本代表)、「文科省はそういう方向性を持つ人を選ぶ。一番政治介入が起こっている」(下地幹郎政党そうぞう代表)などの批判が挙がった。
昨年9月韓国の「水曜集会」で出会った愛知のM谷さんから、大きな封筒が届く。
中には、「旧日本軍性的被害女性を支える会」(名古屋YMCA気付)のニュース他、たくさんの資料が入っている。
お手紙によると、ゼミ生たちの本もまとめて買っていただいたとのことである。
M谷さん、本当にありがとうございます。
資料は、後期の授業が始まったところで、学生たちに紹介させてもらいます。
まだ、しばらく暑い日が続きますが、ご自愛ください。
福田康夫氏の政治姿勢だが、(1)テロ特措法については給油活動に絞ることで民主党との合意の余地を探る、(2)「構造改革」は継続する、(3)消費税増税は不可避ということらしい。
消費税増税が不可避だということは、法人税引き上げや公共事業・軍事費の削減には大きな関心はないということだろう。
他方、やはり「構造改革」の「手直し」の内容は明らかでない。
戦中の社会を「美しい」とする靖国流国家観がスルリと抜けて、「財界・アメリカいいなり」への再純化がはかられるということだろうか。
さて、靖国派の抵抗はいかに。
福田氏「給油は対外公約」…8派閥が支持、総裁確実に(読売新聞、9月15日)
自民党総裁選が14日、告示された。
事実上、出馬表明した町村派の福田康夫・元官房長官(71)に対し、麻生派を除く8派閥すべてが支持を決め、福田氏の新総裁就任が確実となった。
福田氏は同日、インド洋での海上自衛隊の給油活動を「対外公約」だとし、継続が必要だとの考えを表明した。
一方、麻生太郎幹事長(66)は同日、記者会見し、総裁選出馬を正式に表明した。総裁選は15日に立候補届け出、23日に投開票を行い、新総裁を選出する。
福田氏は14日夕、国会内で記者団に、インド洋での海上自衛隊の給油活動について「対外公約という形になっている。約束を果たす方向で最善の努力をするのは当然だ」と述べた。
政府・与党は11月1日に期限が切れるテロ対策特別措置法に代わり、給油活動に絞った新法案の国会提出を目指している。福田氏は「総裁選のため時間を費やし、選択肢は狭まってきた。(新法案は)一つの解決の道筋だ」と、新法案に前向きな意向を示した。
経済運営については「構造改革そのものは必要だ。小泉前首相がやった構造改革の方向性は正しい」と評価した。ただ、「社会情勢の変化などに応じて手直ししていくことも必要だ」と指摘した。
また、14日夜、テレビ朝日の番組などで、今後の国会運営について「民主党も責任政党として考え方を示してもらい、一緒にやっていく」と語った。
福田氏は15日未明の日本テレビの報道番組などで、衆院解散の時期について、「タイミングは模索したい。(2008年度)予算は最低限、通さないといけないのではないか」と述べ、来年の通常国会での予算成立まで、衆院解散は望ましくないとの考えを示した。さらに「(通常国会で)重要法案があった時、民主党など野党と解散時期について相談することがあるのではないか」とも語った。
消費税引き上げについては、「行政経費をこれ以上削れるか。消費税を上げないですむかどうか。財源不足のために国民生活に影響を与えてはならない」と述べ、将来の引き上げは避けられないとの見方を示した。消費税を福祉目的税化して税率を引き上げる考え方については「私もだいたい同じような意見だ」と述べた。
福田氏は15日に記者会見を開いて、総裁選公約などを発表する。
一方、麻生氏は14日午後、党本部で記者会見し、出馬表明した。各派の福田氏支持の動きについて、「(福田氏が)政策発表する前に派閥の推薦が決まる状態は、派閥レベルの談合とか密室とか批判を受ける。芝居の幕が上がったら、終わっていたという話はいけない」と批判した。経済運営では「法人税収が伸び、経済面に変化が出てきたのは小泉改革の成果だ」と指摘したうえで、「急激な変化には痛みが伴う。中小零細企業、高齢者、年金生活者について、痛みに対応する手当てがいる」と述べた。
総裁選は、国会議員387人(衆院304人、参院83人)と、各都道府県連の代表3人の計528票で争われる。
3時前には、西大門刑務所を出る。
そして、バスの中で、学生たち全員に発言をしてもらう。
4日間の旅行の中で、
歴史館や集会や、ハルモニの証言や
ハルモニとの交流、さらに街や店を歩いてみて、
いったい何を学んだか、何を感じたかなどを自由に語ってもらう。
途中、お土産屋さんにも寄りながら、
他大学のメンバーもふくめた17名全員に語ってもらう。
それぞれに思いのこもった発言がつづく。
こちらも一言述べたうえで、
F田弁護士に、最後をしっかりしめてもらう。
これらの文章については、後日、別にアップしたい。
5時には、仁川空港到着である。
4日間、お世話になった金さん・沈さんと
記念写真をとり、握手をかわして、
お別れをする。
6時30分には、仁川空港を離陸である。
またしてもカラダの力が抜けてくるが、
機内食は、ほとんど残さず食べられた。
あれを読み、これを読みするうち、
8時ちょうどには関西空港着陸となる。
荷物を受け取り、ロビーに出たところで、
最後のしめくくりの儀式を行う。
O田さんは、残念なことに、先に帰ってしまわれた。
バスの中で話をしてもらうことができなかった
M永さん、M尾さん、T内さんに
それぞれ一言語っていただく。
今回の旅行の最後の涙は、大人チームのM尾さん。
思わぬ旅行の終わりとなった。
9時前の最終解散。
それぞれが、各方向に散っていく。
お世話になった大人のみなさん、
本当にありがとうございました。
今後とも、様々に、力をあわせていきましょう。
以上、今回の韓国旅行の記録である。
1時10分には、全員でホテルを後にする。
金さんが、これから向かう西大門刑務所の解説をしてくれる。
1907年に、500人収容という、当時としては圧倒的な規模でつくられたが、
1930年には、ここに18000人の朝鮮人が閉じ込められた。
もちろん、ほぼ100%がいわゆる「政治囚」
つまり日本の支配と闘った人達である。
さらに、「日本の人には南北朝鮮がわかれた経過を知らない人が多いから」と、
1945年12月に始まる国連信託統治から、
53年7月27日の休戦協定にいたる歴史も紹介てしてくれる。
さらに、最近になって北からの亡命者がふえていること、
しかし、その亡命者が、南で安定した暮らしをすることは
なかなか難しいという現状も
率直に紹介してくれる。
1時30分には、西大門刑務所へ。
こちらが展示館の入口である。
1907年の全国的な義兵闘争、
1919年3月1日後には、3000人の囚人が入れられたこと、
ミンピというのは、明政皇后を日本人が見下して呼んだ名前であるなど、
はじめは、そうした文字と写真の展示や解説がある。
その後、内容は、次第に
政治囚への拷問の様子などを
実物や人形などで再現していくものとなる。
小さなロッカーのようだが、
これは人間を立ったままで閉じ込めるための道具である。
肉体の苦痛とともに、外が見えないことによる、
精神の閉塞感は大変なものだったろう。
刑務所の一部が、当時のままに残されている。
3人程度を予定した牢獄に、
20人もが押し込められたという。
一番衝撃的な、拷問の様子の蝋人形による再現は、
うっかり写真を撮るのを忘れてしまった。
それほどに、真剣に見入らずにおれないものであった。
それは無惨なものである。
こちらは、死刑執行後の死体を捨てにいくためのトンネルである。
たくさんの朝鮮人の死体がここを通っていったことになる。
ガイドの金さんの次の言葉が印象的であった。
「私がはじめてきたとき、 事実はすべて知っていることだった」
「母や祖母から聞かされていた」
「しかし、それがどういうことだったかを
本当にリアルに知ったのはここに来てからです」。
われわれ日本人には、
さらに大きな意味をもっていえることであろう。
9月13日は、8時30分の起床であった。
夕べの夕方から合計すると、14~5時間は眠っている。
わが肉体に、いったい何が起こっているのか。
すぐにロビーに、チーム大人で集合である。
夕べよりは、ズッと気分もカラダも良くなっている。
T内さん等の目当ての店が、まだ開店しておらず、
近くのスタバに入っていく。
コーヒーを少し、そしてシナモンロールも半分食べる。
まずまず元気のようである。
地下鉄で一駅移動して、戦争記念館へ。
大きな敷地に、爆撃機や戦闘機など、
たくさんの武器が展示されている。
非常に大きな施設である。
メインの展示館前では、
おそらく徴兵中の若者であろう、
数十人の軍人が銃の扱いになれるための訓練をしていた。
大きな声がひびき、上官の命令の声がひびく。
展示は先史時代の武器から始まる。
そして、隋と高麗の戦争にはじまり、
半島内部の戦争、中国や日本との戦争などが、
英雄的な闘いの歴史として記録されている。
いわゆる「元寇」に高麗軍が動員されたことの紹介もあれば、
「倭寇」との闘い、
さらには秀吉による朝鮮侵略(文禄慶長の役)も
大きくとりあげられている。
武器の開発、発展の歴史も詳しい。
しかし、日本による植民地かの歴史は、
ごく簡単にしか描かていない。
こちらは安重根による伊藤博文暗殺のあたりの解説。
メインは「韓国戦争」と表記された朝鮮戦争である。
これについては、詳細なビデオがたくさんあり、
日本語のナレーションも流れてくる。
当然といえば当然だが、反北・反ソ・反中の姿勢が明快で、
国連軍の中核となったアメリカには、強い信頼感が寄せられる。
マッカーサーも、英雄のように扱われている。
「若い世代には非米・反米的な人が多いですが、
年配の人たちには、それを悲しく思う人が多い」。
旅行初日に、ガイドさんから、そういう話を聞いていた。
なるほど、人々の意識もまた、
歴史の中で具体的につくられるわけである。
戦争への「中共軍介入」のあたりで、
こちらは時間切れとなってしまった。
戦後の米軍の長期駐留への評価を、
ぜひ確かめてみたかったのだが。
来年以後の課題である。
他方、展示の中には、靖国を思わせる表現もあった。
「護国英霊」の文字があり、
「咲かずに花のように散ってしまった学徒」と、
靖国の「散華」を思わせる言葉もある。
現代韓国の軍事的な国家主義発揚の拠点といった評価にも、
一面の真理があるのかも知れないと思わされる。
11時40分には、ホテルにもどる。
学生たちは、ほとんどが昼まで寝ていたようす。
夕べ、しっかり羽を伸ばしたということだろう。
12時からは全員で昼食となるのだが、
こちらは、まったくハラが減らない。
ホテルのロビーに残り、
1人で読書にふけることとする。
部屋にもどって、いったん休憩。
この後は、明日の昼まで、全員自由時間となる。
急にカラダの力が抜けて、ベッドにバッタリころがっていく。
ウトウトしているところに、
毎日新聞から「安倍退陣表明をどう思うか」と、
いきなりインタビューが入ってくる。
便利なケータイというのは、
反面、実に、恐ろしいものである。
ベッドにころがったまま、思いつくままを話していく。
まあ、きっと小さな記事なのだろう。
4時30分をすぎたところで、ロビーに集合。
O田さんは、娘さんが韓国に来ているそうで、
すでに出かけられている。
残りのチーム大人で、地下鉄を乗り継ぎ「明洞」へ出る。
だが、わずかに歩いただけで、グッと気分が悪くなってくる。
食べ物の匂いが、妙にハナにつく。
申し訳ないが、1人だけホテルへもどらせてもらう。
グッタリとして、タクシーでホテルへ一直線。
6時40分から、そのまま断食、眠り込みの態勢に入る。
9時半頃、「去年の店で飲んでいます」とT内さんからメールが入る。
つまり去年のホテルの近くの
地元居酒屋「詩人」である。
行きたいのはやまやまなのだが、どうにもカラダが動かない。
さらに眠っていると、
夜12時前に、F田弁護士が「大丈夫かあ?」と帰ってくる。
そして、さっさと先に眠った。
さすがは、わが長年の友である。
こちらも、そのまま、ともかく眠っていく。
この日の夜は、まったく完全にダウンである。
とはいえ、これも自由時間のひとつの使い方ではあったのだろう。
12時前には、日本大使館前に到着となる。
ここが水曜集会の会場である。
例によって、ひとつの窓も開いていない。
今年は、集会の前面に立ち、
用意した横幕をひろげていく。
集会の主催は韓国挺身隊問題対策協議会だが、
毎週の運営はいろんな団体が行っている。
今回は民主労働党の女性部である。
「安倍内閣はもう長くない」との演説があった。
横幕に書かれた文章は次のとおり。
「侵略戦争の事実を隠して日本の未来は見えますか?」
「事実と向き合うことが平和への第一歩!!」
mixi で相当に議論した結果の文である。
ハルモニたちのうしろには、
韓国の若い生徒もならんでいる。
少しだが中学生も参加しており、
恥ずかしそうではあったが、しっかりマイクを握っていた。
集会での発言の様子は、金さんと沈さんが、
あらかた翻訳をしてくれる。
個人で書き込んだ言葉には、
平和憲法を守る願いが少なくない。
力強く、日本大使館に抗議の声をぶつけるハルモニたち。
「ナヌムの家」だけではなく、
各地のハルモニが、毎週ここに集まっている。
前に出て、3人のメンバーが発言していく。
おそらくは6時間以上をかけて用意した文章である。
それを、村山さんが翻訳していく。
集会の中でも「感きわまって」と、涙を流す学生がいた。
今年は、とても涙が多い旅行である。
最後に、安倍首相の耳にチョウチョを貼り付けるという企画があった。
チョウチョはハルモニの声ということである。
うしろは多少つまっていたが、見事にカメラ目線でポーズをとる。
こちらの要請どおりである。
1時間の集会の後、参加したハルモニ全員と
記念写真を撮らせていただく。
熱気の見える一枚となった。
終了後、集会参加者が集まる、いつもの食堂に入っていく。
ワイワイと、にぎやかにやっているところに、
「安倍首相退陣表明」のニュースがとび込んでくる。
不思議なめぐりあわせがあるものである。
ここでは、政治が変わることの一端を
みんなで一緒に体験することにもなった。
「ハルモニの声が、少しはとどいたのかしら?」
すぐにテレビのスイッチが入れられる。
NHKのBSニュースが見れるのである。
2時30分、ホテルにもどり、Tシャツ姿での記念の一枚。
さて、韓国のみなさんに、
ワルモノの姿は、一体どのように映ったのだろう。
9月12日は、7時30分の起床であった。
もちろん、こちらはヒドク眠い。
朝ゴハンづくりは、チームおかあさんの指導であった。
学生たちは、化粧は薄いが、食欲はある。
朝から元気にモリモリ食べる。
おかゆ、スープ、ブタキムチ、サラダ、韓国のりなどのメニューである。
すでに水曜集会にそなえて、
全員が日本でつくったTシャツを来ている。
背中にあるのは、「ハルモニの戦争は終わっていない」の文字である。
残ったサラダを、一手に引き受けるつわものも出る。
「これくらい食べないと、ここまで大きくなりませんよ」。
こちらは布団をはこんで、
たたんで、押し入れに放り込む。
20人分は、なかなか大変である。
担当の2人は、「朝から良くはたらいた」と満足そうであった。
早い時間だが、大阪市大のP先生が、
ゼミ生とともにやってくる。
「ゼミで出した本を読みました」といってくださる。
9時45分、入れ違いに、こちは「ナヌムの家」をバスで出ていくこととなる。
車中「しばし休憩」の後、
10時45分から、
ガイドの金さんの独立公園についての解説となる。
33人の指導者のもと、1919年3月1日からの
平和的な独立万歳運動が、ここからはじまる。
朝鮮全土で200万人以上が参加し、
7500人以上が死亡、15000人以上がケガ、
47ケ所の教会が焼かれたとの研究がある。
ここでもまた、その史実とともに、朝鮮の人々がどういう気持ちで、
何を願って立ち上がったのか、
それを軍事力をもって弾圧するとはどういうことだったのか、
それらを肌で感じ、リアルに想像することが大切である。
11時ちょうどには、公園に着く。
1919年のこの運動は、単に弾圧によって終わっただけではない。
上海の大韓民国臨時政府の樹立につながり、
また「憲兵政治」から「文化政治」への日本による朝鮮支配の
手法の変化を招いてもいった。
独立宣言が最初に読み上げられたこの場に、
集まった5000人のほとんどは学生だったという。
当時の日本軍との闘いの様子が
10枚の大きなレリーフに描かれている。
17才で惨殺された、女性闘士ユ・グァンスンの姿もある。
学生たちは、それを、言葉少なに見つめていく。
ここでも、「日本から来たんですね」「どちらの学校ですか」と
日本の方に声をかけられる。
どこでも名刺は必要なのである。
しかし、主役であるはずの
歌姫ペ・チュンヒハルモニの調子が悪い。
「胃の調子が悪くて歌えない」という。
そういえば、食事もほとんどとられていなかった。
座を盛り上げるために、まずは学生たちが歌っていく。
「演歌をうたえ」との注文に応えて、
「天城越え」からのスタートである。
いつも、やや後ろにひかえている(ように見える)2人も
ここはひとつとがんばっていく。
9時をすぎたところで、
ようやくペ・チュンヒハルモニにエンジンがかかる。
こうなれば、もうあとは大丈夫。
ところどころをこちらがうめて、
あとは、ハルモニに気分良く歌ってもらう。
こうしてエネルギーの発揮を励ますことも、
いまはとても大事な交流のひとつといえる。
村山さんが、キム・スノクハルモニを連れてきてくれる。
キム・スノクハルモニは踊りが大好きだという。
こちらも、イヤダ、イヤダというのを、
なんとかフロアにひっぱりだしていく。
ここでは、チームおかあさんの「昔とった杵柄」(現役?)
が大いに力を発揮した。
ハルモニは、時間がたつほどノリノリである。
今度はハルモニが、学生たちをひっぱり出す。
そして、クルリとまわるハルニモに、
ふりまわされていく。
にぎやかな時間は、
こうして予定オーバー10時すぎまで続いていった。
お2人とも、80才を超える年齢である。
いつまでもお元気で。
チーム大人は2Fにあがり、
学生たちは、片づけのあと、
明日の発言準備に入っていく。
これが延々と続いていく。
12時をすぎ、1時をすぎ、2時をすぎ、
歴史館や証言をつうじた学び、
たった今のハルモニとの交流もへて、
「慰安婦」問題をどう考えるか、
自分たちは何を語り、何をするべきか、
そこを集中的に考えていく。
これが学生たちの飛躍的成長を生み出す力となる。
この集中が大切なのである。
議論は夜中の3時までつづいていった。
こちらも村山さんとのあいだで、
日本での取り組みのいくつかを相談してみる。
遠からず、今度は日本で再会となりそうである。
※ ハルモニの体調、気持ちの様子は、毎日大きく変化しているようです。
私たちは、幸運にも楽しい時間をすごすことができましたが、
いつでもそれが可能だというわけでありません。
ご本人の意思を無視して生活の場に入り込んでしまう、
同じく、無理に写真を撮ろうとしてしまうなど、
日本からの訪問者にも、心遣いの足りない方があるようです。
お互いに「本当の交流」に、心を砕いていきましょう。
5時をまわったところで、外に出る。
ハルモニも、食事の時間となっていく。
学生たちも、ようやく昼からの緊張をゆるめることができる瞬間である。
ここからは、夕食材料の買い出しチーム、メシ炊きチーム、
横幕仕上げチームにわかれて行動。
買い出しには、ガイドの沈さんだけでなく、
ペ・チュンヒハルモニも同行してくれた。
居場所の変わった母犬は、
新たに3匹の小犬を産んでいた。
小犬を守ろうとしてなのだろうが、
やたらと気が立って吼えている。
しかし、去年も元気にはしゃいでいた、
あの大きな犬は、逃げ出して、帰ってこなくなったという。
上手投げで、投げ飛ばした2年前がなつかしい。
こちらは、台所でコメを研ぐチーム。
同行してくれたオカアンサンたちの指示にしたがっていく。
計量カップなしの目分量での勝負である。
あらかたできあがっている横幕だが、
さらに中心の文字をクッキリ縁取りし、
一人一人が自分の言葉を書き込んでいく。
肉がとどいたところで、
チームおとうさんたちの出番である。
手に軍手をはめ、猛然と「火おこし」に取り組んでいく。
夕食は、今年も豚肉を焼いたサムギョプサル。
これに味噌をつけ、エゴマやチシャなど、
たくさんの野菜にまいて食べていく。
網の上には、エリンギ、ナス、ソーセージ、ニンニクなども置かれていく。
汗をダラダラ流して肉を焼き、
ビールを片手に、網から直接つまむ。
この食い方が、実にウマイ。
2時間ほどの大騒ぎである。
4時から、イ・オクソンハルモニの証言をうかがう。
いま証言ができるもうお1人は、
昨年、お話をうかがったカン・イルチュルハルモニだという。
お2人に負担がかかりすぎないように、
事務所も配慮しているそうだ。
「暑いところを、遠いところを、来ていただいてありがとうございます」
「感謝しています」
「しかし、私から話を聞こうとすれば、日本人が良かったという話はできません」
村山さんの通訳のもと、こうして話がはじまっていく。
「釜山で生まれたが、学校へいくことはできなかった」
「15才ではたらきに出されたが、使いに行けと主人に命じられた」
「そこで外に出た時に、大きな男2人に両腕をつかまれて連れて行かれた」
「荷台がかくされたトラックに放り込まれた」「6人が乗せられていた」
「汽車で中国の方に連れて行かれた」
「日本の政府は強制連行がなかったというが、
どうして自分からこんなことをせねばならないのか」
「解放されて中国から持ち帰ったのは病気だけ」
「日本の政府はどうしてそんなことをいうのか」
「被害者は今日死ぬか、明日死ぬかもわからないのに」
「学生の前で話をするのは難しいし、恥ずかしい」
「『慰安所』の中でも、朝鮮人は日本人と差別された」
「日本の軍隊が無理やりつれていったのだから、連れて帰るべきだ」
「それにもかかわらず山に捨てられた」
「いまも他の国に住む被害者は多い、日本のせいでそうなったのだ」
「学生のみなさんには、記録を残してほしい」
「韓国を連れされた時には日本語がまったくできなかった」
「しかし『慰安所』で強制された」
「刀で切られたり、銃で打たれた人もいた」
「14才で刀で刻まれ、心臓を刺されて殺された女性もいた」
「その人は道に捨てられ、犬に食われた」
「日本がどんなに良いこと(皮肉の意味で)をしたか考えてほしい」
……腰が痛いと、証言を中断し、腰をさする……
「殺された女性を助けようとすれば、私たちも殺された」
「そういう無惨なことがたくさんあった」
「日本の政府は歴史をどうして認めないのか」
「北朝鮮の拉致ばかりいうが、この歴史をどう考えているのでしょう」
「道を歩いていて、水汲みのときに、学校の途中で、母といっしょにいて、
いろんな形でつれていかれている」
「まずは謝罪や賠償より先に、日本国内の記録や証拠を出してほしい」
「私はトミコと呼ばれていた、それを管理していたのは軍だった」
「いまも日本社会には朝鮮人への差別がある」
「私たちはこれから戦争をして生きるのか、平和的に生きるのか」
「たくさん傷つくのにどうして戦争をする必要があるか」
「『慰安所』生活はいいことであれば話しやすいが、そうではない」
「右手の腕に刀傷がある、日本の少尉にやられた」(腕を見せる)
「何度も殴るので、どうして口でいわずに殴るのかといったらやられた」
「右足の甲も切られた」(クツ下を脱いで見せる)
「これは故郷に帰りたいといったら憲兵に刺された」
「私はひとつもウソを言っていない」
「学生のみなさんには、この記録を日本の政府などに見せてほしい」
「目も耳も弱くなった、歯も抜けた、日本人はコワイと思った」
「なぜこういう歴史が消されてしまうのか」
「私はあまりアタマが良くないが、安倍首相は私よりバカだと思う」
「被害者の前でなく、アメリカで謝った」
「こんな人間が首相になるようでは、日本は良くならない」
「学生のみなさんがこういうふうに学んだり、
両親に大学に通わせてもらえるのは幸せなこと」
「平和的にくらしていかねば」
「日本はお金がなくて謝罪しないのではない、戦争の準備はしているのだから」
「その意味では非常にずるがしこい」
「しっかり勉強して、国を守ってください」
「みなさん、戦争が好きですか」
「平和に生きなくちゃいけないでしょ」
「これで終わりにしましょう」
……間をおいて、再びはじめる……
「15才で中国へ連れていかれて、58年間中国でくらした」
「字が書けずに、家族に手紙が出せなかった」
「2000年に初めて帰ってきたとき、家族は私の死亡申告を出していた」
「国籍もなくなっていた」
「日本のせいでこうなった」
「とても苦労した」
「私が話すときには日本を悪くいうが、
日本人全員を悪く思っているわけではない」
「学生は歴史を学びに来てくれる」
「金をかせぐためだなどといわれるのは、本当にヒドイ」
「たくさんの日本人が来るが、政治家が謝りに来ることはない」
「昔の日本人は悪いことをしたが、学生たちには罪はない」
「58年の歴史をすべてここで話すことはできない」
「おわりにしましょう」
「長いあいだ、座って聞いてくれてありがとう」。
大きな声を出すこともない、むしろ淡々とした語りである。
5時すぎには、証言が終わる。
ここでも、ずっと涙を流す学生がいた。
日本から持っていったお土産を、
ハルモニのみなさんへとお渡しする。
ハルモニは、ユーモアを込めた言葉を笑顔で返す。
村山さんにも、お土産をお渡しする。
学生たちの手元には、たくさんの「記録」が残った様子であった。
イ・オクソンハルモニの証言は、先輩たちの本にも残っている。
しかし、声の大小、声の色、それを語る人の表情、間のとり方、
それをカラダで感じることは、
やはり、本からだけではできないことなのである。
岡山のS本さんから託された手紙も、
村山さんに渡していく。
1時すぎには、「ナヌムの家」に到着となる。
白犬たちの居場所が変わっている。
トイレやシャワーが、若干つくりかえられている。
「ナヌムの家」にも、少しずつ変化が起こっているようである。
日本人スタッフの村山さんと、1年ぶりのあいさつをかわす。
簡単な打ち合わせをするが、
ショックだったのは、次の言葉。
「去年は4人のハルモニに証言ができましたが、
今年は2人だけなのです」
「体調をくずしているハルモニが多くて」。
ハルモニたちに残された時間は、本当に少ない。
あらためて、その事実の重みを痛く感じさせられる。
1時40分から、村山さんが「ナヌムの家」の紹介を語ってくれる。
そして、カン・ドッキョンハルモニの追悼ビデオ「私たちは忘れない」を見る。
2時30分には、庭に出る。
最初は、各種施設の紹介である。
住込職員は現在4名、ハルモニたちの生活の場、
事務所、いくつかのお墓、追悼碑など。
入口と出口の大きなレリーフの解説の後、
「日本軍『慰安婦』歴史館」に入っていく。
「従軍」という言葉、「慰安婦」という言葉の不正確さとともに、
なぜこの歴史館が「慰安婦」という言葉を使っているかの
歴史的な事情も語られていく。
資料や現地調査によって確認された「慰安所」は、
400ケ所を大きく超えている。
太平洋地域では、いまも発見がつづいており、
この地図の範囲には、すでに入りきらなくなっている。
メモをひらいて、解説の言葉を書き込んでいく学生たち。
すでに知っている事実は多いのだが、
その事実が、どういう意味をもつかをカラダで感じることは、
本で学ぶこととは別である。
モデル的に再現された「慰安所」の中。
「慰安婦」は「鮮ピー」、「慰安所」は「鮮ピー屋」などの言葉で
呼ばれることが多かった。
「ピー」というのは、中国の俗語で、
女性の肛門や性器を指した言葉である。
もちろん、そう語ったのは日本の兵士たちである。
ここには、こわくてなかなか入ることができない。
中には、ドッと涙をあふれさせた学生もいる。
気持ちが耐えられなくなり、座り込んでしまう学生も出る。
だが、それを受け止めようとする学生たちの姿勢は変わらない。
日本社会が「終戦」と呼ぶ、1945年8月15日を、
韓国では「光復の日」と呼んでいる。
数十年に渡る日本の軍事支配に終止符が打たれた
喜びに満ちた記念の日ということである。
アジア各地の教科書があり、日本の「つくる会」の教科書もある。
壁には、日本の政治家たちの「妄言」一覧の表もある。
過去、日本の国会には、
民主・共産・社民3党による「慰安婦」の問題解決にむけた法案が
7度出されているうそだが、いずれも廃案となっている。
衆参ねじれ国会で、そこにどのような変化が出るか、
他方、少なからぬ靖国派をかかえた民主党がどう動くものなのか、
そうした話もされていく。
戦時中、朝鮮で発行されていたある新聞の広告の一部。
当時の女性の多くは字が読めない。
これを読んで行動したのは、
女性をかき集める側の人間である。
戦後、長く、韓国に暮らした元「慰安婦」ペ・ポンギハルモニの遺品。
ペ・ポンギハルモニが亡くなった直後に、
韓国でキム・ハクスンハルモニが立ち上がる。
誰が意図したのでもない、歴史の連続がそこにある。
何度も見てきたハルモニたちの絵の原画がならぶ。
天皇ヒロヒトを木にしばりつけた、
有名な「責任者を処罰せよ」は、この左上にある。
長い時間をかけてまわった歴史館の出口には、
ゼミの先輩たちがつくった本がならんでいた。
少しでもお役に立てれば、さいわいである。
そして、いま、この問題についての取り組みの手を
ゆるめるわけにはいかないと思う。
9月11日は、8時ちょうどの起床であった。
アラームとしてつかったケータイに、
日本からのメールが入っている。
世の中は、こちらの理解以上に便利になっているようである。
9時には、F田弁護士と外に出て、
ホテルの裏のおかゆ屋さんに入っていく。
胃腸にやさしく、野菜のおかゆを食べていく。
同行のT内さん、M永さんもやってくる。
部屋にもどり、10時20分のロビー集合。
いよいよ「ナヌムの家」への移動である。
バスの中で、金さんが再び簡単な韓国語講座をやってくれる。
ハルモニへの自己紹介の仕方など。
そして、日本の侵略と現在をどう考えているかについて語ってもらう。
昨日のうちに、
「明日は『慰安婦』問題の解説をしたほうがいいですか?
でも、みなさんの方が、日本で良く勉強していますよね?」
「韓国の市民のみなさんが、日本の国をどう思っているか、
そこを金さん個人の意見として、率直に語ってください。
それが学生たちには、いい勉強になると思います」
などの会話があったのである。
1)特に若い世代は単純な反日ではない、
2)ガイドとして接する限り、日本人と韓国人の近現代史知識には、
大人と子どもほどの格差がある
3)現在の日本には
軍事大国をめざしているのではないかという恐れがある、
といった骨子で話してくださる。
日本人相手のガイドをしていることの体験も、
やはり様々に語られていく。
学生の中の3人が、走る車内で感想を述べる。
共鳴できるところが多いようである。
すでに知っていることではあっても、
それを韓国の方の口から聞くことによるショックもある。
ズッシリとした学びのはじまりである。
12時前には、昼食の場所に到着する。
もう、まわりに高いビルはない。
昼食は、立派な石焼きビビンバとなっていた。
夕方6時30分、ホテルのロビーに集合である。
遅刻学生2名を待ち、バスで焼き肉屋へと移動する。
7時には、去年もお世話になった「ノビチプ」へ。
事前の予約は「カルビ1人前」とのことだったが、
なんとこれが骨つきカルビの350グラム。
肉は、これだけで十分である。
キムチや野菜は、もちろん食べ放題。
ゴハンもおかわり自由である。
初めて食べた生のワタリガニのキムチが、とてもうまい。
もちろん、肉も抜群である。
辛味の当たりはずれが大きい青唐がらしで、
ロシアンルーレットをやってみる。
F田弁護士が、あわれな犠牲者となって汗をふき出す。
8時には、店を出て、再び自由時間である。
大人たちは、ホテルにもどり、
あらかじめネライをつけておいた
裏の地元居酒屋で飲み直す。
一度、水につけて焼いた、やわらかいスルメ、
全体がふわりと玉子にくるまれたチヂミなど、
ここでもガイドさんの解説つきで食べていく。
車道のテーブルで、ビール、マッコウリ、焼酎を飲みながらである。
10時すぎには、部屋にもどり、
12時ちょうどには眠りにつく。
同じ頃に、学生たちも次々外から帰ってくる。
明日からが、この旅行の本当の本番である。
大人たちは、地下鉄で景福宮(キョンボックン)へ移動する。
ソウル市内は、何本もの地下鉄が網の目をつくる。
運賃は均一1000ウォン(120円程度)のようである。
今日は、歴史上初の「ノーマイカーデー」で、
地下鉄に乗り込む人が多かった。
「環境問題もあるけど、『もっとゆとりをもとう』ということです」。
日本にも同じ問題があるようである。
エスカレーターは「右立ち、左歩き」のようだった。
入口の大きな門では、
交代する衛兵のセレモニーが行われていた。
これは観光客用とのことである。
李氏朝鮮の国王が、政治を指示した玉座である。
内装を見て、沖縄の首里城のそれを思い出す。
いずれも、中国の影響をつよく受けていたということだろう。
こちらは、王が一人きりですごした場。
「儒教の精神による質素倹約のため、宮殿すべてが控えめな大きさ」。
とはいえ、相当の広さである。
2時間たっぷり、解説をうかがいながら見学する。
さらに、隣接した国立民族博物館へと移動。
ここでは、この土地にくらした人々の
リアルな生活が伝えられている。
食べ物、着るもの、家、食器、遊びの歴史と現代などである。
100種類を軽くこえるというキムチのつくり方も紹介されている。
小さな子どもたちもたくさん学んでいる。
5時前には、ふたたび地下鉄へ。
周辺の居酒屋を確認しながら、
5時30分には、ホテルにもどる。
韓国旅行第1ラウンドの終了である。
9月10日は、6時すぎ起床の朝であった。
睡眠時間は十分である。
相方・新参の見送りを得ながら、
7時20分発のバスに乗る。
中は中国の人ばかりである。
7時40分には、関空4Fロビーに全員集合。
ゼミ生14名、他ゼミの4年生1名、他大学の学生2名、
同行してくださる市民のみなさん5名とこちらで
計23名の顔ぶれである。
搭乗手続きをとり、両替にやたらと時間がかかって、
マクドをまわって飛行機へ。
9時30分の離陸である。
飛行機は米子から日本海へ抜け、
朝鮮半島を東から西へ横断する。
途中、軽食が出るが、M尾さん・F田弁護士は、
早くもビールに手を出している。
11時10分には仁川(インチョル)空港に到着である。
東西交通社の金さん、沈(しむ)さんのお迎えを得て、
バスでソウルへ移動する。
お2人に、『「慰安婦」と出会った女子大生たち』
『「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう』の2冊を渡し、
さらに昨年お世話になった李さんに
『「慰安婦」と心はひとつ』を送っていただくお願いをする。
金さん、よろしくお願いします。
「こんにちは」「ありがとう」「これください」「まけてください」等、
簡単な韓国語会話を学びながら、
1時半には梨泰院(イテウォン)のクラウンホテルに到着。
今年は、時間にゆとりがある。
夕食までは、自由時間。
部屋に荷物を放り込み、
それぞれ自由に外に出る。
こちらは、F田弁護士と同室である。
学生たちとはいったん別れ、
チーム大人で外に出る。
ホテルの前の壁は米軍基地。
「夜は米兵がたくさん歩いて、少しコワイです」とのことである。
現代韓国社会の重要な一面である。
「慰安婦」決議の根底に、人権や歴史をめぐる理解の問題があるのは事実である。
同時に、「靖国」「慰安婦」問題をめぐるアメリカの対日政策が、いつまでもアメリカにとって役に立つ子分でありつづけることの要求であることも事実である。
その一方を全体だと評価すれば誤りとなる。
対テロ戦で対日感謝決議 米下院、慰安婦決議で配慮か(朝日新聞、9月6日)
米下院は5日の本会議で、インド洋での対テロ戦争への貢献など日本の安全保障に関する努力に感謝する決議を賛成405、反対0で採択した。下院は7月末に従軍慰安婦決議を採択したが、日米関係への悪影響が懸念されたこともあり、今回の決議で配慮を示した形だ。
今回の決議は日米同盟の重要性やイラクでの自衛隊の貢献を評価。対テロ戦について「日本は02年から不朽の自由作戦を支援し、インド洋で米国や多国籍軍に重要な後方支援を提供している」と指摘した。日本について「最も信頼できる安全保障のパートナーと認め、アジア太平洋地域の安定を築く役割を称賛し、テロとの戦いでの努力に感謝する」としている。
慰安婦決議を推進したマイク・ホンダ議員やラントス外交委員長も共同提案者に加わった。
書き物のページに、「安倍『慰安婦』発言をどのように批判していくか」をアップしました。
大阪学者・研究者・大学教職員・院生日本共産党後援会「学研会ニュース」第92号(2007年9月7日)に掲載されたものです。
書き物のページに、「学生たちと『慰安婦』問題にとりくんで」(「子どもと教科書全国ネット21NEWS」第55号、2007年8月15日、6~7ページ)をアップしました。
本日(9月6日)、大学にて、
お手紙と、うどんと、『ちいさいなかま』を受け取りました。
ゼミの本を3冊とも、読んでいただいたとのこと、
大変うれしく思いました。
いただいた「ハルモニへの手紙」は、
必ずお渡しするようにします。
「ナヌムの家」の日本人スタッフの方に、
翻訳して読んでいただけるよう、お願いしてみます。
今年は、来週月曜日が出発となります。
はじめて西大門刑務所にも、行ってみる予定です。
ありがとうございました。
9月1日・2日と福知山(京都府)で「平和のための戦争展」が行われた。
例年の来場者130名程度に対して、今年は320名の来場者があったとのこと。
周到な事前の取り組みの結果である。
以下、「慰安婦」問題での学びと取り組みの紹介をさせていただいた3年ゼミ生たちの様子である。
(写真は主催者のみなさんよりいただいたものです。ありがとうございました)。
ゼミでは見られない生真面目な表情が、こちらとしては、いささか笑える。
特に、Nりそね。
時間をかけて準備していったたくさんの写真を、パワーポイントをつかって投影、解説している様子。
写真解説が予定より早めに終わり、フロアの参加者からの質問等に応じているところ。
だいたいゼミでの時とは、からだの姿勢がまったく違う。
主催の方からは、メールで以下のようなお言葉をいただいた。
「学生さんの発表は要領良く進みまして、20分ばかり時間が余りましたので、勝手ながら、聴衆と学生さんの対談をしていただきました。いずれもお見事な意見を述べられまして、一同重ねて感心いたしました」。
それなりにお役には立てたらしい。
戦争と平和の問題をまじめに考える企画でそれなりに役目を果たすことができ、なおかつ学生たちにとっては「社会」を体験する良い機会となる。
一挙両得というやつである。
福知山のみなさん、お世話になりました。
ありがとうございました。
子どもと教科書全国ネット21事務局長の俵義文氏の調べによると、安倍改造内閣18人の靖国派ぶりは以下のようになっています。
詳細については、俵義文さんの「俵のホームページ」の中の、「(資料)安倍晋三改造内閣の超タカ派の大臣たち」をご覧ください。
総理 安倍晋三 (日・神・前・靖・憲)
総務地方分権 増田寛也
法務 鳩山邦夫 (教・靖・憲)
外務 町村信孝 (神・教・憲)
財務 額賀福志郎(日・神・憲)
文部科学 伊吹文明 (日・神・靖・憲)
厚生労働 舛添要一 (憲)
農林水産 遠藤武彦 (日・神)
経済産業 甘利明 (日・神・靖・憲)
国土交通 冬柴鉄三
環境 鴨下一郎 (日)
官房長官/拉致問題 与謝野馨 (教)
国家公安/防災 泉信也 (日・教・靖・憲)
防衛 高村正彦 (神・靖)
沖縄北方 岸田文雄 (日・前・神)
金融/行政改革 渡辺喜美(日・神・前・靖・憲)
経済財政 大田 弘子
少子化男女共同参画 上川陽子(憲)
日=日本会議国会議員懇談会 9名
神=神道政治連盟国会議員懇談会 8名
教=教育基本法改正促進委員会 4名
前=日本の前途と歴史教育を考える議員の会 3名
靖=みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会 7名
憲=憲法調査推進議員連盟 10名
以下は、新聞のインタビュー仕事のために、 安倍内閣の改造と秋の政治の見通しにかかわりそうな記事をかき集めてみたもの。
それにしても、靖国派主導での改憲と、貧困と格差の拡大を推進する「構造改革」、これを推進するための人事というのは明らかで、選挙結果に対してはまったくの開き直りということである。
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2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082801_01_0.html
改憲・「構造改革」に固執
安倍改造内閣が発足
国民の審判に反省なし
安倍晋三首相は二十七日、自民党役員人事と内閣改造を行い、安倍改造内閣が発足しました。派閥の領袖クラスを重要ポストで処遇し、党内向けには「挙党体制」に配慮する一方、改憲や「構造改革」路線など、参院選で国民の審判を受けた政策課題については、まったく反省の見られない、旧態依然の布陣となっています。
麻生自民幹事長・二階総務会長・石原政調会長
自民党の新三役には、幹事長に麻生太郎前外相、総務会長に二階俊博前党国対委員長、政調会長に石原伸晃前党幹事長代理を任命。安倍首相に近く、続投をいち早く支持した人物で固めました。
内閣改造では、十七人の閣僚のうち七人が初入閣。五人が再入閣で、五人が留任しました。女性閣僚は二人です。
内閣の要となる官房長官には、「仲良し官邸団」などと批判の的になっていた塩崎恭久氏にかわり、経済財政担当相や党政調会長、官房副長官などを歴任してきた与謝野馨氏を充てました。与謝野氏は、自民党の新憲法制定推進本部事務総長として、党新憲法草案をとりまとめた“実績”があり、幹事長に起用された麻生氏とあわせ、党と内閣の中枢を改憲派が押さえた形です。
首相が看板にしている「教育再生」についても、伊吹文明氏を文科相に、山谷えり子氏を教育再生担当首相補佐官にそれぞれ留任させ、継続姿勢を鮮明にしました。
民間から岩手県前知事の増田寛也氏を地方都市格差是正担当として入閣させたものの、甘利明経済産業相、大田弘子経済財政担当相、渡辺喜美行革担当相は、それぞれ留任。貧困と格差をひろげ、参院選での自民党大敗の要因となった「構造改革」路線を継続する布陣を敷きました。
町村派から町村信孝氏(外相)、高村派から高村正彦氏(防衛相)、津島派から額賀福志郎氏(財務相)ら、派閥の領袖クラスが入閣。全体として派閥均衡型の組閣となりましたが、谷垣派からの入閣はありませんでした。
安倍改造内閣の顔ぶれ 2007年8月27日
総務相は、地方都市格差是正、道州制、郵政民営化も担当。国土交通相は、観光立国、海洋政策も担当。国家公安・防災担当相は、食品安全も担当。沖縄北方担当相は、国民生活、科学技術政策、再チャレンジ、規制改革も担当。金融担当相は、公務員制度改革も担当。
総理 安倍 晋三
あべしんぞう 52 元町村派
総務地方分権 増田 寛也
ますだひろや 55 民間 初
法務 鳩山 邦夫
はとやまくにお 58 津島派 再
外務 町村 信孝
まちむらのぶたか 62 町村派 再
財務 額賀 福志郎
ぬかがふくしろう 63 津島派 再
文部科学 伊吹 文明
いぶきぶんめい 69 伊吹派 留
厚生労働 舛添 要一
ますぞえよういち 58 無派閥(参院) 初
農林水産 遠藤 武彦
えんどうたけひこ 68 山崎派 初
経済産業 甘利 明
あまりあきら 58 山崎派 留
国土交通 冬柴 鉄三
ふゆしばてつぞう 71 公明 留
環境 鴨下 一郎
かもしたいちろう 58 津島派 初
官房長官
拉致問題 与謝野 馨
よさのかおる 69 無派閥 再
国家公安
防災 泉 信也
いずみしんや 70 二階派(参院) 初
防衛 高村 正彦
こうむらまさひこ 65 高村派 再
沖縄北方 岸田 文雄
きしだふみお 50 古賀派 初
金融
行政改革 渡辺 喜美
わたなべよしみ 55 無派閥 留
経済財政 大田 弘子
おおたひろこ 53 民間 留
少子化男女共同参画 上川 陽子
かみかわようこ 54 古賀派 初
(初=初入閣、再=再入閣、留=留任)
2007年8月29日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-29/2007082902_02_0.html
安倍改造内閣
タカ重用 世界警戒
海外メディアは安倍晋三首相が二十七日の内閣改造や与党・自民党の役員人事で要所に右翼的、「タカ派」の顔ぶれを集めたことに強い警戒心を示し、今後の対アジア外交の行方を注視しています。
支持回復「未知数」 中国
【北京=山田俊英】人民日報は「国際論壇」で、「安倍首相は内閣支持率の低迷で総選挙に打って出る勇気がない。そのため力を蓄えて時機をうかがうことにした」と背景を説明。「内閣支持率が回復しなければ、安倍首相は自民党内の政権継続反対の声を放っておくわけにいかなくなる」が、「内閣大改造で危機を打開できるか未知数だ」と論評しました。
新華社通信も「国際観察」で、「彼ら(新閣僚)が安倍政権の『強心剤』になれるか未知数だ」と論じました。同電は、参議院で劣勢に追い込まれた状況からすると「新内閣は薄氷を踏むようなものだ」と指摘しました。
また、安倍首相が掲げる「美しい国づくり」「戦後レジームからの脱却」「憲法改正」は「民生問題に関心を持つ民衆を引きつけられなかった」と分析。「新内閣が挫折すれば、自民党内で安倍首相の責任を追及する声はさらに高まる」として「日本の政局は大激動の可能性がある」と述べました。
香港でも強い批判
香港ATVテレビ(英語)は二十八日朝のニュースで、「安倍首相の内閣改造と自民党役員人事では、『タカ派』が中心的なポストを占めたとの声が出ている」と報道。
ATVのニュースは、「たいへんなタカ派」町村氏の外相指名について、「町村氏は中国にたいし歴史博物館の展示を見直すよう求めている。彼はこれらの展示が第二次世界大戦での日本をゆがめていると主張する」と指摘。新財務相の額賀元防衛庁長官は昨年六月、北朝鮮のミサイル発射実験直後に、日本は海外の基地にたいする軍事的攻撃能力を高めるべきだとのべたと紹介しました。
同じく香港紙・明報二十八日付も、町村新外相が文部科学相だった一九九八年に「歴史を改ざんする右翼出版社の歴史教科書」の検定を合格としたり、高村防衛相は「対北朝鮮強硬派である」と指摘。麻生・自民党新幹事長は、「日本のタカ派の代表的人物の一人で、親米、対中国強硬派。右翼的発言を繰り返し、侵略の歴史を美化している」と批判しています。
英紙が日中関係注目
英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)二十八日付は、「博物館から『反日展示物』の撤去を中国に要求してきた」町村外相のもとで「改善された中国との関係維持」ができるかどうかに注目しています。
「町村外相」に波紋 韓国
二十八日付の韓国各紙は、安倍改造内閣に町村信孝外相が入閣したことに強い警戒感を示しています。
中央日報は「小泉政権で外相を務めた当時、歴史教科書問題などで韓日関係において相当に右派的な傾向を見せた人物」だと指摘。京郷新聞は、町村氏が「新しい歴史教科書をつくる会」主導の歴史わい曲教科書を検定合格させた人物だとして、「韓日教科書紛争を引き起こした張本人」であり、小泉首相の靖国神社参拝も積極的に支持してきたと報じました。
韓国日報は、「町村氏の外相復帰に韓国などの隣国は神経をとがらせている」とし、前回の外相時代に首相の靖国参拝を支持し、南京大虐殺を疑問視する文章を外務省ホームページに掲載したことをあげて、「過去の歴史をわい曲、美化する言行で波紋を起こした」と批判しました。
ハンギョレ紙は、自民党幹事長に就任した麻生太郎氏についても、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」といった暴言によって韓国で知られている人物だと伝えています。
批判に逃げの一手 ドイツ
安倍内閣改造について、ドイツの海外向け公共放送ドイチェ・ウェレは二十七日の電子版で、批判をかわす「逃げの一手」と報道しました。
同放送は内閣改造で町村氏や高村氏など、人気があった小泉首相のときに任命された「古い顔が主要なポストを占め」「麻生前外相が自由民主党の幹事長になった」と古さを強調して伝えました。
ドイチェ・ウェレは安倍首相が参院選挙で大敗し、世論調査で支持率が約20%に低下したのは相次ぐ「政治とカネ」のスキャンダルで閣僚が三人も辞職し、年金問題での失敗が国民を怒らせたからだとし、安倍首相は内閣改造で批判をかわす「逃げの一手を打ったと評論家はみている」と報じました。
2007年8月29日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-29/2007082904_01_0.html
CS放送「各党はいま」
志位委員長が語る
どうみる安倍「改造」内閣、どうのぞむ秋の臨時国会
日本共産党の志位和夫委員長は二十八日放映のCS放送・朝日ニュースターの番組「各党はいま」に出演し、安倍改造内閣をどう見るか、秋の臨時国会にどうのぞむかについて、朝日新聞の坪井ゆづる論説委員の質問に答えました。その要旨は次の通りです。
――改造内閣の印象は。
志位 「人心一新」で改造をやられたということですが、任命権者の安倍首相本人が居座ったままですから、一新のイメージはまったくありません。一新されるべき人が任命したわけですから、どんな顔ぶれを並べてみても、そこには新味もなければ、期待感もでてきません。
全体の布陣をみれば、改憲、タカ派志向の強い人たちを配置したという印象です。私たちは、前の安倍内閣の発足の際に、「靖国」派内閣と命名しました。すなわち、靖国神社のとっている立場、過去の日本の戦争は正しい戦争だったという間違った立場を共有する人たちが圧倒的多数を占めているという問題点を指摘しました。今度の内閣も、私たちが数えたところでは、首相を含め閣僚十八人のうち、「靖国」派、すなわち日本会議議連、あるいはその関連団体に属している人が十二人です。基本的に改憲・タカ派、「靖国」派内閣という点は変わらず、前の体質を引きずっていると思います。
もう一ついうと、「政治とカネ」であれだけ厳しく批判されたにもかかわらず、文部科学大臣に伊吹さんを留任させています。伊吹さんは事務所費問題でまともに説明していないわけですね。きちんと領収書も明らかにさせることなく、こういう方を留任させるということは、国民の審判に対する挑戦です。
――安倍さんの責任が問われてくると。
志位 今度の選挙で、国民は自公政治に二重の審判を下したと思います。
一つは「構造改革」路線という、弱肉強食で貧困と格差を拡大してきた路線にノーという審判が下された。
もう一つは、「戦後レジームからの脱却」、「美しい国」づくりをスローガンにして、「靖国」派のイデオロギーを押しつけ、改憲を最優先課題としてきましたが、これにノーという審判が下された。
この両方の審判を受けたのに、少しでもまともな方向に変わろうとうかがわせる陣容はどこにもありません。この問題については、安倍首相自身が、“基本路線は支持された”といっているのですから、変わりようがないということになりますが。
テロ特措法延長問題―「対テロ」戦争の六年間の全面的検証を
――秋の臨時国会をどう見ていますか。
志位 与党はテロ特措法の延長を最大の課題としていますが、特措法による約六年間の「対テロ」戦争支援なるものが何をもたらしたかの総決算をおこない、きっぱりと延長をやめさせることが一つの大きな問題となります。
国際的な司法と警察によるテロリストの捜索と捕捉という努力を尽くすことなしに、アメリカは報復戦争という手段に訴えた。このやり方自体が間違いであり、国連憲章の精神も踏みにじっているという問題が、戦争の初めからあったわけです。
その結果、アフガニスタンがどうなっているかの全面的な検証が必要です。一昨年、昨年と状況がずっと悪化して、南部やパキスタン国境地帯でタリバンが復活する。それにたいし米軍を中心に軍事掃討作戦をやる。民間人の死者がますます増える。そこでさらにタリバンが影響力を増やすという悪循環が広がっています。米英軍などの死者が増え、民間人の死者も増え、結局、戦争ではテロはなくならないということが結論です。その戦争を支援する法律がテロ特措法ですから、きちんとした検証のうえにたって、やめるという判断をすべきです。
しかも、実際はアフガンだけではなくて、イラク戦争をおこなっているアメリカ軍の艦船にも給油活動をやっているということが明らかになっています。米軍としてはイラク戦争もアフガン戦争も中央軍が一体となってやっており、そこに給油しているわけですから、アフガンだけでなくイラク戦争にも使われているのです。脱法的な運用がおこなわれていることもきちんと明らかにする必要があります。
テロの根をたついちばんの道は
――アメリカ側からは、やめてもらったら困るという声が聞こえますが。
志位 アメリカによる「対テロ」戦争というやり方自体が失敗だったことを六年間が証明しているわけです。戦争ではテロはなくならない、テロをなくすには国際的な司法と警察の力により犯人を捕捉、逮捕することが必要であり、同時に、テロの温床である貧困を国際的な努力でなくしていくことも必要です。そういう非軍事の方法でこそ、本当にテロの根を断つことができるということが一番重要な教訓です。
アメリカを含めてアフガンに軍隊を展開している国の世論調査では、「軍事掃討作戦は失敗だからひきあげるべきだ」という声が多数となっています。世界を見れば、もともと軍事行動に参加していない国の方が圧倒的多数なんですから。
日米同盟という根本問題を正面から問う
志位 さらに、この問題では、日米同盟という問題を正面から問うていきたいと思います。いまどき軍事同盟が絶対で、とくにアメリカが絶対などという国が世界にあるのか。世界で軍事同盟が解体あるいは機能不全の傾向にあるときに、日本だけが、「世界の中の日米同盟」ということで、世界のどこででもアメリカにつきしたがうという軍事同盟体制を二十一世紀も続けていいのか。この根本問題を私たちは提起していきたいと思います。
――臨時国会での他のテーマは。
志位 参院選で争点となった問題について大いに提起していきたいと思います。国民の暮らしを守るという点では「緊急福祉1兆円プラン」を提案しました。その実現をめざしたい。障害者「自立」支援法の応益負担をもとに戻す問題や、来年に計画されている児童扶養手当の削減計画を中止させる問題など、国民の切実な暮らしを守る公約実現の活動を大いにやっていきたいと思います。
「三つの異常」をただす本物の改革のビジョンを大いに示して
志位 もう一つ、国会で日本共産党がめざす日本改革のビジョンを大きく打ち出して、政治の根本の問題点をつく論戦を重視したいと思います。
私たちは日本の政治には「三つの異常」があると主張してきました。
一つは、過去の侵略戦争を正当化する異常で、「従軍慰安婦」の問題とか、歴史をゆがめる教科書問題とかさまざまな形で出ています。
二つ目は、日米同盟絶対、異常なアメリカいいなりという国のあり方の問題です。
三つ目は、財界・大企業の横暴勝手がこんなにまかり通る経済社会でいいのか。たとえば税金の問題では、財界・大企業、大金持ちにたいするいき過ぎた減税を放置したままでいいのかという問題です。
この「三つの異常」をただす本物の改革が必要です。自公政権については「ノー」という審判が下ったわけですが、それではどういう日本が求められているのか、われわれとしてのビジョンを大きく打ち出して、「三つの異常」をただしていく本物の日本改革をやろうじゃないかという大きな論戦をやっていきたいと思います。
「三つの異常」をただせといえるのは日本共産党だけです。それを大いに示し、わが党の役割を発揮していきたい。いまの政治の行き詰まりを打開しようと思えば、「三つの異常」にメスを入れる改革をやらないと出口はありません。私たちが大いに奮闘すれば、国民の認識と共産党の主張が接近していくという可能性、必然性が大いにあると思っています。
2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082801_03_0.html
安倍改造内閣が発足
市田書記局長が記者会見
日本共産党の市田忠義書記局長は二十七日、国会内で記者会見し、同日発足した安倍改造内閣について、次のように述べました。
◇
「人心一新」と安倍首相自身がいいましたが、一新されるべき張本人がそのまま居座って、役員人事、閣僚人事が一新されるわけがないわけで、それ自体が根本的矛盾といえます。内閣の顔ぶれをみても旧態依然で、要所要所に右翼的、タカ派的で、憲法を変える立場にある人ばかりを寄せ集め、かき集めた内閣という気がします。
自民党が参院選で大敗した根本には、貧困と格差をいっそう拡大した「構造改革」路線、そして「戦後レジームからの脱却」といって戦後日本の原点である憲法や平和や民主主義から「脱却」するという、自公政権の基本路線そのものへの国民の厳しい審判がありました。しかしそこへの反省がなく、「人心一新」といいながら、一新されるべき人が一新されないで居座っているのが全体の状況です。
私たちは、参院選で示された有権者の審判に応えて、選挙でかかげた公約の実現めざして日本共産党ならではの論戦を展開し、真正面から安倍内閣と対決していきたいと思います。
2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082802_03_0.html
内閣改造・自民党役員人事
「構造改革」推進・侵略戦争正当化
どこが「人心一新」なのか
安倍晋三首相が二十七日に行った内閣改造・自民党役員人事は、七月の参院選惨敗を受けて「反省すべき点は反省をしながら、人心を一新せよというのが国民の声だ」という首相の身勝手な解釈が出発点でした。自らは「人心一新」に含めず早々と続投を宣言し国民に「反省」を口にしました。さぞ参院選の民意を踏まえた布陣が示されるのかと思ったら、まったく違いました。
新鮮味はなし
十七人の閣僚中、文部科学相、経済産業相、国土交通相、行政改革相、経済財政相の五人が留任。他の閣僚も小泉政権や党幹部として弱肉強食の「構造改革」路線を推進し、社会保障を切り捨てたり、アメリカ言いなりの日米同盟を強化してきた当事者がポストを違えてまたぞろ顔をそろえたのです。新鮮味も何もありません。
財務相、文科相、防衛相のポストには安倍首相の出身派閥・町村派と違う派閥会長ら領袖クラスが就きました。党幹事長と総務会長も同じです。昨年九月の組閣で安倍首相が自らの立場に近い人脈で閣僚を固めたことから「論功行賞人事」「お友だち内閣」と揶揄(やゆ)され続けたことを意識した布陣がありありです。
安倍首相にとっては「挙党態勢」「重厚内閣」とすることで与党に参院選惨敗の反省をみせたつもりなのでしょうが、国民向けには何ら反省していません。
参院選で国民が示したものは何だったのか。
「消えた年金」問題や「政治とカネ」のスキャンダル、相次ぐ閣僚の暴言にとどまらず、小泉政権から続く「構造改革」路線による国民の暮らし破壊、貧困と格差の拡大をもたらした政治に対する深い怒りです。また、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を旗印として、侵略戦争に無反省なまま、憲法改定を政権公約の第一に掲げた安倍政権の危うさに対する国民の強い警鐘です。自民党自身、参院選総括で「構造改革の推進でもはや地方が耐えられなくなっている」「国民意識とズレてはいなかったか」と認めています。
ところが、「構造改革」路線推進の主要ポストである経済財政担当相、行革担当相、経済産業相を留任させたのです。大田弘子経財担当相が就任会見で「経済財政諮問会議の重要性はいささかも変わらないし、改革に停滞は許されない」と述べたことは、選挙で下された民意への無反省ぶりを象徴しています。
国民より米国
侵略戦争を正当化する問題でも改造内閣は、安倍首相を含め十八人のうち九人が、改憲・右翼団体の日本会議と連携する日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)に所属。同議連のもとにつくられた「教育基本法改正促進委員会」の役員も三人います。党幹事長に日本会議議連の特別顧問で前会長の麻生太郎前外相を起用したことも、改造内閣がいかに侵略戦争に無反省なのかを物語っています。
安倍首相は、高村正彦元外相の防衛相の任命にあたって、「テロ特措法の期限延長、在日米軍再編についてしっかり取り組んでほしい」と強調しました。町村信孝外相は「日米同盟がわが国の国際関係の基軸だ。日米関係の基礎を固めていく」と語りました。
国民の暮らしには目を向けず、改憲路線にしがみつき、アメリカのメガネでしかみない政治です。自らの悪政に「反省」もできない安倍改造内閣・自民党に未来はありません。(高柳幸雄)
2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082803_01_0.html
安倍改造内閣
顔ぶれから見えるもの
参院選での歴史的大敗を受けて「人心一新」を掲げた安倍晋三首相の内閣改造。しかし、本来退陣すべき首相が居座ったがために、国民の審判になんら応えない、清新さも何もない顔ぶれとなりました。
中枢に改憲派ずらり
憲法改悪
自民党が参院選公約のトップに二〇一〇年の改憲発議を掲げながら、参院選で歴史的大敗を喫したことは、改憲を中心とした安倍首相の「戦後レジーム(体制)からの脱却」に、国民が「ノー」の審判を示したものでした。
ところが、今回の組閣では、改憲と侵略戦争正当化を主張する「靖国」派の日本会議国会議員懇談会の特別顧問を務める麻生太郎氏を党運営の中心である幹事長に起用。内閣の中枢にも自民党新憲法草案をまとめた与謝野馨官房長官など改憲派を多数すえるなど、「戦後レジームからの脱却」に反省の色はありません。
また、安倍首相を含め十八人の閣僚のうち十二人が日本会議国会議員懇談会など「靖国」派議連に所属。教育再生担当首相補佐官には安倍首相の盟友・山谷えり子参院議員が留任しました。侵略戦争を正当化し、戦前の秩序の復活を目指す「美しい国」路線に固執する姿勢も明瞭(めいりょう)です。
参院選での惨敗を受け、政局対応と総選挙へ向けた挙党体制づくりの要となる幹事長には、党内から「野党との付き合いが薄く、少数派閥の麻生氏には荷が重い」という声も出ていました。しかし、この間、「安倍カラー」を前面に押し出す“政権運営”で、首相が「最も信頼」してきたとされる盟友・麻生氏の起用にこだわったのです。
改憲推進という点でも麻生幹事長が“要”です。改憲手続き法が成立した段階で、世論に挑戦して政党レベルの改憲論議を本格化させる狙いがあります。
舛添要一厚労相は自民党新憲法草案作りで与謝野氏を補佐し、現在も改憲手続き法の成立を受け新たに党内に設置された憲法審議会の会長代行です。
また、十七人の閣僚のうち五人が今年三月に中曽根康弘元首相を会長として結成された「新憲法制定議員同盟」の役員を務めています。
消費税増税派が増加
「改革」格差
「成長を実感に」を掲げ、「構造改革」のスピードアップを参院選で訴えて大敗した安倍内閣は、「改革」に関係する甘利明経済産業相、大田弘子経済財政担当相、渡辺喜美金融・行革相ら閣僚を軒並み留任させました。
参院選結果が示したのは、増税や社会保障改悪など、貧困と格差を助長する悪政を推進してきた自民・公明連立政権への国民の審判でした。
しかし、留任した閣僚の顔ぶれを見るかぎり、安倍首相がみずから掲げる「改革」に反省すべき点がなかったと考えていることは明りょうです。党役員の方でも、石原伸晃政調会長が、「規制改革や構造改革は決して否定されたわけではない」とのべました。
自民・公明政権がめざす「構造改革」の内容を示すのは、今年六月に閣議で了承された「骨太の方針2007」です。その中心は「成長力の強化」「歳出削減」で、今後五年間で社会保障関係費の伸びを国と地方の合計で約一・六兆円抑制することを明記。地方を除く国の分だけで医療や介護、生活保護などの自然増分を毎年二千二百億円ずつ抑制していく計画です。
留任した大田経済財政担当相は参院選後の七月三十一日の記者会見で「困難があっても(歳出改革方針を)守っていく」と表明。就任後の会見でも「改革に停滞は許されない」とのべるなど、方針を変えることは一切考えていません。
また、参院選での大敗を受け、消費税増税の先送りの議論もある一方で、安倍内閣には、新たに与謝野馨官房長官や額賀福志郎財務相ら消費税増税論者が増えました。額賀財務相は、就任会見でさっそく「消費税を含めた形で、いろんな議論をしていくことは結構なことだ」とのべました。
安倍改造内閣が、「歳出削減」に集中的にとりくむ構えをみせながら、消費税増税についてどのような判断を下すのか。厳しく問われています。
同盟強化推進の“実績”
日米関係
安倍新内閣にとって九月から始まる臨時国会での最重要課題は、十一月一日に期限切れを迎えるテロ特措法の延長問題です。「対テロ」戦争を口実に、米軍支援のため海上自衛隊の補給艦などを五年九カ月もの長期にわたってインド洋に派兵している根拠法です。
新内閣の防衛相、外相の顔ぶれをみると、日米同盟強化で“実績”を重ねてきた閣僚経験者を据え、米国の延長要求になんとしても応えようとする布陣になっています。
防衛相になった高村正彦氏は、小渕内閣の外相としてアジア太平洋地域での米国の戦争に参戦する周辺事態法(一九九九年)を成立させました。
イラク戦争では、開戦前の段階から「日本は支持する以外の選択肢は考えられない」(二〇〇三年三月二日)と主張。米国が開戦を強行した三月二十日には「最後の手段としてアメリカの下した判断に対し、理解し支持する」(衆院本会議)と表明しました。イラク特措法を強行した特別委員会の委員長も務めました。
外相に就任した町村信孝氏は、小泉内閣時代にも外相を務め、関係自治体・住民が強く反対している在日米軍再編の日米文書(〇五年十月)を合意し、推進してきた当事者です。
また、米兵に性暴力を受けた女性の「一日も早く基地をなくして」という訴えに対し、町村氏は「米軍あるいは自衛隊があるからこそ日本は平和」と真っ向から反論(〇五年七月)。同県にある沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故の際にも「(米兵は)操縦技術が上手だったのかもしれないが、よく最小の被害でとどまった」(〇四年十月)と発言し、いずれも県民から強い非難を浴びました。
両氏に共通しているのは、国民世論に逆らっても、あくまで米国を擁護してきた“実績”―。こうした姿勢で、テロ特措法延長や在日米軍再編を強行すれば、国民からのいっそうの批判は避けられません。
2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082802_01_0.html
主張
安倍改造内閣
国民の審判受け止めていない
「空気が読めない」から、その頭文字をとって「KY」―最近の若者言葉です。参院選での大敗にもかかわらず居座りを続ける安倍晋三首相もそう呼ばれてきました。その首相が選挙後一カ月にしておこなった内閣改造と党役員人事は、この政権が国民の審判をまともに受け止めていないことを浮き彫りにしました。
安倍首相は参院選後、「反省すべきは反省する」と繰り返してきました。しかし、自らの居座りに加え、この人事では、安倍首相には国民が何に審判を下したのか、何を反省すべきかが、まったくわかっていません。
中枢を占める「靖国」派
安倍政権は発足以来、内閣・党の中枢を侵略戦争肯定の「靖国」派で固め、小泉純一郎政権以来の「構造改革」路線を継承するとともに、「美しい国」づくりや「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げて、改憲路線をひた走ってきました。
参院選挙での自民惨敗も、「消えた」年金問題や閣僚の失言だけでなく、弱肉強食の「構造改革」路線と、「美しい国」を旗印にした改憲路線の押し付けに、国民が「ノー」の審判を下したためです。このことは、参院選での大敗後も安倍首相が居座っていることに、内閣支持率が下落を続けていることでも明らかです。
国民の審判を受け止めるなら辞めてしかるべき安倍首相がおこなった改造人事ですから、そこに国民が評価できるものがないのは当然ですが、それにしても、今度の人事はひどすぎます。
党役員人事で、辞任した中川秀直氏に代わって幹事長に就任したのは外相から横滑りした麻生太郎氏です。麻生氏や政調会長に就任した石原伸晃氏はいずれも首相の盟友で、総務会長の二階俊博氏も首相の居座りを支持してきました。自らの出身派閥である町村派会長の町村信孝氏や高村派会長の高村正彦氏、ベテランの与謝野馨氏、額賀福志郎氏なども入閣させ、文字通り「かきあつめ」と「寄せ集め」で体制を強化しました。これでどうして「人心一新」などといえるでしょうか。
変わらないのは内閣・党の要所を改憲タカ派や「靖国」派で固めたことです。麻生幹事長は、「靖国」派の団体、日本会議国会議員懇談会の特別顧問を務める「靖国」派の代表格です。外相に就任した町村氏や防衛相に就任した高村氏も改憲タカ派です。与謝野官房長官や額賀財務相、留任した伊吹文明氏、渡辺喜美氏らも「靖国」派の議員連盟のメンバーです。まさに、国民の審判にそむいて、改憲路線を突き進むための布陣というほかありません。
「構造改革」路線を担当する閣僚も、ほとんどが留任あるいはベテランの起用です。あきれたのは、「バカ大臣はけじめを」「安倍さんがやめないとは驚きだ」などと、選挙中からさかんに首相を批判してみせていた舛添要一参院議員まで、厚生労働相として閣内に取り込んだことです。「構造改革」路線を強行していくためのなりふり構わぬ姿です。
居座りと巻き返し許さず
内閣改造を受け、九月からは臨時国会が始まります。焦点となるテロ特措法の延長案などの審議も始まります。「構造改革」路線の継続が焦点になる、来年度予算編成の作業も本格化します。
安倍改造内閣とその与党に国民が期待できるものはありません。参院選挙で示された国民の審判を踏まえ、安倍首相の政権への居座りと、国民の審判に逆らった巻き返しを許さないことが、いよいよ大事です。
2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082802_02_0.html
各閣僚、消費税に言及
額賀財務相「真正面から議論」
二十七日の新閣僚の記者会見では、記者の質問に答えて、消費税について言及する大臣が相次ぎました。
秋の抜本税制改革論議について問われるなかで、額賀福志郎財務相は、「消費税を含めた形で、いろんな議論をしていくことは結構なことだ」と強調。「国民の基礎年金の負担についてどうしていくか、議論をしていかなければならない」「真正面からきっちりと逃げないで議論して安定した財源確保のために努力をしていく必要がある」と述べました。
与謝野馨官房長官も、「社会保障制度を維持していくためには、どうしなければならないのかという問題もある」と指摘。「総合的な観点に立って、消費税だけでなく、法人税、所得税その他の税制をふくめて抜本的な議論をしていただきたい」とのべました。
舛添要一厚労相は、基礎年金の財源問題について「もう少しちょっといろいろ検討してみたい」と発言。「すぐに税金に財源を求めるんじゃなくて、厚生医療行政というのは、知恵を働かせる(べきだ)」などと語ったものの、「それから先に増税という話になる」とのべました。
2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082804_01_0.html
自民党の新幹事長 麻生氏の暴言録
“創氏改名 朝鮮人の要求”
“高齢者 迷惑するくらい元気”
新しく自民党幹事長になった麻生太郎氏は、数々の暴言を繰り返し、国内外から厳しく批判されてきました。主な暴言をみてみました。
改憲・軍拡
「自衛隊(の存在)はみんなが認めている。日本は戦力を保持しないといっても、外国は理解できない。憲法九条二項を『陸海空自衛隊、これを置く』と置き換えればいい。憲法『改正』でなく『修正』が第一歩だ」(01年4月14日、時事通信社などとのインタビュー)
集団的自衛権をめぐる政府見解について「権利はあるが使ってはいけない、というのは無理がある。世界中で認められていない国はない」。(01年11月4日、学習院大学で講演)
「周辺事態」で海上自衛隊艦艇が支援中の米艦へ攻撃があった際、「日本が逃げるというのは、同盟関係でいかがなものか」と述べ、応戦も認められるべきだと見解。(06年10月27日の衆院外務委員会)
「核武装」をめぐる議論について「いろんなものを検討したうえで持たないというのも一つの選択肢だ」と核武装の議論を否定せず。(06年10月17日の衆院安全保障委員会)
日本の核武装に関する質問に対し「安さだけでいったら、核(武装)の方がはるかに安い」「ミサイル防衛(MD)の技術はこの十年で恐ろしく進歩した。日本が専守防衛をやるなら、MDを徹底してやった方がいい」。(03年5月31日、東京大学で講演)
北朝鮮のミサイル発射について、朝鮮労働党の金正日総書記に「感謝しないといけないかもしれない」。(06年7月8日、広島市内の講演)
靖国・歴史観
「遊就館には何度か行ったことがあるが、戦争を美化するという感じではなく、その当時をありのままに伝えているというだけの話だ」(05年11月21日に出演した米通信社ブルームバーグ・テレビの番組でインタビュー)
「(靖国神社に)祭られている英霊は、天皇陛下万歳といった。天皇陛下の参拝が一番だ」(06年1月28日)
小泉純一郎首相の靖国参拝について「祖国のために尊い命を投げ出した人たちを奉り、感謝と敬意をささげるのは当然。首相としても簡単に譲るわけにはいかないと思う」と支持。(05年11月13日、鳥取県湯梨浜町で講演)
「『大変だ、大変だ』と言って靖国の話をするのは基本的に中国と韓国、世界百九十一カ国で二カ国だけだ」(05年11月26日、金沢市内の講演)
「創氏改名は、朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」と事実をねじ曲げる。(03年5月31日、東京大学で講演)
消費税増税
「一連の構造改革を支えていくために税構造を抜本的に変えるなど、直間比率の見直しなどを含めた税制改正を行う」と発言。党税制調査会での議論に、消費税増税も検討課題にすることを示す。(02年1月19日、自民党大会)
「基本的には、直間比率を見直さないといけない。(消費税の比率を増やす)広く薄く、が正しい」(03年1月7日、自民党本部で会見)
偏見・暴言
「高齢者の85%は周りが迷惑するくらい元気だ」(06年9月14日、自民総裁選街頭演説会)
「六十五歳以上で寝たきり老人や、要介護老人はたった13%。87%は、周りが迷惑するくらい元気が良い。しかも(お金を)持っとる」(07年1月19日、愛知県春日井市で講演)
「消えた年金」五千万件の突き合わせで年金受給者は「もっともらえるかもしれない。こらぁ欲の話だろうが。それが、何も、いまあせって電話することない」。(07年7月12日、兵庫県姫路市で街頭演説)
「七万八千円と一万六千円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でも分かる」などと日本のコメが中国で日本国内よりも高値で流通していることを例に、農産物の輸出を奨励。(07年7月19日、富山県高岡市で講演)
「独断と偏見だが、金持ちのユダヤ人が住みたくなる国が一番いい国じゃないか」「ユダヤ人と挙げて気に入らなければ、アルメニア人でも華僑でもいい。少なくとも日本人の中では(反発は)考えられないと思う」 (01年4月19日、東京都内の日本外国特派員協会で講演)
2007年8月28日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-28/2007082815_01_0.html
安倍改造政権 「政治とカネ」を洗う
問題献金は変わらず
「再チャレンジ」安倍改造内閣
事務所費問題や失言などで閣僚四人が相次いで交代した安倍内閣の顔触れが一新しました。二十七日発足の改造内閣。参院選で「ノー」を突き付けた多くの国民の声をよそに、続投を選んだ首相の「再チャレンジ」。しかし、「政治とカネ」をめぐる問題は引き続き噴出しています。
先物業界から4000万円
与謝野官房長官
安倍改造内閣の官房長官に就任した与謝野馨氏(衆院東京1区)が、「必ずもうかる」などの強引な勧誘で被害が続いている商品先物業界から、六年間で約四千万円の資金提供を受けていることがわかりました。
商品先物取引は投機性が非常に高く、知識のない一般の消費者にとってはリスクが高い取引です。年金生活の高齢者などが業者から「必ず値上がりする」と勧誘され、数百万―一千万円単位の損失を被るなどの被害が多数報告されています。
与謝野氏の資金管理団体「駿山会」の政治資金収支報告書(二〇〇三―〇五年)によると、同会は先物業界の政治団体「政経政策研究会」からほぼ毎月二十五万円ずつ、三年間で計八百五十万円の寄付を受けています。そのほか、〇四年には政経政策研究会と別の業界団体「平成の会」が、与謝野氏の政治資金パーティー券をそれぞれ六十万円分、購入しています。〇〇年から〇五年までの資金提供は合計三千九百五十万円にのぼります。
先物取引をめぐっては、〇五年の法改正などで業者に対する規制が強化されましたが、東京先物証券被害研究会事務局長の宮城朗弁護士は「現場の実感としては、まだまだ相談件数は多い」と話します。〇五年十一月には、大手グローバリーの社長ら幹部四人が、商品取引所法違反の疑いで逮捕されています。
談合企業から受領
冬柴国交相
安倍改造内閣で国土交通相に留任した公明党の冬柴鉄三氏の資金管理団体などが、大阪府枚方市の官製談合事件で社長が逮捕された建設会社から献金を受けていたことが二十七日分かりました。
公共事業で巨額予算を預かる国土交通省の担当大臣が、公共工事で不正を働いた業者から献金を受けていたことは問題です。
献金を受けていたのは、冬柴氏の資金管理団体「冬柴政経懇話会」と、同氏が代表の「公明党衆議院小選挙区兵庫第8総支部」。大阪府枚方市発注の清掃工場建設をめぐる官製談合・汚職事件で、談合の共犯容疑で社長が逮捕された兵庫県西宮市の建設会社から、合計三十万円の献金を受けていました。
兵庫県の公報などによると、献金は〇五―〇六年に計二十万円が建設会社社長名義で、また〇三年に十万円が建設会社名義で行われていました。 同氏事務所も「間違いない」と事実を認めています。
同氏は社長が逮捕された後の今年六月、献金を返還。その後、政治資金収支報告書を修正しています。
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070828/shs070828002.htm
【内閣改造 土俵際の再出発】(上)意中の候補、次々断念(産経新聞、8月28日)
「国民の厳しい声を真摯(しんし)に受け止め、美しい国作りを再スタートさせるため本日改造を行った」
27日午後9時すぎ。首相官邸で記者会見した首相、安倍晋三は格差問題などに応えるために重厚な布陣を敷いたことに理解を求めたが、疲労の色がにじみ、声は張りを失っていた。参院選敗北により参院で少数与党となり、与党にも退陣要求がくすぶる中での内閣改造・党役員人事が、いかに苦悶(くもん)に満ちたものだったか。順風満帆で政権を発足させた11カ月前にこのような事態を誰が想像しただろうか。
内閣支持率を回復させるには新鮮で特色ある顔ぶれ、党をまとめるには重厚でバランスの取れた布陣が必要だ。野党の攻勢を考えると「政治とカネ」疑惑やスキャンダルは禁物となる。
安倍は内閣情報調査室などに閣僚候補者の入念な「身体検査」を指示したが、これが予想外の事態を招いた。政治資金などで「不法とはいえない不適切」という事案が続出、意中の閣僚候補を次々に断念せざるを得なくなった。加えて、防衛相の小池百合子が突如辞任を表明。安倍の「右腕」の総務相、菅義偉も事務所費問題に関する一部の報道で矢面に立たされた。
人事構想の見直しを迫られた安倍はインド・東南アジア外遊中も公式日程を終えると1人ホテルの部屋にこもり、生みの苦しみは改造前夜まで続いた。熟考中の安倍は「野武士」のような形相だったという。
だが、どんなに「配慮」に満ちた人事も全員が納得できるものにはならない。
安倍は、元首相、森喜朗が推した元官房長官の福田康夫、元財務相の谷垣禎一の入閣は見送った。森は27日夜、神戸市内で講演し、「非常に堅実な実務型内閣だ」とほめながらも「やっぱり安倍さんも理想は残したいんだろうな。相変わらず、石原(伸晃政調会長)や渡辺(喜美行革担当相)らを残した。前は年少組だったが、今度は年中組という感じか…」と皮肉った。
◇
内閣改造で安倍がもっとも執着したのは外相、麻生太郎の幹事長起用だった。安倍は参院選後、麻生の外相続投方針を百八十度転換する。
最大の転機は、臨時国会召集日の8月7日に訪れた。国会内で開かれた代議士会で、元文科相の小坂憲次らが相次いで安倍の面前で退陣を要求。党の大勢が「安倍降ろし」で雪崩を打ちかねない空気が広がった。
衆院本会議終了後、参院での開会式に天皇陛下をお迎えするため、モーニング姿に着替えた麻生は、国会内の一室で安倍と向き合った。
「事態は深刻だ。内閣改造は早めた方がいい。国会最終日の10日に電撃改造をやるべきじゃないですかね…」
麻生は、祖父である元首相の吉田茂が昭和29年に欧米7カ国を外遊中に反吉田連合が結成され、帰国後内閣総辞職に追い込まれた事例を挙げて、このまま月末まで内閣改造を先延ばしして、19~25日にインド・東南アジアに歴訪すれば、その間に安倍包囲網が構築される恐れがあることをとうとうと説き、最後にこう念を押した。
「今は保守勢力の最大の危機であり、国家の危機でもある。でも筋を通せば必ず道は開けるものですよ」
消えた「電撃改造」
麻生の言葉は安倍に重く響いた。麻生の指摘通り、党内の不満をそのまま放置していれば、反安倍の火は一気に燃え広がりかねない。だが、閣僚候補者の身辺調査は間に合わない上、だまし討ちに近い改造を失敗すれば不満は増幅しかねない。麻生のアイデアはリスクが大きかった。
ただ、幸運にも7日を境に安倍降ろしの動きは一気に鎮火に向かった。党内で「これ以上の混乱は見苦しいし、民主党に利するだけ」(中堅)との雰囲気が広がったからだ。国対委員長の二階俊博や元防衛庁長官の額賀福志郎ら派閥領袖級らも相次いで「続投支持」を打ち出した。
思いを巡らせた末、安倍は最終的に「電撃改造」を断念したが、安倍はこの時点で「安倍-麻生」体制を政権の軸とすることを決断した。
◇
安倍の祖父は元首相の岸信介、父は元外相の安倍晋太郎。一方の麻生は、祖父が吉田茂、先祖は明治の元勲、大久保利通にさかのぼる。共通する「毛並みの良さ」もあり、安倍政権発足以来ぴったりと息を合わせてきたが、元々は疎遠だった。両者が親しくなったのは安倍が官房長官、麻生が外相に就任した2年前からだ。
安倍が親友の塩崎恭久(前官房長官)を外務副大臣に押し込んだことに麻生が激怒。その「手打ち式」として銀座のラウンジに繰り出したことがきっかけだった。ここで14歳の年の差を超えて意気投合し、昨年秋の総裁選では2人は対抗馬となるが、友情は続いた。
安倍は1年前、首相就任にあたり、麻生を幹事長に起用しようと考えた。しかし、このときは森らの説得で断念。だが、外相に迎え入れ、二人三脚で「主張する外交」路線を進めてきた。
「ライバル同士なのになぜ馬が合うのか」と周囲がいぶかしむと、麻生はこう説明した。
「おれと安倍の政治信条や国家観はほとんど一緒だ。ついでに敵も一緒だ。ケンカしようがないじゃないか」
麻生のいう「敵」が、元幹事長の加藤紘一や元副総裁の山崎拓らを指すことは明白だ。つまり、安倍が「安倍-麻生」体制を選んだということは、政権の求心力が低下しているこの時期に、あえて「敵に対して妥協しない」という意思を示したともいえる。(敬称略)(2007/08/28 08:05)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070829/shs070829001.htm
【内閣改造 土俵際の再出発】(下)本気だった「倒閣」(産経新聞、8月29日)
27日に発足した安倍改造内閣は派閥領袖がずらりと並ぶ「挙党態勢」となった。安倍にとって必ずしも満足なものではなかったが、自民党内にはそれ以上に不満がくすぶる。
反安倍、参院選惨敗後に密談
前参院国対委員長、矢野哲朗の入閣を見送られたため、参院議員会長の尾辻秀久は28日、首相官邸に乗り込み、不満をぶちまけた。閣僚から漏れた議員は、「泥船に乗らずにすんだ」と強弁するが、不信は広がる。安倍応援団といわれる若手・中堅にも改造は決して評判はよくない。
そんな中、28日夕、都内のホテルに元官房副長官の園田博之、後藤田正純ら衆院議員6人が結集した。いずれも反安倍の急先鋒(せんぽう)だが、「カラオケ仲間」の与謝野馨が官房長官になったことを歓迎。退陣要求は当面控え、与謝野を通じて安倍に政策変更を求めていく戦術に切り替えることを決めた。
親安倍も、反安倍勢力も足並みに乱れが出ている。自民党の歯車はどこから狂ったのか-。
参院選前夜の7月28日午後、外相、麻生太郎の携帯電話が鳴った。安倍からだった。
「ゆっくり話をしたいんですけど、今夜空いていますか」
だが麻生は地元・福岡に戻ったばかり。「申し訳ないが、今夜は帰京できない。明日必ずうかがいます」
安倍はこの時点で、参院選でどんな結果が出ようとも退陣しない腹を固めていた。もし自分が政権をほうり出すと、次期首相選出で党内が簡単に一本化するとは思えない。麻生、元官房長官の福田康夫、元財務相の谷垣禎一らで激しいバトルとなるだろう。そうなれば得をするのは誰か。安倍の脳裏に民主党代表の小沢一郎の顔が浮かんだ。
安倍は平成5年の政治制度改革をめぐる自民党分裂こそが、日本経済をどん底に落とした「失われた10年」の原因だと考えている。その引き金を引いた小沢がどんな動きをするかは容易に想像がついた。
「どんなに苦しくても踏ん張るしかない」。そう考えた安倍は、盟友であり、ライバルである麻生の意向だけは聞いておきたいと考えたのだ。
翌29日午後4時、ワンボックスカーでひそかに公邸に乗り付けた。安倍が自らの意向を伝えると麻生の返事は明解だった。
「衆参逆転など大したことない。安倍政権が打ち出した教育、安保などの大方針はちっとも間違っていないんだから胸を張って続投すべきだ。しっかり支えますよ」
2人が会談中、公邸の電話が鳴った。幹事長の中川秀直だった。
中川は国会近くのホテルで、元首相の森喜朗、参院議員会長の青木幹雄とともに今後の対応を協議していた。自民党の獲得議席を「40台後半」「40台前半」「30台」の3パターンに分類し、今後の政治情勢をシミュレートしていた。
敗戦の色はすでに濃厚。報道各社からひそかにかき集めた出口調査の結果は最悪の「30台」を示していた。青木は「安倍君はまだ若い。今辞めれば次のチャンスが生まれる」。森もうなずいた。
森に安倍の意向を確かめるように促された中川は、公邸に電話し、麻生がいることを知る。「なぜ麻生が…」。3人は首をかしげた。
麻生と入れ違いに公邸入りした中川は「続けるのも地獄、退くのも地獄。イバラの道だ」と語り、「辞任もやむなし」と諭したが、安倍はきっぱりと言った。
「解散のない参院の選挙で政権選択が行われることは基本的にはあるべきではない。大勢が判明した10時すぎにテレビで続投を表明する」
2日後の7月31日。東京・汐留の高層ビルの一室で、参院選で瀕死(ひんし)の痛手を受けた安倍政権を揺るがす密談が繰り広げられていた。
「メディア界のドン」といわれる人物が主催する秘密会合に顔をそろえたのは派閥領袖級の4人。元副総裁の山崎拓、元幹事長の加藤紘一、元幹事長の古賀誠の「新YKK」、そして元厚相、津島雄二だった。
誰とはなく「安倍はもうダメだ。世論が分かっていない。一気に福田擁立でまとめよう」と声を上げると、新YKKとは一線を画していた津島も「あの人(安倍)には人の暖かみを分かる心がない。『正しいことさえ言っていれば人は分かってくれる』と思いこんでいる」と応じた。
くしくも同じ夜、森は別の会合で「次の内閣改造のキーワードは『安心』と『安全』だ。失敗すると安倍は厳しい」と語り、福田、谷垣の入閣が政局のカギを握るとの見通しを示し、こう言った。
「どんなに追い込まれても、安倍に解散はさせない」
森のこの言葉は一気に広まった。加藤らは「福田擁立で各派がまとまれば森は乗ってくる」と手応えを感じた。この後新YKKが不気味なほどに沈黙したのは、それだけ「倒閣」が本気だったことを示していた。
汐留での会合で慎重姿勢を崩さなかった古賀も3日朝、都内のホテルで開かれた財界とのセミナーでは多弁だった。
「参院選は歴史的な大敗だが、首相の続投も歴史的な決断だ。内閣改造の結果をみて私たちもどう行動するか考えなければならない」。古賀は最後にこう結んだ。
「衆院解散はびっくりするほど早くなる」
「福田擁立なら即座に総裁選」
参院選後初の日曜日となった8月5日夕。森は東京・神山町の麻生邸を訪ねた。すでに麻生の幹事長就任のうわさが流れていた。
森「君は安倍さんに人事を何か吹き込まれているのか」
麻生「いいえ、まったくありません」
森「君は今後も安倍さんを支えてくれるか」
麻生「安倍政権は国家的に正しいことをやっていると思うから、私はそれに乗っているんです。参院選で負けたのは小泉改革のツケが最大の原因で、安倍さんのせいとはいえないでしょう」
森に派閥領袖級の人物評などを次々に問われ、「おれの意向を探りに来たのか」と感じた麻生は、こう切り出した。
「なんだかちまたには福田擁立なんて動きがあるらしいが、こんなものは絶対にのめない。安倍さんと総裁を争った私が支えるといい、『安倍だ』『安倍だ』とはしゃいだ連中がハシゴを外すなんてまったくおかしな話ですよ。そもそも福田さんは総裁選に出てもいないじゃないですか」
森は「福田さんには安定感があるから…」と言ったが、麻生は頑として譲らなかった。
「もし福田擁立という動きが本格化したら、即座に手を挙げて総裁選を要求します」
森は幹事長時代から、加藤と敵対して「冷や飯生活」を送ってきた麻生に「目をかけてやった」との思いがある。麻生もその恩義を強く感じているが、この会談は2人にシコリを残した。
一連の目まぐるしい動きは、「人を疑うことを知らない」といわれてきた安倍にも深い不信の念を芽生えさせた。
「逆風の時でないと他人の本心はなかなか見えないものだね…」
安倍は周囲にこう漏らしたという。
参院選での大敗は、自民党内の人間関係をより複雑にさせた。これまで親しかった者がお互いに疑心を抱き、敵さえも手を組む状況が生まれつつある。党派を超えた動きは今後ますます活発化するとみられている。政界が新たなうねりにのみ込まれていくことは間違いなさそうだ。(敬称略)
◇
この企画は石橋文登、大谷次郎が担当しました。(2007/08/29 07:36)
参院・民主が第1党で国会は?
2007年08月29日、朝日新聞
http://www.asahi.com/kids/janken/TKY200708290178.html
今後提出される法案の流れ
友野記者:9月になると、国会が始まるよ。
ケン:7月の終わりにあった参議院議員選挙では、民主党の人がたくさん当選したんでしょ。
友野記者:よく知ってるね。政権をとっている党を与党(今は自民党と公明党)といい、それ以外を野党という。参議院で一番多く議席を占めるのが、野党の民主党になったんだ。
ジャン:そうなると、国会もこれから何か変わるのかしら。
●選挙結果を重視、法案は成立しにくくなるよ
◆衆院に戻して成立は可能 強引な手法には国民の目
友野記者:今回の選挙で、参議院では、民主党の議員が、自民党と公明党を合わせた数よりも多くなった。国会では新しい法律など物事を多数決で決めるけど、今の政権とちがう意見を持つ政党が半分以上になったんだ。
ケン:そうすると政府の考え通りにならなくなるの?
友野記者:そういう場合もあるだろうね。国会には衆議院と参議院がある。参議院では民主党の議員が一番多いけど、衆議院では自民党が半分以上を占めている。衆議院と参議院で、一番議席が多い政党がちがうんだ。
ジャン:じゃあ、衆議院と参議院で意見が食いちがったりするのかしら?
友野記者:そうだね。新しい法律を作るには普通、最初に衆議院で話し合い、その法律案に賛成かどうか多数決をとる。賛成が過半数(半数をこえる)なら、次に参議院で話し合う。参議院でも賛成が過半数なら法律ができあがる。
ただ、これからは衆議院から送られた法律案に、参議院で民主党とほかの政党が反対することは十分に考えられる。
ポン:新しい法律ができなくなるの?
友野記者:難しくなるが、まったくできないというわけではないんだ。つまり、もし参議院で賛成が半数にとどかなくても、衆議院で3分の2の議員がもう一度賛成すれば法律は成立する。今、衆議院では自民党と公明党で3分の2以上を占めるから、最終的に成立させることは可能だ。
ケン:それなら参議院で強くてもあんまり意味がなさそう。
友野記者:そんなことはないよ。法律案は参議院から先に話し合う場合もある。民主党が自分たちで作った案を参議院で先に話し合うことにしたら、参議院では賛成が過半数を占める可能性が高い。
ジャン:でも参議院だけでは成立しないんでしょ。
友野記者:そう、次に話し合う衆議院で賛成が少なければ、その法律は成立しない。でも、一番最近の選挙結果は、今の世の中の考え方を最もよく映し出しているといえる。だから、投票した人たちの気持ちを軽んじているという批判をさけるためにも、自民党は「参議院で過半数を取れなかった法律案は全部、衆議院で多数決をやり直す」という方法はとらないだろう。
ケン:民主党は?
友野記者:民主党だって、法律案に反対するなら、その理由をちゃんと説明しないと、投票した人たちは納得しない。選挙に勝ったからこそ、これまでよりも厳しい目で見られることになるんだよ。
◆テロ特措法の延長めぐり攻防 自民・民主の意見説明に注目
友野記者:自民党は1955年にできたんだけど、56年から参議院のまとめ役である議長はずっと自民党出身の人だった。でも、今回初めて民主党出身の議長になったよ。
ケン:これから国会ではどんな法律案が話し合われるの?
友野記者:一番大変になりそうなのは、自衛隊がインド洋でアメリカ軍の船などに給油する活動を続けるための法律(テロ特措法)改正だろう。アフガニスタンのテロ組織と戦うアメリカ軍を支援するというのが目的だ。でも今の法律は11月1日に期限が切れてしまう。そこで政府は1年延長する法律案を出す予定だけど、民主党は反対すると言っている。
日本が世界の中でどういう役割を果たしていくべきなのか、自衛隊をどう考えるかなど、自民党と民主党どっちの意見に説得力があるか、注目だね。
●きょうのポイント
▽7月の選挙の結果、参議院で1番議席を占めるのは野党の民主党になった。衆議院は、与党(自民党と公明党)で3分の2以上を占める。
▽法律案は普通、衆議院と参議院でそれぞれ過半数の賛成を得て成立する。これからは、衆議院で可決されても参議院で否決される可能性がある。
▽参議院で否決された法律案は、衆議院でもう1度3分の2以上の賛成を得れば成立する。しかし、1番最近の選挙結果を重視するため、すべての法律案に対してこの方法を取ることはないとみられる。 記者:友野賀世(朝日新聞政治グループ)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070829/shs070829002.htm
「安倍改造内閣」本格始動 国会論戦、小沢シフト(産経新聞、8月29日)
参院議席の与野党逆転で、秋の臨時国会の運営が厳しさを増す中、安倍改造内閣が28日、政権の命運をかけて本格スタートした。テロ対策特別措置法など重要法案で対決姿勢を強める民主党の小沢一郎代表を牽制(けんせい)し、立ち向かうための人材を閣僚や自民党の要所に配し、「小沢・民主党シフト」で論戦を挑む。安倍晋三首相は民主党との対話を模索する一方で、新内閣を「政策実行内閣」と命名、あくまで政策実現を通じて国民の支持と理解を求めていく考えだ。
要所に手の内知り尽くした人材
「小沢氏は自民党幹事長時代にわれわれを指導してくれたし、私は(共通の趣味の)囲碁で小沢氏を指導してきた。大変いい方だと思っている」
与謝野馨官房長官は28日の会見でこう述べ、小沢氏との良好な関係を強調。この日はリップサービスに徹して周囲をけむに巻いた。
だが、11月1日には小沢氏が延長反対を表明しているテロ特措法の期限が切れる。日本銀行政策委員など衆参両院の同意が必要な人事案件では民主党との調整難航は必至だ。9月10日にも召集される秋の臨時国会は、開会冒頭から波乱が予想され、秋以降は消費税率引き上げなど税制改正論議も本格化する。
「国会が大変厳しい状況なので、優れた調整能力を発揮してほしい」
安倍首相は27日夜の会見で、与謝野氏の起用理由をこう指摘した。与謝野氏自身も「私は政策マンだなんて言われるが、国会運営が政治生活の大勢を占めてきた」と、与野党との調整に自信をのぞかせてもいる。
また、民主党の鳩山由紀夫幹事長の実弟である鳩山邦夫法相も「兄弟のパイプも生かしたい」と調整に意欲を示す。鳩山氏は民主党の衆院議員に自らの元秘書がいることも強みだ。
増田寛也総務相の場合は、平成7年に新進党幹事長だった小沢氏に擁立され、“小沢王国”の岩手県で知事に初当選。後に、自らの政党色を弱める過程で小沢氏から離反した経緯がある。このため、「硬軟織り交ぜた小沢氏サイドの揺さぶり手法に詳しいはず」(自民党筋)とされる。
増田氏は以前、小沢氏を「政治の師」と語っていた。この点について増田氏は28日未明、総務省で記者団に対し「今も変わらない。歴史的事実だ。それで政界に入ったのだから」と明言。同時に、「政治的立場というのはそれぞれの場面ですごく変わりうる」とも語り、かつての師匠が率いる民主党相手に論戦に臨む意気込みを示した。
自民党総務会長の二階俊博氏は、新進党時代に小沢氏の側近として国会対策などに奔走、「表も裏も小沢氏のやり方を知り尽くしている」(自民党筋)という。外相に町村信孝氏、防衛相に高村正彦氏という外相経験者を配置したのは、臨時国会のテロ特措法審議の答弁で、万が一にも民主党側に付け入るすきを与えないためだ。
安倍首相自身は28日、記者団に「民主党や小沢さんに対抗しようという気持ちで内閣を作ったのではない」と述べた。だが、自民党内では、「民主党との協調を図りつつも、全面対決になった際には反撃することを考えた布陣ではないか」(中堅)との見方が強い。
(2007/08/29 03:26)
http://www.sankei.co.jp/keizai/kseisaku/070828/ksk070828002.htm
安部改造内閣 政府と財界、不協和音も 「村瀬社保庁長官、使い捨て」(産経新聞、8月28日)
政府と経済界との間で不協和音が響いている。安倍晋三首相が内閣改造直前に踏み切った村瀬清司社会保険庁長官の更迭をめぐり、「経済界から送り込んだ人材が使い捨てにされた」(財界幹部)との声が強く、今後の官民交流に影響を与えかねない情勢だ。格差問題の解消などを抱えた安倍改造内閣は、財界との関係改善という新たな課題にも取り組む必要がある。
3年前に損保ジャパン副社長から初めて民間出身の社保庁長官に抜擢(ばってき)された村瀬氏は、業務の効率化や意識改革などを進めてきた。しかし、宙に浮いた年金記録などの問題に直撃され、参院選で与党は惨敗。結果的にその責任を取らされる形で村瀬氏は更迭され、総務省OBの坂野泰治氏が近く就任する。
今回の更迭人事について政府は、参院選直後から村瀬氏の交代を模索し、経済界に後任を打診していた。だが、与野党から集中砲火を受けた村瀬氏の姿をみた経済界に引き受け手はいなかった。このため、村瀬氏は当面留任するとみられていたが、内閣改造直前の24日夜に駆け込み的に更迭が発表された。
こうした政府の対応について、経済界からは「年金記録問題は村瀬氏の就任前から起きていたこと。交代はやむを得ないとしても、新しい厚生労働相に本人から辞任を申し出る形にしてほしかった」(財界幹部)と更迭に踏み切った政府への批判が噴出している。
安倍内閣は、公務員の天下り禁止を打ち出しており、政府系金融機関の統合に伴う新トップは民間から起用される。だが、民間から登用された村瀬氏が「世論に対するアリバイづくり」(財界筋)のような形で更迭された影響は大きく、経済界からの人材起用にも支障が生じる恐れがある。
民間からの人材登用は、官庁からの天下りを防ぎ、民間の発想で業務の効率化や創意工夫を促す目的がある。ただ、そうしたポストは政治任用的なものであり、最終的には政治の意思決定に左右される。それだけに今回の更迭劇は改めて政府の人材登用の姿勢を問うことになりそうだ。(経済部次長 井伊重之)
(2007/08/28 08:51)
http://www.news.janjan.jp/government/0708/0708221178/1.php
前原・前民主党代表が自民国防族と「テロ特措法延長」を訴える
2007/08/23 JANJAN
民主党の前原誠司・前代表は22日、日本海外特派員協会で自民党の中谷元・元防衛庁長官とともに記者会見し、11月1日に期限が切れる「テロ特措法」の延長を訴えた。
民主党はすでに小沢一郎代表が同法の延長に反対することを明言しており、前原氏の発言は民主党内の波乱要因になりそうだ。
前原氏は、戦後日本の繁栄の礎となった軽武装、経済重点主義は日米同盟によるもので、それを引き続き重視すべきという伝統的な見解から、テロ特措法延長の必要性を以下のように訴えた―
▼アメリカの自衛権行使で始めたアフガン戦争は国連や国際社会が追認した▼テロを阻止するために日本が参加することは大事。インド洋での補給活動を続けるべき。
一方、中谷氏からは次のような指摘があった―
▼世界の中で日本が果たすべき役割▼小沢民主党代表は党利党略で特措法の延長に反対している▼中東政策への影響
前原氏はこれまでにもテレビ番組などで「アフガニスタンでのテロとの戦いから日本が抜けることは国益に反する」(12日、テレビ朝日)などとして、同特措法は延長すべきとの見解を示してきた。個人的な見解とはいえ、今回、自民党防衛族(中谷氏はテロ特措法成立時の防衛庁長官)と肩を並べて「テロ特措法は延長すべし」と海外のメディアに訴えたことで、小沢代表に対する異論をより鮮明にすることになった。
民主党の前原誠司・前代表
両氏の冒頭発言ののち、記者との質疑応答に移った。そのなかで、前原氏は「『テロとの戦い』は検証すべき時期にきている」との見解も示した-
記者(シンガポールビジネスタイムス):小沢さんは党利党略で判断(特措法延長に反対)しているのではないか?
中谷:国際的に評価されている活動になぜ小沢さんが反対するのかわからない。アメリカに物申すという姿勢で存在感をアピールしているのだろうが、それでは党利党略で大きな間違いを犯すことになる。
記者(日本インターネット新聞):「テロとの戦い」というが実はビン・ラディンとの戦い。なぜこれに日本がおつきあいするのか?血で血を洗う戦いを繰り広げてきたイランとタリバーンが、今では軍事的に協力している。シーア派革命防衛隊の伸張。イラクと同じ図式だ。ここに支援するということは火に油を注ぐようなものだが?
中谷:アフガニスタンでの日本の活動は国際的に認知されている。テロの培養地は叩かなければならない。
前原:どうやって(アフガン戦争を)収束させるかの検証がされていない。アフガン情勢は(初期と比べると)変質してきている。「テロとの戦い」は検証すべき時期にきている。
記者(AFP): 2人がジョイントして記者会見することは、党の執行部にとってはハッピーではないのでは?
前原:特派員協会から要望があったので来た。中谷さんと示し合わせたわけではない(場内笑) 。
記者(フランスRTL):フランスのサルコジ大統領がブッシュ大統領との会談で「イラクの軍事的解決は不可能だが、政治的解決は可能」と言った。これについてどう思うか?
前原:私もそう思う。前の質問(日本インターネット新聞社)にも答えたが、「テロとの戦い」の検証は緊急を要する。
この他にも安倍首相続投問題、大連立などについて質問が出、珍妙なところでは「桜パパの賭けゴルフ問題」まで飛び出した。
いずれにせよ「テロ特措法延長」をめぐる激突は、秋の臨時国会の最大の見せ場となる。前原グループの動きいかんでは民主党の「特措法戦術」も変更を来たす可能性もある。この日の記者会見には多数の海外記者が出席し、発言に耳を凝らした。国内大メディアの番記者、ワイドショークルーも訪れ大変な熱気だった。 (田中龍作)
http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2007082902044839.html
郵政造反組が“復権” 副大臣決定 森山、今村氏ら起用
2007年8月29日 中日新聞夕刊
政府は二十九日午前の臨時閣議で、各府省の副大臣二十二人を決定した。一昨年の郵政民営化法の衆院採決で反対票を投じた郵政造反・復党組から森山裕、今村雅弘両氏が“復権”を果たした。参院の造反組からも中川義雄、岩永浩美両氏が起用された。昨年十二月に自民党に復党した十一人で政府要職に就くのは初めて。同日昼、皇居で認証式が行われた。
政務官人事の決定は三十日に先送りされた。
政務官候補にも復党組二人と、反対票を投じた参院議員二人の名前が挙がっている。造反組の復党の際には、「改革後退」のイメージを与え、内閣支持率が大幅に下落した。
これに関連し与謝野馨官房長官は二十九日午前の記者会見で「(郵政造反は)はるか昔に起きたようなことで、何らの感想もない」と指摘。その上で「郵政民営化は既定路線として定着している。既定路線について何らの影響も与えない」と述べた。
副大臣の党別内訳は自民党十九人、公明党三人。派閥別(参院を含む)では津島派四人、町村派三人、古賀、山崎、伊吹、谷垣派各二人、高村、二階、麻生派各一人、無派閥一人。顔触れは次の通り。(敬称略。党名のない議員は自民党議員。参院以外は衆院)
【内閣府】木村勉(東京15区)、山本明彦(愛知15区)、中川義雄(参院北海道)
【総務】佐藤勉(栃木4区)、魚住裕一郎(公明党、参院比例)
【法務】河井克行(広島3区)
【外務】小野寺五典(宮城6区)、木村仁(参院熊本)
【財務】遠藤乙彦(公明党、比例北関東)、森山裕(鹿児島5区)
【文部科学】池坊保子(公明党、比例近畿)、松浪健四郎(比例近畿)
【厚生労働】西川京子(福岡10区)、岸宏一(参院山形)
【農林水産】今村雅弘(佐賀2区)、岩永浩美(参院佐賀)
【経済産業】新藤義孝(埼玉2区)、中野正志(比例東北)
【国土交通】平井卓也(香川1区)、松島みどり(東京14区)
【環境】桜井郁三(神奈川12区)
【防衛】江渡聡徳(青森2区)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070829i115.htm?from=main1
臨時国会、9月10日に召集…政府・与党方針(読売新聞、8月29日)
政府・与党は29日、臨時国会を9月10日に召集する方針を決め、野党各党に伝えた。
会期は11月上旬までの60日間程度となる見通しだ。11月1日に期限が切れるテロ対策特別措置法の延長問題が最大の焦点となる。
与謝野官房長官と自民党の大島理森国会対策委員長が29日、国会内で会談し、「10日召集」を確認。その後、大島氏が民主党の高木義明国対委員長らに伝えた。4日にも開かれる、衆参両院の議院運営委員会理事会で了承され、閣議決定する運びだ。与党は、10日に安倍首相の所信表明演説を行い、12~14日に衆参両院で各党代表質問、18~21日に衆参の予算委員会を開きたい考えだ。
次の臨時国会は安倍改造内閣発足後、初めての国会で、参院で与野党が逆転した中での最初の本格的論戦の場となる。焦点のテロ特措法改正案に関しては、与党は9月下旬に衆院で審議入りしたい考えだが、民主党など野党は延長に反対しており、激しい攻防が予想される。(2007年8月30日1時4分 読売新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0827/TKY200708270350.html
町村新外相、「在任中は靖国行かない」
2007年08月27日23時08分 朝日新聞
町村信孝外相は27日夜の就任後初の記者会見で、靖国神社への参拝について報道陣の質問に答え、「私自身は少なくとも外相在任中は参拝をするつもりはない」と明言した。
町村氏は、安倍首相が靖国神社参拝の有無を明言しない「あいまい戦略」をとっていることについて「私は安倍首相があえてあいまい戦略で、参拝するしないということを明言しないというのは、ひとつの適切なる知恵だと評価している」とも述べた。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007082901000722.html
岡田、前原両氏起用の声も 民主党は政調と国対が焦点
2007年8月29日 20時08分 中日新聞
民主党の小沢一郎代表は29日、31日に実施する党役員人事の検討を進めた。事実上の集団指導体制を取ってきた菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長の続投は確実視されることから、政策の取りまとめ役となる政調会長と、与党との対決の最前線に立つ国対委員長人事が注目の的。党代表経験者の岡田克也、前原誠司両氏の起用や、参院からの抜てきなどが取りざたされている。
小沢氏は21日の常任幹事会で「人事を一新したい」「挙党一致で政権を目指したい」などと説明しただけで以後は沈黙。鳩山氏でさえ29日、就任あいさつに訪れた自民党新3役らに「人事は小沢氏の頭の中。全く知らない」と話した。
それでも党内では、政策立案能力の高さと党内融和の観点から、政調会長に小沢氏とやや距離を取る岡田、前原両氏のどちらかを起用、政権担当能力をアピールするのではないかとの見方が多い。ただ、両氏とも小沢氏主導で昨年12月にまとめた「政権政策の基本方針」に批判的で、いずれも周囲には就任に慎重な姿勢をみせている。
安倍首相の「大アジア構想」とパール判事の家族への訪問だが、イギリスのフィナンシャルタイムズもこれを厳しく批判している。
国内経済・社会の困難には心をよせず、国際世論の対日批判にも目をつぶり、一路帝国軍隊の名誉回復のみに邁進する。
ひょっとすると、その手の「特攻」精神への陶酔があるのかも知れない。
ただし、参議院選挙の大敗を受けても「散る」ことを潔しとしない、その精神は実に執念深いものだが。
裁判手続きには意義をとなえながらも、日本の侵略と加害の罪を明確に認めたパール判事もいい迷惑である。
安倍訪印 アジアから厳しい目 「大アジア構想」を批判 パール判事遺族面会に警戒(しんぶん赤旗、8月26日)
安倍首相のインド訪問をめぐって、中国をはじめとするアジアのメディアは、厳しい批判と警戒の目を向けています。
時代に逆行
とくに議論が集中しているのが、首相のいう「大アジア」構想です。
中国国営新華社通信(電子版)は二十四日、「『大アジア』構想は時代の潮流に逆行する」という論評を出しました。
論評は、安倍首相のインド訪問の目的の一つは「中国に向けての“日・米・印・豪の四国戦略同盟”をつくりあげることにある。それが『大アジア構想』だ」と指摘。「勝手に敵をつくりあげてしゃにむに突き進もうとするもので、大方の失笑を買う」と批判しています。
論評は「中国と良好な関係にあるインド、米国、オーストラリアが、日本のたくらみに乗るだろうか。『大アジア』構想で、どうして国連加盟国の信頼が得られるだろうか」と問いかけています。
最後に、「安倍首相の提起する『大アジア』構想は、冷戦時代の思考の表現であり、今日の時代潮流におよそ合致しないものである」と厳しく指摘しています。
主に華僑向けに発行されている中国新聞二十三日付(電子版)は、「中国排除の『大アジア』構想は、日本メディアの支持も得られず」と報じました。
記事は、日本のメディアが「首相のインドでの講演での四国協力構想は、中国に向けて“包囲網”で対抗していく狙いであることは明らか」と報じていると紹介。「米国も、東アジアに不安を引き起こす行動には慎重な態度だ。安倍首相の構想への国際社会の共鳴はきわめて少ない」と指摘しています。
シンガポールの聯合早報二十四日付は、安倍首相のインド訪問について「中国を排除した“大アジアの仲間”だけの組織をつくろうとしている」と指摘しています。
無罪を宣伝
多くのアジアのメディアが警戒の目を光らせているのが、安倍首相が東京裁判のパール判事の息子と会ったこととその話の内容です。
中国の北京晨報二十四日付は、「安倍首相は戦犯を無罪にした人物の息子と会った」という見出しで報じました。記事は「安倍首相のこの行動は、少なからぬ騒ぎを引き起こした。東京裁判の判決を覆したという印象を免れない」と指摘しました。
記事は“東京裁判は事後法で裁いたので被告は無罪”というパール判事の論理は、戦争犯罪をめぐる国際法の発展を軽視していると指摘しています。
さらに日本や韓国のメディアは、安倍首相のこの行動に疑問や不安を表明していると指摘。韓国メディアは「安倍首相はわざわざインドまで行って、日本軍国主義者をかばった判事の息子に会った。その目的は“A級戦犯は無罪”と宣伝することにあった」と報じたと紹介しました。
マレーシアの星州日報二十四日付は、安倍首相が「パール判事を多くの日本人は尊敬している」とたたえたことを紹介し、「これでは日本に侵略されたアジア諸国の激しい怒りを買うだろう」と述べています。
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韓国紙
“戦犯無罪”の言動だ
韓国紙朝鮮日報は十六日付社説で、「極東国際軍事裁判の判事のうち、A級戦犯全員の無罪を主張した唯一の人物」であるパール判事の遺族との安倍首相との会見について論評を掲載、これを同首相の「戦犯無罪」の「アピールをもくろむもの」だと批判しました。
同論評は、パール判事が戦犯裁判は戦勝国による「報復のためのもの」と主張したことを指摘。安倍首相が著書『美しい国へ』のなかで「A級戦犯は日本の国内法上は犯罪者という扱いではない」と記していることや、昨年十月の国会答弁で「戦争責任の主体についてはさまざまな論理が存在し、政府が具体的に断定するのは適切ではない」と語ったことに触れ、パール判事の遺族に会うことにしたのは「決して偶然ではない」と述べています。
同紙は、安倍首相が今年四月の靖国神社の春季例大祭時に、現職の首相としては約二十年ぶりに、「内閣総理大臣」名で玉ぐしの一種である真榊(まさかき)を奉納したことを紹介。「ドイツの首相が事あるごとに、やり過ぎではないかと思うほどナチスの戦犯らを強く非難するのとはまったく正反対の行動だ」と強調しました。
さらに「終戦記念日には靖国神社への参拝はしなかった」にもかかわらず、「その数日後には、インドで軍国主義者らが英雄視する『戦犯無罪論者』の子孫と顔合わせする」と述べ、「米下院の外交委員長が言った通り、日本の首相の度重なる『吐き気がするような』言動には、あきれるほかない」と指摘しています。
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英紙
また批判を無視
英紙フィナンシャル・タイムズ紙二十四日付は、安倍晋三首相がインド訪問時にパール判事の長男と会ったことについて、「アジアの批判を無視したものだ」とする記事を掲載しました。
同紙は「安倍首相は、終戦の日に靖国神社を参拝せずに失望させた右翼へのジェスチャーとして、パール判事の息子と二十分間懇談した」と報道。「複数の論評が、この懇談は靖国神社参拝の代替として、首相自らの自尊心を救済し、国粋主義的な支持者をなだめるためのものだとしている」と論評。韓国紙、朝鮮日報の記事を紹介しています。
同紙は、国際キリスト教大学のピント客員研究員の「パールは右翼の最愛の人であり、右翼は東京裁判が巨大なでっちあげであったと証明しようと決心している」とのコメントを紹介しています。
同紙はまた、日本の戦争を侵略戦争ではなく植民地主義からの解放の戦争だとする見解をもっていたチャンドラ・ボーズ氏の関連施設訪問とその関係者との会見を、「微妙な戦時の問題にもう一つ手を出した」と報じました。
安倍首相、パール判事遺族面会 中国外務省が不快感(しんぶん赤旗、8月27日)
【北京=山田俊英】中国外務省の姜瑜報道官は二十五日、安倍首相が先にインドを訪問した際、第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で日本の戦犯の無罪を主張したインドの故パール判事の長男と面会したことに関して、戦犯の有罪を認定したこの裁判は「国際社会の定説となっている」として不快感を表明しました。
同報道官は記者の質問に答え、「極東国際軍事法廷での日本軍国主義に対する厳正な裁判は、日本人民を含む世界各国人民の平和を熱愛し戦争に反対する正義の声を代表しており、日本が戦後再び国際社会に復帰するための重要な基礎でもあった」と指摘。「これは以前から国際社会の定説となっている」と述べました。
安倍首相はパール氏の長男に、「パール判事は今でも多くの日本人の尊敬を集めている」と語りました。
パール判事は、日本の侵略行為を正当化したわけではない。
ここが肝心なところなのだろう。
それにしても、帝国軍隊の名誉回復にかける安倍首相の執念はすさまじい。
国際世論による包囲のもとで、「私の使命」達成に向けた開き直りが強まっているということだろうか。
インド訪問の安倍首相 パール判事遺族と面会 なぜ(しんぶん赤旗、8月22日)
安倍晋三首相は二十一日からのインド訪問に際し、日本の戦争犯罪を裁く東京裁判(極東国際軍事裁判)で有罪判決を受けた東条英機元首相ら二十五人の被告に対して唯一「無罪」を主張したラダビノッド・パール判事の遺族と面会する予定です。今なぜパール判事か、疑問の声が起こっています。
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同裁判(一九四六―四八年)では(1)平和に対する罪(2)通例の戦争犯罪(3)人道に対する罪―が問われ、東条らが有罪とされました。インド代表として判事団に加わったパール氏は、第二次大戦が始まった時点で(1)と(3)は存在しなかったので、「事後法」で裁くことはできないと主張しました。
批判したのは裁判の進め方
日本の侵略戦争を肯定する「靖国」派などは、パール判事の立場を、日本に戦争責任がないことを国際的に証明するものであるかのように利用してきました。安倍氏も首相就任直前に発表した『美しい国へ』で、東京裁判に関しては「事後法によって裁いた裁判は無効だ」との議論があると言及。昨年十月六日の衆院予算委の答弁でも「事後法」論を展開し、同裁判に疑問を表明しました。
しかしパール氏は、先の戦争での日本の行動を正当化したわけではありません。裁判の法的な進め方を批判したのです。
“残虐行為の証拠 圧倒的”
同氏が独自にまとめた「パール判決書」は、三一年からの満州事変について、「たしかに非難すべきものであった」「一国の他国領土内への膨脹(ぼうちょう)(政策であり)…かような政策を正当化する者もおそらくないであろう」などと述べています。三七年の南京事件についても、残虐行為の「証拠は、圧倒的である」としています。
「平和に対する罪」が事後法だとのパール氏の見解に対しては、一九年の国際連盟規約や二八年の不戦条約など、第一次大戦以降の戦争違法化に向けた国際法の発展を過小評価しているとの批判があります。
東京裁判は、昭和天皇の戦争責任を免罪したなどの問題点をもっていますが、「不戦条約で禁止された『国際紛争解決の為』の戦争を、国際犯罪と位置づけ、侵略戦争の指導者を裁いたものとして、その後の世界平和の探究に大きな意義をもちました」(『日本共産党の八十年』)。
戦争犯罪の概念は戦後、ニュルンベルク裁判や東京裁判に基づいて発展を遂げ、戦争犯罪を働いた個人を裁く常設国際裁判所である国際刑事裁判所の設立(二〇〇三年)に結実しています。
しかも五二年発効の対日講和条約(サンフランシスコ条約)では、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」すると明確に規定されています(一一条)。
侵略戦争を肯定する印象
安倍首相は、第二次大戦で大国間の矛盾に乗じてインド独立を促進する立場から日本の侵略戦争に協力したチャンドラ・ボースの遺族との会見も予定しているといいます。パール判事の遺族との面会と重ね合わせれば、日本の首相がまたぞろ、過去の侵略戦争を肯定するパフォーマンスをしているとの印象をふりまき、新たな国際問題になりかねません。(坂口明)
インドネシアでの安倍首相演説は、日本とアセアンの価値観の共有をいい、人権尊重を語るものであったらしい。
この国際状況の中で、「人権尊重」を平然と口にする神経はすばらしい。
他方、戦後の日本とインドネシアの関係を、岸信介が築いたと、無反省に語るところもものすごい。
インドネシアは「賠償から商売へ」のひとつの拠点とされ、またその軍事独裁政権を支えることに日本政府は多額の「援助」を行ったはずだが。
ASEANとの協力を強調 首相、ジャカルタで演説(朝日新聞、8月20日)
安倍首相は20日、ジャカルタ市内のホテルで演説し、今後の東南アジア外交の基本方針を示した。民主主義や人権尊重など、日本と共通の価値観を持つ東南アジア諸国連合(ASEAN)の発展が「東アジアの協力の推進力」となり、「アジア、日本の利益である」と表明。ASEAN加盟国間の格差是正に向けた支援や、経済協力を拡大する方針も表明した。
演説は「日本とASEAN――思いやり、分かち合う未来を共に」との題名で、インドネシアの民間シンクタンク主催の会議で行われた。
首相は「日本はASEAN諸国、諸国民と『ケア・アンド・シェア(思いやりと分かち合い)』の精神で共に歩みたい」としたうえで「問題を共有し、解決を共に模索する関係を結ぶ段階に私たちは突入した」との認識を示した。
また、ASEANがより強い共同体を目指し新たな憲章づくりを進めていることを「民主的諸価値の強化、法の支配の維持といった基本的価値に対する真摯(しんし)な取り組み」として高く評価した。
今後の具体的な取り組みとして、首相は、経済連携協定(EPA)の締結を基盤にした経済関係の拡大▽ASEAN域内の格差是正のため、カンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムへの支援強化▽経済発展を支える平和構築のための専門家育成の三つを挙げた。
安倍首相演説、「ASEAN共同体」の実現を支持(読売新聞、8月20日)
【ジャカルタ=中沢謙介】安倍首相は20日午後(日本時間同日夕)、ジャカルタ市内で、東南アジア諸国連合(ASEAN)に対する日本の基本政策について演説し、2015年までの設立を目指す「ASEAN共同体」の実現を支持し、協力する考えを表明した。
首相は、ASEANが掲げる「Care and Share」(互助と共有)の精神が、日本人の伝統的考え方とも合致するとの見方を強調し、民主主義や法の支配といった共通の価値観のもと相互協力関係を深めるべきだと訴えた。
その上で、ASEAN共同体の設立について、「日本国民が大切に思う基本的価値を旗印に、新しい門出を遂げようとしていることに静かな興奮を覚える」と述べ、支持を表明。また、同共同体の最高規範となる「ASEAN憲章」起草に向けた議論を、「民主的諸価値の強化や法の支配の維持、人権の尊重といった基本的価値に対する真摯な取り組みを語っている」と評価した。
一方、ASEAN域内の格差問題については、<1>日本とASEAN諸国の経済連携協定(EPA)のネットワークの活用<2>発展の遅れているメコン川流域国への支援――などを通じ、解決に向けた協力を行うことを表明した。
今回の演説は、今年がASEAN設立40周年、日本の対ASEAN政策を示した福田赳夫・元首相の「福田ドクトリン」表明から30年の節目にあたることを意識したものだ。首相は「50年前、祖父・岸信介が日本の首相としてジャカルタを訪れ、両国関係の最初の礎を定めた」とも述べ、自身の思い入れも吐露した。
これに先立ち、首相はユドヨノ大統領と大統領府で会談し、京都議定書以降の新たな地球温暖化対策での協力や、マラッカ、シンガポール両海峡での海上交通路(シーレーン)の安全確保での協力などを盛りこんだ共同声明を発表した。また、両首脳はエネルギー資源の安定供給に関する枠組み作りを明記した日インドネシアEPAに署名した。
両首脳は会談後、記者会見し、首相は「地域協力や国際社会への取り組みを強化する」と述べた。大統領は北朝鮮に関し、「核問題の平和的解決と拉致問題の解決を願う」と語った。
【首相演説要旨】「思いやり、分かち合う未来を共に」(産経新聞、8月20日)
安倍晋三首相の政策演説「思いやり、分かち合う未来を共に」の要旨は次の通り。
日本はASEAN諸国、諸国民と「ケア・アンド・シェア」(思いやりと分かち合い)の精神で共に歩む。アジアと世界が直面する挑戦に対し、インドネシア、ASEANの皆様には、ぜひわれわれ日本人と一緒に立ち向かっていただきたい。
ASEANの各国指導者は、「民主的諸価値の強化」「法の支配の維持」「人権の尊重」といった基本的価値に対する真摯(しんし)な取り組みを語る。日本国民が大切に思う基本的価値を旗印に掲げ、「One ASEAN」として新しい門出を遂げようとしていることに、静かな興奮を覚える。
ASEANには、東アジアサミットなど地域協力枠組みの「運転席」に座り続け、東アジア協力の推進力になってもらわなくてはならない。ASEANの発展はアジア、日本の利益だ。
経済連携協定(EPA)のネットワークを活用し、ASEAN諸国と深く幅広い経済関係をつくりたい。日本政府はメコン流域諸国の安定的成長のため助力を惜しまない。平和がなければ経済の発展はない。
私は「クールアース50」(美しい星50)という新しい地球環境防衛策を世界に提案した。ASEANの皆様も、2050年までに地球温暖化を止める計画の力強い一翼を担っていただきたい。
日本とASEANには、名実ともに相互補完的な関係が成立している。私たちを見舞う問題を一緒に解くために互いを必要とする「問題を共有し、解決を共に模索する」関係を結ぶ段階にすでに突入した。(ジャカルタ 杉本康士)
「慰安婦」問題をめぐる安倍・日本政府批判は、依然として、つづいている。
従軍慰安婦問題に批判的な社説掲載 ジャカルタポスト紙(朝日新聞、8月20日)
安倍首相が訪問中のインドネシアの英字紙ジャカルタポストは20日付の社説で従軍慰安婦問題に言及し、「日本のリーダーたちが自らの歴史を誠実に受け入れられない限り、国際社会の中枢での役割を担うことは決してできないだろう」と論評した。
社説は、安倍首相が3月、従軍慰安婦について「強制性を裏付ける証拠がなかった」などと発言したことについて、カリマンタンの元従軍慰安婦(78)が「彼の顔を平手打ちしたい。うそつきだ」と地元メディアに語ったことを紹介。「過去の否定は国の名声を傷つける」と批判した。
同紙は、首都ジャカルタなど大都市を中心に発行されている有力紙の一つで、知識層の読者が多い。
未来志向の日韓関係構築を=安倍首相に苦言-李氏(時事通信、8月20日)
【ソウル20日時事】韓国の聯合ニュースによると、最大野党ハンナラ党の大統領候補に選ばれた李明博・前ソウル市長は20日、安倍晋三首相について、「過去に執着して弁明していては未来に進めない」と語り、未来志向の日韓関係構築に努力するよう苦言を呈した。
李氏は、旧日本軍の従軍慰安婦問題で狭義の強制性を否定した安倍首相の発言を念頭に、「国民が理解できない発言があったが、安倍首相にはアジアの平和と未来志向の発展のために働いてほしい」と述べた。
これで6回目(「慰安婦」5回、選挙1回)。
他に「京都民報」等もあった気がするが。
「『従軍慰安婦』考える 兵庫 平和のつどいに80人」(しんぶん赤旗、8月18日、近畿のページ)
終戦記念日の15日、「8.15平和のつどい」が神戸市兵庫区の妙法華院(寺院)で開かれ、80人以上が参加しました。「兵庫の『語りつごう戦争』展の会」主催。
神戸女学院大学の石川康宏教授のゼミナールで学ぶ女子学生(21)が、「従軍慰安婦」問題について話しました。
同ゼミで、元「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)が共同生活する韓国の「ナヌムの家」を訪れたことなどを報告。15歳で「慰安所」に連行されて、拒否すると壁に頭を打ちつけられ、その後遺症でいまも鼻血がでるハルモニから性被害の実態を聞き、再現された「慰安所」を見学しました。緊張のあまり倒れた学生もいたといいます。
「私たちが学んだことをまわりに知ってもらうことが一番大事なのでは、と考えています。それで私たちは講演活動をしています」と語りました。
「つどい」では、”靖国DVD”として有名になった、日本青年会議所製作のDVD「誇り」を上映。日本の侵略戦争を美化する同DVDに、参加者から「うまくつくってるな」という声が聞かれました。
この夏の学生たちの新聞登場の5回目である(「慰安婦」問題4回、選挙1回)。
ネット上には、アップされていないようである。
今問われる「従軍慰安婦」下 「反省できる国に」 学び、声あげる女子学生(しんぶん赤旗、2007年8月17日、近畿のページ)
神戸女学院大学の石川康宏教授のゼミでは、二〇〇四年度から「従軍慰安婦」問題の学習を続けています。毎年、韓国を訪問し、元「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)と交流しています。
あくまで前向き
同ゼミ4年の原田佳苗さん(21)は昨年九月に元「慰安婦」が暮らす「ナヌムの家」を訪れました。資料館でハルモニの遺品を見て「なんの解決もされないまま、亡くなった人たちがいる」と気分が落ち込んだといいます。
姜日出(カン・イルチョル)ハルモニの証言を聞きました。「軍靴の靴ひもを編む仕事がある」とだまされ、「慰安婦」にされたといいます。つらい記憶にもかかわらず、学生たちに「兄弟のように手をとって仲良くしたい」と、あくまで前向きでした。「その期待にこたえたい。話を聞いただけで終わらせたらだめ」と原田さんは決意します。
「慰安婦」の事実は、戦争で日本軍が犯した加害の歴史を浮き彫りにしています。それは、原爆や祖父母の戦争体験など、被害の歴史しか聞かされていなかった学生たちにとって衝撃でした。
小谷直子さん(21)は「日本軍も、利用した男性もむかつく」といいます。「女性は非力です。それを男の力で無理やり強姦(ごうかん)するなんて、ほんまむかつく」
渡辺綾子さん(22)は、個人の問題ではないと考えました。「人を殺すのが当たり前になっているのが戦場。だからこそ、そういう施設を造った政府が許せません」
守ろう憲法9条
帰国後、「自分たちに何ができるのか」と相談しました。ちょうどそのとき、高校時代の担任の先生のつてで、講演をすることになりました。うわさが広がり、各地の高校や市民団体などから講師依頼が相次ぎます。これまでに二十回以上。最初は原稿を読み上げるだけだったスピーチも、参加者とのやりとりを楽しむまで上達しました。学生たちは「ちょっとでも話すことで、関心を持ってもらえたら」と口をそろえます。
韓国では、ハルモニたちが毎週水曜日に日本大使館前で行っている抗議行動「水曜集会」に参加しました。マイクを持った小谷さんは訴えました。「私たちは憲法九条を変えて戦争できる国になることを望んでいません。日本が(過去の戦争を)反省できる国になるよう、若い力で変えていきたい」
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「強制はなかった」という安倍首相の発言について、石川教授は「今、政府が『狭義の強制性』でしか抵抗できないことのあらわれ」と指摘します。
「それ以外については認めざるを得ませんから。ただし、強制連行についても被害者、加害者、目撃者の証言があります。だからアメリカでさえ決議を上げた。『慰安婦』問題を解決しようとしない日本政府は、国際的に孤立しています。責任を持って考えねばならない立場になれば、若い世代は飛躍的に成長します。おとなたちは、その環境をつくる努力をしなければなりません」(おわり) (和田肇)
現物は、日本の専門家たちにとっても未見のものなのだろうか?
史料の信憑性の確認が急がれることを期待したい。
北通信「日政府と軍が“慰安婦”直接介入」史料を発掘(中央日報、8月17日)
過去に日本政府と軍が「慰安婦犯罪」に直接介入した事実を立証する資料が発掘されたと北朝鮮の朝鮮中央通信が16日、報道した。
中央通信によれば、日本軍は1938年3月4日、日本陸軍省法務課が作成し、陸軍参謀総長と法務局長の決裁の印章が押された「軍慰安所従業部募集に関する件」というタイトルの“日本陸軍性指令7号”を下達した。
国際法専門家であるチョン・ナムヨン博士(70)が最近発掘し、北朝鮮内閣機関紙である民主朝鮮を通じて公開した立証史料には、日本陸軍省、海軍省、外務省などが同年4月16日、中国南京駐在日本領事館で合同会議を行い、現地部隊監査によって軍の慰安所を直接設置し、17~20歳の女性たちを“日本軍強制慰安婦”という名目で慰安婦にすることで合意した記録も含まれている。
また1942年9月3日付日本陸軍省課長会議記録文件は軍の慰安所が北部中国に100カ所、中部中国に140カ所、南部中国に40カ所、南方地域に100カ所、太平洋上の島に10カ所、南部サハリンに10カ所など計400カ所にのぼるものと明らかにしている。
日本政府は軍部のこうした行為を見逃す政策を展開し、1943年9月“女子勤労従軍慰安婦制度施行方針”と翌年8月“女子精神勤労令”を当時の日本首相と天皇の署名を受けて勅令159号として公表していることもわかり、直接加わったことが明らかになったと通信は伝えている。
通信は「1990年代に入って第2次世界大戦時、性奴隷行為に旧日本政府と軍が直接関与したという極秘文書と記録が日本の多くの関係機関で連続発掘、公開されることで、性奴隷犯罪はこれ以上避けられない事実として証明された」と付け加えた。
「慰安婦」問題での内容ある謝罪を求める、アメリカとドイツからの声である。
「慰安婦」決議採択の米 「靖国」派の対応を注視(しんぶん赤旗、8月17日)
日本軍の「慰安婦」問題で米下院が日本政府に公式な謝罪を求める決議を七月末に採択した後も、米国ではこの問題への追及・監視が衰えていません。
米誌『タイム』(電子版)は十五日、靖国神社を参拝しなかった安倍首相について「日本の安倍首相、神社に現れず」と題して伝えました。「故意に中国や韓国などの隣国を挑発した」前任の小泉首相よりも「個人的にはより保守である政治家」の安倍首相が参拝しなかったのは「前向きな動き」だとしながらも、靖国神社は「日本とアジア諸国の関係においてとげ」となってきたと、この問題を注視しています。
日本の「靖国」派外交の破たんを象徴的に示したのは、米下院が七月三十日に採択した「慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求める決議でした。日本の過去の侵略戦争を正当化し続ける「靖国」派を厳しく批判し、日本政府に歴史の真実に向き合うことを求めました。
決議採決直後の議員たちの新聞発表でもそのことが端的に語られています。
「罪のない多くの若い女性たちが朝鮮半島から連行され、言い表せない最悪な犯罪に苦しみ、人生を破壊された。謝罪はこの痛みを元に戻すことはできないが、被害者にとってその政府が過去の誤りの責任を受け入れたと知ることは重要である」(共和党のビト・フォセラ議員)
「慰安婦に関する歴史の事実の正確さを日本は棚上げし続けている。日本皇軍が若い女性たちを性奴隷にしたことについて、日本政府がしっかりと認め、謝罪し、歴史の責任を明確であいまいでないやり方で受け入れない限り、正義は果たされない」(共和党のクリス・スミス議員)
ペロシ下院議長も、決議の採決を歓迎。「米下院は真実と認知を求めてたたかう慰安婦を支持する」と述べ、米議会で証言した元「慰安婦」をウソつき呼ばわりする「靖国」派の主張をけん制しました。
本会議での採択の際、反対を表明した議員は一人もいませんでした。それどころか、外交委員長のラントス議員(民主)は「靖国」派の国会議員の米紙への意見広告に言及。「慰安婦」にされた被害女性を責める「靖国」派の主張に「吐き気を催す」との強い嫌悪感を示しました。ホロコーストの生き残りである同議員は、ナチス・ドイツの戦争犯罪を認め、後世に伝える努力を続けるドイツと比較し、日本は「歴史の健忘症を推進している」と指摘しました。
「慰安婦」の強制はなかったという発言で国際的批判を受けてきた安倍首相は、決議採択について「二十世紀は人権が侵害された時代だった。二十一世紀は人権侵害のない、世界の人々にとって明るい時代にしていきたい」と述べました。
決議を提出したマイク・ホンダ議員(民主)は一日、「二十世紀は戦時の人権の残虐行為で満ちている。これらの残虐行為を受け入れてこそ、われわれは今日の諸国に共有の人権基準を順守するように迫ることができる」と表明し、安倍首相に行動を迫りました。
同議員は、「われわれがお互いに間違いを指摘し合い、教訓を共有するときに諸国間の強固な友情もまた築かれる」とも強調しました。日米同盟を重視する米国議員たちも、「靖国」派の主張を容認しないとの立場を明確にしています。(ワシントン=鎌塚由美)
「従軍慰安婦」問題 謝罪と補償を要求 ベルリン 日韓市民がスクラム(しんぶん赤旗、8月17日)
【ベルリン=中村美弥子】六十二回目の日本の終戦記念日の十五日、ベルリンでは市民が、旧日本軍の元「従軍慰安婦」への公式な謝罪と補償を日本政府に要求する行動をしました。ベルリン在住の日本人団体と韓国人団体が共催したものです。
場所は、第二次世界大戦中の空襲で破壊されたままの姿を残し、戦争の悲惨さを伝えるカイザー・ウィルフェルム記念教会の前。喪色の黒い服を着た参加者は、アジア各地の元「慰安婦」たちの写真を持ち、日本政府に謝罪を求める横断幕を掲げ、通行する人たちに向けて静かに訴えました。
「韓国だけでなく、アジアの元『慰安婦』のために訴えている」という参加者のアン・チャジョさん(62)。「悲惨な戦争を繰り返さないために、日本人には歴史をきちんと勉強してほしい」と話し、「生きている間、ずっと運動を続ける」と強調しました。
日本人の女性(62)は、「韓国やアジアの人たちにとって戦争はまだ終わっていない」と言い、「慰安婦」問題の解決のために公式な謝罪を日本政府に求めました。
前を通りかかったオランダ人観光客のアニさん(56)とバートさん(57)夫妻は「歴史を振り返るこういう行動はとても大事なこと。日本の首相はただわびるだけでなく、被害者の苦しみを直視し、反省をすべきだ」と語りました。
8月15日の各地の催しと、靖国神社への首相・閣僚参拝をめぐる論調のいくつか。
催しの主催者には「日本会議」の文字も見える。
政治に対する遺族会の影響力低下という声もあれば、首相による年内参拝の可能性に期待を寄せる声もある。
終戦の日、各地で催し 靖国、憲法、「今」を問う(朝日新聞、8月16日)
「終戦の日」の15日、各地で平和を考える催しがあった。敗戦から62年。戦争体験だけでなく靖国参拝や憲法など「今」を問うテーマで人々は思いを語った。
靖国神社の参道での第21回戦没者追悼中央国民集会(英霊にこたえる会、日本会議主催)で、閣僚が参拝しないことに三好達・日本会議会長が「甚だ遺憾に思う」と話すと、1000人以上の参列者から拍手がおこった。
こたえる会の堀江正夫会長も、安倍首相について「(参拝を)期待していただけに、失望の念をぬぐいきれない」。そのうえで「戦後体制からの脱却と美しい日本の再生は当然のことで、首相は信条を曲げてはいけない。胸をはって靖国にお参りしてほしい」。
中曽根首相の靖国神社公式参拝に抗議して86年に結成された平和遺族会全国連絡会は、東京・一ツ橋で集会を開いた。
召集された夫がフィリピンで行方不明になり、戦後に空の遺骨箱を受け取った黒田康子(しずこ)さん(92)は「核保有国が核兵器の禁止を叫んでも、小国がひそかに核保有する時代。日本が平和憲法を持ち非戦を誓ったのは夢だったのか」と述べた。
東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑では、労組などによる「平和フォーラム」が追悼集会を開いた。江橋崇代表は「イラク、アフガンでの戦争は泥沼化し、北朝鮮ではミサイル実験や核実験が強行されている。日本では自衛隊の海外派遣が継続され、核の研究や使用を容認する動きがあった」と危機感を示した。
東京・代々木で16日まで開かれる「平和のための戦争展」では、15日、元兵士の小山一郎さん(86)が、中国・山東省で捕虜を銃剣で刺す訓練や集落の焼き払いに参加した体験を語った。
「短期間のうちに、平気で人を殺せる鬼の心に入れ替えるような訓練をさせられた。『アジア解放』という志とは全然違う行為をしていた。侵略戦争は二度と繰り返してはならない」
東京都千代田区の日本教育会館では「8.15と日本国憲法」と題した集会があり、パネリストの作家、落合恵子さんが「平和の基本は、人権や命です」。
母親を7年間にわたって在宅介護した経験を持つ。福祉サービスを原則1割負担にした障害者自立支援法にも触れ、「国に怒りを感じていた。介護の経験で机のうえの護憲派から、生活者としての護憲派に変わった。自分に引き寄せて平和を考えるしかない」と語った。
靖国自粛の夏 閣僚、参拝1人 首相「あいまい戦術」(朝日新聞、8月16日)
靖国神社の政治風景がすっかり変わった。終戦記念日には90年代初めまで毎年10人を超す閣僚が参拝し、昨年は当時の小泉首相が自ら参拝した。ところが、参拝支持派だった安倍首相が「行くか行かないか申し上げない」と繰り返し、参拝を見送り。参院選大敗で閣内の自粛ムードにも拍車がかかり、閣僚の参拝も1人だけだった。A級戦犯の分祀(ぶんし)論など問題解決に向けた論議も下火となり、靖国をめぐる「政治熱」は急速に冷めつつある。
午前8時20分ごろ、強い日差しが照りつけるなか、黒塗りの車が靖国神社の到着殿に乗り付けた。降りたのは、モーニング姿の小泉前首相。玄関では、日本遺族会の役員が出迎えていた。
だが、安倍首相は姿をみせなかった。参拝しなかった理由を記者団に問われると、首相は「あいまい戦術」を展開した。「参拝した、しなかった、する、しない、外交問題になっている以上、このことを申し上げる考えはございません」
安倍首相はかつては、靖国参拝を続けた小泉前首相の姿勢を支持していた。だが、自民党総裁選を勝ち抜くためには日中関係改善が不可欠とみて、官房長官時代に参拝の有無を明かさない「あいまい戦術」に転換。首相就任直後の昨年10月に訪中して関係改善を果たし、「安倍外交の成果」(周辺)と自負する実績を残した。
閣内にも、そんな首相の戦略を壊すわけにはいかないとの空気が支配的だ。15日にただ一人参拝した高市少子化担当相も「不要な混乱を起こす可能性があれば、ここはこらえようと総理は思っておられる」と代弁した。
さらに、参院選惨敗で政権の求心力は低下しており、これ以上、政権の足を引っ張るようなことは避けたい思いもある。山本金融担当相は「アジアの政治的安定には悲観論が多い。(参拝で)大臣としての行動に支障を来しては残念な結果になる」と語った。
ただ、首相は支持基盤の保守層を無視するわけにもいかない。「靖国神社にとって大事なのは春と秋の例大祭」(周辺)と整理し、首相が4月の例大祭で参列の代わりに供え物を奉納する手を打ったのはそのためだ。
それでも理念重視の安倍路線への懸念は根強い。河野洋平衆院議長は全国戦没者追悼式の追悼の辞で「海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた」と語り、首相が掲げる「戦後レジームからの脱却」を牽制(けんせい)した。
■「分祀」論議も停滞気味
安倍政権では、小泉前政権下で活発だった「靖国論」も停滞している。
「戦没者の英霊をまつるわが国唯一の追悼施設は靖国神社だ。だからこそ、すべての国民が心静かにお参りできる施設であってほしい」。15日朝、靖国神社の社頭で参拝を済ませた日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長は、記者団にこう語った。
古賀氏は昨年5月、靖国神社に合祀(ごうし)されたA級戦犯の分祀論を提唱した。昨年は麻生外相が靖国神社を非宗教法人化して国立追悼施設とする私案を発表するなど、自民党総裁選を意識した靖国論争が熱を帯びていた。
ただ、遺族会では職業軍人の遺族を中心に分祀論に抵抗もあり、古賀氏の提案を受けた議論はなかなか進まない。安倍政権で日中関係が改善に向かっていることも靖国問題先送りの機運を広げている。国立追悼施設建設が持論の公明党から「もう少し論議を深める作業をやり直していかないといけない」(太田代表)との声が出るほどだ。
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長を務める島村宜伸・元文相は15日、集団参拝を終えた記者会見で、閣僚が相次いで靖国参拝を見送る現状を「頼りない。堂々と参拝なさるべきだ」と批判した。ただ、閣僚参拝が1人にとどまった背景には、首相や閣僚の靖国参拝を強く望む遺族会の影響力低下もうかがえる。国のために戦った人たちの慰霊に国がどう向き合うかという根源的な議論は、宙に浮きかねない状況だ。
安倍首相は同日、国立追悼施設の建設について記者団に問われ、「ご遺族の方々のご意見もあると思う。十分慎重に検討しなければならない」と語るだけだった。
色あせる「安倍らしさ」 首相、終戦記念日の靖国参拝見送り(産経新聞、8月16日)
安倍晋三首相は、官房長官だった昨年と同様、靖国神社に姿を見せなかった。官房副長官、自民党幹事長時代には毎年、この日に参拝していただけに、党内外には「安倍さんらしくない」(島村宜伸元農水相)との失望感が広がる。参院選惨敗による求心力の低下と、中国をにらんだ「あいまい戦術」…。参拝した閣僚も1人だけと、すっかり様変わりした感がある今年の終戦記念日は、安倍カラーの色あせぶりを印象づけた。(阿比留瑠比)
「国のために戦い、倒れられた方々に対する尊崇の念、思いは持ち続けなければならない。参拝するしないは、外交問題になっている以上、申し上げる考えはない」
首相は15日、記者団に、在任中は参拝の有無を明言しない考えを改めて強調した。首相周辺によると、首相は昨年9月の就任時に、靖国問題と対中外交のあり方について、次のような原則を決めたという。
靖国参拝に関しては(1)中国などに中止を要求され「参拝しない」とは絶対に言わない(2)靖国にはいつでも行けるというフリーハンドを持ち続け、政府としても「参拝しない」との言質を与えない-の2点だ。それを前提に、拉致問題をはじめとする対北朝鮮外交で中国の協力を得るため、当面はあいまい戦術を取るという戦略だ。
政府高官は「現に、中国は拉致問題に関するかなり詳細な情報を日本側に伝えてきている。北朝鮮の核をめぐる6カ国協議でも、中国は北朝鮮に拉致問題の解決を相当強く要求するようになった」と、一定の成果が上がっていると指摘する。
安倍首相には、靖国問題の主導権はむしろ日本側が握っており、中国と連携し北朝鮮を追いつめなければいけない、との思いがあるのだろう。
しかし、実際には、北朝鮮が拉致問題で大きな譲歩を示す場面はなかった。国民の目からは、首相の15日の参拝見送りは、参院選の敗北で政権基盤が弱体化した首相が、年来の主張を引っ込め弱気に振る舞っているように映るにちがいない。安倍内閣の閣僚16人のうち、参拝したのが高市早苗少子化担当相だけだったことも、そうした印象を強めている。
首相はこの日、秘書官が用意した全国戦没者追悼式での式辞に自ら手を入れた。小泉純一郎前首相の言葉を踏襲した「戦争によって心ならずも命を落とした方々」との表現を、「かけがえのない命を」に改め読み上げた。「心ならずも」の部分に、保守系文化人や議員から「自ら命をささげた戦死者に失礼だ」との批判があったことに考慮したものだ。
ただ、こうした工夫は、玄人受けはしても、大向こうをうならす分かりやすさはない。
「安倍首相には、生まれ変わって強力な指導力と実行力を発揮してもらわないといけない。信念を実行するための原点は、胸を張ってまず靖国神社にお参りすることだ」
靖国神社境内で15日に開催された戦没者追悼集会で、英霊にこたえる会の堀江正夫会長がこう語ると、大きな拍手がわき起こった。
首相は周辺に「年内の靖国参拝を断念したのではない」と漏らしているが、なぜ参拝しなかったのか、国民が納得する説明とともに、「安倍らしさ」を失うことなく体現することを求めたい。
「慰安婦」問題についての記事のいくつかである。
被害者たちによる抗議行動が台湾・フィリピンであり、くわえてフィリピンでは上下両院に「慰安婦」決議案が提出されているという。
「慰安婦問題」謝罪を フィリピン下院に決議案(しんぶん赤旗、8月16日)
【ハノイ=井上歩】第二次大戦中の「従軍慰安婦問題」をめぐり、フィリピンの与野党七人の下院議員が十三日、日本政府に対し、責任を認め、謝罪するよう求める決議案を提出しました。
米下院が七月、日本政府に公式謝罪を求める「従軍慰安婦」決議を採択したことに続こうとする動きです。
決議案は、日本政府に対し「第二次大戦中、若い女性たちを性的奴隷にしたことを公式に認め、謝罪し、責任を認め、犠牲者たちに賠償する」よう求める内容です。
決議案は、「慰安婦」に対する軍の関与と強制性を認めて「心からのおわびと反省」をのべた一九九三年の河野官房長官談話について、「日本の官民の関係者が最近、撤回させるか弱めようとする意図を表明している」と言及しています。
同様の決議案は過去にも数回下院に提出されましたが、採択されていません。上院にも七月、「慰安婦」に関する決議案が提出されています。
比上院にも先月決議案
七月三十一日にフィリピン上院に旧日本軍の従軍「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める決議案を提出したのは、女性議員のコンパネラ・カエターノさんです。同決議案はフィリピン外相に対し、日本の参議院に日本共産党を含む野党が共同で二〇〇三年と〇四年に提出した「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の進ちょく状況の調査を要求しています。
決議案は、米下院外交委員会で六月二十六日に「慰安婦」問題で日本政府に正式謝罪を要求する決議案が採択されたこと、百人余のフィリピン人女性が戦争中に「性的な強制」の犠牲者となったこと、彼女らの尊厳と名誉の回復を急ぐ必要性などに言及。フィリピン外相に、日本の参議院に提出された法案の即時成立に全力をあげるよう求めています。
フィリピンでは一九九三年以降、百七十人が「慰安婦」だったと名乗り出ています。安倍首相が今年三月一日、「慰安婦」問題で「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と述べた時には、フィリピンでも強い抗議の声があがりました。
その際、フランクリン・エブダリン外務次官は「日本政府が、一九九三年の河野官房長官による性奴隷についての謝罪や、二〇〇二年の小泉首相がフィリピンの(元)『慰安婦』たちに送った謝罪の手紙の言葉と内容を順守するよう求める」(三月五日)と語っています。(宮崎清明)
【台北15日時事】旧日本軍の慰安婦として働かされたとする台湾人女性や支援者ら約70人が終戦記念日の15日、台北市内の日本の対台湾窓口、交流協会台北事務所周辺で抗議集会を開いた。
集会には元慰安婦8人が参加。若者を中心とする支援者らとともに、日本政府による公式謝罪と補償を求めた。支援団体によると、台湾の元慰安婦の生存者は25人、平均年齢は86歳になるという。
日本大使館前で元慰安婦ら抗議 フィリピン(U.S.FrontLine、8月15日)
フィリピンの元慰安婦らと支援者約50人が14日と15日の2日間、マニラの日本大使館前で日本政府の公式謝罪などを求め抗議デモを行った。旧日本軍に性的暴行を受けたと訴える女性15人も参加した。
15日のデモに参加したマクシマ・デラ・クルズさん(78)は「日本政府がわたしたちに耳を傾けるまで、何度でもデモを行う」と話した。(共同)
4年ゼミ生U野さんの取り組みである。
終わらない「従軍慰安婦問題」 女子大生が交流体験発表(神戸新聞、8月16日)
六十二回目の終戦記念日の十五日、各地でさまざまな集いや催しが開かれた。神戸市内であった集会では、大学に入って初めて「従軍慰安婦」の問題を知った女子学生が、韓国で被害者と交流した体験を話した。今年三月、安倍晋三首相が「強制性の証拠はなかった」と発言。七月末には、米下院本会議が日本政府の公式謝罪を求める異例の決議案を可決した。女子学生は訴えた。「ハルモニ(おばあさん)の傷は今も消えません。日本政府は一日も早く、心から謝罪して」。
市民団体「兵庫の語りつごう戦争展の会」が開いた「8・15平和のつどい」。約八十人の参加者を前に、神戸女学院大文学部(西宮市)の女子学生(21)が語った。
同学部のゼミで慰安婦を取り上げた文献を読み、映像資料を見た。靖国神社の戦史博物館「遊就館」も見学した。
昨年九月、ゼミ生らと、韓国・ソウル郊外にある元慰安婦が共同生活をする「ナヌム(分かち合い)の家」を訪ねた。
体を洗うのに使った金だらいや配給された避妊具の展示品、再現された慰安所の暗い小部屋に言葉を失った。「十五歳で連れて行かれました」「食事をする間もなく相手をさせられた」。高齢の女性が、忌まわしい記憶を淡々と話した。
帰国後は、ゼミ生とともに韓国での体験を各地の講演会などで話した。歴史認識をめぐって、参加者と論争することもあるという。
この日は、元慰安婦たちの姿をスライドで紹介し、「ハルモニが謝罪を求めているのは、『忘れないで』というメッセージだと思います」。家族がこうした活動を賛成していないことも正直に語った。
集会後、は女子学生「教科書に出てくる慰安婦の記述はほんの少し。日本の十代にこの問題を伝えるため、私に何ができるのか、これからも考えたい」と話した。(竹内 章)
「不戦の誓い」を語りながら、自衛隊海外派兵の準備を着々とすすめる安倍首相の二枚舌は、内外世論の中での孤立のあらわれということでもあるわけだ。
河野氏は「日本軍の一部による非人道的な行為」への謝罪とお見舞いを語り、江田氏は「侵略行為と植民地支配」による加害を語った。
首相「不戦の誓い堅持」 全国戦没者追悼式 靖国参拝は見送り、62回目終戦の日(東京新聞、8月15日)
62回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、参列した遺族ら約6千人が平和への誓いを新たにした。安倍晋三首相は式辞で「不戦の誓いを堅持し、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していく」と決意を述べた。安倍首相は、この日の靖国神社への参拝を見送る見通しだ。
追悼式には天皇、皇后両陛下をはじめ、衆参両院議長、最高裁長官、各界代表らが参列した。
式典は午前11時51分に開会し、君が代を斉唱。安倍首相は式辞で戦争の加害責任に触れ「わが国は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と述べ、深い反省と犠牲者への哀悼の意を表明した。
天皇陛下は「戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」とお言葉を述べられた。
河野洋平衆院議長は追悼の辞で「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい」、江田五月参院議長も「わが国の侵略行為と植民地支配により、アジア諸国をはじめとする多くの人々に多大な苦しみと悲しみを与えた」と加害責任を明確に述べた。遺族代表で、父を中国で亡くした団体役員高桑国三さん(71)=秋田県男鹿市=は「わが国の平和と自由を守り、世界平和のため、誠心誠意努力することを心から誓う」と追悼の辞を述べた。
正午の時報に合わせ、全員で1分間黙とう。戦死した軍人・軍属約230万人と、空襲などで亡くなった民間の約80万人の冥福を祈った。
参列者は戦没者の子供が約3分の2を占める一方、妻は全体の約2%に減るなど世代交代が急激に進んでいる。親の参列は、101歳5カ月の松岡コトさん=東京都杉並区=1人だけで、松岡さんはこれまでの101歳4カ月を上回る過去最高齢となった。最年少は、曾祖父が戦死した中屋穂香さん(10)=高知市。
◆高市大臣が参拝へ
安倍晋三首相は終戦記念日の15日午前、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ、献花した。一方、首相は靖国神社参拝は見送る。16人いる閣僚では、高市早苗沖縄・北方対策担当相が午後に参拝する意向だ。
首相が参拝を見送るのは、中国、韓国両国が強く反対している上、参院選惨敗により政権基盤が弱体化しているため、これ以上の政局の混乱を避けようという判断が働いたとみられる。
安倍首相は就任前から「靖国問題が外交、政治問題化している中で、参拝したか、しないかについて申し上げるつもりはない」と参拝の意思や事実関係を明らかにしない考えを示してきた。14日も記者団に「今まで申し上げてきた通りだ」と明言を避けた。
とりあえず、参拝者については以下のようなことであるらしい。
安倍首相は千鳥ヶ淵へ、小泉前首相は靖国へ、朝まで行かないといっていた高市大臣が午後参拝。
46議員が靖国集団参拝 超党派、政府から6人(中日新聞、8月15日)
超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・島村宜伸元農相)のメンバーは終戦記念日の15日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。
自民党の堀内光雄元通産相、玉沢徳一郎元農相ら衆参議員41人や、民主党の渡辺秀央元郵政相ら参院議員4人に、新党大地の鈴木宗男元官房副長官を加えた計46人(ほかに代理100人)が参加した。政府関係では内閣府の平沢勝栄、総務省の田村憲久両副大臣、国土交通省の梶山弘志、総務省の土屋正忠、文部科学省の水落敏栄各政務官、山谷えり子首相補佐官が含まれる。
国会議員の会の参拝に先立ち、自民党の古賀誠元幹事長、中谷元・元防衛庁長官もそれぞれ参拝した。
島村氏は参拝後の記者会見で、安倍晋三首相の参拝見送りについて「安倍さんらしくない。参るべきだ。(秋の例大祭での参拝を)当然、希望している」と強調。閣僚が参拝しないことに関しても「頼りない。堂々と参拝すべきだ」と批判した。(共同)
高市沖縄相は15日午後、東京・九段北の靖国神社を参拝した。
高市氏は同日午前の閣議後の記者会見では「今朝は靖国神社の中が騒然としていて静かに社頭で祈りをささげられる状況でない」と語り、終戦記念日の参拝はしない意向を示していた。その後、「警備当局から静かに参拝できる状況が整ったという連絡を受けた」(同氏周辺)として、同日午後に参拝することにしたという。
昨年の終戦記念日は当時の小泉首相のほか中川昭一農相、沓掛哲男防災相の2閣僚が同神社を参拝した。
アメリカ下院の「慰安婦」決議案を採択させる上で、大きな役割を果たしたといわれる徐玉子氏へのインタビュー。
「慰安婦」問題は国際的な人権問題、国民・議員への説得、有権者署名、70もの大学での慰安婦関連セミナーなど、知恵のある、大きく粘り強い取り組みだったことがわかる。
慰安婦:徐玉子教授「日本のロビーは強力だった」(朝鮮日報、8月13日)
米下院が旧日本軍の「性の奴隷」(慰安婦)決議案を満場一致で採択した先月30日、ワシントン・バイブル・カレッジの徐玉子(ソ・オクジャ)教授は感激の涙が止まらなかった。
「万感の思いがよぎったのです。マメだらけになった足を塩水に浸しながら米国人たちに支持を呼びかけ署名を集めたり、各議員のもとを訪れたりして、泣きながら訴えた記憶がよみがえりました。何よりもナヌムの家(元慰安婦の共同生活施設)の皆さんが喜ぶと思うと、涙があふれてきました。
ワシントン慰安婦問題連合(WCCW)の委員長も務める徐教授は、ニューヨーク韓人有権者センターのキム・ドンソク所長らとともに「慰安婦」決議案が米議会で採択されるのに決定的な役割を果たしてきた。2001年から委員長を務め、在米韓国系社会の力を示した徐教授が先週、ソウル入りした。12日には京畿道退村にある「ナヌムの家」を訪れ、「慰安婦決議案の発議から採択まで」をテーマに講演を行った後、元慰安婦の女性たちと共に「アリラン」を歌い、採択を祝った。
徐教授は「2月15日に米下院外交委員会のアジア太平洋環境小委員会で開かれた慰安婦聴聞会は永遠に忘れられないだろう」と語った。「聴聞会の前に、控室で決議案を主導したマイク・ホンダ議員やエニ・ファレオマバエガ議員に会ったのですが、雄弁で勇気もある元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さんが手でハートのマークを作ると、“大好きだよ~ありがとう~”とおっしゃったので、大笑いしました。李さんは聴聞会でも発言時間の5分をオーバーし1時間以上も歴史の真実を語った後、またハートのサインを送ったので、涙を流していた傍聴席は一転爆笑に包まれ、なかなか元の気持ちに戻れませんでした」
レイン・エバンス前民主党議員らは米議会に2度も「慰安婦」決議案を提出したが、昨年12月に2度目の棄却が決まったときは暗たんとしていた。「パーキンソン病を患っていたエバンス議員でさえ、政界を引退していたので、これで決議案は永久に忘れ去られてしまうのでは…と考えたそうです。日本のロビイストたちの攻勢も強力なものでした」
それでもあきらめなかった。エバンス前議員の「決議案のともしび」を受け継ぐことを宣言したマイク・ホンダ議員が今年の1月、再び「慰安婦」決議案を議会に提出したのを機に、徐教授とWCCWはニューヨーク・チーム、ワシントン・チーム、ロサンゼルス・チームで分かれ米国民や議員に集中的に説得した。
「議員たちは各選挙区の有権者を一番おそれていますから。米国人10万人の署名を集めるため、口の中が荒れてしまうほどでした(笑)」
「慰安婦問題は韓日両国ではなく、国際的な人権問題」という認識を植え付けるため努力し始めたのもこのときからだ。2月の聴聞会で韓国の元慰安婦だけでなく、オランダのヤン・ルフ・オヘルネさんを出席させたのもそのため。結局、6月26日に「39対2」という圧倒的な票差で「慰安婦」決議案は外交委員会で採択され、7月30日に満場一致で本会議でも採択された。もちろんこれが終りではない。「日本政府が公式に謝罪するまで戦わなければ。米国内の70大学を回り、慰安婦問題関連セミナーを開いてきましたが、これも続けていくつもりです。若い世代も歴史の真実を知るべきです」
感謝したい人は大勢いるが、徐教授にとっては米議会で慰安婦問題を初めて議題化したエバンス前議員こそ、その人だ。2000年に慰安婦問題で初めて出会った2人は長年の友人であり、今は恋人同士だ。
金潤徳(キム・ユンドク)記者 朝鮮日報/朝鮮日報JNS
フィリピンでも「慰安婦」決議案が提出されているという。
被害者が生存するこれらの国々からの訴えは、あらためて活力を得ていくことになりそうだ。
比でも慰安婦決議案提出 上院、日本に謝罪要求(山陽新聞、8月11日)
【マニラ11日共同】第2次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に謝罪などを求める決議案が11日までに、フィリピン上院に提出された。下院でも同様の動きがあり、同国の元慰安婦らがつくる団体などは同日、米下院本会議が7月末に可決した決議を評価するとともに、フィリピン上下両院での動きを歓迎する声明を発表した。
決議案は日本政府の公式謝罪と補償や、フィリピン政府の医療支援などを求める内容。野党議員が7月末に提出した。過去にも提出例があるが、元慰安婦のフリア・ポラスさん(78)は「フィリピン議会が米議会と連帯することを願う」と訴えた。下院では今月中旬に野党議員数人が連名で提出する予定。
敗戦の日に、靖国への参拝閣僚がゼロになるのは、1950年代半ば以降初めてのことであるというから驚きである。
選挙での大敗にくわえて、政冷経涼の改善を求める財界、靖国史観の強まりに対するアメリカの「警戒」も影響しているのだろう。
靖国参拝、全16閣僚が15日見送り 50年代半ば以降初めて(中日新聞、8月10日夕刊)
安倍内閣の十六閣僚全員が終戦記念日の十五日に靖国神社に参拝しない意向を十日の記者会見などで表明した。安倍晋三首相も見送りの方向なのに加え、中国、韓国との関係改善が進んでいることへの配慮が背景にありそうだ。閣僚の終戦記念日の大量参拝が始まった一九五〇年代半ば以降、参拝閣僚がゼロとなるのは初めてとみられる。
見送る理由として塩崎恭久官房長官は「私の信条でいつも決めていること」と説明。伊吹文明文部科学相は「宗務行政の所管大臣として、公平を期すため」と職務上の理由を挙げた。
公明党の冬柴鉄三国土交通相は「宗旨が違うから」と明言した上で、他の閣僚について「枢要な地位にある人には隣人の気持ちを配慮する気持ちは必要」と述べ、首相、外相、官房長官の参拝は不適切との認識を示した。
溝手顕正防災担当相は「行ったことがない」と表明。山本有二金融担当相は「公的立場の参拝は歴史的経緯からアジアの政治的安定を害する」と指摘した。
このほか、外遊など公務で参拝できないとしたのは麻生太郎外相、高市早苗沖縄北方担当相、柳沢伯夫厚生労働相ら。一方、菅義偉総務相、長勢甚遠法相、高市氏は「毎年、何回も参拝している」(菅氏)などとして、閣僚就任後、既に参拝していることを明らかにした。
安倍首相は九日、記者団に対し「行く、行かないについて明言する考えはない」と述べた。訪米中の小池百合子防衛相も、記者団に参拝しない意向を表明していた。
昭和天皇がA級戦犯合祀に「反対」の考えを持っていたことの理由が周辺人物によって語られた。
「反対」の理由の1つは、それによって「祭神の性格が変わる」ということで、2つは「戦争に関係した国」との間に「禍根を残す」ということだったらしい。
昭和天皇のA級合祀反対 『関係国と禍根残す』元侍従長発言、歌人に語る(東京新聞、8月4日)
靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に対する昭和天皇の考えとして「戦死者の霊を鎮めるという社(やしろ)の性格が変わる」「戦争に関係した国と将来、深い禍根を残すことになる」との懸念を、故徳川義寛元侍従長が歌人の岡野弘彦氏(83)に伝えていたことが三日、分かった。昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示していたことは、富田朝彦元宮内庁長官のメモなどで判明しているが、具体的な理由までは明らかになっていなかった。A級戦犯合祀をめぐる論議にあらためて一石を投じそうだ。
合祀への懸念は、昭和天皇の側近トップだった徳川元侍従長が一九八六年秋ごろ、昭和時代から皇室の和歌の指導に当たってきた岡野氏に明かした。岡野氏も昨年末にまとめた昭和天皇の和歌の解説書「四季の歌」の中で触れている。
岡野氏によると、徳川元侍従長が昭和天皇の和歌数十首について相談するため、当時岡野氏が勤めていた国学院大を訪れた。持ち込んだ和歌のうち八六年の終戦記念日に合わせて詠んだ「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」という一首が話題になり、岡野氏が「うれひ」の内容を尋ねると、徳川元侍従長がA級戦犯合祀に言及。「お上(昭和天皇)はA級戦犯合祀に反対の考えを持っておられた。理由は二つある」と切り出した。
その上で「一つは(靖国神社は)国のために戦に臨んで戦死した人々のみ霊を鎮める社であるのにそのご祭神の性格が変わるとお思いになっておられる」と説明。さらに「戦争に関係した国と将来、深い禍根を残すことになるとのお考え」と明言したという。
元侍従長は「こうした『うれひ』をはっきりお歌になさっては差し障りがあるので少し婉曲(えんきょく)にしていただいた」と話したという。
昭和天皇は戦後、靖国神社を八回参拝したが、A級戦犯合祀が明らかになる前の七五年十一月が最後だった。
A級合祀「靖国の性格変わる」 昭和天皇が側近に(朝日新聞、8月4日)
靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)について、昭和天皇が「戦死者の霊を鎮める社であるのに、その性格が変わる」などと憂えていたと故徳川義寛・元侍従長が語っていたことがわかった。歌人で皇室の和歌の相談役を務めてきた岡野弘彦氏(83)が、徳川元侍従長の証言として、昨年末に出版した著書で明らかにしていた。
著書は、「四季の歌」(同朋舎メディアプラン)。同書によると、86年秋ごろ、徳川元侍従長が、岡野氏を訪れた。3~4カ月に1度、昭和天皇の歌が30~40首たまったところで相談するため会う習慣になっていた。
その中に、靖国神社について触れた「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」という1首があった。
岡野氏が「うれひ」の理由が歌の表現だけでは十分に伝わらないと指摘すると、徳川元侍従長は「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです」と述べたうえで「お上はそのことに反対の考えを持っていられました。その理由は二つある」と語り、「一つは(靖国神社は)国のために戦にのぞんで戦死した人々のみ霊を鎮める社であるのに、そのご祭神の性格が変わるとお思いになっていること」と説明。さらに「もう一つは、あの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとのお考えなのです」と述べたという。
さらに徳川元侍従長は「それをあまりはっきりとお歌いになっては、差し支えがあるので、少し婉曲(えんきょく)にしていただいたのです」と述べたという。
昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示していたことは、朝日新聞社に対する徳川元侍従長の証言(95年)や、富田朝彦元宮内庁長官のメモ(06年)、卜部亮吾侍従の日記(07年)でも明らかになっていた。
先の「産経」の記事は、ホンダ議員の背後にあった決議の「真の推進者」が中国系の団体だったと述べていたが、当のホンダ議員は、「在米韓国系団体」の大きな役割について述べている。
慰安婦決議を推進したホンダ議員に聞く(上)(朝鮮日報、8月6日)
先月31日、第2次世界大戦当時の旧日本軍による「慰安婦(性の奴隷)」実態について日本政府の公式謝罪を要求する決議案が米下院で採択された。これを提出したマイク・ホンダ議員(民主党)は3日、「北米全域で韓国系の人々が決議案採択のために行った努力は評価しきれないほどだ。非常に価値あるものだった」と述べた。
ホンダ議員は決議文採択後の同日、米議会議事堂のロングワース内にある自身の事務室で、韓国メディアとしては初めて本紙のインタビューを受けた。ホンダ議員は日本の歴史歪曲問題をめぐり韓日間で確執が続いていることについて、「1つの国が歴史的な事実を変えようとしてはならない」と日本を批判した。また、ホンダ議員は自身の選挙区で永住権問題により国外追放の危機に瀕している在米韓国人275人に対し、韓国政府と国民の関心を求めた。
--あなたは日系3世だが、日本に批判的な決議案を出すのに困難なことはなかった?
「(断固とした口調で)そうした問題で困難に直面したことはなかった。家族は同意しなかった。だが、決議案推進に反対することもなかった」
--1937年の日本による南京大虐殺についても、日本政府の公式謝罪を要求する決議案を推進する予定は?
「南京虐殺についても取り上げようと考えている。(しばらく考えた後で)今、その問題について言及するのは時期尚早だ」
--「性の奴隷」決議文採択まで、韓国系の人々の支持はどれほど助けになった?
「決議文採択のため、在米韓国系団体はアラバマ・シアトル・ロサンゼルス・トロント・バンクーバー・ニューヨーク・フロリダなど北米全域で多大な努力をした。韓国系の人々の努力は評価しきれないほど非常に価値あるものだった」
--具体的には?
「ワシントンにいる韓国系の人々は下院議員を直接訪問したり、電話で決議案採択を支持してほしいと要請した。韓国系社会はこの決議案がどれだけ重要か、下院議員たちがきちんと理解できるようにするため大きな役割を果たした」
ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
慰安婦決議を推進したホンダ議員に聞く(下)(朝鮮日報、8月6日)
--日本の歴史歪曲をめぐり韓日間に確執が続いているが。
「日本帝国主義の残酷な行為については、おそらく多くの証拠があるだろう。私は1つの国が歴史的な事実を変えようとしてはいけないと考える。国は過去の歴史的な事実を直視すべきだ。それは米国も同じだ。民主主義の国では、こうした歴史的な事実を教え、伝えることが重要だ」
--普段から正義や平和の問題について多く語っているが。
「真実を追い求め、これについて語るのが重要だと思っている。良い市民になるためにも、歴史的な事実から学ぶことが必要だ。平和とは紛争のない状態ではなく、どのようにその紛争を扱うかという問題だ。戦争は非常に古い概念で、それから離れなければならない」
--韓国ではホンダ議員に対する関心が高いが、近く韓国を訪問する計画は?
「年内は難しいが、家族と共に近い将来、韓国を訪問するつもりだ。私は南北(朝鮮)の和解にも関心がある。統一のための手続きが順調に進むことを望んでいる」
--選挙区の在米韓国人275人の国外追放危機について、具体的に教えてほしい。
「カリフォルニア地域の在米韓国人が永住権を手に入れるため移民ブローカーに金を渡したが、ブローカーが米移民帰化局(INS)の職員を買収していたことが明らかになった。このためこれらの韓国人が国外追放の危機に追い込まれている。私は彼らを救済するために、決議案第1397号を提出した」
--どんな措置が取られることを望んでいる?
「彼らに対し米連邦当局が是正措置を下すよう、韓国政府が積極的に要請することを希望する。また、関心を持つ韓国の人々が米当局に対し、彼らへの善処を訴える手紙を書けば一助となるだろう」
ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
「慰安婦」問題での日本政府に対するアメリカ政府の姿勢は、1)「河野談話」から後退するな、2)日米同盟を堅持せよとのものである。
これは4月27日の日米首脳会談でブッシュ大統領が要請したものとまったく同じ。
日米同盟の推進にとり、靖国派が強くなりすぎることがジャマになるとの認識である。
慰安婦問題、日本側の対応に理解 米国務副長官(朝日新聞、8月3日)
来日中のネグロポンテ米国務副長官は3日、東京都内の米国大使館での記者会見で、従軍慰安婦問題について日本の首相が公式に謝罪するよう求める決議を米下院本会議が採択したことに触れ、「第2次大戦中に起きた女性の人身売買については、遺憾なことであり、重大な人権侵害だ。被害者に深い同情の念を覚える」と述べ、日本に歴史的な責任があるとの考えを示した。そのうえで、「日本政府は、この問題について、歴代の政府による謝罪を含めた措置をとってきた。昨年の10月に安倍首相は、過去の声明(河野官房長官談話)を再確認している」と述べ、日本側の対応に理解を示した。
また、「日米関係は強固であり、慰安婦決議によって、その状況が変わることはない」「米議会の中に日本に対する友好の気持ちはたくさんある」などとも語った。
米下院の「慰安婦」決議採択を推進したホンダ議員が、「中国系反日団体」と強い結びつきをもっていたとの記事である。
それは国際政治の力学をとらえるうえでは、ひとつの大切な事実であろうが、しかし、それをいうなら日本政府もまた下院議員への活発なロビイングを繰り返してきた。
なにより肝心な問題は、決議推進の背後にどのような団体があったとしても、「慰安婦」問題をめぐる史実への評価がそれによって変わるということはないということである。
ホンダ議員、慰安婦決議採択直後に明言 中国系団体が主導(産経新聞、8月3日)
【ワシントン=古森義久】米国下院は慰安婦問題で日本を糾弾する決議を採択したが、この決議を主導したマイク・ホンダ議員(民主党、カリフォルニア州選出)は採択直後の記者会見で、最初に在米の中国系反日団体への感謝を述べ、同団体が長年にわたり慰安婦問題に関する同議員の日本非難の活動にとって最大の推進力となってきたことを明言した。
ホンダ議員は7月30日の同会見で冒頭、「感謝」の対象として真っ先に在米中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(以下、抗日連合会)の名をあげ、次のように語った。
「1999年、この団体がアジアで起きたことの映像展示会を開き、その一つが慰安婦問題だった。そして同団体の指導と主唱が私たち議員事務所、私個人にとっての最初の(同問題への)かかわりとなった。同団体の主唱こそが私に情報と推進力を与え、カリフォルニア州議会で共同決議を採択させた」
同州議会での決議は慰安婦問題などで日本政府に謝罪や賠償を求める内容で、賠償を除いては今回の連邦議会下院での決議と同趣旨だった。州議会での決議案は抗日連合会の幹部連がホンダ議員と「ともに書き、共闘で成立させた」と明言していた。同幹部連は以後もホンダ氏が連邦議会下院選に出る際に政治献金などで全面支援し、2001年から今回まで合計4回の慰安婦決議案提出でも背後の推進力となったことを同様に地元マスコミなどに明かしてきた。
連邦議会での同決議案推進のロビー工作には韓国系の「ワシントン慰安婦連合」などという団体が表面に出ていたが、ホンダ議員は決議案採択後の会見では同団体に言及もせず、真の推進役が中国系の抗日連合会であることを期せずして明示した。また決議案の審理中もホンダ議員は中国系とのかかわりを語ることはなかった。
ホンダ議員は同会見で「中国政府から指令されてはいない」と強調した。
しかし抗日連合会は1994年にカリフォルニア州で結成され、幹部はみな中国系の米人や永住権保持者だとはいえ、2005年春には中国政府の意向を受ける形で日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名を4200万人分も集めたと発表したほか、02年には中国当局の協力を得て上海で第二次大戦の賠償に関する国際法会議を開くなど、中国との密接なきずなを明示してきた。
ホンダ議員の選挙区に本部を置く抗日連合会はさらに1997年には南京事件に関する欠陥書の「レイプ・オブ・南京」(アイリス・チャン著)の宣伝や販売に総力を投入したほか、昨年には「クリント・イーストウッド監督が南京大虐殺の映画を作る」というデマの発信源ともなった。
他方、今回の慰安婦決議では日本側の最近の動向に対応して米国議会が自主的に批判の動きをとり、韓国系団体が同調するという構図が提示されてきた。だがホンダ議員が中国系の抗日連合会こそ日本糾弾の真の推進役であることを初めて明らかにし、しかもその団体が中国当局の意向を反映し、恒常的に歴史問題での日本非難の構えを取ってきた実態と合わせて、いわゆる慰安婦問題での真実の構図は従来の表面上の印象とはまったく異なることが証されたといえる。
次は米兵捕虜補償 中国系反日組織 ホンダ議員と会談(産経新聞、8月5日)
【ワシントン=山本秀也】米下院で慰安婦問題をめぐる対日非難決議採択を主導したマイク・ホンダ議員(民主党)が、先月30日の決議採択後、「世界抗日戦争史実維護連合会」(GA)など、米国、カナダの中国系反日組織の主なメンバーと会談していたことが分かった。組織側は、第二次世界大戦中の米兵捕虜に対する補償問題を新たな対日活動の目標として取り上げる方針を示したほか、カナダ国会での慰安婦決議案採択も急ぐ構えだ。
ホンダ氏は決議採択後の記者会見で、採択実現に向けた同連合会の支援に「感謝」を表明していたが、決議後の連携維持を示す会談はこれまで確認されていなかった。
米国で発行される中国語紙「世界日報」によると、会談は国会内のホンダ議員の事務所で行われ、同連合会世界総会(サンフランシスコ)の張昭富氏らのほか、カナダで連帯活動を進めるジョセフ・ウォン(王裕佳)氏が参加した。
出席者はホンダ氏への謝意を伝え、決議採択を「大戦の史実を示す活動にとり重要な一里塚だ」と評価。ワシントンで活動する蔡徳●氏は、米兵捕虜に対する補償問題を筆頭に、各地の組織と連携して「日本の戦争犯罪」に関する案件に取り組む考えを示した。
さきの大戦中の日本企業による米兵捕虜の強制労働は、過去にも元捕虜による米国内での対日訴訟やこれを支援する法案が米下院に上程されているが、「サンフランシスコ講和条約で解決済み」とする日米両政府の了解や、連邦最高裁の棄却判断(2003年)で沈静化していた。
一方、カナダの中国系組織は棚上げ状態にある同様の決議案の採択を促す署名活動を展開、同国会での採択を目指す。「日本は戦後のドイツにならい戦争犯罪を反省すべきだ」と訴えており、米下院での決議を弾みにした活動を展開する構えだ。
●=木へんに梁
以下、「女たちの戦争と平和資料館」のメーリングリストを通じて得た情報です。英文は省略してあります。
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【共同提言・転送歓迎】
【長文・重複投稿お許し下さい】
VAWW-NETジャパンML会員の皆様
支援者・関連各ML関係者の皆様
本日7月31日午後1時より、日本戦争責任資料センター・アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館(wam)・「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NET Japan)の三団体は共同で、提言「日本軍『慰安婦』問題における謝罪には何が必要か」を発表し、安倍内閣総理大臣宛として内閣府に上記の提言を提出しました。
また、これを受けて本日午後2時より、発表と内閣府への提出を知らせる記者会見を開きました(発言者 西野瑠美子・吉見義明・藍谷邦雄・川田文子(発言順・敬称略))。
提言(日本語・英語訳)を以下の通り全文を貼付けてお送りします。
米国下院本会議では「慰安婦」決議が採択されました。数々の国際機関による勧告を無視し、被害者への謝罪を端緒とする真の解決を拒み続ける日本政府に、私たちはこれからも被害者に向き合った責任のとり方を求め続けます。
VAWW-NET ジャパン事務局(メール送信)
******以下声明(日) 転送歓迎******
提 言
日本軍「慰安婦」問題における謝罪には何が必要か
アメリカ議会下院に「慰安婦」決議案が提出されたことを機に、安倍首相は「慰安婦」問題における旧日本軍の強制性を否定する発言をおこない、今もそれを撤回していない。しかし、強制性に関する事実関係はアジア各地の被害女性から証言がなされており、被害女性の闘いにより日本の最高裁判所の判決でも認定されているものであり、かつ、これまで積み上げられた調査・研究からも明らかである。
日本政府は「これまで何度も謝罪した」とくりかえすが、それは被害女性たちの納得を得る謝罪ではなかった。その理由は第一に、これらの「謝罪」が国家の責任を明確かつ公的に表明したうえでなされなかったこと、第二に、「慰安婦」問題に対する国の責任を否定する言説が、閣僚を含めて繰り返されたことにより謝罪の信頼が失われたこと、第三に、教科書から「慰安婦」に関する記述が激減したことを「良かった」とする閣僚発言等が野放しにされ、事実に基づいた認識を培うべき教育への取り組みがなされてこなかったこと、第四に、謝罪が全地域の被害者個人に直接届けられなかったこと、第五に、謝罪とは賠償を伴うものであるが、それがなされてこなかったこと、などである。
被害国をはじめ国際社会が日本の対応を注視している今、被害者が納得する謝罪とはどのようなものか、また、日本は何をなすべきかを考えなければならない。そこで、これまで「慰安婦」裁判を支援し、あるいは調査・研究に取り組むなどして「慰安婦」問題の真の解決を願ってきた立場から、日本政府がいかなる対応をとることが必要であるかについて、私たちは提言する。
提 言
1、 日本政府は、旧日本軍および日本政府が、満州事変開始からアジア太平洋戦争の終結までの間、植民地や占領地などの女性を本人の意思に反して「慰安婦」にし、強制的に性奴隷状態においたこと、及びこうした行為が当時の人権水準に照らしても違法なものであったことを明確に認めること。
2、 その上で、日本政府または国会は、閣議決定や国会決議などの公的な形をもって、日本国家としての責任を明確にした謝罪を表明すること。
3、 日本政府は、被害を与えた全ての地域の女性たち一人ひとりに、謝罪の手紙を届けること。
4、 この謝罪の意を示すため、日本政府は被害者に対して新たな立法をもって賠償金の支払をおこなうこと。
なお、この謝罪が日本の真意であることを表わすため、以下の措置を講じる。
・ 日本政府は、全ての非公開文書を公開し、十全な真相究明を行うこと。また、被害国すべての被害実態を調査し、様々な被害の実態を認識すること。
・ 日本政府は、この問題を後世に正しく伝え、再び同じことが繰り返されないよう、教育的施策を講じること。
・ 日本政府は、日本軍「慰安婦」制度の強制性・犯罪性を否定するいかなる言動に対しても、毅然とした態度で反駁し、被害者の尊厳を守ること。
以上、提言する。
2007年7月31日
日本の戦争責任資料センター
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」
【賛同団体】
戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会
フィリピン人元「従軍慰安婦」を支援する会
フィリピン元「慰安婦」支援ネット三多摩(ロラネット)
フィリピン人元「慰安婦」と共にLUNAS・ルナス
日本カトリック正義と平和協議会
在日の「慰安婦」裁判を支える会
中国人「慰安婦」裁判を支援する会
山西省・明らかにする会
台湾の元「慰安婦」裁判を支える会
ハイナン・ネット
日本軍「慰安婦」問題行動ネットワーク
日本キリスト教協議会(NCC)女性委員会
売買春問題ととりくむ会
強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク
旧日本軍による性的被害女性を支える会
在日韓国民主女性会
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会
東ティモール全国協議会
日本軍「慰安婦」歴史館後援会
カトリック東京教区正義と平和委員会
日本キリスト教会 日本軍「慰安婦」問題と取り組む会
日本キリスト教婦人矯風会
早よつくろう!「慰安婦」問題解決法・ネットふくおか
「慰安婦」問題と取り組む九州キリスト者の会
女性エンパワーメントセンター福岡
過去を克服して共生のアジアをめざす共同行動実行委員会
全国同時企画・福岡実行委員会
関釜裁判を支える広島連絡会
平和(ぴょんふぁ)会
Maluの会(日本軍占領期東ティモール性奴隷制に取り組む会)
あづみの道草あかとんぼの会
日本軍性奴隷問題の解決を求める会in大阪
連絡先:
日本の戦争責任資料センター
新宿区高田馬場1-28-7-607 〒169-0075
tel/fax 03-3204-7477
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」
新宿区西早稲田2-3-18 AVACOビル2F 〒169-0051
tel: 03-3202-4633 fax: 03-3202-4634
米下院本会議における「慰安婦」決議採択に関連した記事。
安倍氏等による靖国派外交路線が、世界に通じるものでないことは、あまりにも明らか。
アメリカ政府の思惑は様々だろうが、それがこのような形であらわれずにおれないことの根底には、「慰安婦」問題に限らず、戦時性暴力への裁きをすすめる国際社会の動きがある。
米下院が「慰安婦」決議 日本政府に謝罪要求 本会議初採択 「歴史の責任認めよ」(しんぶん赤旗、8月1日)
【ワシントン=鎌塚由美】米議会下院本会議は三十日、アジア太平洋戦争中に日本軍によって性奴隷にされた元「慰安婦」たちに対し日本政府が公式な謝罪を行うよう求める決議を採択しました。「慰安婦」問題での米下院本会議決議は初めてです。
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本会議で三十分にわたる討論の後、声や拍手で賛意を示す発声投票にかけられ、反対なしで可決されました。傍聴席では、二月の公聴会で証言した元「慰安婦」の李容洙さんらが静かに見守りました。
決議には、民主、共和両党の百六十七人の議員が共同提案者として名を連ねました。
決議は、日本軍が女性たちを「慰安婦」という性奴隷にしたことを「(日本政府が)十分に認め、謝罪し、明確であいまいでないやり方で歴史の責任を受け入れよ」と迫り、首相が公式に謝罪をするなら、「これまでの諸声明の誠実さとその地位をめぐり繰り返されてきた問題を解くことに貢献する」と述べています。
本会議の討論で、ラントス外交委員長は「非人道的な振る舞いについて全面的に認め、真実のすべてに光が当てられなければならない。このことは国家間の和解に不可欠だ」と語りました。さらに、「靖国」派国会議員による「慰安婦」強制を否定したワシントン・ポスト紙への全面広告に改めて言及し、「すべての『慰安婦』は喜んで強制され合意の上だったと断じる者は、『レイプ』という言葉の意味を理解していないだけだ」と厳しく非難しました。
ペロシ下院議長は採択後に声明を発表し、「決議は、『慰安婦』たちの真実と認知を求めるたたかいを米議会が支持するという強いシグナル」だと指摘し、日本政府の行動を促しました。
傍聴のために訪米した元「慰安婦」の李容洙さんは、「採決は、米市民社会と世界の良識の勝利だ」と喜び、「今こそ日本政府は、国際社会の呼びかけにこたえ公式な謝罪と法的な補償を行うときだ」と訴えました。
主張 「慰安婦」決議 安倍外交では米国からも孤立(しんぶん赤旗、8月1日)
米下院本会議が、「従軍慰安婦」問題で、日本の首相に公式の謝罪と歴史的責任の受け入れを求めた決議を異論のでないほぼ満場一致で採択しました。下院外交委員会につづき本会議としてはじめての決議です。
法的拘束力はないとはいえ、政治的意味は重大です。下院定数の三分の一を超える百六十七人が共同提案者となり、ほぼ満場一致で決議を採択したことは、安倍外交にとっても大きな衝撃です。「政府の立場は変わらない」(塩崎恭久内閣官房長官)とこれまでと同じように無視し続けるのでは、日米関係にも大きな影響をおよぼし、アメリカからも孤立する事態になりかねません。
米議会への「脅迫」
下院本会議が決議を採択したのは、日本の「官民の関係者」が、「謝罪と反省を表明した一九九三年の河野洋平内閣官房長官の慰安婦にかんする声明を薄め、無効にしようとする願望を示している」からです。安倍首相らは「慰安婦」問題は「もともとなかった」「河野談話は間違っている」などといっています。こうした侵略戦争を正当化する「靖国」派勢力の、河野談話を空文化する策動に米下院が危機感をもち決議を採択したのはあきらかです。安倍首相がこの決議の意味をしっかり受け止めないと米議会との矛盾をいっそう大きくするばかりです。
委員会段階よりも共同提案者が大幅に増え、本会議がほぼ満場一致で決議を採択したのは、安倍首相が日本軍の「強制性」を否定し続けていることへの反発の大きさを示しています。
決議がいう「日本政府による強制的な軍の売春」という事実は戦後国際社会が再出発にあたって確定済みの問題です。それは侵略戦争と植民地支配を二度と許さないという政治原則の土台になっています。安倍首相ら「靖国」派が「日本軍の強制はなかった」というのは、戦後政治の土台をくつがえすことです。国際社会の一員として存在しようとする限り、歴史の歯車を逆にまわすようなことはすべきではありません。
安倍首相は四月の日米首脳会談で、ブッシュ大統領や議会指導者に「河野談話」の継承と「おわび」を表明してみせながらも、「強制性を裏付ける証拠はなかった」という肝心の発言を撤回していません。六月の下院外交委員会の「慰安婦」決議もこの立場で無視を決め込みました。一方で「靖国」派は、自民、民主両党議員が決議阻止の意見広告を米紙に掲載し、日本会議国会議員懇談会の会長である平沼赳夫氏と自民、民主両党有志議員は河野談話を「歴史事実に基づかない」として「歴史的検証」を求める声明までだしています。
そのうえ安倍首相は、加藤良三駐米大使に「決議が採択されれば永続的で有害な影響を与える」と書いた書簡をペロシ下院議長ら下院の中心メンバーに送付させました。こうした脅迫的手段に訴えるやり方が反発を買ったのは当然です。「靖国」派の安倍政権に正常な外交を期待することができないのはあきらかです。
歴史的責任を認めよ
戦前の天皇制政府と軍部が侵略と植民地支配を進めるなかで、海外の女性を日本軍の性的奴隷にしたことは政府の調査資料であきらかになっている事実です。海外で再び戦争する道を進むために、旧日本軍の行動を正当化するなど言語道断です。
日本軍の強制があった歴史的事実を認め、安倍政権が公的に謝罪してこそ、日本は国際社会とまともな付き合いができることになります。
米「慰安婦」決議 参院選に続き 安倍内閣に痛打(しんぶん赤旗、8月1日)
米下院本会議が「従軍慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める決議を採択したことは、参院選での歴史的大敗に続いて、安倍内閣にとって二重の痛打となりました。
世論調査でも
参院選での敗北も、単に年金問題や閣僚の失言、不祥事が重なったからだけではなく、安倍首相の掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」路線が国民から拒否されたからでした。JNN(TBS系)の世論調査では、この「脱却」スローガンに“共感できない”が過半数を占めました。
「従軍慰安婦」問題での首相の対応も、まさに「戦後レジームからの脱却」と一体でした。“日本の戦争は正しかった”と正当化する立場から、アジアやヨーロッパの女性を性奴隷とした「従軍慰安婦」問題など消し去りたいという心情がにじみ出ていました。だからこそ首相自身が「従軍慰安婦」の強制性を否定してみせ、「靖国」派の同志である下村博文官房副長官は「従軍慰安婦などいなかった」と存在そのものを否定しようとしました。
これが、国際的にも通用しない歴史のわい曲であることは、日米軍事同盟を強化・推進する米政府の側からも「同盟関係に破壊的影響が出る」(シーファー米駐日大使)などと批判と懸念が相次いだことで示されました。
日米同盟を評価するラントス米下院外交委員長も三十日、「日本の一部の人々によって、歴史をゆがめ、否定したり、犠牲者を非難するゲームが続けられていることは吐き気を催させる」として、自民・民主の「靖国」派国会議員によるワシントン・ポスト紙への広告を非難しました。
首相は、今回の米下院本会議での決議採択について「先般の訪米でわたしの考えは説明してきた。こうした決議がなされたことは残念だ」と述べ、「二十世紀は人権が侵害された時代だった。二十一世紀は人権侵害のない、世界の人々にとって明るい時代にしていきたい」と強調してみせました。しかし、訪米時に首相がとった態度は元「慰安婦」への「同情」の表明だけでした。旧日本軍が関与した戦争犯罪に「第三者」のような態度をとることは許されないことでした。まして、自らの負の歴史に目をそむけて「明るい時代」にしていくことなどできないことも明らかです。
「戦前回帰か」
作家の保阪正康氏は参院選結果に関連して、「『戦後レジームからの脱却』を繰り返すだけでは『戦前レジーム』への回帰を望んでいるようにしか聞こえない」「首相自身の政治家としての資質や歴史認識が問われた選挙だったからこそ、ここまで負けたのだ」(「毎日」三十日付夕刊)と指摘しました。いま、国内的にも国際的にも批判にさらされている「靖国」派の路線には未来がないことを米下院の決議はあらためて示しました。(藤田健)
アメリカ下院本会議は、日本政府に公式謝罪を要求する「慰安婦」決議を可決した。
出席議員から異議はひとつも出なかったという。
これを受けた安倍首相は、採択されたことを「残念」だと語る。
他方で、決議は日米同盟の重要性を強調しており、さらに下院外交委員会は、テロとの闘いについての日本への感謝決議をあげるという。
下院の「人権」問題重視が、アメリカの外交戦略の制約をもっているということの表われでもある。
慰安婦決議案を可決 米下院本会議 日本に公式謝罪要求(西日本新聞、7月31日)
【ワシントン30日田端良成】米下院本会議は30日午後(日本時間31日早朝)、旧日本軍の従軍慰安婦問題で日本政府に責任を認めて公式謝罪するよう求める決議案を賛成多数で可決した。ただ、決議に法的拘束力はなく、31日には慰安婦問題を審議した下院外交委員会が日米関係に配慮する形で「テロとの戦いに対する日本の貢献に感謝する決議案」を可決する見通しであることなどから、慰安婦決議が両国関係に与える影響は最小限にとどまりそうだ。
慰安婦問題をめぐる決議案は2001年以降これまでに4回提出されたが、本会議で可決されたのは今回が初めて。3分の2以上の議員の賛成が見込まれたことから、採決は本会議に出席した議員が賛成、反対を声で表明する「ボイス・ボート」(発声投票)で行われ、出席議員からは異議は出なかった。
決議は「従軍慰安婦制度は軍用の強制的な売春で、旧日本軍は女性を性的奴隷にした」などと指摘し、安倍晋三首相に謝罪声明を出すよう求める内容。日本政府はこれまで「1993年の河野官房長官談話で既に謝罪している」などと訴えてきたが、安倍首相が3月、「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実ではないか」と発言したことなどが反発を招き、同外交委員会は6月末、39対2の大差で慰安婦決議案を可決していた。
ただ、民主党指導部は決議が日本の政局に与える影響を考慮し採決を参院選終了後まで先送り。日本への「感謝決議案」には、慰安婦決議案を提出した日系のホンダ議員(民主党)も共同提案者に名を連ねており、米議会が「反日」に傾いていないことを印象付ける狙いがあるとみられる。
【ワシントン30日共同】米下院本会議で30日可決された従軍慰安婦決議の要旨は次の通り。
一、従軍慰安婦制度は日本政府が第2次大戦中にアジア太平洋地域を支配した時代に行った軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の1つ。
一、現在の日本にはこの問題を軽視しようとする教科書もある。公職にある者が、慰安婦問題で謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話を軽視、否定したがっている。
一、日本政府が歴史的責任を認め、公式声明で首相が謝罪すれば、今後この問題が再燃するのを防げるだろう。
一、日本政府は、旧日本軍のために女性を性的奴隷にしたり人身売買が行われたことはないとの主張を容認してはならない。
一、日本政府は現在および将来の世代にこの恐ろしい犯罪を伝え、元慰安婦に対する国際社会の声に耳を傾けるべきだ。
一、日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安定の要であり、政治的、経済的自由の促進、人権、民主主義の尊重という価値観の共有に基づいた同盟であり続ける。
慰安婦決議の要旨=米下院(時事通信、7月31日)
【ワシントン26日時事】米下院が30日に採択した対日謝罪要求決議の要旨は次の通り。
1、日本政府は1930年代および第二次大戦中、帝国軍の性的奴隷とする目的で若い女性を手に入れるよう正式に指示した。
1、その残忍性・重大性において前例がないと思われる慰安婦制度は20世紀最大の人身売買事件の一つである。
1、日本の教科書の一部は慰安婦の悲劇や他の戦争犯罪を軽視しようとしている。
1、日本の官民双方の関係者は最近、93年の河野官房長官談話を弱めようとの意思を表明した。
1、日本帝国軍がアジア・太平洋の島々で性的奴隷となるよう若い女性に強制したことに対し、日本政府は明確かつあいまいさの残らない形で公式に事実を認め、謝罪し、歴史的な責任を受け入れるべきである。
1、首相が公の声明として謝罪すれば、これまでの声明の誠意に関して繰り返される疑問の解決に役立つだろう。
1、日本政府は性的奴隷・慰安婦の売買の存在を否定するいかなる主張に対しても明確かつ公に反論しなければならない。
1、日本政府は慰安婦に関する国際社会の勧告に従いながら、現在と未来の世代を教育しなければならない。
1、日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安定の礎だ。
首相「残念」 慰安婦決議採択でコメント(産経新聞、7月31日)
安倍晋三首相は31日、首相官邸で記者団に対し、米下院本会議が慰安婦問題をめぐる対日非難決議を採択したことについて、「(4月に)訪米した際、私の考え、政府の対応については説明してきた。こうした決議をされたことは残念だ」と述べた。
首相は「20世紀は人権が侵害された世紀だった。21世紀は人権侵害がない、世界の人々にとって明るい時代にしていくことが大切だ。これからもよく説明していくことが大切だ」と述べ、引き続き米国側に事実関係と日本の対応について説明していく考えを示した。
慰安婦問題をめぐっては、首相が4月末に訪米した際、ペロシ下院議長ら議会指導者との会談で、「人間として首相として心から同情している。そういう状況に置かれたことに申し訳ない思いだ」と語っている。
塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で、「決議案が採択されたことは残念だ」と述べた。
日米同盟の重要性確認へ決議案=両国関係に配慮-下院外交委(時事通信、7月31日)
【ワシントン30日時事】戦時中の旧日本軍従軍慰安婦問題で対日謝罪要求決議を採択した米下院外交委員会が31日、日米同盟の重要性を宣言する超党派決議案を採決に付すことが30日分かった。
共和党のサックストン議員が提出した決議案には、慰安婦決議提出者である日系のホンダ議員(民主)や日本の保守勢力批判の急先鋒(せんぽう)となったラントス下院外交委員長(同)らも共同提案者として名を連ねており、慰安婦決議採択による対日関係への影響に配慮する米議会のバランス感覚を示す形となっている。
「集団自決」への軍関与を著書で指摘した大江氏と、出版元が「名誉棄損」で訴えられている。
だが、その裁判の証人調べによって、逆に「集団自決」(自殺強制)はなかったとする証言の曖昧化がすすんでいる。
沖縄には、当時の現実を肌で知る人たちがたくさんいる。
証言に物的裏付けが可能な限り追求されねばならないのは当然だが、そのことによって事実解明の入り口となる証言の価値がなくなるわけではない。
よくよく体験者の証言を調べてほしいと思う。
全員自決の訓示否定せず 沖縄戦「集団自決」裁判 元軍人ら証言 大阪地裁(しんぶん赤旗、7月28日)
沖縄戦で、多数の住民が犠牲になった「集団自決」で、旧日本軍の命令・強制を否定する旧軍人らが、軍関与を指摘した『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏と出版元の岩波書店を「名誉棄損」したとして損害賠償を求めている裁判の証人調べが二十七日、大阪地裁で行われました。
証人として出廷したのは、原告側から「集団自決」が起きた沖縄県渡嘉敷村に駐屯していた陸軍海上挺進(ていしん)第三戦隊(赤松嘉次隊長)の部下、皆本義博元中隊長と知念朝睦元渡嘉敷島守備隊副官、岩波書店側から座間味村での「集団自決」語り部の母をもつ沖縄女性史研究家の宮城晴美さん(『母の遺したもの』著者)の三人。
皆本氏は原告代理人の主尋問にたいし、赤松戦隊長とは親しく、戦隊と島の住民とも良好な関係にあり、「集団自決」についても、切迫した戦況のもとで「軍命令など出す余裕はなかった」と全面否定しました。
しかし被告代理人の反対尋問では「『集団自決』の隊長命令は聞いてない」としながら、「米軍との戦闘が中心で赤松戦隊長とは別行動だった」と戦隊長の動向を知る立場になかったことを証言。太平洋戦争開戦を記念する「大詔奉載日」の儀式で「米軍が上陸したときには、全員が自決する」との訓示があったのではないかとの質問に「赤松戦隊長あるいは代理が参加し、(訓示は)あったと思う」と否定しませんでした。
宮城氏は著書で、隊長命令がなかったとの記述について、「不十分だった。その後の住民の証言などから軍の関与についてより検証した内容に改定版にむけて作業している」と語りました。
口頭弁論に先立ち、沖縄から平和教育をすすめる会など三団体は、九月十日に予定されている沖縄での出張法廷の公開と安仁屋政昭氏を証人採用するよう要請しました。
結局、アメリカ下院の動きは、すでに伝えられていたとおりということである。
30日にも慰安婦決議初採決 参院選配慮し、日程公表は見送り(中日新聞、7月28日)
【ワシントン27日共同】米下院(定数435)は、第2次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に責任を認め公式に謝罪するよう求める決議案を早ければ30日夜(日本時間31日午前)の本会議で採決する見通しだ。
ただ議会多数派を握る民主党のホイヤー院内総務は27日、通常なら公式ホームページを通じて発表する翌週の採決予定に慰安婦決議案を盛り込むことを見送った。日程が事前に報道されることで日本時間29日投票の参院選に影響を与えることを避けるための配慮とみられる。
慰安婦問題をめぐる決議案が本会議で採決されるのは初めて。民主党出身のペロシ議長が支持を表明していることから、賛成多数で可決される公算が大きい。採決阻止を働き掛けてきた日本政府にとって打撃は避けられない。
決議案は先月26日の外交委員会で39対2の大差で可決されたが、日本の政局に与える影響を配慮し、本会議採決が先延ばしされていた。
加藤駐米大使からの「警告」書簡は、6月22日付のものであった。
下院外交委員会での「慰安婦」決議可決が6月26日であるから、それは「警告」の作用を受けたうえでの可決であった。
となると、あとはこれがオープンにされたことにより、議会関係者をふくむ世論にどういう影響が出るかの問題となる。
本会議での議決は、7月30日から8月3日の間となるらしい。
匿名の国務省関係者からは、「警告」は状況悪化の要因になるという指摘も行われている。
慰安婦決議案 「日米に害及ぼす」 加藤駐米大使が警告(産経新聞、7月20日)
【ワシントン=古森義久】駐米日本大使が米国議会下院の枢要メンバーに対し、下院が慰安婦問題で日本を非難する決議案を採択すれば、日米関係に長期の有害な影響を与えるだろうという趣旨の書簡を送ったことが18日、米側マスコミにより報道された。なお同決議案の採決は日本の参院選の後になる見通しだという。
ワシントン・ポスト18日付は「日本が第二次大戦の性的奴隷に関する下院決議案に対して警告を発する」という見出しの記事で、加藤良三駐米大使が下院のナンシー・ペロシ議長ら議員数人に対し慰安婦決議案への反対を改めて訴え、もし下院本会議で採択されれば「ほぼ間違いなく日米両国間の深い友好、緊密な信頼、そして広範囲の協力に長期の有害な効果を及ぼす」と警告した、と報道した。
ワシントン・ポストは6月22日付の同書簡のコピーを入手したと報じ、加藤大使が「日米間の協力の具体例」としてイラクの安定化や復興をめぐる日本の米国への協力を指摘したことから、同決議案が採択されれば、日本は米国のイラク政策への協力も再考するだろう、という観測も伝えた。
ロイター通信も同大使の書簡を入手したとして、同様の趣旨を18日、報道した。在米日本大使館ではこういう大使書簡が下院の枢要な議員に送られたことを認めながらも、内容については論評できないとしている。
この報道に対し同決議案の提案者のマイク・ホンダ議員は「日米関係には影響はないと思う」と語る一方、同決議案の下院本会議での採決は日本への儀礼として29日の参議院選挙の後にする、と述べた。同議員は30日に採決される見通しが強いとも述べたが、下院民主党の院内総務ステニー・ホイヤー議員の補佐官は「上程の日程自体がまだ決まっていない」と語った。
慰安婦決議案に対しその採択が日米関係に悪影響を及ぼすという警告は米側ではダニエル・イノウエ上院議員が再三、発してきたが、それ以外にそうした懸念が表明されることはほとんどなく、米側マスコミの報道では今回が初めてとなった。
「慰安婦」決議案 日本の参院選後に採決 米下院 自民苦戦に”配慮”(しんぶん赤旗、7月20日)
【ワシントン=山崎伸治】「従軍慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求める決議案の米議会本会議での採決が、参院選で安倍政権与党の“苦戦に配慮”し、選挙後に行われる見通しとなりました。同決議案の提案者であるマイク・ホンダ議員が十八日付の米紙ワシントン・ポストで明らかにしました。
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同紙は「安倍氏の自民党が七月二十九日に投票がある参議院での主導権を失いかねないと示唆する世論調査もある」と指摘した上で、ホンダ氏の言明として「選挙前に安倍氏に恥ずかしい思いをさせたくないので、下院の指導部は慰安婦決議の採択を選挙後に延期することで合意している」と報じています。
米議会は八月六日から約一カ月の夏季休会に入るため、採決は七月三十日から八月三日までの間に行われるものとみられます。ホンダ氏はロイター通信などに対し、三十日採決との見通しを示しています。
決議案は六月二十六日、下院外交委員会で三九対二の圧倒的賛成多数で可決。賛同者は七月十六日までに百六十人(下院定数四百三十五人)にまで増えており、本会議での採択は確実とみられています。
その採決を参院選後にしたことは、この問題が安倍政権にとって重大問題であることを米側が認識していることを改めて裏付けています。
同紙は、日本の加藤良三駐米大使が六月二十二日付でペロシ下院議長ら五人の下院指導者にあてた書簡を紹介。その中で加藤氏は、決議案が採択されれば「永続的で有害な影響」があると述べたうえで、「日本はこのほどイラク復興への支出を二年間延長したばかりだ」と指摘。米国を応援する財政支出が危うくなりかねないと示唆しているといいます。
同紙はこのことを、「日本は米国のイラク政策を忠実に支持してきた数少ない国の一つとしての役割を再考するかもしれない」と皮肉を込めて指摘しています。
この書簡について、マイケル・グリーン前米国家安全保障会議アジア上級部長は同紙に「日本はブッシュ政権の説得に失敗し、下院指導者に対して強引な文言の書簡を書くよう決断したことは明らかだ」と述べています。また、ホンダ氏は「ロビー活動での空威張り」と一蹴(いっしゅう)しました。
慰安婦:米国務省、加藤駐米大使の「警告」書簡に不快感(朝鮮日報、7月20日)
米国下院が旧日本軍の「従軍慰安婦」問題に関する決議を進めていることに対し、日本の加藤良三駐米大使が「警告」の書簡を送ったことが伝わるや、米国務省は不快感を示した。
匿名を条件に取材に応じた米国務省のある関係者は18日、日本政府が「慰安婦」問題をイラクの復興支援と結びつけたことを強く批判し、「日本はワシントン・ポスト紙に“慰安婦を強制動員した証拠はない”という意見広告を掲載したり、今回“警告”の書簡を送るなどして、状況をさらに悪化させようとしている」と語った。
一方、慰安婦問題に関して日本政府の謝罪を求める決議案を発議したマイケル・ホンダ下院議員はこの日、米国メディアのインタビューに対し、「日本の参議院議員選挙翌日の今月29日に、米国下院の本会議で慰安婦に関する決議案の採決が行われるだろう」という見通しを示した。 ワシントン=崔宇晢(チェ・ウソク)特派員
そのような「警告」を受けるほどに、アメリカは日米同盟堅持の立場から、靖国史観派への圧力を強めずにおれない。
他方、靖国派主導の改憲でいいのかという、すでに出されている懸念も一層強くなる。
これが広告「事実」と同じ役割を果たすのか、あるいは、冷静に参院選後の可決を選びとっていくのか。
アメリカの動向が注目される。
もちろん、このような「警告」を発して力む日本政府に対する参院選での審判が、もっとも大切であることはいうまでもない。
慰安婦:日本政府が警告「決議案可決すれば日米関係悪化」 米ワシントン・ポスト紙報じる(朝鮮日報、7月19日)
日本政府は、旧日本軍の「慰安婦」強制動員に対し日本政府の正式な謝罪を促す決議案が来月、米下院で可決されれば、日米関係は悪化するだろうと警告した。米ワシントン・ポスト紙が18日、報じた。
同紙はこの日、加藤良三駐米日本大使が先月22日にペロシ米下院議長ら下院の指導者5人に書簡を送り、「慰安婦決議案可決は日米両国の深い友好関係と信頼、広範囲な協力において長期的に良くない影響を及ぼすことは明らか」と述べたことを伝えた。
同紙が入手したこの書簡によると、加藤大使は決議案が可決されれば米国の対イラク政策を支持してきた日本の方針が変わる可能性もあることを示唆している。加藤大使は、このほど日本政府がイラク再建関連支出を2年延長したことに触れ、「決議案が可決すれば米国に良くない影響がある」と指摘した。日本は米国に次いでイラク再建に最も多く寄与している。 ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
日本が犯したものであれ、アメリカが犯したものであれ、犯罪には公正な裁きが必要である。
それを「しようがない」などと認めるならば、世の中なんの進歩も生まれない。
原爆投下を裁く 国際民衆法廷 米国に有罪宣告 広島(しんぶん赤旗、7月18日)
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広島市中区の平和記念資料館地下メモリアルホールで十六日、原爆投下を裁く国際民衆法廷の判決公判があり、レノックス・ハインズ裁判長(米国ラトガーズ大法学部教授・国際法)は、アメリカ政府と原爆投下当時の大統領や政府閣僚、開発した科学者、投下を実行した軍人など十五人に有罪を宣告しました。
同ホールで昨年七月十五、十六の両日に開かれた同法廷が有罪とした判決要旨を、ハインズ裁判長らが一年がかりで文章化。判決文はアメリカ政府に対して、原爆投下が国際法違反であることを公的に認め、犠牲者と遺族に謝罪と補償をするよう勧告しています。
開廷にあたって、同法廷実行委員会共同代表の田中利幸広島市立大教授は「民衆法廷なので法的拘束力はないが、法的正当性には何ら不備がない。アメリカ政府が真摯(しんし)に耳を傾けることが、核兵器廃絶への一歩であると信じる」と報告しました。
法廷には約三百人が参加し、アメリカのブッシュ大統領あてに勧告内容を忠実、誠実に実行するよう求めるアピールを採択。被爆者を代表して、日本被団協の坪井直代表委員が判決文を受け取りました。その後「判決の意義と今後の核兵器廃絶運動」をテーマにした記念シンポジウムを開きました。
米下院本会議での決議は、参院選投票後になるらしい。
大敗が予想される安倍政権に、ムチを打つのは避けたいということである。
改憲や日米軍事一体化の推進においては、安倍政権はこのうえない重要なパートナーであり、アメリカにとっての問題は、靖国派が強くなりすぎることだけにある。
慰安婦決議、参院選後へ 米議会、安倍政権に配慮か(中日新聞、7月18日)
【ワシントン18日共同】米下院で近く予定されていた第2次大戦中の従軍慰安婦問題に関する決議案の本会議採決が、参院選を控えた安倍晋三政権に与える影響への配慮から、同選挙の投票日である今月29日より後に先送りされる見通しが強まった。18日付の米紙ワシントン・ポストが決議案提出者のホンダ議員の談話として伝えた。下院多数派を握る民主党指導部が先送りの方針で合意したという。
これにより同決議案の本会議採決は、米議会が夏季休会に入る前の最終週である今月30日からの週に行われる可能性が出てきた。
同紙は、決議案は既に日本国内で反発を招いており、本会議で採決されれば、年金問題などで支持率低下に苦しむ安倍首相が一層の困難に直面するなどと指摘。加藤良三駐米大使が先月下旬、ペロシ議長らに日米関係への影響を懸念する書簡を送付したことなどを紹介している。
ホンダ議員はこれまで本会議採決について7月中旬ごろ、との見通しを記者団に語っていた。
じつに、堂々たる社説である。
全国紙にも、これくらいの腹の座り具合がほしい。
権力を批判的に点検できてこそのジャーナリズムである。
社説 近隣外交*参院選*歴史とどう向き合うか(北海道新聞、7月16日)
安倍晋三首相の外交デビューは鮮烈だった。就任するとすぐに中国、韓国を歴訪し、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝で冷え切っていた関係を改善しようとした。
その結果、六年半ぶりの中国首脳の来日が実現した。両国内の反日感情も抑制されているようだ。首相の近隣外交の成果と言っていいだろう。
しかし、両国が日本への不信感をぬぐい去ったわけではない。その根っこにあるのは安倍政権の歴史認識に対する警戒心だ。
たとえば首相は靖国参拝について、するかしないか明言しないという「あいまい戦術」をとっている。なぜはっきり「しない」と言えないのか。
従軍慰安婦問題では徴募の強制性の定義にこだわって、旧日本軍による重大な人権犯罪という、ことの本質に向き合おうとしない。
一人の政治家としても、これまで日本の戦争責任を否定するような立場で活動し、発言してきた。
「戦後体制からの脱却」を掲げて、教育基本法に「国を愛する心」を盛り込み、憲法九条を見直そうとする姿勢には戦前回帰の気配が色濃く漂う。
これでは、日本に踏みにじられた歴史を忘れないアジアの国々と本当の信頼関係を築くことはできない。
自民党の公約には「近隣諸国との友好関係をさらに深化させ」などとあるだけで、中国や韓国との関係についてはいかにもおざなりだ。
近隣の国々との信頼を醸成していくうえで、靖国問題は避けて通れない。共産党や社民党は公約で、首相の靖国参拝に明確に反対しているが、民主党や与党の公明党は言及がない。
民主党には首相に近い歴史認識の議員も少なくない。党としてきちんと説明する必要がある。
政治的にも経済的にもアジアをけん引するこの三カ国の関係をどう安定させ、発展させていくか。それは日本の国益を考えることでもある。与野党ともにもっと論議を深めてほしい。
安倍政権の大看板といえば、北朝鮮による拉致や核開発問題への取り組みだろう。
後ろ盾と頼む米国は、対北朝鮮外交を対話路線に切り替えつつある。北朝鮮包囲網の中で日本が孤立しないためにも、中韓との協力・連携はますます重要になってくるはずだ。
各党が忘れているのが北の隣国・ロシアとの関係である。日本にとって最大の戦後処理問題である北方領土の返還交渉は展望が見えてこない。
北海道の地域政党の新党大地は公約に領土返還を掲げた。ロシアとの交渉をどう進めていくのか、他の党も具体的な考えを示すべきだろう。
この取り組みをすすめる若者たちと、6月1日の夜に東京でおしゃべりをした。
飾らず、力まず、とても気持ちのいい人たちだった。
たぶん、このブログにも写真がちょっと載っている。
それにしても、被害者についての調査の結果は痛ましい。
「私たちは本人に直接、聞いたんです」。
その体験がもたらす確信の強さは、ゼミ生たちと共通である。
ゆうPress 暴行されたのは私と同じ人間だ 「慰安婦」裁判支えるネット 百数十人に成長(しんぶん赤旗、7月16日)
中国の海南島で、旧日本軍の「慰安婦」として性奴隷にされた、被害女性の裁判支援に取り組む青年たちがいます。被害者に直接会った彼らが、その目に刻んだ歴史の事実とは。(平井真帆)
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心が壊れたまま生きてる
支援グループの名前は、島の呼び名を取って「ハイナンネット」。2005年に発足し、「入るのも出るのも自由。代表者もとくに決めない自主的なネットワークです」と、結成当初からかかわっている金子美晴さん(31)は言います。
海南島は中国最南端、九州ほどの大きさの島に漢民族など37の少数民族が暮らしています。ハワイと似た気候で一年中泳ぐことができ、リゾート地として人気の島です。
今年の3月と6月、弁護士と精神科医が島を訪れ、裁判の原告となった被害女性の精神状態を調査しました。6月の調査にはネットのメンバーも同行しました。
「ああいう人に初めて会った。小さくて、ガリガリにやせていて、目もうつろ。今までのつらい人生が、体に全部出ている」。調査に同行し、被害女性の話を直接聞いたメンバーの一人、しほさん(24)は衝撃を受けました。
「過去なんだけど、今。過去がずっと続いている。心が壊れたまま生きてるんだ」。6人の原告のうち5人は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)よりもっと重い、「人格変容」などの症状を示しているといいます。
聞き取りが終わった後メンバーは、被害女性の家まで行って、彼女たちの生活を垣間見ました。
「日本軍に追われて、あの畑の中に隠れました」。被害女性が指さします。「こんな小さい体で、何人にも暴行されて、あそこに逃げたんだ」。リアルに想像するだけで、しほさんは胸が苦しくなりました。被害にあったのは、はるか遠い国の知らない「誰か」ではなく、「目の前にいる、自分と同じ人間なんだ」。この問題から目を背けることはできない。裁判を支援する気持ちが、いっそう強くなりました。
1939年、海南島を占領した日本軍は住民を虐殺し、島の各地に「慰安所」をつくりました。そこで少女を拉致し、性奴隷にしたのです。
被害女性が実名で告白するのは勇気がいります。名乗り出たため、「日本軍にレイプされたから男の子を産めない」などと蔑視(べっし)されることも多いといいます。
女性たちが差別的な扱いを受けるのは、日本政府が正式に謝罪せず、「被害者」と認めていないことも大きな理由のひとつです。中国では、被害者が名乗りを上げ提訴したのは山西省と海南島の2カ所だけです。
日本の歴史教科書からは「慰安婦」の文字が消え、安倍首相をはじめ政府は「強制ではなかった」などと開き直っています。
それに対し、アメリカでは先月の下院外交委員会で、日本政府が「慰安婦」被害者に対し、公式に謝罪するよう求める決議案が採択されました。
笑って過ごしてほしい
「国内でも世論を盛り上げて、私たちの力で日本政府に謝らせたい」。メンバー自らが大学の授業で「慰安婦」問題の「授業」をする「出張授業」も行っています。授業を受けた学生からは「『従軍慰安婦』問題を知らないということが、問題だと思う」「この問題を解決しないと、戦争は終わったことにならない」といった感想が寄せられました。
たった数人から出発したハイナンネットは現在、百数十人規模のネットワークに発展しました。「ガラガラだった傍聴席が、今では若い人でいっぱいになる」と、金子さん。
「若い私たちがこの問題を解決したいと思ってることを社会に伝えていけば、司法も変わっていくんじゃないかな」と、しほさんは感じています。「強制はなかった、なんてうそ。私たちは本人に直接、聞いたんです。被害にあったおばあちゃんたちには、残された時間、少しでも、笑って楽しい時間を過ごしてほしい。事実を知っている私たちは負けないし、絶対にあきらめない」
好きな子など思い至らない14歳のとき…
陳亜扁(チン・アヘン)さんの証言
原告の一人、陳亜扁さんは、2006年3月に来日し、裁判で被害を証言しました。
陳さんが、いつものように両親と田んぼで農作業をしていたある日。銃を持った日本軍が突然やってきて、陳さんを拉致しました。好きな男の子など、まだ「思いも至らない」ほど幼い14歳のときでした。
日本軍の駐屯地に連れていかれ、カギがかかった平屋の一室に閉じ込められました。銃を持った見張りが立っていたので逃げられません。翌日から陳さんは連日のように犯され、抵抗するたびに殴られました。
トイレにまで見張りが付いて連れ戻されるような自由のない生活。場所を転々と移され、多い日には数人からレイプされる毎日が、日本軍が引き揚げるまで続きました。
終戦後、陳さんは結婚し、9回妊娠しましたが8回も流産しました。胎動を感じるまでに育った赤ちゃんをくり返し流産するうち、「自殺しよう」と考えたこともありました。
病院で検査を受けると、何度も性暴力を受けたために子宮、骨盤の向きが変形してしまい、子どもが育たないことがわかりました。数年間、治療を続け、ようやく長女を出産することができました。
陳さんは60年以上たった今でも日本軍に犯される悪夢に苦しんでいます。
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海南島戦時性暴力被害訴訟
戦時中に海南島で性暴力を受けた女性8人が、2001年、日本政府に対し戦後の対応について謝罪と賠償を求めて東京地裁に提訴。04年、戦時中の日本軍の加害行為も追及するため訴因を変更しました。東京地裁は06年8月、被害事実は認めたものの、「国家賠償法施行前で請求権がない。仮に請求権があっても、除斥期間が経過し、消滅した」として、請求を棄却。原告は控訴し、今年5月から東京高裁で控訴審が始まっています。
この間、2人の原告が亡くなりました。
東アジアやアメリカへの配慮はするが、本心に変わりがあるわけではないという、安倍首相の身内向けアピールであろう。
「みたままつり」についての靖国神社の解説はこちら。
みたままつりに安倍首相ら献灯 靖国神社(東京新聞、7月13日)
安倍晋三首相が、東京・九段北の靖国神社で十三日から始まった「みたままつり」に、黄色いちょうちん一灯を献灯していることが分かった。
同神社社務所によると、ちょうちんは一灯(初穂料)一万円で、ポケットマネーから支出した、という。
首相のちょうちんは、肩書なしの「安倍晋三」名で、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」会長の島村宜伸元農相の左隣に掲げられている。このほか、国会議員では、民主党の小沢一郎代表、国民新党の綿貫民輔代表も「衆議院議員」の肩書付きで献灯した。
首相は就任前、毎年靖国神社に参拝してきたが、昨年九月の首相就任後は、首相の靖国参拝に反対している中韓両国などアジアの近隣諸国に配慮して、「靖国神社に行ったか行かなかったかは言わない」という“あいまい戦術”をとっている。
ただ、今年四月の春季例大祭には、祭壇などに装飾品として供える真榊(まさかき)料として、私費から五万円を同神社に奉納しており、今回の献灯で、首相の靖国神社への姿勢があらためて問われる可能性もある。
小泉純一郎前首相は在任中、みたままつりに毎年献灯しており、毎年一回のペースで参拝した。
抗議も批判も自由だが、「事実と異なる」「もう一度検証して」という以上、その事実についての新たな根拠ある説明を、自ら率先して行うことが必要だろう。
史実の積極的解明を回避しながら、「チガウ、チガウ」と言い続ける。
それでは、議論が進むわけがない。
地方議員ら、米下院慰安婦非難決議に抗議(産経新聞、7月13日)
地方議員、学識経験者らでつくる「慰安婦問題の歴史的真実を求める会」(代表・水島総日本文化チャンネル桜社長)は13日、駐日米国大使館を訪れ、米下院外交委員会が先月可決した慰安婦問題をめぐる対日非難決議案に対する抗議書を大使館員に手渡した。14日に米下院議員全員にこの抗議書を送付する。
抗議書は「決議案は、歴史的事実とは全く異なる誤った情報に基づき可決された。性奴隷などという存在は全くなかった」と指摘。国会議員13人、自治体首長2人、地方議員128人、学識経験者ら80人の計223人が賛同者となった。
これに関連し、同会賛同者のノンフィクション作家、クライン孝子氏、日本財団特別顧問の日下公人氏、上智大名誉教授の渡部昇一氏らは13日、都内で記者会見した。渡部氏は「(対日非難決議案にあるように)朝鮮半島で20万人もの女性をかき集め、トラックで運べば暴動が起きる」と述べ、決議案の荒唐無稽(むけい)ぶりを指摘した。
従軍慰安婦問題で国会・地方議員、米下院委決議案に抗議書(読売新聞、7月13日)
米下院外交委員会でいわゆる従軍慰安婦問題に関する決議案が採択されたことを受け、国会議員や地方議員など223人で作る「慰安婦問題の歴史的真実を求める会」(代表・水島総「日本文化チャンネル桜」社長)は13日、決議案の撤回を求める抗議書を在京米大使館に提出した。
抗議書は「(採択に)怒りと悲しみを禁じ得ない。決議案は事実と異なる誤った情報に基づいており、もう一度検証して欲しい」と訴えている。近くすべての米下院議員に同じ抗議書を送付する予定だ。
同会には、与野党の衆参国会議員13人、地方議員128人、首長2人、文化人・ジャーナリスト80人が名を連ねている。
来年4月利用の高校教科書から「集団自決/自決強制」が削除された問題で、沖縄県議会が2度目の意見書を可決した。
自民党から共産党まで、全会一体となっての取り組みである。
自民党の仲里県議会議長は、これを戦争美化の動きの一環であると批判する。
ことは狭く沖縄だけの問題ではない。
沖縄県議会、2度目の意見書可決 「自決強制」削除(朝日新聞、7月11日)
沖縄戦の際、日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、沖縄県議会(定数48、欠員1)は11日、検定意見の撤回と記述の速やかな回復を求める意見書を可決した。6月22日に同趣旨の意見書を可決したが、文部科学省が撤回に応じる姿勢を示さなかったため。県議会事務局によると、同じ定例会で2度、同趣旨の意見書を可決するのは初めてという。
沖縄側はこの問題で、県議会や41の市町村議会すべてで同様の意見書が可決されたのを受け、安里カツ子副知事や仲里利信・県議会議長、首長会や議長会の代表計6人が4日に文部科学省を訪ね、要請をした。これに対し、文科省側は「(検定意見を決めた)検定調査審議会の決定に口を挟むことができない」との姿勢を崩さなかった。このため、県議会が再び意見書を出すことになった。
意見書は文科省が審議会の決定を理由に撤回を拒否していることについて、実際には同省が検定意見の内容をとりまとめて審議会に諮問していることなどを指摘し、「同省の回答は到底容認できるものではない」と批判している。
また、文科省で大臣に面会を求めたにもかかわらず、官房審議官が対応したことを念頭に、「県民の総意が明らかにされたことに対する重みへの配慮が十分でなかったことはまことに遺憾」としている。
採決では議員1人が退席し、残る議員の全会一致で可決した。意見書は首相や文科相らに送る。
意見書の可決を受け、仲井真弘多知事は「県民の総意だと極めて重く受け止めている。集団自決において、手榴(しゅりゅう)弾が配られるなど広い意味での日本軍の関与があったと思っており、その記述が削除・修正されたことは誠に遺憾。今後とも県議会をはじめ(首長会など沖縄の)地方6団体で歩調を合わせて対応していく」とのコメントを出した。
沖縄県議会「集団自決」再可決へ 仲里議長インタビュー 「軍命現地調査で確信」(西日本新聞、7月11日)
来年度から使われる高校教科書の検定で、沖縄戦の集団自決を「日本軍が強制した」との記述に文部科学省が検定意見を付けて削除させたことに対し、沖縄県議会は11日、検定意見の撤回と記述回復を求める意見書を再可決する。6月にも同趣旨の意見書を可決しており、再可決は極めて異例。仲里利信議長(70)(自民)にその意義などを聞いた。
◇
−再可決の理由は。
「6月の可決後の今月4日、市町村や議会など地元六団体の代表が上京して、文科省に記述回復を求めたが、『回復は困難』という従来の説明を繰り返した。ここであきらめたら、県民が勝手に死んだという、ねじ曲がった歴史が教科書に残ってしまう」
−「軍が強制した」という記述を削除させた文科省の説明は納得できないと。
「その通りだ。文科省は『検定結果は検定審議会の専門的な判断に基づくもので、口を挟めない』というが、本当にそうか。検定結果は、文科省の調査官が記述修正を求める原案を作ったことは報道で明らかになっている。最初に結論ありきの仕組まれた検定だと思う。審議の中身は非公開という、見えない検定制度が問題の根幹だ」
「今月6日に、県議会の文教厚生委員が、多くの住民が犠牲になった慶良間諸島の体験者から、当時の様子を聞き取り調査した。『米軍が上陸したら死になさい』という軍命を役場幹部だった兄が受けたという女性の話や、自決用の手りゅう弾が配られたという証言も聞いた。軍の存在や軍命なしに集団自決は起こらなかったという、確信を得た」
−戦後62年の今、記述を書き換える狙いをどうみるか。
「沖縄戦で県民は旧軍に苦しめられた。その軍のイメージを変えよう、戦争を美化しようという一連の流れの一環ではないか。そう思えて仕方ない。私は自民党員だが、この件に党派は関係ない。最近はどこに行っても『議長、しっかり』と励まされる。共産党の方からも…。30年の政治生活で初めてのことだ」
−記述回復に向けた今後の展望は。
「沖縄戦当時、三歳の妹といとこが避難先のガマで泣きやまなかった。日本兵が来て『敵に見つかれば皆殺しだ。これを食べさせろ』と、毒入りのおにぎりを突き出したが、家族で話し合ってそこを出た。戦争の悲惨さを後世に伝えるのは生き残った者の責務。県内や本土の多くの団体が立ち上がり、文科省に史実回復を求めてほしい」
ワシントン・ポストが、実際上「事実」への反論広告を掲載した。
またマイケル・グリーン氏は、歴史問題が日米同盟にダメージを与える可能性があると指摘している。
同盟強化にむけて発揮されるべき「リーダーシップ」は、結局、日本政府による歴史問題の克服にあると言われているらしい。
米紙に慰安婦決議案支持の意見広告=「日本は『否認』に終止符を」(時事通信、7月12日)
【ワシントン12日時事】12日付の米紙ワシントン・ポストは、戦時中の従軍慰安婦問題に対する日本指導者の対応を批判するとともに、米下院外交委員会で採択された対日謝罪要求決議案を支持するとのアジア系団体の意見広告を掲載した。
広告は4分の1ページほどの大きさで、「全アジア系米国人連合」を名乗る団体名で掲載された。「世界抗日戦争史実保全連合」や「『レイプ・オブ・南京』賠償連合」といった複数の団体が協賛と説明されている。
意見広告は「日本の右翼・歴史修正主義者の最近の動きには心底、怒りを覚える」と述べ、「日本の指導者は今こそ、真実に対する恥知らずな否認に終止符を打つべきだ」と訴えている。慰安婦決議案は今月中に下院本会議で採決に付される見通しになっている。
「歴史」で日米亀裂も 前米国家安全保障会議部長語る(しんぶん赤旗、7月12日)
【ニューヨーク=時事】グリーン前米国家安全保障会議(NSC)上級アジア部長は10日、時事トップセミナー(時事通信社主催)での講演で、従軍慰安婦問題で安倍晋三首相が狭義の強制性を否定したことなどを受け、米民主党左派から「安倍政権は国家主義的であり、日米安保を強化すると米国はアジアの中で孤立してしまう」と懸念の声が出ていると語りました。
その上で、来年の大統領選で民主党候補が勝利すれば、米外交政策に影響が出てくる恐れがあると述べました。
グリーン氏は、米外交委が可決した従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案を、下院本会議が夏休み入り前に承認するとの見通しを示し、「歴史問題が日米関係にダメージを与える恐れがある。日米安保を当然視してはならず、両国政府は日米安保強化に向けリーダーシップを発揮しなければならない」と強調しました。
ゼミの活動が「朝日」の記事となった。
7月9日付夕刊の社会面である。
中国では「慰安婦」問題についての初めての調査報告が公表された。
日本軍による組織的行動であることを結論づけているという。
従軍慰安婦問題を学び発信する女子学生たちの活動が本に(朝日新聞、7月9日)
女子学生たちが従軍慰安婦問題について、ゼミで学び、韓国に足を運んで交流した体験を講演会で話し続けている。周囲から「就職に不利になる」と言われたこともある。でも、被害者のハルモニ(おばあさん)に会って「彼女が負った傷は消えていない。過去の話ではない」と思った。高校や市民団体に呼ばれ、講演会は昨年秋から17回を数えた。先月には活動記録をまとめた本も出版された。
元従軍慰安婦との交流活動について講演する
神戸女学院大の小谷直子さん=7日午後、京都市中京区で
「自分たちと同じ年頃の女性がどんな目にあわされたのかを想像し、ショックで倒れた人もいました」。7日、京都市の生涯学習施設で開かれた市民集会で、神戸女学院大学(兵庫県西宮市)文学部4年の小谷直子さん(21)が語った。
テーマは戦争の真実。「政治に興味がない私でも、何でこんなひどいことをされないといけないのかと。ひどい、悲しい、許せないと思うようになった」。約1時間、約100人を前にゼミで学んだことや、韓国での見聞を話した。
小谷さんは同学部の石川康宏教授(50)のゼミに入っている。4年生は9人。当初は従軍慰安婦を「軍のお手伝いさん」と考えていた学生もいた。ドキュメンタリービデオを見たり、本を読んだりして学ぶ一方、従軍慰安婦の存在や強制を否定する意見も研究。日本軍の状況を学ぶため、靖国神社の戦争博物館「遊就館」も見学した。
学生のなかには親から「そんなことを勉強したら就職に不利になる」と反対された人もいた。
昨年9月、ゼミの全員で韓国・ソウル近郊にある「ナヌム(分かち合い)の家」を訪ねた。元従軍慰安婦約10人が仏教関係者らの支援で共同生活していた。
併設された日本軍慰安婦歴史館には軍が配給した避妊具や、女性が体を洗った金だらいが展示されていた。再現された狭くて暗い部屋に2~3人ずつで入り、部屋を出た所でショックのあまり倒れた学生もいた。
15歳で連行されたというハルモニの話を聴いた。毎日続いた暴行。ハルモニは日本政府に謝罪を求めながらも、「日韓の若い世代は仲良くしてほしい」と訴えた。
ナヌムの家にある宿泊施設に泊まった。上野紗矢佳さん(21)は「日本の過去を責められるんじゃないか」と不安だったが、韓国を去る前日、ハルモニの一人が笑顔で握手を求めてきた。しわだらけの小さな手は力強かった。帰りのバスで、韓国訪問を単なる思い出にしないために何ができるか話し合った。
ゼミの活動ぶりを聞いた高校から人権教育の授業に招かれるなど、これまでゼミの9人が計17回の講演をした。
この春、田中丸佐代さん(22)は大手金融機関の面接を受けた。面接官から「ゼミで勉強した内容と、安倍首相の考えは違うが」と問われた。自分が学び、体験した考えに揺らぎはないと伝えて内定を得た。誠実に聞いてくれた面接官の態度が何よりうれしかった。
慰安婦問題が米議会で取り上げられて米国で「申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と述べた安倍首相に、田中丸さんは違和感を覚えた。「米国の国会議員ではなく、あのおばあちゃんたちに謝るべきなのに」
学生たちの活動ぶりをまとめた本は「『慰安婦』と心はひとつ 女子大生はたたかう」(かもがわ出版)。6月中旬に出版された。
元従軍慰安婦の女性を囲み、写真に納まる神戸女学院大学の学生ら
=06年9月、韓国・ソウルの日本大使館前で、石川康宏教授提供
慰安婦制度、旧日本軍の組織的行為と判明(人民網日本語版、7月9日)
中国初の慰安婦被害事実調査報告の全容が7日公表された。調査は「慰安婦」設置は旧日本軍による組織的な行為だったと結論づけている。これまでは相当数の日本の政治家が「慰安婦の存在は軍の一部による行為であり、軍の組織的な行為ではない」と公言してきた。「京華時報」が伝えた。
中国元「慰安婦」被害事実調査委員会は7日、日本人戦犯による供述を最初に発表した。供述は、第2次世界大戦中に旧日本軍が安徽省巣県、江蘇省呉江、山西省聞喜、霍県、陽曲、湖北省当陽、宜昌、荊門、黒竜江・吉林・遼寧3省の数都市などに慰安所を設置したことを明らかにしている。
調査委員会は、旧日本軍によって「慰安婦」に強制徴用された中国人女性338人の名前が記載されている資料の存在も明らかにした。彼女らは1944年4月から1945年8月までの間、旧日本軍の軍医による身体検査に合格した後に、河南省、山東省、唐山、天津などの旧日本軍駐屯地に移送され、性奴隷(すなわち「慰安婦」)にされた。
資料はまた、日本の関東軍が南方の部隊から、南京に5カ所、杭州に1カ所の慰安所を設置し、中国人11人と朝鮮人、日本人からなる「慰安婦」29人を監禁したとの報告を受けていたことも明らかにしている。
調査委員会は、軍医による身体検査があったこと、各地に慰安所が設置されたことから、「慰安婦」の強制徴用が旧日本軍による組織的な行為だったことは明らかだとしている。(編集NA)
だから「真実と思われるもの」について、まずは証拠をキチンと示せ。
中川氏を代表として97年に発足した「議員の会」は、肝心のそれがいまだに何もできずにいるのだから。
河野談話「自虐的考え方」=中川自民政調会長が批判(時事通信、7月6日)
自民党の中川昭一政調会長は6日、ラジオ日本の番組に出演し、従軍慰安婦問題を謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話について「(河野氏は)自虐的な考え方」と改めて批判した。中川氏は「外国なんか、うそでも誇りを持って(話を)する。(日本政府が)真実と思われるものを封じ込めているのは納得できない」と述べた。
河野談話は旧日本軍の関与を認めて謝罪し、安倍晋三首相も同談話を継承する考えを表明。米国では、今月中に慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案が下院本会議で採択される見通しが強まっている。
1つは京都での「戦争の真実を語る講演の集い」の様子。
これには、4年ゼミの学生が講演者として参加した。
遠からず「朝日」にも記事が掲載されるはずである。
学生たちのこうした取り組みの全容については、『「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう』を参照願いたい。
もう1つは、中国の上海に「慰安婦」資料館が開設されたというもの。
この手の資料館は、「ナヌムの家」に併設された「日本軍『慰安婦』資料館」、東京の「女たちの戦争と平和資料館」につづいて3つ目となる。
いずれは、ゼミで訪れるということも検討したい。
「慰安婦は軍用船で戦場に」 中京戦争の真実語る集い(京都新聞、7月8日)
従軍慰安婦問題を考える「戦争の真実を語る講演の集い」が7日、京都市中京区の京都アスニーで行われた。約100人が集まり、第2次世界大戦で従軍した男性らの証言に耳を傾けた。
日中戦争の発端になった盧溝橋事件の70周年に合わせて、京都平和委員会などでつくる実行委員会が主催した。
1942年に陸軍通訳としてシンガポールにいた永瀬隆さん(89)=岡山県倉敷市=は、「隊長の命令で朝鮮から来た慰安婦に日本語を教えていたら、『シンガポールの日本軍の食堂の給仕として連れられてきた。軍の船に乗せられ、着いたら慰安婦をやれと言われた』と打ち明けられた」と証言した。
永瀬さんは「強制連行だったり、だまされたり、いろいろな形の慰安婦がいた。いずれにしても、戦場には軍用船で連れてきた。日本軍が関与していないとは言わせない」と力を込めた。
また、ゼミで慰安婦問題を研究、調査している神戸女学院大4年の小谷直子さん(21)は昨年9月、元従軍慰安婦が生活する韓国の「ナヌムの家」を訪ねた時の様子を報告した。
ナヌムの家に再現された慰安所について、狭く暗い個室や、日本人の名前を付けられた慰安婦の名札が掛かっていたことなどを紹介し、「わたしたち若者が慰安婦問題に向き合わないと、今も被害を受けた女性を苦しめている日本の政治は変わらない」と訴えた。
慰安婦:中国初の資料館、上海に開設=新華社通信(朝鮮日報、7月7日)
第2次世界大戦中の旧日本軍による「従軍慰安婦」に関する中国初の資料館が5日、上海に開館した、と中国国営の新華社通信が報じた。
上海師範大学構内に開設された同資料館には、旧日本軍によって初めて開設された慰安所である「第一サロン」に掲げられていた富士山の形の彫刻を含め、80点の展示物や48枚の写真などが展示され、また慰安婦として強制動員された中国人女性らの生々しい肉声を収録したビデオも公開されており、当時の状況について理解できるようになっている。
同資料館はまた、当時上海や海南省に開設されていた約200カ所の慰安所に関する記録もすべて保有しているという。
これらの資料の収集・蓄積に貢献した上海師範大慰安婦研究センターのス・ジルリャン所長は「記録によると、中国では20万人を超える慰安婦が強制動員されたが、現在被害の実態を公表した生存者はわずか47人に過ぎない。過去の傷を包み隠して沈黙している被害者は相当な数に上ると推定される」と話している。
この日の開館式には、80歳を過ぎた元慰安婦らが出席して当時の凄惨な状況について証言し、出席者らは静かに聞き入っていた。
開館式は日中戦争開戦70周年の2日前に行われた。
現在、慰安婦に関する資料館は東京とソウルにも1カ所ずつある。
小池新防衛相もまた、従米靖国の一員である。
安倍首相は、内閣のこの性質だけは、変えたくないらしい。
後任の小池防衛相――基地強化推進の「靖国」派 志位委員長が語る(しんぶん赤旗、7月4日)
日本共産党の志位和夫委員長は三日、後任の防衛相に小池百合子首相補佐官が内定したことについて都内で記者団に問われ、「小池氏は、首相の安全保障問題担当補佐官として、沖縄に米軍基地を押し付ける、米軍基地再編・強化の先ぽう役だった。アメリカいいなりに基地を強化していく危険を感じる」とのべました。
また、小池氏が改憲・右翼団体「日本会議国会議員懇談会」の副幹事長を務めたことをあげ、「過去の侵略戦争を『自存自衛の正しい戦争』だったと美化する『靖国』派の中心人物がまたも入閣した」と指摘。「松岡利勝前農水相の後任となった赤城徳彦農水相も若手の靖国神社参拝グループの会長代行を務めていた。今度も『靖国』派だ。過去の戦争への反省がない流れの人物が内閣の中枢ポストに入ったのも危ないことだ」とのべました。
女の仕事は、子どもを生むこと。
しかし、男女「共同参画」はいわなくて良い。
これが安倍自民党の公約らしい。
「男女共同参画基本法」そのものを攻撃する靖国史観派の影響か。
「美しい国」とは、よくぞ言えたものである。
これも自民“安倍流” 公約から消えた「男女共同参画」(しんぶん赤旗、7月4日)
自民党の参議院選挙公約から、前回の二〇〇五年総選挙時の政権公約で掲げていた「男女共同参画社会を実現」が消えました。
参院選公約で、女性にかかわる施策として列挙されているのは十項目。そのすべてが「子育て家庭支援対策の拡充」「子育てを地域社会で支える体制づくり」など、子育てに関するものです。
「女性の意欲・能力を活かせる環境づくり」とうたった項目も、中身を見れば「出産・育児期を通じたキャリアの継続支援」「マザーズハローワーク」「母子家庭対策」といった具合。安倍・自民党には、「女性=子どもを産む」という図式が染み付いているようです。
女性の要求は、子育て支援のみに解消できるものではありません。日本は、女性の人権と地位向上で、諸外国に大きな後れを取っています。政府が先月十九日に発表した〇七年版『男女共同参画白書』でも、「日本の女性の社会参画は、国際的に見ても全般的に低い水準にある」と認めています。社会のあらゆる分野で「両性の平等」を実現することが切実に求められています。
この時期に、政権党が男女平等の推進をうたわないことは、そもそも不見識です。加えて、前回選挙で掲げていたものをあえて引っ込めたところに、危険な意図を感じざるをえません。
自民党の参院選公約は、改憲を重点課題にすえるなど“安倍カラー”を前面に出したといわれています。「男女平等」が、戦前の日本を美しかったとする「靖国」派の攻撃の的となっている今、これを公約から外したのも、やはり“安倍カラー”の表れなのか―。首相にぜひきいてみたいものです。(坂井 希)
ワシントンポストの全面広告「事実」にも名をつらねた岡崎氏が、遊就館の展示を「直している」らしい。
対米配慮から、年末年始に、アメリカ批判のトーンを下げた展示だが、それがどこまで元にもどるのだろう。
日米関係の現状を靖国がどう判断するかとういう問題でもあるが、アメリカの対日警戒心をさらに高める結果となる可能性もふくまれている。
首相ブレーンの岡崎氏、「遊就館見直し関与」(朝日新聞、7月3日)
安倍首相の外交ブレーンの岡崎久彦・元駐タイ大使が2日に外国特派員協会で講演し、「私はいま靖国の遊就館の記述を直している」と述べ、靖国神社境内の戦争博物館「遊就館」が進める展示見直しへの自らの関与を強調した。「日米戦争と日中戦争がどうして始まったかについて元の記述を直した」という。
岡崎氏は、日米戦争の記述について「ルーズベルト大統領が日本に最初の一発を撃たせるよういろいろ工夫したこと自体は正しい」としつつ、米国の動機について「『不況から脱するため』という部分を削り、(同大統領が日中戦争開始後に日独伊を批判した)37年の隔離演説という言葉を入れた」と語った。
日中戦争では「37年からに限れば中国側が始めた」とする一方、日本軍が北京を中心とする中国北部を国民党の政府から分離させる活動を35年から本格化させた「北支工作」を「長期的な原因に付け加えた」と述べた。
一方、靖国神社広報課は見直しについて「多くの識者の意見を聴いたうえで、主体的に行っている」と説明している。
久間氏の原爆投下「しょうがない」発言についてである。
そこには、靖国派内閣の一員でありながら、原爆投下を大量の非戦闘員をふくむ無差別殺戮の「戦争犯罪」だと指弾できない、従米靖国の限界があらわれてもいる。
発言の背景に戦後体制脱却 安倍政権の雰囲気反映か(中国新聞、7月3日)
原爆投下を「しょうがない」と発言し、三日辞任に追い込まれた久間章生防衛相。発言の背景には「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱え、核武装論ですらタブーではなくなった安倍政権の雰囲気が色濃く漂う。安倍晋三首相の発言が問題視された従軍慰安婦問題、沖縄戦の集団自決の強制記述に修正を求めた教科書検定。「根底には共通の空気が流れている」と専門家は指摘する。
政権発足直後の昨年十月、北朝鮮の核実験をきっかけに、自民党の中川昭一政調会長はテレビ番組で「核があることで、攻められる可能性が低くなる」などと述べ、日本の核保有をめぐる議論の必要性を訴えた。麻生太郎外相も「議論まで封殺するのはいかがか」と発言。党内からは非核三原則見直し論も飛び出した。
「久間発言は核武装論や従軍慰安婦、集団自決などの問題と同様に『戦後レジームからの脱却』を象徴する発言だ」。大東文化大の井口秀作教授(憲法)は、こう分析する。
従軍慰安婦問題について安倍首相は「狭義の強制性」はなかったと発言し、米下院では日本政府に謝罪を求める決議が可決された。
教科書検定では、沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述が修正を求められ、沖縄県ではすべての市町村議会と県議会で、検定意見の撤回を求める意見書が可決された。
井口教授は「自民党議員はこれまで、国民やアジアの国々の反発を意識して発言を抑制してきた。口に出せるようになったことが、まさに『戦後レジームからの脱却』だ」と指摘する。
「久間発言は、国民の核への感情が薄れてきた表れではないのか」と危惧(きぐ)するのは広島市立大広島平和研究所の浅井基文所長。
「国民は、非核三原則と核の傘の両方をいつの間にか受け入れている。国民保護計画も核攻撃を前提にしており、このままでは戦争をする国に進んでしまう」
浅井所長は「単なる大臣の失言問題として矮小(わいしょう)化する話ではない」と指摘している。
「慰安婦」被害についての、初めての中国の報告書である。
あまりに遅い調査ではあるが、「半官半民」の「官」が、ようやく重い腰をあげたことは評価してよいのだろう。
捕虜となった日本軍将校による、「慰安所」設置に関与したとの証言もある。
いよいよ日本政府の孤立は深まっていく。
中国、日本軍従軍慰安婦被害事例関連で初めて報告書(中央日報、7月3日)
12歳の慰安婦。日本軍が下した施設設置命令。祭事を行う祠堂に慰安所設置。 第2次世界大戦当時の日本軍慰安婦被害事実に関連し、中国が初めて出した報告書の内容だ。
中国メディアによると、中国弁護士協会や法律救助基金会などで構成された慰安婦調査委員会が昨年9月から6カ月間、山東・海南・雲南・遼寧・吉林省などで調査を行い、1次報告書を作成した。
これら団体は‘半官半民’であるため、報告書は、1972年の中日国交正常化で日本の侵略に対する賠償権を放棄した後、民間の損害賠償要求努力を黙認してきた中国政府の意中を大きく反映したものだと分析されている。
今回の調査では、日本政府を相手に損害賠償訴訟を進めてきた60人の生存慰安婦のほか、山西省と海南省にそれぞれ16人と1人の元慰安婦が生存していることが確認された。 山西省に住む元慰安婦の1人は12歳当時に日本軍に連行され、慰安婦として辛い経験をしたことが明らかになった。
委員会は、日本軍が同郷会会館や住宅だけでなく、祠堂を慰安所として使用した事実もある、と主張した。委員会はまた、安徽省の日本軍117師団長の戦犯裁判記録を調べ、巣県で中国人・韓国人女性慰安婦20人の慰安所を運営し、東北地域に慰安所を設置しろという命令を下したことも明らかになった。
日本軍が敗戦後にも慰安婦施設を運用していた事実も確認された。 報告書は、国民党の閻錫山将軍のもと‘保安第6大隊’に編入された日本軍残留部隊が1947年まで慰安婦を相手に性暴行を加えた、としている。 これは当時の日本軍将校らの伝聞記録で明らかになった。 国民党軍隊内に日本軍慰安所が稼働していた事実が明らかになり、中国人は大きな衝撃を受けるはずだと、メディアは伝えた。
山西省太原出身で1940年代初めに日本軍に連行された当時13歳のAさんは、浙江省出身の同郷会事務所格である‘浙江会館’を改造した日本軍慰安所で慰安婦生活を強要されたこともあった。 中国メディアは、Aさんは60年間隠してきた悪夢のような体験を委員会に打ち明けながら涙を流した、と伝えた。
調査委員会執行主任の康健弁護士は「今回の報告書は第1次であり、現在、他の地域など範囲を広めて調査を進行中で、近く追加の報告書を出す」と語った。
北京=張世政(チャン・セジョン)特派員
「慰安婦」 日本軍の組織的強制 中国弁護士協会が調査結果(しんぶん赤旗、7月4日)
【北京=山田俊英】中国の中華全国弁護士協会と中国法律援助基金会は三日、第二次大戦中の旧日本軍による「従軍慰安婦」に関する調査結果を公表しました。昨年九月から半年にわたって現地調査し、「『慰安婦』強制は日本軍の組織的行動であることが証明された」と結論づけました。
これまで賠償請求を起こした元「慰安婦」以外に、山西省で十六人、海南省で一人、計十七人の被害者が生存していることが明らかになりました。被害当時の年齢は十二歳から二十一歳でした。
報告書は、山西省の一市四県、海南省の二県、雲南省の三市三県に「慰安所」が設けられていたとしています。山西省太原市では市内の二つの会館に設置。雲南省では民間住宅を奪って「慰安所」にしたといいます。
日本の敗戦後、中国の国民党軍に編入された残留日本軍部隊が山西省太原市に設置した「慰安所」は、一九四七年まで存在していました。
また、八カ所の公文書館を調べた結果、「慰安婦」を強制された三百三十八人の名前が記載された資料が見つかりました。この人たちは四四年四月から四五年八月にかけて日本軍の軍医による身体検査後、河南省、山東省、天津などの日本軍部隊に送られ「慰安婦」にされました。
報告は、第一一七師団長だった鈴木啓久中将ら捕虜となった日本軍将兵が「慰安所」設置に関与したことを供述した調書も掲載しています。
報告書は、弁護士協会のホームページ「中国律師網」で公表されています。調査は、今回明らかにされた以外の地方でも継続中です。
「慰安婦」問題をめぐる日米政治家たちの見解の相違の背後に、小さからぬ「価値観」の相違があるとの指摘である。
問題は「慰安婦」問題にとどまらず、かつての戦争の性格から、戦後世界のあり方の評価におよぶ。
焦点 論点 「慰安婦」決議と安倍政権 「価値観の共有」という幻想(しんぶん赤旗、7月3日)
米下院外交委員会が「従軍慰安婦」問題で日本政府の公式謝罪を求める決議案を圧倒的多数で採択したことにたいし、日本政府は「外国の議会のやることだから」(塩崎官房長官)と冷静さを装っています。安倍首相にいたっては、「米議会で採択されるたくさんの決議案のひとつ」と事柄を小さく見せようと懸命です。
しかし、いかに事態から目を背けようと、安倍首相らが「かけがえのない日米同盟」「揺るぎない同盟関係」と最大限の表現でたたえてきた当の相手国から、日本政府は反省すべきだとの糾弾を突きつけられたのです。政権にとって、日本外交の重大失点であることは隠しようがありません。
重要なのは、この異例な事態を招いたのがほかならぬ安倍首相自身であり、安倍政治がこれを促進・助長してきたという事実です。
本紙六月三十日付の国際面で、決議案を採択した米下院外交委員会の審議の様子が、十七議員の発言を紹介する形で詳報されています。それを一読すれば、今回の決議が日本政府にたいし“戦争責任と正面から向き合え”と求めたものであることがよく分かります。
歴史認識に直結
ラントス外交委員長は「歴史をゆがめ、犠牲者に罪をなすりつけようとする日本の一部の人の試み」への憂慮を表明しました。議員たちが「憂慮」した事態は三つあります。
今年三月の「従軍慰安婦」の強制性を否定した安倍首相の発言。ワシントン・ポスト紙に載った強制性を否定し「慰安婦=公娼(こうしょう)」だとする自民、民主両党議員らの意見広告。そして、教科書から沖縄戦での「集団自決」で日本軍の強制を削除した問題です。
決議採択の推進力となった事態は、いずれも安倍政権の下での歴史認識に直結するものばかりです。この点からだけでも、「コメントするつもりはない」(安倍首相)などという無責任な態度は許されません。
今回の決議が、日本政府が手放しで礼賛する同盟の相手国から突きつけられたという事実も注目されます。
一月の施政方針演説に「自由、民主、人権といった基本的価値観を共有する国々との連携」をうたったように、「価値観の共有」は安倍首相のいわば“おはこ”です。
ところが、安倍氏が「戦後レジーム(体制)からの脱却」を標榜(ひょうぼう)し始めて以来、識者の間でこの「価値観の共有」に疑問符がつき始めました。
同盟関係に影響
その端的な現れが、コロンビア大学教授、ジェラルド・カーティス氏の発言でした。「戦後レジームからの脱却」は「世界中にたいへんな誤解を招くことになるでしょう。民主主義国のリーダーが自分の国のレジームチェンジ(体制変革)を訴えるなどというのは、理解に苦しみます」(「朝日」四月二十二日付)。
首相の「慰安婦」発言が問題になった時、「この問題の米国での影響を過小評価するのは誤りだ」「同盟関係に破壊的影響が出る」と警告したのは、シーファー駐日米大使でした。日本の総合雑誌も「日米同盟を脅かす慰安婦発言」という大特集を組み、「安倍政権はアメリカと価値観を共有しているとは思われていない」と明言する論文まで登場しました(『中央公論』五月号)。
「戦後レジーム」発言と歴史認識の問題は一体です。野蛮な侵略戦争と暗黒の戦時体験の否定から出発した、日本国憲法に象徴される戦後体制を否定して、どこに行くのか。先の戦争は正しかった、それをたたかった当時の日本は美しい国だった、その国をもう一度――という道が、戦後世界が共有する「自由、民主、人権」の価値観といえるでしょうか。
憲法改悪と戦前回帰の国家づくりをめざす「靖国」派政治は、いま各分野で国民との矛盾を広げています。そればかりか、頼みにする同盟国からも異質に見られるように、国際的に通用しない孤立の道であることが、今回の事態でいよいよ明らかです。(近藤正男)
「従軍慰安婦」問題 謝罪の公式声明を 志位委員長が提起(しんぶん赤旗、7月4日)
日本共産党の志位和夫委員長は三日、日本外国特派員協会での講演で、米下院外交委員会が「従軍慰安婦」問題で日本政府に公式の謝罪を求める決議を採択したことにかかわって、「この問題での国際社会の批判と疑念を解くために、日本国首相として公的な立場での公的な表明として、歴史的事実を受け入れ、世界に謝罪すべきだ」と強調しました。
志位氏は、この問題では、旧日本軍による強制と関与の事実を認めた一九九三年の河野洋平官房長官談話が日本政府の見解とされてきたと指摘。その上で、「この『河野談話』が、安倍首相自身の言動によっても、米紙『ワシントン・ポスト』の意見広告にみられるような日本の『靖国』派の言動によっても、繰り返し蹂躪(じゅうりん)されてきた」ことを指摘し、安倍晋三首相が、公的な資格で公式声明として謝罪する必要性を強調しました。
これまで安倍首相は、「河野談話」を継承するとのべながら、「従軍慰安婦」問題で「強制連行はなかった」と発言し、アジアのみならず米国内からも強い批判を浴びていました。六月二十六日には、米下院外交委員会が日本政府に「従軍慰安婦」問題で公式謝罪を求める決議案を可決するなど、大きな問題となっています。安倍首相は同決議について「コメントするつもりはない」などとのべています。
安倍首相のあいまいな「謝罪」。
麻生外相の「強制的な性奴隷化」を認めない発言。
それは、いまだに変わっていないらしい。
他方、それを正面から繰り返すことができないところに、彼らの窮地もあらわれている。
あいまいさない謝罪を 「慰安婦」問題 緒方議員が要求 参院特委(しんぶん赤旗、6月29日)
日本共産党の緒方靖夫議員は二十八日の参院拉致問題特別委員会で、米下院外交委員会で採択された「従軍慰安婦」問題決議を示しながら、日本政府に、あいまいさのない謝罪を要求しました。
決議は、日本政府に公式な謝罪を求めていますが、日本政府は、四月の訪米で安倍晋三首相が「申し訳ない」と述べたことで「米側の理解は得られた」という立場です。一方、首相は訪米直後、記者団に対し「米国に謝罪したことはまったくない」とも述べています。
緒方氏は、いったい首相は「謝罪」をしたのか否か、どちらなのかと追及。塩崎恭久官房長官は「どう受け取るかは人それぞれだ。総理の言葉の以上でも以下でもない」と述べ、謝罪だと明言しませんでした。
緒方氏はまた、決議が「日本軍による強制的な性奴隷化」と批判していることに麻生太郎外相が「そのような事実を認めている立場にない」(二月十九日衆院予算委員会)と否定していた答弁について「今も同じ認識か」と質問。麻生外相は「強制性については河野談話の通りだ」としか答弁できませんでした。
緒方氏は、「靖国」派の国会議員らが米紙に出した意見広告が、決議を「故意のわい曲」だと主張していることを挙げ、「外相は認識を変えたと答弁しない。そうすると、意見広告と同じ認識ということではないか」と追及しました。麻生外相は「意見広告は政府が出したものではない」などと答弁を避けました。
緒方氏は、麻生外相が意見広告と認識が違うと表明できなかったことについて「非常に深刻だ。このことを日本政府は自覚すべきだ」と批判しました。
「しんぶん赤旗」が、「慰安婦」問題をめぐり、まとまった記事を繰り返し掲載している。
下院外交委員会での議決の模様には臨場感があり、また民主党における靖国派勢力の根深さを指摘する点も重要である。
「慰安婦」問題の米下院委決議 断罪された「靖国」派 日本政府は「謝罪を拒否」 安倍発言は「筋通らない」(しんぶん赤旗、6月28日)
「戦後ドイツは正しい選択をした。一方、日本は歴史の健忘症を積極的に促進させている」。最上段の委員長席に座るラントス委員長が声を高めると、委員会室の空気が張り詰めました。二十六日、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題で日本政府に公式の謝罪を求める決議案を圧倒的多数で採択した米下院外交委員会。討論では、民主、共和両党の議員が相次いで発言を求め、安倍晋三首相や「靖国」派の国会議員を「歴史を反省しない不誠実な態度」と批判しました。(ワシントン=鎌塚由美)
この日の外交委員会は、イラン問題などの重要法案が審議されました。「慰安婦」決議案は、それらと並ぶ重要案件として特別の討論が行われ、約二十人が発言、一時間二十分に及びました。昨年の同様の決議案が討論なしの発声採択されたのとは様変わりでした。
議員からの批判は、日本軍による強制と関与を認めた河野官房長官談話(一九九三年)を、安倍首相や、「靖国」派議員が覆そうとしていることへ集中しました。
音頭をとったラントス委員長は、日本政府が元「慰安婦」たちに「謝罪を拒否している」だけでなく、「犠牲者を非難するゲームをもてあそぶ」ようだと批判しました。
「意見広告」に批判
同委員長は、ハンガリー出身のユダヤ人で、ナチスによるホロコースト(大虐殺)の生き残り。昨年の外交委員会では、小泉首相の靖国参拝を「ナチ指導者の墓に花輪を置くに等しい」と批判していました。それだけに反省のない日本の「靖国」派勢力の主張に「非常に心かき乱される」と怒りをあらわにしました。
委員長は、ワシントン・ポスト紙に日本の「靖国」派議員が出した意見広告を取り出し、「生き残った慰安婦たちへの中傷」であり、「事実と真っ向から対抗する、ばかげた主張」だと非難。こうした主張が、国会議員によって行われたことに強い懸念を示しました。
スミス議員(共和)は、安倍首相が「(性奴隷の)強制を否定」したことは、河野談話の「正当性と誠実性に対する挑戦」だったと指摘。米国の「よき友、同盟国である日本に、人権侵害や歴史の事実を覆い隠すことをさせてはならない」と述べました。
元「慰安婦」が証言したアジア・太平洋・地球環境小委員会のファレオマバエガ委員長(民主)は、河野談話を読み上げて引用。安倍首相の発言を「筋が通っていない」と指摘。「日本政府がこの決議案を真剣に検討することを望む」と語りました。
「歴史の事実」強調
傍聴には、「慰安婦」決議案の採択を求めてきた諸団体の代表が詰めかけました。アムネスティ・インターナショナル米国のクマール氏は、「決議案は日本たたきではなく、道義的責任の問題です。戦場での人権侵害を未来に起こさせないためにも、引き続き本会議での採決に向け頑張りたい」と語りました。
「慰安婦問題ワシントン連合」のソ・オクチャ会長は、決議案の採択について「生き残った元『慰安婦』の女性たちは、涙を流して歓喜しているに違いない」と述べ、「『慰安婦』は性奴隷であり人権侵害だと、議員たちが深く理解して議論してくれたことが印象深かった」と議員の発言を歓迎しました。
各議員は、日本軍がアジアの女性たちを強制的に性奴隷である「慰安婦」にしたことは「歴史の事実」だと繰り返し指摘。また、米議会で証言した元「慰安婦」の女性たちの勇気をたたえました。アッカーマン議員(民主)は、元「慰安婦」の女性たちは、「過ちを繰り返してはならないと沈黙を破りホロコーストを告発したユダヤ人たちと同じだ」と語りました。
「慰安婦」問題 最終解決へ被害者と協議を 弁護士44人が要望書 首相あてに(しんぶん赤旗、6月28日)
旧日本軍の「従軍慰安婦」問題で日本政府に公式の謝罪を求める決議が米下院外交委員会で可決されたことを受け、中国、韓国、フィリピンなど各「慰安婦」訴訟を担当してきた弁護士が二十七日、「被害者の名誉と尊厳を回復するため」内閣府に要請、問題の最終解決を求める要望書を安倍晋三首相あてに提出しました。同日までに四十四人の弁護士が連名しています。
要請は四人の弁護士がおこない、日本政府に対し▽「慰安婦」問題が未解決であることを認め、▽今年出された第三十八回国連拷問禁止委員会の勧告や米下院議会の決議、日本兵らに連行、監禁され、性暴力を受けた被害事実を確定した最高裁判決などを真摯(しんし)に受け止め、▽軍の関与を認めた「河野談話」の見地に真に立脚し、問題の最終解決のために被害者および弁護士らとの協議の場を設けるなど、新たな取り組みを求めました。
対応した大臣官房総務課調査役は要望を首相に伝えるとのべる一方、内閣府に同問題の担当所管がないことを明らかにしました。穂積剛弁護士は「所管がないというのは問題を解決していくという意思がないからではないか」と批判しました。
要請後の記者会見で川上詩朗弁護士は、米下院議会での決議について「(他国に)言われたからやるのではなく、人権侵害の問題をわれわれ自身がどう考えるのか、戦後日本のあり方がこのままでいいのか。日本としてどう主体的に考えていくのか、きっかけを与えてもらったと受け止めている」と語りました。
世界で「日本 謝罪を」 「慰安婦」決議受け高まる声(しんぶん赤旗、6月28日)
米下院外交委員会が二十六日、「慰安婦」問題での決議を採択したことを受け、かつて「慰安婦」にされた女性が「日本はいまこそ正式謝罪を」の声をあげるなど、日本政府の責任を追及する動きが世界各地で高まっています。
元「慰安婦」韓国で集会
「正義は必ず実現する」―韓国・ソウルでは二十七日、元「慰安婦」や支援者らが日本大使館前に集まり、日本政府に公式謝罪、補償を求める声を上げました。
毎週水曜日に日本大使館前で「水曜デモ」を実施している韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が開いたもの。委員会での決議可決に、「世界の女性人権運動史に新たなページを記した」と喜びをあふれさせました。
集会には、米議会の公聴会で証言した李容洙さんら七人の元「慰安婦」が出席。李さんは、数日前に亡くなった被害者女性にふれ、「日本政府は謝罪し、補償すべきだ」と涙まじりに訴えました。
政界でも決議の可決を歓迎する声が広がっています。
与党・開かれたウリ党の宋永吉事務総長は、「歴史問題に、日本は客観的に接しなければならない。自国民の拉致問題を強調する日本が、『慰安婦』問題や沖縄での集団自決を隠ぺいするのは、自己矛盾だ」と日本政府を批判。最大野党・ハンナラ党の黄祐呂事務総長は「あらゆる力で(採択を防ぐ)ロビー活動をするという日本政府や一部日本議員の立場に憂慮を禁じえない。人権と良心の声がこの地域から消えることがないよう、後世に教えるべきだ」と述べました。
新聞、テレビ、ネットメディアなど報道各社は、午前二時の米国発速報を皮切りに先を争い報道。決議案を提案したホンダ議員や、米国での運動を進めてきた慰安婦問題ワシントン連合のソ・オクチャ会長らのインタビュー記事も掲載するなど詳しく報道しています。
夕刊二紙は、社説を掲載。「この決議こそ、歴史の真実はゆがめられないことを圧倒的な票差で立証した」(文化日報)、「日本は二度と残虐な行為を行わないと誓う意味で、真実を認めなければならない」(アジア経済)と伝えました。
米「慰安婦」決議を敵視 「靖国」派抱え問われる民主(しんぶん赤旗、6月29日)
旧日本軍による「従軍慰安婦」の問題で、米下院外交委員会が日本政府の公式な謝罪を求める決議を採択したことで、それを真っ向から否定する「靖国」派議員の特異な姿勢が浮きぼりになりました。民主党は、「(首相の)結果責任が問われる」(松本剛明政調会長)と批判しますが、同党も「靖国」派議員を多数抱えており、自らの立場も問われます。
米紙ワシントン・ポスト十四日付に、日本の国会議員四十四人が連名で「従軍慰安婦」にたいする強制性を否定する全面広告を掲載しました。米国だけでなく、アジア諸国からも批判の声が上がり、米下院での謝罪要求決議の採択を加速させる要因となったと指摘されています。この広告には、自民党議員二十九人、無所属議員二人とともに、十三人の民主党議員(参院院内会派一人を含む)が名を連ねています。
南京大虐殺も「なかった」と
十三人の多くは、三月に民主党の有志議員が結成した「民主党慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」(会長=渡辺周衆院議員)のメンバーです。同会の中心メンバーは、日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)副幹事長などの役員であり、バリバリの「靖国」派。賛同議員は、民主党のすべての派閥に及んでいます。
これらの民主党議員は、国会の委員会質問などで「南京大虐殺」の事実や「従軍慰安婦」の軍による強制性を否定する発言を繰り返しています。
たとえば、日本会議議連の役員でもある松原仁衆院議員は、「事実がなかった、三十万なんていう話じゃないし、三万という話でもない。なかったんですよ」「大虐殺、虐殺はなかった、間違いなく」(五月二十五日、衆院外務委員会)などと発言しています。
しかし、日本軍による南京や周辺地域での大規模な虐殺は、元日本兵や多くの被害者の証言によって、すでに覆せない事実となっています。日本政府でさえ「旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できない」(二〇〇六年六月二十二日付「答弁書」)と認めざるをえないのです。
「従軍慰安婦」についてこれらの民主党議員は、強制的な連行があったことを強く否定し、「不名誉なぬれぎぬ」だと主張。日本軍の関与・強制を公式に認め、反省とおわびを表明した「河野談話」の取り下げまであからさまに要求しています。
改憲をめざす流れの底には
民主党内の「靖国」派議員は、こうした“見解”にもとづく対応を政府に迫ってさえいます。渡辺衆院議員は、四月二十五日の外務委員会での質疑で、南京大虐殺記念館が年内にも拡張され、世界遺産登録の動きもあることに懸念を示し、「これから北京五輪や上海エキスポ(万博)で大勢の方々が世界中から訪れる」「そこに行ったら、何と日本はひどいことをしたんだ、これだけのことをしていたのかということが、まさに刷り込まれてしまう」とのべ、「対応」を急ぐよう求めました。
「創憲」の名のもとに「自衛軍」の創設や集団自衛権の容認を含む改憲をめざす民主党の底流には、侵略戦争の歴史を否定する危険な勢力が存在するのです。
米下院外交委員会 「従軍慰安婦」問題での決議(全文)(しんぶん赤旗、6月29日)
米下院外交委員会は二十六日、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求める決議を圧倒的多数で採択しました。決議全文は次の通りです。
一九三〇年代から第二次世界大戦を通じたアジアおよび太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間、日本政府が公式に、その帝国軍隊に対する性的強制労働を唯一の目的として若い女性の獲得を委託し、これらの人々は「イアンフ」あるいは「comfort women」として世界に知られるようになったのであり、
日本政府による強制的な軍の売春である「慰安婦」制度は、二十世紀における最大の人身取引事件の一つであり、身体損傷や死、自殺をもたらした集団強姦(ごうかん)、強制中絶、屈辱、性的暴力など、その残酷さと規模において未曽有のものとみなされ、
日本の学校で使用されるいくつかの新しい教科書は、「慰安婦」の悲劇や第二次世界大戦における他の日本の戦争犯罪を軽視しようとしており、
日本の官民の関係者は最近、彼女たちの苦難に対して政府の真剣な謝罪と反省を表明した一九九三年の河野洋平内閣官房長官の「慰安婦」に関する声明を薄め、あるいは無効にしようとする願望を示しており、
日本政府は、一九二一年の「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」に署名し、武力紛争が女性に与える特別の影響を認識した二〇〇〇年の「女性と平和・安全保障に関する国連安全保障理事会決議一三二五」を支持しているのであり、
下院は、人間の安全保障、人権、民主主義的価値および法の支配を促進する日本の努力と、安保理決議一三二五の支持者となっていることを称賛し、
米日同盟はアジア・太平洋地域における米国の安全保障利益の礎であり、地域の安定と繁栄の基礎であり、
冷戦後の戦略環境における変化にもかかわらず、米日同盟は、アジア・太平洋地域において、政治・経済的な自由の保持と促進、人権と民主的制度への支援、両国民と国際社会の繁栄の確保をはじめとした、共通の死活的に重要な利益と価値に立脚し続けており、
下院は、一九九五年の日本における民間の「アジア女性基金」の設立に結びついた日本の官民の関係者の懸命の努力と思いやりを称賛し、
「アジア女性基金」は日本国民からの「償い」を慰安婦に提供するために五百七十万ドルを集め、さらに、
「慰安婦」の虐待および被害の償いのための計画と事業の実施を目的とし、政府が主導し、資金の大部分を政府が提供した民間基金である「アジア女性基金」の任務は二〇〇七年三月三十一日に終了し、基金はこの日付で解散されることになっている。
このため、以下が下院の意思であることを決議する。
日本政府は、
(1)一九三〇年代から第二次世界大戦中を通じたアジアおよび太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間、日本帝国軍隊が若い女性を「慰安婦」として世界に知られる性的奴隷となるよう強制したことを、明瞭(めいりょう)であいまいさのないやり方で、公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである。
(2)日本国首相が公的な資格での公的な声明として、このような謝罪をするなら、誠実さと、これまでの声明〔注=河野談話のこと〕の地位をめぐって繰り返されてきた疑問を解くことに貢献するだろう。
(3)日本帝国軍のための「慰安婦」の性奴隷化や人身取引などはなかったといういかなる主張に対しても、明確に公式に反ばくすべきである。そして、
(4)「慰安婦」に関する国際社会の提案に従うとともに、この恐るべき犯罪について現在と将来の世代を教育すべきである。
アメリカ下院外交委員会での「慰安婦」決議に対する各種の反応。
大手新聞の社説は真っ二つに割れ、「議員の会」は下院に本会議での採択回避を求める方針。
他方、オランダ政府からは衆議院議長に、全面広告「事実」の釈明を求める書簡が届いている。
世界の動きを鏡に、自分の姿を落ち着いてながめることができるかどうか。
ことは国の進路にかかわる大問題。
朝日・毎日VS読売・産経 米の慰安婦決議で新聞社説真っ二つ(J-CASTニュース、6月28日)
米下院外交委員会で、旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦に関して日本政府に謝罪を求める「慰安婦決議」案が可決された。これを受けて2007年6月28日の全国紙の朝刊は、ほとんどが社説でこの問題を取り上げた。ただ、朝日・毎日が日本政府を批判、読売・産経は逆に米議会を批判するなど、評価は「真っ二つ」に分かれている。
決議案は、「日本政府は、帝国軍隊が若い女性に性的奴隷を強制したことに対して明確に公式な謝罪をすべきだ」「慰安婦制度は20世紀最大の人身売買事案の一つ」などとしている。07年7月中にも本会議で初めて可決される可能性が高まっている、とされる。
「米議会人の見識疑わせる」と読売
米議会の「慰安婦決議」を巡り、社説の意見が分かれた新聞各紙 各紙の見出しもスタンスの違いが現れた。慰安婦問題そのものを問題視したのは、「米議会の『誤解』の根元を絶て」とうたった読売新聞と、「事実を示し誤解を解こう」とした産経新聞だ。決議案そのものに対する評価についても、読売新聞は「全くの事実誤認に基づく決議である」「事実をきちんと確かめることもせず、低水準のレトリックに終始した決議案だ。米議会人の見識を疑わせる」と反発している。
産経新聞も「『日本政府による軍用の強制的な売春』と決めつけるなど、多くの誤りを含んでいる」「日本の官憲が奴隷狩りのように強制連行したという説が一部で流布されたこともあるが、日本政府が(略)集めた(略)資料の中には、そのような事実を示す証拠は1点もなかった」と決議案が前提とした認識を批判している。
日本政府の姿勢に注文をつけたのは、朝日新聞の「首相は深刻さを認識せよ」と毎日新聞の「安倍外交にも問題がある」、東京新聞「慰安婦決議案 日米間のトゲにするな」。
「糾弾の意味は重い」と朝日
朝日新聞は「日本が過去の過ちを反省していないと、米議会が国際社会の面前で糾弾している。その意味は重い」と受け止めた。「決議案に疑問がないわけではない」として、「軍の関与を認めて」政府として慰安婦問題を謝罪した河野談話の位置付けが不十分な点などを挙げている。しかし、「慰安婦の残酷さを非難する決議案のメッセージは、真摯に受け止める必要がある」と重視する姿勢をみせ、「日本がそんな国と見られているのかと思うと残念であり、恥ずかしい」とも述べている。東京新聞も「歴史的な暗部を直視し(略)」「多数の女性の名誉と尊厳を損なった責任を受け入れ(略)」と、やはり決議案が前提とした認識を受け入れている。
毎日新聞は、過去の経過の記述が多い。「米国民を代表する議員の意思表示は重く受け止めねばならない」と主張はしているが、直後に日米関係への影響を懸念する記述が続き、外交面の配慮の観点からの主張であることがうかがえる。決議の前提を「誤解」と批判するのか、基本的に受け入れるのかは触れていない。
ちなみに日経新聞の28日朝刊の社説は、香港経済の問題とスーダンの紛争問題に関するものだった。
米下院に採択見送り要請へ=慰安婦決議案で自民有志(時事通信、6月29日)
自民党有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は29日午前、党本部で総会を開き、米下院外交委員会が可決した従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案は事実誤認に基づいており、日米関係に悪影響を与えるとして、米下院議長と外交委員長あてに本会議採択を見送るよう求める声明を送付することを決めた。声明には、呼び掛けに賛同する自民、民主両党議員の署名を添付するという。
慰安婦で釈明求める書簡 オランダでも批判噴出か(中日新聞、6月28日)
【ブリュッセル29日共同】第2次大戦中の従軍慰安婦問題で、オランダ下院のフェルベート議長は28日、日本の国会議員らが、女性を慰安婦として強制的に動員した事実はなかったと反論する意見広告を米紙に掲載したことなどに関し、釈明を求める書簡を河野洋平衆院議長に送付した。下院報道官が共同通信に同日、明らかにした。
日本側の対応次第では、米下院外交委員会が公式謝罪を求める決議を可決したのに続き、欧州有数の「親日国」であるオランダでも批判が噴出する可能性がある。
日本占領下のインドネシアで慰安婦にされた国民がいるオランダでは、安倍晋三首相の3月の「(動員に)強制性を裏付けるものはなかった」との発言や意見広告を受け、バルケネンデ首相が「あまりにも不適切だ」と不快感を表明している。
アメリカ下院外交委員会の「慰安婦」決議に対する対応の問題。
安倍首相は、新たな対応は必要ないとの姿勢である。
下院本会議での可決の時こそ、
安倍氏に新たな判断が求められることになるのだろう。
その安倍政権をささえる公明党の北側幹事長は、WPの広告「事実」を批判する。
批判された当の平沼氏等は、新たに「慰安婦」問題での日米共同研究をよびかけている。
「研究」の場に、いったいどういう「事実」を示すつもりなのか。
民主党の松本政調会長は、安倍氏の「結果責任」を問うとの微妙な表現。
広告「事実」にも、上の平沼氏等のグループにも、たくさんの民主党議員が名をつらねている。
そのことの「責任」にはふれる用意がないようである。
首相「対応せず」・米下院の従軍慰安婦決議(日経新聞、6月27日)
安倍晋三首相は27日、首相官邸で記者団の質問に答え、いわゆる従軍慰安婦問題に関する米下院の決議案について「米国訪問時に私の考えは説明している」と述べ、新たに対応する必要はないとの考えを示した。ただ、今回の米議会での動きは首相や、首相に近い国会議員らの言動が影響したとの見方に加え、外務省の対応の問題点を指摘する声も出ている。
公明党の北側一雄幹事長は記者会見で「日本政府のとってきた説明を繰り返していくしかない」としながらも「これまでの(日本政府の)姿勢に誤解を生むような発言は慎むべきだ」と指摘。首相に近い有識者や国会議員らが名を連ねた慰安婦に絡む強制性を否定する米紙への意見広告を批判した。
民主党の松本剛明政調会長は「首相の様々な発信による米議会とのコミュニケーションの失敗がこういう結論になった。結果責任が問われる」と首相の対応を批判。共産党の小池晃政策委員長は「侵略戦争を肯定する靖国派外交の破綻だ」と指摘した。
米慰安婦決議に「憂慮」 平沼氏ら、共同研究を提案(北海道新聞、6月27日)
平沼赳夫元経済産業相(無所属)と自民、民主両党の有志議員らは27日、国会内で記者会見し、米下院外交委員会の従軍慰安婦決議案可決について「事実に基づかない対日非難決議は、日米両国に重大な亀裂を生じさせ、両国の未来に暗い影を落とす」と憂慮する声明文を発表した。
声明文では「事実に基づく自由主義的な歴史研究を行い、未来に向けた歴史認識を持つことが必要」と指摘。(1)日米両国での慰安婦問題に関する共同歴史研究(2)決議案の根拠となった1993年の河野洋平官房長官談話の検証-を提案した。今後、政府に米国の有力シンクタンクとの共同研究などの対応を求めていく考えだ。
記者会見には自民党の島村宜伸元農相、民主党の松原仁衆院議員らが同席。
アメリカ下院外交委員会で、日本政府に「慰安婦」問題での公式謝罪や、教育の改善、問題の否定をゆるさぬ態度などを求める決議が、可決された。
賛成39、反対2、欠席9とのことであり、反対2も内容に対する反対ではなかったというから、民主・共和両党ともに、基本的には全員賛成ということである。
下院議長ペロシ氏が、本会議での可決をめざすとの声明を発表しており、本会議での可決も間違いない。
ホンダ議員は時期を7月2・3週としているが、これは日本の選挙日程をにらんでのことでもあるのだろうか。
いずれにせよ、いま日本の主権者たちが行うべきは、これらの問題解決に背を向ける個人や政党、またその個人の所属を認める政党の、政治的影響力を低めさせることである。
たくさんの若い世代が、この問題を学びはじめていることは、実に重要なことである。
慰安婦決議案を可決 米下院外交委 首相の公式謝罪促す (産経新聞、6月27日)
【ワシントン=有元隆志】米下院外交委員会は26日、慰安婦問題に関する対日非難決議案を原案を一部修正のうえ、39対2(欠席9)の賛成多数で可決した。民主党だけでなく共和党議員の多くも賛成したことから、下院本会議に上程されれば、採択されるのは確実とみられている。
決議案には法的拘束力はないが、日本の首相による公式謝罪を促している。
民主党のラントス委員長(カリフォルニア州)と共和党のロスレイティネン筆頭理事(フロリダ州)は同日、(1)日米同盟のアジア太平洋地域で占める重要性を確認する(2)日本の首相が慰安婦問題で公式謝罪すれば、日本の誠実さや声明に対し、これまで繰り返されてきた疑問を解く助けになる-と原案よりも表現をやや緩やかにした共同修正案を提出した。
ラントス委員長は「米国の大切な同盟国である日本が、過去に起きたことに正直に責任を負おうとしないことに当惑する。日本の公式謝罪拒否は、友情を評価する者にとって憂慮すべきことだ」と述べた。
反対したのはいずれも共和党の次期大統領候補のポール(テキサス州)、タンクレイド(コロラド州)の両議員。法案の内容ではなく、同委員会が過去の歴史問題を判断するのにふさわしくないとして反対した。
提案者のホンダ議員(カリフォルニア州)は決議案可決後、記者団に対し、「修正案は、(決議案の)中心部分に影響を及ぼしていない」と述べ、あくまで日本政府の公式謝罪を求めた。そのうえで、7月第2週か3週に本会議で採択されることに期待感を示した。
慰安婦:米下院外交委で可決した慰安婦決議の全文(朝鮮日報、6月27日)
ラントス下院外交委員長(カリフォルニア選出)ロス‐レティネン議員(フロリダ選出)の修正案を反映した下院第121号決議案
日本政府は1930年代から第2次世界大戦までの期間、「慰安婦」と言われる若い女性たちを帝国軍への性的サービス目的のため動員することを正式に委任した。日本政府による強制軍隊売春制度である「慰安婦」は、集団強姦・強制流産・恥辱・身体切断・死亡・自殺を招いた性的暴行等の残虐性や規模面においても、前例のない20世紀最大の人身売買の1つだ。
日本の学校で採用されている新しい教科書は、こうした慰安婦の悲劇や第2次世界大戦中の日本による他の戦争犯罪を過小化しようとしている。
日本の公共・民間の関係者は、最近の慰安婦の苦痛に対する政府の真摯(しんし)な謝罪を含む河野洋平官房長官による1993年の「慰安婦関連談話」を希釈または撤回しようとしている。
日本政府は1921年に「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」に署名し、2000年には武力紛争が女性に及ぼす影響についての国連安保理決議「女性、平和及び安全保障に関する決議第1325号」を支持している。
下院は人間の安全と人権・民主的価値・法の統治および安保理決議第1325号に対する支持など、日本の努力を称える。
米日同盟はアジアと太平洋地域で米国の安保利益の礎(いしずえ)で、地域安定と繁栄の根本だ。
冷戦後、戦略的な環境は変化したが、米日同盟はアジア太平洋地域で政治・経済的な自由、人権、民主的制度に対する支持、両国国民と国際社会の繁栄確保をはじめ共同の核心利益と価値に根ざしている。
下院は日本の官僚や民間人らの努力により1995年、民間レベルの「女性のためのアジア平和国民基金」が設立されたことを称える。同基金は570万ドル(約7億円)を集め、日本人たちの贖罪(しょくざい)の意識を慰安婦に伝えた後、2007年3月31日に活動を終了した。以下は米下院の共通した意見だ。
1. 日本政府は1930年代から第2次世界大戦前に至るまで、アジア諸国や太平洋の島々を植民地化したり、戦時に占領した過程において、日本帝国主義軍が強制的に若い女性たちを「慰安婦」と言われる性の奴隷にしたことを、事実として明確な態度で公式に認め、謝罪し、歴史的な責任を取らなければならない。
2. 日本の首相が公式声明を通じ謝罪するなら、先に発表した声明の信ぴょう性と水準に対し繰り返し唱えられる疑惑を解消する一助となるだろう。
3. 日本政府は日本軍が慰安婦を性の奴隷にし、「人身売買した事実は絶対にない」といういかなる主張に対しても、明確かつ公式に反論しなければならない。
4. 日本政府は国際社会が提示した慰安婦勧告に基づき、今の世代と将来の世代を対象に、残酷な犯罪について教育しなければならない。
ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
「正義のための闘い」称賛=慰安婦決議案で米下院議長(時事通信、6月27日)
【ワシントン26日時事】ペロシ米下院議長は26日、戦時中の従軍慰安婦問題で下院外交委員会が可決した対日謝罪要求決議案の本会議可決を目指すとの声明を出し、同案を提出したホンダ議員について「慰安婦支援のための疲れを知らぬ活動、世界の正義・人権のための闘いは称賛すべきものだ」と述べた。
その上で、「日本は米国の貴重な友人であり、環境保護や世界の貧困層のための人道支援などの分野で主導的な役割を果たしているが、慰安婦問題ではなおなすべきことがある」と指摘。「過去の過ちを認識し、未来の世代を教育するのに遅すぎるということはない」と強調した。
東アジアの統合に対する日本への期待の声だが、それは靖国史観問題を解決せよとの声でもある。
日本は地域統合主導を=アジア版ダボス会議で比大統領(時事通信、6月24日)
【シンガポール24日時事】アジア版ダボス会議で知られる世界経済フォーラム東アジア会議が24日、シンガポールで2日間の日程で開幕した。冒頭、基調演説したフィリピンのアロヨ大統領は「東アジア共同体づくりや地域統合、平和と安定に日本の主導的役割を期待する」と述べ、日本に強い期待感を示した。
ワシントン・ポストへの「事実」広告に関する、その後の各国の反応も、まとめて紹介したもの。
結局、こうした靖国勢力を内部に容認する政党に、国民が夏の選挙でどういう審判を下すのか。
そこをこれらの問題に対する国民の行動の焦点にすえる必要があるのだろう。
「従軍慰安婦」強制を否定 自民・民主議員ら 米紙への意見広告 批判・怒り世界から 米副大統領も「不愉快」(しんぶん赤旗、6月24日)
「従軍慰安婦」の「強制連行はなかった」と主張する自民、民主両党の「靖国」派の国会議員らの米紙ワシントン・ポストへの意見広告に、米国内外から批判の声が上がっています。この意見広告は今月14日付に掲載されたもの。ジャーナリストの櫻井よしこ氏、元駐タイ大使の岡崎久彦氏なども名を連ねました。掲載後、元「慰安婦」、韓国紙などから批判の声が上がり、米副大統領の怒りも伝えられています。米下院外交委員会ではこの26日に「従軍慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める決議が採決される予定です。
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意見広告に名を連ねているのは、自民、民主、無所属の四十四人の議員です。「慰安婦」問題で日本軍による強制と関与を認めた河野官房長官談話(一九九三年)の撤回を強く主張してきた稲田朋美(自民)、松原仁(民主)の両氏から、日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)会長の平沼赳夫氏(無所属)まで「靖国」派国会議員が勢ぞろいしています。
意見広告は、「事実」との表題で、米下院の「慰安婦」決議案が日本軍による“若い女性への性奴隷の強要”や、“二十世紀最大の人身売買の事件の一つ”などと指摘しているのは、「故意の歪曲(わいきょく)」だと主張しました。
さらに、「日本軍による強制を示す歴史資料は見つかっていない」「慰安婦は“性奴隷”ではなく公娼(こうしょう)である」などと述べています。
「慰安婦」問題をめぐっては、三月に安倍晋三首相が「強制性はなかった」と国会答弁したことを機に、米メディアが注目。ワシントン・ポスト紙社説が、安倍首相が北朝鮮の拉致問題に熱心なのと対照的に「日本自身の戦争犯罪には目をつぶっている」として、「二枚舌」と批判したのをはじめ、主要各紙が社説で日本政府のこの問題での不誠実な態度をいっせいに批判していました。
この意見広告が掲載された二日後の十六日、米下院外交委員会のラントス委員長(民主党)が、同委員会に付託されている従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案を二十六日に採決に付すことを明らかにし、「多数の賛成で通過するだろう」と述べました。
同決議案の賛同議員は急増し、二十二日までに、百四十五人に達しています。ラントス委員長自身も新たに共同提案者になっています。
決議案が委員会で可決されると七月中にも本会議で採決される可能性があります。 (ワシントン=鎌塚由美)
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意見広告に賛同した議員
自由民主党
(衆院)
赤池誠章 (比例南関東)
稲田朋美 (福井1区)
江藤拓 (宮崎2区)
大塚高司 (大阪8区)
岡部英明 (比例北関東)
小川友一 (東京21区)
鍵田忠兵衛(比例近畿)
亀岡偉民 (福島1区)
木原稔 (比例九州)
木挽司 (兵庫6区)
坂井学 (神奈川5区)
島村宜伸 (東京16区)
杉田元司 (比例東海)
鈴木馨祐 (比例南関東)
薗浦健太郎(千葉5区)
平将明 (東京4区)
戸井田徹 (兵庫11区)
土井亨 (宮城1区)
土井真樹 (比例東海)
西本勝子 (比例四国)
林潤 (神奈川4区)
古川禎久 (宮崎3区)
松本文明 (東京7区)
松本洋平 (東京19区)
武藤容治 (岐阜3区)
愛知和男 (比例東京)
山本朋広 (比例近畿)
渡部篤 (比例東北)
(参院)
中川義雄 (北海道)
民主党
(衆院)
松木謙公 (比例北海道)
笠浩史 (比例南関東)
牧義夫 (愛知4区)
吉田泉 (比例東北)
河村たかし(愛知1区)
石関貴史 (比例北関東)
泉健太 (京都3区)
神風英男 (比例北関東)
田村謙治 (比例東海)
鷲尾英一郎(比例北陸信越)
北神圭朗 (比例近畿)
松原仁 (比例東京)
(参院)
松下新平 (宮崎)
無所属
(衆院)
西村真悟 (比例近畿)
平沼赳夫 (岡山3区)
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日本の誇り地に落ちる
韓国紙
オーストラリアのAAP通信は十五日、「日本の否定に慰安婦が激怒」と伝え、日本のインドネシア侵略時にジャワ島で拘束されて「慰安所」に送られたオランダ出身女性ジャン・ルフ・オハーンさん(84)の怒りのことばをこう紹介しています。
「まったく恐るべきことです。私は怒りで身が震えています。多くの証拠があるというのに」、「私たちは強制されたのですから。日本は彼らの歴史的責任を認めていないのです。私はトラックに詰められ、家族から離れたところに連れて行かれ、売春宿に入れられて一日中、強姦され続けたのです」
AAP通信によると、元「慰安婦」の支援団体「オーストラリア慰安婦たちの友」は声明で「生存者たちの数多くの証言は、『慰安婦』制度が報奨も賃金もまったく手にできない軍の性奴隷制度であったことを明確にしている」とのべています。
第二次世界大戦終結まで足かけ三十六年に及ぶ日本の植民地支配を受けた韓国でもメディアから厳しい批判が出ています。
東亜日報紙は十六日、ワシントン・ポスト紙への「慰安婦の動員に強制はなかった」とする意見広告にたいし、「米国内には強い逆風が吹いている」と報道。同紙十八日付電子版日本語サイトは、米政府内での反応をこう伝えています。
「チェイニー副大統領は、『この広告は非常に不愉快な内容だ』と、補佐チームに広告の経緯について把握するよう指示したという」
同じく韓国紙・朝鮮日報十六日付は、「日本の知識人の道徳水準をさらした慰安婦広告」と題する社説を掲載。意見広告は、「(慰安婦問題での)最大の被害国である韓国、中国、インドネシア、フィリピンなどのアジア各国」についての事例を完全に無視していると指摘。「日本は首相や外相をはじめとする不道徳な日本政府関係者に不道徳な国会議員、さらに知識人までが加わり、犯罪の歴史を闇に葬り去ろうとあがいている。だが、彼らがこうした行動をとればとるほど、日本国民の誇りが地に落ちるばかりだということに、気づくべきだろう」と結んでいます。
塩崎氏の発言は、マイケル・グリーンの入れ知恵どおり? 「他国の議会の話」ではなるが、話の中身は「自国」のことだ。
他人の非常識をいう前に、中山氏は「慰安所」をつくった日本人を「心優しい民族」といい、「慰安婦」はほとんどが日本人だったという自らの非常識発言を正すべきである。
以上、詳細は『「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう』参照のこと。
WPに「慰安婦」問題をめぐる「事実」意見広告を掲載した中心人物の一人である花岡氏の記事は、いくつか大切なことを教えてくれる。
中でも、もっとも重要なことは、WPへの意見広告が必ずしも「慰安婦」問題である必要はなかったということ。
当初は「南京事件」で申し入れていたというのだから、事柄の核心は〈靖国史観の正当化〉そのものにあったということである。
「慰安婦」が得てきた「対価」の問題など、「事実」に対する「基本的認識」のおそまつもあからさまである。
「慰安婦」決議は、6月26日に下院外交委員会に、7月中旬には下院本会議にかけられる見通しだという。
すでに何度かの延期があったわけだが、今回の意見広告が、議決促進のだめ押しになったとの観測もある。
米議会の従軍慰安婦決議案で官房長官「コメント控える」(日経新聞、6月18日)
塩崎恭久官房長官は19日午前の記者会見で、米下院外交委員会が旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議案を採決するとしていることについて「他国の議会の話であり、政府としてのコメントは控える」と述べた。同時に「安倍晋三首相は4月の訪米時に自らの言葉で気持ちを伝えてきた」と語った。
「慰安婦決議は非常識」・自民党の有志議員(日経新聞、6月19日)
自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の中山成彬会長は19日の記者会見で、米下院外交委員会が日本政府に従軍慰安婦問題での謝罪を求める決議案を採決に付すことについて「事実でもないことを決議するのは非常識」と批判した。
【花岡信昭の政論探求】「慰安婦」意見広告の重み(産経新聞、6月19日)
「慰安婦」問題をめぐり、米紙ワシントン・ポストに日本側識者らによる意見広告が掲載された。「ザ・ファクツ(事実)」と題する全面広告で、これまで韓国系団体などの反日広告は掲載されてきたが、日本側のものが米紙に載るのは初めてだ。
意見広告では、当時の日本軍当局が出した通達や韓国紙の報道など「5つの事実」を提示し、「官憲による強制連行はなかった」ことを指摘している。
評論家・屋山太郎氏、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏、西村幸祐氏らの識者に加えて、自民、民主両党など40人を超える国会議員が賛同者として名を連ねた。
これに対し、さっそく、韓国の朝鮮日報は「日本の知識人の道徳水準をさらした慰安婦広告」という評論記事を掲載した。「日本の首相、外相ら不道徳な政府関係者に、不道徳な国会議員、知識人らが加わり、犯罪の歴史を闇に葬ろうとあがいている」といった相変わらずの調子だ。
米下院でマイク・ホンダ議員が提出した対日非難決議が採択されそうな情勢下にあって、日本側から「事実を知ってください」という冷静なトーンの意見広告が出された意味合いは大きい。
決議案では慰安婦を「セックス・スレイブ(性奴隷)」と断じ、日本軍の組織的な「慰安婦狩り」が行われたとし、「20世紀最大の人身売買事件」とまで主張している。これでは「日本は“レイプ魔”国家である」と言っているようなもので、国家と国民に対するこれ以上の誹謗(ひぼう)中傷はない。
それも、当時は公娼制度のもとで専門業者がおり、慰安婦は兵士から対価を得ていた、といった基本的な認識にも欠けているのだから、始末に負えない。そうした誤りをただす努力を、日本の政府・外交当局はどこまで徹底させてきたか。
国際社会では一方的な言説に対して、きちんと反論しておかないと、容認したものと受け止められ、ゆがんだ日本のイメージが定着してしまう。「慰安婦」「南京」「靖国」など、歴史認識をめぐるあらゆる問題に共通する課題だ。
今回の意見広告は作曲家のすぎやまこういち氏がかねてから進めてきた企画がようやく実現したものだ。当初は南京事件をめぐる意見広告を出そうとしたが、米紙にことごとく拒否され、慰安婦問題に切り替えてようやく成就した。
この意見広告は、いわば「政治の怠惰」によってここまで野放しにしてしまった反日プロパガンダの横行を、なんとか食い止めようという思いに基づいている。本来は政府が国の意思としてやらなければならないものだ。それだけに、すぎやま氏の「こころざし」は重みがある。(客員編集委員 花岡信昭)
花岡信昭:ワシントン・ポスト紙に「慰安婦意見広告」(日経BP、6月21日)
米下院の慰安婦問題を巡る対日非難決議案に対し、日本側の意見広告がワシントン・ポスト(14日付)に掲載された。韓国メディアなどが激しく反発し、この意見広告が逆効果となって米下院の批判ムードを高め、決議案は26日にも下院外交委員会で採択される見込み、といった報道も出ている。
この意見広告にかかわってきた1人として、経緯と真意を説明しておきたい。日本側メディアの中にも意識的に(としか思えない)曲解している向きがあるためだ。
「THE FACTS(事実)」と題する全面広告は、政治評論家・屋山太郎氏、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏、作曲家・すぎやまこういち氏、評論家・西村幸祐氏、それに筆者の5人による「歴史事実委員会」の名前で出された。
実はすぎやま氏を中心に、2年ほど前から「南京事件」を巡る意見広告を出そうとし、広告原案を作成して折衝したのだが、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど主要米紙は拒否した。そこで、マイク・ホンダ議員の慰安婦非難決議案に対抗する意味合いもあって、慰安婦問題に切り替え、原案を作成した。
ニューヨーク・タイムズは今回も拒否したが、ワシントン・ポストはわずかな字句修正を求めた(「事実」の提示を主眼としたため、「これは意見広告ではありません」と冒頭に振ったところ、意見広告の扱いなのだからちょっと困るという回答があったものだ)だけで、掲載を応諾した。
ワシントン・ポストは韓国系団体の日本非難広告を掲載しており、それとのバランスを取ろうとしたのかどうか。ここで日本側の意見広告を受け入れた背景は分からない。だが、米国内に慰安婦問題を巡る変化がようやく生じてきたのではないかとも感じたのである。
自民・民主議員の米紙意見広告 「慰安婦」強制を否定 海外から批判(しんぶん赤旗、6月20日)
日本の自民党・民主党の議員四十四人が十四日付米紙ワシントン・ポストに、「従軍慰安婦」の強制性を否定した意見広告を出したことに対して、元「慰安婦」の女性は激しい憤りの声を上げています。
オーストラリアのAAP通信十五日付は、インドネシアで日本軍の「慰安婦」とされた豪在住のジャン・ルフ・オハーンさん(84)の声を紹介しています。
オハーンさんは、意見広告がとくに日本軍の強制を示す証拠は見つかっていないと主張していることについて、こう語っています。
「私はトラックに詰められ、家族から離れた遠いところに連れて行かれ、買春宿に入れられて、一日中強姦(ごうかん)され続けた」「私たちが強制されていなかったという、どんな証拠を彼らが出せると言うのか」
オハーンさんはそのうえで、「日本は歴史的責任を認めていない。私たちは日本が戦時中に犯した罪を認めて謝罪してほしいのです」と訴えています。
オハーンさんは今年二月に訪米し、米下院外交委小委員会で自らの体験を証言しています。
また韓国の東亜日報十六日付は、意見広告に対して「米国内には強い逆風が吹いている」と紹介。やはり同日の韓国紙・朝鮮日報はこの意見広告に関して次のように論評しています。
「日本は首相や外相をはじめとする不道徳な日本関係者に、不道徳な国会議員、さらには知識人までが加わり、犯罪の歴史を闇に葬り去ろうとあがいている。だが、彼らがそうした行動をとればとるほど、日本国民の誇りが地に落ちるばかりだということに、もはや気づくべきだろう」
加藤駐米大使「慰安婦決議案、日米関係に良くない」 (日経新聞、6月21日)
【ワシントン=丸谷浩史】加藤良三駐米大使は20日の記者会見で、旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題で、米下院外交委員会が日本政府に謝罪を求める決議案を26日に採決することについて「客観的事実に基づかない決議は日米関係にとって良いことではない」との考えを示した。同時に「これからも適宜適切に働きかけていく」と、議会関係者などに説明を続けると表明した。
これまでも日本政府は(1)いわゆる従軍慰安婦問題に関する責任を認め、謝罪してきた(2)アジア女性基金で元慰安婦の方々に償いの事業を実施してきた――などと説明し、決議案の内容は事実に反すると指摘してきた。ただ26日に下院外交委が採決する決議案の共同提案者は20日までの段階で142人に上っており、可決は確実な情勢となっている。
「強制性否定」が逆効果=採択濃厚の慰安婦決議案-米下院(時事通信、6月19日)
【ワシントン19日時事】米下院外交委員会が26日に採決する従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議案は、賛成多数での可決と、本会議での採択が濃厚となっている。ここまで支持が拡大した要因の1つに、安倍晋三首相が「狭義の強制性」を否定する論陣を張り、米議員の反感を買ったことが挙げられる。日本の国会議員らによる最近の強制性否定の意見広告が駄目押しとなったとの見方も広がっている。
慰安婦:米下院決議、7月中旬に本会議で表決=共同通信(朝鮮日報、6月21日)
米議会下院の慰安婦決議案が、来月中旬ごろ下院本会議で表決に付されることになる、と共同通信が20日、米ワシントン発の記事で報じた。
共同通信によると、マイケル・ホンダ米下院議員(共和党)は19日(現地時間)、ワシントンで「慰安婦決議案が来週下院外交委員会を通過したら、下院本会議にいつごろ上程されると予想するか」との質問に、「来月中旬ごろ本会議で表決処理されるとみている」と答えたという。
日系米国人のホンダ議員は、共和党議員らとともに今年1月、安倍晋三首相が日本軍慰安婦問題について公式謝罪するよう促す決議案を発議した。これに関し、ホンダ議員は「慰安婦決議案は日本に打撃を与えるためのものではなく、われわれの過去を認め、正面突破するためのもの」と説明した。
そして慰安婦決議案は、米下院外交関係委員会で今月26日表決が行われる。決議案は共和党と民主党の下院議員140人余りの支持を得ており、難なく通過するものと予想されている。そのため現在の関心は、決議案が下院本会議を通過できるかに移っている。なお米議会では、今回のものと類似した内容の決議案が過去4回提出されたことがあるが、昨年9月に1度だけ外交委を通過しただけで、下院本会議を通過したことはない。
一方、「ナンシー・ペロシ下院議長は慰安婦決議案を支持するのか」という質問に、ホンダ議員は「支持すると聞いている」と答えた。
アメリカ下院の「慰安婦」決議案が、6月26日には外交委員会にかけられ、さらに本会議にもかけられていく見通しが明らかとなった。
いずれも可決する可能性がきわめて高い。
自民党の政治家等靖国派63名による「事実」の広告は、アメリカ政界および軍の強い反感を得ることとなった。
その様な結果が「見え見え」であったことから類推すれば、「事実」の広告は、「自立保守」(対米従属を緩和する靖国派)という政治潮流の旗揚げを意図したものであったのかも知れない。
財界とアメリカに見放された「保守」は、はたして、どこまで強い影響力をもちうるものだろう。
慰安婦:日本側の強制性否定広告に米国内で不快感(朝鮮日報、6月18日)
米国ワシントンの消息筋は16日、日本の指導者層63人が最近、旧日本軍による「従軍慰安婦」の強制連行はなかったという内容の広告を米国紙ワシントン・ポストに掲載したことに対し、同国の政府・議会が不快感を示しており、これについて問題提起していく可能性が大きいと語った。
特に日本側の広告が「多くの国は、軍人が一般市民に対して強姦(ごうかん)行為を働くのを防ぐため、売春街を設置している」とし、その例として、米国が1945年に日本を占領した後、日本政府に「慰安所」の設置を要請した、と明記している点について米国が異議を申し立てていくことが予想されている。
また、今年初めに日本を訪問した際、日本の歴史問題が東アジアの安定の障害になってはならないという意向を伝えていたディック・チェイニー副大統領は、この広告に不快感を示し、状況の把握を指示したという。
日本側の今回の広告によって、米国下院に提出されている、従軍慰安婦問題で日本に謝罪を求める決議案が採択される可能性がむしろ高まるのではないかとの見通しも出ている。米国の議員らは、厳然たる歴史的事実という審判が下されている従軍慰安婦問題を歪曲(わいきょく)しようという動きに強く反発しているというわけだ。米国下院のトム・ラントス外交委員長は16日、ロサンゼルスで開かれた基金への寄付を呼び掛ける集会で「慰安婦問題について日本に謝罪を求める決議案は、今月26日に外交委員会の本会議に上程される見通しで、大差で採択される可能性が非常に高い」と述べた。 ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
米下院に提出されている日本軍慰安婦強制動員の糾弾決議案(HR-121)が26日、外交委員会会議に正式に上程される。トム・ラントス下院外交委員長は16日、ロサンゼルスのウィルシャープラザホテルにおいて韓国人団体の主催で開かれた招聘行事に出席し、「先月上程しようとして見送られた慰安婦決議案を26日、上程するつもりだ」と明らかにした。
ラントス委員長は、「私もまた、女性の人権問題である慰安婦決議案を支持しており、大差で通過する可能性が非常に高い」と語った。米議会では唯一のホロコーストの生存者であるラントス委員長は、「慰安婦問題はまだ解決されていないいくつかの問題の一つだ」としながら、「韓国の女性たちが受けた苦痛に対して、長い期間、正義が実現されていない」と付け加えた。
議会のある消息筋は、「決議案が一旦上程されれば、常任委員会では満場一致で通過する可能性が高い」としながら、「ナンシー・フェロシー下院議長も決議案への強い支持の意思を表明したことがあり、本会議への上程も近く行われるだろう」と語った。いっぽう、日本の議員など指導的人物63人は、14日付のワシントンポスト紙に、「慰安婦の動員に強制はなかったし、慰安婦たちへの待遇も厚かった」という内容の全面広告を掲載したことについて、米国内には強い逆風が吹いている(東亜日報16日付A30面記事)。
チェイニー副大統領は、「この広告は非常に不愉快な内容だ」と、補佐チームに広告の経緯について把握するよう指示したという。米海軍は日本側が広告文の中で、「米軍も1945年の占領以来、レイプを予防するため、慰安所の設置を日本政府に要請したことがある」と主張したことについて、「まったくのでたらめだ」と反ばく声明を準備しているという。
「従軍慰安婦決議案、通過する可能性大」米国下院(中央日報、6月18日)
太平洋戦争時の従軍慰安婦を強制動員した日本政府に公式謝罪を促す慰安婦決議案が米国下院を通過するものとみられる。
下院外交委員会のトム・ラントス委員長は16日、ロサンゼルスで開かれた自分の後援会で「決議案を26日、外交委員会に上程する」とし「私も支持している分、大きな票差で通過する可能性が非常に高い」と述べた。「これまで人権問題を扱ってきた者としてこの問題を非常に重要に考え、推進してきた」とし「決議案を通過させるのが私の任務」と強調した。
決議案上程に決定的権限を持ったラントス委員長がこのように述べ、これまで日本政府の熾烈な反対ロビーにさえぎられ、実現しなかった慰安婦決議案の通過が目の前に迫っている。この決議案を共同発議した米下院議員が140人に達した中で、ラントス委員長が上程意思を公式発表しただけに決議案は圧倒的な票差で外交委を通過する可能性が高い。外交委を通過すれば下院本会議にも近いうちに上程される。
米国の初の女性下院議長であるナンシー・ペローシー氏も慰安婦決議案を積極的に支持してということだ。したがってこの決議案が外交委員会を通過すれば下院本会議の通過もそれほど難しくないものとみられる。
決議案は米議会をパスしても法的な拘束力はない。しかし米国と国際社会に日本の蛮行を告発しながら日本政府に謝罪と再発防止を要求することなので、日本政府としては大きい圧迫を受けることになる。これによって日本の議員らが先週末、慰安婦動員に強制性がなかったと強弁する全面広告をワシントンポストに掲載するなど決議案阻止に力を入れている。しかしこの広告に接したチェイニー米副大統領が腹を立て、真相調査を指示するなど逆効果を生んでいるとワシントン政界の消息筋は伝えた。 ワシントン=カン・チャンホ特派員
高校の教科書から沖縄の「集団自決」を削除する問題で、「教科図書検定調査審議会」に、文科省自身が削除を求める意見書を出していたという。
これでは「審議会」による教科書審査の公平性は保たれない。
「慰安婦」問題にせよ、この問題にせよ、ようするにかつての帝国軍隊の「名誉」回復運動である。
その先には、「戦争のできる国」の軍隊を美化する意図があるのかもしれない。
県政与野党 文科省批判/「集団自決」削除指示 「検定制度ゆがめる」(沖縄タイムス、6月16日)
来年度から使用される高校の教科書検定で文部科学省が、教科書を審査する「教科図書検定調査審議会」に、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の記述について、日本軍関与の削除を求める意見書を提出していたことが明らかになった十五日、県内では反発や危惧の声が広がった。県内各政党は「文科省が『集団自決』の歴史を変え、審議会の中立性を損ない、検定制度の在り方をゆがめる」と批判、検定意見の撤回を求めた。
十三日に文科省の審議官と面談した自民党県連の伊波常洋政調会長は「事実であれば遺憾。審議官は文科省の関与を否定していた。結論ありきでは、検定そのものの在り方が問われる」と厳しく指摘した。
社民党県連の照屋寛徳委員長は「沖縄戦の実相を歪曲し、犠牲者を冒涜している」と批判。「文科相の責任で検定を撤回すべきだ。撤回がなければ首相は、慰霊の日に来県する資格はない」と訴えた。
公明党県本の糸洲朝則代表は「政府の介入があってはいけない。審議会の中立性を損なう」とし、「省や審議会は沖縄戦の実態を調査し、生の声を真摯に聞くべきだ」と述べた。
社大党の喜納昌春委員長は「自公政権ぐるみで、沖縄戦の歴史を改ざんする行為は明らか」と反発。「今回の問題を機に、先の大戦の歴史や日本軍の行為を問い直す国民論議が必要」とした。
共産党県委の赤嶺政賢委員長は「文科省主導で日本軍の関与削除を行った事実が明白となった。検定を撤回すべきだ」と憤った。その上で「戦前回帰を狙う安倍政権の本質を露呈した」と述べた。
政党「そうぞう」の下地幹郎代表は「沖縄戦に対する認識を変更させようとする重大な問題だ」と強調。「意見書通りでは審議会は同省の下請け機関になる。撤回すべきだ」とした。
民主党県連の喜納昌吉代表は「歴史の歪曲は断じて許せない」と反発、検定の撤回を訴えた。「文科省と安倍政権が一体となった改ざんで、沖縄に対する巧妙な政治的暴力だ」と述べた。
歴史歪曲やめよ 9万人署名 沖縄戦「集団自決」の軍関与削除 教科書検定問題 文科省に要請・集会(しんぶん赤旗、6月16日)
「沖縄戦の歴史歪曲(わいきょく)を許さない! 沖縄県民大会実行委員会」は十五日、二〇〇六年度の高校教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍関与の記述が修正・削除された問題で、文部科学省に検定経過の公開などを求めました。検定の修正指示を撤回し、「軍命」が記述された申請時の文章に戻すよう求めた署名、九万二千三百三十八人分を一次分として、文科省と参加した各国会議員に提出しました。
不誠実な対応
その後、国会で開かれた集会には約百八十人が参加。「文科省の不誠実さにますます怒りを持った。きょうの集会は抗議集会に近くなる」との怒りの声で始まり、検定意見撤回への決意を固め合いました。
松田寛沖縄高教組委員長は「私たちは沖縄戦の歴史歪曲を許すわけにはいかない。最後までがんばっていきましょう」と主催者あいさつ。会場いっぱいの参加者から「そうだ!」の掛け声と大きな拍手が起きました。
福元勇司実行委員会事務局長は審議官とのやりとりを報告。審議官は「沖縄戦に関して日本軍の関与、日本軍の責任があったことは明白」だとのべる一方、「これまで軍の隊長関与があったとされていたが、今回関係者の証言があり、隊長命令は断定できない」とし、今回の検定意見の根拠になったとのべたことを紹介しました。
福元さんは「これは(問題の)すり替えだ」と批判。「いま、教科書検定で起こっていることを子どもたちに語りかけていただきたい」と訴えました。
怒りを全国に
実行委員会呼びかけ人の高嶋伸欣琉球大学教授は情勢報告のなかで、過去二回、検定意見が撤回された例を挙げながら、「自信を持って撤回を求めていきたい」と運動を広げていることを紹介。
沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「安倍首相が沖縄に来るという二十三日、大集会を構えて沖縄の怒りを全国に発信すべきだ」と力を込めました。
知り合いのおじから手榴(しゅりゅう)弾を渡され、「自決寸前までいったが、命拾いして、いまここにいる」と切り出した沖縄戦体験者の瑞慶覧(ずけらん)長方さん(75)は「最後は大衆が勝つ信念でたたかう」と決意を語りました。
要請に参加した「沖縄の真実を広める首都圏の会」の呼びかけ人、石山久男さんは「沖縄県民の怒りの根深さを改めて感じた。この怒りを首都圏の多くの方々と共有しながら、撤回を要求していく」とのべました。
集会に日本共産党の赤嶺政賢衆院議員と仁比聡平参院議員が参加。仁比議員は「沖縄戦の真実は日本と沖縄の歴史、太平洋戦争の本質にかかわる重大な事実。厳然たる事実をゆがめることは許されない」と連帯の意を表明。民主、社民両党の国会議員も参加しました。
6月14日付のワシントン・ポストに、「慰安婦」問題をめぐる「事実」を訴える全面広告が出された。
日本の国会議員44名の他に、学者やジャーナリスト等が名を連ねているという。
①狭い意味の強制を「示す文書」はない
②部分的な「強制」は「規律」の「崩れ」である
③公娼制は「当時の世界では普通」であった
④「将官よりも多くの収入を得ていた」
などのことが書かれているらしい。
議員のうち13名は民主党の議員である。
内容の当否については、もはや語る必要もない。
より重要なのは、これに対するアメリカのマスコミ、市民等の反応である。
それによって、従米靖国派と、自主靖国派とへの分岐が深まる可能性がある。
「慰安婦強制の文書ない」 日本の国会議員ら米紙に広告(朝日新聞、6月15日)
従軍慰安婦問題をめぐり、日本の国会議員有志や言論人らが14日付の米紙ワシントン・ポストに「旧日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない」と訴える全面広告を出した。
島村宜伸元農水相、河村たかし氏ら自民、民主両党の国会議員ら計44人のほか、ジャーナリストの桜井よしこ氏、岡崎久彦・元駐タイ大使らが名を連ねている。4月下旬の安倍首相の訪米に合わせ、韓国人団体が同紙に「従軍慰安婦の真実」と題した全面広告を出したのに対抗し、「事実」という見出しをつけた。
広告では、旧日本軍の強制を示す文書がないと主張し、逆に「強制しないよう民間業者に警告する文書が多く見つかっている」と訴えた。インドネシアで一部の部隊が強制的にオランダ人女性を集めるなど「規律が崩れていたケースがある」ことは認めたが、責任者の将校は厳しく処罰されたと説明している。
そのうえで「慰安婦はセックス・スレーブ(性奴隷)ではなかった」と主張。公娼(こうしょう)制度は「当時の世界では普通のこと」として「事実無根の中傷に謝罪すれば、人々に間違った印象を残し、日米の友好にも悪影響を与えかねない」としている。
米下院では、日本政府に謝罪を求める決議案が提出され、共同提案者が130人に達しているが、外交委員会や本会議の採決には至っていない。
日本の国会議員ら、米紙に「慰安婦強制性否定」の全面広告(AFPBB、6月15日)
【6月15日 AFP】いわゆる従軍慰安婦問題をめぐり、日本の国会議員らが14日付のワシントン・ポスト(Washington Post)紙に、「第2次世界大戦中に日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す歴史文書は存在しない」と訴える全面広告を出した。
「事実(THE FACTS)」と題された同広告は、「米国民と真実を共有する」ことを目的に掲載されたもので、「歴史学者や研究機関の調査では、女性が意に反して、日本軍によって売春を強要されたことを示す文書は発見されていない。慰安婦は、『性奴隷』ではなく、当時の世界では一般的だった公娼(こうしょう)制度(政府による売春管理制度)のもとで行われていた」としている。さらに「慰安婦の女性の多くは、将官よりも多くの収入を得ていた」と付け加える。
一方、同広告は「規律の乱れ」が存在したことも認め、「実際に起こったことに対する批判は、謙虚に受け入れるべき」としているが、「根拠のない誹謗中傷に対する謝罪は、社会に歴史的事実に対する誤った認識を持たせるだけでなく、日米間の友好関係にも悪影響を及ぼしかねない」と指摘する。
同広告には、自由民主党(Liberal Democratic Party、LPD)議員29人、民主党(Democratic Party of Japan、DPJ)議員13人、無所属議員2人のほか、教授、ジャーナリスト、政治評論家が名を連ねている。
従軍慰安婦問題をめぐっては、安倍晋三(Shinzo Abe)首相が3月に「第2次世界大戦中に旧日本軍がアジア各国で強制的に女性を連行した証拠はない」と語り、物議をかもしている。同首相はその後、従軍慰安婦問題について謝罪した1993年の「河野内閣官房長官談話」を継承する立場を強調。4月後半の訪米時には、元慰安婦の女性らに対し「心から同情する」と語った。(c)AFP
米紙に「慰安婦」反論の全面広告、賛同者に平沼元経産相ら(読売新聞、6月15日)
【ワシントン=五十嵐文】14日付米紙ワシントン・ポストは、旧日本軍のいわゆる従軍慰安婦問題で、「日本軍によって女性が強制的に慰安婦にされたことを示す歴史的な文書は存在しない」などとする全面広告を掲載した。広告には賛同者として、平沼赳夫元経済産業相(無所属)のほか自民党の島村宜伸元農相、民主党の松原仁衆院議員ら国会議員有志、ジャーナリストの櫻井よしこ氏らが名を連ねている。
改悪された教育基本法を具体化する「教育3法案」が参議院で議論されている。
そのひとつ、学校教育法の改定案は、「男女平等」と「国際協調」を消し去るものとなっている。
安倍流・靖国派流「美しい国」の実態である。
学校教育法改定案 消えた「男女平等」 徳目に「戦前」色(しんぶん赤旗、6月13日)
参議院で審議中の教育三法案は、改悪教育基本法の具体化が目的ですが、安倍首相の「戦後レジームからの脱却」=戦前回帰の色がいっそう濃いものになっています。
三法案の一つ、学校教育法改定案は、改悪教育基本法に盛り込まれた徳目の育成を学校で実際に行わせるためのものです。改悪教育基本法で並べた「国を愛する態度を養う」などを明記しました。
国民の批判かわす
一方で、改悪教育基本法の徳目にさえ盛り込まれていた「男女の平等」などは消えています。
もともと改悪教育基本法の徳目に「男女の平等」が入ったのは、男女共学の条項そのものを削除したことへの国民の批判をかわす役割がありました。学校教育法改定案ではその本性をあらわす形となりました。
この背景には、安倍「教育再生」の応援団である「美しい日本をつくる会」が、「男女共同参画社会基本法」の廃棄を求めるなど、男女平等への敵視の動きがあります。
「個人の価値の尊重」なども、たとえ改悪教育基本法に並べられた徳目であっても、学校教育法改定案からは排除されています。
学校教育法改定案の「義務教育の目標」の“特異性”はもう一つあります。中央教育審議会(中教審)の答申(三月十日)が求めていた「国際協調の精神」を入れなかったことです。
現行の学校教育法には、小学校や中学校の教育の目的を実現するための目標として、「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと」と明記されています。これは、改悪前の教育基本法や憲法の精神にもとづくものですが、改悪教育基本法を受けた中教審でも、「国際協調」を否定することはできず、「我が国と郷土を愛する態度」とともに「国際理解及び国際協調の精神」を盛り込むよう答申しました。
「国際協調」さえも
教育にかかわって「国際理解と国際協調の精神」を重視することは、政府も強調していることです。一九八二年に歴史教科書についての官房長官談話が出され、その具体化として、文部科学省(当時・文部省)は、教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という条項を設けています。
これらの経過からも、「国際協調の精神」を外す道理はありません。
改悪教育基本法は小泉内閣が国会に提出し、安倍内閣のもとで強行成立し、その具体化がはかられています。戦前・戦中の国家体制を「美しい」と美化する「靖国」派が大多数を占める安倍内閣のもとで、過去の侵略戦争への反省をあらわす「国際協調の精神」や男女平等が削られていくことは、特異な価値観の肥大化として、きわめて危険です。それは国民との矛盾をさらに広げざるを得ません。
「集団自決」を教科書から消す政府の動きに抗して、沖縄県民3500人が集会を行っている。
軍から手榴弾を渡された、それが爆発しなかったので生き残ることができた。
しかし、親戚たちはまわりでたくさん死んでいった。
これが軍の強制でないとなれば、県民の「自決」は「軍国美談」とされてしまう。
仲井真県知事も、はじめて「広い意味での軍命」があったとの認識を示した。
これは、南京や「慰安婦」をなきものとし、帝国軍隊の名誉を回復しようとする大きな動きと一続きのもの。
かつての侵略と加害を正義の戦争に塗り替えながら、憲法「改正」で「海外で戦争のできる国」をめざす。
そんな狂気は、なんとしても、食い止めなければ。
歴史 消させない/真実 次の世代へ(沖縄タイムス、6月10日)
「沖縄戦の書き換えは絶対許せない」「悔しくて、居ても立ってもいられない」。九日、那覇市の県庁前県民広場で開かれた、「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」には「集団自決」体験者をはじめ沖縄戦体験者や若者も多数参加し、怒りの声を上げた。壇上でも日本軍から手榴弾を渡された体験者が証言し、「集団自決」犠牲者の孫が決意表明するなど文科省に検定意見の撤回を求める熱気に包まれた。集会後には国際通りをデモ行進し検定に反対の声を上げた。
◇ ◇ ◇
生存者、孫のために証言/検定に怒り熱気あふれ
「腹が立ってしょうがない。教科書書き換えを許してはいけない」と憤る池原利江子さん(84)=那覇市=は渡嘉敷の「集団自決」から生き延びた。弟の持っていた手榴弾が爆発しなかったため、池原さんの家族は死ななかった。しかし、隣で輪になっていた父のいとこの家族は十数人、叔母一家は六人全員…、数え上げればきりがないほど親せきたちが命を落とした。「島から復員した兵隊だってみんな(斜面の)上の方から見ていたから知っている。それなのに…」ごまかそうとする国の姿勢に怒りが込み上げてくる。
「自分の人生は短いが、孫やひ孫に事実を伝えなければいけない」。腰が悪く遠出は難しいが、声を上げるために可能な限り出掛けていく。
慶留間の「集団自決」体験者の與儀九英さん(78)=沖縄市=は、「血の海の悲惨な話はもういい」と実体験については、あまり触れない。が、米軍上陸の一カ月半前に、日本軍の戦隊長が、集落の全員に「全員玉砕あるのみ」と力強く訓示した、と証言する。軍が狡猾に「自決」に追いやった手口を今のうちに残しておかねば、危機感を訴える。
座間味から参加した宮村肇さん(53)は、体験世代ではないが「すごく腹立たしい。悔しい」と国の姿勢に怒る。体験者の島のお年寄りたちは教科書の書き換えを「ばかにしている」と怒っている、という。
島袋浩さん(74)=豊見城市=は戦時中は疎開していた。弟は対馬丸で亡くなった。「当時は怖くても、行かないと言えなかった。あれも強制だったんだ」と、振り返る。最近の戦前回帰の風潮を恐れ「教科書だけでなく世の中おかしくなってきた。意思表示しなければ」。教員を目指して勉強中の宜野湾市の比嘉徳史さん(26)は「歪曲された事実を子どもたちに教えたくない」と参加。「本土の人たちも同じ気持ちが持てるよう、声を伝えたい」
祖父母は生きたかったはず/犠牲者の孫・宮城千恵さん
「祖父母は死にたくて死んだというのですか」。渡嘉敷島で起きた「集団自決」犠牲者の孫で、南風原高校教諭の宮城千恵さん(48)は登壇し、「本当は生きたかったはずの祖父母のためにも、歴史の書き換えは許さない」と語った。
宮城さんの母方の祖父母は、渡嘉敷島で「集団自決」の犠牲となった。当時、ずいせん学徒隊の動員で本島にいた母は戦後も両親の死を知らず、何度も手紙を書き続けたという。
多くを語らなかった母から詳しく話を聞いたのは約二十年前。宮城さんはそれを基に紙芝居を作り、留学先の北アイルランドやハンガリーなどで子どもたちに読み聞かせる活動を続けた。
宮城さんは「多くの子が、愛する家族同士がなぜ殺し合ったのか理解できない様子だった」と振り返る。
「沖縄戦体験者がどんどんいなくなっていくという焦りもある。事実をしっかり若い世代に伝え、命の大切さを訴えたい」
その思いから絵本制作を思い立った。母の体験を基にした英語の絵本「沖縄からの手紙」を七月に出版する。一度も会うことのなかった祖父母に思いを込めて作った。
「この世に肉親同士が手をかけ合うほど、悲しいことはない。小さな島で起こった悲惨な出来事を世界中に知らせ、戦争をなくすきっかけにしたい」
「手榴弾渡された」/瑞慶覧さん体験を証言
県民大会で社大党顧問の瑞慶覧長方さん(75)が自決用に日本軍から手榴弾を渡された自身の体験を証言した。
太平洋戦争最中は国民学校の六年を終えたばかりで十三歳だった。
戦時中は校舎を日本軍に接収され、公民館へ移ったがそこからも追い出された。授業どころではなかった。学徒動員で、軍の防空壕を掘った。
五月二十三日。大里村のひめゆり学徒隊の隣の壕に身を寄せていたが、軍によって追い出された。それから約一カ月半、玉城、東風平、摩文仁と激戦地の中をさまよった。まさに鉄の暴風だった。
六月十七日には現在の糸満市、旧真壁村で壕を掘った。当時は学校でもどこでも皇民化教育が徹底されていた。天皇の子である日本人が、もし米軍の捕虜にでもなったらこれ以上の恥はない。だからいざというときには、自分で決死しなさいということで、日本軍から手榴弾を二個渡された。
知人の防衛隊が直接受け取った。うち一個が年長の自分に渡され、もし米軍が来たら壕の中の仲間十七人と一緒に自決しなさいと、その時を声を潜めて待っていた。幸い米軍は来ず、われわれは命拾いをし死体の中をくぐって真壁を突破した。
手榴弾は、軍の武器だ。それを軍が渡した。どんなことがあっても国民として敵の捕虜になるな、なるぐらいなら自決せよ。これが軍、国の命令だった。
皇民化教育は徹底されていた。大半の住人が捕虜になるよりはと、「集団自決」、「自決」に追い込まれた。
六月十九日朝、現在の平和祈念資料館の東側。住人を救うために捕虜になった沖縄の人が壕に来た。しかしその人まで日本兵が虐殺するという大変恐ろしい状況を目撃した。われわれは何度も軍命による自決を選ぼうとしたが、何とか終戦まで生き抜いた。
教科書から歴史を歪曲しようとする国の動きに対し断固として反対していかなければならない。
歴史歪曲 3500人抗議/「集団自決」修正 63団体が県民大会/検定意見撤回求め決議(沖縄タイムス、6月10日)
文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除、修正されたことに抗議する「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」(主催・同実行委員会)が九日、那覇市の県民広場で開かれた。約三千五百人(主催者発表)が参加。文科省に対し、検定意見の撤回を求める大会決議を採択した。
六十三団体でつくる実行委員会を代表し、あいさつした高嶋伸欣琉球大学教授は「生徒がこの教科書を使う来年四月までまだ時間がある。県民の声を文科省にぶつけて検定意見を撤回させることは一九八二年の前例もあり、十分可能だ」と強調。「会場の熱気に勇気づけられた。来週予定している伊吹文明大臣との交渉では、過去の経緯などを含めて厳しく追及し、成果につなげたい」と力を込めた。
沖教組の大浜敏夫委員長は「日本軍の命令がなかったことにされれば、住民自ら死を選んだことになり、軍国美談にされかねない。文科省による歴史歪曲に対し、県民の怒りは頂点に達している。大きなうねりを全国の世論へとつなげていこう」と呼び掛けた。
「文科省による教科書検定意見を撤回させる」「県議会に民意を踏まえた意見書をただちに採択させる」「沖縄戦の実相を子どもたちに伝えていく」の三項目を掲げたスローガンを採択。県政野党各党や労組、市民団体が連帯あいさつをしたほか、県外から出版関係者や日教組の代表らも駆け付けた。
参加者らは「ガンバロー三唱」で気勢を上げた後、「子どもたちに戦争の実相を伝えよう」「県民は沖縄戦の歪曲を許さない」などと訴え、国際通りをデモ行進した。
「軍命あったと思う」/「集団自決」知事が初言及(沖縄タイムス、6月8日)
仲井真弘多知事は八日午前の定例記者会見で、文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に日本軍が関与したとする記述が高校の歴史教科書から削除された問題について、「当時の社会状況から考えると、広い意味での軍命というか、そういうものはあったのではないかというのが個人の率直な気持ち」と述べた。
仲井真知事が、「軍命」の有無に具体的に言及するのは初めて。これまでは、日本軍関与の文言を削除・修正する検定内容に対しては「遺憾」との認識を表明する一方、「軍命」の有無については「専門家の検証が必要だろう」と述べ、コメントを避けてきた。
また、同検定の見直しを求める意見書採択が市町村議会で相次いでいることについては「それぞれの考えでなされているというのは、重く受け止めるべきではないかと考える」と述べた。
米空軍嘉手納基地内で大量のジェット燃料が流出した上、米軍の通報が遅れたことについて、仲井真知事は「対応の鈍さは極めて遺憾」と強い口調で批判した。
七日に県が基地内に立ち入った際、米軍が土壌などのサンプル採取を許可しなかったことについても「言語道断。民間事業者だったら少なくともしばらく、活動停止に値する」と述べ、今後も調査を求める考えを示した。
米海軍の掃海艦が与那国島への寄港を通知していることについて「米軍の艦船はホワイトビーチや那覇軍港など専用の港が決まっており、本来そこを使用すべきだ。民間の目的に応じて造られている港は使用すべきではなく、今回も自粛すべきだ」と主張した。
日米地位協定で管理者の県も寄港拒否できない実情に一定の理解を示した上で、「緊急事態など互いに、やむを得ないという理解が成立するラインというのはある。米軍の都合のいい時にいいように利用するのはいかがなものか」と不快感を示した。 大会決議は文科相、首相、知事、県議会議長あてに送付する。
アメリカ議会調査局で、下院議員向けの資料「日本軍慰安婦システム」を作成したラリー・ニクシー氏が、ソウルで講演を行った。
「慰安婦」問題をめぐる日本政府の動きは、かつての戦争を正しかったとするところに核心があり、それを一線を越えるならアメリカの「否定的な反応」は免れない。
靖国派とアメリカとの矛盾であり、それはアメリカが求めた日本の改憲の動きにも新たな矛盾を生み出している。
「日、慰安婦否定は戦争犯罪無効化の下心」米議会調査局研究員(中央日報、5月30日)
「慰安婦問題に日本政府が攻勢的に対応するには20世紀初めから中ごろ、日本がおかした戦争の罪の責任を無効にしようとする意図がある」--。
米国議会調査局研究員ラリー・ニクシュ博士は29日、ソウル北東アジア歴史財団大講堂で財団研究員を対象とし、日本軍慰安婦問題が日米関係に及ぶ影響と20世紀初めから中ごろの日本の歴史に対する認識問題を中心に1時間ほど講演した。
ニクシュ博士は「日本国内の歴史修正主義者たちの目標は第2次世界大戦の中で日本による戦争犯罪の責任を消してしまおうとすること」だと批判し「慰安婦問題のようにこれらが一定の線を超えたら米国内で否定的な反応を起こすだろう」と見通した。
ニクシュ博士は慰安婦問題に対する日本政府の公式謝罪を要求する米議会のホンダ決議案に対して「6月開催予定である米国会外交委員会案件には含まれていないが、トム・ラントス委員長の権限で上程される余地はある」と付け加えた。
ニクシュ博士はまた「ドイツに比べて反省が十分でない日本を肯定的な方向に誘導するためには日本国内の良心的な市民社会団体の活動を激励し、支持していく必要がある」と主張した。続いて「韓国は歴史問題を扱うことにおいて自国中心的な観点に固執している」と指摘し「今年で70周年になる南京大虐殺など他国家の戦争惨禍にも関心を傾ける方が日本にもっと強いメッセージを伝える方法になる」と述べた。
ニクシュ博士は米議会内のアジア問題専門家として通じ、4月、初議会で配付された「日本軍慰安婦システム」という報告書を作成している。
本音はいったいどこにあるのだろう?
公明党は、昨年12月15日の防衛省法に賛成し、自衛隊の本来任務に海外派兵を加えることに賛成している。
「加憲」の対象に、集団的自衛権の合法化が含まれることは、過去の発言からも明らかなのだが。
「この夏はまずい」「靖国色が強すぎるのはまずい」「支持団体がまとまらない」などの問題があるということだろうか?
あるいは地方選挙での得票減も影響したか?
改憲の争点化、選挙協力影響も 公明代表(北海道新聞、5月28日)
公明党の太田昭宏代表は二十七日の民放番組で、安倍晋三首相が七月の参院選で憲法改正を争点に掲げていることに関連して、「自民党が公明党と根本的に違うことを言えば、(選挙での自民党)支援について当然ちゅうちょせざるを得ない」と述べ、集団的自衛権などで主張に隔たりが生じれば自民党への選挙協力に影響するとの認識を示した。
太田氏は、公明党として集団的自衛権の行使は容認できないとの考えを重ねて示した上で、「中身を言わないで、憲法改正だけを言っても意味がない」と首相を批判した。
公明党は憲法九条一項、二項を堅持し、現行憲法に環境権などを付加する「加憲」の立場。太田氏の発言は、自民党内の集団的自衛権などの論議にブレーキをかける狙いがあるとみられる。
靖国派とは何かについての一定の回答である。
90年代前半に生み出されたこの国の侵略と加害に対する理解の前進に対して、後半からは逆流が前面に出てくるようになる。
その中核的一環として、97年に結成された「日本会議」の紹介である。
今後に期待したいのは、その逆流を生み出すほどの力をもって、靖国派が戦後脈々と、どこで、どのようにして生き長らえてこれたのかという問題であり、またアメリカとのかかわりの問題である。
ここが知りたい特集 安倍「靖国」派政権の実態 これが「靖国」派の正体 安倍政権の中枢に「日本会議」 改憲・教育・家族… 戦前回帰の「国柄」持ち込む(しんぶん赤旗、5月27日)
安倍内閣の中枢を占める「靖国」派ってなに? ここにきて活発になった策動とは? その源流であり、総本山の「日本会議」と、それと連携する「日本会議国会議員懇談会」の動きを特集します。
人権制限、戦争に動員
「教育基本法の改正が実現し、戦後レジーム(体制)の一角が破れたいまこそ、最大の戦後レジームたる現行憲法を突き崩し新しい日本人のための憲法を生み出すとき」(『日本の息吹』五月号)
「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍晋三首相の登場を、機関誌で“改憲の好機到来”とばかりに叫んでいる団体があります。今年結成十周年を迎える日本会議です。
日本会議は、一九九七年五月三十日、「日本を守る国民会議」(一九八一年設立)と「日本を守る会」(一九七四年設立)が合流し結成されました。七〇年代以来、改憲や元号法制化、夫婦別姓反対の運動を“草の根”で展開してきた右翼改憲団体の再編・総結集が図られたのです。
国会議員235人
日本会議の現在の役員は、会長が三好達・元最高裁長官、副会長が小田村四郎・拓殖大前総長、山本卓眞・富士通名誉会長ら。この三人は、日本の侵略戦争を正当化する宣伝センターの役割を果たしている靖国神社の崇敬者総代でもあります。つまり、日本会議は「靖国」派の総本山なのです。
日本会議の国会版として、前日の五月二十九日に結成されたのが日本会議国会議員懇談会(以下、日本会議議連)です。当時、自民党、新進党、太陽党などから二百人以上の国会議員が参加。今では、自民党、民主党、国民新党、無所属の国会議員二百三十五人(〇五年六月)が名を連ねるまでになっています。
日本会議と日本会議議連誕生の背景には、日本の過去の侵略戦争への反省が社会に行き渡ることへの“危機感”がありました。一九九三年、「従軍慰安婦」問題で過去の行為への反省を明らかにした河野官房長官談話が出ました。一九九五年には日本が侵略と植民地支配の誤った国策をとったことを謝罪した村山首相談話が発表されました。
こうした動きを、「東京裁判史観の蔓延(まんえん)は、諸外国への卑屈な謝罪外交を招き、次代を担う青少年の国への誇りと自信を喪失させている」(日本会議設立趣意書)と敵視。以来、過去の侵略戦争は正しかった、その戦争に突き進んだ国と社会は美しかったという特異な価値観を、国家権力も最大限に使って日本社会に押し付けようとしてきたのです。
靖国神社の戦争博物館、遊就館で上映中の映画『私たちは忘れない』を制作したのも日本会議です。日本の侵略戦争を「国家と民族の生存をかけ、一億国民が悲壮な決意で戦った、自存自衛の戦争だった」などと美化しています。
天皇を頂点に
今年五月三日には、日本会議議連のもとにつくる「新憲法制定促進委員会準備会」が「新憲法大綱案」を発表し、目指す国家像を明らかにしました。
そこでは、日本国民が「天皇を中心として、幾多の試練を乗り越え、国を発展させてきた」と天皇中心の国家観を提示。天皇を「元首」と明記しています。
「家族」条項を設け、「わが国古来の美風としての家族の価値」を「国家による保護・支援の対象」としています。
「戦争放棄」と「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた現行憲法の九条は全面改定。
一方、国民に対しては「人権制約原理の明確化」を掲げ、「国防の責務」も課すとしています。
天皇を頂点にいただき、個人の人権を制限し、家族を国の末端の基礎単位と位置づけて、戦争に国民を総動員していく――まさしく戦前・戦中の日本社会の復活を狙っているのです。
特異な価値観に懸念
安倍政権は、安倍首相を先頭に、日本会議議連メンバーがその中枢を占める「靖国」派政権です。首相自身、〇五年までは同議連の副幹事長でした。十八人の閣僚のうち十二人が議連に参加、他の靖国関連の議連加盟を含めると十五人に達します。首相が「官邸機能の強化」を掲げる中、二人の官房副長官と四人の首相補佐官が議連参加議員です。
「正義の戦争」
首相が掲げる「美しい国、日本」のスローガンも、元をただせば日本会議が設立に際して掲げた「美しい日本を再建」という合言葉です。「戦後レジームからの脱却」とは、天皇を中心とする「国柄」つまり戦前の「国体」の「再建」にほかなりません。
――日本の侵略戦争を「正義の戦争」といい、恒久平和をうたう憲法前文を「連合国への詫(わ)び証文」と攻撃する。
――さらには天皇中心の「国柄」を柱に、「家族の価値」を「古来の美風」とする。
こんな特異で戦前回帰の価値観をもった「靖国」派が政権の中枢にすわったことは、日本の前途に暗い影を投げかけ、自民党内やアメリカなどからも懸念の声が出始めています。
自民党の船田元衆院憲法調査特別委員会理事は二十日、都内でおこなわれたシンポジウムで「憲法によって国家権力をしばるという要諦(ようてい)がわが党の中でも少し軸がずれ始めている」「(憲法に)国を愛する責務、なんとかする責務をあげた途端、うさんくさい状況になる」とのべました。
アジアで孤立
また「戦後レジームからの脱却」というスローガンに対し、コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授は「民主主義国のリーダーが自分の国のレジーム・チェンジ(体制変革)を求める意味は理解しにくい」、「安倍首相の捨てたがっている戦後レジームの何がそんなにひどいのか、ぜひ説明してほしい」と発言。保守派の論客フランシス・フクヤマ氏も「日本が憲法九条の改正に踏み切れば、新しいナショナリズムが台頭している今の日本の状況から考えると、日本は実質的にアジア全体から孤立することになる」と警告を発しています。
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議連が政権を下支え
●価値観外交議連
日本会議議連メンバーが中心となり「価値観外交を推進する議員の会」を発足させ(十七日)、会長に日本会議議連副会長の古屋圭司衆院議員が就任しました。
古屋氏は発足の趣旨として「真の保守主義」を強調。皇室典範、靖国参拝、改憲の国民投票法案、民法七七二条の「三百日規定」見直しなどの諸問題をあげ「同じ価値観を持つ同志を糾合。速やかに行動」し、「議会サイドからしっかり(安倍政権を)サポートする」と語りました。
「靖国」派が中枢を占める政権を、「靖国」派議員の「増殖」で下支えする狙いです。
●教育基本法改悪
二〇〇六年十二月に改悪された教育基本法。日本会議は「教育を変えなければ憲法を変えられない」(三好達会長)と、署名や自治体決議運動を全国で展開しました。国会では日本会議議連の議員らが「教育基本法改正促進委員会」をつくり、「愛国心」と「宗教的情操の涵養」を盛り込むことや、「教育は不当な支配に服することなく」の文言を削除することを求めました。
●「親学」のルーツ
日本会議は、夫婦別姓や女性の再婚禁止期間短縮など民法改正の動きに対し「家族の絆(きずな)や一夫一婦制を崩壊させる」として猛烈に反対してきました。
今年四月に発会した、日本会議系の地方議員らによる「家族の絆を守る会」。顧問に古屋圭司、稲田朋美、西川京子、萩生田光一各衆院議員らが名を連ね、民法改正阻止へ活動を開始しました。
西川京子衆院議員は、戦前の教育は「道徳観や社会通念をはぐくむという面では現在より圧倒的に優れていた」(「日本女性の会五周年の集い」記念シンポジウム、〇六年十二月九日)とし、その「道徳観」の継承の場として家庭の役割を強調しています。
このシンポジウムでは「親学が必要」との発言もありました。山谷えり子首相補佐官が中心となり、教育再生会議で「母乳で育てる」「子守歌を歌う」などの提言を出そうとして問題になった「親学」のルーツはここにあったのです。
●「従軍慰安婦」
日本会議は、前身の「日本を守る国民会議」時代から“教科書編さん事業”を提唱。高校日本史教科書『新編日本史』(後に『最新日本史』)を発刊しました。
「従軍慰安婦」の問題では、日本会議ができた一九九七年に、自民党内に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後に「議員の会」)が結成され、教科書の記述を削除させようと政府や教科書会社に圧力をかけました。会創立時の代表が中川昭一自民党政調会長。事務局長が安倍晋三首相で、副代表に松岡利勝農水相、幹事長代理に高市早苗男女共同参画担当相が就任していました。
米議会での「従軍慰安婦」への責任を認めて首相が謝罪するよう日本政府に求める決議案の採択阻止のため四月に訪米を企てました(実際には延期)。
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日本会議議連メンバーの閣僚
安倍晋三首相、菅義偉総務相、長勢甚遠法務相、麻生太郎外相、尾身幸次財務相、伊吹文明文科相、松岡利勝農水相、甘利明経産相、若林正俊環境相、塩崎恭久内閣官房長官、高市早苗沖縄北方担当相、渡辺喜美規制改革担当相
(みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会や神道政治連盟国会議員懇談会などその他関連議連
柳沢伯夫厚生労働相、久間章生防衛相、山本有二金融担当相)
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「靖国」派の問題発言
安倍晋三首相
「憲法前文には、敗戦国としての連合国に対する“詫(わ)び証文”のような宣言がもうひとつある」(『美しい国へ』)
「次の首相も(靖国神社)に参拝すべきだ。国のためにたたかった方に尊敬の念を表するのはリーダーの責務」(二〇〇五年五月二十八日、ワシントンの講演)
「(『従軍慰安婦』は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」(〇七年三月一日、記者会見)
麻生太郎外相
「(創氏改名は朝鮮人が)名字をくれと言ったのが始まりだ」(〇三年五月三十一日、東京都内の講演)
「(靖国神社の『遊就館』は)戦争を美化するという感じではなく、その当時をありのままに伝えているだけの話だ」(〇五年十一月二十一日、米テレビのインタビュー)
長勢甚遠法務相
「(民法七七二条改正で)貞操義務なり、性道徳なりという問題は考えなければならない」(〇七年四月六日、記者会見)
菅義偉総務相
「わが国の近代について青少年にゆがんだ認識を与え、誤った国家観をいだくことを助長することは、もっと問題であります」(『歴史教科書への疑問』)
下村博文官房副長官
「自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる」(〇六年八月二十九日、都内シンポジウム)
「従軍看護婦とか従軍記者はいたが、当時、従軍慰安婦はいなかった」(〇七年三月二十五日、民放ラジオ)
山谷えり子首相補佐官
「占領軍の関与でつくられた憲法・教育基本法のため偏向教育・学力低下・学級崩壊・教員の質の低下が起き、教科書も偏向している」(〇四年八月二十五日、都内シンポジウム)
「靖国の心を大切にして、国民の心が一つになるよう力を尽くす」(〇五年八月十五日、靖国神社境内での集会)
「新政権は真っ先に教育の正常化に取り組み、とくに行き過ぎた性・ジェンダーフリー教育の是正が必要だ」(〇六年八月二十九日、都内シンポジウム)
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民主党の松原氏による国会質問だが、氏はこの3月9日に民主党議員有志によって発足させられた「慰安婦問題と南京大虐殺の真実を検証する会」の一員でもある。
新たな問題は、これが民主党の有志としての発言ではなく、党を代表しての国会での発言だということである。
さて、民主党本部はこれにどういう態度をとるのだろう。「歴史問題」に対する民主党としての公式態度が問われる問題である。
「南京大虐殺」「慰安婦」を否定 民主・松原議員(しんぶん赤旗、5月26日)
民主党の松原仁議員は二十五日の衆院外務委員会で、四十五分間の質問時間のほとんどを「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」がなかったとの主張にあて、政府に中国政府の見解を「訂正」させるよう執拗(しつよう)に迫りました。
松原氏は、首相の靖国参拝を推し進め、九条改憲を求める日本会議国会議員懇談会のメンバー。
南京大虐殺について岩屋毅外務副大臣が「何かしらの殺りく、略奪があったことは否定できない」とのべたことに松原氏は、「きわめて副大臣の答弁はあぶない。あったと認めようとしている」と批判。「三十万というロットでなくて、大虐殺そのものがなかったと極めて客観的に考えている」などと否定しました。
また「従軍慰安婦」問題についても、中国の稚拙な情報戦によるものなどと決め付け、「ありえない」「実際、そんなものはなかった」と暴言をはきました。
過去の日本の侵略戦争を正当化する「靖国」派は自民党だけでなく、民主党にも根を深くもっていることを示す質問です。
米下院の「慰安婦」決議案採択が、6月以降に延びている。
推進派、反対派、双方が活発に動いているようである。
慰安婦決議案、採決は来月以降に=他の案件を優先処理-米下院外交委(時事通信、5月23日)
【ワシントン22日時事】米下院で審議中の従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案の外交委員会での採決が、6月以降にずれ込む見通しとなった。イラン問題など他の決議案を優先的に処理するのが理由。複数の議会筋が22日、明らかにした。ただ、慰安婦決議案の共同提案者は同日現在で128人に上っており、推進派は引き続き早期採決を求めていく方針だ。
慰安婦決議案採決、6月以降に先送り 米下院(産経新聞、5月23日)
【ワシントン=有元隆志】米下院外交委員会に提出されていた慰安婦問題に関する対日非難決議案の採決は、6月以降に先送りされることが22日、決まった。月末にメモリアルデー(戦没者追悼の日)の休会があるためだ。決議案提案者のホンダ議員(民主党)らは5月中の採決を目指す構えをみせていたが、ラントス委員長(民主党)らは4月下旬の安倍晋三首相の訪米もあり、「日本との関係に配慮した」(議会関係者)結果、先送りを決めたものとみられる。
23日の同委員会では、休会を控え各種決議案が処理されたが、慰安婦問題の決議案は含まれていなかった。
採決された中には、対テロ戦争での韓国の努力に謝意を表する決議案や、石油資源確保のためダルフール紛争のスーダンに肩入れする中国に対し、虐殺の防止に向けてスーダンへの影響力行使を求める決議案が含まれている。
慰安婦決議案の処理にあたっては、採決実施の判断基準となる共同提案議員の届け出が100人を上回っており、6月に採決される可能性も残っている。
安倍首相は訪米の際、ペロシ下院議長やラントス委員長と会談し、「慰安婦の方々に心から同情しているし、そういう状況に置かれていたことに対して申し訳ないという思いだ」と語った。
民主党のイノウエ上院議員も「(決議案は)不必要なだけでなく、日本との関係に悪影響を及ぼす」として、採決見送りを求める書簡をラントス委員長らに送るなどの働きかけをしている。
ホンダ議員「慰安婦決議案、来月処理の見通し」(東亜日報、5月26日)
米下院の日本軍による慰安婦強制動員の糾弾決議案採択のキャンペーンを繰り広げている在米韓国人各有権者団体は、23日に予想された決議案の外交委員会への上程が延期されるや、200余りのアジア系の有権者団体を含む連帯機構の結成を推進し議会への圧迫を強化している。
ニューヨーク・ニュージャージーの韓人有権者団体協議会の関係者は、「マイク・ホンダ議員をはじめ決議案を主導する議員らは、23日の外交委の審議案件から決議案が抜けているが、6月中には処理されるものと見ていると述べた」と伝えた。
外交委の上程権限を持っているトム・レントス外交委委員長のある補佐官は最近、ワシントン汎同胞対策委員会の指導部との面談で、「決議案上程時期について考えており、通過のために努力している」と話した。
レントス委員長側は「決議案を共同発議する議員数が120人を超えると、正式に上程する」と話したことがある。現在、共同発議した議員は129人に達する。
朝日の毎週の世論調査の第2回。
安倍内閣の支持率が、不支持率を上回っているが、仕事ぶりへの評価は「期待以上・期待通り」33%に対して、「期待外れ」「期待していない」37%となっている。
教育改革-「評価する」47%、「評価しない」41%、外交-「評価する」43%、「評価しない」42%、改憲-「評価する」42%、「評価しない」43%と、これらの項目での世論の基本的な二分が示されている。
また参議院選挙の結果については、与党より野党に多くをとってほしいとの回答は変化がない。
内閣支持44%、「仕事評価」やや好転 本社世論調査(朝日新聞、5月22日)
参院選に向けて朝日新聞社が19、20の両日実施した第2回の連続世論調査(電話)によると、安倍内閣の支持率は44%、不支持率は36%で、1週間前の第1回調査(支持43%、不支持33%)と同じく、支持が不支持を上回った。
安倍首相の仕事ぶりへの評価は「期待以上だ」3%、「期待通りだ」30%、「期待外れだ」27%、「もともと期待していない」35%だった。
内閣支持率が37%と最低だった2月調査では、同じ質問に対して「期待以上だ」1%、「期待通りだ」25%、「期待外れだ」37%、「もともと期待していない」32%。今回、「期待外れだ」が減り、「期待通りだ」が少し増えた。仕事ぶりへの評価がやや好転したことが、支持率上昇につながっているようだ。
個別の政策では、教育改革への取り組みを「評価する」は47%で、「評価しない」の41%を若干上回ったが、外交は「評価」43%、「評価しない」42%、憲法改正への取り組みは「評価」42%、「評価しない」43%とそれぞれ二分された。
参院選の投票先について「仮にいま投票するとしたら」と聞くと、比例区では自民31%(第1回28%)、民主21%(同21%)で、自民優位が続く。参院選の結果、議席が多数を占めてほしいのは「与党」36%(同32%)、「野党」43%(同44%)で、野党が引き続き上回っている。
投票先を決めるとき、財政再建の問題を「重視する」は75%。少子化の問題と公務員制度改革の問題を「重視する」はともに69%だった。「重視する」人の比例区の投票先は、いずれも自民が民主をリードしている。
◇
〈調査方法〉 全国の有権者を対象に「朝日RDD」方式で電話調査した。対象者の選び方は無作為3段抽出法。有効回答は993人。回答率は55%。
第8回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議の報告である。
採択さた決議文は、WAMのMLを通じて、VAWW-NET ジャパン事務局が届けてくれたもの。
「慰安婦」問題 日本政府は公式謝罪を アジア連帯会議 立法措置求める決議(しんぶん赤旗、5月22日)
【ソウル=面川誠】韓国のソウルで二十日から開かれていた第八回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議は二十一日、安倍晋三首相が「慰安婦」問題で日本政府の責任を回避していると批判し、日本政府に立法措置を通じた公式謝罪と補償を求める決議を採択して閉会しました。
会議には韓国、フィリピン、インドネシア、オランダなどから非政府組織(NGO)の代表ら約二百人が参加。日本からは日本共産党の吉川春子参院議員らが参加しました。
決議は(1)日本の「河野談話」見直しに反対し、立法措置を通じて政策的実行と責任を伴った公式謝罪と補償、真相究明と再発防止を求める(2)日本政府に国連人権委員会の勧告を受け入れるよう求める(3)民間レベルでの歴史記録、市民教育に努める(4)各国議会の「慰安婦」関連決議採択の動きを支持する(5)アジア連帯会議を国際連帯会議へと拡大発展させる―ことを呼び掛けました。
二〇〇〇年の女性国際戦犯法廷における天皇有罪判決など、これまでの国際連帯活動の成果を確認。安倍首相をはじめ日本の政治家が日本の国家責任を回避する発言を繰り返しているうえ、侵略戦争と植民地支配の教訓をほごにして憲法九条の改悪を試み「脅威的戦争国家への回帰」を進めていると批判しています。
さらに、三月末に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」は「慰安婦」問題の解決策ではなかったことが確認されたと指摘しました。
これに先立ち、締めくくりの総合討論が行われました。発言に立った新日本婦人の会の高田公子会長は「安倍政権が強硬に改憲を急ぐのは、弱さの表れでもある。改憲の内容が知られるにつれて、反対の声も強まり、九条を守れという声はますます大きくなっている」と述べ、「九条の会」が全国で六千を超えていることなどを紹介。「慰安婦」問題など過去の過ちを教訓に平和を守る活動を強める決意を語りました。
米国から参加したロヨラ・メリーマウント大学の李鍾和教授は、米下院にホンダ議員が提出した「慰安婦」関連決議案について、「米国は第二次世界大戦後、戦略的な理由で日本の戦争責任を免罪してきた歴史がある。日本が責任をとるよう求めるホンダ議員の決議案は、重要な意味を持つ」と指摘しました。
第8回 日本軍「慰安婦」問題の解決のためのアジア連帯会議決議
2007年5月19日から21日まで「アジア連帯15年、今後の課題と連帯のために」をテーマにソウルにて開催された第8回日本軍「慰安婦」問題の解決のためのアジア連帯会議には、南北朝鮮、日本、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダに加え、アメリカ、ドイツ、オーストラリアから参加した。
1991年、長い沈黙を破った日本軍「慰安婦」被害者の勇気ある証言以来、私たちは生存者たちの苦痛を分かち合い心身の傷を癒すために努力しながら、国連をはじめとする国際機関による日本政府への謝罪や賠償などの勧告や、2000年の日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷において「天皇有罪」を勝ち取ったが、これらは日本軍「慰安婦」問題の解決を通して、女性の人権と平和、正義を実現するべく努めてきたアジアと国際社会の連帯活動の成果であった。
一方、日本政府が法的責任を回避するために設置した「女性のためのアジア平和国民基金」(国民基金)を2007年3月末で解散したが、日本軍「慰安婦」問題の解決策ではなかったことが確認された。日本政府は、日本軍「慰安婦」犯罪に対する公式謝罪と賠償及び真相究明と再発防止を通じて、人類の普遍的価値の実現に寄与するどころか、安倍首相をはじめ、政治家たちは日本軍性奴隷犯罪に対し国家責任を回避する発言を繰り返している。更に、侵略戦争と植民地支配の教訓を反故にし、日本国憲法9条の改悪を試み、戦争国家への回帰を進めている。
しかし、米国下院議会の121号決議案の採択の動き、カナダやオーストラリアの議会での決議案採択に向けた努力、国際人権団体の連帯の広がりなどから見られるように、これは生存者や加害・被害該当国家の市民だけの問題ではなく、普遍的かつ未来志向的な課題であるとの認識が広がり深まっている。
そこで私たちは、希望の中で連帯の力を一層固く確信しつつ、以下のように決議する。
1. 私たちはアメリカをはじめ各国の議会で進められている日本軍「慰安婦」関連の決議案を支持・支援し、その採択のためのあらゆる行動に取り組む。
2. 私たちは、1993年の「河野談話」の見直しに反対し、真相究明及び国家賠償のための立法措置を通じて、政策的実行と責任を伴った公式謝罪と賠償、真相究明と再発防止措置をとることを強く要求する。
3.私たちは日本政府に国連人権機関の勧告を実行することを要求し、国連人権理事会が日本軍性奴隷問題を引き続き扱っていくよう監視し要求する。
4.私たちは各国の日本軍「慰安婦」問題を中心とする平和、女性博物館などのネットワーク活動を通して、民間レベルでの歴史記録や記憶の継承、市民教育に努める。
5.日本軍「慰安婦」問題の解決のためのアジア連帯会議の15年の精神と活動成果を引継ぎこれを国際連帯会議へと拡大発展させる。
2007年5月21日
第8回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議参加者一同
なるほど「新憲法制定促進委員会準備会」というのは、日本会議議連のもとに設置された会議だったのか。
2004年に自民党がつくった「憲法改正草案大綱(たたき台)」にも、深く重なる内容である。
04年の靖国派前面型の「たたき台」、05年の日本経団連による海外派兵に限定した「基本問題」、05年の日本経団連案に譲歩(?)した「新憲法草案」、そして07年の再び靖国色全面型の「大綱案」。
改憲勢力内部にも、靖国史観の扱いについては統一できない動きがあるようである。
当然これには、アメリカと日本財界から、不安と警戒の声が出ることになる。
靖国派の突出が、改憲勢力の内部にいくつもの亀裂を入れずにおれないということである。
「靖国」派がめざす国家像とは? 日本会議議連 「新憲法大綱案」にみる(しんぶん赤旗、5月20日)
九条改定による「海外で戦争をする国」づくりだけでなく、国民の心や市民生活まで「靖国」派の価値観で支配しようとするもの―日本共産党の第四回中央委員会総会で志位和夫委員長が指摘したように、「靖国」派の野望を端的に示しているのが、「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連)が中心になってつくった「新憲法大綱案」です。そのめざす国家像は――。
自民・民主議員が合作
「大綱案」は、日本会議議連のもとに設置された「新憲法制定促進委員会準備会」が作成したもの。安倍晋三首相の盟友・古屋圭司衆院議員を座長に、自民、民主の「靖国」派議員で構成されています(名簿別項)。
同準備会が「新憲法の制定に向けて具体的な行動を開始することを決意し、その第一歩」としてまとめたものが「大綱案」で、「行動の指針および今後の議論の叩(たた)き台」と位置づけています。
天皇が中心の「国柄」
「大綱案」は、「前文」で「日本国の歴史や、日本国民が大切に守り伝えてきた伝統的な価値観など、日本国の特性すなわち国柄を明らかにする」ことを重視。「国柄」の中身として、天皇中心の国家像を押し出しています。
具体的には「日本国民が…時代を超えて国民統合の象徴であり続けてきた天皇を中心として、幾多の試練を乗り越え、国を発展させてきた」と歴史を描き、天皇絶対の国家体制を規定した「大日本帝国憲法」(明治憲法)の「歴史的意義」を明記するよう求めています。
「国柄」とは、戦前、「国体」と呼ばれた天皇中心の国家体制を言い換えた言葉。終戦時には、国民の生命・財産は顧みられず、「国体護持」が支配層の唯一の目標とされました。これでは、主権在民の原則は空洞化してしまいます。
天皇に具体的権能を
天皇の地位も、「象徴にふさわしい地位および権能を、憲法上、明らかにしなければならない」としています。「わが国の『元首』である」と明記し、外交文書や大使・公使の信任状を「発する」ことや、恩赦などを具体的な「権能」として付与することを求めています。
日本国憲法は、天皇に統治権を一手に集中させていた戦前の反省から、「国政に関する権能を有しない」と規定。国政から天皇を切り離しました。これを否定する考えです。
しかも、「大綱案」は、「日本国という歴史的共同体の始まりから連綿として続く世界に比類なき皇統を誇り」などとの表現で、戦前の「万世一系」の神話を引き継ぐ姿勢までみせています。また、昨年小泉内閣で話題になった女性天皇議論をけん制し、「皇位が皇統に属する男系の男子によって継承されるべきことを、憲法上、明記する」ことも盛り込んでいます。
9条2項を全面削除
九条改定についても、「大綱案」は、全面改定を主張。九条一項の「戦争放棄」については、海外での武力行使を可能にする「集団的自衛権の行使」が「明確になるような表現に改める」として骨抜きを図ろうとします。
また、「戦力の不保持」や「交戦権の否認」を定めた九条二項は、「全面的に削除する」とし、「防衛軍の保持」を明記。また、「防衛軍」が「国際社会の平和と安定」を口実に海外派兵ができる仕組みにしています。そのほか、「防衛軍」は「テロや大規模災害」「立憲的秩序維持」に対応するとし、治安行動を合憲とし、首相の「非常措置権」まで規定しています。
海外派兵や海外での武力行使の歯止めになってきた九条二項を削除し、一項まで骨抜きにすることで、「海外で戦争をする国」づくりをめざすものです。
国民に「国防の責務」
一方、国民には「国家非常事態に際して…『国防の責務』を規定する」と明記。将来の徴兵制や強制的な徴用に道を開いています。
また、「軍事裁判所の設置」を規定。国防機密をたてに国民を抑圧するシステムが狙われています。
人権抑圧・家制度復活
「大綱案」のもう一つの特徴は、人権を抑圧し、戦前の「家制度」を復活させようとしていることです。
具体的には「わが国の歴史、伝統、文化に基づく固有の権利・義務観念をふまえた人権条項を再構築」するとして、「人権制約原理の明確化」を掲げています。そこでは、「公共の福祉」に代えて、「国または公共の安全」、「公の秩序」、「他者の権利および自由の保護」などを列挙、国家の都合で国民の人権を制約しやすい仕組みにしています。
一方で、「祖先を敬い、夫婦・親子・兄弟が助け合って幸福な家庭をつくり、これを子孫に継承していくという、わが国古来の美風としての家族の価値」を「国家による保護・支援の対象とすべきこと」としています。戦前、家長の許可がなければ婚姻もできなかったことに示されるように、個人の人権・人格を抑圧する仕組みだった家制度の復活を狙っているのです。
公教育に国家が介入
さらに「大綱案」は、「次代を担う人材の育成が日本の将来を左右する重大問題であることにかんがみ、公教育の目標設定をはじめ、公教育に対する国家の責務を明記する」として、国家による教育への介入を合憲化。
また、「政教分離原則の緩和」を規定。「国家的・社会的儀礼や習俗的・文化的行事等の範囲内で国や地方公共団体が宗教的行事に参画することを可能にする」として、首相らの靖国参拝の合憲化を策しています。
「靖国」派は、日本の侵略戦争を「正しい戦争だった」と正当化するだけでなく、戦争当時の国のありようを「美しいもの」と思い込み、あこがれています。こうした特異な価値観を日本社会に持ち込み、おしつけようとしているのは重大です。そのために、一つは「教育再生」の名で子どもへの教育を通じて持ち込もうとし、最終的には憲法を改悪し、そこに盛り込むことで法的に確定させようとしているのです。
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「準備会」議員
「新憲法制定促進委員会準備会」の自民、民主議員は次のとおりです。
◇
座長 古屋圭司(自民党・衆院議員)、事務局長 萩生田光一(自民党・衆院議員)
衆議院 【自民党】赤池誠章、稲田朋美、今津寛、奥野信亮、加藤勝信、木原稔、高鳥修一、戸井田徹、西川京子、古川禎久、松本洋平、【民主党】松原仁、笠浩史、鷲尾英一郎、【無所属】平沼赳夫
参議院 【自民党】秋元司、有村治子、鴻池祥肇、中川義雄、福島啓史郎、【民主党】大江康弘、芝博一、【国民新党】亀井郁夫
靖国史観をベースとする「価値観外交議連」が、5月17日に立ち上げられた。
さて、この議連、アメリカに対してはどのような「外交」を主張するのだろう。
「(自民)党内左派とのたたかい」といった言葉も見えるようだが。
また、郵政民営化造反組に靖国派が多かったことに、それがアメリカによる対日政治・経済介入であることと深いつながりがあるのだろうか?
07年 政治考 “安倍価値観議連”の危うさ(しんぶん赤旗、5月21日)
「おおー。そうそうたる顔ぶれだな」
こういいながら、中川昭一自民党政調会長が入ってくると拍手が起こりました。十七日、衆院第二議員会館の会議室。安倍外交を応援する自民党の「価値観外交を推進する議員の会」の発足集会に、「靖国」派の中心部隊である「日本会議国会議員懇談会」(「日本会議」議連)の中心メンバーがずらりと顔をそろえたのです。
中川氏は同懇談会の会長代行。遅れて駆けつけた下村博文官房副長官は前事務局長でした。今度の「価値観外交」議連の会長には、古屋圭司衆院議員(「日本会議」議連副会長)、事務局長には萩生田光一衆院議員(同事務局長)が座りました。古屋―萩生田のコンビは、「日本会議」のもと、自民・民主議員でつくる「新憲法制定促進委員会準備会」の座長―事務局長コンビでもあります。
真の保守主義
なんのための新議連立ち上げか。古屋氏は発足集会でいいました。「外交は切り口だ。もう一つの趣旨はこれらの『価値』の根底に相通ずる真の保守主義にある」。皇室典範問題、靖国参拝、改憲手続き法、民法七七二条の離婚後三百日の再婚禁止規定…。古屋氏はこれらの課題をあげ、「理念、政治信条で直結する問題で同じ価値観をもつ同志を糾合し、速やかに行動する」とのべました。
実際、今年に入っての古屋氏らの活動をみるとこれらの課題での行動が目立ちます。
▽三月十三日 改憲手続き法で改憲団体「民間憲法臨調」事務局長を招き勉強会。「このままでは改憲阻止法になる」として、公務員の政治的行為を制限する公務員法適用を執行部に働きかけ、「修正」案に盛り込ませる。
▽同二十五日 下村官房副長官がラジオ番組で「『従軍慰安婦』というのはなかった」と発言。
▽四月三日 自民党法務部会に古屋氏が乗り込み、再婚禁止期間短縮に待ったをかける。
▽同六日 「日本会議」議連メンバーの長勢甚遠法相が「貞操義務、性道徳の問題も考えなければ」と発言し、民法改正提案見送りに――。
古屋氏は安倍政権について「教育基本法改正、改憲国民投票法案など、しっかり実績もあがっている。自分の理念に基づいて行動しているという実感だ。われわれの使命は、議会サイドからしっかりサポートすることだ」と語りました。
復党で活発化
「日本会議」議連メンバーの策動が活発になった背景の一つに、昨年十一月の「郵政造反」議員の復党があります。古屋氏はじめ「価値観外交」議連メンバーのうち六人(古屋、今村雅弘、江藤拓、武田良太、古川禎久、森山裕の各氏)が「復党組」です。安倍内閣と党の中枢に「日本会議」議連の中心メンバーが入ったために弱まっていた議連活動を、「復党組」が盛り上げているのです。
今年になって復党した衛藤晟一前衆院議員(「日本会議」議連前事務局長)は、日本会議の機関誌『日本の息吹』三月号でこう述べています。
「日本会議の同志の皆様…のご支援をいただき、復党することができました」「志を同じくする安倍さんが首相となり、『美しい国日本』構想を示されました。…私も微力ながらその国づくりの一翼を担いたい」
歴史・女性に照準
「日本会議」議連が策動
古屋氏らの「価値観外交を推進する議員の会」の照準は歴史問題です。
安倍晋三首相は施政方針演説で「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有する国々との連携の強化」を外交方針の第一に掲げ、その国々としてインドやオーストラリアをあげました。「靖国」派では、「(この)価値観こそ、中国に欠落したもので中国に対しては極めて有効な攻めの力となる」(桜井よしこ氏、「産経」一月十一日付)というように、歴史問題で中国に対抗するカードとして位置づけられています。
新議連発足の趣意書でも「一部の国は対外的に覇権拡張の危険な道を進めつつあるという憂慮すべき現実も否定できません」と中国をけん制。古屋氏はあいさつで中国に対し「共通の価値観を持つ国ではない。ほほ笑み外交の裏に隠された一面を直視する必要がある」と語りました。
運動抑圧主張
改憲手続き法で国民の投票運動抑圧の仕組みづくりの先頭に立ったのも「靖国」派でした。
民主党との修正協議の中で、公務員法の政治活動禁止の「適用除外」の方向が合意されると、「日本会議」議連のメンバーは、「自治労、日教組の活動を許していいのか」などといって「適用除外」の「削除」を強硬に主張。与党修正案提出前日、三月二十六日に自民党本部で開かれた特命委員会に、「日本会議」議連メンバーがおしかけました。その結果、急転直下、公務員法の政治活動禁止が「適用」の方向で復活したのです。
五月三日の改憲派集会では、「一時は迷走を続け、憲法改正のための手続き法が、逆に憲法改正を阻止するための法律となりかねないこともあった。しかし、本会会員の努力によって、そのような事態がかろうじて回避された」(新憲法制定促進委員会準備会の「声明」)と自賛しました。
古屋氏が座長の同準備会はこの日、「新憲法大綱案」を発表。伝統的な価値観、国柄を強調して、九条二項削除・自衛軍の保持や「公の秩序」に基づく人権制約を盛り込んだ「靖国」派の「改憲案」を示し、その“普及”に動きだしています。
敵意を燃やし
「靖国」派が最も敵意を燃やすものの一つに女性の地位向上があります。
四月には、「日本会議」系の地方議員らによる「家族の絆(きずな)を守る会」を旗揚げしました。顧問に古屋圭司、稲田朋美、西川京子、萩生田光一各衆院議員ら「靖国」派国会議員が名を連ねました。
この会のもっぱらの関心は、戦前の家族制度の名残を多く引き継ぐ現行民法の改正を、いかに阻止するかです。会発足時のあいさつで、古屋氏は「(民法見直しには)家族の絆や一夫一婦制を解体するグループが介在している」と述べ、「会発足は五週遅れだ」と危機感をあおりました。稲田氏も「(民法改正に賛成する)党内左派とのたたかいも必要だ」と気勢をあげました。
今国会では、「離婚後三百日以内に生まれた子は前夫の子と見なす」という民法七七二条の見直しの動きが、与党内にも起こりました。夫の暴力から逃れて長期に身を隠している間に新しいパートナーとの間に子が生まれたが、前夫の子としてしか出生届が出せないなどの不合理を解決するためです。
しかし、結局与党の動きは、保守派の抵抗で頓挫。長勢甚遠法相は、「離婚前に懐胎された人すべてが許され、救済されるべきだとは思っていない」(四月二十六日)と言い放ち、“結婚した女性は貞操を守るべきだ”との考えをあらわにしました。(坂井希、中祖寅一)
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「日本会議」議連 「日本会議国会議員懇談会」が正式名称。一九九七年五月、自民党、新進党(当時)、太陽党(当時)の国会議員二百人余で設立された議員連盟。
同議連設立の翌日に結成された右翼改憲団体「日本会議」と連携して、「21世紀を展望する国づくり運動を推進する」ことを掲げ、憲法改悪、教育基本法改悪、皇室典範改正反対などの運動を展開してきました。
会長は初代・島村宜伸元農水相、二代目・麻生太郎外相、三代目・平沼赳夫元経産相(現)。中川昭一自民党政調会長が会長代行。安倍晋三首相も二年前まで副幹事長。加盟議員は〇五年六月時点で自民二百九人、民主二十五人、無所属一人。
ソウルで5月20・21日と行われている第8回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議の様子である。
安倍首相の「本心は変わっていない」。まったくもってそのとおり。
こういう人間にいつまでも首相をしてもらうこと自体が恥ずかしい。
会議にアメリカ、ドイツ,オーストラリアが参加している。これは、いままでにもあったことなのだろうか?
「慰安婦」問題の解決へ国際連帯 ソウルで会議 吉川議員あいさつ(しんぶん赤旗、5月21日)
【ソウル=面川誠】韓国のソウルで二十日、「慰安婦」問題の早期解決とそのための国際連帯を目的とした第八回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が二日間の日程で始まりました。会議には日本、韓国、北朝鮮、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダから非政府組織(NGO)代表や個人が参加し、米国、ドイツ、オーストラリアとアムネスティ・インターナショナルからオブザーバーが出席。「慰安婦」問題を解決するための各国での活動を報告し、運動の連帯を呼び掛けました。
日本からは日本共産党の吉川春子参院議員、新日本婦人の会の高田公子会長らが参加しています。
開会式では主催団体、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の韓国琰・共同代表が歓迎のあいさつ。続いて北朝鮮、フィリピンの団体代表と吉川議員があいさつしました。
吉川議員は、これまで河野官房長官談話や教科書への記載など一定の前進があったものの、「これを快しとしない勢力、あの戦争は正しかったとする人々が、教科書への攻撃、『慰安婦』問題への攻撃をかけ、その人々が日本の権力の中枢を握りました。その中心人物が総理大臣になった安倍氏です」と指摘しました。
また、「『慰安婦』問題は日本ではまだまだ知られていません。憲法を守る運動とも連携して大きな運動にしていきましょう」と呼び掛け、日本共産党と民主党、社民党が共同で提案している「慰安婦」への謝罪・補償のための「戦時性奴隷問題解決促進法案」成立のために全力を尽くすと強調しました。
“ひもで結ばれて拉致” アジア連帯会議 元「慰安婦」が証言(しんぶん赤旗、5月21日)
【ソウル=面川誠】韓国のソウルで二十日に始まった第八回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議では、元「慰安婦」が証言に立ちました。
フィリピン人のピラール・フィリアスさん(80)は「日本の憲兵、警察がとても怖くて、行かざるを得なかった。腰をひもで結ばれて拉致され、抵抗するとなぐられた。鼻を刺されて、その傷跡が残っている。顔にたばこの火も押し付けられた」と発言。「狭義の強制性はなかった」とする安倍晋三首相の強弁に反論しました。
日本共産党の吉川春子参院議員は集会後、全国ネットテレビ局の三社など韓国メディアによる共同インタビューを受けました。吉川議員は、「安倍首相は訪米して『慰安婦』関連の発言について釈明したが、米国に謝るのはこっけいで意味がない。本心は変わっていない」と批判。「本当に謝るつもりなら、河野談話を正式に閣議決定して『慰安婦』への謝罪と補償を行い、野党が共同提案している『戦時性奴隷問題解決促進法案』を成立させる決断をすべきだ」と述べました。
新日本婦人の会の高田公子会長は文書報告で、「慰安婦」問題解決のための新婦人の活動を紹介。日本政府が「慰安婦」への国家補償を行い、教科書への記述を復活して歴史を正しく教えるべきだと強調しました。
バウネットジャパンの西野瑠美子共同代表は「安倍首相が『慰安婦』問題で明確に加害責任を口にしないのは、憲法九条を改悪して日本を新たな『戦争する国』にするために、戦争を肯定する国民意識をつくろうという思惑からだ」と発言しました。
かつての戦争をアジア解放の戦争だとするDVD「誇り」の作成に、文部科学省が金を出し、これが93ケ所で実際の教育事業につかわれる計画である。
すでに実施されつつある。
結論は「自虐史観」の否定。支配と加害の話は登場しない。
アジアの解放や近代化のために、なぜ2000万人をこえる人々を殺さねばならなかったのか。
製作は日本青年会議所。
これは日本に改憲を求めるアメリカ政府も含め、改憲勢力内部に新たな矛盾を広げる材料となっていく。そうしていかねばならない問題である。
“靖国DVD”で授業/青年会議所作製 文科省が採用/石井議員追及(しんぶん赤旗、5月18日)
日本の侵略戦争を「自衛、アジア解放のための戦争」だったと肯定・美化するアニメーションDVDを教材にした教育事業が、文部科学省の研究委託事業「新教育システム開発プログラム」に採用され、全国で実行されようとしていることが十七日、明らかになりました。衆院教育再生特別委員会で日本共産党の石井郁子議員が取り上げたもの。
石井氏は「過去の戦争への反省とおわびを述べた一九九五年の『村山談話』に反するものだ。委託をただちに撤回し、上映活動をやめさせるべきだ」と追及しました。
問題の教材は、日本青年会議所が作製した「誇り」と題するDVD。青年会議所は、採用されたことを大宣伝し、全国の学校でDVDを使った教育事業を行おうとしています。すでに二月から六月にかけ、全国の学校など九十三カ所で実施または予定されています。
DVDは、戦死した青年が現代に現れ、女子高生を靖国神社に誘う内容。日本の侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「愛する自分の国を守りたい、自衛のためだった」と教えています。日本の植民地支配については、「道路を整備し学校を設置した」というだけで、侵略・加害の歴史にはふれていません。
石井氏の追及に、安倍晋三首相は「まだ見ていないが、日本共産党の立場から評価しているのではないか」などと問題をすりかえようとしました。石井氏は「村山談話とまったく違う内容を学校で普及することは政府の立場とも相いれない」と指摘。伊吹文明文科相は採用した責任にはふれなかったものの、「私が校長なら使わない」と答えました。
石井氏は「安倍政権が押しつけようとしているのは、戦前の価値観そのものだ」と批判しました。
侵略正当化へ“洗脳”/文科省採用の“靖国DVD”(しんぶん赤旗、5月18日)
(写真)靖国神社で2人が語り合う内容の日本青年会議所作製のDVD「誇り」
十七日の衆院教育再生特別委員会で、日本共産党の石井郁子議員が取り上げた日本青年会議所作製のDVDアニメ「誇り」。文部科学省が委託研究事業としているその内容は、日本の侵略戦争と植民地支配を正当化する言葉があふれています。
「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい。日本の戦いには、いつも、その気持ちが根底にあった気がする」。靖国神社の鳥居の前で、過去から来た青年がこう語ります。「戦後その思いは打ち消され『悪いのは日本』という教育がおとなにも子どもにも施され、しょく罪意識だけが日本人の心に強く焼き付けられてしまった」
子どもに影響
DVDでは青年の語りを通して、「日本は自国を守るためにやむをえず戦争した」「アジアを解放するための戦争だった」との主張が繰り返されます。朝鮮半島や台湾については「植民地支配」という言葉はなく、「日本はこれらの国を近代化するために道路を整備したり、学校を建設した」と述べています。「従軍慰安婦」や強制連行などの加害の事実にはいっさい触れていません。
DVD「誇り」は日本青年会議所が地方青年会議所との「協働運動」として進めている「近現代史教育プログラム」の教材です。同プログラムでは学校の総合学習などで中学生にこのDVDを見せたあと、会議所のメンバーがコーディネーターになって詳しい説明を加えながら討論。子どもたちから「日本を守るためには戦争をするしかなかったのではないか」「日本が自分の国を守るために戦争したなんて初めて知りました」などの感想を引き出しています。
この内容には、当の青年会議所の関係者からも疑問の声が出ています。同会議所のホームページで内容を知った地方青年会議所の関係者は「子どもたちを洗脳するようなもので、ひどいと思った。やめるべきだと思う」と語っています。
国が予算計上
文部科学省はこのDVDを使った教育プログラムを今年度の「新教育システム開発プログラム」の委託事業として採用しました。同会議所はさっそく「協働運動が文部科学省の研究事業に採択」と宣伝。学校の総合学習などの時間に、青年会議所のメンバーが教室に「誇り」のDVDを持ち込んで実践するよう全国的に呼びかけています。
「新教育システム開発プログラム」は、「あるべき新しい教育システムを提言するための調査研究をおこなう」として文科省が二〇〇六年度から実施。研究内容を公募し、採択された団体に委託費を提供します。今年度は青年会議所のほか地方教育委員会や大学などの七十六件が採択され、計約十五億円の予算が計上されています。
採択にあたって研究内容の審査をする文科省の有識者会議のメンバーには、青年会議所の池田佳隆前会頭が加わっています。
池田氏は、昨年六月に衆議院の教育基本法特別委員会で参考人として意見陳述をし、「戦後植え付けられたしょく罪国家意識を払しょくするために、近現代史教育プログラムを作成している」「いまの教科書では自虐的すぎる。そこのところを教育現場が放棄するのであれば我々が買って出る」と述べています。
「アジア解放が戦争の目的」/植民地支配 一切触れず
DVDが語る主な内容
DVDアニメ「誇り」は、過去の戦争をめぐって高校生「こころ」が、過去から来た青年「雄太」から話を聞くかたちで進行します。2人は靖国神社へも出かけます。雄太が語る戦争の歴史とは―。
【日露戦争】
「領土拡大戦略として南下してきたロシアと、そのロシアから自分たちの国を守りたかった日本。その後、それぞれの思惑とは別に周囲を巻き込みながら、その後の大東亜戦争にまで発展していくんだ」
【日中戦争】
「ロシアは、中国大陸における覇権争いをしていた国民党や共産党をたくみに操り、さまざまな謀略を日本にしかけはじめた。そうとは知らない日本は中国大陸で抜けるに抜け出せない、泥沼のような戦いを繰り広げていくことになっていく」
【対米戦争】
「日本対アメリカを含む連合国軍との戦いを、当時、日本では東アジアの白人からの解放を大義目的にそう(大東亜戦争と)呼んでいたんだ」
「日本は亡国の道を歩むか、戦争に突入するか―二つに一つの決断を迫られ、アメリカをはじめとする連合国軍との戦争という苦渋の決断を強いられた」
【東京裁判・GHQ(連合国軍総司令部)】
「東京裁判は勝った国が負けた国を一方的に裁く復しゅう裁判だった」
「(GHQは)戦争で残虐行為を働いた凶悪な日本兵というイメージを日本国民に植え付け、洗脳していった」
靖国神社で、雄太は「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい―日本の戦いには、いつも、その気持ちが根底にあったような気がする」と語ります。
雄太の話を聞いた、こころはつぶやきます。
「私が今ここにいるのは、過去に日本という礎を築いてくれたたくさんの人たちがいたから…。そして大事なことは、正しい事実をきちんと知ること」
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首相「教育再生の参考に」
安倍首相は日本青年会議所の広報誌『We Believe』昨年十二月号で、当時の池田会頭と対談し、DVD「誇り」を受けとっています。
池田氏が、日本青年会議所が「美しき日本」をスローガンにしていることを紹介。安倍首相が「美しい日本」という同じ理念を掲げたことに期待を表明しています。
受け取った安倍首相は「教育再生の参考にぜひ拝見させていただきましょう」と話し、池田会頭は「美しい国づくりに生かしていただければ幸いです」とのべています。
「産経」の古森氏が、44年9月作成の資料を紹介し、「慰安婦」について「強制徴用」や「性奴隷」でない認識を、当時の米軍がもっていたと述べている。
だが、「金銭と引き換えに徴募され」「だれも帰国を許されなかった」女性は、また「売り上げの50%」を受け取りながら(軍票だろうか?)「法外な値段」でものを売られることによって、その金さえも経営者に吸い上げられていた女性は、はたして「商業ベースで『契約』に基づき、『雇われて』いた」といえるのだろうか。
また、それらの女性は「慰安婦」になることを了解したうえで「徴募され」ていたのか。さらに、その女性が「移動」を軍に「供与」されたということは、移動が軍によって管理(束縛)されていたということではないのだろうか。
20万人ともいわれる「慰安婦」全体の状況を1つの資料だけから類推することはできず、また米軍やアメリカ政府のこの問題についての認識の変化についても考慮する必要があろうが、しかし、仮にこの1つの資料だけを問題としても、それが「慰安婦」の「性奴隷」であることを否定するものとは思えないのだが。
石原氏の「軍が調達した事実はない」発言だが、軍が「慰安婦」徴募者の人選を行った事実は資料に残されている。また「慰安所」建設の命令を行い、「慰安婦」を物資として輸送したことも。氏のいう「調達」とは、いったいどのようなことなのだろう。
これもまた「従米靖国史観派」という、戦後日本保守の内的矛盾のあらわれといえる。
慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書、大戦時に作成(産経新聞、5月18日)
【ワシントン=古森義久】日本軍の慰安婦に関して戦時中に調査に当たった米国陸軍の報告書に女性たちは民間業者に「一定の契約条件の下に雇用されていた」と明記されていることが判明した。同報告書は「日本軍による女性の組織的な強制徴用」という現在の米側一部の非難とはまったく異なる当時の認識を明示した。
「前線地区での日本軍売春宿」と題された同報告書は米陸軍戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成され、米軍の「南東アジア翻訳尋問センター」の同年11月付の尋問報告に盛りこまれていた。73年に解禁され、近年も日米の一部研究者の間で知られてきた。
当時の朝鮮のソウルで金銭と引き換えに徴募され、ビルマ北部のミッチナ(当時の日本側呼称ミイトキーナ)地区の「キョウエイ」という名の慰安所で日本軍将兵に性を提供していた朝鮮人女性20人と同慰安所経営者の41歳の日本人男性が米軍の捕虜となった。同報告書はこの男性の尋問を主に作成されたという。同報告書は「すべての『慰安婦』は以下のような契約条件の下に雇用されていた」と明記し、女性たちが基本的には商業ベースで「契約」に基づき、「雇われて」いたという認識を示している。
同報告書はその契約条件について次のように記していた。
「個々の慰安婦はその総売り上げの50%を受け取り、無料の移動、食糧、医療を与えられた。移動と医療は軍から供与され、食糧は慰安所経営者が軍の支援を得て、購入していた」
「経営者たちは衣類、日常必需品、さらにはぜいたく品を法外な値段で慰安婦たちに売りつけ、利益をあげていた」
「慰安婦の女性がその家族に支払われた金額を利子付きで返済できるようになれば、朝鮮への無料の帰還の便宜を与えられ、自由の身になったとみなされることになっていた。だが戦争の状況のために、このグループの女性はだれも帰国を許されなかった」
「この日本人が経営した慰安所では女性1人の2カ月の総売り上げは最大1500円、最小300円程度だった。個々の女性は経営者に毎月、最低150円は払わねばならなかった」
以上のように、この報告書は慰安婦の「雇用」や「契約条件」を明記するとともに、慰安婦だった女性は一定の借金を返せば、自由の身になれるという仕組みも存在したことを記し、「軍の強制徴用」とか「性的奴隷化」とは異なる認識を当時の米軍当局が有していたことを証している。
従軍慰安婦問題、「軍が調達した事実はない」 石原知事(朝日新聞、5月18日)
ニューヨークでの世界大都市気候変動サミットに参加している石原慎太郎・東京都知事は17日、日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」の会合に出席し、従軍慰安婦問題について「軍が調達した事実はない」と述べた。
講演後、報道陣に認識を問われた石原知事は「戦争中に軍がそういう女性たちを調達した事実はまったくありません。ただ、便乗して軍にそういうものを提供することを商売にした人間はいましたな」と答えた。
米国では1月、米下院の与野党議員が首相の公式謝罪を求める決議案を提出、安倍首相が「狭義の強制性」を否定して反発が広がり、首相が従軍慰安婦に「申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と述べるなど、関心事になっている。
従軍慰安婦問題では93年、「慰安婦の募集は、軍の要請を受けた業者が主として当たり、官憲等が直接加担したこともあった」と、軍当局の関与を認める河野官房長官談話が発表されている。
WAMがカトリック系の平和団体から「平和賞」を受賞した。
戦時性暴力を「記憶する場所を設けた」ことが評価されたという。
同資料館は、「慰安婦」加害の実態を記憶し、この問題の解決に取り組む運動のセンターとしての役割も果たしている。
他方、海南島「慰安婦」裁判の第一回口頭弁論が東京高裁で行われた。
事実は認定するが賠償責任はないという、過去の判決を乗り越えるための取り組みである。
慰安婦問題の資料館に国際団体の「平和賞」(朝日新聞、5月15日)
日本軍による慰安婦制度の被害者の声などを集め展示する「女たちの戦争と平和資料館」(WAM、西野瑠美子館長)がキリスト教系平和団体の国際パックス・クリスティ(本部・ブリュッセル)による今年の「平和賞」を国内団体として初めて受賞した。15日夕、東京都新宿区のWAMで授賞式がある。
カトリック系の50カ国6万団体が加盟する同団体は、欧州連合(EU)のドロール元委員長や故デメロ国連事務総長特別代表に平和賞を授与したほか、88年からクロアチア、フィリピン、ルワンダなど紛争地域で働く活動家らを平和賞に選んできた。今回は、05年開館のWAMが「平和のため、戦争による女性への性暴力被害を記憶する場所を設けた」ことが評価された。
「慰安婦制度」は国家犯罪/東京高裁で口頭弁論 被害者救済を訴え(しんぶん赤旗、5月16日)
中国海南島「慰安婦」訴訟控訴審の第一回口頭弁論が十五日、東京高裁(浜野惺裁判長)で開かれました。原告の中国人女性八人(うち二人死亡、遺族が継承)は戦時中、日本の植民地下にあった海南島で旧日本軍に性暴力を受けたとして、日本政府に対し損害賠償と謝罪を求めています。原告側弁護団は被害者の救済を訴えました。
弁護団の小野寺利孝弁護士は「『従軍慰安婦制度』を国家犯罪であるとみているのが国際社会の共通の認識であり、従来被害女性たちへの真摯(しんし)な謝罪と賠償をおこなうよう日本に対し勧告してきたのが国際世論だった」と指摘。
「官憲における強制連行という狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」と発言した安倍首相に対し、「首相発言は、このような国際世論への挑戦と受けとめられた」と批判しました。
また、裁判所に対し、被害の真相・実相に肉薄し、日本が負うべき法的責任を明確に判断するよう求め、「独自の被害者救済の判決を目指していただきたい」と訴えました。
坂口禎彦弁護士は、同訴訟は「性奴隷とされた戦時中の被害について賠償を求めるとともに、日本政府が被害者らの名誉回復さえおこなわず、放置してきた戦後の行政不作為責任を問うもの」と主張。他の弁護士から「被害はいまも継続している」として、PTSD(心的外傷後ストレス障害)についての報告がありました。
東京地裁判決は二〇〇六年八月、戦時中の被害事実や加害行為による悪夢、どうき、恐怖など戦後も続く被害を認定しましたが、原告の請求をいずれも棄却しました。
アメリカ下院の「慰安婦」決議案だが、5月中に外交委員会で採否にかけられる可能性が高まっている。
個々の議員・政治家に応じて、決議案採択の狙いに違いはあるのだろうが、アメリカの国益という角度からすれば、これは、①日本(アメリカの手下)の東アジアにおける影響力の再建、②日米同盟への亀裂が入ることの未然の防止という二重の意味で重要な課題となっている。
①については、東アジアの成長という世界構造の変化が、この地域に対する日本の加害にあらためて光をあてる原動力となっている。
他方、産経紙は新たな史料の意義を論じているが、仮に内容が紹介されたとおりであったとしても、民間業者が人身売買で手にいれた女性たちを、軍の管理のもとに南方に「輸送」し、さらに「慰安所」に閉じ込めている。
その軍の行為の違法性は明らかではないか。
さらに「加藤談話」「河野談話」ともに、「慰安婦」徴募の担当者を軍が選任していた史料の存在を認めているが、仮にこのケースも同様であるとすれば、軍は人身売買そのものにも直接加担していたことになる。
慰安婦決議案、米下院外交委に今月中の奇襲上程も(東亜日報、5月12日)
米国下院に提出されている日本軍慰安婦決議案に対する支持署名を行った議員が117人を記録し、今月中に下院外交委員会で処理される可能性が高まっている。
ニューヨーク・ニュージャージー韓国人有権者センター(金ドンソク所長)などの韓国人団体によると、マイケル・ホンダ議員が1月31日に提出した決議案121号への支持署名者として下院事務局に登録した連邦下院議員が10日午後(現地時間)現在、117人に増えた。
韓国人団体では現在、追加で7人の議員たちから支持署名への約束を取り付けた状態で、21日ごろ、署名議員数は目標値の120人を上回るものと見られる。
下院外交委員会のトム・ラントス委員長室では、これまで支持署名議員が120人以上なら、外交委への上程を本格的に推進すると明らかにした。
昨年、エバンス議員が提出した決議案の場合、常任委員長だったヘンリー・ハイド議員室が日本側の反対ロビーを憂慮して、決議案上程方針を採決二日前まで極秘に付したことを勘案すれば、今回も奇襲上程する可能性を排除できない。
いっぽう、加藤良三在米日本大使がラントス委員長との面談を粘り強く求めているなど、日本も最後のロビー攻勢に乗り出している。加藤大使は先週、ラントス委員長に面談を求めたものの、受け入れられなかった。日本大使館側では、11日、再びラントス委員長との面談を推進している。
米下院は慰安婦決議案を人権委員会やアジア太平洋小委員会で別途に取り扱わないことを決定した。関連小委員会での議論の過程を経なくてすむことになり、それだけ決議案の処理にかかる時間や手続きが短縮されたことになる。
「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」(産経新聞、5月12日)
【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。
報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。
この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。
報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。
同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。
このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。
報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。
インドネシアにおける「慰安所」関係の新史料だという。
早々に日本語訳が公開されることを期待したい。
憲兵が連行、売春強制 慰安婦でオランダ新史料(山陽新聞、5月11日)
【ベルリン11日共同】太平洋戦争時の従軍慰安婦問題で、日本占領下のインドネシアで憲兵らが直接、女性を連行して慰安所で売春を強制したことを記述したオランダ政府の公文書が10日までに見つかった。旧日本軍による「狭義の強制性」を否定した安倍晋三首相の発言の矛盾を裏付ける新史料として注目される。
公文書は、戦争犯罪問題を調査しているベルリン在住ジャーナリストの梶村太一郎氏が入手した未公開の約30点。1944年にインドネシアのマゲランやフロレス島で起きた集団売春強要事件の被害者の宣誓証人尋問調書に記述されていた。マゲランの事件についてはオランダ政府報告書が「最も悪名高い事件」と指摘している。
「英霊」の「顕彰」を目的とする靖国神社の最重要行事のひとつである春の例大祭に、安倍首相がポケットマネーからではあるが、「内閣総理大臣」の肩書を付して、供え物を奉納していた。
時期は、中国の温家宝首相訪日の直後である。
安倍事務所は個人の「思想信条」にかかわる問題と説明しているようだが、数ある肩書の中からあえて「内閣総理大臣」の名を記すことが、はたして個人の行為といえるだろうか。
安倍首相が靖国神社に供物=春季例大祭に合わせ(時事通信、5月8日)
安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭(4月21-23日)に供え物を奉納していたことが8日、明らかになった。政府関係者が確認した。首相は同神社を参拝したかどうか明らかにしない方針を取っているが、供え物の奉納で同神社側に配慮を示したとみられる。
関係者によると、供え物は5万円相当の「真榊(まさかき)」と呼ばれるサカキの鉢植え1基で、首相がポケットマネーで支払った。
安倍首相、靖国に供物奉納 中曽根氏以来約20年ぶり(朝日新聞、5月8日)
安倍首相が4月21~23日に行われた靖国神社の春季例大祭で、神前にささげる供え物を「内閣総理大臣」の肩書で奉納していたことが分かった。首相による奉納は中曽根元首相以来約20年ぶり。安倍首相は靖国参拝について「したか、しないか、申し上げるつもりはない」とあいまいな態度をとっているが、参列の代わりに供え物を奉納することで靖国神社への配慮を示したとみられる。
同神社関係者によると、奉納したのは「真榊(まさかき)」と呼ばれる、神事に使うサカキの鉢植え1基。高さ2メートル近くあり、本殿に上がる木製階段の両脇にほかの真榊とともに並べられた。鉢に付けられた木札には「内閣総理大臣」と書かれた。
例年、衆院議長をはじめ、日本遺族会や英霊にこたえる会の会長らも真榊を奉納しているが、首相は、85年に靖国参拝が問題化した中曽根氏(在任期間82~87年)の後は途絶えていた。小泉前首相は例大祭ではなく、自らが参拝した際に花を供えた。
神社側が安倍首相側に参列の案内を送り、奉納を働きかけたところ、首相側が応じたという。奉納の費用は5万円という。
靖国神社は招待者を対象に、毎年4月に春季、10月に秋季の例大祭を行っており、神社の儀式としては8月15日の終戦の日よりも重要視されている。安倍首相は官房長官だった昨年4月、例大祭の直前にひそかに同神社を参拝したことが明らかになっている。今回の例大祭は、中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相の訪日直後の時期だった。
同神社関係者は「首相になり参拝を控える中、お気持ちを示されたのだと思う。ありがたい」と歓迎している。
安倍事務所は朝日新聞の取材に対し、「思想信条に関するご質問には回答しておりません」としている。供え物の費用が私費か公費かも回答はなかった。
安倍氏の「謝罪」攻勢も、下院決議案の動向には、何の影響もなかったらしい。
日米首脳会談に前後した、イ・ヨンスさんらの「証言」活動も、大きな力になっているのだろう。
慰安婦:米下院、謝罪決議案支持議員が100人超す(朝鮮日報、5月4日)
米国下院に提出されている、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題について謝罪を求める決議案を支持する議員が100人を超えた。
ワシントンの「慰安婦問題対策委員会」(ソ・オクチャ委員長)は2日、日系のマイケル・ホンダ議員が提出した、慰安婦問題について謝罪を求める決議案を支持する議員が104人(下院議員の総数は435人)に達した、と発表した。
この背景については、最近訪米した日本の安倍晋三首相がジョージ・W・ブッシュ米大統領に対し、慰安婦問題について謝罪する発言をしたことが、この問題をめぐる議論の中でむしろ逆効果を生み、米国国内の世論が日本に不利な方向になっている、との見方が出ている。
ネグロポンテ国務副長官は、たびたびアジアにおける日本のリーダーシップの重要性について語る。
もちろん、そのリーダーシップはアメリカの手のひらの上にあるもの限られるのだが。
親分が中国と仲良くしろというわけである。
日本の「親米(従米)右派」にとり、靖国史観はますます肩身が狭くなる。
米国務副長官、安倍首相の日中関係改善を評価(日経新聞、5月2日)
「中国と日本ほど重要な関係はない。我々は安倍晋三首相が日中の外交関係改善を優先事項としたことに励まされた」。ネグロポンテ米国務副長官は1日、下院外交委員会で証言し、日米首脳会談を終えたばかりの安倍首相が日中関係の好転に取り組んだことを評価した。
この日の外交委は米中関係が議題で、副長官は北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議などで中国が果たしている役割に言及後、日中関係に触れた。
副長官は「首脳の相互訪問を歓迎する」とも語り、日中首脳の往来が続くことに期待も示した。(ワシントン=丸谷浩史)
安倍首相の相変わらずの右往左往。
一泊二日の訪米では、どうみても米国議会とブッシュ大統領に許しを請うたろ。
それが「慰安婦の方々」への謝罪だといいはるなら、
今度は、その「気持ち」をどういう行動で示すのかを、はっきりさせるべきだ。
これぐらい、言うことが無責任にコロコロかわる人間も珍しい。
首相、慰安婦問題発言「米への謝罪でない」(日経新聞、5月1日)
【ドーハ=中山真】安倍晋三首相は1日の同行記者団との懇談で、先の日米首脳会談で「慰安婦の方々に申し訳ない」などと表明したことに関して「米国に謝罪したことは全くない」と述べた。
首相の発言には、韓国メディアが「謝る相手が違う」などと反発していた。首相は発言について「私の慰安婦の方々に対する気持ちが間違って伝わっていたので、率直な気持ちを伝えたということだ」と説明した。
一方、韓国訪問中の自民党の加藤紘一氏は同日、宋旻淳(ソン・ミンスン)外交通商相や次期大統領候補らと会談し、首相の対応を「米国の大統領に謝罪するのでなく、韓国の人々に謝罪すべきだ」と批判した。外通相は「なぜ日本であのような事態になるのかという思いだ」と不快感を表明した。
日中共同声明で、国民の請求権を放棄したとの文言はない、なるほど、そういう法解釈が成り立つものか。
西松裁判も「慰安婦」裁判も、いずれも司法の責任放棄の結果となった。
現にある問題を解決するために、自らがどのような役割を果たしうるか、そこを考えるのが裁判官の役割ではないのか。
最高裁から不当判決が出たとはいえ、これで国と企業に対する闘いの権利が失われたわけではない。
「死ぬのを待っているのか」という被害者等の声を、国と企業、そしてこの国の主権者である国民もまた、重く受け止め、行動すべきである。
中国人強制連行・「慰安婦」訴訟/“司法の役割放棄だ”/最高裁判決原告ら怒り 全面解決要求は続く(しんぶん赤旗、4月28日)
「司法の役割を放棄した大変恥ずかしい判決」――広島・西松建設訴訟と中国人「慰安婦」事件第二次訴訟の最高裁判決に対し二十七日、原告や弁護団、支援者から怒りの声が上がりました。
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同日午前に判決を受けた広島・西松建設訴訟の原告らは、判決後の記者会見で「不当な判決だ」と抗議。「裁判所の責任を免れたいという判決で無責任なやり方だ」と怒りをあらわにした原告の邵義誠さん(81)は、「(補償を求め)西松建設との交渉は最後までやっていく」とのべました。
原告団団長だった父・呂学文さんの死後、裁判を継承した息子の呂志剛さん(59)は、「人権を守るためにある司法が正しい裁きをしないとは、いったいどういうつもりなのか。怒りで胸がいっぱいだ」と語りました。
また、西松建設に対し、「なぜ、しかるべき補償をしないのか。私たちはお金を求めているのでない。正義を求めているのだ」と訴えました。
呂志剛さんの父・学文さんは日本滞在中、広島刑務所に送られたために被爆。帰国後は後遺症に苦しんでいました。二〇〇三年八月、八十二歳で死去しました。
作業現場でトロッコがひっくり返る事故に遭い、両目を失明した宋継堯さん(79)は「西松建設とは最後までたたかっていく。終わりはない」と語りました。
西松建設訴訟弁護団の中島憲弁護士は「中華人民共和国政府は、…日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言した日中共同声明第五項について、「そもそも『国民』という文言はない」と指摘。「中国国民の請求権放棄を勝手に解釈していることは問題だ。しかも、なぜ放棄されたのかを明らかにしていない」と法解釈の誤りと根拠のなさを批判しました。
午後に判決があった中国人「慰安婦」事件第二次訴訟弁護団も判決後、記者会見を開きました。
小野寺利孝弁護士は判決について、「実体的な請求権はあるといいながら、裁判を起こす権利はない。政府に対する要求はできるが、裁判所に訴えを起こすのはダメだという、こんなばかげた判決は司法の自殺行為だ」と批判。「この不当な判決を現在進行している地裁、高裁レベルでのたたかいを通じて、克服するため総力挙げてたたかい抜く」とのべました。
また、「裁判を起こす権利は失ったが、人権侵害を犯した政府や企業に対しての賠償請求権は失っていない」と指摘。「政府と国会はこの判決の趣旨をしっかりと受け止めるべきだ。私たちは全面解決の要求を高く掲げてたたかっていきたい」と語りました。
南典男弁護士は「監禁・強かんは日本軍がやったという事実、被害者が現在もPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいるという実態を確定した。政府と企業は自主的に解決するべきだ」とのべました。
弁護団によると、原告の郭喜翠さん(80)は、中国で判決の結果を聞き、絶句したまま言葉もなく、しばらく涙を流していたといいます。そして「極めて残念である」と話したといいます。
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西松強制連行訴訟 戦時中の一九四四年、西松組(現西松建設)は中国山東省の収容所などから中国人労働者三百六十人を強制連行し、広島県加計町(当時)の安野発電所で働かせました。衣食が十分に与えられない過酷な条件下で、二十九人が死亡したとされます。元労働者の故呂学文さんらが九三年に来日し、西松建設に謝罪と補償を求めましたが、拒否され、交渉は決裂。生存者三人と遺族二人が九八年、広島地裁に提訴しました。
昭和天皇は、靖国へのA級戦犯合祀を、やはり不快に思っていたらしい。
だが、合祀者名簿は、すべて天皇の前を通過するのではなかったか。
合祀を止める権限は、昭和天皇にはなかったのか?
そのあたりの仕組みは一体?
A級戦犯合祀、天皇の「不快感」再確認・富田メモ委検証報告(日経新聞、5月1日)
故富田朝彦・元宮内庁長官が書き残した「富田メモ」(日記、手帳)について、日本経済新聞社が設置した社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は30日、最終報告をまとめた。
同委員会は昨年10月から、計11回の会合を重ねメモ全体を検証した。その結果「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」と評価。特に昨年7月、本紙が報じたA級戦犯靖国合祀(ごうし)に不快感を示した昭和天皇の発言について「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」との結論に達した。
■ 「富田メモ研究委員会」の最終報告
A級戦犯合祀、天皇の「不快感」再確認――富田メモ委検証報告
故富田朝彦・元宮内庁長官が書き残した「富田メモ」(日記、手帳)について、日本経済新聞社が設置した社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は30日、最終報告をまとめた。
同委員会は昨年10月から、計11回の会合を重ねメモ全体を検証した。その結果「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」と評価。特に昨年7月、本紙が報じたA級戦犯靖国合祀(ごうし)に不快感を示した昭和天皇の発言について「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」との結論に達した。
精査したところ、「明治天皇のお決(め)になって(「た」の意か)お気持を逸脱するのは困る」などと昭和天皇の靖国への思いを記した新たな走り書きが見つかった。日付は1988年5月20日で、天皇が「だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた同年4月28日から約3週間後。
天皇は「松平(永芳)宮司になって 参拝をやめた」と話し、4月のメモでも述べていた「松岡(洋右元外相)」「白取(白鳥敏夫元駐イタリア大使)」の名を5月20日にも繰り返している。
委員会は「昭和天皇が靖国神社の合祀のあり方について、明治天皇の創建の趣旨とは異なっているとの疑問を抱いていたのではないか」と解釈した。
また、88年5月に富田氏が次期長官に藤森昭一宮内庁次長(当時)が決まったことを説明する際、昭和天皇が「後任に政治家でも来てはと思ったが」と話している記述もあった。富田氏の後に政治家が起用されるのではないかと、天皇が心配していたことがうかがえる。
メモにはこれ以外に天皇が政治、経済、国際情勢などを常に気にかけ、宮内庁側も最新の情報を提供するよう配慮していたことが記されている。87年9月に天皇が開腹手術を受け、88年9月に吐血、89年1月に逝去するまでの宮内庁内の動きも詳述。各委員から「六十数年ぶりの代替わりに備える政府内の動きがよくわかる」との指摘が相次いだ。
が書き残した「富田メモ」(日記、手帳)について、日本経済新聞社が設置した社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は30日、最終報告をまとめた。
同委員会は昨年10月から、計11回の会合を重ねメモ全体を検証した。その結果「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」と評価。特に昨年7月、本紙が報じたA級戦犯靖国合祀(ごうし)に不快感を示した昭和天皇の発言について「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」との結論に達した。
■ 「富田メモ研究委員会」の最終報告
A級戦犯合祀、天皇の「不快感」再確認――富田メモ委検証報告
故富田朝彦・元宮内庁長官が書き残した「富田メモ」(日記、手帳)について、日本経済新聞社が設置した社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は30日、最終報告をまとめた。
同委員会は昨年10月から、計11回の会合を重ねメモ全体を検証した。その結果「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」と評価。特に昨年7月、本紙が報じたA級戦犯靖国合祀(ごうし)に不快感を示した昭和天皇の発言について「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」との結論に達した。
精査したところ、「明治天皇のお決(め)になって(「た」の意か)お気持を逸脱するのは困る」などと昭和天皇の靖国への思いを記した新たな走り書きが見つかった。日付は1988年5月20日で、天皇が「だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた同年4月28日から約3週間後。
天皇は「松平(永芳)宮司になって 参拝をやめた」と話し、4月のメモでも述べていた「松岡(洋右元外相)」「白取(白鳥敏夫元駐イタリア大使)」の名を5月20日にも繰り返している。
委員会は「昭和天皇が靖国神社の合祀のあり方について、明治天皇の創建の趣旨とは異なっているとの疑問を抱いていたのではないか」と解釈した。
また、88年5月に富田氏が次期長官に藤森昭一宮内庁次長(当時)が決まったことを説明する際、昭和天皇が「後任に政治家でも来てはと思ったが」と話している記述もあった。富田氏の後に政治家が起用されるのではないかと、天皇が心配していたことがうかがえる。
メモにはこれ以外に天皇が政治、経済、国際情勢などを常に気にかけ、宮内庁側も最新の情報を提供するよう配慮していたことが記されている。87年9月に天皇が開腹手術を受け、88年9月に吐血、89年1月に逝去するまでの宮内庁内の動きも詳述。各委員から「六十数年ぶりの代替わりに備える政府内の動きがよくわかる」との指摘が相次いだ。
■ 「富田メモ研究委員会」の最終報告
富田メモ研究委員会 検証報告
故富田朝彦元宮内庁長官が残した記録(富田メモ)を丹念に読み解くため、日本経済新聞社が設置した外部有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は、昨秋から半年余りにわたり様々な角度から検証した。その結果、すでに報道してきた部分だけでなく、富田メモの記述は詳細、正確であり、全体が昭和史の貴重な史料であることを確認した。1日、2日の特集でメモの抜粋と委員による座談会を掲載、併せて4日から外部委員の寄稿を順次掲載する。また、社会面で関連企画を連載する。
委員会は昨年10月から11回開催し、メモ全体の流れや文字、文体などの特徴を分析しながら、細部の検証を進めた。重点を置いたのは(1)内容に事実の裏付けがあるか(2)発言記録の場合、発言者が確定できるか(3)複数の解釈が可能な場合どう考えるか(3)史料として公表すべきかどうか――など。注釈を含む「富田メモ抜粋」は、委員会の結論としてまとめたものである。
富田メモが史料として重要なのは、第一に昭和天皇の最晩年の生の声が記録されていることにある。天皇は1987年(昭和62年)9月22日に開腹手術を受けた。その後、年末に一部の公務に復帰してから富田氏が長官を退任する88年6月まで、容体は比較的安定していた。
富田氏はこの間、用途を天皇との対話の記録にほぼ限った手帳を用意し、言上(ごんじょう=天皇への説明)内容や天皇の質問、発言を詳細にメモした。この手帳には87年12月28日から長官退任直前の88年6月10日まで、27回の言上すべてが記録されている。
健康に不安を抱える中で、退任間近の富田氏に多くのことを語った天皇と、それを漏らさず聞き、記録しようとした富田氏の間の信頼関係、そして富田氏の緊張感がこの時期のメモには横溢している。82年―87年に首相を務めた中曽根康弘氏は「富田長官は誠実な人柄で天皇の信頼を得ていた」と証言している。
富田氏は事前に項目を個条書きにしたメモを用意し、言上に臨んだ。富田氏の説明に対し天皇が幾つか質問や感想を口にし、富田氏が答える。さらに、時によっては言上と直接かかわりのないことを天皇が語り出す。2人のやりとりはこうした形で進んだ。
例えば、富田氏は88年5月6日に言上したが、9日に今度は天皇からお召し(おめし=呼び寄せ)を受けている。この時は富田氏から特に報告はなく、天皇自らが若槻礼次郎元首相、吉田茂元首相、高松宮の思い出などを35分間にわたり語った。
靖国神社参拝に関しても、自らの意志を富田氏に伝えたいという天皇の強い意思が感じられる、というのが委員の共通した見解だった。
委員会では靖国神社に絡む記述をすべて抽出、分析した。しかし、靖国神社がA級戦犯14人を合祀した78年(昭和53年)10月、富田氏はすでに長官に就任していたが、当時の日記に合祀を巡る記述はなかった。また、合祀が報道された79年4月19日、故入江相政元侍従長の日記には「朝刊に靖国神社に松岡、白鳥など合祀のこと出、テレビでもいふ。いやになつちまふ」とあるが、富田氏はこの時期も「靖国」に言及していない。
委員会では、昭和天皇の発言から遺言ともいえる様々な思いを読み取った。浩宮(現皇太子)さまの結婚には強い関心があり、繰り返し報告を求めたり予算面での心配まで口にしたりした(88年1月26日、3月29日など)。また、71年の訪欧や21年(大正10年)の皇太子時代の訪欧のエピソードを語る語り口からは、2つの旅行が生涯を通じた楽しい思い出だったことが改めてうかがえた(88年5月11日など)。富田氏の後任に政治家が就く懸念を抱いていたことも垣間見えた(5月20日)。
進講者を何度も驚かせた政治、経済、社会に対する幅広い知識、関心や記憶力が、最晩年まで衰えなかったことも裏付けられた。
委員会で記録を分析した結果、天皇とのやりとりはまず要点をメモし、時間をおかずに庁内の自室で整理した可能性が高い。言葉は肉声そのままに近い形で記録されているとみられ、昭和天皇の言葉遣いを研究するうえでも貴重である。
富田メモの史料価値が高いもう一つの理由は、富田氏が公務を詳細に記録していたことにある。宮内省が戦後、宮内府を経て総理府外局の宮内庁になったのが49年(昭和24年)6月1日。富田氏は第三代宮内庁長官である。初代の田島道治氏の日記・手紙類は一部公表されているが、被占領期を含む昭和20年代の天皇・皇室をめぐる状況は昭和末期とは全く異なっている。25年間にわたり長官の職にあった第二代の宇佐美毅氏の記録類は、明らかになっていない。
富田氏は皇室と無縁の警察官僚から宮内庁に転じた。詳細な記録をつけることで、象徴天皇制が安定する一方で天皇が高齢に向かう昭和50年代以降、宮内官トップの職務のあり方を模索し続けたといえるだろう。
宮内庁には行政官庁としての「オモテ」と、侍従ら側近の「オク」という二重構造がある。「入江日記」だけでなく、昭和天皇の晩年まで仕えた徳川義寛元侍従長、卜部亮吾侍従の日記もオクの記録だ。これに対し、富田メモにはオクとは異なるオモテの職務や天皇との距離感、一般公務員とは異質の宮内官の職務の特徴が刻まれている。特に、87年(昭和62年)1月から88年6月の退任までの詳細な公務の記録からは、昭和から次の時代への代替わりも見据えて、いかに多様な仕事をしていたかが分かる。
87年は昭和天皇の初めての沖縄訪問、皇太子夫妻(現天皇皇后両陛下)の27年ぶりの訪米が予定され、皇室にとって節目の年にあたっていた。2月に高松宮が逝去。富田氏は秩父宮以来34年ぶりの皇族の葬儀を取り仕切った。
40歳間近の宜仁親王(桂宮さま)独立も具体化しつつあり、浩宮(現皇太子)さまの結婚問題も考えねばならなかった。そして9月には天皇に腸に通過障害があることが判明、富田氏は長官として開腹手術という重い決断をする。
その間の庁内外の協議や内閣との折衝はこれまで詳細が知られていなかった。当時、中曽根内閣の官房長官だった故後藤田正晴氏は富田氏の警察庁時代の先輩で親しかったこともあり、特に頻繁に連絡を取り合った。
天皇の開腹手術の方針が決まった後、87年9月18日に富田氏は後藤田氏に会った。その際の報告は、天皇の病気と、それに伴って派生する沖縄訪問中止、皇太子による天皇の公務(国事行為)の臨時代行、皇太子夫妻の訪米や宜仁親王独立問題の扱い、マスコミ対応など、対処すべき案件が網羅されていることが分かる。後藤田氏とは2日後の9月20日に再度会い、中曽根首相からの指示を受けた。
後藤田氏は87年11月の竹下内閣発足で官房長官を退くが、富田氏はその後もしばしば相談に訪ねている。2人の関係を抜きに、この時期の宮内庁は語れない。
宮内庁長官の職務の幅の広さは、メモの随所にうかがえる。87年8月10日には、岸信介元首相の通夜に侍従を遣わす際の天皇のお言葉から、天皇の「思し召し」にあった「安保改定」の語句が削られた経緯が簡潔に書かれている。
富田氏は宮家との付き合いにも言及しているが(79年12月31日=2日付で掲載=など)、旧皇族と宮内庁との関係も、11宮家が皇籍を離脱した47年(昭和22年)から40年たってなお強いことも分かる。昭和天皇に皇室全体の家長という意識が生涯強かったこと、皇族との姻戚関係が背景にあるだろうが、委員会では、宮内庁長官の職務が一般官庁のトップといかに異なっているかを示す例に挙げられた。
昨年7月に富田メモを報道した際、公開の是非とともに富田氏自身に公開の意志があったかどうかが問題にされた。委員会ではメモを読み込み、様々な意見を出し合った。共通していたのは、富田氏が(1)昭和天皇が亡くなることがはっきりした時点で、できる限り忠実に天皇とのやりとりを記録しようとした(2)公務について、世間一般の動きを見ながら宮中を記録するという複眼の視点を常に持とうとした――との見方だ。
正確な記録を残し後世に役立てたいという富田氏の考えがメモには反映しており、公開は有意義なだけでなく富田氏の遺志にも沿うのではないか、というのが委員会の最終的な見解である。
委員会の議論では意味の解明ができない個所も残った。富田氏の関心に沿って書かれたメモを正確に理解するためには別の記録との照合も必要で、今後、昭和天皇に関する史料の公開が進むことへの期待は各委員に共通していた。
その意味では、入江元侍従長の「拝聴録」が見つかったことをうかがわせる記述が注目された(88年5月23日など)。この拝聴録は入江氏が昭和天皇の回想を聞き書きしたとされるもので、作業の様子は入江日記に頻繁に出てくる。宮内庁は「存在しない」として非公開決定をし、内閣府の情報公開審査会も2001年にその決定を妥当とする答申を出しているが、存在するとすれば扱いが広く議論されるべき問題であろう。
日本経済新聞社は今回の一連の報道で富田メモの検証作業を終了、メモは富田家が公的機関への寄託などを検討する。
研究委員会の委員は次の通り
御厨貴氏(東大教授)▽秦郁彦氏(現代史家)▽保阪正康氏(作家)▽熊田淳美氏(元国立国会図書館副館長)▽安岡崇志(日本経済新聞特別編集委員)
日米首脳会談における「慰安婦」問題の位置づけに関する記事である。
「赤旗」社説は、「河野談話」からの後退を許さないことにブッシュ大統領がクギをさした点に、その意義を見る。
関連して、この問題をアメリカが取り上げることの意味について、カルダー氏は、日本と周辺国の良好な関係がアメリカの国益に合致するからだとあらためて述べる。
韓国の2紙は、日本の謝罪の相手がちがっていること、アメリカがどういう資格をもってそれを受け入れるのかという点を批判する。誰が見てももっともな批判である。
安倍首相の曖昧な謝罪にもかかわらず、下院の「慰安婦」決議は可決の見通し。
問題はそれを一つのきっかけに、この国の「慰安婦」加害をどれだけの日本人が正しく理解し、誠実な謝罪の道へ政治を仕向けることができるかどうかである。
もちろんその改革を、アメリカが許容する範囲にとどめる必要はない。
慰安婦:カルダー教授「安倍首相は鈍感だった」 「日本は引き続き謝罪するだろうが形式的なものだろう」(朝鮮日報、4月30日)
米国内での知日派として知られるジョンズ・ホプキンス大学のケント・カルダー教授は本紙とのインタビューで、「安倍晋三首相の今回の訪米は日本軍慰安婦問題の深刻さを悟るきっかけとなっただろう」と述べた。インタビューはカルダー教授の研究室で27日に行われた。
—安倍首相がブッシュ大統領に会い日本人拉致問題が解決しなければ米国が北朝鮮をテロ支援国家から外すことに反対した。
「今は北朝鮮のテロ支援国問題についての両国の立場が一致しているが、北朝鮮が6カ国協議での合意を履行すればするほど米国と日本は立場の違いが鮮明になるだろう。日本の目的は6カ国協議での米国の動きの幅を狭めることだ。安倍首相のこのような要請は一時的に受け入れられている」
—安倍首相が得た点は。
「安倍首相の最近の慰安婦についての発言は米国の雰囲気を理解できていなかったのが原因だ。ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストが強く非難すると非常に慌てた。安倍首相は鈍感だった」
—慰安婦問題が米日関係に及ぼす影響は。
「米日関係を心配する双方の関係者たちは行き違いの最小化を図るだろうが、双方には認識の違いが残っている。日本は慰安婦問題はすでに法的に決着がついたという技術的な次元で取り扱おうとしたが米国は人権問題と見ている。安倍首相訪米中の謝罪発言は自ら属する日本国内の保守派を裏切らず、同時に下院の慰安婦決議の通過を防ごうとする目的で非常に緻密(ちみつ)なものだった。しかし米国議会は安倍首相の帰国後に慰安婦決議案を通過させそうだ」
—日本がするべきことは。
「日本は引き続き謝罪するだろうが形式的なものだ。ドイツのように完全な謝罪はしていない。にもかかわらず日本と周辺国との関係は改善するだろう。今後の日中関係は韓国も注意する必要がある。安倍首相は韓日間の安保協力の重要性を知っている。中国との関係で日本が利益を得るためにも韓国は必要だ」
—今後韓米日3国が取るべき政策は。
「米国は韓国や日本との三角同盟を強化しようとしている。日本が周辺国との関係を良好に保つことは米国の国益にも一致するという点を米国政府はよく知っている。日本が教科書から慰安婦問題を削除した点についても多くの米国人は心配している」
—最近、日本によるF22購入の動きに中国が直ちに反発したが。
「米国がF22を日本に販売できない理由はない。中国が反対しているが中国は過去17年間、毎年10%以上の軍事力増強を行ってきた。日本の憂慮は当然のことだ。ただし日本がF22を購入するなら韓国が誤解しないよう韓国政府に徹底して説明するべきだろう」
【社説】頭がおかしい安倍首相、話にならないブッシュ大統領(朝鮮日報、4月30日)
27日にワシントンで開催された米日首脳会談で、慰安婦問題について信じられないことが起こった。安倍首相はブッシュ大統領に「慰安婦の方々を非常に困難な中でつらくて苦しい状況に追いやったことに対して、人間として首相として、心から同情しており、申し訳ない思いだ」と謝罪した。これに対してブッシュ大統領は「(謝罪を)受け入れる」と応えた。日本の首相はなぜ慰安婦の人々ではなく米国の大統領に謝罪し、米国大統領は何の資格があってその謝罪を受け入れるというのか。
第2次大戦当時、日本軍に連行され集団で性暴行にあい、強制的な堕胎、電気拷問などの蛮行を受けた被害者はブッシュ大統領でもなく米国国民でもない、韓国や中国などアジアの女性20万人だ。安倍首相は官房長官だったときに日本軍慰安婦について、「虚構であり、マスコミが作り上げた話」と語っていた。首相になってからは「慰安婦を強制的に連行したという証拠がない」と語った。
安倍首相はこのように事実を歪曲(わいきょく)したことから米下院に日本軍慰安婦決議案が提出されると、突然あわて始めた。3日にブッシュ大統領に電話をかけて説明し、米国に行くとブッシュ大統領に謝罪する前に議会の指導者たちにも説明した。朝日新聞が「謝罪の方法がおかしい」「首相が謝罪すべき慰安婦被害者たちには(謝罪を)していない。これまで無視してきたのに米国で問題になるとすぐに謝罪するのはどういうことか」と主張した。
ブッシュ大統領は「(安倍首相の)率直さを評価する」と述べた。安倍首相は慰安婦を強制連行した証拠がないとの立場から事実上1歩も退いていない。慰安婦の連行に日本の官憲による介入を認めた河野談話を継承するとしながらも「狭義の強制性を示す証拠はない」としている。日本の最高裁判所が27日に日本軍による中国人慰安婦の拉致・監禁・強姦(ごうかん)を認めたが、安倍首相の態度が変わる気配はない。
安倍首相が真に言いたいのは、「慰安婦というのはカネを稼ごうとして自発的に出てきたもの」ということだろう。彼は10年前に「歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長だった当時、慰安婦問題について、「韓国には元々キーセンハウスが多い」と言ってのけた人物だ。このような安倍首相の本心が変わったという証拠はどこにもない。だとすればブッシュ大統領が見た安倍首相の率直さはどういったものだったのか。
奇妙な米日首脳の慰安婦謝罪のやりとりが米国下院の慰安婦決議案にどのような影響を及ぼすのか20万の被害者たちが注目している。
<取材日記>「慰安婦謝罪」を米国に?(中央日報、4月30日)
26日から1泊2日間、米国を訪問した安倍晋三日本首相は、従軍慰安婦問題発言の解明に忙しかった。初公式日程であるナンシー・ペローシー下院議長ら米議会リーダー11人との会同では、しばらく日米関係の重要性を強調し「せっかくの機会なので…」と自分の「慰安婦観」をくどくどと説明した。
安倍首相は「20世紀は人権侵害が多かった世紀として、日本もそこから無関係ではない」とし「元慰安婦の方々に、個人として、首相として心から同情するとともに、極めて苦しい状況に置かれたことについて、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と言った。「申し訳なく思う」の部分が「詫びの感覚(sense of apology)」というぎこちない英語に通訳され「真の謝罪ではない」という主張も出た。しかし、その程度なら「謝罪」の表現として受け入れても構わないと思う。
本当に問題視しなければならないことは別にある。安倍首相は従軍慰安婦問題に対して終始、米国に向かって謝っていた。ブッシュ大統領との共同記者会見でも安倍首相は「人間として、そして首相として心から同情し、申し訳なく思うという点を(ブッシュ) 大統領に話した」と言った。これを受けてブッシュ大統領は「首相の謝罪を私は受け入れる」と肯定的に回答している。
ここまでくれば「従軍慰安婦問題の謝罪、あるいは謝罪の対象は米国なのか」という話になるほかない。朝日新聞も29日「国内で批判されても意に介さないのに、米国で紛糾すると直ちに謝罪する。何としたことか」と批判した。米下院に提出されている「慰安婦関連日本政府非難決議案」の採択を阻止するためのジェスチャーとしか解釈されないというのだ。
安倍首相が本当に目と口を向けなければならない所は言葉で形容できない苦痛を経験した従軍慰安婦本人たちと該当の国家だ。つまりあて先を間違ったのだ。
従軍慰安婦問題を鎮めるためいくら昭恵夫人が米CNN放送に出演して「同じ女性として本当にお気の毒に思う」と言っても、ニューズウイークの記者をわざわざ東京に呼んで安倍首相とのインタビューを行ったとしても、当事者に対する謝罪と反省がなければ問題は解決しない。
安倍首相は先月「小泉前首相と橋本元首相も過去、慰安婦の皆さんに(お詫びの)手紙を送った。そんな気持ちは私も全然変わりがない」と言った。ならば手紙は送れなくとも謝罪の一言でも被害者当事者と該当の国家に直接伝えるのが道理だ。
主張 日米首脳会談 誰にかけがえのない同盟なのか(しんぶん赤旗、4月29日)
安倍晋三首相がブッシュ大統領と首脳会談をおこないました。「従軍慰安婦」問題で「狭義の強制はなかった」という首相発言が大きな反発を買い、議会やメディアが批判を強めるなかでの会談でした。
安倍首相はあいまいな「謝罪」で批判をかわしながら、日米軍事同盟を「かけがえのない日米同盟」といい「ゆるぎない同盟として強化する」と公約しました。首脳会談を通じてあきらかになったのは、日米軍事同盟強化の危険な方向と安倍首相の異常なアメリカ追随姿勢です。
解釈改憲を対米公約
「慰安婦」問題は議題にならないといわれていましたが、実際には会談の大きな焦点となりました。安倍首相が三月以来示している「謝罪」をブッシュ大統領が、「慰安婦」問題で軍の強制があったことを認めた河野談話(一九九三年)と「同様」率直なものだと評価する形で、逸脱するなとクギを刺したことは重要です。安倍首相は共同記者会見で、「二十世紀は世界のどこでも人権を侵害してきた」とのべて「慰安婦」問題を人権一般の問題にすりかえる発言をしました。これでは世界の人々との溝を深めるだけです。
安倍首相はブッシュ大統領に「戦後レジーム(体制)の脱却をめざす」とのべました。侵略戦争の反省のうえに戦争をしないという戦後の平和のしくみから脱却するというのは、戦争をするしくみをつくるということです。憲法の平和原則をないがしろにする安倍首相の態度はとうてい許すことはできません。
「安全保障の法的基盤をつくり変えるための有識者会議を設置した」ことをブッシュ大統領に報告したのは重大です。これは、戦後日本の平和の基盤である憲法九条の改悪をめざしつつ、まずは憲法解釈を変え、政府が憲法違反としてきた集団的自衛権の行使を可能にすることを公式に対米約束したことを意味します。
有識者会議が検討するのは、アメリカを標的にした弾道ミサイルを自衛隊が撃ち落とす、戦闘中の米軍艦船を自衛隊が防衛する、イラクなど海外の戦場で自衛隊が米軍部隊を守る、などです。日本への攻撃がないのに、自衛隊が血を流してアメリカを守るというのは、「自衛」どころか「先制攻撃」にほかなりません。日本を戦争への道にひきずりこむ亡国の考えです。憲法九条と両立しません。有識者会議の「可能」の結論を見越して、公約するなど言語道断です。
イラク問題でも安倍首相の態度は卑屈で異常です。イラク戦争が誤った侵略戦争であることがあきらかとなり、アメリカ議会が来年三月末までに米軍の撤退を政府に義務付けた補正予算案を可決しているのに、安倍首相は、イラク戦争を「理解・支援」するといい、「日本は常にアメリカとともにある」とまでいっています。アメリカいいなりにイラクとの戦争に参加し、ミサイル防衛、米軍再編を進めるのでは、戦争の危険を広げるだけです。
戦後政治の原点に反し
日本は、侵略戦争を反省し二度と戦争をしないことを戦後復興の原点にしました。この憲法九条の先駆性は、イラク戦争反対の流れや北朝鮮問題を外交的・政治的に解決するといった現実政治と共鳴しています。
日米首脳会談がうたいあげた日米同盟は、「慰安婦」問題で批判される安倍首相やイラク問題でゆきづまるブッシュ大統領にとっては「かけがえのない」ものでも、国民にとっては重大な危険をもたらすものでしかありません。
日本国内閣総理大臣田中角栄は、中華人民共和国国務院総理周恩来の招きにより、千九百七十二年九月二十五日から九月三十日まで、中華人民共和国を訪問した。田中総理大臣には大平正芳外務大臣、二階堂進内閣官房長官その他の政府職員が随行した。
毛沢東主席は、九月二十七日に田中角栄総理大臣と会見した。双方は、真剣かつ友好的な話合いを行った。
田中総理大臣及び大平外務大臣と周恩来総理及び姫鵬飛外交部長は、日中両国間の国交正常化問題をはじめとする両国間の諸問題及び双方が関心を有するその他の諸問題について、終始、友好的な雰囲気のなかで真剣かつ率直に意見を交換し、次の両政府の共同声明を発出することに合意した。
日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。
一 日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
四 日本国政府及び中華人民共和国政府は、千九百七十二年九月二十九日から外交関係を樹立することを決定した。両政府は、国際法及び国際慣行に従い、それぞれの首都における他方の大使館の設置及びその任務遂行のために必要なすべての措置をとり、また、できるだけすみやかに大使を交換することを決定した。
五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
六 日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
七 日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
八 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
九 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため、必要に応じ、また、既存の民間取決めをも考慮しつつ、貿易、海運、航空、漁業等の事項に関する協定の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
千九百七十二年九月二十九日に北京で
日本国内閣総理大臣 田中角栄(署名)
日本国外務大臣 大平正芳(署名)
中華人民共和国国務院総理 周恩来(署名)
中華人民共和国 外交部長 姫鵬飛(署名)
中国人原告による個人の賠償請求だが,最高裁は請求権がないとして,これを完全に退けた。
根拠とされたのは,「日中共同声明」。
しかし,中国側は,この判決をただちに「一方的解釈」と報道している。
なお,強制労働にせよ,「慰安婦」のレイプにせよ,いずれも事実認定はされている。
個人賠償請求権認めず 「日中共同声明で放棄」(中国新聞,4月27日)
日中戦争中に強制連行され、西松建設(東京)が施工した広島県の水力発電所建設工事で過酷な労働を強いられたとして、邵義誠さん(81)ら中国人元労働者とその遺族計五人が同社に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷は二十七日、原告勝訴の二審広島高裁判決を破棄、請求を棄却した。原告敗訴が確定した。
中川了滋裁判長は「一九七二年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判では行使できない」との初判断を示した。請求権自体が否定されたことで、午後に上告審判決のある中国人元慰安婦賠償訴訟も含め一連の戦後補償裁判は事実上終結した。
ただ中川裁判長は「個別具体的な請求への自発的対応は妨げられず、極めて大きい精神的・肉体的苦痛を受けた原告らの被害救済に向けた関係者の努力が期待される」と付言した。担当した三裁判官全員一致の意見で、個別意見はなかった。
判決はまず二審判決と同様、西松建設が旧厚生省から割り当てを受け、旧日本軍監視下で原告らを強制連行し、労働を強いた事実を認定した。
その上で、個人請求権の有無を検討。日本と連合国のサンフランシスコ平和条約(サ条約、五一年)は「戦争状態を終了させるため、相互に個人賠償請求権も含めて放棄した」と指摘し「日中共同声明の請求権放棄条項は個人を含むかどうか明らかとはいえないが、交渉経緯から実質的に平和条約で、サ条約と同じ枠組み」として個人請求権を否定した。
また個人請求権の放棄は「事後的個別的な裁判による解決を残すと、平和条約締結時に予測困難な過大な負担、混乱を生じる。請求権は消滅したのではなく、裁判上の権利喪失にとどまる」との解釈を示した。
中国のほか韓国、フィリピンなどとは同趣旨の条約や協定があり、個人請求権は放棄したと解釈されるが、条約のない北朝鮮と台湾は今回の判断対象に含まれない。
邵さんらは九八年に提訴。一審広島地裁判決は強制連行・労働と安全配慮義務違反などを認めた上で、消滅時効(十年)などを理由に請求を棄却した。
控訴審で西松側は個人請求権放棄の主張を加えたが、二○○四年の二審判決は「共同声明に明記されていない」として退け「消滅時効の主張は著しく正義に反する」と判断。請求通り計二千七百五十万円(一人当たり五百五十万円)の支払いを命じた。西松側が上告し、最高裁は請求権放棄の争点だけ受理した。
「共同声明の一方的解釈」に反発=最高裁判決、新華社も速報-中国(時事通信,4月27日)
【北京27日時事】中国政府は、西松建設強制連行訴訟をめぐる27日の最高裁判決が「(1972年の)日中共同声明により個人の賠償請求権は放棄された」と初めて判断したことを受け、「共同声明の重要原則を一方的に解釈してはならない」(劉建超外務省報道局長)と反発を強めるのは必至だ。日中関係が先の温家宝首相の訪日で改善する中、「懸念材料になる」(日中関係筋)可能性も指摘されている。
中国国営新華社通信も、この日の判決を至急電で伝えるなど大きな関心を示した。
戦後補償裁判、4訴訟も請求権否定 最高裁で敗訴(朝日新聞,4月27日)
戦時中の日本の行為をめぐって中国人が損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第一、第二、第三各小法廷は27日午後、計4件でいずれも原告側の上告を退け、敗訴させた。同日午前、第二小法廷が、強制連行をめぐる訴訟で「72年の日中共同声明によって賠償請求権は放棄された」との初判断を示したばかり。この解釈に基づき、戦後補償裁判が次々と姿を消す事態になった。
4件は、戦時中、旧日本軍の慰安婦にさせられたとして中国人女性が国に損害賠償などを求めた二つの訴訟▽中国から強制連行され、働かされていた北海道の炭鉱から45年7月に脱走し、終戦を知らないまま道内の山野で13年間逃亡生活を続けた劉連仁(リウ・リエンレン)さん(00年死去)が、国に賠償を求めた訴訟▽強制連行されて福岡県の炭鉱で働かされた元労働者が国と三井鉱山に賠償を求めた訴訟。
このうち慰安婦2次訴訟は、第一小法廷(才口千晴裁判長)が判決を言い渡した。二審は「日華平和条約によって請求権は放棄された」と理由を述べたが、「日中共同声明によって放棄された」と理由を変更した。
訴えていたのは、山西省出身の郭喜翠さん(80)と故・侯巧蓮さんの遺族。一、二審とも軍が15歳の郭さんと13歳の侯さんを連行、監禁、強姦(ごうかん)した事実を認定したが、請求を棄却した。最高裁も、この事実認定自体は「適法に確定された」と認めた。
ほかの3件はいずれも法廷を開く判決ではなく、書面だけの決定により敗訴が確定した。
慰安婦1次訴訟は、被害にあった山西省の女性4人が国に賠償を求めたが、一、二審とも、旧憲法下で国の行為は責任を問われないとする「国家無答責」の法理を適用して請求を棄却していた。
劉連仁さんの訴訟で、一審は国家賠償法に基づき請求全額を認めて国に2000万円の支払いを命じた。しかし二審は、不法行為のあったときから20年がたつと賠償請求権が消滅するとされる「除斥期間」を理由に、原告を逆転敗訴させた。
福岡強制連行訴訟では、一審が被告三井鉱山に計1億6500万円の支払いを命じたが、二審は時効と除斥期間の成立を認めて原告を逆転敗訴させた。
日米首脳会談に先立つ、アメリカでの、安倍氏の「慰安婦」関係の発言をめぐる記事である。
キャンベル元国防次官補の発言が面白い。
アメリカは日本から中国へと外交の緊密化の重点を移しており、また安倍「慰安婦」発言は、日米関係を支持する者さえ遠ざけたと。
他方、安倍氏は決議があげられようとしている下院の議長等の前で、元「慰安婦」に「同情」「申し訳ない」と述べたが、「狭義の強制性」発言については、真意が「伝わっていない」として、ここでも撤回はしなかった。
その場では、「慰安婦」問題については、日系のイノウエ議員が日本政府を弁護する立場から発言をしたのみだという。
なお、このイノウエ議員は、上院議員でありながら下院議員に向かって、しかも日本政府によるロビイングの内容にきわめて近い内容で、決議を採択するなという異例のはたらきかけをした人物だという。
一方、下院で決議案を提出したホンダ議員は、安倍氏のこの口頭での謝罪を「被害者にとっては曖昧」と一蹴している。
ホワイトハウス前では、安倍氏の「慰安婦」発言に抗議し、誠意ある謝罪を求めるデモ隊が70人ほど(新聞によっては50人)集まった。
これには、韓国からかけつけた李容洙(イ・ヨンス)さんもふくまれる。
昨年夏に、学生たちが「水曜集会」で抱き合ったハルモニである。
日米首脳、信頼構築は困難=北の核や慰安婦問題が影響-元米高官(時事通信,4月27日)
【ニューヨーク26日時事】クリントン前米政権で対日政策を担当したキャンベル元国防副次官補は26日、ニューヨーク市内で開かれた時事トップセミナー(時事通信社主催)で講演し、安倍晋三首相が日米首脳会談で小泉純一郎前首相と同じような強い個人的信頼関係をブッシュ大統領との間に築くのは「困難だろう」との見方を示した。
キャンベル氏はこの中で、ブッシュ政権は北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で柔軟姿勢に転じ、「日本との強固な協調から、(同協議の議長国である)中国とのより密接な関係」に外交の軸足を移したと指摘。このため、安倍首相は「米国が寝返ったか、日本の利益を軽視していると怒っている」と述べた。
さらに、従軍慰安婦に関する安倍首相の発言は「日米関係を支持する人々の耳にすらまずく響いた」と語り、慰安婦問題や北の核問題などの一連の要素が「今回の首脳会談を困難なものにしている」との見解を表明した。
元慰安婦への同情とおわび表明=安倍首相、米議会指導者と会談(時事通信,4月27日)
【ワシントン26日時事】訪米中の安倍晋三首相は26日昼(日本時間27日未明)、米議会議事堂でぺロシ下院議長(民主党)ら与野党の議会指導者と会談した。首相は冒頭発言で自ら従軍慰安婦問題を取り上げ、「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、個人として首相として心から同情するとともに、極めて苦しい状況に置かれたことに申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」とおわびを表明した。
米下院の慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案は、5月にも採決される見通し。首相はおわびの意思を明確に示すことで、議会側に理解を求めた格好だ。慰安婦連行の「狭義の強制性」を否定した自らの発言については、「真意が正しく伝わっていないと思われる」と指摘した。
『申し訳なさでいっぱい』慰安婦問題 首相、米議会指導部に(東京新聞,4月27日)
【ワシントン=金井辰樹】安倍晋三首相は二十六日午前(日本時間二十七日未明)、ワシントンの米連邦議会議事堂で、ペロシ下院議長(民主党)、マコネル上院院内総務(共和党)ら上下両院指導部と会談した。
首相は従軍慰安婦問題について「私の真意や発言が正しく伝わっていないと思われるが、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、個人として、また首相として心から同情するとともに、苦しい状況に置かれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と述べた。米下院が、この問題で日本政府の謝罪を求める決議案を審議しているのを念頭に、事態の沈静化を図ったものとみられる。
この後、日系のイノウエ上院議員(民主党・ハワイ州)が「慰安婦問題をめぐる米国内の動きは残念だ。これまで七人の日本の首相が謝罪をしているにもかかわらず、こういうことが今後も続くのかと思うと疑問に感じる」と述べた。ほかの議員からは慰安婦問題について発言はなかった。
日系米上院議員が慰安婦決議案阻止要求の書簡(中央日報,4月27日)
第2次世界大戦当時の日本軍による従軍慰安婦強制動員に関連し、日本政府の公式謝罪を要求する決議案が米下院外交委員会で審議されている中、日系元老上院議員が下院議員らに書簡を送り、決議案処理の自制を要求したことが確認された。
米議会に精通する消息筋は26日、聯合ニュースの記者と会い、「民主党所属のダニエル・イノウエ上院議員(ハワイ州)が、従軍慰安婦決議案を審議・処理する下院外交委のトム・ラントス委員長とアニー・ファレオマバエガ・アジア太平洋地球環境小委員会長、決議案を出したマイケル・ホンダ議員に最近、書簡を送った」と話した。
1962年に上院議員になって以来8回当選(45年間連続)のイノウエ議員は、米上院3選議員で、議会内では「日系政治家の代父」として通じるほど強大な影響力を持つ議員。
この消息筋は、「イノウエ議員は書簡で『日本政府はすでに慰安婦問題について何度も謝罪しているし、慰安婦決議案が日米関係を損つける恐れもある』とし、議員に慰安婦決議案処理を自制するよう要請したと聞いている」と明らかにした。
またイノウエ議員は書簡を送りながら、この書簡が公開された場合に及ぼす影響を憂慮し、徹底的に秘密を維持するよう要請したことが伝えられた。
特に、「40余年間政治をしながら、上院議員の自分が下院議員に書簡を送るのは今回が初めて」と強調し、議員らの協調を求めたという。
米議会で特定議案をめぐり議員間で協調を求めることはよくあるが、議案を処理しないよう要求するケースは多くない。特に上院議員が下院議員に書簡を送ってまで協調を求めるのは異例だ。
この消息筋は「下院外交委では慰安婦聴聞会後、決議案処理に弾みがついたが、処理を安倍首相の訪米後に遅らせたのも、イノウエ議員の影響がかなりあったと考えられる」と伝えた。
さらに「イノウエ議員が書簡で指摘した慰安婦決議案の問題を詳細にみると、日本政府の論理と非常によく似ている」とし「日本大使館が書簡作成に深く関与したのではないかという疑惑もある」と明らかにした。
米議会で共和党が多数を占めていた当時、日本政府はロバート・マイケル前議員を前面に出しながら議員を相手に慰安婦決議案を阻止するためロビー活動を行っていたが、‘人権’を強調する民主党が多数党になったため、イノウエ議員を通じて慰安婦決議案の阻止に乗り出したと、観測されている。
一方、ホンダ議員はイノウエ議員の書簡に対し、慰安婦問題は日米間の外交問題ではなく歴史の犠牲になった女性権益問題であり、日米関係を損つけるのではなく強めるはずだという内容の返信をしたことが伝えられた。 ワシントン=YONHAPニュース
安倍首相の謝罪「あいまい」と一蹴=慰安婦決議案の米下院ホンダ議員(時事通信,4月27日)
【ワシントン26日時事】第二次大戦中の従軍慰安婦問題で日本への謝罪要求決議案を米議会に提出したマイク・ホンダ下院議員(民主)は26日、安倍首相の訪米と重なる形で開催された在米従軍慰安婦支援団体「従軍慰安婦問題のためのワシントン連合」年次総会に出席した。ホンダ議員は、安倍首相が繰り返し表明している謝罪はなお不十分との立場を表明、謝罪要求決議案の採択に向けて今後も努力する方針を示した。
ホンダ議員は総会冒頭、記者団との質疑応答を行い、「安倍首相は個人的な謝罪の意を表したが、被害者にとってはあいまいな謝罪だ」と一蹴(いっしゅう)。その上で、「個人としてではなく、公式な謝罪でなければならない」と述べ、日本政府に対し、より踏み込んだ形で謝罪の言葉を重ねるよう要求した。
これに先立ち、安倍首相は米議会指導者と会談し、元慰安婦に対し、「個人として、首相として、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と公私にわたる立場で謝罪を表明したが、ホンダ議員はこれを事実上無視、今後も謝罪要求決議案採択に向けて多数派工作を展開していく構えを明らかにした。
首相に謝罪求める集会 ホワイトハウス前 元慰安婦ら70人程度(東京新聞,4月27日)
【ワシントン=小栗康之】第二次世界大戦中の従軍慰安婦問題に対する日本政府の正式な「謝罪」を求める抗議集会が二十六日、安倍晋三首相の訪米に合わせ、ワシントンのホワイトハウス前で開かれた。
複数の米市民団体でつくる「121連合」が主催。集会には元慰安婦の韓国人女性、李容洙(イ・ヨンス)さん(78)も加わり、自身の体験を説明した上で、日本政府の対応を批判した。七十人規模の参加者は「アベは謝罪しろ」などと記したプラカードを掲げ、安倍首相の宿泊先であるホワイトハウスのブレアハウス近くを行進した。
ただ、安倍首相が最近になって、同問題を謝罪した一九九三年の河野洋平官房長官談話を継承する意向を表明したこともあってか、大規模な集会にはならなかった。
安倍首相の発言は「正式謝罪でない」 ホンダ下院議員(東京新聞,4月27日)
【ワシントン=小栗康之】従軍慰安婦問題で日本政府の謝罪を求める決議案を米下院外交委員会に提出したホンダ下院議員(民主党)は二十七日、安倍晋三首相が米議会指導者との会談で「申し訳ない気持ちでいっぱい」と発言したことに対し、正式な謝罪ではないとの認識を示し、決議案の採決を引き続き求めていく考えを表明した。
ホンダ議員は「首相が謝罪に関する個人的なコメントを行ったことは喜ばしい」と述べ、評価できるとの考えを示した。
ただ、首相発言は「正式な謝罪ではない」と指摘した上で「(日本には)犠牲者と国際社会に対し、あいまいではなく正式な謝罪が求められている」と主張した。
4月17日に林博史氏等が公表した資料の紹介,続報である。
「従軍慰安婦」 安倍首相の発言 戦後日本の歩み否定 強制の事実明らか(しんぶん赤旗,4月26日)
安倍晋三首相の訪米を前に「従軍慰安婦」問題での日本政府の姿勢があらためて問われています。米メディアも二十一日、安倍首相へのインタビューでこの問題を質問。関心の高さを示しました。「強制性はなかった」「裏付ける証拠はない」という安倍首相らの言動がなぜ国際的な大問題になるのか。この間、明らかになった資料(十八日、十九日付本紙で一部既報)は、そのことを示しています。(中村圭吾)
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十七日に林博史・関東学院大学教授らが記者会見で公表した資料は、戦争犯罪を裁いた東京裁判(一九四六―四八年)で各国検察陣が提出し、証拠書類として採用されたものです。東京裁判では、日本軍が占領地で行った数々の残虐行為とともに、性行為の強制も問題となりました。
東京裁判の判決は、中国についての記述の中で、「桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に日本軍隊のために醜業(売春)を強制した」(極東国際軍事裁判速記録)と指摘しています。
オランダの検察陣は、インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)、モア島、ジャワ島、ポルトガル領ティモール(東ティモール)の四カ所での証拠書類(資料(1)、(2))を提出。フランスはベトナム・ランソンでの事件(資料(3))を、中国は桂林での事件(資料(4))を証拠として提出しました。これらの資料は、日本軍が現地の女性を強制的に「慰安婦」にした事実を物語っています。
日本政府は、サンフランシスコ平和条約(一九五二年発効)で、東京裁判をはじめとする国内外の戦犯裁判の判決を受け入れました。
同条約は第一一条で、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」と述べています。
サンフランシスコ平和条約は、日本が、国際社会に復帰する第一歩となった条約です。「慰安婦」問題で「強制性がなかった」とする安倍首相らの言動は、同条約締結以来の日本の歩みを政府自らが根底から崩すものにほかなりません。
「日本軍が家々に押し入り脅迫」
提出された証拠書類は英文と邦訳文。カタカナはひらがなに、旧字体は新字体に直しました。また適宜、改行しました。
資料(1)
「ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書」(インドネシア・ボルネオ<カリマンタン ポンティアナック)(PD<検察側証拠書類番号> 5326/EX<法廷証拠番号> 1701A)
本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。
[証人○○の訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]
答 この婦人が○○及○○と共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来(マレー)語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。
問 これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。
答 私は知りません。
問 君は部下ではない。かくの如き命令に従ふ必要はない。
答 私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。
(被害者女性の名前は○○に置き換えました)
資料(2)
ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書(一九四六年六月二六日付、ポルトガル領ティモール<東ティモール>)(PD5806/EX1792A)
一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。
資料(3)
ニェン・ティトンの口述書抜粋(ベトナム・ランソン)(PD2772E―5 EX2120)
四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。
私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。
ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等が光安に設けた慰安所へ一緒に行くやう強制しました。私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。
資料(4)
軍事委員会行政院戦犯証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」(一九四六年五月二七日付、中国桂林)(PD2220/EX353)
敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、掠奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し、四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。
人権侵害に「日本も無関係ではなかった」。
まったくそのとおりだが,しかし,依然,この安倍首相発言では,「狭義の強制性」がないのだからという3月の発言とのかかわりが明らかでない。
「大変申し訳ない」という言葉の前に,日本の軍がやったことでという一言がそえられねば。
なお東亜日報の記事は,日本政府が雇ったロビイストが「決議案の趣旨が悪いわけではない」と,内容を認める発言をしていると伝えている。
首相、「支持率のため参拝は侮辱だ」 CNNに述べる(朝日新聞,4月25日)
「支持率のために参拝することは、国のために戦った人々を侮辱することになる」
安倍首相は24日、訪米を前に応じた米CNNのインタビューで靖国神社参拝問題について珍しく多弁になった。「小泉前首相は支持率のために靖国神社を参拝した」と指摘されると、首相は「小泉前首相が参拝したことは支持率とは全く無関係。冥福を祈るための参拝だった」と反論。しかし、自身の靖国参拝については「外交問題になった以上、行く行かないは宣言しないようにしている。心の問題だ」と説明しただけだった。
一方、米メディアからの批判を受けた従軍慰安婦問題については「20世紀は数々の人権侵害が行われた時代で、日本も無関係ではなかった。慰安婦の方々に大変申し訳ないと思っている」と述べた。同席した昭恵夫人も「同じ女性として慰安婦の方々には本当にお気の毒だと思う。主人はその当時の状況に対して申し訳なかったと述べている」とフォローした。
米下院の日本軍の従軍慰安婦決議案の採択を促す有権者運動が再び活気づいている。
在米日本人団体の「日本系米国市民リーグ(JPCL)・シカゴ本部」では、安倍晋三日本首相の米国訪問を2日後に控えた24日、軍慰安婦の決議案を積極的に支持する声明を発表した。JPCLとは、日本系米国人の権利伸張が目的の全国的な市民団体で、シカゴに本部がある。在米日本人団体が決議案への公式的な支持を表明したのは今回が初めてだ。
同団体は、日本の首相が政府を代表して明確な公式謝罪を行い、教科書を通じて歴史を正確に教えることを促した。日系米国企業家と知日派団体「ジャパン・ソサイエティー」も来月初頭、決議案をテーマにセミナーを開く予定だ。
マイケル・ホンダ議員が1月31日に提出した決議案に支持署名をした連邦議員も、24日現在、公式集計されたものだけでも83人を超えた。署名への意思を明らかにした議員も含めると90人に上ると推計される。
支持署名運動を主導してきたニューヨーク・ニュージャージーの有権者センター(金ドンソク所長)は、署名議員が早晩、100人を超え、目標の120人にさらに近づくだろうと予想した。議員一人一人の支持署名は韓国人有権者たちが議員事務所を数回にわたって訪れ、趣旨を説明し、支持を訴えた努力の賜物だ。
ラリー・ニクシー議会調査局・アジア専門家も「すごい数字だ」と評価した。
韓国人指導者たちも安部首相の訪米に合わせて、26日付のワシントン・ポストに決議案への支持や日本の謝罪を促す5段の政治広告を掲載することにした。当初、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストの二つの有名誌に全面広告を掲載する予定だったが、非営利団体が出すキャンペーン性の意見広告を除いては、広告費が1新聞当たり14万∼17万ドルなので、5段の政治広告へと計画を変更した。
ワシントン・ポストの広告費3万8000ドルは韓国人たちがポケット・マネーをはたいて集めた。衣料事業を行っているチョン・ヨンイン氏は、このうち1万ドルを快く出した。当初、先週に行う計画だったが、バージニア工科大学での銃乱射事件でキャンセルとなった「ロビー・デー」の行事も再び推進する計画だ。
いっぽう、日本政府が雇用したH社など、ワシントンの大型ロビー会社では最近、米議員の事務所ごとに、「決議案の趣旨が悪いわけではないが、日本はすでに努力してきたし、時期がよくない」という内容の手紙を一つ一つ手渡しながら、議員たちと個別的な接触を持っている。ロビイストたちは民主と共和両党を対象に、後援金の伝達を通じて味方作りも試みていることが分かっている。
参拝者は昨年秋の半分以下だが,中国の温家宝氏の来日直後,安倍首相の訪米直前とういことを考えると,単純に少なくなったということもできないのだろう。
今回も民主党議員が参加している。民主党もまた,「個人の自由」という名での参拝容認姿勢をもっているということだろう。
超党派議員39人靖国参拝 春季例大祭に合わせ(産経新聞,4月23日)
超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・島村宜伸元農水相)は23日、春季例大祭に合わせ東京・九段の靖国神社を参拝した。参拝者は、自民党から古賀誠元幹事長ら37人、民主党から田名部匡省元農水相ら2人の計39人。昨年の秋季例大祭の84人に比べ大幅減となった。
閣僚、副大臣の参拝者はおらず、政務官で参拝したのは奥野信亮(法務省)、水落敏栄(文部科学省)の両氏だけだった。
参拝後、島村氏は記者団に「尊い命をささげた方に感謝の念をささげることは日本人として当然だ」と説明。安倍晋三首相の参拝については「首相はしっかりした考えをもった方なので、首相自らが判断し、行動されると信じている」と述べた。
4月17日の外国人記者クラブでの,吉見・林・西野3氏の記者会見についての報道。
公開された資料が各国政府によって作成された公文書であり,しかも,東京裁判の証拠資料として採択されたものである以上,裁判結果を受け入れた日本政府としては,否定することのできないものだと述べられている。
裁判の受諾という法的論理と,何が歴史の真実かの探究は単純にイコールとはならないわけだが,とはいえ資料自体の信憑性は高く,それが明らかにしていることの内容も重い。
反面,そのような証拠資料が裁判内部でどのように活用されたかについては,東京裁判はジェンダーブラインドだったという批判を具体的に掘り下げる,あらたな研究のきっかけとなるべきものなのかも知れない。
旧日本軍の「慰安婦」強制動員 証明文書を確認(朝鮮新報,4月23日)
日本の教授らが記者会見 公表、極東国際軍事裁判 各国検察団が提出した訊問調書
旧日本軍が「従軍慰安婦」を強制動員していた事実を示す資料の存在が確認された。関東学院大学の林博史教授が、東京大学社会科学研究所図書館所蔵の資料から発掘した。今回確認された資料は極東国際軍事裁判(東京裁判)にオランダ、中国、フランスの検察団が提出、受理された公文書で、日本海軍情報機関の軍属に対する訊問調書(46年3月13日付)、日本陸軍中尉の陳述書(46年1月13日付)など7点。これらの資料からはインドネシアのジャワ、ボルネオ島(カリマンタン)、モア島、東ティモール、中国、ベトナムで旧日本軍が「従軍慰安婦」を強制、動員した事実がありありとうかがえる。
17日、林教授をはじめ同教授が事務局長を務める「日本の戦争責任資料センター」(以下センター)の吉見義明共同代表(中央大学教授)、西野瑠美子幹事(「女たちの戦争と平和資料館」館長)らが日本外国特派員協会で記者会見を行い、資料の内容を公表した。
これまでも、日本の国内外で「従軍慰安婦」強制動員関連資料が数多く確認されてきたが、今回の資料が注目されているのはその作成過程だ。
資料で明らかにされている「従軍慰安婦」強制動員に関する証言は、民間レベルで収集されたものではなく、日本の戦争犯罪を裁いた極東国際軍事裁判に、検察団を派遣した各国の政府機関が作成した公文書であり、裁判では提出されたこれらの資料が証拠書類として採択された。
今回確認された資料は、サンフランシスコ平和条約11条で極東軍事裁判戦犯裁判を受諾した日本政府としては否定できない性格のものだ。
そのうち、日本海軍情報機関軍属に対する訊問調書(オランダ提出)には、日本軍に拘束、抑留された現地(ボルネオ島)女性に、警備隊長(大尉)の命令で暴力をふるい、衣服を脱がせ裸にさせたことが記述されている。女性を拘束した理由について尋問された軍属は、「淫売屋(「慰安所」)に入れるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされた」と証言している。
周知のように、安倍首相は「慰安婦」に対する日本軍の関与を否定する発言を繰り返しており、閣議では軍や官憲による「従軍慰安婦」強制動員の事実を否定する答弁書が決定、採択された(3月16日)。
日本の戦争犯罪の解明と過去清算のための活動を展開してきた林教授らセンターの関係者は、今回の資料公表について「『慰安婦』動員に対する軍関与を否定する動きが強まっている。これまでの研究を通じて得た成果が否定されてはならない」(林教授)と述べた。
吉見共同代表は、安倍首相の一連の発言は被害者の名誉と尊厳を再び傷つけるものだと非難し、日本政府が「河野談話」から後退することは許されないと強調した。
西野幹事は、被害者らが求めている「尊厳の回復」に日本政府が真剣に取り組むことを求めた。(呉陽希記者)
米下院議員に議会調査局作成の報告書「日本軍慰安婦システム」が配布されているが,その作成者であるニクシュ氏へのインタビュー。
氏は,河野談話を出した宮沢政権と今日の安倍政権との見解の相違を重視し,さらに日本の歴史修正主義者の主張をつきつめれば戦争責任はアメリカにあるものとなり,それは日米同盟にとっても危険であると指摘する。
当面の日米同盟を重視する立場から,「慰安婦」問題は脇におこうとの議論が米議会にもあるわけだが,これは同じ同盟重視の立場からのこれに対する正面からの反論となっている。
こうした見解が下院の多数の議員に支持されることの現代的な意味は大きい。問題は未来と切り離された過去の評価ではなく,日米関係の現代と未来に直接かかわるものとなっている。
「日本の歴史修正の動き、日米同盟にも悪影響」 ニクシュ博士にインタビュー(東亜日報,4月24日)
今週は、米下院に提出された日本軍慰安婦強制動員糾弾決議案のゆくえを占う分水嶺になるものとみえる。26日に米国を訪れる日本の安倍晋三首相は最近数日間、相次いで「謝罪」という単語を口にした。強制動員の証拠がないと強弁した先月に比べ、ひょう変と言っていいほどしっぽを下げ、事前準備に集中しているようだ。安倍首相の訪米後、決議案を本格的に論議する米下院議員たちに最近、議会調査局(CRS)が作成した公式報告書が配布された。「日本軍慰安婦システム」というタイトルの23頁の報告書は、客観的で中立的な論調を維持しながらも、第2次世界大戦当時、日本軍と日本政府が慰安婦募集および強制動員に直接介入したことを明確に論証した。同報告書の作成者である議会調査局のラリー・ニクシュ博士にインタビューし、報告書の意味と作成経緯を聞いた。
――米議会で慰安婦問題の報告書を作成した経緯はどういったものか。
「議会調査局レベルで決定した。議会の高い関心のためだった。日本の過去事問題に対する議会の関心は、先の議会から高まった。05年にヘンリー・ハイド国際関係委員長は、東京裁判の判決を認めない日本国内の歴史修正論者たちに、太平洋戦争終戦60周年の決議案で明確なメッセージを投じたことがある。今年1月31日にマイケル・ホンダ議員が提出した決議案に、すでに70人(在米韓国人団体によると83人)を上回る議員が支持署名をした。これは大変な数だ」
ニクシュ博士は同報告書で、米軍がミャンマーで発見した韓国出身「慰安婦」約20人の証言やアンダー・ウッド博士が米政府に報告した日本軍の記録を含め、多くの資料を引用した。このなかで最も目につくのは、オランダ政府の公式文書だ。
オランダ国立文書保管所にある1947年と1948年のオランダ戦犯裁判の記録には、1942年に日本軍がインドネシアに進駐した直後、軍監督の下、オランダ女性たちを収容所から慰安所に連れていったという証言や日本軍将校の審問内容が記されている。当時、数人の日本軍将校が有罪判決を受けたことが明らかになっている。
――これらの証拠の存在を日本政府の指導者たちも知っているのか。
「オランダの文書は私が探し出したのではなく、日本の学者たちが発見したものだ。安倍内閣と自民党指導部が同文書の存在を知っているとは確信できない。私としても彼らに聞いてみたい。根本的な問題は、河野談話が出た1993年当時の宮沢政府の見解と安倍政府の見解が大きく異なるという点だ。宮沢政府は、信じられる証拠や被害者の証言を『証拠』として受け入れたが、安倍政府はこれを『証拠』として認めないと明確にしている」
――同報告書に提示されたことだけで、日本軍の介入および強制動員の証拠は十分でないのか。
「安倍政府と議会指導部も、政府と軍の介入を否定しない。しかし彼らが主張しようとする核心は、『慰安婦募集が軍によって行われたのではなく、強圧的な方法も使わなかった』ということだ。ところが、様々な国の出身の多くの女性の証言を信じられる証拠として受け入れれば、そのような主張は根拠がなくなる。さらに重要な点は、若干の例外を除けば、多くの女性が慰安所から出たくても出ることができなかったという点だ。慰安所から脱出した韓国人女性たちが日中戦線をかいくぐって中国に入り、米軍関係者のインタビューを受けた記録がある。彼らが自発的に慰安所を出ることができる状況だったなら、危険な脱出をあえて行って戦線を越えることなく、韓国に帰ったはずだ」
――米議会の同問題への関心は、人権という普遍的価値のためか。
「ハイド前委員長は、第2次大戦時にフィリピンで戦った参戦勇士であり、トム・ラントス外交委院長はホロコーストの生存者だ。いっぽう、日本国内の歴史修正の動きは、長期的に日米同盟にも悪影響を及ぼす恐れがある。もし彼らが日本での影響力が大きくなり、日本人が自分たちは戦争当時起こったことに責任がないと考えるなら、戦争責任はだれが負うことになるのか。米国が有罪になると修正論者たちは主張する。そのような態度は、日米同盟にとって危険なものとなりうる」
――同報告書を作成する間、日本側は神経を使ったと思われるが、ロビーはなかったか。
「若干の接触があった。彼らは、安倍首相の声明書の全文と日本側の論理が書かれた資料を送り、問題を自分たちに有利に説明しようとした。外交委員会と議員たちにも同じ資料が送られた。しかし私は、韓国と日本のいずれからも圧力を受けなかったという自信がある。日本側も私の作業を尊重し、圧力が作用しないという事実もわかっていただろう」
――決議案通過の見通しをどうみるか。
「常任委と本会議に上程され投票に付される場合、通過されるものと信じる。昨年のレイン・エバンズ議員の決議案は、常任委に付された時点が中間選挙を控えた9月末で遅すぎたが、今回、上半期内の常任委で処理されれば、本会議に上程される可能性が高いだろう。しかし、投票に付されるかどうかは、ラントス委員長やナンシー・ペロシ議長をはじめとする指導部にかかっている」
訪米を前に,安倍首相があわてて「慰安婦」問題での謝罪のポーズをとっている。
とはいえ,「慰安婦として存在しなければならなかった状況について,われわれは責任がある」という,あいかわらずのもってまわった曖昧さ。
「狭義の強制性」発言についても,撤回された様子はない。
ニューズ・ウィークからは「心の底から保守派」「修正主義者」と呼ばれ,「国内の保守派の支持基盤と外交的スタンスとの矛盾」も指摘されているようだが,その「外交的スタンス」には当然拉致問題がふくまれるだろう。
他国の拉致には腹を立て,自国の拉致には頰かむり。そんなご都合主義は通りませんよ,ということである。
過去の訪米を,安倍氏が「参勤交代」と表現したのは,日米関係の実態を表して面白い。
慰安婦問題で「責任」明言 首相、訪米控え米誌に 世論沈静化狙う(北海道新聞,4月21日)
安倍晋三首相は二十六日からの訪米を前に米ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューズウィーク誌のインタビューに答え、従軍慰安婦問題について「当時の慰安婦の方々に心から同情するし、日本の首相として大変申し訳ない」とあらためて謝罪した。その上で「歴史に常に謙虚でなければならない。慰安婦として存在しなければならなかった状況について、われわれは責任があると考えている」と述べ、同問題では初めて日本側の「責任」に言及した。
慰安婦をめぐっては、米下院が日本政府への謝罪要求決議を審議中。首相はこれまで、慰安婦問題を謝罪した一九九三年の河野洋平官房長官談話を政権として継承する考えを表明する一方、三月初めに国会答弁などで、仲介業者などが慰安婦になるよう強制した「広義」の強制性は認めつつも、軍が直接に連行した「狭義」の強制性については「証明されていない」と主張し、米国内で反発を招いていた。
今回の発言は、旧日本軍の関与については依然あいまいにしたものの、「責任」に言及したことで、訪米を前に米国世論の沈静化を狙ったものと思われる。
また、首相は、「日米同盟はかけがえのない同盟である。訪米を機にさらに信頼関係を深め、さらに揺るぎないもの、より幅広く奥深いものにしていきたい」と述べ、二十七日のブッシュ大統領との日米首脳会談で一層の同盟強化を確認する考えを示した。
北朝鮮が、六カ国協議で合意した核放棄に向けた初期段階措置を履行しないことについて「もし北朝鮮が約束を実行しないのであればどうするか、日米でよく話をしなければならないし、大統領とも今後の北朝鮮政策について突っ込んだ話をしたい」と述べ、核、拉致問題などでの日米連携について活発に意見交換する意向を示した。
“歴史問題が弱点に” 米誌紙 安倍首相訪米前に論評(しんぶん赤旗,4月23日)
【ワシントン=山崎伸治】二十六日からの安倍晋三首相の初訪米を前に、米誌『ニューズウィーク』電子版は二十一日、安倍氏が「従軍慰安婦」問題など歴史認識をめぐって、国内の保守派の支持基盤と外交的スタンスとの矛盾に直面していると報じました。
同誌は、安倍氏が「心の底から保守派」で「(歴史)修正主義者」であるため、「歴史問題では多くの前任者よりも弱点を抱えている」と分析。「民主主義の価値」を標ぼうする外交を追求すればするほど、日本の過去の歴史が問われることになると指摘しています。
同誌電子版は、十七日に実施した安倍氏のインタビューの抜粋も紹介しています。
経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルは二十一・二十二日付で、安倍氏にインタビューしたメアリー・キッセル論説委員の署名記事を掲載。「(首相官邸)広報部は明らかに今回のインタビューを心配していた」が、背景には「従軍慰安婦」問題があったと指摘。外務省が一週間にわたり毎日電話をよこし、「六点だけでよいから」と質問を事前に用意させようとし、接待攻勢までかけるなど、神経をとがらせていたことを紹介しています。
参院選は憲法改正など争点、内閣改造は考えず=安倍首相(世界日報,4月23日)
【東京 23日 ロイター】 安倍晋三首相は23日午後、官邸内で内閣記者会のインタビューに応じ、7月に予定されている参院選の争点について改革加速や新成長戦略、憲法改正などを国民に訴えていく考えを示すとともに、参院選前の内閣改造は考えていないと語った。
福島、沖縄の両選挙区で22日に投開票が行われた参院補選は、与野党が1勝1敗となった。この点について安倍首相は「福島は残念な結果となった。沖縄は、私も2度選挙区入りし、必勝体制で臨んだ。勝ったことはよかった」と感想を語った。
両補選は、もともと野党系議員の知事選出馬に伴うものだっただけに「参院の議席構成上は前進」と評価しながらも「敗因・勝因をそれぞれ分析し、次の選挙に備えなければならない」と7月の参院選に向けて気を引き締めた。
参院選の争点について安倍首相は「美しい国づくりとその方向性。改革の加速、力強く成長していく新成長戦略、安心できる社会保障制度の構築、再チャレンジ可能な社会について国民に求める選挙にしたい」と述べるとともに、「憲法改正は政治的なエネルギーが必要。エネルギーを持ち続けるためにも国民に私の考えを訴えていきたい」と強調した。
参院選の勝敗ラインに関しては「基本的に全ての選挙区での勝利をめざす」と具体的な目標議席数への言及を避け、参院選前の内閣改造については「全く考えていない」と否定した。
26、27日の訪米に際しては、ブッシュ大統領との会談で「同盟関係はかけがえのないもの。より深く、広い同盟にしていきたい、との話をしたい」と述べた。
首脳会談では、対北朝鮮政策についても協議を行うが、安倍首相は「拉致問題解決のための日米連携の必要性について話したい」とし、米による北朝鮮のテロ支援国家の指定解除について「解除にあたっては、拉致問題について、十分に配慮してもらいたいと当然申し上げる」と語った。
また、訪米時期が遅いとの指摘があることについては「日米同盟関係は成熟してきている。かつての参勤交代のような、新しい政権ができて、すぐに訪米するという時代ではない」と強調。
17日の米メディアとのインタビューにおいて、従軍慰安婦問題での日本の責任に言及したことに関しては「責任という言葉は、河野(洋平官房長官)談話(当時)の中にもある。歴代の総理が元慰安婦の方々に出した手紙の中にも書かれている。私も同じ立場ということだ」と述べた。
伊吹文科省--すべてが強制であったわけではない。
高島教授---すべてなんて最初から書いてない。問題のすりかえだ。
どう見ても,ここであっさり勝負はあった。
それにしても,本当に,帝国軍隊の名誉回復運動が大好きな政府である。
論戦不発 識者は反発/「集団自決」修正 衆院教育再生委(沖縄タイムス,4月21日)
【東京】沖縄戦の「集団自決」について教科書検定で高校の歴史教科書から日本軍関与の記述が削除された問題が二十日の衆院教育再生特別委員会で取り上げられた。安倍晋三首相は、民主党の菅直人代表代行に自らの沖縄戦観を問われ、「(検定の問題は)史実がどうだったかという議論であって、総理大臣がそういうことをいちいち言うべきなんでしょうか」と明確な答弁を避けた。
安倍首相はその後も管氏に対し「(教科書検定は)専門家が議論し、調査し、その上で意見を付けるのではないか。私がいちいち事実を判断できるのであれば、教科書の検定は私が一人でやるということになる」と繰り返した。答弁に納得しない管氏が「政治家としてひきょうな態度」と詰め寄ると、首相は「あまりに失礼」と応酬する場面があった。
一方、伊吹文明文科相は「集団自決」をめぐる今回の教科書検定について「すべて軍の強制によって、または手りゅう弾で自決したとは言い切れない。専門家は、軍の関与がなかったとは一言も言っていない。軍の関与がすべてあったということではないと言っているだけだ。一方に偏った記述はしないというだけのことだ」との認識を強調。
こうした答弁について高嶋伸欣琉大教授は「申請図書は『日本軍に集団自決を強制された人もいた』などと書いただけ。『すべて』と書いたかのように言うのは、問題のすり替えだ。強引な検定が生んだ事態を収拾できず、苦し紛れの言い訳を重ねている」と批判した。
高嶋教授は安倍首相の発言についても「沖縄戦の経験は、首相が目指す改憲の危険性を表す。それを察知し、逃げの一手を打っている」と指摘した。
会議には参加していたが「関知」はしていないという先日の柳沢発言が,
今度は「関与」とことばをかえて,政府の公式見解となった。
(関与:ある物事に関係すること。かかわること)
合祀をめぐるテーマの会議に参加しているけれど,かかわってない。
これは日本語として成り立つものか?
他方,東京裁判のあらためての受諾表明は,
「慰安婦」問題をめぐり同裁判に提出された検察団の証拠書類についても,
「異議を述べる立場にない」ということになりはしないか?
内外の批判を前に,ますます詭弁を弄する余地がなくなっている。
政府は20日の閣議で、靖国神社と旧厚生省が東京裁判のA級戦犯の合祀(ごうし)を巡り定期会合を開いていたことについて「合祀決定は靖国神社が行っているもので、旧厚生省が関与したということはない」との政府答弁書を決定した。
東京裁判の正当性に関しても答弁書を決定。「法的な諸問題に関して種々の議論があることは承知している」としたうえで「同裁判を受諾しており、異議を述べる立場にない」との見解を示した。いずれも辻元清美衆院議員(社民)の質問主意書への回答。
米議会を説得する材料が何もなくて訪米を中止した男が,
国内では自民党に叱られないのをいいことに,ホラの吹き放題である。
ただし,そのホラは生きて闘っている被害者を正面から侮辱し,
悔しさを抱きしめて亡くなっていった内外の被害者にツバするもの。
人間はここまで人としての誠実さを失うことができるものか。
こういう人間を議員にしておくのは国民の名折れである。
「宮崎1区」よ,心して記憶し,互いに知らせあおうではないか。
「慰安婦の強制連行ない」 中山氏が発言(宮崎日日新聞,4月20日)
中山成彬・元文科相(自民・宮崎1区)は20日、教育再生特別委員会で質問に立ち、従軍慰安婦問題に関して「軍の強制連行による従軍慰安婦は存在しなかった」と自身の従来の主張をあらためて展開した。
米下院で慰安婦問題に関して安倍首相に謝罪を求める決議案が提出されていることについて「とんでもないこと。誤った認識が国際問題になりつつあることを、日本国民も知らなければならない」と訴えた。
中山元文科相は、正しい歴史認識、教育が教育再生の出発点と主張。その上で「戦時下では、いわゆる公娼(こうしょう)が商行為として成り立っていたが、軍が韓国人女性などを強制連行した事実はない。そもそも、慰安婦と呼ばれた女性のほとんどは日本人だった」と述べた。
“「従軍慰安婦」もうかる商売” “ほとんど日本の女性” 自民・中山元文科相が暴言(しんぶん赤旗,4月21日)
自民党の中山成彬元文部科学相は二十日の衆院教育再生特別委員会で、米下院が「従軍慰安婦」問題で日本政府への謝罪要求決議案を採択しようとしている動きを強く非難し、「『美しい国』は強くなきゃいかん。間違ったことに反論していく勇気、強さが必要だ」と述べました。
中山氏が会長を務める自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、米下院の決議案阻止のため今月下旬から訪米を予定しましたが、米国内で「従軍慰安婦」問題の批判が高まるなか、「火に油を注ぐ」として訪米延期を決めたばかり。しかし、この日の質問は中山氏の本音をあらためて示したものです。
中山氏は「当時は公娼(こうしょう)制があり、売春が商行為として認められていた。慰安婦はほとんど日本の女性だった」などと述べ、日本軍による「従軍慰安婦」強制を否定。さらに「(慰安婦は)もうかる商売だったことも事実だ」と暴言を吐きました。
「慰安婦」への強制性を示す新資料が公表された。
東京裁判に出された検察団が提出した尋問調書や陳述書などである。
たとえばオハラ・セイダイ陸軍中尉は,「娼屋」に入ることを「強いられた」女性を,自らはっきりと認めている。
かりに訪米したとしても,歴史教育議連には,下院議員のどんなまともな説得もできなかったということだ。
日本軍慰安婦問題をめぐって林博史・関東学院大教授は17日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で記者会見し、東京裁判に出されたオランダや中国など検察団の証拠資料のうち、日本軍が占領地の女性を強制的に慰安婦にしたことを示す尋問調書の概要を公表した。
林教授は「東京裁判でも慰安婦強制の事実は確認されている。90年代に資料研究が進み、慰安婦は性奴隷だと確信していたが、最近これを公然と否定する動きが安倍政権から出てきた。資料を示して再確認する必要を感じた」と説明した。
「慰安婦」問題 強制性示す新資料 研究者ら公表 東京裁判で証拠採用(しんぶん赤旗,4月18日)
旧日本軍が占領地の女性たちを強制的に「従軍慰安婦」にした事実を裏付ける東京裁判(一九四六―四八年)の関連資料が明らかになりました。関東学院大学の林博史教授、中央大学の吉見義明教授、バウネット・ジャパンの西野瑠美子共同代表が十七日、都内の外国特派員協会での会見で公表しました。
資料は、オランダ、フランス、中国の検察団が東京裁判に提出した尋問調書や陳述書など七点。いずれも同裁判で証拠書類として採用されました。
林教授が昨年、東京大学社会科学研究所の図書館に所蔵されていた資料から見つけました。
オランダ提出の尋問調書では、ボルネオ島の日本海軍情報機関の軍属が、拘束した現地女性を平手で殴り服を脱がせ、三人の少女を裸で一時間、立たせたと証言。拘束の理由について「彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるため、命令でなされた」と述べ、命令した守備隊司令の名をあげました。
公表された資料は、インドネシア・ジャワ島やベトナム・ランソン、中国・桂林などで日本軍が現地女性らを強制的に慰安婦にしようとしたことを裏付けています。資料の一部は一九九七年に報道されています。
林教授は、これらの資料は「日本政府がサンフランシスコ平和条約で受け入れた東京裁判の証拠であり、日本政府も認めざるを得ないものだ」と指摘しました。
吉見教授は、被害者への「おわびと反省」を述べた河野談話を否定する安倍晋三首相の態度について、「首相の人権感覚が問われる問題。河野談話からの後退は許されない」と批判しました。
「従軍慰安婦」問題 日本軍の強制示す公文書 3点の大要(邦訳)(しんぶん赤旗,4月19日)
林博史関東学院大学教授は十七日、外国特派員協会での記者会見で「従軍慰安婦」問題についての新資料七点を発表しました。一九四六?四八年の東京裁判でオランダ、フランス、中国の検察団が提出した尋問調書や陳述書などです。これらは、同裁判で検察陣を構成した各国の政府機関が作成し、裁判の証拠書類として採用された公文書です。「慰安婦」が日本軍によって強制的に連行され、性行為を強要されたことを示しています。
これらの資料のうち、(1)インドネシア駐留オランダ陸軍大尉の報告(2)日本陸軍中尉の宣誓証言(3)「慰安婦」を強制された女性(オランダ人)の尋問調書―の三点の大要を紹介します。
証拠書類は英文と邦訳文があり、ここで紹介するのは邦訳文です。カタカナはひらがなに、旧字体は新字体に直してあります。また適宜、改行してあります。
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特警隊が婦人 捕まえた
資料(1)/オランダ印軍情報部J・N・ヘイヂブロエク陸軍大尉の報告「日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」(一九四六年七月五日付、インドネシア・ボルネオ島<カリマンタン>ポンティアナック)
(PD<検察側書類番号>5330/EX<法廷証拠番号>1702)
一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイは日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。
彼は同時に公式の慰安所を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。
海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。
日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。
海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主として各兵曹長によって行はれました。
一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の尽力によって集められました。
上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。
私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。
抵抗運動家の娘に強要
資料(2)/オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書(一九四六年一月一三日付、インドネシア・モア島)
(PD5591/EX1794)
問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。
答 私は兵隊達の為に娼家を一軒設け私自身も之を利用しました。
問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。
答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。
問 幾人女がそこに居りましたか。
答 六人です。
問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。
答 五人です。
問 どうしてそれ等の婦女たちは娼家に入る様強ひられたのですか。
答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。
問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。
答 左様です。
問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。
答 八ヶ月間です。
問 何人位この娼家を利用しましたか。
答 二十五人です。
常に拒絶をしたが無力
資料(3)/イエ・ベールマンの尋問調書(一九四六年五月一六日付、インドネシア・ジャワ島マゲラン)
(PD5770/EX1725)
私は一般被抑留者としてムテラン収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇(ジャワ)人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。
私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私達を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私達は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲランへ輸送され午後四時に到着しました。
我々はテウグランと称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。
一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。
其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後九時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠もりましたが他は其通りにしました。
私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。
其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。
其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。
此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」による「慰安婦」決議阻止のための訪米が中止になった。
理由の1つは,逆効果になるとの懸念。
もう1つは,決議があがっても「日米関係に大きな影響はない」という保障が生まれたことらしい。
つまりこの訪米計画は,決議を阻止しうる確たる証拠があってのものではなく(そうであれば逆効果の懸念などまったく必要がない),さらに日米同盟の継続を「慰安婦」決議より上位においてのものだった。
「靖国史観VS日米同盟」で,「日米同盟の勝ち」。
それがこの議連の政治思想であるらしい。
自民党の歴史教育議連、訪米中止(産経新聞,4月19日)
自民党の有志議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は19日、慰安婦問題をめぐる米下院での対日非難決議の採択阻止に向け今月下旬から予定していた有志議員の派遣を、中止することを決めた。
議会関係者への働きかけが採択阻止に逆効果になることが懸念されるうえ、シーファー駐日米大使が18日、決議が採択された場合でも「日米関係に大きな影響はない」と述べたことを考慮した。
慰安婦決議阻止の有志訪米に懸念=自民・加藤氏(時事通信,4月18日)
自民党の加藤紘一元幹事長は18日午後、CS番組の収録で、従軍慰安婦問題をめぐり連休中に訪米し、日本政府への謝罪要求決議案の採択阻止を働き掛ける同党有志議員の計画について「(26日からの)首相訪米が終わった後に、乾いている枯れ草にたいまつを持っていくような議論になりはしないか」と述べ、かえって米国内の批判が高まるとの懸念を示した。
首相訪米、米大使「慰安婦問題、影響なし」(産経新聞,4月18日)
安倍晋三首相は18日、官邸でシーファー駐日米大使と会い、26日からの初訪米での日米首脳会談について「日米同盟を強化する上で有意義な会談にしたい」と強調した。
シーファー氏は会談後記者団に対し、従軍慰安婦問題について「それほど大きな影響はない」と述べ、訪米に悪影響は与えないとの認識を示した。
さらに、3日の首相とブッシュ米大統領との電話会談に触れ「首相が河野洋平官房長官談話を継承する考えを再確認したのがよかった」と指摘。「首脳会談では、過去より将来のことが話し合われることを期待している」と述べた。
ドイツのある州首相が,ナチ政権下の法務官を擁護する発言をした。
記事は,それを伝えるだけでなく,政府首相がそれをたしなめたということを伝えている。
過去の誤りに対する日本政府の姿勢との,落差の大きさがここにも現れている。
ナチ擁護 独首相が批判 “問題直視さけられない”(しんぶん赤旗,4月15日)
【ベルリン=中村美弥子】ドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州のエッティンガー州首相(キリスト教民主同盟=CDU)が、第二次世界大戦中のヒトラー・ナチ政権下で海軍法務官を務めたフィルビンガー元同州首相を擁護する発言をしたことが、強い批判を招いています。メルケル首相は十三日、電話でエッティンガー州首相を厳しくたしなめました。
州首相発言 内外から辞任要求
エッティンガー氏は十一日にあったフィルビンガー氏の葬儀で、「フィルビンガー氏はナチ時代、人を死に至らしめるような判決を下したことはなかった」と述べ、ナチ支配下で従属を余儀なくされた被害者だと主張しました。
しかし、この発言はこれまでに明らかにされてきた歴史的事実と異なります。一九六六―七八年にバーデン・ビュルテンベルク州首相だったフィルビンガー氏は、ナチ政権下、海軍法務官として兵士二人に死刑を求刑しました。同氏はこの事実がメディアに暴露されたことをきっかけに、州首相の座から失脚しました。今月一日に九十三歳で死去したフィルビンガー氏が、自らの過去を悔い改めたことはありませんでした。
エッティンガー州首相の発言について、CDU党首でもあるメルケル首相は、元州首相としてのフィルビンガー氏の功績を認めながらも、「ナチ時代の重大な問題についても問われてきた」と表明。ナチ被害者の感情をくみ取るならば、この問題を直視することは避けられないとの考えを示しました。
独ユダヤ人中央評議会のクノブロッホ会長は、エッティンガー州首相の発言を「危険であり、(ナチによる迫害の)生存者にとって侮辱的な歴史のわい曲だ」と非難。ドイツ国内外から同州首相の辞任を求める声が上がっています。
靖国の戦犯合祀に厚生省が直接関わっていた事実を,政府が初めて認めたという。
これで「(合祀の)経緯について政府は承知をしていない」との柳沢大臣発言は,まるで成り立たなくなった。
それにもかかわらずこの人はいう。「関知はしていない」。
大臣よ,まずは国語辞典を引け。(関知=ある事に関係して知ること)
「靖国」戦犯合祀打ち合わせ会 厚労省、事実認める 小池氏質問(しんぶん赤旗,4月15日)
日本共産党の小池晃議員は十二日の参院厚生労働委員会で、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に旧厚生省が関与していた問題について質問、厚労省は旧厚生省と靖国神社の打ち合わせ会開催の事実を初めて認めました。
三月二十八日に国立国会図書館が発表した「新編靖国神社問題資料」で、旧厚生省は靖国神社と協議をかさね、戦犯合祀に主体的にかかわってきたことがあきらかになっています。
小池氏が、靖国神社資料集に収録された「合祀基準に関する打ち合わせ会」開催の事実をただしたのに対して、中村秀一社会・援護局長は「委員が話をされた昭和三十二年から四十五年にかけての旧厚生省援護局と靖国神社の打ち合わせ会が開かれたのは事実と考えられる」と答弁しました。また、打ち合わせ会に参加したとされる人物が、当時厚生省の職員であったことも認めました。
小池氏は「打ち合わせ会開催を認め、出席者も特定されている。大臣は合祀の『経緯について政府は承知をしていない』と述べてきたがそういう言い訳は通用しないのではないか」と追及。柳沢伯夫厚労相は「合祀について決定権は神社側にあり、それに関知はしていない」と従来通りの答弁を繰り返しました。
アメリカで「慰安婦」決議の採択を推進しているホンダ議員は,中国系反日団体から政治献金を受け取ってこれを行っている。
したがって,この中国等による策謀に負けてはならない。
……ということが,この記事が訴えたい本音ということになるらしい。
だが,記者がこれを主張する根拠としているナカノ氏は,「この種の問題で日本側は十分な謝罪を述べていないのかもしれない」「日本の慰安婦は確かに非だろう」と述べている。
これがどうして,「慰安婦」問題の決議をあげてはならない理由になるのだろう。
ナカノ氏は日系人議員が「真の米国人」ではないと誤解されてしまうというが,決議の共同提案者は,すでに77名に達しているとの報道がある。
そして,それが全員日系人だというわけでは,もちろんない。
慰安婦決議案「予期せぬ負の結果招く」 ナカノ氏反対(産経新聞,4月16日)
【ワシントン=古森義久】カリフォルニア州の日系米国人社会の有力指導者ジョージ・ナカノ前同州議会議員はこのほど産経新聞のインタビューに応じて米国下院に同州選出のマイク・ホンダ議員が提出した慰安婦問題での日本糾弾決議案への反対を表明した。
1999年から2005年までカリフォルニア州議会議員を務めたナカノ氏は99年に同じ州議員だったマイク・ホンダ氏が同州議会に提出した日本糾弾決議案にも反対した経緯がある。同決議案は日本による米兵捕虜の虐待、南京での虐殺、慰安婦問題などをあげ、日本政府に謝罪と賠償を求めるという内容だった。当時、中国系反日団体の「世界抗日戦争史実維護連合会」と緊密に協力しあったホンダ氏に対し、ナカノ氏は公開の場で何度も反対論を述べ、日系社会の内紛ともなり、長老格のダニエル・イノウエ上院議員がナカノ氏の立場を支持する形で介入を図ったこともある。
ナカノ氏は今回の連邦議会に出た慰安婦決議案について産経新聞との電話インタビューで「この種の問題で日本側は十分な謝罪を述べていないのかもしれないが、日系米国人が日本政府についてあれこれ抗議する、あるいは中国系米国人が中国政府に対してなにか述べる、という言動は予期せぬ負の結果を招きかねないので、反対だ」と述べた。
ナカノ氏はその「予期せぬ負の結果」について「アジア系米国人がアジアの問題にばかりかかわっていると、一般から私たちアジア系は真の米国人ではなくアジア系の外国人と誤認されてしまう恐れがあることだ。ドイツ系米国人がドイツの問題を論じても、そうした誤認は起きない」と語り、米国社会でのアジア系米国人への微妙な認識を強調した。ナカノ氏はその種の誤認の実例として1999年に表面化した中国系米国人学者のロスアラモス研究所での核兵器機密スパイ疑惑をあげ、この学者が米国人なのにアジア系という理由で外国人のように扱われたことを指摘した。
ナカノ氏はさらにホンダ慰安婦決議案への反対の理由として「日本の慰安婦は確かに非だろうが、いまの世界には他にも無数の非がある。たとえばチベットでの人権抑圧はどうなのか。そうした現状で過去の一事例だけを拡大して追及することは均衡を欠く」と述べた。
ナカノ氏はまたホンダ氏が州議会議員当時から現在にいたるまで一貫して、慰安婦問題や南京事件など歴史上の案件で日本を糾弾している理由について「それはホンダ氏の選挙キャンペーンでの政治献金の問題だ」と述べ、中国系団体から集中的な政治献金を受けてきたことがホンダ氏の日本糾弾決議案提出の動因であることを示唆した。
ナカノ氏はホンダ議員が世界抗日戦争史実維護連合会など中国系団体幹部から多額の政治献金を受けていることを知っていることを認め、「しかしこの日本非難決議案との関連ではこの献金の実態は米国内では一般にはまったく知らされていない」と語った。
◇
■ジョージ・ナカノ 1935年、ロサンゼルス生まれ、幼児期に日系人収容所生活を4年近く体験した。1977年にカリフォルニア州立大学大学院修了後、高校の教員、校長を経て80年から94年までトランス市会議員、99年から2005年までカリフォルニア州議会議員(民主党)、各種の民主党系や日系の団体多数の指導者を務める。
日本政府は東京裁判の結果を受け入れ,それによって戦後,国際社会への復帰を果たしたわけだが,その裁判に「慰安婦」連行の「強制」を示すたくさんの調書が提出されていた。
林博文氏による確認である。
これによって,安倍首相等はまた一つ追い詰められたことになるが,ここから「だから東京裁判そのものがまちがっている」という反撃は,どこまで強くなりうるものか。
もちろん,政府がそれを主張すれば,国際社会での孤立はそれより先がないほどに決定的となり,アメリカ政府による許容の範囲も大きく越えるものとなる。
3月1日の安倍発言に対する盧武鉉大統領自身の批判は,意外なことに初めてらしい。
堪忍袋の緒が切れたということか。
慰安婦強制示す調書、東京裁判に各国検察提出(朝日新聞,4月15日)
日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。
東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。
インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。
オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。
彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」
46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。
44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。
「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」
フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。
中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と認定している。
一連の資料について林教授は「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」と話している。
韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は15日、政府系機関刊行物への寄稿で安倍首相らによる「慰安婦問題」での発言について触れ、「米国など国際社会が批判を提起したのは、日本のそうした動きが人類の普遍的価値を否定するものだからだ」と指摘し、不快感を示した。
大統領は、慰安婦問題とともに靖国神社参拝や歴史教科書、竹島(韓国名・独島)領有権問題も取り上げ、「侵略の歴史を正当化するもので、沈黙してばかりではいられない」と批判した。
さらに「これまでの反省すら覆す発言は、わが国民の気持ちだけを傷つけるものではない」とも述べ、米議会で進められている慰安婦問題に対する決議案採決の動きに暗に理解を示した。
慰安婦問題で日本批判=「未来を暗くする」-韓国大統領(時事通信,4月15日)
【ソウル15日時事】韓国の通信社・聯合ニュースは15日、盧武鉉大統領が同国の英字論文誌グローバル・アジアへの特別寄稿文で、従軍慰安婦問題について「日本指導層の一部が最近、これまでの反省を覆す発言を行い、わが国の国民をいたたまれなくさせている」と批判したと報じた。
韓国政府は安倍晋三首相の「狭義の強制性はなかった」との発言を批判してきたが、盧大統領自身がこの問題で見解を示したのは初めて。
大統領は「米国など国際社会が批判するのは、日本の動きが人類の普遍的価値を否定し、未来を暗くするからだ」とし、韓国以外の国でも安倍首相発言への反発が広がっていると指摘した。
日中首脳会談関係のニュースである。
安倍氏の靖国参拝が一層困難となったこと,両国のハイレベルの経済対話が具体化されたあたりに大きな動きを感ずる。
靖国史観を表明しつづけてきた安倍氏であってさえも,今日の世界情勢の中では,中国との「友好」を促進するほかない。
それだけ経済においても,政治においても,中国や東アジアの台頭が顕著だということである。
ただし,その「友好」の根元に当座の思惑をおくのか,それとも歴史の真実を直視する誠実さをおいていくのか。そこには大きな違いがある。
それは日本の主権者が判断せねばならない問題。
安倍首相 靖国参拝難しく 日中首脳会談 温首相のけん制巧妙(北海道新聞,4月3日)
中国の首相として六年半ぶりに来日した温家宝首相は十二日、東京での主な日程を終えた。安倍晋三首相は、「戦略的互恵関係」の具体化などを確認した今回の首脳会談の成果を誇示している。ただ温首相は同日の国会演説でも日本の「実際の行動」を求めるなど、安倍首相の靖国神社参拝をけん制。関係改善が進むほど安倍首相が靖国問題で身動きができなくなりつつある点で、中国側の狙いが奏功した形だ。
安倍首相は同日、温首相が「氷を溶かす旅」と位置づけた今回の来日について、記者団に「先ほど(外務省)飯倉公館で(温首相と)記念撮影したら八重桜が満開だった。もうそういうシーズンを迎えたということではないか」と述べ、日中関係を「春」に例えた。
年内の靖国参拝の可能性については「もう何回も申し上げてきている」と明言しない姿勢を繰り返したが、政府高官は、国交正常化以来最悪とされた小泉純一郎前首相時代の日中関係と比べ「隔世の感」と漏らし、「こういう雰囲気だと、靖国に行きにくいのは間違いない」と言い切った。
安倍首相の靖国参拝は、あるとすれば秋の例大祭がある十月が焦点とされていた。しかし今回の首脳会談で年内訪中を明言したことで、可能性は低くなったとの見方が一般的だ。
温首相は国会演説で、靖国参拝に直接言及はせず、戦前の侵略についての日本側の反省と謝罪を評価。自民党の丹羽雄哉総務会長は記者団に「日中友好に最大限配慮しながら、敏感な問題はそれなりのけん制球を随所にちりばめていた」と述べ、日本国内の保守派の反発を買うのを避けつつ、安倍首相の参拝を封じ込める温首相の巧妙な作戦を指摘した。
安倍首相は十二日に配信したメールマガジンで、外交について「友好であればすべてよしではない。国益がぶつかるときには当然主張すべき点は主張しなければならない」と持論を展開。日中の戦略的互恵関係について「お互い協力して、ともに利益を得られる環境をつくる、友好という言葉を超えた関係だ」と強調。ただ首相があいまいな姿勢を続ける限り、靖国問題が日中関係の焦点から消えることはない。
11日の安倍晋三首相と中国の温家宝首相との会談要旨は次の通り。
▽日中関係
安倍首相 政治と経済の車輪を力強く回し、日中関係をさらに高度な次元に高めていきたい。
温首相 今年は国交正常化35周年で関係の改善と発展の大きなチャンスだが、道険しい面もある。関係を安定的な軌道に乗せる必要がある。
▽首脳相互訪問
安倍氏 首脳往来を積み重ねることが重要だ。今年中にわたしの訪中を実現したい。胡錦濤国家主席も来年早期に訪日してほしい。
温氏 胡主席の来日を積極的に検討したい。
▽ガス田問題
安倍氏 戦略的互恵関係の大切さを目に見える形で見せるためにも、スピード感を持って解決することが重要だ。
温氏 その通りだ。5月に日中局長級協議を開きたい。
▽安全保障問題
安倍氏 軍事面での透明性がさらに高まることを望む。
温氏 中国の防衛力は国家の安全と統一維持にのみ使われる。いかなる国の脅威にもならない。
▽歴史認識
温氏 歴史認識問題がうまく処理できれば日中関係の良い政治的基礎となり、できなければ障害になる。歴史問題への善処が非常に重要だ。
安倍氏 日本が平和国家として歩んでいくことがわたしの気持ちであり、歴史認識そのものだ。
▽北朝鮮核問題
安倍氏 早期に6カ国協議を再開し、非核化の具体的措置を議論できるよう協力したい。
温氏 6カ国協議が進むよう努力する。
▽拉致問題
安倍氏 北朝鮮への働き掛け強化などで引き続き協力してほしい。
温氏 日本国民の拉致に対する感情を理解し、同情する。中国も必要な協力をしていきたい。
▽安保理改革
安倍氏 日本の常任理事国入りに大局的な判断をしてほしい。
温氏 日本が国連で重要な役割を果たすことを期待したい。
▽台湾問題
温氏 台湾独立反対の立場を明確にしてほしい。
安倍氏 2つの中国の立場を取らず、台湾独立も支持しない。対話再開を強く期待する。
閣僚級の経済対話創設 日中首脳会談、ガス田は隔たり(中国新聞,4月11日)
安倍晋三首相は十一日夕、来日した中国の温家宝首相と官邸で会談し、昨年十月の首脳会談で確認した「戦略的互恵関係」構築の促進で合意した。貿易・投資、金融など幅広い経済分野について協議する閣僚級の「ハイレベル経済対話」の創設や、北朝鮮の拉致、核問題での協力、省エネ・環境対策の連携で一致。焦点の東シナ海ガス田問題は両国間の隔たりが大きく、早期の共同開発へ議論の加速を再確認するにとどまったもようだ。
安倍首相は冒頭で「温首相の訪問が戦略的互恵関係の構築に向けた大きな一歩となる」と強調した。両首相は戦略的互恵関係に関する共同プレス発表を出す方向。
中国首相来日は二○○○年十月の朱鎔基首相(当時)以来六年半ぶり。小泉純一郎前首相の靖国神社参拝などで途絶えていた双方の首脳相互訪問が軌道に乗った形だ。
日中両政府は共同プレス発表とは別に、環境保護とエネルギー分野の協力に関する共同声明を発表。先進国の温室効果ガス排出量削減を定めた京都議定書が取り決めていない二○一三年以降の新たな国際枠組みの構築に関する過程に「積極的に参加する」と協力を表明した。エネルギー担当相対話の枠組みの創設でも一致。中国の省エネ化を進めるモデル事業を展開し、今後三年間で中国政府と関係機関から約三百人を日本に招き研修を実施する。
日中ハイレベル経済対話は、日本側が麻生太郎外相、中国側が曽培炎副首相がそれぞれ代表を務める。このほか、会談では(1)羽田空港と上海の虹橋空港を結ぶ航空便の実現(2)中国からの国際保護鳥トキの提供―などで合意した。
米議会調査局の報告「日本軍の『慰安婦』制度」についての記事だが,同じ文書を読みながら,「産経」と「赤旗」の結論はまるで正反対となっている。
とはいえ「慰安婦」制度全体における軍の関与についても,「慰安婦」の募集における「強制性」の問題でも,報告書自身に結論を語らせる「赤旗」に,はるかにまっとうな説得力がある。
「組織的強制徴用なし」 慰安婦問題 米議会調査局が報告書(産経新聞,4月12日)
【ワシントン=古森義久】米国議会調査局は日本の慰安婦問題に関する決議案に関連して議員向けの調査報告書をこのほど作成した。同報告書は安倍晋三首相の一連の言明を「矛盾」と批判しながらも、焦点の「軍による女性の強制徴用」については軍や政府が全体としてそうした政策をとってはいなかったことを認める見解を明らかにした。同報告書はさらに決議案の日本側へのこれ以上の謝罪要求に懐疑を示し、賠償を求めれば、日本側から原爆の被害者への賠償請求が起きかねないという懸念をも表明した。
議会調査局の専門家により3日付で作成された「日本軍の『慰安婦』システム」と題する同報告書は議員の審議用資料で23ページから成る。
いわゆる慰安婦問題の主要争点とされる「日本軍による女性の強制徴用」について同報告書は「日本軍はおそらくほとんどの徴募を直接に実行はしなかっただろう。とくに朝鮮半島ではそうだった」と述べ、いま下院に提出されている慰安婦問題での日本糾弾の決議案が「日本軍による20万人女性の性の奴隷化」という表現で非難する日本軍による組織的、政策的な強制徴用はなかったという趣旨の見解を示した。
しかし同報告書は安倍首相らの強制徴用否定の言明について(1)慰安婦システムの一部分である「徴募」だけの否定の強調は軍が大きな役割を果たした慰安所の設置や運営、慰安婦の輸送、管理などを矮小(わいしょう)化する(2)一部の言明は徴用にはいかなる軍の強制もなかったと受け取られ、日本政府自身の調査をも含む元慰安婦らの証言に矛盾する-と批判し、「強制性」の最大の論拠としては2002年に米英両国で出版された「日本の慰安婦」(田中ユキ著)という英文の書を挙げた。
同報告書はその一方、日本政府が慰安婦問題に対して1990年代前半から「アジア女性基金」の設立などで謝罪や賠償の努力を重ねてきたことを詳述し、「同基金は元慰安婦たちに償い、助けるための日本政府の真実の努力だ」して、女性たちによるその基金からの賠償金の受け取りを韓国政府が事実上の脅しにより阻んだとして非難した。同報告書はとくに賠償について政府間ではすでに対日講和条約や日韓関係正常化で解決ずみとの見解を示し、もし諸外国が日本にいま公式の賠償を求めれば、「日本側は戦争中の東京大空襲の死者8万人や原爆投下の被害への賠償を求めてくる潜在性もある」とも指摘した。
下院決議案は日本の首相や政府に改めて謝罪の表明を求めているが、同報告書は河野談話や歴代首相の「アジア女性基金」賠償受け取りの女性への謝罪の重要性を強調し、「それでも不十分だとする批判者たちはなぜ不十分なのか理由を明示していない」として、謝罪要求への懐疑を明確にした。同決議案はさらに米側の一部が「日本の国会での謝罪決議」を求めることに対しても、「そうした決議が成立する見通しはきわめて低い」として、この種の要求の非現実性を指摘する形となった。
「従軍慰安婦」での米議会報告指摘 全段階で日本軍が関与(しんぶん赤旗,4月13日)
【ワシントン=山崎伸治】米議会調査局の報告書「日本軍の『慰安婦』制度」は、日本国内で一九九三年の河野談話を見直す動きがあることを批判的に指摘。「従軍慰安婦」に関してこれまで明らかになっている証拠を改めて紹介し、日本政府、日本軍が深く関与したことを明らかにしています。
報告書は「日本における河野談話改定の動き」として、昨年十月に下村博文官房副長官が「新たな研究」を求めたことや、自民党有志議員による「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の設立、「慰安所」の設置に軍の関与を否定した自民党の中川昭一政調会長や麻生太郎外相らの発言をあげています。
「慰安婦」制度に関する証拠として、一九九二年の吉見義明氏の研究や四四年にビルマで韓国人「慰安婦」の証言を聴取した米戦争情報局の報告、九二年の韓国外務省報告、九四年に公表されたオランダ政府の報告、日本政府が行い、河野談話の基となった九二、九三年の調査、四百人以上の「慰安婦」の証言にもとづく二〇〇二年出版の田中由紀氏の著書『日本の慰安婦』など九件を列挙。これらが「慰安婦」をめぐって日本の国内外で論争となってきた問題点について情報を提供しているとして、それぞれ資料を示しながら次のように整理しています。
創設と募集・輸送
第一は「慰安婦制度創設における日本軍および日本政府の関与の度合い」。報告書は「日本政府と軍が直接に制度をつくったことは明白」と指摘しています。
第二は「日本軍が慰安婦の募集と輸送、『慰安所』の管理に関与していたかどうか」。報告書は「日本軍は同制度の運営にあらゆる段階で関与していた」と結論づけています。
第三は「女性が慰安婦制度に組み込まれたのは自発的か、強制か」。報告書は「強制」とは「暴力的な行動で無理強いすること」だとして、田中氏の著書で二百人以上の元「慰安婦」が日本軍や憲兵、軍の代理人による暴力的な拘束について述べていると指摘しています。
強制疑う余地なし
しかし同時に、「慰安婦」の募集に強制があったかどうかの議論は、「慰安婦が制度に組み込まれたのは自発的か強制かという、より幅広い問題をあいまいにしている」と批判。「ほとんどの慰安婦が強制的に制度に組み込まれたことは、明らかになっている証拠から疑う余地はない。純粋に自発的だったというのはこの制度ではほとんどなかったようである」と強調しています。
報告書は募集について、「朝鮮半島では軍が直接実施しなかったかもしれない」「大半は民間業者によって、身体的な強制よりも、だましたり、家族に圧力をかけたりしていた」と述べています。しかし続けて、「もっとも、慰安婦の中には物理的に拉致されたと主張する人もいる」と指摘しています。
さらに、「募集段階の強制性の否定はオランダ戦犯法廷の事実認定と判決の無視」につながると強調。安倍首相らの議論は「募集だけを強調することで、他の要素に日本軍が深くかかわったことをできるだけ小さくしようとするものだ」と述べています。
オランダの戦犯裁判の判決文に,当人の意に反した「売春」の「強制」があったことを「確実」と述べる文章があるという。
「民間」経営でありながら,憲兵の監視下にあった「慰安所」「櫻クラブ」でのことである。
とはいえ,安倍氏であれば,強制的に「連行」したわけではないと,「狭義の強制性」の「狭義」を限りなく小さくしていく工夫ができるのかも知れないが。
軍指示で慰安所開設 「靖国合祀」の経営者、占領下インドネシアで(中日新聞,4月12日)
【ベルリン=三浦耕喜】日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営していた日本人男性に靖国神社への合祀(ごうし)が認められていた問題で、同慰安所の開設が軍の指示によるものだったとオランダ軍による戦犯裁判の判決文に記されていることが十一日、明らかになった。憲兵によって逮捕、監禁された女性の証言も記載されており軍が関与した「強制性」を示す資料ともなっている。
判決文はベルリン在住のフリージャーナリスト梶村太一郎氏(60)がオランダの資料館から入手、近く週刊誌上で発表する。
同戦犯裁判は、インドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で民間の慰安所「櫻(さくら)クラブ」を経営していた男性が「婦女子強制売淫」の罪に問われたもの。男性は一九四六年十月に禁固十年の有罪判決を受けた後、服役中に死亡した。
判決文では、慰安所を開設した経緯について「被告は一九四三年六月二日、軍政監部(原文でもGunseikanbu)から売春宿を開設するよう指示を受けた」と記載。「被告は異議を申し立てたものの、二度目の指示で従った」と、軍の強い意向があったことを指摘している。
慰安所は憲兵の監視下に置かれ、オランダ人抑留所などから集めた欧州系の女性二十人ほどを雇用。判決に記された証言によると、慰安所には売春部門と食堂部門があり、どちらで働くかは当初は自由意思だったが、次第に食堂部門の未成年の少女にも売春を強要。拒むと「憲兵を呼ぶ」と脅され、逃亡して実際に憲兵に逮捕、監禁された女性もいた。これらを根拠に、判決文では「多くが自らの意思に反して売春を強制されたことは確実」と認定している。
男性に対しては、厚生省(当時)と靖国神社が一九六七年に合祀を決めていたことが、先月二十八日に国会図書館が公表した資料の中で明らかにされている。
日本のメディアには,まだ直接の報道がないようだが,アメリカの議会調査局から「慰安婦」問題に関する報告書が出されたという。
朝鮮日報や中央日報は,これを「狭義の強制性」を論じた安倍氏への公式の反論だとして報じている。
調査は,ミャンマーにいた韓国人「慰安婦」の証言,ホレース・アンダーウッド博士の1942年の報告,オランダ政府が所有する資料等にもとづいている。
「強制動員の証拠は明白」=慰安婦問題で米議会報告書-韓国紙(時事通信,4月10日)
【ソウル10日時事】10日付の韓国紙・朝鮮日報は、米議会調査局が従軍慰安婦問題について「日本政府と日本軍が慰安婦の強制動員に介入した証拠が明白だ」とする報告書を発行したと報じた。
報告書はミャンマーにいた約20人の韓国人女性の証言記録などを基に作成され、「日本軍が女性の募集から慰安所の運営に至るまですべての段階に介入していた」と指摘。「大部分の女性が慰安所へ強制的に収容されたことに疑いの余地がない」などと結論づけているという。
慰安婦:「日本政府・軍の強制動員関与、証拠は明白」(朝鮮日報,4月10日)
米国議会調査局は最近、旧日本軍の「従軍慰安婦」に関する報告書をまとめ、その中で「日本政府と旧日本軍が慰安婦の強制動員に関与した証拠は明白であり、旧日本軍が慰安婦の募集から慰安所の運営に至るまですべての段階に関与していた」という見解を示した。
この報告書は、米軍がビルマ(現ミャンマー)で発見した約20人の韓国(朝鮮)人慰安婦らの証言や、ホレース・アンダーウッド博士が1942年に日本政府によって韓国から強制追放された直後、韓国の女性が日本軍の慰安婦として強制動員された事実について米国政府に報告した記録などを基に、このような見解をまとめた。
今回の報告書は、昨年作成した11ページにわたる報告書の内容を23ページまで大幅に補強したもので、米国議会の議員らに配布された。昨年の報告書では、旧日本軍の従軍慰安婦問題については客観的な事実についてのみ記載していたが、今年の報告書では「日本政府・旧日本軍の過ち」について詳細に指摘している。
報告書はまた、「証言によると、日本当局が女性たちをだまして慰安所に連れていった。彼女らの大部分が慰安所に強制的に抑留されたという点については疑いの余地はない」と記している。これは日本の安倍晋三首相が「慰安婦を強制動員したという証拠は十分ではない」と述べたのに対する公式な反論だといえる。(ワシントン=崔宇晢(チェ・ウソク)特派員)
「慰安婦募集から運営まで日本政府がすべて介入」米議会報告書(中央日報,4月10日)
安倍晋三日本首相の慰安婦強制動員証拠不足発言に正面から対抗する米議会調査局(CRS) 報告書が最近発刊され、下院の慰安婦決議案上程を前に米議員たちに配布された事実が9日、確認された。
CRSは報告書を通じて、日本政府と日本軍の慰安婦強制動員に介入した証拠はあり、日本軍が慰安婦女性募集から慰安所運営まですべての段階に介入したと指摘した。CRSは米軍がミャンマーでつかんだ20人の韓国人出身慰安婦の証言とホルスアンダーウッド博士が米政府に報告した日本軍の韓国人慰安婦強制動員記録、オランダ政府文書記録保管所に保管された日本軍慰安婦強制動員資料などを証拠として提示した。
本報告書では昨年4月10日に出された1930~40年代に日本軍によって行われた慰安婦動員実態に関する報告書を大幅に補強したものだ。昨年の報告書は日本軍慰安婦問題について客観的な事実を盛り込むにとどまったが、今回の報告書は日本政府と日本軍の過ちを具体的に指摘しているのが特徴だ。
韓国議員47名からの安倍首相への手紙は,日本政府への批判とともに共同調査団の構成という提案を行っている。
事実の当否が問題であれば,安倍首相にはこれを拒む理由はどこにもないはずである。
温家宝首相の来日を前にした外交部の記者会見は,「歴史は関係を前進させるためのエンジンであり、覆い隠してはならない」と強調している。
首相就任後,まっさきに中国に飛んだ安倍首相だが,さて今回の対応はどのようになるか。
当の安倍首相は,訪米を前にブッシュ大統領に申し開きを行っている。河野談話の継承を語っているが,「狭義の強制性はない」との自身の見解については何も説明がなかった様子。
靖国史観より日米同盟,そのためにはどんなその場しのぎも厭わない。そういう姿勢ということだろう。
しかし,同時に,安倍首相のお仲間である「議員の会」は,下院の「慰安婦」決議を採択させないために会長自ら訪米をする。ここにも安倍流の右往左往「二枚舌」外交が現れている。
こうした政治の”安倍状態”に,韓国の政治家やメディアが反発するのは当然である。「苦肉の策」「尊敬を受けられない」など。
「政府は尊敬できないが,国民の取り組みには尊敬できるところがある」,せめて,そのような言葉が得られる今回の選挙にしたいもの。
慰安婦問題で韓国議員47人、安倍首相に謝罪要求(日経新聞,4月3日)
【ソウル=峯岸博】韓国与党「開かれた我が党」(ウリ党)の蔡秀燦(チェ・スチャン)議員は3日の記者会見で、韓国の与野党47議員が3月30日付で従軍慰安婦問題に関して安倍晋三首相に書簡を送ったと明らかにした。書簡は「安倍首相や日本政府はあいまいな表現で旧日本軍による『性奴隷』動員の強制性を否定している」と指摘、首相と日本政府に国家として慰安婦に「謝罪と賠償」をするよう要求。日本側が応じなければ、慰安婦の当事国が参加する共同調査団を構成する考えも示した。
外交部:慰安婦問題で「安倍首相の言動に注目」(中国情報局ニュース,4月4日)
中国外交部の秦剛副報道局長(写真)は3日、定例記者会見を開いた。11日からの温家宝首相の訪日を前に東シナ海のガス田や従軍慰安婦問題など日中関係について多くの言及があった。3日付で中国新聞社が伝えた。
温首相の訪日について秦副局長は「日中関係の改善と発展にとって大きな意義がある」と説明。温首相の訪日時の国会演説に関して「この非常に重要な場面を利用して、日中関係の改善や発展、両国の協力について、中国政府の政策と主張を説明する」と述べた。
東シナ海のガス田問題をめぐっては「日中両国は一衣帯水だ。東海(東シナ海)の境界問題で意見の相違があるとしても、両国関係を悪化させたり、東海の平和と安定を損なったりしてはならない」と語った。
一方、従軍慰安婦をめぐる問題について「我々は安倍首相の最近の言動に注目している。従軍慰安婦など歴史上の問題に対して中国政府は『歴史は関係を前進させるためのエンジンであり、覆い隠してはならない』と一貫して主張している。日本が歴史問題を正確かつ適切に処理し、日中関係が進展するよう希望する」と話した。(編集担当:菅原大輔)
日米首脳が電話協議、安倍首相「河野談話を継承」(日経新聞,4月3日)
安倍晋三首相は3日夜、ブッシュ米大統領に電話をかけて約20分間協議した。首相は従軍慰安婦問題への対応に米国内で批判が高まっていることを踏まえ、おわびと反省の気持ちを記した1993年の河野洋平官房長官談話を継承していく考えを伝えた。
大統領は「率直な説明に感謝する。自分は首相を信じているし、日本国民の元慰安婦の方々に対する同情の気持ちを信じている。今の日本は第二次世界大戦中の日本ではない」と理解を示した。
首相は協議の最後に自ら慰安婦問題に触れ「自分の真意や発言が正しく報道されていない」と強調。「自分はこれまでの政府の立場を踏襲し、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に心から同情し、極めて苦しい状況におかれたことについておわびを表明している」と語った。26日の初訪米を控え、早期の沈静化を狙ったとみられる。
首相は7月末に期限切れになるイラク復興支援特別措置法を2年延長する考えを伝え、大統領は謝意を示した。(00:07)
慰安婦、対北 成果は? 首相『満を持して』訪米へ(東京新聞,4月5日)
安倍首相が今月二十六、二十七の両日、就任後初めて訪米する日程が固まった。首相サイドは半年間の「助走期間」を置き、満を持しての訪米と位置づけており、米側も、ブッシュ大統領夫妻が首相、昭恵夫人との夕食会を予定するなど、歓待する構えだ。
首相は四日、記者団に「日米同盟関係は、わが国の安全保障の基本だ。同盟関係の強化について、大統領と話し合いたい」と、日米同盟の重要性を重ねて強調した。
首相は昨年十月、北朝鮮が核実験実施を発表した際、訪問先の韓国で、いち早くブッシュ大統領と電話で会談。十一月にはベトナムでの国際会議を利用し、大統領との初の首脳会談に臨んだ。会談は昼食を共にしながら約一時間半に及び、親密ぶりをアピールした。
首相は就任前から、日米関係を「外交の要」と表明してきたため、国際会議を除く最初の外国訪問先は米国との見方が多かったが、最初に中韓両国、二回目は欧州を歴訪。訪米を三回目としたところに、日米関係への首相の自信がうかがえる。
ただ、米国内では、従軍慰安婦をめぐる首相発言に批判が広がり、ブッシュ大統領に訪米を伝えた今月三日の電話会談でも、わざわざ首相から真意を説明したほどだ。
北朝鮮の核問題でも、米国は対北朝鮮の金融制裁を解くなど柔軟路線に転換。強硬姿勢を堅持する安倍政権との温度差が広がりつつあり、日米協調をどこまで維持できるのか、首相にはその成果が問われている。 (原田悟)
自民党有志の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)は、従軍慰安婦問題で安倍首相の謝罪を求める米下院決議案の採択を前に、同会の中山泰秀小委員長らを米国に派遣することを決めた。決議案に賛成しないよう、議員らに働きかける。
同会は、河野官房長官談話の見直しを求めて活動してきた。26日からの首相の訪米への影響を避けるため、メンバーはその後に米国を訪れる見通しだ。
「慰安婦」問題 歴史事実率直に認めよ 韓国・前ソウル市長も批判(しんぶん赤旗,4月6日)
「安倍首相は歴史の事実を率直に認めよ」。安倍晋三首相がブッシュ米大統領との電話会談(三日)で「慰安婦」問題について「釈明」した翌日、韓国の李明博・前ソウル市長は、こう述べました。韓国メディアも安倍首相の「釈明」を批判的に報道。韓国世論の対日批判は弱まる気配を見せません。
李前市長は、野党ハンナラ党の大統領選有力候補です。四日、忠清南道の顕忠祠を訪れた李氏は、「歴史問題には真剣さが必要で、行動で示さねばならない。日本は状況に応じて、その時々で変えるので、当事国からは尊敬を受けられない」と語りました。
メディアの報道も安倍首相の「おわび」に懐疑的です。SBSテレビは四日、「安倍首相が月末に米国を訪問するので、事前にこの問題を鎮火しようとした」と報道。同テレビの東京特派員は「米国訪問を前にして、米国内世論が悪化していることに対する苦肉の策」と伝えました。
東亜日報五日付は「安倍首相の目にはブッシュ大統領だけ見えるのか」と題する社説を掲載。「米国内の反日世論を好転させようというジェスチャー」だが、「安倍首相は相手を間違えた。ブッシュ大統領ではなく、当事者の韓国国民と慰安婦被害者に直接、釈明すべきだった」と述べました。
インターネット紙プレシアンは四日、安倍氏の「おわび」について、「米議会が『慰安婦決議案』を推進している状況で、先に姿勢を低くして、米議会の推進力を弱めるため」だと指摘。「河野談話を継承する」という説明は、強制動員を否定した発言と「完全に相反する」とした上で、「この問題に明確な言及がないと安倍首相の(おわびの)真意は確認できない」と述べました。
「慰安婦」問題についての国際的な動きのいくつかである。
アメリカでは上院の民主党議員ダニエル・イノウエ氏が日米同盟・経済関係の密接を理由に,下院の外交委員長に決議を採択しないように求めていた。
すで日本政府は謝罪しており,アジア女性基金で金銭的償いもしたとするが,これは日本政府の主張と瓜二つ。政府によるロビイングのひとつの「成果」なのかも知れない。
捕鯨と歴史は別問題だろうが,ニューヨーク・タイムズが教科書問題もふくめて,日本政府の歴史認識を批判する記事をつづけて大きく取り上げている。基本的に妥当な内容といえるのだろうが,他方で,それは今日アメリカが世界で果たしている役割への反省の鏡になっていくものだろうか。
関連して「米国の手もきれいではなく」とモチヅキ氏は語っている。
米国平和研究所での発言だが,こちらは日本の有名な「慰安婦」問題研究家が参加したシンポジウムを,米議会が設立した研究所が主催しているところに大きな意味があるようだ。
東アジアにどのような秩序を形成するのか。そのことに対するアメリカなりの本腰をいれた取り組みのひとつとして,日本の「慰安婦」問題・歴史問題が位置づけられているということだろうか。
いずれにせよ,こうした変化も帝国主義諸国による植民地支配の崩壊だけではなく,両者間に,そうした侵略への反省を前提とした公平・公正な関係の形成が不可欠となっているという意味で,世界構造の大きな変化の象徴といえる。
慰安婦決議案 米上院議員が反対書簡 「日本との関係に悪影響」(産経新聞,4月1日)
【ワシントン=有元隆志】米民主党の日系米国人、ダニエル・イノウエ上院議員(ハワイ州選出)が下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について「不必要なだけではなく、日本との関係に悪影響を及ぼす」として採択しないよう求める書簡をトム・ラントス下院外交委員長(民主党)らに送っていたことが30日、明らかになった。
上院議員が下院の決議案に異論を唱えるのは異例。決議案は同じく日系米国人のマイク・ホンダ議員(民主党)によって提案されているが、民主党の大ベテラン議員でもあるイノウエ議員の反対表明は、決議案の行方にも影響を与えそうだ。
書簡は3月5日付で、ラントス委員長をはじめ、この問題に関係する議員に送られた。
書簡の中で、イノウエ議員は「決議案によって取り上げられた事柄は日本政府にとってつらく微妙な問題だ」と指摘した上で、植民地支配や侵略でアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたことに「痛切な反省」を表した「村山談話」(1995年)、国会での「戦後50年決議」(95年)や「戦後60年決議」(2005年)を通じ、日本は反省の念を十分に表しているとの認識を示した。
慰安婦問題についても、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を通じて「金銭的な償い」をしたと記している。
日米関係について「サンフランシスコ平和条約以来、日本は米国にとって強固な同盟国であり貿易相手となっている」とした上で、イラク自衛隊派遣など日本の対米協力を挙げ、決議案が日米関係に悪影響を与えるとの懸念を示した。
イノウエ議員はかつて日米貿易摩擦などで日本を非難することもあったが、最近は日米の議員交流に力を入れている。それだけに日系米国人のホンダ議員が決議案の旗振り役になっていることを「憂慮していた」(日米関係筋)という。
決議案は日本政府に対し、「若い女性たちを性的奴隷にしたことを公式に認め、歴史的責任を受け入れるべきだ」として首相による公式謝罪を求めている。
米有力紙が連日の日本批判 慰安婦、教科書、捕鯨…(西日本新聞,4月1日)
【ニューヨーク1日共同】米有力紙ニューヨーク・タイムズは3月31日と4月1日付の紙面で、従軍慰安婦や教科書、捕鯨の問題をめぐり日本の姿勢を批判する記事を相次いで掲載した。安倍晋三首相の訪米を前に、同紙の論調は厳しい内容が目立つ。
31日付では、従軍慰安婦への旧日本軍の関与を指摘してきた吉見義明・中央大教授(日本現代史)のインタビューを伝え、安倍首相ら保守派が教授の見解の否定に躍起になってきたとする記事を、国際面の1ページを使って掲載した。
1日付の紙面は、日本の高校教科書の検定結果を報道。文部科学省が、太平洋戦争末期の沖縄戦の集団自決をめぐる記述から日本軍の強制に関する部分を削除させたと伝え、日本が歴史修正を推し進めていることの表れだと指摘した。
また同日付の社説は捕鯨問題を取り上げ、世界の大部分がクジラ絶滅の危機を認めているのに、日本は「この素晴らしい哺乳類」の虐殺を擁護していると批判した。
日本の侵略戦争 日米研究者がシンポ 「従軍慰安婦」問題など論議 ワシントン(しんぶん赤旗,4月2日)
【ワシントン=鎌塚由美】日本の過去の植民地支配・侵略戦争と今日のアジア諸国との関係について考えるシンポジウムが三月三十日、ワシントンで開催されました。米議会が設立したワシントンの米国平和研究所(USIP)が主催。日本の戦争責任や「従軍慰安婦」問題に取り組んできた日本の研究者や市民運動家らが招かれ、米国の研究者ら約五十人が参加しました。
弁護士の尾山宏氏は、家永教科書訴訟や中国人戦争被害者訴訟を紹介し、一連の裁判で「日本の加害の事実が詳細に認定されている」と指摘しました。
茨城大学、駿河台大学の名誉教授の荒井信一氏は、敗戦時に陸軍兵士だった自身の体験として、「すべての資料を焼くように」と命令されたことなど当時の軍による証拠隠滅を紹介。それによる「決定的資料」の欠如が歴史事実を否定する「憶測や無責任な言論」の「横行」を招いていると指摘しました。
都留文科大学教授の笠原十九司氏は、日中の学生を対象にした調査をもとに両国間の歴史認識のギャップを紹介。日本の政治状況に触れ、南京大虐殺事件などで教科書記載を政治家が妨害してきたことを指摘、彼らの一連の「教科書攻撃」にも言及しました。
司会のヘルシングUSIP教育副部長は、日本からの報告を「メディアでは分からない日本の動きだ」と評価しました。
「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)館長の西野瑠美子氏は、二〇〇〇年に日本軍性奴隷制度を裁いた民衆法廷「女性国際戦犯法廷」の果たした役割に触れ、加害国の責任を明確にしていくWAMの取り組みを説明しました。
高知市の平和資料館「草の家」の事務局長を務めた金英丸さんは、戦時中に北海道で犠牲になった朝鮮人強制連行被害者の遺骨を、日韓市民グループが共同で調査したことを報告しました。
ジョージ・ワシントン大学のマイク・モチヅキ教授はまとめとして、日本と東アジア諸国が歴史問題を解決していく過程での米国の“判事や仲介者”としての関与は「米国の手もきれいではなく、確信が持てない」と発言。「地域の社会レベルで議論できる制度的基盤をつくることの支援」を提案しました。
日本側参加者は、南京大虐殺事件から七十周年に当たる今年、アジア・欧州各地で戦争責任を問うシンポジウム開催を予定。今回をその一回目と位置づけています。
3月31日の日韓外相会談で,韓国側は安倍首相の「慰安婦」発言を厳しく批判した。
麻生氏は「河野談話」の継承という「公式」見解を強調したようだが,首相自身が「狭義の強制性」を否定する発言をすでに行っており,そこに本音があることは誰にも見通しやすいこと。
竹島・独島問題については,何より事実の探究とその理解に関する話し合いが必要だが,麻生氏の「国定教科書ではなく,政府は検閲できない」との発言は,集団自決における軍の命令を削らせている文部科学省の実際の行動とは合致しない。
その二枚舌ぶりもまた,内外世論に受け入れられるものではない。
日韓雪解けムードに影 早期打開は困難か(中国新聞,4月1日)
【済州島(韓国)31日共同=木下英臣】三十一日の日韓外相会談では、宋旻淳外交通商相が麻生太郎外相に対し、従軍慰安婦問題をめぐって安倍晋三首相を厳しく批判、雪解けムードも漂っていた日韓関係に歴史認識問題が再び影を落とした。批判の矛先は直接首相に向けられており、早期の事態打開は難しそうだ。
北朝鮮の拉致問題進展には中韓両国との緊密な連携は不可欠なだけに、歴史認識で広がった溝が波及しないよう早急な対応が求められる。
今回の会談が韓国の保養地・済州島で設定されたこともあり、日本側は「胸襟を開いた率直な対話による外相間の信頼醸成」(外務省幹部)を主眼としていたが、思惑は完全に外れた格好だ。会談冒頭の写真撮影でも宋氏に笑顔はなく、韓国側が事態を深刻視していることをうかがわせた。
麻生太郎外相は慰安婦問題で河野洋平官房長官談話を継承する政府の立場を必死に強調したが、韓国側がこれには特段の反応を示さなかったとされ、とても納得する気配はない。
両外相は北朝鮮問題での連携強化を確認できたものの、韓国側は靖国神社のA級戦犯合祀問題、竹島(韓国名・独島)領有権問題などでも日本の対応を厳しく追及、麻生氏は釈明に多くの時間を費やしたのが実態だ。
慰安婦問題めぐり遺憾表明 日韓外相会談で韓国側(中国新聞,3月31日)
【済州島(韓国)31日共同=木下英臣】麻生太郎外相は三十一日午後、韓国・済州島を訪れ、宋旻淳外交通商相と会談した。宋氏は安倍晋三首相らの従軍慰安婦問題をめぐる発言を念頭に「日本の指導者が間違った発言をしている」と、遺憾の意を表明した。麻生氏は従軍慰安婦問題に対する「おわびと反省」を表明した一九九三年の「河野洋平官房長官談話」を「継承する」と明言、理解を求めたが、歴史認識をめぐる日韓の溝の広がりが浮き彫りになった。
北朝鮮核問題では、六カ国協議の早期再開を目指し連携強化を確認するとともに、同協議の共同合意文書に明記した核放棄への初期段階措置の「着実な実施が必要」との認識で一致した。
宋氏は会談冒頭、日韓関係について「歴史認識問題によって前に向かって進むことが難しくなっている。今日の天気のように、気流がいい状況ではない」と述べ、従軍慰安婦問題をめぐる一連の発言や「河野談話」見直しの動きに強い不快感を示した。宋氏は歴史認識問題について「過ちを犯した過去の世代ではなく、私たちが解決していくべきだ」と指摘した。
麻生氏は北朝鮮政策に関し、拉致問題で進展がない限り、北朝鮮に対する経済・エネルギー支援に応じない日本の立場を重ねて説明した。
日本の文部科学省の高校教科書検定で竹島(韓国名・独島)を自国の領土と記述した教科書を合格させたことについて、宋氏は「独島に対するどのような領有権主張も受け入れられない」と指摘、麻生氏は「国定教科書ではなく、政府は検閲できない」と説明した。
会談では五月中下旬に東京で、日韓両国の安全保障会議を開催することで合意。日韓の排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉や盧武鉉・韓国大統領の訪日時期についても協議したもようだ。
安倍首相の「慰安婦」発言に対する国際批判がますます広まっている。
驚いた安倍首相は,国会で「河野談話」の内容継承をあらかめて明言した。
首相就任時から繰り返される,この人らしい右往左往である。
他方で「産経」は,「河野談話」の「欠陥」を語った安倍発言の正当性を主張し,アメリカからの批判がつづけば,日米同盟への不信が高まるだけだと苛立っている。
しかし,政府自身はそうした不信を口にしない。日米同盟は大前提である。
「歴史問題」の一定の整理については,すで経済同友会が何度もその見解を表明してきた。
アメリカも対中政策を軍事対応一辺倒から,交渉重視へと転換している。
変化の根底にあるのは大国支配の衰弱と,途上国の政治・経済成長による世界構造の変化である。
とどめようのない東アジア経済共同の発展の中で,日米財界の主要関心事は,共同体における「儲けの自由」の程度となっている。
東アジアの経済ルールに,いかにして日米財界の意向を反映させていくかである。
それには,障害となる「歴史問題」の一定の整理が不可欠となる。
それは平和・人権・民主主義の拡充を求める内外世論にも重なってくる。
東アジアの成長に危機意識をもち,さらにこうした大方針の前に,命脈を絶たれかねないと危機意識を強めた靖国派が,様々にフラストレーションを爆発させている。
それにもかわらず,大局の動きには変化が見えてこない。
そのような「袋小路にいる靖国派」であるところに,安倍内閣の危険性ともろさの1つの中心的な要素がある。
慰安婦問題で謝罪立法求める=下院小委が対日動議採択-カナダ(時事通信,3月30日)
【ニューヨーク29日時事】カナダ下院外交・国際開発委員会の小委員会は29日までに、第2次大戦中の従軍慰安婦に公式謝罪する法律の制定を安倍晋三首相と日本の国会に促すため、マッケイ外相に「必要なあらゆる措置」を取るよう求めた動議を採択した。
今後、外交・国際開発委が動議を議題として取り上げるかどうかなどを審議する。動議に法的拘束力はない。
「慰安婦」問題 吉川議員の質問 首相の姿勢問う(しんぶん赤旗,3月30日)
日本共産党の吉川春子議員が二十六日の参院予算委員会でおこなった「従軍慰安婦」問題で安倍晋三首相にたいしておこなった質問をあらためて紹介します。
吉川春子議員 安倍総理は、三月一日の夜、官邸で記者団の質問に答えて、九三年の河野官房長官談話について、当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だと語られました。そうですか。
安倍晋三首相 何回か答弁を申し上げていますが、私は河野官房長官談話を継承していくということを申し上げているわけでございまして、そしてまた慰安婦の方々に対しまして御同情を申し上げますし、またそういう立場に置かれたことについてはおわびも申し上げてきたとおりでありまして、今まで答弁してきたとおりであります。
吉川 当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だとおっしゃったんですか、おっしゃらないんですか。
首相 累次この場においてもまた本会議の場においても答弁をしてきたとおりでございまして、それを見ていただければ分かるとおりであります。
吉川 そういう発言はなかったと、取り消されるんですね。
首相 累次、今まで答弁してきたとおりでございます。ですから、今、吉川議員がおっしゃったことも私は答弁をしてきた中の中身でございます。
吉川 総理が記者会見で官邸でおっしゃったかどうかだけを伺っているんですけれども。
首相 強制性について私が申し上げたことは、記者会見で申し上げたことはすべて、これはニュースにもなっておりますから、それはそのとおりであります。
吉川 官房長官談話では、広範な地域に慰安所が設置された、慰安所は軍の要請によって設置された、慰安所の管理運営、慰安婦の移送について旧日本軍が直接又は間接に関与したとしております。これはお認めになるんですね。
首相 先ほど答弁をいたしましたように、河野官房長官談話を継承しているということは、この官房長官談話をまさに引き継いでいるわけでありますから、その中身も、それを引き継いでいるということでございます。
吉川 さらに談話では、慰安婦の募集について、本人の意思に反して集められた、官憲が直接これに加担したこともあった、慰安所の生活は強制的状況で痛ましいものであったと言っていますが、これもお認めになりますか。
首相 河野官房長官談話を継承すると、このように申し上げております。
吉川 お認めになるんですね、今言ったこと。
首相 そうです。
吉川 河野談話の内容と、それから、首相官邸での記者会見の強制性はないという発言は矛盾すると思いますが、談話を受け継ぐとおっしゃるならば、この発言は取り消されたらいいと思うんです。いかがでしょう。
首相 そうした発言も含めて今私は答弁をしているわけでございますが、この河野官房長官談話を継承していくということでございます。
(吉川氏は、ここでオランダと中国の慰安婦の強制の事例を追及)
吉川 (元慰安婦の方は)今日までまだPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいるんですよ。日本政府が本当に心から公式に謝ってほしいと思っているんです。総理、公式に謝る必要があると思いませんか。
首相 今、私はここでおわびを申し上げているわけであります。内閣総理大臣としておわびを申し上げているわけでありますし、河野官房長官談話で申し上げているとおりであります。
吉川 河野官房長官談話は閣議決定されていません。それでは、閣議決定しますか。
首相 河野官房長官談話ですべてでございます。
吉川 安倍総理、一度被害者に直接お会いいただきたいと思います。細田元官房長官はお会いになりましたけれども、安倍総理も直接、慰安婦にお目に掛かって謝罪をしていただきたい。
従軍慰安婦「おわび」見直す声、河野氏「知的に不誠実」(朝日新聞,3月27日)
河野洋平衆院議長が昨年11月、アジア女性基金(理事長・村山富市元首相)のインタビューに対し、従軍慰安婦の募集に政府が直接関与した資料が確認されていないことを踏まえたうえで「だから従軍慰安婦自体がなかったと言わんばかりの議論をするのは知的に誠実ではない」と語っていたことが明らかになった。
河野氏は93年の官房長官当時に従軍慰安婦問題で「おわびと反省」を表明する談話を出したが、各界でこれを見直す声が出ていることを厳しく批判したものだ。河野談話をきっかけに95年に発足し、元従軍慰安婦への支援を担った同基金が近く公表する「オーラルヒストリー」に掲載される。
インタビューで河野氏は、談話で「官憲等が直接(慰安婦の募集に)加担したこともあった」と認定した点について「どなたが何とおっしゃろうと問題ない」と断言。談話の前提となった政府調査での元従軍慰安婦16人への聞き取り結果を理由に挙げ、「明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる」と振り返っている。
従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は「処分されていたと推定もできる」と指摘。「(談話を出した)責任を逃げたり避けたりするつもりは全くない。談話を取り消すつもりも全くない」と強調している。
3月になって安倍首相の発言が河野談話見直しと関連して海外で報じられたことから、河野氏には欧米メディアから取材要請が相次いだ。事態の沈静化を図る河野氏は、現在は「信念を持って談話を発表している」と語るにとどめている。
安倍首相の「慰安婦」発言 世界はこう見る(しんぶん赤旗,3月30日)
安倍首相は「従軍慰安婦」問題で「強制連行はなかった」と言い張り、自ら継承すると言明したはずの「河野談話」(一九九三年)を事実上否定しています。世界の世論は、そんな安倍首相と日本政府の姿勢に厳しい目を向けています。
現在進行の人権侵害
韓国各紙
韓国の新聞七紙は二十八日付の社説で、「慰安婦」問題についての安倍首相の一連の発言を批判しました。「おわびする」と言いながら、国の責任を認めない安倍首相の“謝罪”を批判しました。
中央日報は「(慰安婦の方々が)そのような立場におかれたことに、おわび申し上げる」とした安倍首相の二十六日の参院予算委員会での答弁を引用。「(この)言葉遊びのような表現からしても分かるように、政府次元の責任を回避する態度には本質的に変化がない」と指摘。「彼の謝罪には真剣さが見られない」と断じました。
ソウル新聞は、米国務省のケーシー副報道官が二十六日に「(日本は)過去に犯した罪の重大さを認識し、率直で責任ある態度をとるべきだ」と述べたことを紹介。「歴史わい曲と責任回避にきゅうきゅうとする日本に対し米国が公式の立場を明らかにするのは前例がない」と説明した上で、「安倍首相の二重的であいまいな態度を非難したものだ」と指摘しました。
同報道官の発言を中央日報、京郷新聞はともに「異例」と報道し、日本に事態の深刻さを認めるよう迫っています。
安倍首相が北朝鮮による日本人拉致問題を最優先課題とする一方、「慰安婦」問題では政府の責任を否定していることにも強い批判があります。
安倍首相が二十六日、「拉致問題は現在進行形の人権の侵害」で「慰安婦」問題とは「まったく別」と述べたことについて、ハンギョレ紙は「慰安婦問題は決して過去のものではない」と反論。「まだ多くの慰安婦ハルモニ(おばあさん)が、その当時の苦痛を持ったまま生きている。安倍首相をはじめとする日本政府の官吏の発言は、傷口に塩を塗る重大な現在進行形の人権侵害だ」と批判しました。
この問題では朝鮮日報十二日付が、「孤立招く日本」という記事を掲載。「北東アジア外交再編で日本は孤立の様相を呈している。北朝鮮による日本人拉致犯罪にこだわる一方、かつて日本が拉致した日本軍『慰安婦』を否定することにより、日本は外交的、道徳的基盤を失いつつあるとの批判も出ている」と指摘しています。
米国まで敵に回した
英誌
英誌『エコノミスト』三月二十一日号(電子版)は「東京の間違った動き―日本外交に泥を塗る軍の売春宿」と題する論評で、「慰安婦」問題での安倍首相の姿勢を厳しく批判しました。
論評は「安倍晋三は日本の首相となってわずか六カ月で、戦争中の歴史というやぶに突進することによって自らの国際的な評価をずたずたにしてしまった」と書き出しています。
安倍首相が日本政府の「慰安婦」への関与について「強制の証拠はない」と述べたことは、「自らが体験した奴隷状態を証言してきた多くの年老いた女性たち」を驚かせたと指摘。その発言は「軍の文書庫から発見された証拠にも反する」と述べています。
論評は、強制を認めた一九九三年の河野談話を首相は引き継ぐと言ったのに、すぐまた「強制はなかった」とする答弁書を確認したことを紹介。「安倍氏は近隣諸国との関係で最近日本が進めてきた成果の多くを一撃でご破算にしたと同時に、同盟国の米国まで敵に回してしまった」と解説しています。
論評はさらに「安倍氏の無能ぶりを測る物差し」は、「慰安婦」問題で「北朝鮮が道徳的な高みに立つのを許した」ことだと指摘しています。
具体的事例として、六カ国協議で北朝鮮側が「日本は拉致問題を口にするのをやめ、自らの歴史的な過ちを謝罪し補償せよと要求している」現状を説明。「日本はすでに(六カ国)協議で脇に追いやられつつあるのかもしれない」「日本による慰安婦の否定は、それをさらに深刻化するだろう」と述べています。
「完全な謝罪」を回避
英紙
【ロンドン=岡崎衆史】英ガーディアン紙二十七日付は、「日本は戦時の性奴隷(「従軍慰安婦」のこと)についての完全な謝罪を回避」と題する東京発のニュース記事を掲載しました。
安倍首相の二十六日の国会での答弁を取り上げたもの。「首相は日本による戦時の性奴隷の使用について謝罪したが、日本軍によって強制されたことを認めなかった」と報じました。
記事は、「慰安婦」問題での活動家が、日本の国会による公式の謝罪と補償を求めていると指摘。また、米下院で「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める決議案が採択された場合も、安倍首相が謝罪をしないと述べていることを紹介しています。
ねらいは憲法骨抜き
シンガポール紙
シンガポール紙聨合早報の元論説委員・黄彬華氏は同紙十六日付に論評「歴史論争はアジアから北米に拡大した」を寄稿し、侵略の歴史をあいまいにしようする安倍首相の「慰安婦」発言が国際的批判を広げていると指摘しました。「慰安婦」問題で「強制はなかった」と繰り返す安倍首相や自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の狙いは、「憲法を骨抜きにし、河野談話を『まったく無害なもの』に変えることにある」と厳しく批判しています。
論評は、「日本は慰安婦問題ばかりか第二次世界大戦中のシンガポールでの中国系住民虐殺や中国での南京大虐殺など日本軍による蛮行を絶対に認めようとしないか、もしくは『証拠が不足している』との口実で焦点をあいまいにしてきた」と指摘。「その目的は、(過去の行為を)あくまで否定し、それを国家への汚点として残さないことにある」と解説しています。
「欧米人のなかには、日本をアジアで唯一の成熟した『平和、民主、富裕』の国とみる人もいる」とした上で、「しかし(今回)彼らは、日本が言行不一致で歴史の真相を尊重せず、歴史に対し『不誠実、無責任』で、人権を尊重しない国家であることに驚いている」と述べています。
【緯度経度】対米不信招く慰安婦問題(産経新聞,3月31日)
「慰安婦」問題が日米両国間でなお波紋を広げている。現在の日本の政府や国民が60余年前の出来事を理由に突然、被告とされ、米国の議員やマスコミの一部が検事と裁判官とを兼ねて、断罪する。だがその罪状がはっきりしない。慰安婦という存在よりも、慰安婦について米側が求めるのとは異なる見地からいま語ることを悪とする言語裁判のようなのだ。その背後で日本側では日米同盟を最も強く支持してきた層の対米不信が広がりそうである。
いま慰安婦問題が論議を招くことのそもそもの原因は日本側にはまったくない。慰安婦について日本側で最近、新たになにかがなされ、語られたということはない。ひとえに米国議会下院に1月末、慰安婦問題で日本を糾弾する決議案が民主党マイク・ホンダ議員らによって出され、2月15日にその決議案を審議する公聴会が開かれたことが発端だった。
同決議案は「若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性的奴隷化した」と明記して、日本軍が組織的、政策的に女性を強制徴用していたと断じ、日本政府がその「歴史的な責任を公式に認め、謝罪すべき」だと求めていた。
この時点では米国のマスコミも識者、研究者もこの決議案も慰安婦問題も論じたり、報じたりすることはなかった。ところが3月1日、安倍晋三首相が東京で記者団に同決議案にどう対応するのかと質問され、一定の発言をしたことから米側での反響がどっと広がった。安倍首相は軍による組織的な女性の強制徴用の証拠はないことを強調し、その点で河野談話には欠陥があることを指摘しただけだった。
だがこの安倍発言は「安倍は戦争セックスに関する日本の記録を排除する」(ニューヨーク・タイムズ)として安倍首相が軍の関与をもすべて否定したかのように米側では報じられた。米側ではここから慰安婦問題はすっかり「安倍たたき」の形をとって、輪を広げた。このプロセスでは肝心の慰安婦決議案に対しての米側のマスコミや識者たちの態度は支離滅裂であることを印象づけた。
米国の安倍たたき勢力は慰安婦問題に関しては河野談話を絶対に撤回や修正してはならないと主張する。シーファー駐日米国大使にいたっては、「河野談話を修正すれば、破壊的な結果が起きる」とまで語った。河野談話の価値を認めたわけである。そうであれば論理的には河野談話が保持される限り、慰安婦問題はOK、慰安婦決議は不要ということになる。だが現実は異なる。
そもそも米側は日本に一体、どうせよというのだろうか。一方で河野談話を絶対に保持せよ、と求める。だが他方では決議案を読めば、河野談話が保たれても、安倍首相も同談話についてなにも述べなくても、日本の対応はなお不十分ということになる。
いまの米側からの日本糾弾はそもそも事実を究明しての批判なのか、それとも単に道義上の説教なのか、区別できない。日本側の最大唯一の主張は、日本の政府や軍隊が政策として組織的に各国女性を強制徴用して、これまた一貫とした方針として将兵へのセックス奉仕を無理やりさせていたという証拠はどこにもない、ということだろう。
この点の論争には事実の提示が欠かせない。だが米側は具体的論拠となると、「歴史家たちは女性20万人もが拘束され、日本軍将兵がその拘束に参加した、と述べている」(ワシントン・ポスト)という範囲の記述で終わってしまう。そしてそんな細かな点で争うよりも、全体の悪を認めよ、と、急に事実関係を論議の枠外に押し出して、道義の議論に転じてしまうのだ。自分たちは過去も現在も一点の非もないかのごとく、高い道義や倫理の頂上に仁王立ちとなり、はるか下方の日本を見下して、講釈をする、というふうになる。
そもそも一主権国家が他の主権国家がからむ60余年前の一行動をとりあげ、いま目前で展開される自国や他国の不祥事や悲劇をすべて無視して、その国家を責め続けるというのは異常である。ましてその2つの国家が同盟国同士であれば、ますます奇異となる。とくに日本側では対米同盟の堅固な支持層というのは、自国の国益や国家意識、さらには民主主義、人道主義という普遍的な価値観を強く信奉してきた国民層だといえよう。
米国が慰安婦問題で日本側をたたけばたたくほど、まさにこの層が最も屈辱や怒りを感じ、同盟相手の米国への不信を強くするのだ、ということは米側に向かっても強調したい。(ワシントン 古森義久)
靖国新資料集関連の記事である。
「日経」は,政府・与党内での戦犯分祀論の高まりを報道している。
あわせて,安倍首相の「合祀を行ったのは神社」という発言も紹介されているが,少なくとも厚生省はBC級戦犯合祀の「研究」を求め,さらにA級戦犯合祀についても合意をしている。国に責任がないという議論は,どう見ても成り立たない。
「信濃毎日」は,合祀に政府はかかわっていないという従来の政府見解の根拠薄弱を指摘し,さらにA級戦犯合祀の決定過程の明確化に向けた政府と靖国の資料公開を求めている。
「西日本新聞」は,特に,政教分離の原則という角度から見た政府の行動の問題を指摘するものとなっている。また,靖国は今日もかつての戦争の侵略性を否定する立場に立っており,これと密接な関係をもつことは政府自身の歴史観をうたがわせるものになるとも指摘する。
他方,「産経」は,新資料に政府の責任が問われるような問題はふくまれないとの立場のようである。政府の合祀協力は当然であり,政教分離原則にも抵触せず,さらにその背後には「民意」があったとさえも主張する。
だが,そこに「民意」があったとするなら,なぜ政府は,合祀への関与を長年にわたって否定してきたのか。あるいは,すべては対外的な配慮のためといいたいのか。
政府・与党に波紋、戦犯合祀に旧厚生省関与で(日経新聞,3月29日)
A級戦犯らの靖国神社への合祀(ごうし)を巡る旧厚生省の関与が国立国会図書館の資料集から明らかになり、政府・与党内に29日、波紋が広がった。
日本遺族会会長を務める自民党の古賀誠氏は記者団に「分祀(ぶんし)を含めた議論をしっかりすべきだとの気持ちを強くした」と強調。山崎派の山崎拓会長も改めてA級戦犯の分祀論を唱えた。
国会図書館は「与野党の国会議員から問い合わせがあり、1年前から準備し、メドがついたので発表した」と説明するが、中国の温家宝首相の来日前というタイミングは憶測も呼ぶ。対応を誤れば靖国問題が再燃しかねないからだ。
安倍晋三首相は首相官邸で記者団に「問題ない。合祀を行ったのは神社だ」と強調した。
【北京=佐藤賢】国立国会図書館が公表した資料集について中国外務省の秦剛副報道局長は29日の記者会見で「まだ見ていないが、中国の立場に変わりはない」と述べ、A級戦犯合祀への批判など直接的な言及を避けた。韓国外交通商省は「日本政府がこれ以上真実をごまかさず責任ある措置を取るよう望む」との声明を発表した。(07:02)
(社説)靖国合祀 やはり国がかかわって(信濃毎日新聞,3月30日)
やはりそうか、と受け止めた人が多いのではないか。靖国神社への戦犯合祀(ごうし)に旧厚生省がかかわっていたことが、国立国会図書館の資料で分かった。
戦犯の合祀は、日本人が戦争を反省していない証しと受け止められかねない面がある。そこに政府が関与することは、憲法の政教分離原則に照らしても問題が多い。
戦争犠牲者をだれもがわだかまりなく追悼できる施設の実現が、あらためて急務である。首相が引き続き、参拝に慎重でなければならないのはもちろんだ。
資料からは、厚生省が1958年ごろからしばしば、神社と合祀問題を協議していたことが分かる。厚生省は戦犯合祀を、神社に積極的に働き掛けてさえいる。
例えば58年4月9日の会合だ。BC級戦犯の合祀を「研究してほしい」と、厚生省は神社に求めた。69年1月31日の会合では、東条英機元首相ら、戦争指導者のA級戦犯について「合祀可」とする見解を両者で確認している。
世論の動向は気にしていたようだ。A級戦犯合祀を決めた会合の記録文書には「外部公表は避ける」と注が書き込まれている。
政府はこれまで「合祀作業にはかかわっていない」の一点張りだった。A級戦犯の合祀についても「神社側の判断」としていた。
今度の資料により、政府の弁明はますます根拠があやしくなった。
大事な疑問が残されている。神社がA級戦犯を実際に合祀したのは78年の10月である。「合祀可」としてからなぜ10年近くもかかったのか、決断は誰がしたのか、今回の公表資料からは分からない。
日本の政治の動きや米国の対日政策の変化と、合祀が関係していなかったか-。疑問はさまざま膨らむ。今後に残された課題である。
靖国の問題は戦後日本の歩みの足かせであり続けている。最近は小泉純一郎前首相の参拝をきっかけに世論が分裂、中国や韓国との関係は悪化した。米国などから向けられる目も決して好意的ではない。
解きほぐすには、厚生省はどういう判断で合祀にかかわり続けたのか、A級戦犯合祀はだれが決めたのか、解明される必要がある。政府は合祀にかかわるすべての資料を公開すべきだ。経過を明らかにする責任は神社にもある。
戦争への反省は、日本が世界で生きていく上で踏み外してはならない原点だ。分祀はできない、と靖国神社が言う以上、代わる追悼施設の実現を急ぐほかない。
(社説)政教分離の原則は重い 靖国神社資料(西日本新聞,3月30日)
靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に国が関与していたことが、国立国会図書館が公表した資料集で明らかになった。
戦前は軍国主義を鼓舞する国家施設だった靖国神社が、1宗教法人となった戦後も国と一体となって戦犯合祀を進めてきた実態が裏付けられたといえる。
戦争指導者であるA級戦犯の合祀については、中国など諸外国の反発に加え、国内でも異論が根強い。
そこに国が関与していたとなると、問題は大きい。政教分離を定めた現行憲法に抵触する疑いも免れない。首相の参拝を含め、政府が靖国神社に関与したと受け取られるような行為は、やはり慎むべきではないか。
今回の資料公表を機に、私たちはあらためてそのことを確認しておきたい。
公表された資料によると、旧厚生省と靖国神社の間で1958年ごろから戦犯合祀の協議が始まり、66年には同省がA級戦犯を含む合祀対象名簿(祭神名票)を神社側に送付した。
さらに69年の同省と神社の打ち合わせ会合で、12人のA級戦犯らについて「合祀可」を確認したという。
靖国神社が最終的にA級戦犯14人の合祀に踏み切ったのは78年であり、その経緯について政府は「承知していない」との立場を取ってきた。
しかし、旧厚生省は69年の時点で、A級戦犯合祀に事実上のお墨付きをあたえていたと言える。
靖国神社には、近代以降太平洋戦争に至るまでの戦没者約246万6000柱が祀(まつ)られている。
国の命に殉じた肉親を神として祀る靖国神社に共感を抱く遺族たちの心情は、尊重しなければならない。
だが、A級戦犯については、遺族会の一部にも「一般の戦没者とは分けて考えるべきだ」との考え方があり、分祀(ぶんし)論がくすぶっている。
それ以上に重いのは、政教分離の原則だ。戦前までの靖国神社が国家と密接に結び付き、戦意高揚に一役買ってきたことは否定できない。現行憲法の制定で、そうした国家の宗教利用はきっぱり否定されたはずだ。
にもかかわらず今回の資料は、戦後も政府が靖国神社のあり方にかかわってきたことを示している。
靖国神社は今も、太平洋戦争に至る近代以降の対外戦争の侵略性を否定し、「自衛のための戦い」とする歴史観を体現している。
首相の参拝も含め、政府が積極的に靖国神社に関与する姿勢を示せば、その歴史観に政府がくみしている印象を与えかねない。そうした事態を避けるためにも政教分離原則は厳密に適用すべきだ。
今回の資料公表をきっかけに、あらためて国家による戦没者慰霊のあり方を考えてみるのもいい。無宗教の国立追悼施設構想の可否も含め、論議を深めたい。
【主張】靖国新資料 民意踏まえて読み解こう(産経新聞,3月30日)
靖国神社への戦犯合祀(ごうし)に関する詳細な資料が国立国会図書館によって公表された。国と靖国神社が協力して合祀を進めていたことを改めて裏付ける貴重な記録である。
特に興味深いのは、昭和30年代から40年代前半にかけ、東京裁判で裁かれたいわゆる「A級戦犯」や、外地で処刑された「BC級戦犯」らの合祀について、厚生省と靖国神社側が何度も協議を行い、慎重に合祀を決定していた事実である。
しかも、目立たないように、と双方の担当者が戦犯に対する当時の内外の世論にいじらしいほど気を使いながら協議していた様子がうかがえる。
識者の間には、国が神社の合祀に関与していたことは現行憲法の政教分離の原則に反するとの指摘もある。しかし、合祀の前提となる戦犯も含めて200万人にのぼる第二次大戦の戦没者を特定する作業は、戦後に旧陸海軍省の業務を引き継いだ厚生省の援護担当者の協力なしには不可能である。
判例では、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(昭和52年)以降、国家と宗教のかかわりを一定限度容認する緩やかな政教分離解釈が定着している。憲法が厚生省の合祀協力業務まで禁じているとはいえない。国のために戦死した国民の慰霊のもとになる合祀に国が協力したのは、当然のことだ。
公表された新資料によれば、戦犯合祀に関する厚生省と靖国神社の協議が始まったのは、昭和33年からだ。戦犯の赦免を願う当時の民意を受けた協議だったと思われる。
サンフランシスコ講和条約発効(27年4月)後、戦犯赦免運動が全国に広がり、署名は4000万人に達した。28年8月、衆院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。こうした国民世論を受け、政府は関係各国の同意を得たうえで、死刑を免れたA級戦犯とBC級戦犯を33年までに釈放した。こうした戦後の原風景を思い起こしたい。
新資料では、戦前・戦中の合祀基準や、終戦後、空襲などで亡くなった一般国民の合祀が検討されたことも明らかになった。
大原康男・国学院大教授が本紙で指摘しているように、「この時代の国民の心意に目配りして」新資料を読み解くべきである。
文部科学省が,沖縄戦での に,軍による強制性があったとはいえない,という見地からの高校教科書検定を行っている。
さっそく琉球新報は,「『事実打ち消せない』教科書自決強制削除」の記事を掲載し,体験者の証言を紹介した。
その一方で,産経新聞は,軍の強制は遺族年金を得るための「偽証」にもとづくものとして,その削除を当然としている。
研究の進展によって歴史評価の変更があることは,一般論としては当然だが,ここで文科省が従来の姿勢を変更する理由にあげているのは,①「岩波裁判」で強制を否定する証言が行われたことと,②「最近の学説」との2点だとされる。
では,文科省は,軍の強制性を語る多くの証言についてはどのような評価を与え,また「最近の学説」については誰のどのような研究を重視するというのだろう。
その具体的な説明がなければ,「慰安婦」問題でこれほどまでに史実のねじまげを行おうとする政府が,疑いのまなざしをもって見つめられるのは当然のことだと思えるのだが。
『軍の強制』削除 沖縄戦・高校教科書検定(東京新聞,3月31日)
文部科学省は三十日、二〇〇八年度から使う高校用教科書(主に二年生用)の検定結果を公表した。第二次世界大戦の沖縄戦であった について、「近年の状況を踏まえると、旧日本軍が強制したかどうかは明らかではない」として従来の姿勢を変更。旧日本軍の関与に言及した日本史の教科書には、修正を求める検定意見が付いた。一方で、学習指導要領の範囲を超えて教えることを認める「発展的内容」は、初めて認められた〇三年の検定時に比べ、理科を中心に増加した。
近現代史中心の日本史A、通史を扱う同Bの計十点のうち、八点が沖縄戦の に言及。「日本軍に『 』を強いられたり」「日本軍はくばった手りゅう弾で集団自害と殺し合いをさせ」などと記述した七点に、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」との意見を付けた。
いずれも、検定に合格し現在出版されている教科書と同じ記述だが、出版社側は「追いつめられて『 』した人や」「日本軍のくばった手りゅう弾で集団自害と殺しあいがおこった」などと、日本軍の強制に触れない形に修正し、合格した。
については、作家大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などで、「自決命令を出して多くの村民を させた」などと記述された。これについて、沖縄・座間味島の当時の日本軍守備隊長で元少佐の梅沢裕氏らが、記述は誤りで名誉を傷つけられたとして、出版元の岩波書店(東京)と大江氏を相手取り、出版差し止めと損害賠償などを求めて二〇〇五年に大阪地裁に提訴した。
同省は検定姿勢変更の理由を(1)梅沢氏が訴訟で「自決命令はない」と意見陳述した(2)最近の学説状況では、軍の命令の有無より に至った精神状態に着目して論じるものが多い-と説明。発行済みの教科書で、同様の記述をしている出版社に情報提供し、「訂正手続きが出る可能性もある」としている。
一方、「発展的内容」が全体ページ数に占める割合は、理科が4・3%(前回検定2・1%)、数学2・0%(同0・9%)と倍以上に。ただ、化学2で一番多かった教科書も9%で、分量の上限の目安とされる二割には達しなかった。
現在、学力低下批判を受けて学習指導要領の見直しが進行中。現在より教える内容が増えるとみられ、「指導要領範囲内の内容が増えれば、次の改定では『発展』の記述がなくなるかも」(出版社)との見方もある。
今回の検定に合格したのは二百二十二点。生物2の二点が不合格となった。日本史B、倫理、外国語ライティングを除き、全体的に平均ページ数は増えた。進学校向けには「発展」の記載を増やし、やさしい内容の教科書には、生徒の興味を持続させるため漫画を入れたり、丁寧な記述をしているためとみられる。
<メモ>発展的内容 教科書では学習指導要領の範囲を超える内容はマークなどを付けて本文と区別し、すべての児童生徒が一律に学ぶ必要がないことを明記する必要がある。2004年度に使用開始の高校用教科書から認められた。小中学校用は記述全体の1割以下、高校用は2割以下が目安。文部科学省は従来、指導要領の範囲を超える記述を認めなかったが、内容を大幅に削減した現行指導要領が学力低下につながるとの批判を受け、03年に指導要領を「最低基準」とし、発展的内容の記述を認めた。
【主張】沖縄戦 新検定方針を評価したい(産経新聞,3月31日)
来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。
の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。
しかし、渡嘉敷島の について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。
作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。
軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。
沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。
前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。
例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万~20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。
その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。
子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。(2007/03/31 05:03)
公明党の北川幹事長による下村発言への批判だが,内容は,歴史認識の誤りではなく,首相と違うことはいうなという限り。
もっとも北川氏は,一時は政府による「河野談話」再検討を容認したほどの人物である。まともな批判ができるはずがない。
この政党の歴史認識を,どこかでまとめて知ることはできるのだろう。
公明幹事長、慰安婦問題で下村副長官の発言に不快感(日経新聞,3月27日)
公明党の北側一雄幹事長は28日午前の記者会見で、下村博文官房副長官が従軍慰安婦問題への旧日本軍の直接的な関与はなかったと発言したことについて「官房副長官は自分の意見を言う立場ではない。発言は本当に慎重にしてもらいたい」と不快感を示した。
公務員制度改革を巡っては「定年制や官民交流促進などの論点について基本的な方向と工程をまとめる必要がある」と指摘。政府が今国会に提出する国家公務員法改正案とは別に、改革の全体像を示すべきとの考えを表明した。
国会図書館の靖国資料は,インドネシアの「慰安所・櫻クラブ」を経営し,オランダ軍による戦犯裁判で有罪となった人物の靖国合祀決定(67年)を示したという。
靖国神社に大量の「慰安所」利用(レイプ)者が,神として祀られていることは疑いようのないことだったが,いよいよ経営者までもということである。
この合祀決定もまた厚生省側が主導権をとってのこととなれば,これを放置したままでの政府の「謝罪」に真実の心がこもっていないことは明白である。
また戦死軍人・軍属を合祀する靖国に,この経営者の合祀が決まっていたということは,「慰安所」経営と軍・政府の一体性を政府自身が認めたものともいえるのだろう。
靖国神社 慰安所経営者も合祀 国会図書館資料初公表(県民福井新聞,3月29日)
日本占領下のインドネシアで慰安所を経営し、BC級戦犯として有罪判決を受けた後、獄死した男性について、厚生省(当時)と靖国神社が1967年に合祀(ごうし)を決めていたことが28日、明らかになった。国会図書館が同日公表した「新編 靖国神社問題資料集」に盛り込まれた靖国神社の内部資料に明記されていた。政府は、いわゆる従軍慰安婦について「おわびと反省の気持ち」を表明しているが、一方で慰安所経営者の合祀を進めていたことになる。
靖国神社が、占領下のアジアで慰安所を経営していた一般人の合祀を決定していたことが判明したのは初めて。
この内部資料は、67年5月9日に靖国神社洗心亭で開催された厚生省援護局と神社側の会議の様子を記録した資料「合祀事務連絡会議開催につき(報告)」。厚生省側から合祀事務の担当課長以下7人、神社側から担当の権宮司ら2人が出席、これまで合祀を保留していた対象者について合祀の可否を検討した。
資料によると、このうち「法務死亡者(一般邦人)」として、「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑10年受刑中病死、り崎ろ第233××号)」とされる人物が記載され、「合祀する」と判断されていた。
BC級戦犯裁判に詳しい研究者によると、この経営者は43年9月から45年9月までインドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で慰安所を経営していた実在の人物。現地の女性らに強制的に売春させたとして、オランダ軍による戦犯裁判で有罪判決を受けた。46年11月末から現地で服役し、翌月末に病死した。
財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」が1998年末にまとめた「『慰安婦』問題調査報告」は櫻クラブを「一般邦人向けの慰安所」としており、日本軍は慰安所の「設置や規則に関与していた」が「軍が組織として設置したり、将兵たちの使用目的のために設置されたわけではなかったようだ」と記述している。
◇
国立国会図書館が28日公表した「新編 靖国神社問題資料集」はA4判で約1200ページ。靖国神社の内部資料のほか、米オレゴン大が所蔵する連合国軍総司令部(GHQ)の調査担当者が収集した資料、中曽根康弘内閣当時の閣僚参拝に関する懇談会資料などがまとめられている。
4月をめどに一般にも閲覧可能とし、ホームページにも掲載する予定。
靖国問題をめぐる新資料が,国会図書館から提示された。
莫大な分量の資料であるから,今後,その検討がすすむに応じて,様々な問題が出てくることになるのだろう。
とりあえず,以下の記事が示す大問題は,戦犯合祀を主導したのが国側であった事実である。
侵略を反省しない靖国史観は,政府自身のものだということである。
国と靖国神社が一体で合祀進める 内部資料明らかに(朝日新聞,3月28日)
戦没者の靖国神社への合祀(ごうし)をめぐり、旧厚生省と靖国神社が打ち合わせを重ね、一体となって合祀の基準を決めていたことが28日、国立国会図書館刊行の「新編 靖国神社問題資料集」に収録された内部文書から明らかになった。BC級戦犯の合祀について、厚生省側から、目立たないように合祀してはどうかと提案する場面の記録もある。新憲法の政教分離の原則がありながらも、合祀が国主導で進められたことを示す資料といえる。
文書は、靖国神社が所蔵する「靖国神社合祀者資格審査方針綴(つづり)」の一部。国は独立回復後の56年から3カ年計画で、停滞していた合祀事務を積極的に進めていた。文書によると、58年4月9日に「合祀基準に関する打合会」が靖国神社の社務所内であり、旧厚生省引揚援護局の職員4人、神社側の5人、奉賛会の関係者6人が出席した。
BC級戦犯に触れ、厚生省の担当者が「個別審議して差し支えない程度で、しかも目立たないよう合祀に入れては如何(いかん)。研究してほしい」と提案、神社側は「総代会に相談してみる。そのうえでさらに打合会を開きたい」と応じている。
同年9月12日の「打合会」では、A級戦犯として処刑された東条英機元首相らも含む「戦争裁判刑死者調査表」が配られ、議論になった。
厚生省側は「まず外地刑死者(BC級戦犯)の合祀を目立たない範囲で了承してほしい」と要請。神社側は「新聞報道関係の取り扱い如何で国民的反響は重要な問題として考えなければならない」と応えている。
78年に合祀されるA級戦犯の名簿が旧厚生省から神社に送られたのは66年2月。新資料によると、69年1月31日に厚生省側と神社側がA級戦犯12人について「合祀可」と再確認し、「外部発表は避ける」とした。70年6月25日には「諸情勢を勘案、保留とする」と再確認している。
〈新資料集の刊行〉 小泉内閣時代に靖国参拝の論議が再燃したことなどを受け、国立国会図書館が06年1月に作業を開始。合祀者の資格審査に関する靖国神社所蔵文書や、中曽根内閣時代の「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の議事概要など、非公開だった資料を含め808点を収録。旧厚生省が合祀事務への協力を各都道府県に要請した文書や、連合国軍総司令部(GHQ)の靖国神社調査担当者が集めた文書、千鳥ケ淵戦没者墓苑建設の経緯に関する文書もある。A4判で約1200ページ。5月初旬をめどに同図書館のホームページでも公開する予定。
国会図書館公表 戦犯合祀旧厚生省が主導(東京新聞,3月29日)
靖国神社への戦犯合祀(ごうし)で、合祀事務を担当していた厚生省(当時)と神社側が頻繁に打ち合わせを行い、同省側から神社側に合祀を積極的に持ちかけるなど主導権を握る形で話が進められていたことが「新編 靖国神社問題資料集」に収録された靖国神社所蔵の合祀資格審査などの資料で二十八日分かった。
厚生省と靖国神社が戦後、緊密に連携しながら合祀事務を進めていたことを具体的に示す資料が明らかになったのは初めて。
戦没者の合祀は通常、旧陸海軍の名簿をもつ厚生省側が「祭神名票」と呼ばれる書類に氏名や所属などを記載して神社側に送付する。これを基に神社側で合祀基準に当てはまるかどうかを審査して行われていた。
資料集によると、一九五八年四月の打ち合わせで、厚生省側から「(BC級戦犯を)個別審議して差し支えない程度でしかも目立たないよう合祀に入れてはいかが。神社として研究してほしい」と持ちかけた。
同年九月の打ち合わせでは、東条英機元首相らA級戦犯を含む祭神名票について「名票作成は全部できているから、いつでも上申できるよう準備は完了。県を通じると目立つので考慮した」などと神社側に説明した。
神社側は翌五九年から、厚生省から届く祭神名票を基に「昭和殉難者」として、BC級戦犯の合祀を開始。六六年には、A級戦犯の祭神名票が届き、七〇年の神社の総代会で合祀の方針が決まったが、当時の筑波藤麿宮司が合祀時期について「宮司預かりにしてほしい」と要望。在職中に合祀することはなかった。
靖国神社の「合祀に関する検討資料」によると、六九年一月に開かれた厚生省との会合で、神社側はA級戦犯について「合祀可」との見解を記した文書を提示したが、「総代会の意向もあるので合祀決定とするが外部発表は避ける。合祀通知状は直接遺族に届けることとして、県を経由することはしない」と注記。しかし、翌年六月には「諸状勢を勘案保留とする」と後退している。
筑波氏の後、宮司に就任した松平永芳氏が七八年の秋季例大祭前に合祀に踏み切った。
安倍首相は,「慰安婦」は過去の問題,「拉致」は現在の問題と,両者を区別したいようだ。
だが,「慰安婦」被害者は現在も生きて,いまなお日本政府に愚弄と屈辱をなめさせられている。
そんなことすらわからぬか。
アメリカの顔色をうかがいながら自らの「信念」を出し入れしている安倍首相だが,いよいよ「強制性」があったことを軍が知っていれば「慰安所を閉鎖した」とまで語りはじめた。
歴史を空想しているヒマがあるなら,少しでも史実を研究しろ。
「拉致と慰安婦は別問題」 首相、米紙批判に反論(福井新聞,3月26日)
安倍晋三首相は26日夜、米紙ワシントン・ポストから拉致問題には熱心な一方で従軍慰安婦問題の責任を回避していると批判されたことに対し「全く別の問題だ。拉致問題は現在進行形の問題だ」と反論した。
首相は「いま従軍慰安婦の問題は、続いているわけではない。拉致問題は、まだ日本人が拉致されたままという状況が続いている」と述べ、拉致問題解決に尽力する必要性を強調した。国会内で記者団の質問に答えた。
一方、首相は同日の参院予算委員会で、慰安婦問題に関し河野洋平官房長官談話を継承していると繰り返した上で「慰安婦の方々がなめた辛酸に同情し、おわびしている」と述べた。
共産党の吉川春子氏が「日本政府として公式謝罪をしないのか」とただしたのに対しては「首相として、ここで(答弁などを通じて)おわびしている」と述べるにとどめた。
「慰安婦」 被害女性に謝罪を 吉川議員 首相に発言撤回迫る(しんぶん赤旗,3月27日)
日本共産党の吉川春子議員は二十六日の参院予算委員会で、「従軍慰安婦」問題で旧日本軍による強制を認めた一九九三年の河野洋平官房長官談話について、安倍晋三首相が「継承」を表明しながら、強制性を否定する発言を繰り返していることを批判。軍による強制の証拠を具体的にあげ、発言の撤回と被害女性への謝罪を迫りました。
吉川氏は、「河野談話の内容と『強制性はない』という安倍首相の発言は矛盾する。談話を受け継ぐなら発言は取り消すべきだ」と迫りました。
安倍首相は、具体的な答弁を避け、「河野談話を継承していく」と繰り返しました。
吉川氏は、米下院外交委員会でも、オランダ人の「慰安婦」被害女性が、日本軍の捕虜収容所から「慰安所」に連行された事実を証言していることを麻生太郎外相に確認。安倍首相に「これは強制性の証拠ではないか」とただしました。
安倍首相は、「このオランダ人女性も含めて官房長官談話は出されている。ちなみに軍がその事実を知ってただちに慰安所を閉鎖した」などと述べました。
吉川氏は、河野談話を閣議決定するとともに、「首相が被害者に直接会い、謝罪すべきだ」と迫りました。
慰安婦:安倍首相は謝罪、側近は否定 (朝鮮日報,3月27日)
日本の安倍晋三首相は26日、旧日本軍の「従軍慰安婦」の問題について、「内閣総理大臣として、今この場で謝罪する」と表明した。
安倍首相はこの日、参議院予算委員会で、慰安婦の募集における「強制性」を認めるのか否かについてただした共産党の吉川春子議員の質問に対し、「河野談話(1993年、当時の河野洋平官房長官が従軍慰安婦問題についての日本政府の責任を認め謝罪した日本政府の公式文書)に書かれている通りだ。苦難を味わった方々に深く同情し、当時そのような状況に置かれたことに対して謝罪する」と述べた。
安倍首相はまた、「河野談話で認めた従軍慰安婦募集への日本軍の関与や強制性を否定した総理ご自身の発言を取り消すということなのか」という質問に対しても、「そこまで含め、河野談話を継承していく」と述べた。またさらに、「他の閣僚が河野談話を否定する発言をした場合、どう対処するのか」という社民党の福島瑞穂党首の質問に対しても、「内閣として河野談話を継承していくので、そのような事態はあり得ない」と答弁した。
安倍首相のこの日の発言は、今月12日にNHKの番組に出演し、「小泉(純一郎)前首相や橋本(龍太郎)元首相も、過去に元慰安婦の人たちに謝罪の手紙を送ったことがある。その精神に変わりはない」と発言した時に比べて一歩前進したものといえる。
だが一方で、安倍首相の側近の一人である下村博文官房副長官は、この日開いた記者会見で「日本軍の関与はなかった」などと発言し、慰安婦の強制動員を改めて否定した。下村官房副長官は25日にもラジオ番組に出演し、「従軍看護婦や従軍記者はいたが、“従軍” 慰安婦はいなかった」「慰安婦がいたのは事実だが、わたしは一部の親が娘を売ったとみている。日本軍が関与したものではない」と主張した。東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員
「安倍首相の謝罪を評価」 慰安婦問題で米国務省(山陽新聞,3月27日)
【ワシントン26日共同】米国務省のケーシー副報道官は26日、安倍晋三首相が同日の参院予算委員会で、太平洋戦争中の従軍慰安婦問題に関し「おわび」を強調したことについて「謝罪がなされたことを評価する。一歩前進だ」と述べ、首相の答弁は有益との認識を示した。国務省で記者団に語った。
副報道官は一方で「これは非常に困難な問題だ。日本が罪の重大さを認識し、率直で責任ある態度で引き続き対処してほしい」と指摘、旧日本軍の関与を否定した下村博文官房副長官の発言などをけん制した。
慰安婦問題、踏み込まず=安倍首相の米紙への反論-米国務省(時事通信,3月27日)
【ワシントン26日時事】米国務省のケーシー副報道官は26日、従軍慰安婦問題と北朝鮮の拉致問題を関連付けた米紙報道に安倍晋三首相が「別問題」と反論したことについて、「詳細は承知していない」としながらも、「安倍首相は過去の日本当局者による発言を繰り返したのだと理解している」と述べ、詳しい論評には踏み込まなかった。
米国では慰安婦問題と拉致問題を絡ませて論じる空気が出てきており、この日の国務省の記者会見でも「拉致問題は6カ国協議の合意履行に悪影響を及ぼすのではないか」といった質問が外国メディアから出された。
今度は「慰安婦」被害は「親」のせいだといいたいらしい。
どこまで被害者を愚弄すれば気が済むのか,その人権感覚がまったくわからない。
そして,これだけ国際社会の批判をあびているなかで,平然とこのような発言を繰り返す外交感覚もわからない。
歴史への無知についてはいうまでもない。
とはいえ,どの論点を重視するにせよ,いま問われているのは,このような人間等を指導者にいただく政党に対する国民の審判。
国民の政治的教養のレベルである。
「慰安婦、日本軍は関与せず」・下村官房副長官(日経新聞,3月26日)
下村博文官房副長官は25日、ラジオ日本の番組で、戦時中の従軍慰安婦問題について「従軍看護婦とか従軍記者はいたが、『従軍慰安婦』はいなかった。ただ慰安婦がいたことは事実。親が娘を売ったということはあったと思う。だが日本軍が関与していたわけではない」と述べた。
「人権と民主主義の普遍的価値」をいいながら,元「慰安婦」の人権を否定しつづけることへの国際批判の高まりである。
イラク戦場での米軍等による性暴力に対する内外からの批判と,この最近のアメリカの動きはどうつながっているのだろう。
しかし,いずれにせよ日米軍事同盟と在日米軍基地の強化をすすめるアメリカ政府にあっても,もはや日本政府はかばうことはできなくなっている。
これは,案外,アメリカ自身の政治にとっても意味の大きな動きになっていくのかも知れない。
問われる日本政府の人権二重基準 拉致問題での立場を失う「慰安婦」問題(しんぶん赤旗,3月26日)
「安倍首相は、旧軍によって恐怖を強いられた多くの女性に、拉致被害者にたいするのと同じ同情を持てないでいる」―ロサンゼルス・タイムズ紙(三月十八日付)は、日本政府は拉致問題では「北朝鮮を非難する」が、「従軍慰安婦」問題では「強制を否定している」とのべ、拉致問題で日本政府の立場を支持する人たちを困惑させていると報じました。
日本政府は、日本人の人権侵害については声を大にするが、自国の行為による外国人の人権被害には無感覚で、これでは、人権問題での対応は二重基準(ダブルスタンダード)ではないかという批判が、世界に広がっています。日本政府が北朝鮮による日本人拉致問題を国際人権問題として国際社会に強くアピールし、その理解がひろがってきた矢先に、です。拉致問題は解決されなければならず、そのためにも、「慰安婦」問題をあいまいにしておくことはできません。
いま世界では、「従軍慰安婦」問題と拉致問題の二つは、関連(リンケージ)していると認識されるようになっています。
米紙ボストン・グローブ紙(三月八日付)の社説は、「日本の過去の誇りをよみがえらせようとする安倍(首相)の情熱は、国内政治では当初に効果を発揮したが、国外では悪いときに日本を孤立させることになった」と報道。安倍首相の発言を「日本を孤立に追い込むもの」と指摘し、拉致での北朝鮮の姿勢と「慰安婦」での日本の対応を同列に並べて論じました。
三月に日本を訪問し、日本と准同盟国の関係を確認したオーストラリアのハワード首相は、安倍首相との会談を前にして、「慰安婦」問題について「強制ではなかったなどというどのような意見も、私は完全に拒否するし、それは他の同盟国からも完全に拒否されている」(オーストラリアン紙十二日付)と言明しています。
日本政府の人権認識への深刻な提起
“日本は過去の侵略戦争を本当に反省しているのか”という批判は、これまで、直接の侵略と植民地支配を受けたアジア発でした。
しかし今回は、アメリカの議会とマスメディアが先頭をきって日本政府の対応を批判するというアメリカ発の様相をみせ、欧米諸国にひろがっています。アメリカ議会もマスメディアも、日本が自国の「同盟国」であることを意識して、対日批判にはたえず配慮がありました。この間の連続的な厳しい対日批判は、そうした「堤防」が決壊しつつあるといわれる状況です。
これまで歴代の内閣は、「慰安婦」問題を一九九三年の河野官房長官談話の立場で対応してきました。この談話は「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」こと、「慰安婦」の募集についても「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等がこれに加担した」ことを認めて、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」とし、「心からのお詫(わ)びと反省の気持ち」を表明したものです。
この談話が関係国から十分なものとみなされていなくても、安倍首相にはこの立場の継承を行動で示すことがアメリカのような「同盟国」からも求められていたのです。
しかし安倍首相は、「(河野談話について)当初定義されていた強制性を裏づける証拠がなかったのは事実だ」(三月一日、官邸での会見)とのべました。これは、河野談話を継承するといいながら、その立場を後退させているという批判となりました。加えて、「米下院で慰安婦問題の決議案が通っても謝罪しない」(三月五日、参院予算委員会答弁)と発言したことは、いっそう怒りをひろげたのです。
さらに、問題が深刻化しているさなかの十六日、「慰安婦」問題での質問主意書にたいする安倍首相名の答弁書は、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」としたのです。
ニューヨーク・タイムズ紙(十七日付)は、この答弁書をとりあげ、「日本が第二次大戦中の性奴隷への関与を再否定」と報じ、シーファー駐日米大使の「私は慰安婦の証言を信じる」「彼女たちは強制的に売春を強要されたのだと思う。つまり、日本軍にレイプされたということだ」との発言を引用して、安倍首相の立場を非難しました。
この答弁書は、河野談話の否定と受け止められ、国際世論への挑戦とみなされています。日本が植民地としていた地域で多くの女性が日本軍の「慰安婦」にされ、レイプされたという広範かつ継続的な人権侵犯は軍の強制なしにはありえないからです。
安倍政権は「人権と民主主義の普遍的な価値を追求する外交」をうたっていながら、「慰安婦」問題も拉致問題もともに同じ重大な人権侵犯問題であるにもかかわらず、日本人の人権問題にしか関心がないではないか、「慰安婦」問題にも同じように重視して対応しなければ、到底国際的な理解はえられない―という非難です。こうして、日本政府の人権認識は二重基準ではないかという深刻な疑問が提起されているのです。
この問題は日朝協議の今後にもかかわる
先月、北京での六カ国協議では、共同文書が採択され、北朝鮮の核兵器とその開発計画放棄にむけたロードマップ(行程表)実現のための具体的な措置とともに日朝協議をふくむ作業部会の設置が合意されました。日朝間の課題は、拉致、過去の清算を含む二国間の懸案解決および国交正常化です。
いま重大化している「慰安婦」問題は、北朝鮮との過去の清算と直結しています。北朝鮮には、かつて植民地支配のもとで多数の女性が「慰安婦」として戦場にかりだされた痛恨の歴史があります。日本政府が過去の清算をすすめ、拉致問題をふくめ協議を前進させるためには、日本の過去に真剣な態度で向き合うことが強く求められています。そうでなければ、拉致問題での国際的な理解は到底得られるものではありません。
拉致問題の解決には、国際社会の理解と支援が不可欠です。だからこそ、日本政府はアメリカ政府をはじめ国際社会に訴え、支援を求めてきました。
しかし、日本政府の人権認識での二重基準という批判のひろがりは、その理解と支援を後退させています。インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(三月二十二日付)は、安倍政権が「従軍慰安婦」問題での謝罪を拒否したことは、日本が売り込もうとしている「普遍的人権」重視外交を困難にし、それは「もろ刃の剣」となるだろうと論評しました。
拉致問題のよき理解者としてアメリカ政府を動かしてきたシーファー大使自身が、「河野談話からの後退と米国内で受け止められることは破壊的な影響がある」とのべました。「慰安婦」問題にたいする安倍首相の対応いかんで、拉致問題提起の道義的基盤を一撃で失ってしまうという警告でもあります。
人権問題は国際基準で対応を
安倍首相は十一日、NHKのインタビューで「河野談話を継承していく。当時、慰安婦の方々が負われた心の傷、大変な苦労をされた方々にたいして心からなるおわびを申し上げている」とのべました。
しかし、アメリカのメディアはこの発言をほとんどとりあげませんでした。そんな通り一遍のことで、問題発言を帳消しにしないという強いメッセージの表明です。発言すると誤解を招くし、非生産的になるので話さないという首相の対応は、まったく通用しません。
アメリカから安倍政権に求められているのは、下院決議案にあるように、首相の公式の謝罪、性の奴隷化などなかったという主張にたいする明確な公式の否定の言明などであり、この点は、メディアの要求も共通しています。
人権が差別なく享受されるべき普遍的なものであることは当然のことです。日本政府の人権認識はそれに反していると国際社会が根本的な異議申し立てをおこなっている現状は、深刻です。この議論をきちんと受けとめて、人権問題で独りよがりに陥らず、本当の意味で国際基準の対応が求められているのです。(檀 竜太)
米「慰安婦」の採決は,やはり安倍首相訪米後になるらしい。
共同提案者は59名に達しており,外交委員会の委員長自身がさらに募ると語っている。
米「慰安婦」決議案 共同提案100議員目指す 「過去の違法行為 償いを」 市民ら議会で行動(しんぶん赤旗,3月24日)
【ワシントン=鎌塚由美】米国で「従軍慰安婦」問題に取り組んできた市民ら約五十人は二十二日、現在議会に提出されている下院決議案一二一への共同提案議員を百人に増やそうと議会でロビー活動を行いました。決議案一二一は、「慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求めています。
行動したのは、二月に元「慰安婦」女性が米議会で証言した後に、結成された「121連合」。同決議案への支援を広めようと運動する同連合には、百近くの市民・人権団体が賛同しているといいます。
ロビー活動前の記者会見には、米CBSテレビの人気番組「サバイバー」に出演した韓国系米国人のユル・クウォン氏も参加。「慰安婦」問題での責任を日本政府が否定し続けるのであれば、「国際関係の完全なパートナーとして、多くの人々から完全に受け入れられることはない」と語りました。
シンクタンク「フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス」の共同理事を務めるジョン・フェファー氏は、日本政府は「慰安婦」問題への「特別な責任を負っている」と強調。軍事面で「普通の国」を目指す日本の動きに言及し、「日本の政府と国民には、別の意味での『普通の国』になることを考えてほしい」と呼び掛け。「普遍的な人権、歴史、過去の違法行為への償いへの『普通』のアプローチを」と訴えました。
同連合の集計では、共同提案議員に名を連ねたのは五十九人(二十二日現在)に上ります。同連合では、百人の共同提案議員を目指すとしています。
同決議案を提出したホンダ議員(民主)は同日、決議案への賛同者を広げる活動を歓迎。議会内で記者団に「時間がたつにつれ日本の国民も米国民も問題を理解し始めている」と語りました。
採決時期については「安倍首相が(「慰安婦」問題で)考えを述べる機会に敬意を表するために、訪米後の五月まで待ちたいと思う」と表明。「われわれの側には真実がある。真実は人々から理解されると確信している」と語りました。
下院外交委・アジア太平洋地球環境小委員会のファレオマバエガ委員長(民主)も、外交委員会に決議案を送るための審議を「当初の二十七日の予定」から、安倍首相の訪米後に先送りするとの意向を表明。時間をかけて「より多くの共同提案議員を募る」と語りました。
安倍氏の「狭義の強制性」発言で,訪米前の採択がささやかれた米下院の「慰安婦」決議だが,やはり訪米後になるらしい。
共同提案者はすでに49名に増加しているとのこと。
安倍氏の対応として予想されるのは「河野談話」を継承するという「公式」発言の繰り返しだが,説明責任が問われるのは,「狭義の強制性」発言がその公式見解に矛盾している事実である。
採決は首相訪米後の5月に 慰安婦決議案でホンダ議員(東京新聞,3月23日)
【ワシントン22日共同】第2次世界大戦時の従軍慰安婦をめぐり、謝罪要求決議案を提出した日系のマイケル・ホンダ下院議員(民主党)は22日、決議案採決の時期に関し、4月26日ごろに予定される安倍晋三首相訪米の後で、5月になるとの見通しを示した。下院内で一部の記者団に語った。
ホンダ氏は採決について「首相が来る後まで待ちたい。それは尊敬の念からだ」と説明するとともに、首相が自らの考え方について「主張する機会を提供したい」とも述べた。
一方で、旧日本軍による強制性を裏付ける具体的証拠はないとした安倍首相の発言などを念頭に、日本側の対応については、「できるだけ体面を保とうとしている」と批判。
この日下院内では、決議案を支援するグループの女性らが「レイプは『慰安』ではない」と書かれたTシャツを身に着け、議員事務所を回って決議案への支持を訴えた。
「慰安婦」問題への安倍政権の対応を論じた記事である。
基本的には,「慰安婦」加害の当否を正面から論ずることは避け,局面を「中国ロビイスト」の企みにやられたと描くもの。
しかし,安倍氏等による「河野談話」見直しにストップをかけた最大の理由は米下院の動きとしながら,アメリカ政府自身への批判はどこにもない。
他方で,政府による見直しストップには,国内の「保守」(右派)への配慮と,日米同盟維持への配慮もあったと安倍氏の判断を持ち上げる。
抑制すべき右派の怒りの題材にあげられるのは,占領軍による日本女性へのレイプと,原爆被害や東京大空襲などの問題である。
だが,原爆や各地への空襲など軍事施設以外への無差別殺戮がアメリカによる戦争犯罪であろうことは,左右の立場の区別なく追求されてしかるべきこと。
他方で,記事は,占領軍に対して時の日本政府が「特殊慰安施設協会」(RAA)を率先して提供したことに,なぜか沈黙を決め込んでいる。
日米軍事同盟優先と,性奴隷づくりに対する日本政府の責任から目をそらすことが,強い問題意識ということか。
【安倍政権6カ月 孤独と苦悩の日々】米決議案との狭間で(産経新聞,3月22日)
河野談話 強制性は党が再調査、政府は必要に応じて協力
3月8日夕刻。首相、安倍晋三の思想信条に共感し、かねて支え続けてきた自民党若手・中堅議員らに激震が走った。
安倍が慰安婦募集における官憲の関与を認めた平成5年の官房長官、河野洋平の談話(河野談話)について、記者団に「われわれは談話を基本的に継承していく立場だ。強制性については党が再調査するので政府は資料の提供など必要に応じて協力していく」と明言したからだ。
この2時間前、自民党有志の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(歴史教育議連)の会長、中山成彬らが首相官邸に安倍を訪ね、談話の根拠となる資料の政府による再調査を求めた。政府が再調査に踏み切れば、軍・官憲による強制連行を示す資料が存在しないことが改めて確認されることは確実とされており、談話見直しは必然とみられていた。
その際、安倍は中山らをねぎらい、再調査に前向きな意向を示した。ところが、政府ではなく「党で再調査」という中途半端な方針変更に議連メンバーは困惑した。政府は談話見直し論議の最前線から一歩身を引くという意味でもある。「ハシゴをはずされた」「誰が首相をそそのかしたのか」と憤りの声も上がった。
対立回避へ
歴史教育議連は、慰安婦に関する記述がすべての中学歴史教科書に掲載されるようになったことを受けて、安倍や政調会長の中川昭一らが9年、「自虐史観」の見直しを掲げて発足させた。談話見直しは安倍のレゾン・デートル(存在理由)と言っても過言ではないほどのテーマなのだ。
にもかかわらず、安倍は昨年10月3日の衆院本会議で河野談話踏襲を明言。同月5日の衆院予算委の答弁で、軍の直接関与を示す「狭義の強制性」を否定したとはいえ、大きな政治的妥協だった。当時の政治状況で談話見直しに踏み込めば、元自民党幹事長の加藤紘一ら反安倍派や野党の格好の餌食になったことは間違いないが、安倍には忸怩(じくじ)たる思いが残った。
それなのに、なぜ安倍は政府による再調査を思いとどまったのか。
そのもっとも大きな理由は、米下院の対日非難決議案の動向だった。
慰安婦問題を「20世紀最大の人身売買」と断罪するこの決議案はもともと米国でも大して注目されていなかった。
ところが、決議案に対する日本国内での反発に乗じる形で米メディアに火が付いた。ニューヨーク・タイムズは3月6日付の社説で「安倍晋三は『日本軍の性的奴隷』のどの部分に理解や謝罪ができないというのか」と激しく批判、他の有力紙も相次いで安倍の非難記事を大きく掲載した。
3月8日の時点では、安倍にも複数の外交ルートから「決議案可決は不可避」との見方が伝えられていた。ここで政府による再調査を表明すれば火に油をそそぎかねないというのが安倍のやむをえない最終判断だった。
4月中旬の中国の首相、温家宝の来日、下旬には自らの訪米を控えていたことも足かせとなった。だが、それ以上に安倍が恐れたのは、日本の保守勢力に潜在する反米感情に火が付くことだった。
決議案が可決されれば、日本の保守論陣から連合国軍総司令部(GHQ)占領下での米軍による婦女暴行事件を糾弾する声が上がることは必至だ。東京大空襲や広島・長崎への原爆投下の人道上の罪を問う声も上がるだろう。そうなれば、米共和党も黙っていまい。日米保守勢力の対立をほくそ笑むのは、誰であり、どこの国なのか-。
安倍は9日昼、首相官邸に自民党衆院2回生議員を招き、昼食会を開いた。提言をまとめた中山泰秀はこぼした。「みんな残念がっていますよ」。安倍は厳しい表情で「中川昭一さんとよく相談してほしい。私からも言っておく」とだけ語った。
反論できず
対日非難決議案は過去5回提出されているが、いずれも廃案になっている。しかし、「今回は少し動きが違う」と、いち早く察知したのは首相補佐官(教育担当)の山谷えり子だった。
山谷は昨年9月の補佐官就任直後、官房長官の塩崎恭久に「このまま放置したら大変なことになる」と進言したが、塩崎の動きは鈍かった。安倍が事態の深刻さに気付き、外務事務次官の谷内正太郎らに「事実関係に基づかない対日批判に対しては、一つ一つ徹底的に反論するように」と指示したのは昨年12月だった。
だが2月15日には米下院の小委員会が元慰安婦女性の公聴会に踏み切った。業を煮やした安倍は首相補佐官(広報担当)の世耕弘成を同月19日、米国に派遣した。
「決議案の裏には中国ロビイストがいる。狙いは日米の離反だ」
世耕は応対に出た米国務省の課長級職員に懸命に訴えた。世耕の勢いに押されて職員が呼びに行ったのは国務次官補のヒルだった。
「そういう背景があるとは知らなかった」
ヒルはそう話して頭を抱えるポーズをとった。しかし、人権に関するテーマだけに米国内保守派も日本を援護しにくい。時すでに遅しだった。
駐米大使の加藤良三は米議会に「日本政府は慰安婦問題に関し、責任を明確に認め、政府最高レベルで正式なおわびを表明した」と声明を出したが、大使館員が米政府や米国議会に詳しい事情説明や反論を試みた形跡はない。理由は河野談話だった。「政府が談話を継承する限り、反論しようがない」(政府高官)。談話は決議案の根拠となっているだけでなく、日本政府が反論できない理由にもなっていた。
自戒の念?
談話の主、河野洋平が衆院議長を務めていることも政府が見直しに踏み切れない要因となっている。3月3日の19年度予算案の衆院採決直前には「これ以上見直しの動きが加速すると、河野は衆院本会議開会のベルを鳴らさないのではないか」との情報が駆けめぐった。河野は15日には国会内で記者団に「談話は信念をもって発表した。あの通り受け止めてほしい」と述べ、談話見直しの動きに不快感をあらわにした。政府・自民党内にも「なぜわざわざ波風を立てるのか」と見直しに否定的な声は強い。
厳しい状況が続く中、安倍は18日、神奈川県横須賀市の防衛大学校卒業式に臨んだ。訓示で、元英国首相のチャーチルの回顧録の一節「慎重と自制を説く忠言がいかに致命的危険の主因となりえるか。安全と平穏の生活を求めて採用された中道はいかに災害の中心へ結びつくかをわれわれは知るだろう」を引用した。
その上で、安倍は「『危機』に臨んでは右と左を足して2で割るような結論は、状況に真に適合したものにはならない。情勢を的確に分析し、自らの信じるところに従って的確な決断をすることが必要だ」と話した。自戒の念を込めたとみるべきだろう。=敬称略(石橋文登)
過去にさかのぼれば,安倍氏の書き物や発言には問題が山ほどあるわけだが,今問われているのは,そのような人物を首相にすえているこの国の良識である。
問題とされた『歴史教科書への疑問』は,期せずして,新3年ゼミ生の春休みの宿題の1冊となっている。
こうした人物を総裁にすえる政党に対する批判がはっきりと現れることを,現在の選挙に強く期待したい。
慰安婦:安倍首相「韓国ではもともとキーセンハウスが盛ん」(朝鮮日報,3月21日)
与党ヨルリン・ウリ党の柳基洪(ユ・ギホン)議員は20日、「安倍晋三首相(写真)が10年前に慰安婦問題を韓国のキーセンハウス文化に例える妄言を吐いていた事実が確認された」と紹介した。
柳基洪議員はこの日報道資料を通じ、安倍首相が1997年当時、自民党保守右派議員らの集まり「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長を務めていた際に発言した内容を記録した本『歴史教科書への疑問』を東京で入手したと発表した。
柳基洪議員によれば、この本の313ページには97年4月、「河野談話」作成に関与した石原信雄元官房副長官の講演が終了した後で安倍首相が行った質疑の内容が紹介されている。安倍首相は当時、「実際には韓国にキーセンハウスが多く、そうした商売に多くの人々が日常的に従事していたため、(日本軍慰安婦の活動が)とんでもない行為ではなく、相当生活の中に溶け込んでいたのではないかとさえ思う」と発言していた。
また、安倍首相は「彼女らが強制的に連行されたというならば、家族らや周囲の人々も知っているはずだが、日韓基本条約締結の際、誰もまったく問題にしなかったのは非常に疑問だ。慰安婦だったと主張する人々の中にはウソをついている人々が相当多数いる」とも主張していた。
柳基洪議員は「安倍首相は歴史的事実を歪曲(わいきょく)することだけでも足りず、韓国社会全体をキーセンハウスうんぬんとしておとしめている。安倍首相の“河野談話を継承”などという発言は政治的ショーにすぎない」と強調した。 黄大振(ファン・デジン)記者
安倍首相が訪米を前に「慰安婦」問題での持論を封印しているとの記事である。
ことは,アメリカ議会の一時的な動きでなく,戦後の歴史と世界構造の変化に深くかかわる。
オール靖国的右派内閣が,いくら力んだところで,内外の世論は,もはやその放言をゆるさない。
それにしても,本当に目先のきかない首相である。
北川・麻生氏など,大臣たちも同じごまかしに入っているようである。
慰安婦問題、沈静化急ぐ首相 持論を封印おわび強調(北海道新聞,3月19日)
従軍慰安婦問題の旧日本軍関与を認めた一九九三年の河野洋平官房長官談話に関し、安倍晋三首相が被害者への「おわび」を強調するなど、発言を変えている。海外の反発を考慮し、「強制性」の解釈についての持論も封印。四月下旬の訪米を控え、日本政府に公式謝罪を求める米下院の決議案の審議を刺激しないよう、沈静化に躍起になっている。(小倉敦)
首相は従来、河野談話が意味する強制性に関し、不本意な応募など「広義」の強制性はあったが、官憲による強制連行という「狭義」の強制性はないと繰り返してきた。しかし、九日の国会答弁で「主張が正しく冷静に伝わってない」と述べて以来、こうした説明を避け続けている。
十一日のNHK番組では「慰安婦の方々は心の傷を負い、大変苦労された。(歴代首相が示した)心からおわびする気持ちはまったく変わらない」と強調した。
首相は昨年十月の国会答弁で、河野談話を踏襲する考えを示した。だが、今月一日に「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」と発言すると、韓国政府が「強い遺憾」を表明。さらに米下院の決議案について「決議があったからといって(新たに)謝罪することはない」とも述べたため、米国でも「日本は事実をゆがめることによって恥をかいている」(ニューヨーク・タイムズ紙)などの批判が相次いだ。
首相はこうした批判の高まりが、米下院の決議案採択を勢い付けると懸念して発言を転換。自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成彬会長)の慰安婦問題の再調査要請に対しても、政府による再調査は行わない考えを示した。
海外の批判は沈静化しつつあるが、政府が十六日に閣議決定した「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする答弁書に対しては韓国政府が再び反発しており、これが国際世論をまた刺激する可能性もある。
首相周辺は「少なくとも訪米前の決議案採決だけは阻止しなくてはならない」と危機感を募らせている。
シンガポール首相、慰安婦問題に「当惑を感じる」(朝日新聞,3月20日)
シンガポールのリー・シェンロン首相は19日、東京都内で太田公明党代表と会談し、旧日本軍の慰安婦問題について「最近の日本国内での議論には当惑を感じる」と述べ、「狭義の強制性」を否定した安倍首相の発言などに懸念を表明した。太田氏は「安倍首相も河野談話の継承を明言している」と説明した。
また同日夜には、カナダのマッケイ外相が麻生外相と6者協議などについて電話で話し合った際、慰安婦問題にも言及した。日本外務省によると、マッケイ氏は日本政府が強制性を否定しているとのカナダや米国での報道を念頭に、「種々の報道があるが改めて日本の立場を聞きたい」と質問。麻生氏は「首相が元慰安婦の方々への心からの同情とおわびの気持ちを表し、国会でもそう述べている。河野談話を継承する立場にも何ら変わりはない」と伝えた。
アメリカの法学者による安倍「慰安婦」発言への批判である。
安倍発言が「河野談話」からの実質的「後退」であるとの指摘はまったく正しい。
それにしても,6年前の裁判というのは,一体どういう裁判だったのか。
「慰安婦」問題 強制性否定は悪質 米法学者が安倍発言批判(しんぶん赤旗,3月15日)
【ワシントン=鎌塚由美】米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(十三日付)は、「従軍慰安婦」問題での安倍首相の発言を批判する米法学者の投稿を掲載しました。両教授は、六年前の米国内での慰安婦裁判の判決を引用し、安倍首相の主張は成り立たないと指摘しています。
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投稿は、ハーバード大学法学部のジェニー・スック教授と、ニューヨーク大学法学部の教授で米外交問題評議会の研究員でもあるノア・フェルドマン教授の連名によるもの。
「従軍慰安婦」問題で「強制性を裏付ける証拠はなかった」という安倍首相の発言は、「アジアの古傷を再び開いた」もので、日本軍の関与と強制を認めた河野官房長官(当時)談話から「実質的には、後退」したものであると述べました。
両教授は、安倍首相はいまだに「実際の拉致は日本軍ではなく民間業者が行ったとの立場を維持している」とし、「言語道断」だと述べています。
その理由として、六年前に米連邦地裁で争われた「慰安婦」問題の裁判で、被害者の女性から訴えられた日本政府が「商行為として行ったことを否定した」事実を挙げました。同地裁は女性たちが政府の計画にそって拉致されたとし、日本政府の行為は「商行為」というより「戦争犯罪に近い」と結論を下したと両教授は指摘。政府が「商業的事業」をした場合に訴えられるケース以外には訴追できないとする外国主権免責法の規定によって日本政府の責任が問われなかったことを紹介しました。
その上で、「日本兵による拉致は商行為ではないとの法廷の結論から利益を得ながら、日本政府が今、日本兵は誰も拉致していないと述べるのは、特に悪質だ」と強調しています。
両氏は、「政治と訴訟は同じものでない」とし、「政治と法廷論争が違うからこそ、日本政府は道義的にも責任を果たすべきだ」と指摘。「ナチの強制労働の被害者と違い、『慰安婦』は補償を受けていない」とのべています。
両教授はまた、日本の改憲問題に言及し、「日本がなりたいと思う国になろうと決意するのであれば、日本は何よりも自らの過去と向き合わなくてはならない」と指摘。
日本が過去六十年以上にわたり憲法で平和主義を義務付け、軍事活動を「自衛」のみに制限してきたとし、日本政府が「安全保障においてより積極的な役割を果たす」として憲法改定を検討するという「重大な決定をする」なら、「なぜそういう(平和主義という)条項があったのか、開かれた議論をしなくてはならない」と述べました。
米下院の「慰安婦」決議だが,共同提案者が着実にふえている。
その中には,08年大統領選に出馬表明をしている共和党のハンター氏もふくまれる。
この問題が安倍政権の命取りとなる可能性を指摘する声も強いが,さらに大きな問題は,それを靖国派主流の政治からの転換実現につなげられるかどうかである。
「主権者」としての責任と見識が問われている。
従軍慰安婦問題、米の対日決議案提案者42人に増える(読売新聞,3月13日)
【ワシントン=五十嵐文】旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に謝罪などを求める米下院の対日決議案の共同提案者が、当初の6人から42人に増えたことが明らかになった。
代表提出者のマイケル・ホンダ議員(民主党)の事務所によると、共同提案者はさらに増える見通しだという。決議案は3月末にも下院外交委員会か同委員会アジア太平洋・地球環境小委員会で投票にかけられる予定だが、決議案への支持が今後も広がれば採択される可能性が高いとみられる。
12日時点での共同提案者は、民主党32人、共和党10人。リベラル派が多数だが、2008年大統領選への出馬を表明している保守派のダンカン・ハンター前軍事委員長(共和党)も名を連ねている。
安倍首相が、官憲による強制連行など「狭義の強制性」を裏付ける証言はなかったと発言し、米メディアが取り上げられるようになった3月以降、新たに17人が加わった。
この数日の安倍首相による「狭義の強制」否定発言につづく,「慰安婦」問題関連の記事である。
基本的には,国内の「慰安婦」否定派が,政府,自民党,民主党から立ち上がり(公明党も政府による調査を肯定した),これが国際社会の批判によって孤立を深めていくという図式である。
政府内部にも,早く収束すべきだ,調査は学者がすべきとの意見がある(中川幹事長)一方,党の調査を応援する発言もある(麻生外務大臣)。
とりわけ強いアメリカの反発を前に,いつでも右往左往している安倍首相は,自ら大きな墓穴を掘り,今回も最後には声をひそめつつあるようである。
それにしても決議が通っても謝罪しないという安倍発言へのアメリカ下院の反発は強い。
おそらく,そこには下院のメンツの問題の他に,アジアでリーダーシップのとれる目下の同盟者を維持したいという,アメリカ支配層の対日戦略がはたらいている。
安倍「オール靖国」内閣の発足にもかかわらず,これを簡単に押し流してしまうほどに東アジアの経済成長にもとづく世界構造の変化は大きい。
そのことを理解している政府・自民党の有力議員は,きわめて少数のようである。
⑯ 従軍慰安婦問題 内外から批判『日米』懸念も(東京新聞,3月11日)
安倍晋三首相が、従軍慰安婦問題をめぐる国会答弁で苦しんでいる。首相は元慰安婦へのおわびを表明した「河野官房長官談話」を踏襲する一方、慰安婦募集で「狭義の強制」があったことは否定した。これに対し、野党やアジアだけでなく、米メディアからも批判が続出。政権の新たな火種になりかねない状況だ。 (篠ケ瀬祐司)
首相は五日の参院予算委員会で、慰安婦募集で業者による事実上の強制や、経済事情による不本意な応募という「広義の強制性」はあったが「官憲による強制連行という、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」と答弁した。
首相は河野談話継承を明言した昨年十月の臨時国会でも、同趣旨の答弁をしている。首相として外交上、河野談話の継承は不可欠だ。ただ、首相就任前に「河野談話が認めた『慰安婦募集での官憲の直接加担』は証明されなかった」と明言した立場もある。そこで首相は「狭義の強制」はなかったが「広義の強制」はあったとの理屈で、野党側の追及をかわそうとした。
五日も同様の説明をしたのだが、そもそも「広義・狭義」のニュアンスは海外に伝わりにくい。その上、首相が同日、米下院で審議中の慰安婦問題で日本政府の明確な謝罪を求める決議に関し「決議があったからといって(新たに)謝罪することはない」とも答弁したことで、波紋が一気に広がった。
中韓両国は「慰安婦問題は日本政府が認め、責任を負うべき歴史の事実だ」などと反発。米国でも「日本は事実をゆがめることによって恥をかいている」(ニューヨーク・タイムズ紙)などと、強制の有無についてよりも、首相の姿勢そのものを批判する論調が相次いでいる。
また、自民党内からも「米国が(安倍政権は)戦争責任を回避しようとする政権ではないかととらえ始めている」(加藤紘一・自民党元幹事長)と、日米関係の今後を懸念する声が出始めた。
首相は九日の参院予算委員会で従軍慰安婦問題での考え方を問われると「事実関係について話をしたが、必ずしも正しく冷静に伝わらない」と、「広義・狭義」論を封印したが、今後も追及されるのは必至。首相就任後初の訪米が四月に控えているだけに、事態沈静化のための追加説明が必要になりそうだ。
⑮ 慰安婦問題「心からおわび」=安倍首相(時事通信,3月11日)
安倍晋三首相は11日午前のNHK番組で、従軍慰安婦問題について「心の傷を負われ、大変な苦労をされた方々に心からおわび申し上げている」と述べた。
首相は「(同問題を謝罪した)河野洋平官房長官談話を継承していく。これは一貫した姿勢だ」と強調。「小泉純一郎前首相、橋本龍太郎元首相も元慰安婦に(おわびの)手紙を出しているが、その気持ちはわたしも全く変わらない」と語った。
⑭ 麻生外相、慰安婦問題「党の調査は問題ない」(日経新聞,3月11日)
麻生太郎外相は11日午前のフジテレビ番組で、政府、自民党内で従軍慰安婦に関する事実関係の再調査を求める動きが出ていることに関し「政府で調査するとは聞いてない」とした上で「現実をもう1回調査することは決して悪いことではない。党でやられるのはいいのではないか」と述べ、党の調査は問題ないとの認識を示した。
従軍慰安婦問題で米下院外交委員会の決議案が採択されても謝罪しないと安倍晋三首相が明言したことについて「今の段階で謝罪する必要が特にあるとは思わない」と指摘。同問題の日米関係への影響については「この問題があるから日米関係が危機に陥るかのごとく話は行き過ぎだ」と述べた。〔共同〕
⑬ 過敏な反応すべきでない 慰安婦決議で中川幹事長(山陽新聞,3月11日)
自民党の中川秀直幹事長は11日、テレビ朝日の番組で、従軍慰安婦問題をめぐり日本側に「明確な謝罪」を求めた米下院外交委員会の決議案に関し「提出した議員の選挙区事情があるようだ」と指摘した上で「国際的なゲームに利用される場合もある。日本は過敏な反応をしてはいけない」と述べ、冷静に対応すべきだとの認識を示した。
同時に、「おわびと反省」を表明した河野洋平官房長官談話の継承を安倍晋三首相が表明していることを挙げ「首相の発言に尽きる。誤解を解き、議論を収束していくべきだ」と強調。再調査を求める党内の動きには「専門家や歴史家が中心となって検証するのが正しい。政治問題、外交問題として語るべきではない」と指摘した。
⑫ 米「慰安婦」決議案 安倍発言で審議加速 下院小委員長 本紙に語る(しんぶん赤旗,3月9日)
【ワシントン=鎌塚由美】「従軍慰安婦」問題の米議会下院の決議案について、下院外交委アジア太平洋地球環境小委員会のファレオマバエガ委員長(民主党)は七日、決議案を外交委員会に送るための審議を「三月中に行いたい」と本紙インタビューのなかで語りました。同決議案は、アジア太平洋戦争時の日本軍による「従軍慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求めているもの。
に配慮の情勢「劇的に変わった」
ファレオマバエガ委員長は、四月末に予定される安倍首相の訪米に配慮して採決をその後に先送りする可能性を一部メディアに語っていましたが、「慰安婦」問題で強制性を否定する「安倍首相の重大な発言」で「情勢は劇的に変わった」と述べました。
同委員長は、安倍首相の発言は「大変矛盾のある、とても深刻な発言だ」とし、日本軍による関与と強制を認めた一九九三年の河野官房長官(当時)談話は、「根拠があったから出されたはずだ」と主張しました。日本政府のこれまでの態度については、「決して本当の謝罪ではなかった」とし、河野談話についても「敬意を表する」としながら、「公式な謝罪だとは考えていない」と語りました。
安倍首相の発言は、日本政府を擁護していた米議員の態度にも変化をもたらしています。元「慰安婦」の女性が証言した公聴会で、「日本政府は何度も謝罪してる」として同決議案に唯一反対を表明していたローラバッカー議員(共和党)のセットマイヤー報道担当者は七日、首相の発言は「九三年の河野談話とも矛盾し、受け入れられない」とし、同決議案が採決にかけられれば「支持する」と表明しました。
安倍発言によって、同決議案の共同提出議員の数も増加。発言直後に新たに十人が加わり、現在三十六人になっています。ファレオマバエガ委員長は、「今後、超党派でさらに増えるだろう」との見通しを示しています。
⑪ 過小評価は「誤り」 慰安婦問題で駐日米大使(北海道新聞,3月9日)
シーファー駐日米大使は9日、日本人記者団との会見で日本の政界の一部で従軍慰安婦問題を過小評価する傾向があることについて「誤りだ」と述べ、米国内で「ホットな問題」になっていることを強調した。
特に、日本に「謝罪」を求める下院外交委員会の決議案に反対していた親日のローラバッカー下院議員(共和党)のような保守派が賛成に回ったことを挙げた。安倍首相が、おわびと反省を明記した「河野洋平官房長官談話」の継承を強調していることは評価した。
同決議案は、下院外交委員会で審議中で、日本が採決回避に向け働き掛けを強化。安倍首相は、決議案が採択されても謝罪しないと明言している。
米国と北朝鮮が歩み寄った米朝作業部会とは対照的に、日朝国交正常化に関する作業部会が成果なく終了したことについては「驚かない」と述べ、今後の交渉を見守る姿勢を示した。
⑩ 米下院外交委、慰安婦決議案を月内採択…小委長見通し(読売新聞,3月9日)
【ワシントン=五十嵐文】いわゆる従軍慰安婦問題で、日本政府に謝罪などを求める米下院の対日決議案が3月末までに外交委員会で投票にかけられる見通しとなった。
同委員会アジア太平洋・地球環境小委員会のエニ・ファレオマバエガ小委員長(民主党)が読売新聞とのインタビューで明らかにした。
委員50人のうち36人がすでに賛意を示しており、採択される公算が大きいという。
決議案は、議会が2週間の休会に入る4月までに、小委員会での議決を経ずに委員会で採択される可能性が高い。その後は本会議での審議に移る。
インタビューで、小委員長はトム・ラントス外交委員長(民主党)と協議し、4月下旬から予定される安倍首相の訪米が終わるまで審議を中断する方向で調整していることも明らかにした。日本政府が決議案の修正や廃案を求めていることに関しては、修正に応じる考えを強調する一方、「日本の国会が正式な謝罪を出し、首相が承認しない限り、この問題はいつまでも続く」と述べた。一方、同小委員会の公聴会で唯一、決議案に反対する考えを公言していた共和党のダナ・ローラバッカー議員は7日、報道担当者を通じ、賛成に回る考えを表明。慰安婦問題をめぐる首相の発言を踏まえて考えを変えたという。
⑨ 米下院、慰安婦決議案への支持広がる=首相訪米時の「踏み絵」に(時事通信,3月10日)
【ワシントン10日時事】第二次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に謝罪を求める決議案を審議中の米下院で、同案支持の動きが広がっている。安倍晋三首相が「狭義の強制性」を否定したことなどを受け、当初6人だった決議案の共同提案者は10日までに40人を超えた。米メディアでも日本に厳しい論調が目立ち、首相訪米を控え、大きな火種となる可能性が出てきた。決議案の代表提出者のホンダ議員(民主)の事務所によると、9日時点で共同提案者は共和・民主両党の計42人で、さらに増える見通し。リベラル派議員が多いが、軍拡や移民規制強化の主張で知られる保守派のハンター前軍事委員長(共和)も名を連ねている。
⑧ 従軍慰安婦再調査、官邸内でも足並みに乱れ(日経新聞,3月9日)
自民党の有志議員による「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成彬会長)が従軍慰安婦問題の事実関係の再調査を政府に求めていた問題で、首相官邸内でも足並みがそろわない。
「下村博文副長官に聞いたら(政府が)必ず調査しますと言っていた」。中山会長は9日の会合で、前日に面会した下村副長官に、後に電話で確認したとする内容を披露した。
政府の調査を否定する安倍晋三首相は9日、記者団に、下村、中山両氏の会話について「下村さんに聞いてほしい。(政府は)資料を出す、ということが(中山氏に)正しく伝わらなかったのかも」と説明するなど困惑気味だ。一方の下村氏は「ノーコメント」。中山発言を明確に否定しないことで、政府の意思統一に疑問符がついた格好だ。
従軍慰安婦を巡る1993年の「河野洋平官房長官談話」見直しでは、首相と下村氏がかつて有志議員の会で活発に活動した経緯があり、会の主張を門前払いしにくい事情もある。
⑦ 安倍首相の慰安婦問題発言 米国で止まらぬ波紋(朝日新聞,3月9日)
米国内で、従軍慰安婦問題をめぐる波紋の広がりが止まらない。ニューヨーク・タイムズ紙など主要紙が相次いで日本政府を批判する社説や記事を掲載しているほか、震源地の米下院でも日本に謝罪を求める決議案に対して支持が広がっているという。こうした状況に米国の知日派の間では危機感が広がっており、安倍政権に何らかの対応を求める声が出ている。
◆広がる波紋
8日付のニューヨーク・タイムズ紙は、1面に「日本の性の奴隷問題、『否定』で古傷が開く」と見出しのついた記事を載せた。中面に続く長いもので、安倍首相の強制性を否定する発言が元従軍慰安婦の怒りを改めてかっている様子を伝えた。同紙は6日にも、安倍発言を批判し、日本の国会に「率直な謝罪と十分な公的補償」を表明するよう求める社説を掲げたばかりだ。
ロサンゼルス・タイムズ紙も6日に「日本はこの恥から逃げることはできない」と題する大学教授の論文を掲載し、翌7日付の社説では「この問題を修復する最も適任は天皇本人だ」と書いた。
今回の慰安婦問題浮上の直接のきっかけとなった米下院外交委員会の決議案をめぐっては、安倍首相が1日「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と発言したのを受けて支持が広がっている。
05年末までホワイトハウスでアジア問題を扱っていたグリーン前国家安全保障会議上級アジア部長は、「先週、何人かの下院議員に働きかけ決議案への反対を取り付けたが、(安倍発言の後)今週になったら全員が賛成に回ってしまった」と語る。米国務省も今週に入り、議員に対し日本の取り組みを説明するのをやめたという。
◆知日派にも危機感
6日に日本から戻ったばかりのキャンベル元国防次官補代理は、「米国内のジャパン・ウオッチャーや日本支持者は落胆するとともに困惑している」と語る。
「日本が(河野談話など)様々な声明を過去に出したことは評価するが、問題は中国や韓国など、日本に批判的な国々の間で、日本の取り組みに対する疑問が出ていることだ」と指摘。「このまま行けば、米国内での日本に対する支持は崩れる」と警告する。
現在日本に滞在中のグリーン氏も「強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心はない。問題は慰安婦たちが悲惨な目に遭ったということであり、永田町の政治家たちは、この基本的な事実を忘れている」と指摘した。
その結果、「日本から被害者に対する思いやりを込めた言葉が全く聞かれない」という問題が生じているという。日米関係にとってこの問題は、「牛肉輸入問題や沖縄の基地問題より危ない」と見ている。
グリーン氏は今後の日本が取るべき対応として(1)米下院で決議が採択されても反論しない(2)河野談話には手を付けない(3)何らかの形で、首相や外相らが被害者に対する理解や思いやりの気持ちを表明する、の3点を挙げた。
× ×
シーファー駐日米大使は9日、東京都内の大使公邸で朝日新聞などに対し、「決議案は拘束力のないものだが、この問題の米国での影響を過小評価するのは誤りだ」と述べた。さらに「米国には、河野談話からの後退を望む日本の友人はいない」とも語り、河野談話の見直しを模索する自民党内の動きを牽制(けんせい)した。
⑥ 「辛酸に心から同情」=慰安婦問題、反論控える-安倍首相(時事通信,3月9日)
安倍晋三首相は9日午後の参院予算委員会で、従軍慰安婦問題について「慰安婦の方々が極めて苦しい状況に置かれ、辛酸をなめられたことは心から同情し、既におわび申し上げている」との認識を表明した。同時に首相は、狭義の強制性を否定した自らの発言に海外から批判が相次いでいることについて「事実と違った形で伝わっていく現状では、非生産的な議論を拡散させる」と述べ、反論などを控える考えを明らかにした。若林秀樹氏(民主)への答弁。
⑤ 民主、慰安婦問題・南京事件検証する会を発足(産経新聞,3月9日)
民主党の有志議員らが9日、「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」(会長、渡辺周衆院議員)を発足させ、国会内で初会合を開いた。
同会は、慰安婦問題で謝罪と反省を表明した平成5年の河野官房長官談話について、明らかになっている物証や証言などを改めて検証したうえで、「公権力による強制連行の事実はなかった」との認識を盛り込んだ新たな見解を発表するよう政府に働きかけていく方針だ。
呼びかけ人は次の通り。(敬称略)
石関貴史、市村浩一郎、大江康弘、河村たかし、北神圭朗、小宮山泰子、芝博一、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、田村謙治、長島昭久、牧義夫、松下新平、松原仁、三谷光男、吉田泉、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周。
④ 慰安婦問題再調査へ 首相、「強制性」を検証(西日本新聞,3月8日)
安倍晋三首相は7日、戦時中に朝鮮半島などから動員された従軍慰安婦問題をめぐり、旧日本軍の関与を認めた「河野洋平官房長官談話」(1993年)の前提となる事実関係について再調査を実施する方向で検討に入った。歴史学者らでつくる有識者機関に再調査を委ねる案などが浮上している。複数の政府、与党関係者が明らかにした。
政府の前回調査から14年を経て「新たな資料、証言が出ている」(与党関係議員)ことから、慰安婦動員の「強制性」についてあらためて検証する必要があるとの判断に傾いた。首相は河野談話を継承する考えを明言しているが、再調査が談話見直しにつながる可能性は否定できないだけに、中国、韓国など近隣諸国の反発も予想される。
自民党の有志議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は再調査を求める提言を9日にも官邸に提出する方針で、「談話の見直し機運を高めていきたい」(関係議員)との考えだ。
首相としては旧軍の強制性に関する自らの発言をめぐり、各国に反発が広がったことから、再調査で「官憲が人さらいのように連れて行く『狭義の強制性』」を否定する裏付けを得たい狙いもあるとみられる。
政府は、河野談話が「今後も民間研究を含め十分に関心を払っていく」としていることを踏まえ、「談話と再調査は矛盾しない」との立場。公明党の北側一雄幹事長は7日の記者会見で「客観的、科学的にという前提で、(政府の再調査を)否定するつもりはない」との考えを示した。
首相は就任前に従軍慰安婦問題について「よく精査すべきだ」と再調査の必要性に言及。下村博文官房副長官も昨年10月に「事実関係をよく研究し、客観的、科学的知識を収集して考えるべきだ」と指摘していた。
③ 山崎氏、首相発言に「弁解がましい」 慰安婦問題で(産経新聞,3月8日)
自民党山崎派の山崎拓会長は8日の派閥総会で、安倍晋三首相が従軍慰安婦動員をめぐり「官憲が人さらいのように連れて行く『狭義の強制性』」を否定していることを念頭に、「弁解がましいことは一切しない方がいい」と批判した。
山崎氏は「(日本に謝罪を求める決議案採択に向けた)米下院の動きは決して愉快でないが、従軍慰安婦なるもの(の存在)は事実だ。それが強制によるか、間接的な強制かの議論は実は弁解にすぎない」と強調。「そういう議論をするより、われわれは(旧日本軍の関与を指摘した平成5年の)河野洋平官房長官談話を認めるべきだ」と述べた。
② 慰安婦実態の再調査表明/首相、政府・自民連携で(四国新聞,3月8日)
安倍晋三首相は8日、戦時中に朝鮮半島などから動員された従軍慰安婦問題をめぐり、旧日本軍の関与を認めた「河野洋平官房長官談話」(1993年)の前提となる事実関係について、政府、自民党で連携しながら再調査する考えを表明、関係資料を公開する意向も示した。 官邸で記者団に「自民党が調査していくので、政府として資料提供などで協力していく。資料が必要だと求められれば対応していく」と述べ、政府が関与する形での再調査方針を言明した。
河野談話については継承する考えを重ねて強調したが、再調査が「談話見直しの布石」と受け取られる可能性もあり、近隣諸国を含め内外に波紋を広げるのは必至。当面は党が中心となる調査に政府が協力する形を取ることで、中国、韓国などの反発をかわしたい意向もうかがえる。
① 慰安婦問題で再調査を/自民議連が提言(四国新聞,3月8日)
自民党有志の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は8日の会合で、従軍慰安婦問題に関する1993年の「河野洋平官房長官談話」の前提になった事実関係を政府として再調査するよう求める提言をまとめた。
従軍慰安婦問題をめぐり日本の「明確な謝罪」を求める米下院外交委員会決議案が採択されないよう政府が外交努力を続けることも促しており、近く首相官邸に申し入れる。
提言は、慰安婦の動員に際して「民間業者による本人の意思に反する強制連行はあっても、軍や政府による強制連行という事実はなかった」と指摘。「政府は根本的解決のため、再度の実態調査を行い、関連資料の結果を全面的に公開することを求める」とした。
当初は河野談話の見直しを求める方針だったが、首相が談話踏襲を明言していることから軌道修正した。
アメリカ下院での「慰安婦」決議案採決は,安倍氏の訪米後になるらしい。
安倍氏のメンツと日米同盟への配慮だろうが,
裏をかえせば,採決が安倍氏への打撃となる可能性が高いということでもある。
なお決議案の一部修正のためには,安倍氏は持論を述べない方が良さそうである。
しゃべればしゃべるほど,いままでの「謝罪」の不誠実さがあらわになるばかりだから。
その意味では,先日の産経の記事の懸念は正解であった。
慰安婦決議案、採決は首相訪米後 米下院小委員長(朝日新聞,3月6日)
第2次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に謝罪を求める決議案が審議されている米下院外交委アジア太平洋地球環境小委員会のファレオマバエンガ委員長(民主)は6日までに、4月下旬に予定される安倍晋三首相の初訪米に配慮し、決議案採決をその後に先送りする意向を表明した。時事通信の単独インタビューで語った。
同委員長は、小委員会で決議案の審議を慎重に続ける考えを表明するとともに、「より良い形になるよう議論することが民主主義だ」と述べ、日本政府が既に謝罪を表明しているとの指摘を踏まえて一部修正もあり得るとの認識を示した。採決のタイミングに関しては「米国を訪れる安倍首相に恥ずかしい思いをさせたくない」と述べ、外交摩擦回避のため訪米後への先送りを明言した。(時事)
2月下旬にアメリカ政府の説得にでかけた世耕氏が,河野談話の継承をあらためて語っている。
河野談話は「慰安婦」の「募集」について「甘言,強圧による等,本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」「官憲等が直接これに加担したこともあった」と述べている。
これを継承することと,「狭義の強制性」とやらを否定することとはどのように両立するのだろう。そこの説明はまったくない。これでは「反論」ではなく「いいわけ」だろう。
この点については,安倍首相もまったく同じ。
産経の記事は,「慰安婦」謝罪の全否定ととられる発言をすると,米下院内部の決議反対派を賛成派にまわしてしまうことになると懸念を表明する。
とりあえず決議を可決させないための「緻密な配慮」が優先されるとの立場である。
なお,この記事からは,米下院の決議反対派が,いずれも日米同盟重視を「慰安婦」問題解決に優先させる立場であることが良くわかる。
安倍氏は強制性の広義,狭義を区別したがるが,それを区別することで,この国の罪がどう軽くなるといいたいのだろう。
結局は,軍と政府には強制性をめぐる罪がないといいたいようだが,それこそ証拠は一体どこにあるのだろう。
首相は河野談話を継承/世耕氏、米韓警戒に反論(四国新聞,3月4日)
世耕弘成首相補佐官(広報担当)は4日のテレビ朝日番組で、従軍慰安婦の動員をめぐる旧日本軍の強制性に関する1日の安倍晋三首相の発言について「首相就任直後の国会答弁通り。強制性の定義は広義、狭義といろいろあるが、(従軍慰安婦におわびと反省の気持ちを表明した1993年の)河野官房長官談話を引き継ぐことは変わっていない」と強調した。
韓国や米国で首相発言を河野談話見直しの動きと警戒する見方が出ているため、それに反論した。政府関係者によると、首相官邸は韓国政府や米国メディアなどに首相の真意を説明する必要があるか検討している。
首相は河野談話継承を明言した昨年10月の衆院予算委員会で「狭義の強制性」を「家に乗り込んで強引に連れて行った」、「広義の強制性」を「行きたくないが、結果としてそうなった」と説明した上で「狭義の強制性については事実を裏付けるものは出てきていない」と答弁した。
米議会、慰安婦決議案 米メディア「安倍首相 全否定」報道(産経新聞,3月5日)
【ワシントン=古森義久】「慰安婦」問題で日本に謝罪を求める決議案が出ている米国議会で、最近の安倍晋三首相の言明の報道が、同決議案への反対派を混乱させるという屈折した現象が起きている。反対派は河野談話などを基に「日本がすでに非を認めて十分に謝罪した」という立場をとり、決議案推進派の動きを「日本の民主主義を無視している」と批判してきたが、安倍首相が慰安婦問題への日本の責任を全否定するかのように報じられたからだ。
反対派の議員が困惑
下院本会議に出された「慰安婦」非難決議案に対し、議会内に反対勢力が厳存することは日本側ではあまり伝えられていない。だが2月15日の下院外交委員会アジア太平洋小委員会が開いた公聴会でも共和党のデーナ・ローラバッカー議員は(1)日本の首相や閣僚は慰安婦問題について1993年以来、何度も謝罪してきた(2)現在の日本国民を二世代前の先人がした行為を理由に懲罰することは不当だ(3)世界のどの国も過去には罪を犯してきたが、米国を含めてそれほど謝罪はしていない(4)決議案はいまの日本が米国の同盟国として人道主義を推進し、世界的にも重要な民主主義の旗手であることを無視するに等しい-などと述べて、決議案への反対を明言した。
共和党のスティーブ・チャボット議員も「第二次大戦で苦痛を経た日本、韓国、フィリピンなどはみな今、米国の同盟国であり、戦後の困難な状況でも米国を支援してきた」と述べて、決議案を批判した。
公聴会では議員側の出席は議長を除いて冒頭でも4人だけで、そのうち発言した3人のうちの2人が決議案への反対や難色を表明したことになる。賛成論の発言は議長以外では決議案提出者の民主党マイク・ホンダ議員だけだった。
しかし、日本側の立場を結果として擁護する反対派の議員たちも2日、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストにより安倍首相の言明が「首相が性的奴隷への日本軍の役割を否定」とか「首相は女性が戦時の売春宿に強制徴用されたことを否定」という表現で報道されたことで、動揺を示した。
共和党のある議員補佐官は「わが議員も決議案に反対だが、もし日本当局の慰安婦へのかかわりや従来の謝罪がすべて否定されるとなると、賛成に回らざるをえない」と述べた。だが、現実には安倍首相は1日、記者団の質問に「当初、定義されていた強制性を裏づける証拠はなかった」と述べ、日本軍による女性の組織的な強制連行はなかったことを強調しただけだとされている。
日本側は今回、米国議会に対し「日本政府はいわゆる従軍慰安婦問題に関する責任を明確に認め、政府最高レベルで正式なおわびを表明してきた」(加藤良三駐米大使の声明)という見解を同公聴会の開催前に積極的に伝達してきた。この声明は、河野談話を踏まえた形になっており、米側とすれば、日本政府がすでに慰安婦問題への軍の関与を認め、そのうえですでに謝罪をしたという認識だといえる。
ところが首相の新たな言明が、河野談話や従来の責任自認、謝罪などの一切を否定するような印象で米紙で報じられるとなると、決議案反対の米側議員も反対の根拠を否定されたような受け止め方になる。この点でも日本側の対応には緻密(ちみつ)な配慮が求められることとなる。
河野談話の「基本的継承」首相改めて表明…参院予算委(読売新聞,3月5日)
2007年度予算案の参院での質疑が5日午前、予算委員会で始まった。
安倍首相は、いわゆる従軍慰安婦問題に関連し、元慰安婦への「おわびと反省」を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を、「基本的に継承していく」と改めて表明した。
その上で首相は、「狭義の意味での強制性を裏付ける証言はなかった。官憲が人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった。いわば『慰安婦狩り』のような強制連行的なものがあったということを証明する証言はない」と述べ、旧日本軍や官憲による強制連行を示す証拠はないとの見解を改めて示した。
また、「そのときの経済状況もあった。本人が進んでそういう道に進もうと思った方はおそらくいない。間に入った業者が事実上強制していたケースもあった。広義の解釈では強制性があった」と述べた。
慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める米下院の決議案に関しては、「決議があったからといって我々は謝罪することはない。決議案は客観的な事実に基づいていない。引き続き理解を得るための努力を行っている」と語った。
小川敏夫氏(民主)の質問に答えた。
安倍発言への厳しい批判が,アメリカメディアに噴出している。
政財界への翼賛大手マスコミの体たらくぶりは,ここにも明らか。
18人中15人が右派議連に属する安倍内閣だが,
その歴史・人権理解に対する国際社会の風当たりはキツイ。
昨年の経済同友会の2度の「提言」と,アメリカの動きが重なってくる。
「戦時の歴史を修正」 安倍首相「慰安婦」発言 米で波紋広がる(しんぶん赤旗,3月4日)
【ワシントン=鎌塚由美】安倍首相が旧日本軍の「慰安婦」問題で、「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」と述べたことについて、米各紙は二日、地方紙を含め「日本の首相が慰安婦を否定」などの見出しでいっせいに報じました。安倍首相を「歴史を修正する国粋主義者」だと断じた報道もみられます。
ニューヨーク・タイムズ紙は「安倍首相、戦時の性にかんする日本の記録を退ける」との見出しで、東京特派員電を掲載。安倍首相の今回の発言は「日本政府のこれまでの立場を否定する」もので、「政府が一九九三年の談話の破棄を用意している最も明確なもの」だと述べました。
さらに、米議会下院の動きも紹介し、日本政府に改めて謝罪を求める決議の議論が始まっていると伝えています。
ロサンゼルス・タイムズ紙も、東京特派員の記事を掲載。「国粋主義者の政治家たち」が旧日本軍の関与を認めた河野談話の撤回を政府に求め、安倍首相も彼らに「同意した」と伝えました。
同記事は、「従軍慰安婦」問題をめぐって、大部分の歴史家と日本政府自身の調査が、日本軍による関与と強制があったと結論付けていることを指摘。一方、国粋主義者の政治家や学者が「従軍慰安婦」を「職業的売春婦」と主張し続けていると述べました。
安倍首相について、ニューヨーク・タイムズ紙はその歴史観にふれ、「戦時の歴史を修正する活動を率いてきた国粋主義者」だと指摘。ロサンゼルス・タイムズ紙も「与党・自民党の保守派で、国粋主義的な政治を積極的に主張する若い政治家グループの出身」だとし、「東京裁判での(第二次大戦の)戦犯の有罪判決の有効性や『慰安婦』の奴隷化における日本軍の役割にかんする歴史の総意に疑問を呈してきた」過去も紹介しています。
「従軍慰安婦」問題で、米議会に日本政府に誠実な謝罪を求める決議案を提出したマイク・ホンダ議員の地元カリフォルニア州のサンノゼ・マーキュリー・ニューズ紙は、「日本が『慰安婦』を否定」と題して、ホンダ議員の言葉を引用。「日本の高官は公式な謝罪を決して行わず、この問題で長年あいまいな言葉をつかってきた」と伝えました。
ペンシルベニア州のフィラデルフィア・インクアイアラー紙は、東京発の通信社電で、「中国でレイプした女性たちの絶えることのない悲鳴をいまだに忘れない」という「慰安婦」問題で証言を続ける元日本軍兵士の金子安次氏(87)の一文で始まる記事を掲載。自責の念を込めた同氏の言葉を引用し、安倍首相の「慰安婦」否定発言と対比させています。同記事は、テキサス州のフォート・ワース・スター・テレグラム紙にも掲載されました。
旅行で情報がとんでしまった。
以下は,3月3日の「高松」での講演の参考にまとめていったもの。
①安倍首相は06年秋の国会で,政府としての「河野談話」の継承を確認した。
②しかし,この3月1日に「強制性を裏付ける証拠がなかった」と発言。
③直接のきっかけは「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」からの要請。
④その背後にあるのは,米下院での「慰安婦」決議の動きへの危機感。
⑤日本政府はアメリカ政府と議会へのはたらきかけを繰り返している。
ロビイストとしてのトーマス・ウォーリー氏の雇用,
「ホーガン&ハートソン」事務所との契約,
首相補佐官・世耕弘成氏の2月19日から22日までの対米派遣など。
⑥安倍氏側近たちも同様の姿勢。
下村官房副長官「可決されないよう働きかけをしていく」(2月28日)。
塩崎官房長官「政府と大使館などを通じて米国議会に抗議している」(3月1日)。
⑦しかし,安倍発言へのワシントン・ポストの反論は良くできている。
92年発見の資料と「矛盾」している,
「過去の政府の謝罪に疑問を呈するもの」,
「韓国や中国をいら立たせることは確実」。
⑧ネグロポンテ米国務副長官も,今のところ中立的な立場を語っている。
「日本と関係国とのあいだでの解決を望む」。
「東アジア地域は重要な問題に直面しており,その前進を阻んではならない」。
⑨その背景に,世界構造の変化に対するアメリカの新たな戦略がある。
⑩日本政府の見通しは貧弱で,早くも右往左往の発言がでている。
塩崎官房長官「河野談話を受け継いでいくのが政府の立場」
政府筋,戦地に「迷惑をかけないため」。
以上,全体として安倍首相をふくむ「慰安婦」問題否定派の孤立はすすむ過程にある。
もちろん内外の取り組みは必要だが。
従軍慰安婦問題に対する日本政府の謝罪と反省を示した平成5年の河野官房長官談話に関連して、政府筋は、記者団に対し「戦場になっている地域に迷惑をかけないために従軍慰安婦を連れて行ったという視点からもみてもらえないかと思う」と述べました。 (3月3日 1時6分)
健全な関係構築に役立たず=安倍首相の従軍慰安婦発言-韓国外相(中日新聞,3月2日)
【ワシントン2日時事】訪米中の韓国の宋旻淳外交通商相は2日、安倍晋三首相が第二次大戦中の従軍慰安婦問題で「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」と述べたことについて、「より健全かつ未来志向的な韓国と日本の関係構築を目指して共同努力を行っていく上で、有益でない」と批判した。ワシントン市内で講演後、質問に答えた。韓国閣僚が安倍首相の発言に関して論評したのは初めて。
合意順守なければ進展なし 北朝鮮制裁解除で米副長官(東京新聞,3月2日)
来日中のネグロポンテ米国務副長官は2日、都内の米国大使館で記者会見し、米政府が北朝鮮に対する制裁やテロ支援国家指定を解除する可能性について「われわれはすぐに動くとは言っていない。北朝鮮が先の6カ国協議合意を順守しなければ大幅な進展は望めない」と述べ、北朝鮮側の一層の譲歩が必要との認識を表明した。
副長官は北朝鮮が否定している高濃縮ウランによる核開発計画について「北朝鮮が過去に持っていたことは確信しているが、それを継続しているかどうかについては、それより弱い確信しか持てない」と述べた。
日本人拉致問題については「日本の懸念には十分留意している。北朝鮮は日本の要求を聞かなければならない」と言明、日本政府と足並みをそろえる姿勢を強調した。
米下院に提出されている太平洋戦争中の従軍慰安婦問題に関する決議案については「日本と関係国との間での解決を望む。東アジア地域は重要な問題に直面しており、その前進を阻んではならない」と、中立の立場を貫く考えを示した。(共同)
日本の謝罪要求-米の従軍慰安婦決議案 可決阻止へ政府躍起(北海道新聞,3月2日)
米下院が審議中の、従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議案をめぐり、政府・自民党内で可決阻止に向けた活動が活発化している。一部議員は、決議案の根拠とされる河野洋平官房長官談話の修正を近く政府に申し入れるが、就任前は河野談話に否定的だった安倍晋三首相の本音を代弁したいとの思惑も透けて見える。(東京政経部 小倉敦)
決議案は、従軍慰安婦問題で日本政府に明確な形で歴史的責任を認めるよう求め、首相の公式な謝罪を要求。慰安婦問題を「日本政府による強制的売春」「二十世紀最大の人身売買」と非難している。
これに対して下村博文官房副長官は二月二十八日のCS番組収録で「デタラメな内容で、政府としても可決されないよう働きかけをしていく」と表明。世耕弘成首相補佐官は二月下旬に訪米し、政府関係者らに決議案の問題点を訴えた。
同様の決議案は過去にも提出されたが、今回はこれまでより可決の可能性が高いとされ、政府の危機感も強まっている。このため政府の対応には、決議で対日批判が強まり、四月下旬に予定されている首相訪米への影響を避ける狙いもある。
一方、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は、決議案を「河野談話のあいまいさが誤解を招いた結果」として、首相官邸に談話の修正を求める方針。
一日の同会の慰安婦問題小委員会では最終的な結論には至らなかったが、これは会合で「修正ではなく撤回させるべきだ」「あいまいな修正ではダメだ」との強硬論が噴出したのが原因。中山会長は会合後「短期的には河野談話が誤解を招かないよう官邸に求め、長期的には史実に基づいた調査を求める」と述べた。同会は来週中に官邸に申し入れるほか、近く米国にメンバーを派遣し下院関係者を説得する考え。
首相は昨年十月の国会答弁で、河野談話の踏襲を表明している。ただ一日夜の記者団の質問には、踏襲には言及せず「かつての定義である(連行の)強制性を裏付けるものはなかったのは事実だ」と軍の直接関与が立証できていない点を強調、議連への配慮をみせた。
こうした首相の姿勢を議連側は「首相は自由に議論してほしいと言っている」(森派若手)と歓迎するが、政府内には「向こうは一生懸命、対日非難の火をつけようとしている。騒げば向こうの思うつぼだ」(外務省幹部)と、過熱する自民党内タカ派勢力への懸念も出ている。
慰安婦:世耕補佐官、「決議案」採択阻止に向け訪米 (朝鮮日報,3月2日)
日本政府は米国下院で審議中の従軍慰安婦問題をめぐる対日非難決議案の採択を阻止するために、総力戦を繰り広げている、と産経新聞が1日付で報じた。
日本政府は世耕弘成首相補佐官を先月19日から22日まで米国に急きょ派遣し、現地の学者や報道人などを対象に「決議案が可決される場合、4月末に予定されている安倍晋三首相の訪米に大きな影響が出かねない」との意向を伝えるなど、全面的なロビー活動に乗り出した、と同紙は伝えた。
これについて、塩崎恭久官房長官は同日、「歴史的事実に基づいていない部分がかなりあるため、政府としては大使館などを通じて米国議会に抗議している」と話した。
一方、自民党内の右派運動団体「日本の未来と歴史教育を考える議員の会」は1日、日本政府に対し、従軍慰安婦の強制連行問題などに対する調査を要求することにした。
東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員
慰安婦問題で摩擦を懸念=「強制の証拠ない」の安倍発言-米紙(時事通信,3月2日)
【ワシントン2日時事】2日付の米紙ワシントン・ポストは、安倍晋三首相が第2次世界大戦中の従軍慰安婦問題で「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と発言したことについて東京発の通信社電を大きく掲載、「アジアの近隣国との緊張緩和を危うくしている」と強い懸念を示した。
記事は首相発言に関し、旧日本軍が慰安婦の徴用で直接的役割を果たしたとする1992年発見の史料と「矛盾する」と指摘。また、「過去の政府の謝罪に疑問を呈するものだ」とし、「戦時中の残虐行為への十分な償いをしていないと主張している韓国や中国をいら立たせることは確実だ」と論評している。
従軍慰安婦「強制の証拠ない」=河野談話の見直し否定せず-安倍首相(時事通信,3月1日)
安倍晋三首相は1日夜、従軍慰安婦問題を謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話について「当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」と述べ、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示した。また、談話見直しの必要性に関しては「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と語り、否定しなかった。首相官邸で記者団の質問に答えた。
ただ、この発言について首相周辺は「国会で答弁した通りのことを言っただけで、これまでの政府方針と何も変わっていない」と指摘、同談話の見直しを表明したものではないと強調。塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「談話を受け継いでいくのが政府の立場だ」と語った。
軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求(読売,3月1日)
いわゆる従軍慰安婦問題に関する1993年の河野洋平官房長官談話の見直しを求める自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長=中山成彬・元文部科学相)の提言案が28日、判明した。
政府に対し、「本人の意思に反する業者の強制連行はあったかもしれないが、軍や官憲による強制連行はなかった」との見解の表明を求めている。1日に正式決定し、首相官邸に申し入れる。
元慰安婦への「お詫(わ)びと反省」を表明した河野談話は、旧日本軍や官憲の強制連行を認めたような記述となっている。提言案は「根拠は元慰安婦からの聞き取り調査だけで、証拠資料は見つかっていない」と指摘している。
また、「従軍慰安婦」の呼称から「従軍」の削除を提唱。安倍首相が河野談話の「継承」を表明したため、談話の抜本的な書き換え要求は見送った。
慰安婦問題を巡り、米下院に提出された対日非難決議案に関連し、「河野談話は日本のイメージを失墜させ、事実誤認や悪意に満ちた日本批判を招いている」として、日本政府の反論も訴えている。
アメリカ下院での「慰安婦」公聴会の詳報である。
加藤駐米大使は,日本がすでに公式謝罪を繰り返していると述べており,ローラバッカー議員も同じことをいっている。
日本政府がロビイングのための契約をした「ホーガン&ハートソン」事務所も,同じ立場から,議会内でロビー活動をしている。
他方,オランダ人被害者オハーン氏は,95年のアジア基金を問題を「私的補償」にすりかえる「侮辱」と語り,
日本の戦後補償についての専門家であるコトラー氏も,日本がこの問題で公的謝罪をしたことは「一度もない」としている。
もちろん議案の提案者であるホンダ議員らも同様である。
日本国内の議論がそのままアメリカに持ち込まれたという感じだが,問題は,双方の意見を聞いた多くの議員の判断である。
日本国内で正当な解決ができないことをまったく情けなく思いながらも,アメリカ議会には心から期待を寄せたい。
米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国・オランダ人女性3人が証言(中央日報,2月16日)
水を打ったように静かだった。 涙を浮かべる米国人もいた。 15日午後、米ワシントンの下院レイバーンビル2172号室。 下院外務委員会アジア太平洋・環境小委が米議会史上初めて開いた‘慰安婦聴聞会’では、李容洙(イ・ヨンス、79)さん、金君子(キム・クンジャ、81)さん、ジャン・ラフ・オハーンさん(85、オランダ)の3人が、日本軍の慰安婦として連行されて受けた侮辱を生々しく証言した。 200席余をぎっしり埋めた傍聴客は3時間以上続いた証言を粛然とした雰囲気の中で傾聴した。
◇「犬や豚以下の生活」=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。 日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。 李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。
続いて、16歳だった42年に中国に連行された金君子さんが証言した。 金さんは「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」とし、「日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」と語った。 続いて「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった」と述べた。 金さんは「45年8月の終戦で日本人が‘出て行け’と言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った」と悲惨な帰郷過程を伝えた。 金さんは「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」と涙声で話した。
◇「日本将校が刃物で脅して強姦」=西洋人慰安婦として証言し関心を集めたオハーンさんは「日本軍は私の青春を無惨に踏みにじり、すべてのものを奪っていった」と怒りを表した。 オランダ植民支配下のインドネシアで生まれたオハーンさんは19歳だった42年、日本軍がインドネシアを占領した後、収容所に入れられた。 オハーンさんは「その日の夜、日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。 彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。 その夜は何度強姦されたか分からない」と身震いしながら話した。 オハーンさんは「一緒に連行なれたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」と語った。 また「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」と主張した。 続いて「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。 オハーンさんは「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」とし、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けると誓った。
◇米国議員間で意見の差=慰安婦決議案を主導したマイケル・ホンダ下院議員(民主、カリフォルニア)は聴聞会で証人を自ら要望、「今われわれが行動に出なければ、日本政府の謝罪を引き出す歴史的な機会を失ってしまう」とし決議案の採択を促した。 しかしローラバシャー下院議員(共和)は「日本はすでに何度も謝罪している。そういう文書を受けている」とし「前の世代の過ちで日本の現世代が処罰を受けてはならない」と主張した。 聴聞会を進行したファレオマバエガ・アジア太平洋小委委員長(民主、サモア)も「生涯英語を使い続けてきたが、今日の証言を聴くと、その悲痛さをいかなる単語で表現すればいいのか分からない」とし、慰安婦の痛みを理解するという立場を見せた。
◇聴聞会の意味・展望=この日の聴聞会は、ホンダ氏ら民主党議員5人とクリストファー・スミス氏ら共和党議員2人が先月31日、日本軍の慰安婦動員を非難して日本首相の公式謝罪を促す決議案(H.Res121)を提出したことを受けて開かれた。 議会消息筋は「この日の聴聞会で日本軍の蛮行実態が暴露され、日本政府の謝罪、釈明が偽りであることが明らかになったため、今後、決議案採択に前向きに作用するだろう」と述べた。 ホンダ議員は3月末までの決議案採択を目標にしている。 加藤良三駐米日本大使はこの日、アシア太平洋小委に書簡を送り、「日本はすでに慰安婦問題の責任を認め、韓国やフィリピン、台湾、インドネシアなど慰安婦被害者に補償もした」とし、決議案採択を阻止する意向を明確にした。 ワシントン=姜賛昊(カン・チャンホ)特派員
日本政府は既に謝罪と反論 駐米大使、下院小委に書簡(USFL.COM,2月16日)
加藤良三駐米大使は15日までに、下院外交委員会側に書簡を送り、下院の与野党議員が太平洋戦争中の従軍慰安婦問題をめぐって日本側に「謝罪」を求めた決議案について、「日本政府は既に公式に繰り返し謝罪している」と反論した。
書簡は13日付で、同委員会の「アジア・太平洋・地球環境小委員会」のファレオマバエンガ委員長あて。15日に元慰安婦らを証人とした公聴会が開かれたのに合わせ大使館側が公表した。
その中では、村山富市首相(当時)の1994年の談話をはじめ、政府としておわびを表明してきたほか、アジア女性基金を設立し償い事業を行ってきたと主張。日米関係の重要性に照らし、配慮を要請している。
また、橋本龍太郎元首相から歴代首相が元慰安婦におわびの手紙を出しているとし、小泉純一郎前首相の手紙の写しを添付。安倍晋三首相も昨年10月の衆院本会議で、慰安婦問題について謝罪した93年の河野洋平官房長官談話を踏襲する考えを示したと紹介した。
さらに過去を反省する戦後50年と60年の国会決議にも言及。添付の資料で、慰安婦問題は大半の高校教科書にも記載されていると説明した。(共同)
元「慰安婦」が初証言/米下院委 日本政府の謝罪求める(しんぶん赤旗,2月17日)
【ワシントン=鎌塚由美】アジア太平洋戦争時に旧日本軍によって性奴隷にされた元「従軍慰安婦」が十五日、米議会公聴会で初めて証言しました。「慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求める決議案が今議会に提出されていることに伴う公聴会です。
下院外交委員会のアジア・太平洋・地球環境小委員会で証言したのは、元「慰安婦」の韓国人の李容洙さん(79)と金君子さん(81)、オランダ出身でオーストラリア人のジャン・ルフ・オハーンさん(84)。兵士に次々とレイプされた体験を語りました。
金さんは、日本政府に「謝罪しないなら、私の青春を返せ」と訴え。オハーンさんは、日本政府が償い金として民間の「アジア女性基金」を設立したことについて「侮辱だ」と批判、「行動の伴う謝罪」を求めました。
デナ・ローラバッカー議員(共和党)は、「日本政府はこれまで何度も謝罪してきた」と述べ、決議は必要ないと表明しました。
これに対し、決議案を提出したマイク・ホンダ議員(民主党)は、「『慰安婦』の悲劇の責任を受け入れることこそ、日本のような大国がすべきだ」「わが政府も(過去に)間違いを犯したが、英知でその誤りを認める厳しい選択をした」と発言。政府による補償こそ謝罪だと指摘しました。
日本の戦後補償問題の専門家である「アジア・ポリシー・ポイント」のミンディ・コトラー理事長は、「慰安婦」に対し日本政府が公式に謝罪したことは「一度もない」と強調。首相の「謝罪」は「アジア女性基金」を受け取った女性にのみ送付しているだけで、日本政府を代表するものではないと指摘しました。
日本政府は、今議会でも「慰安婦」決議案を阻止する構えを強めています。加藤駐米大使は、日本はすでに謝罪しているとする書簡を同小委員長に送っています。
日本政府と契約する有力ロビー事務所「ホーガン&ハートソン」は、日本政府は「何度も謝罪している」とする資料を議会で配布し、「日米関係に悪影響を及ぼす」とロビー活動をしています。
アメリカの下院外交委員会で,3人の元「慰安婦」を承認としての公聴会がはじまった。
これを開催した小委員会の委員長は,
決議案への支持を表明し,
さらに,謝罪の方法として「強制収容補償法」を個人として提起しているという。
国家補償が日本の「謝罪」 米公聴会で元慰安婦初証言(中国新聞,2月16日)
「【ワシントン16日共同】米下院外交委員会の「アジア太平洋・地球環境小委員会」は十五日、太平洋戦争中の従軍慰安婦問題で日本政府に「明確な謝罪」を求めた超党派決議案をめぐり、三人の元慰安婦を証人に招いて公聴会を開いた。元慰安婦たちは「行動の伴った日本政府の謝罪」が不可欠として国家補償の必要性を主張、決議案の早期可決を求めた。
同様の決議案提出は五回目だが、公聴会開催は初。元慰安婦の証言も米議会史上初となった。
ファレオマバエンガ委員長(民主党)は公聴会後、決議案支持を表明、本会議採決を目指した今後の手続きを進める方針を示した。三月にも委員会レベルで可決される公算が大きく、安倍晋三首相が今春の初訪米を調整する中、歴史問題が日米関係に微妙な影響を与えそうだ。
委員長は共同通信に対し、「謝罪」の方法に関して、第二次大戦中に強制収容された日系米国人を対象にした「強制収容補償法」がモデルになるとの見解を示した。
公聴会で、ジャワ島入植者のオランダ人家庭で育ったオーストラリア人のジャン・オハーンさん(84)は、十九歳の時に旧日本軍の将校によって収容所から売春宿に送られたと証言。慰安婦問題を「忘れ去られたホロコースト」と表現、ユダヤ人大量虐殺に匹敵する犯罪行為と非難した。民間募金に依存した「アジア女性基金」に関しては「(公的資金ではなく)意味がない」と語った。
韓国人元慰安婦の金君子さん(81)は「多い日には四十人に強姦(ごうかん)された」と述べ、妊娠し中絶を強いられたとし「青春を返してほしい」と訴えた。
決議案は日系のホンダ議員(民主党)らが提出した。」
アメリカ下院での「慰安婦」決議阻止に向けた自民党や政府の動きが活発化している。
それだけ決議の採択を恐れているということでもあるのだろう。
靖国史観派と対米従属との相互関係について,どなたかお教えを。
「慰安婦」対日非難決議阻止へ 米に議員団派遣(産経新聞,2月10日)
自民党は9日、米下院で慰安婦問題に関する対日非難決議案が提出されたことを受け、採択阻止を働きかける議員団を月内にも米国に派遣する方針を決めた。党本部で開かれた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会合で、中山泰秀慰安婦問題小委員長が明らかにした。
同決議案は1月31日、日系のホンダ下院議員らが提出、「若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性奴隷化した」などと指摘し、「公式に謝罪する日本の首相が声明を出すべきだ」としている。
米下院外交委員会の小委員会は15日、元慰安婦らを呼んで公聴会を開く予定。このため自民党は、採択阻止に向け関係議員らへの早急な働きかけが必要と判断した。
「慰安婦決議案の採択阻止目指す=謝罪要求は「蒸し返し」-加藤駐米大使」(時事通信,2月14日)
【ワシントン13日時事】加藤良三駐米大使は13日の記者会見で、超党派の下院議員が第2次世界大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に謝罪を求める決議案を米議会に提出したことについて、「日本は既に誠意ある対応をしているのに、蒸し返して注文を付けている。日米関係に悪影響を及ぼす」と非難した。その上で、議員らに働き掛け、採択阻止を目指す方針を強調した。
決議案は日系のホンダ議員(民主)らが提出したもので、首相の謝罪声明や将来の世代への教育などを要求。しかし、日本政府は1995年の村山富市首相談話などで先の大戦へのおわびと反省を表明していることから、加藤大使は「既に日本が取った措置への十分な理解がない。採択は好ましくない」と不快感を示した。
以下は,NHK「慰安婦」番組改竄をめぐる東京高裁判決を受けての,VAWW-NETジャパン(原告)によるあらためての声明です。
番組を製作する側の「編集の自由」の問題や,「政治圧力」が認められなかったとする誤った判決理解など,判決以後のいくつかの問題に対応したものとなっています。
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VAWW-NETジャパン声明
NHK番組改ざんを巡る控訴審勝訴の判決を受けて
1月29日、東京高等裁判所でNHK番組改ざんを巡る裁判の控訴審判決が言い
渡されました。南敏文裁判長は、本件の経過の下では「期待と信頼を抱くのも
やむを得ない特段の事情がある」として、VAWW-NETジャパン(以下、バウネッ
ト)が主張してきた「期待権の侵害」と「説明義務違反」を認め、NHKの責
任は最も重いとしつつ、番組制作に関わったNEP21と番組制作会社ドキュメ
ンタリー・ジャパン三者の共同不法行為を認定し、200万円の賠償支払いを命
じました。ただし、松井やより個人の損害については「バウネットの無形の損
害が回復されれば松井の損害も回復される関係にある」として認められません
でした。この点は残念ですが、一審で不問にされたNHKの改変行為が覆さ
れ、三者の共同不法行為が認められたことは、大変画期的な判決でした。
2001年7月24日に提訴して以来、5年半に及ぶ苦しい闘いでしたが、皆様の温か
いご支援に大変勇気づけられてきました。心から感謝いたします。
□「編集権の濫用・逸脱」と断罪
判決は、一審判決で不問にされたNHKの改変行為を「編集権を自ら放棄した
ものに等し」「NHKの本件番組の制作・放送については、憲法で保障された
編集の権限を濫用し、又は逸脱したものといわざるを得ず、放送事業者に保障
された放送番組編集の自由の範囲内のものであると主張することは到底できな
い」と認定しました。
□「期待権の侵害」「説明義務違反」を「特段の事情」の下に認定
バウネットが主張してきた「説明義務違反」について、放送された番組はバウ
ネットに説明されたものと「相当かけ離れた内容となった」「バウネットは説
明を受けていれば、自己決定権の一態様として番組から離脱することや善処方
を申し入れたり、他の報道機関等に実情を説明して対抗的な報道を求めたりす
ること等ができたが、被告らが説明義務を果たさなかった結果、これらの手段
を採ることができなくなったのであり、その法的利益を侵害されたというべき
である」と、説明義務を怠ったことによるNHKらの不法行為責任を認めまし
た。これは「特段の事情」を認めた上での判断で、判決は「特段の事情がある
ときに限り、これを説明する法的な義務を負うと解するのが相当である」と、
説明義務が全てのケースに当てはまる権利ではないことをはっきり指摘しまし
た。
もう一方の主張である「期待権の侵害」については、「取材対象者がそのような
期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは、番組制作者の編
集の自由もそれに応じて一定の制約を受け、取材対象者の番組内容に対する期
待と信頼が法的に保護されるべき」として、このケースに「特段の事情」があ
るとして「期待権の侵害」を認めました。
一部のメディアは「期待権」と「説明義務」が認定されたことに対して「取材
現場を萎縮させる懸念がある」と論じていますが、判決は「特段の事情」が認
められる場合に自己決定権に基礎付けられた期待権が保護され、また、説明義
務が認められると判示しており、判決は「編集の自由」や取材行為の制約を一
般化するものではありません。
□「政治圧力は認められなかった」という誤報について
NHKや一部のメディアは「政治的圧力は認められなかった」としています
が、判決は「具体的な話や示唆」については松尾・野島両氏の証言からは断定
できないといっているに過ぎず、政治圧力がなかったとは言っていません。
そもそもNHKが安倍氏ら国会議員に放送前の番組について説明することにな
った経緯は、予算説明が始まった頃「『日本の前途と歴史教育を考える若手議
員の会』所属の議員らが、昨年12月に行われた女性国際戦犯法廷を話題にして
いる」「予算説明に行った際には必ず話題にされるであろうから、きちんと説
明できるように用意しておいた方が良いといった趣旨の示唆を与えられた」か
らで、編集への上層部の介入は、政治家に説明を「示唆された」(=求められ
た)ことに端を発しています。
判決は、「本件番組が予算編成等に影響を与えることがないようにしたいとの
思惑から、説明のために松尾と野島が国会議員等との接触を図り」「松尾と野
島が相手方の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ
当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、その結果、その
ような形にすべく本件番組について直接指示、修正を繰り返して改編が行われ
たものと認められる」と、NHKが予算承認を前に政治家に過剰に反応し、政
治家の意図を汲む改変を行ったことを厳しく指摘しました。これは、NHKが
政治家の話を圧力と感じて改変したことを示しており、判決が「政治圧力を否
定した」というのは正確な表現とはいえません。
□NHKと関係政治家に猛省と謝罪を求める
NHKは判決を不服として即刻上告しました。このことは、NHKがいかに今
回の事件について反省していないか、未だ政治家の顔色を伺っているかを示し
ています。私たちは、NHKが真摯に判決に向き合い、上告を取り下げ、その
過ちを猛省し、バウネットをはじめ視聴者・市民に心から謝罪することを強く
求めます。
また、「放送の自律」を脅かした安倍氏らが謙虚に判決に向き合い、自らの言
動の過ちを認め、心からの謝罪を表明し、二度とこのようなことを繰り返さな
い決意を示すことを強く求めます。
2007年2月8日
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)
共同代表:西野瑠美子・東海林路得子/ 運営委員一同
佐世保と長崎である。
自衛隊や三菱重工などの動員もあるのだろうが,
地元の経済界が「軍がくれば金がもうかる」「戦争があれば金がもうかる」
と考えるようになればおしまいである。
「市民の良識」をめぐる攻防がつづく。
佐世保「日の丸行進」9000人 県内各地で建国記念行事 教育基本法問題で講演も(西日本新聞,2月12日)
「建国記念の日の11日、県内各地で建国を祝うパレードや教育基本法改正問題について考える講演会など、さまざまな催しがあった。
佐世保市では市民が日の丸の旗を持って市内をパレードする「日の丸行進」(市建国記念の日奉祝会主催)が佐世保、早岐、相浦の3会場であり、57団体、約9000人(主催者発表)が参加。このうち佐世保会場の参加者約8300人は佐世保公園から式典会場の亀山八幡宮まで約3.5キロを日の丸の旗を振りながら歩いた。
長崎市でも建国を祝う奉祝大会が同市魚の町の市公会堂前であり、自衛隊関係者や市民ら約1700人が参加。教育基本法改正や防衛省設置を歓迎するとともに、政府主催で建国記念行事を開催するよう求める大会宣言を採択し、市内を行進した。
一方、県教組や自治労、社民、共産両党などで組織する県靖国法案阻止共闘会議は同日、長崎市筑後町の県教育文化会館で「2.11『靖国』と『侵略』を考える市民のつどい」を開催。鈴木理恵・長崎大教育学部助教授が教育基本法の問題をテーマに講演し、国家による教育統制の問題点を指摘した。
鈴木助教授は、新教育基本法に盛り込まれた愛国心について「国家への忠誠を誓わせ、義務を果たさせるものだ」と指摘し「国家にコントロールされないよう、国民一人一人が社会の主体となるよう努力するしかない」と話した。」
アメリカ下院の「慰安婦」決議案の件である。
提案者のマイク・ホンダ議員は,日本側の阻止ロビーにもふれながら,
誤りを認めることが日本が「成熟」した国家となるための一歩だという。
「「多くの議員が超党的に日本軍慰安婦決議案の採択に賛成してくれることを確信します。決議案が3月末までに常任委を通過するというのが私の希望的観測です」
第2次世界大戦当時、日本軍慰安婦の動員について日本政府の明確な謝罪を求める決議案を先月31日米国下院に提出したマイケル・ホンダ(民主・カリフォルニア州)議員が8日、マスコミ合同電話会見を開いた。
米下院唯一の日系議員であるホンダ議員は、「トム・ラントス外交委院長が常任委の上程を受け入れると予想する」とし、「(本会議の上程権を持つ)ナンシー・ペロシ下院議長も、個人的に同決議案を支持しており、過去に提出された決議案に共同署名したこともある」と明らかにした。
日本側の反対の動きについて彼は、「自由民主国家グループの一員として(過ちを)認めることは成熟した行動だ」としたうえで、「日本が名誉な評価を受ける国になることを心より願う」と述べた。
ホンダ議員は、決議案採択が日米関係を害することはないのかという質問に、「正義がなくていかにして真の関係が築けるのか。手に傷があるのに、皮膚をさらしていては絶対に治らない。傷が癒えて新たにできた皮膚組職は、周辺の皮膚よりも強い」と説明した。
ホンダ議員は、日本側の阻止ロビーは「日本の意見を議員たちに説明する公式的な次元のものだ」としつつ、「一部の議員は日本側の反対論理に同調しているが、全体的には多くの同僚が決議案を支持してくれるものと信じる」と話した。
彼は、もし米議会の決議に日本政府の反応がない場合には、日本を訪問すると付け加えた。
日本の真珠湾空襲直後、日系という理由で収容所に連行され、1953年まで幼少時代を収容所で送ったホンダ議員は、「米国政府が1998年に謝罪したことで歴史のページを覆った教訓を、日本は肝に銘じなければならない」と訴えた。
「この問題は、正義の根源に関するものだ。多くの慰安婦被害女性たちがこの世を去っている。この勇敢な女性たちの受けた傷は、この半世紀の間放置され、癒されていない。長い間拒否され延期されてきた正義を具現する時がまさに今です」
ホンダ議員は、「謝罪に手遅れということはない」と力をこめて言った。」
アメリカ下院に日本政府の「慰安婦」問題にたいする曖昧さを残さぬ謝罪をもとめる決議案が出されている。
以下はこれを提案したマイク・ホンダ議員の提案説明。
ホンダ議員は過去の日本政府閣僚による謝罪発言の存在を知った上で,実際の行動がその発言の真意を疑わせるものになっていることを問題にしている。
ホンダ議員は,かつての戦争で日系人であることを理由にアメリカで収容所にいれられた経験をもつという。
翻訳は,女たちの戦争と平和資料館のHPからコピーさせてもらったものである。
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2007 年1月31 日
「議長、私は今日、1930 年代から第二次大戦継続中のアジアと太平洋諸島の植民支配および戦時占領の期間において、日本の帝国軍の下で想像を絶する非人間化に苦しんだ、20 万人を超えるアジアの「慰安婦」に対する強い支持のうちに起立しております。
この女性たちの体験は、そのむごたらしさにおいて前例を見ないものであり、日本政府によって公的に遂行されたものでありますが、彼女たちは集団強かん、強制中絶、屈従、またやがて身体切除、死や結果的自殺に至る性暴力を耐え忍びながら、今日に至るまで、この悲劇から正義を得ることがかなっておりません。
彼女たちの望みはささやかなものです。日本政府がこの犯罪に対する完全な歴史的責任を認め、謝罪し、受け入れることなのです。
本日、私は、日本に対し第二次大戦中にその帝国軍の下で慰安婦が耐え忍んだ悲劇について、正式に、かつ曖昧さのない形で、謝罪し、認めるよう求める決議を提案いたします。
日本国の総理大臣が公式謝罪を発表すべきであるばかりでなく、日本が、曖昧さのない形で責任をとらなければなりません。
このような決議が果たして必要かどうかに疑念をもち、わが国と日本の間の強い友情と同盟関係に影響を与えるのではないかと警告する者もあります。日本はすでに謝罪したのであり、この決議はその認識を欠いていると論じる者さえあります。確かに、これまでに日本の複数の首相が慰安婦に関連する声明を発表してきたことはほんとうです。
しかしながら、日本政府がこれらの声明を、明白な敬意をもって見ているわけではないことは明らかです。また慰安婦たち自身がこれらを公式の謝罪とは認めていません。日本はこの問題に関する自己の立場を曖昧なものにしてきました。このことは、過去の声明や教科書を変更しようとする最近の複数の試みによって明らかとなっています。
例えば1993年、当時の河野洋平官房長官は日本の慰安婦について有望な声明を出しました。彼女たちの受難に対する日本政府の真摯な謝罪と後悔【訳注-「おわびと反省」の英訳はこのようなニュアンス】を表明したものでした。今日、日本の自由民主党には、河野官房長官の声明を見直し、可能ならば撤回さえしようと奮闘する人たちがいるのです。
さらに日本政府は、日本の教科書において「慰安婦」制度を軽視しようとし続けています。私たちは自らに問わなくてはなりません、もし日本がほんとうに自らの過去を受け入れ、自らの帝国軍がこの女性たちに何を無理強いしたかを認めているならば、何故彼らは、教育を通じてこの知識を抑え込もうとするのか?と。
この悲劇に関する教育は、今後女性に対する暴力が、特に紛争時において、決して受容されるべきでも繰り返されるべきでもないことを確保するために重要です。教科書の抑圧は、河野長官の声明を見直そうとする努力と合わせて、落胆させられるものであり、日本がこの女性たちに対する謝罪について揺らいでいることを示しています。
私がここで明確にしておきたいのは、私が我々と日本の間の強い友情の重要性を認識し評価していることであります。私は、アジア女性基金を通じて慰安婦生存者に金銭的賠償を行おうとした日本の努力を評価しております。アジア女性基金とは政府によって着手され資金の多くを政府に負う民間基金であり、その目的は「慰安婦」に対する償いをねらいとしてプログラムやプロジェクトを実行することでありました。
アジア女性基金は2007 年3月31 日をもって解散することとなっています。私は、アジア女性基金が重要であったということには同意しますが、現実は、大多数の慰安婦生存者がこれらの資金の受け取りを拒否したということであり、日本政府からの、疑いの余地も曖昧さもない謝罪がなければ、その金は彼女たちにとって意味をなさなかったということなのです。
この決議の目的は、日本を叩いたり辱めたりすることではありません。この暴虐を生き抜き今もまだご存命の数少ない女性たちのため、正義を達成することについてのものなのです。我々は、これほど長い年月の間知られずにきたこの重大な人権侵害を、認識しなくてはなりません。
さらにこの決議は、和解を促進し助けることを目指しています。米国議会がかつてHR442号、1988 年の市民権法を採択したときのようにです。これは、第二次世界大戦中に不正義にも収容所に入れられた日系米国市民に対する公式の謝罪でした。年少の頃に収容所に入れられた人間として私は、自分自身のこととして、我々は過去に対して無知であってはならないこと、政府の行為を通じての和解は長期にわたる効果を持つことを知っております。
議会でこの問題を前進させることについて、我が良き友であったレイン・エヴァンズ元議
員の努力に触れることなくしては、不注意のそしりを免れないでしょう。私は、誇りをも
ってレインから渡されたたいまつを掲げ、慰安婦のみなさんと、またこの問題を米国議会
が取り上げるよう彼女たちのために懸命に努力した数々のコミュニティとに希望をもたら
したことについて、彼を称えるものであります。
議長、率直に申すならば、世界中でこの重荷とともに生きる数少ない慰安婦生存者は、今や亡くなりつつあります。我々は、この決議を進めることによって、彼女たちがいくらか
でも心の平安を得られるようにしなくてはなりません。この残虐行為を生き抜いた女性た
ちにとって、この決議は、我々の国家が彼女たちを支持し、彼女たちの正義を求める声に耳を傾けていることを示すものなのです。」
中国の王毅中日大使が,安倍首相の靖国参拝について「限りなく可能性は低い」「万一参拝があったら取り返しがつかないことになる」と発言している。
このように靖国史観派の孤立が深まるなか,米下院で「慰安婦」決議案が採択されれば,誰によっても統率されていない今の政府はどう動くだろう。
「アジア戦略研究会」はまだしっかり継続していたのか。
靖国参拝けん制-中国大使 「可能性低い」と認識(東京新聞,2月1日)
「中国の王毅駐日大使は1日、自民党本部で開かれた旧宮沢派系3派による「アジア戦略研究会」の議員と懇談し、安倍晋三首相の靖国神社参拝に関し「限りなく可能性は低いと思う」との認識を示した上で「万一参拝があったら取り返しがつかないことになる」と強くけん制した。
王氏は「中国国民はこの問題を注視している。中国の被害者感情にも配慮してほしい」と強調。「日中関係を悪循環から好循環に持っていけるよう力添えを願いたい」と出席議員らに要請した。
懇談に先立つ講演では、昨年10月の首相の訪中を「歴史的なもので、これからの日中関係の大きな絵を作った」と評価。「首相は真剣にアジア外交に取り組んでおり、中国を含めアジア各国で歓迎されている」と指摘した。4月に予定されている温家宝首相の訪日についても「円満に成功させたい」と述べた。」
昨年の地方選挙で下院の多数を民主党が占めたことから,「慰安婦」関連決議案は可決の可能性が高いとされる。
「可決阻止」の訪米を検討している自民党議員もいるらしい。
従軍慰安婦決議案を提出 米議員、首相の謝罪要求(北海道新聞,2/1)
「【ワシントン31日共同】米下院の与野党議員は31日、太平洋戦争中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に対し「明確な形で歴史的責任を認め、謝罪する」よう求めた決議案を提出した。
昨年も同様の決議案が提出されたが、今回は日本の首相の公式な謝罪声明を新たに要求。旧日本軍の強制を認め、謝罪した1993年の「河野洋平官房長官談話」の見直し論が自民党内に起きていることを強くけん制する内容となっている。
共和党が議会多数派だった昨年は、親日派のハスタート前議長ら同党指導部の意向で本会議での採決は見送られた。しかし、現在多数派の民主党を率いるペロシ議長は同決議案に同情的とされ、今回は本会議で可決される公算が大きい。
一方、「旧日本軍による強制はなかった」との観点で「河野談話」見直しを求める自民党議員が、可決阻止へ向け訪米を検討しており、日米間の新たな火種となる恐れもある。」
1月31日,米下院に「慰安婦」関連決議案が提出された。
「女たちの戦争と平和資料館」サイトに掲載された,決議案の日本語訳は以下のとおり。
内容は最近の「河野談話」見直しを企む動きなどにもふれている。
決議案全文および提案者のマイク・ホンダ議員による解説はこちら。
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第110議会 第1会期
日本政府は、1930 年代から第二次大戦継続中のアジアと太平洋諸島の植民支配および戦時占領の期間において、世界に「慰安婦」として知られるようになった若い女性たちに対し日本軍が性奴隷制を強制したことについて、明確かつあいまいでない形で歴史的責任を正式に認め、謝罪し、受け入れるべきであるとする下院の認識を表明する。
下 院
2007年1月31日
決議(案)
日本政府は、1930 年代から第二次大戦継続中のアジアと太平洋諸島の植民支配および戦時占領の期間において、世界に「慰安婦」として知られるようになった若い女性たちに対し日本軍が性奴隷制を強制したことについて、明確かつあいまいでない形で歴史的責任を正式に認め、謝罪し、受け入れるべきであるとする下院の認識を表明する。
日本政府は、1930 年代から第二次大戦継続中のアジアと太平洋諸島の植民支配および戦時占領の期間において、日本軍への性的隷属というただそれだけの目的のために、やがて世界に「慰安婦」として知られるようになった若い女性たちの確保を公的に行なったものであり、
日本政府による強制軍事売春たる「慰安婦」制度は、その残酷さと規模において前例を見ないものとされるものであるが、集団強かん、強制中絶、屈従、またやがて身体切除、死や結果的自殺に至る性暴力を含む、20 世紀でも最大の人身売買事件の一つであり、
日本の学校で使用されている新しい教科書には「慰安婦」の悲劇その他第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪を軽視しようとするものがあり、
日本の公人私人が最近になって、「慰安婦」の苦労に対し日本政府の謝罪と後悔【「お詫びと反省」】を表明した1993 年の河野洋平内閣官房長官の「慰安婦」に関する声明を、弱めあるいは撤回する欲求を表明しており、
日本政府は1921 年の「婦人及児童ノ売買禁止ニ関する国際条約」に署名しており、また武力紛争が女性に与える特徴的影響を認めた2000 安保理の「女性、平和と安全保障に関する決議 1325 号に賛成票を投じたものであり、
下院は人間の安全保障、人権、民主主義的価値観および法の支配を促進しようとする日本の努力を、安保理決議1325 号支持国となったこととともに賞賛するものであり、
下院は、日本の公人と民間人の勤労と情熱の結果である1995 年の民間基金たるアジア女性基金の設立を賞賛し、
アジア女性基金が日本の人々からの「償い」を慰安婦に届けるべく 5700 万ドルの寄付金を集めたものであり、
政府によって着手され資金の多くを政府に負う民間基金であり、「慰安婦」の虐待と苦労に対する償いのためのプログラムやプロジェクトを実行することが目的であったところのアジア女性基金の任務が 2007 年3 月31 日をもって終了し、基金が同日をもって解散することから、
今や以下の形で解決されるべきことが下院の認識である。
(1)日本政府は、1930 年代から第二次大戦継続中のアジアと太平洋諸島の植民支配および戦時占領の期間において、世界に「慰安婦」として知られるようになった若い女性たちに対し日本軍が性奴隷制を強制したことについて、明確かつあいまいでない形で歴史的責任を正式に認め、謝罪し、受け入れるべきである。
(2)日本政府は、この公式謝罪が日本国総理大臣により、総理大臣としての公的声明を発表する形で行なわれるようにすべきである。
(3)日本政府は、日本軍のための「慰安婦」の性奴隷化と売買はなかったとする如何なる主張に対しても、明確かつ公的に反駁すべきである。
(4)日本政府は、現在および未来の世代に対しこの恐るべき犯罪について教育し、「慰安婦」に関わる国際社会の数々の勧告に従うべきである。
「女たちの戦争と平和資料館」のメーリングリストに,NHK「慰安婦」番組改竄判決への原告自身による評価・解説が紹介されました。
許可をいただきましたので,以下に転載します。
なお,アンダーラインはこちらでつけさせてもらったものです。
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皆様
<重複ご容赦ください>
昨日、NHK番組改編事件の高裁判決が言い渡されました。判決は、
バウネットが主張してきた「期待権」と「説明義務違反」を認める画期的
な判決でした。判決直前まで、どのような判決になるのか全く予想でき
ず、不安で押しつぶされそうな気持ちでその瞬間を待っていましたが、
「勝訴」を聞き、かつて経験したことのない喜びが体の底から沸き起こっ
てきました。
勝訴判決を勝つ取ることができましたのは、一重に皆様の力強いご支
援・声援があったからです。心から心から感謝いたします。
また、早くから傍聴に駆けつけてくださいました皆様、そして、夜の報告
集会に駆けつけてくださった皆様、この喜びをたくさんの皆様と共にでき
たことを、大変嬉しく思います。本当にありがとうございました。
以下、判決の内容についてポイントに絞ってご報告します。
■注目点
バウネットはこの裁判で「期待権」(信頼利益の侵害)と「説明義務違反」
を法的根拠としてNHKらの責任を問うてきました。しかし、「期待権」(信
頼利益)は今までに判例がなく、どこまで被取材者の「期待権」が認定さ
れるか、また、NHKはガイドラインに掲げた説明義務は法的拘束力はな
いと主張してきたので、番組が変更されたことについて説明を怠ったこと
が「不法行為」として認定されるかということが最大の注目点でした。その
上で高裁の最大の争点である政治介入問題が「編集の自由」との関係で
どのように判断されるかということでした。
■「編集の自由」について
一審判決は、NHKの改変について「編集の自由の範囲内」としてNHK
の責任を不問にし、番組制作会社のドキュメンタリー・ジャパンがバウネッ
トに期待を抱かせたことのみを不法行為として100万円の賠償支払いを命
じました。しかし、今日の東京高等裁判所の南敏文裁判長は「NHKの本件
番組の制作・放送については、憲法で保障された編集の権限を濫用し、
又は逸脱したものといわざるを得ず、放送事業者に保障された放送番組
編集の自由の範囲内のものであると主張することは到底できない」と、NH
Kの「編集の自由」を「濫用」「逸脱」と断じたのです。
バウネットは裁判の中で、「編集の自由」は無制限に放送事業者に与えら
れた権利ではなく、「特段の理由」がある場合は制限されるものだと主張し、
今回の改変に於いての「異常性」を立証し、今回のケースは「特段の事情」
に相当するものであると主張してきました。判決はバウネットが主張してき
た「特段の事情(理由)」を認め、前述のような明快な言葉でNHKの責任を
断じたのです。
■政治家の介入について
判決で最も注目されたのは、政治家の介入が番組改編に影響を与えたこ
とが認定されるかということでした。それについて判決は、「右翼団体等から
の抗議等多方面からの関心が寄せられてNHKとしては敏感になっていたこ
と、折りしもNHKの予算につき国会での承認を得るために各方面への説明
を必要とする時期と重なり、NHKの予算担当者及び幹部は神経を尖らして
いたところ、本件番組が予算編成等に影響を与えることがないようにしたい
との思惑から、説明のために松尾と野島が国会議員等との接触を図り、そ
の際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされたと
いうものであり」と、NHKが政治家に番組について説明したことの状況を明
確な言葉で指摘し、「松尾と野島が相手方の発言必要以上に重く受け止め、
その意図を付度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考
えて試写に臨み、その結果、そのような形にすべく本件番組について直接
指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる」と、政治家との
面会が改編に繋がったこと、NHKが政治家に過剰に反応したことを認めま
した。
NHKは判決に対するコメントで「政治的圧力は認められなかった」としてい
ますが、これは誇張的誘導的な判決のすり替えです。政治家の話に過敏に
反応して改編を繰り返したということは、NHKが政治家の話を圧力と受け止
めたということです。NHKのこのコメントは、安倍・中川氏らに対する釈明以
外の何ものでもなく、このコメントを見れば、NHKが未だ視聴者・市民ではな
く政治家に顔を向けていることは明らかです。
■説明義務違反について
バウネットは取材依頼時に説明された内容と違う番組を作るならば取材協
力者に説明するべきであったと主張してきました。もし、放送されたような番
組になることが分かれば、取材協力をやめることや映像の使用を拒否する
選択肢もあったのです。そのため、説明を怠ったことによりバウネットの「自
己決定権」が侵害されたと主張しましたが、それについて判決は、放送され
た番組がバウネツトに説明された内容と「相当かけ離れた内容となることと
なった」と認定し、「バウネットは説明を受けていれば、自己決定権の一態様
として、番組から離脱することや善処方を申し入れたり、他の報道機関等に
実情を説明して対抗的な報道を求めたりすること等ができたが、被告らが説
明義務を果たさなかった結果、これらの手段を採ることができなくなったので
あり、その法的利益を侵害されたというべきである」と、説明義務違反を明確
に認定しました。
まだまだ書きたいことは沢山ありますが、是非とも、この判決を皆様にじっく
り読んでいただき、皆様からも判決評価を頂きたいと思います。
■今後の運動提起
NHKは即日上告したようです。高裁では制作現場の長井さんや永田さんに
より生々しい改編の実態が証言され、改編の異常性は誰にも否定できるもの
ではありません。判決の丁寧で詳細な認定に向き合おうとせず、更に争うとい
うNHKの姿勢は、NHKが自ら政治家との強すぎる関係に決別する意思のな
いこと、放送の自律を自ら手放すものであることを示しています。
皆様、どうか上告したNHKの姿勢に対して抗議の声を沢山寄せてください。
また、素晴らしい判決を書いた南敏文裁判長に、感謝の声を寄せてください。
裁判官に「圧力」が向わないか心配です。そのためにも、是非、市民の支持を
伝えていただきたいのです。
集会では、安倍氏に対する罷免要求などの動きを作るべきではという声もあ
りました。また、不誠実なNHKの態度に対して、橋本会長の責任を問うべきだ
との声もありました。バウネットとしても今後の運動について議論をしますが、
皆様も、どうぞ、それぞれ声を上げ、行動を起こしてくださいますよう、お願い致
します。
皆様のご支援・ご声援に、心から感謝をこめて
西野瑠美子
女性国際戦犯法廷を報道するとしたNHKが,直前になってその内容を改竄した問題で,NHKそのものの責任を問う高裁判決が出た。
判決は安倍氏や中川氏の番組内容への直接的な介入の事実を認定してはいないが,それが番組改竄の直接のきっかけとなったことは認めている。
NHKはただちに上告したとのことだが,ぜひ安倍氏等が語った「公正・中立」の「一般論」が,当のNHKに「必要以上に重く受け止め」られずにおれなかった,その理由を明らかにしてほしいものである。
それにしてもこの内閣,本当に見るに忍びないほどボロボロだ。
あとは選挙で引導を渡すだけ。
NHKに200万円賠償命令=元幹部らの番組改変認定-東京高裁(時事通信,1月29日)
「従軍慰安婦問題をめぐる民間の「女性国際戦犯法廷」を取り上げたNHK番組が政治的圧力で改変されたとして、主催者の市民団体がNHKと制作会社2社に4000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(南敏文裁判長)は29日、制作会社1社に賠償を命じた一審判決を変更し、「国会議員らの発言を忖度(そんたく)して番組を改変した」と述べ、NHKと2社に総額200万円の支払いを命じた。NHKは即日、上告した。
南裁判長は改変経過について、NHKの松尾武放送総局長(当時)らが番組の放送前、安倍晋三首相(当時官房副長官)らと面会、安倍氏が「公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」と認めた。
その上で、松尾氏らが国会で予算の承認を得るなどの理由で、「(安倍氏ら)相手方の発言を必要以上に重く受け止め、当たり障りのない番組にすることを考え、改変が行われた」との判断を示した。」
判決要旨については以下をクリック。
アメリカ下院での「慰安婦決議案」の可決の可能性が高いようである。
日本に「慰安婦」問題の責任を認めることと,
歴史教育の強化を求めるものであるという。
元「慰安婦」を証人として呼ぶ動きもあるそうだが,
さて日本政府によるロビイングの「成果」はどのように出るのか,出ないのか。
新たな慰安婦決議案提出へ 下院、可決の公算 (US Front Line,1月26日)
「太平洋戦争中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に責任を認めるよう求めた新たな「従軍慰安婦決議案」が来週にも、下院に提出されることが26日、分かった。民主、共和両党の議会筋が明らかにした。
慰安婦決議案は過去に4回提出。昨年初めて下院外交委員会で可決された後、廃案となっていた。今回は審議に大きな権限を持つペロシ下院議長(民主党)が前回決議案に理解を示していたこともあり、初めて本会議で可決される公算が大きいという。安倍晋三首相が今春の初訪米をにらむ中、歴史問題が日米関係にも影を落としそうだ。
日系のホンダ下院議員(民主)や共和党有力者を共同提案者とする超党派決議案になる。新たな決議案は前回よりも、「人権」と「女性の権利」に力点を置き、日本に歴史教育の強化を訴えているのが特徴。
議会筋によると、新決議案は来週から再来週にかけ提出。アジア太平洋小委員会での公聴会開催も検討されており「元慰安婦の女性を証人に呼ぶ動きがある」という。
また同筋は「ペロシ議長は本会議採決を認めるだろう」と指摘。人権派で知られるペロシ氏が議長となったことで、下院が可決する可能性が高いとの見通しを示した。
別の議会筋によると、決議案が付託される外交委員会のラントス委員長も理解を示している。
新決議案は慰安婦問題の経緯に触れた上で、「女性の権利」の尊重を重視。日本に(1)慰安婦問題の「責任」を認める(2)歴史教育を強化する―よう求める内容。
日本政府は昨年「決議案には事実関係で間違いがある」と主張。歴代首相が「おわびと反省」を表明した経緯を踏まえ、大物ロビイストを雇うなどして廃案に向けて議会工作を展開した。(共同)」
板挟みフラフラ状態の安倍首相らしい発言ではある。
しかし,これでまた中国・韓国はじめ東アジアとのあいだには新たな摩擦の火種ができた。
首相、靖国参拝受け継ぐ 「気持ちに変わりない」 (産経新聞,1月17日)
「安倍晋三首相は17日、自民党大会で決定された運動方針に「靖国参拝を受け継ぐ」と盛り込まれたことについて、「自民党としてはずっとこの考えでいく。今までの党総裁も恒久平和を祈り、国のために戦った方々のために手を合わせる気持ちをもっていた。私もその気持ちに変わりはない」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
ただ、自身の靖国参拝の時期などについては「外交問題、政治問題になる以上、私から申し上げることはしないということだ」と、従来通り明言を避けた。」
アメリカ下院での「慰安婦」決議案採択を食い止めるため,日本政府は中間選挙に圧勝した民主党にロビイストを乗り換えたとのこと。
今回は採択の見通しが高いらしいが,どうなるか。
これは,安倍政権および側近たちが加わる「若手議員の会」にとっても重大問題となる
日本、米従軍慰安婦決議案阻止に元下院議長を雇用(中央日報,1月13日)
「昨年米下院で処理されなかった従軍慰安婦決議案が早ければ今月中にまた上程される可能性がある中、日本政府が決議案の通過を阻止するため、下院議長と駐日米国大使を務めた民主党の大物トーマス・フォーリー氏(77)をロビイストとして雇用したことが伝えられた。 フォーリー氏は下院議員として30年間(15選)活動してきた。
米下院の関係者は11日、「日本政府は昨年11月の米中間選挙で民主党が圧勝すると、今年中に下院で従軍慰安婦決議案が処理される可能性が高いと見なし、これを阻止するために担当ロビイストを下院共和党のロバート・ミッチェル氏から民主党出身のフォーリー氏に変えた」と語った。 また「フォーリー氏は下院議長の前にも要職を歴任しており、民主党に対する影響力が今でも強い」と説明した。
フォーリー氏は1989年に下院議長に選出されたが、94年11月の選挙で落選した。 下院議長が選挙で落ちたのは1860年以後初めてのことだった。 97年、当時のクリントン大統領はフォーリー氏を駐日米国大使に指名した。 フォーリー氏は01年まで日本に駐在し、現地政界・財界人との関係を築いた。 現在はワシントンのロビー会社でロビイストとして活動している。
日本政府はフォーリー氏の力に大きく期待しているが、今度は従軍慰安婦決議案が採択されるという見方が優勢だ。 日本政府の責任を認めて謝罪を促す内容が含まれるこの決議案を扱うトム・ラントス下院外交委員長と本会議処理のカギを握るナンシー・ペロシ下院議長が、決議案採択に積極的であるからだ。
外交委関係者は「民主党のマイク・ホンダ議員(カリフォルニア)が早ければ今月中に外交委に決議案を出す可能性がある」とし「元共和党所属のデニス・ハスタート元議長は外交委を通過した決議案の本会議処理を遅延したが、これとは違いペロシ議長は直ちに確定するだろう」と予想した。」
安倍首相の「あいまい戦略」が,はやくも危機に瀕している。
東アジアへの交渉力・発言権を保てという財界・アメリカの要請に従わぬわけにはいかず,
かといって,強力な支持勢力である「靖国史観派」の「同志」を「裏切る」こともしがたい。
だが,結局,道は二つに一つである。
いつまでも両方を立てる「あいまい=ごまかし戦略」など,そもそも長く通じるものではない。
靖国の代わり? 安倍首相が明治神宮参拝(中国新聞,'07/1/6)
「安倍晋三首相は六日、現職首相として六年ぶりに東京・代々木神園町の明治神宮を参拝した。中国首脳の来日が具体化する中、当面困難視される靖国神社参拝に代え、森喜朗元首相までほぼ恒例となっていた明治神宮参拝を復活させることで、保守層に自身の政治姿勢をアピールしたい思惑もありそうだ。
首相はモーニング姿で訪れ、「内閣総理大臣安倍晋三」と記帳、二礼二拍手一礼の神道形式で参拝した。下村博文官房副長官が同行した。参拝後、首相は記者団に参拝理由を聞かれ「由緒ある大切な神社だから。私は(私邸に)近いから、よく行っている」と述べた。
ただ、参拝を進言したという首相周辺は「保守主義者としての姿勢をはっきり示したい思いが首相にある」と明かす。
首相は従来、靖国参拝に強いこだわりを示し、昨年は官房長官時代の四月に参拝。だが、これが判明した八月の記者会見で事実関係の確認を避け、首相就任後も中韓両国に対し参拝するかどうか言及しないと説明した。
参拝の意思を明確にしない「あいまい戦略」は両国との関係改善に一役買う一方、保守層の反発を招く危険性もはらんでおり「首相の信条は変わっていない」(周辺)ことを見せる必要があるというのだ。
中国側は、靖国参拝を繰り返した小泉純一郎前首相時代と異なり、首脳会談を頻繁に行うことで参拝させない戦略に方針転換。温家宝首相が四月の日本訪問を検討しているのも、春季例大祭に合わせた参拝を阻止するためとの見方が強い。
日中国交正常化三十五年を迎える九月には胡錦濤国家主席の初訪日も検討され、首相が靖国参拝に踏み切るのは難しいのが実情だ。」
いわゆる「百人斬り裁判」だが,それを「全くの虚偽であると認めることはできない」との判決が確定した。
「遺族」の気持ちは複雑だろうが,事実はそれとは別である。
旧日本軍の「百人斬り」めぐる訴訟 本社などの勝訴確定(朝日新聞,12月22日)
「旧日本軍将校2人が中国で1937年、中国兵を日本刀で殺害した人数を競う「百人斬(ぎ)り競争」をしたとする当時の新聞報道や、後にこの問題を扱った書籍を巡り、2人の遺族が「うそを書かれ故人を慕う遺族の気持ちを傷つけられた」などとして、朝日、毎日両新聞社などと本多勝一・元朝日新聞記者に出版差し止めや計1200万円の損害賠償などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は22日、遺族側の上告を棄却する決定をした。朝日新聞社などの勝訴が確定した。
二審・東京高裁は「百人斬り」を報じた当時の記事について「全くの虚偽であると認めることはできない」と認定し、請求をすべて棄却した一審・東京地裁判決を支持した」。
「研究」するのは,もちろん大いに結構である。
ただし,最初に「結論ありき」では,話にならない。
ぜひ,結論にいたる「研究」の過程を,公開してもらいたいものである。
それにしても,「河野談話」の継承を内外に明らかにしている安倍氏は,
今これをどういう思いでながめているのか。
「自民党の有志議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成彬会長)は22日、従軍慰安婦問題を研究する小委員会を設置した。有識者を交えて事実関係を検証。
慰安婦募集への旧日本軍などの関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話の見直しも視野に提言をまとめる。同会は97年に安倍晋三首相らが中心となって設立した。」
安倍首相の盟友・中川昭一氏があいかわらず元気である。
とはいえ,この人が元気だと,日本の政治は悪い方にしか向かないようである。
それでなくても最近の安倍首相は,記者会見のたびにしどろもどろだというのに。
「河野談話」見直し主張に、政府当局者が遺憾の意(12月21日,聯合ニュース)
「【ソウル21日聯合】自民党の中川昭一政調会長が、慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」について早期に見直しを検討すべきと発言したことに対し、政府当局者は21日、慰安婦被害者を再度侮辱する行為だとして遺憾の意を表明した。
安倍晋三首相も河野談話を継承する考えを示しているにもかかわらず、与党の責任ある指導者が厳然たる事実を無視することは韓日関係の未来志向的な発展にも悪影響を及ぼすと懸念した。
その上で、日本の政治指導者らが過去の歴史に対する正しい認識に基づき未来志向的な韓日関係の発展に向け努力することを促した。
中川会長は19日の産経新聞とのインタビューで、顧問を務める議員連盟では談話発表当時に議員ではなかった若い人たちからも談話が非常に不適切であるという意見が出ており、それを是正しなければ海外に対しても間違ったメッセージを与えることになると主張した。
河野談話は、1993年に当時の河野洋平官房長官が、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認め謝罪したもの。」
遊就館が,アメリカ関係部分だけでなく,中国関係の記述についても一部修正をするらしい。
とはいえ「事実関係に誤りはない」というのが,その大前提。
つまり日本の戦争はすべて正しかったという論調に変更はないということである。
靖国神社:「遊就館」の展示 一部表現を変える方針(毎日新聞,12月20日)
「靖国神社は19日、戦史博物館「遊就館」に展示している歴史記述で、当初は「見直す必要はない」としていた中国関連の記述について、一部表現を変える方針を決めた。10月に修正することを決めていた第二次世界大戦の米国関係部分に加え、来年1月1日から新しい展示に切り替える。
新たに修正することを決めた中国関連の展示パネルは、「日露戦争から満州事変」「満州の歴史」「支那事変」の三つ。
修正後の具体的な表現は最終調整中だが、例えば「支那事変」のパネルは、盧溝橋事件(1937年)が起きたきっかけとして、現在は「中国正規軍による日本軍への不法攻撃」や「日中和平を拒否する中国側の意志があった」などと表現しているが、「事実関係に誤りはないが、表現が足りずに誤解を与える部分があったので、もう少し柔らかい表現に言い換える」(監修関係者)という。他の2展示も、基本的には同じ考え方で見直す方針だ。
また、記述の根拠となる史料として、中国側の刊行物も含めて多数提示し、一方的な記述ではないことを強調することも予定している。
このほか「ヒトラー」「スターリン」「ルーズベルト」を同列に並べている展示方法や、「日米交渉」のパネルの記述についても見直す。
同神社は今回の修正を「中間報告」と位置付けており、来年7月の遊就館新築5周年に向け、全面的な変更を検討している。【野口武則】」
パパブッシュが,中国で,小泉前首相等による靖国参拝を批判した。
それはそれで結構なのだが,日米同盟重視の立場から,事実上これを容認してきたのはブッシュジュニアではなかったか。
最近では「慰安婦」問題決議の下院本会議採択にも,消極的な態度をとったとされる。
帰国したら,まずは息子に言ってやれ。
それにしても,自民党主流派の歴史認識の孤立は,ますます明らか。
靖国参拝は歴史の否定 元米大統領、異例の批判(東京新聞,12月14日)
「【北京14日共同】ブッシュ元米大統領は14日、北京市内で講演し、小泉純一郎前首相らによる靖国神社参拝について「歴史を否定している」と批判、日本は「(歴史の)傷口を開くことをせず、癒やすよう努めるべきだ」と述べ、歴史問題で慎重に対応するよう求めた。中国科学院主催の講演会の質疑で語った。
米国の元大統領が、歴史問題で日本を批判するのは極めて異例。現大統領の父である元大統領は共和党重鎮として現政権にも強い影響力を持つが、日本側の歴史認識について党内主流派にも強い不満があることを浮き彫りにした形だ。
元大統領は靖国神社について「歴史から逸脱している」と指摘。神社の展示施設は「真珠湾(攻撃)は米国の責任としているが、公然と奇襲攻撃を受けた」と述べ、不快感をあらわにした。
一方で、元大統領は「日本は力強い民主主義を保っている」と称賛し、地域の脅威にならないと強調。昭和天皇について「17、8歳のころには憎むよう教えられたが、訪日して会った時は小柄で穏やかな人物だった」と述べ、中国にも未来を見据えた和解の精神が必要と訴えた。」
「河野談話」の見直し活動の強化だそうだ。
安倍氏の本音を引き出すための活動だろうか。
とはいえ,見直しが行われれば,アメリカにもアジアにも,ついでに財界にも叱られねばならなくなるのは,安倍氏本人なのだが。
「河野談話」見直しへ活動・慰安婦問題で自民議連(日経新聞,12月4日)
「自民党有志議員による議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)は13日、党本部で総会を開き、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認め謝罪した「河野洋平官房長官談話」(1993年)の見直しに向けた活動を強めていくことを決めた。
年明けにも小委員会を設置、談話を出した経緯や事実関係の検証を進めた上で報告書を作成、安倍晋三首相に見直しを提言する」。
アメリカ下院外交委員会を全会一致で通過した「慰安婦(性奴隷)」決議だが,本会議にはまったく進まぬままとなった。
背後に日本政府によるロビイングがあることは,繰り返し指摘されてきたが,ホワイトハウスからの妨害には目が届いていなかった。
在日米軍基地強化と憲法「改正」をつうじた日米軍事一体化を促進するために,新たな摩擦はつくらないということだろう。
しかし安倍政権は「河野談話」を継承するといわずにおれず,アメリカでは中間選挙での共和党敗北をきっかけに,イラクからの「撤退」論議が進んでいる。
さらに東アジアの共同は,APECにおけるアメリカのもくろみをこえて前進しつつある。
来年1月からの米議会に,あらためて同決議案が提案される見込みだが,さて,ことはどう進んでいくのか。
日本政府へのはたらきかけは,もちろん日本の主権者たちの仕事である。
「慰安婦」決議 再提出へ 米議会 “日本政府の責任問う” 日本の妨害判明(しんぶん赤旗,12月7日)
「【ワシントン=鎌塚由美】アジア太平洋戦争中のいわゆる「従軍慰安婦」について、日本政府に責任を認めるよう求める決議案が一月から始まる米議会(第百十会期)に再び提出されることが確実になっています。今議会では、九月に米下院外交委員会を通過しましたが、日本政府のロビー活動で本会議での採決が妨害されたことが明らかになっています。
米国で「慰安婦」問題を広める活動をしてきた「慰安婦問題ワシントン連合」のオクチャ・ソック会長は、決議案が本会議の採択まであと一歩で実現しなかったことは「残念」としながら、「委員会で通過したことは大きな成果でした」と語りました。ソック会長は、「(来年一月からの)次期議会では、積極的な可能性がある」と言います。
すでに次期議会で「慰安婦」決議を提出すると表明しているのがホンダ下院議員(民主党)です。同議員事務所のコーンズ報道官は、「次期議会では時期をみて提出する」と語りました。
二〇〇〇年以来、議会で「慰安婦」問題を取り上げてきたエバンス下院議員(民主党)は、パーキンソン病の悪化で今期限りで引退。ホンダ議員は、カリフォルニア州議会議員時代から、「慰安婦」など戦争犯罪への明確な謝罪を日本政府に求める決議を提出してきました。「エバンス議員から引き継ぐ」(同報道官)ことになります。
「慰安婦」決議妨害 米誌が報道 大物ロビイストに“日本が月690万円”
下院外交委員会(ハイド委員長=共和党)が、日本政府に責任を認めるよう求める「慰安婦」決議を全会一致で通過させたのは九月十三日。エバンス議員は二〇〇一、〇三、〇五年に同様の決議案を提出していますが、委員会を通過したのは今回が初めてでした。
議会院内紙ヒル(九月二十七日付)によると、委員会通過後、ハイド委員長や他の議員が本会議での速やかな採択を求める書簡を送付しました。しかし、「対日関係を考え、決議案にいい顔をしない」下院議長のハスタート議員や院内総務のベイナー議員(いずれも共和党)は、採決日程を決めることを渋ったといいます。
同紙は、決議採択を求める韓国系米国人らの働きかけに対抗し、「日本は決議に反対し静かにロビー活動をした」と紹介しました。
「冷たい慰め 日本ロビーが第二次世界大戦の性奴隷決議を妨害」と題して報じたのは、『ハーパーズ・マガジン』(電子版、十月五日付)。日本政府は大物ロビイストに「月六万ドル(約六百九十万円)」もの大金を支払っているとし、ホワイトハウスも「ひそかに慰安婦決議を妨害していた」と指摘しています。
「超一流のワシントンのロビイスト」とは、議員歴三十八年の元下院院内総務のロバート・マイケル氏で、ハスタート議長や採決日程を管理するベイナー院内総務とは元同僚の間柄という人物。
同誌によると、マイケル氏は五月末、ハイド委員長に対し、決議が通れば日米同盟に支障をきたすなどと圧力をかけました。関係者は、その直後に「すべての交渉が止まった」と述べています。しかし、小泉首相(当時)の八月十五日の靖国参拝に業を煮やしたハイド委員長は九月、決議促進に踏み切ったといいます。
同誌は、下院指導部への具体的な働きかけは「不明」としながらも、速やかに本会議で採択されるはずだった同決議案が動かなくなったのは、「ホワイトハウス、マイケル氏、他の日本のロビイストらがベイナー議員、ハサート議員に働きかけた」からだと「議会ではうわさ」になっていると伝えています。
日本大使館は、本紙の問い合わせに対し、「あらゆる案件で必要な努力をしている」と回答、「慰安婦」決議に対するロビー活動を否定しませんでした。
小泉首相の後を継いだ安倍首相は国会で歴史認識を正面から問われ、「従軍慰安婦」問題について、旧日本軍の関与と強制を認めた一九九三年の「河野官房長官談話」を認め、継承する立場を表明しました。その日本政府が次期議会でも引き続き妨害を続けるのか。態度が問われています。(ワシントン=鎌塚由美)
「慰安婦」決議案
九月に米下院外交委員会を通過した決議案は、「慰安婦」を「奴隷化」する過程で、日本政府が公式に関与したと認定。日本の一部の教科書で「慰安婦」問題や他の残虐行為を軽視し、第二次世界大戦における日本の役割が歪曲(わいきょく)されていると指摘しています。
日本の教科書から「慰安婦」の記述が消えたことを政治家や官僚らが称賛したことに触れ、▽日本政府が公式に責任を認め受け入れる▽この非人道的犯罪を未来と現在の世代に教育する―ことなどを求めています。
エバンス議員と共和党のスミス議員が四月に提出し、ほかに五十六の議員が共同提出者に名を連ねました。」
国家による謝罪や賠償を,民間からの「償い金」にすりかえたアジア国民基金だが,結局,これを推進した当事者によっても,かんばしい総括はできない結果となったようだ。
「アジア女性基金が「最後のシンポジウム」 課題あげる」(朝日新聞,11月19日)
「07年3月に解散する「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、理事長・村山富市元首相)は19日、95年の設立から12年間の活動を総括する「最後のシンポジウム」を東京都内で開いた。
専務理事の和田春樹東大名誉教授はフィリピン、韓国、台湾の元慰安婦285人に「償い金」や首相のおわびの手紙が送られたと説明したうえで「韓国と台湾では過半が受け取らなかった。インドネシアでは個人への償いは行われなかった。中国や北朝鮮へも事業はできず、政府の対処は未解決部分を残した」と課題をあげた。」
「募金、目標に届かず5億6500万円 アジア女性基金 (産経新聞,11月19日)
「「アジア女性基金国際シンポジウムFINAL」が19日、都内で開かれ、「元慰安婦」に対する募金を行い来春解散する「女性のためのアジア平和国民基金」の活動を総括した。基金の理事長、村山富市元首相は「基金と政府の呼びかけに国民が応え、真剣な気持ちで寄付していただいた」と意義を強調したが、当初の目標額に届かず、民間募金を償い金として渡す手法に元慰安婦らが反発するケースも目立った。
当初の目標額は10億円で、村山氏が15万円を拠出するなど政府は宣伝に努めたものの、最終的に集まったのは約5億6500万円。フィリピン、韓国、台湾などの計285人に償い金が渡された。償い金は各国の政府や関係団体が認定した元慰安婦に拠出され、基金側は認定作業に携わらなかった。
日本政府に謝罪と国家賠償を求め受け取りを拒否するケースも多く、平成14年には韓国や日本のNGO(非政府組織)が、基金事業の停止を求め抗議声明を出した。
基金は平成5年、河野洋平官房長官(当時)が、第二次大戦中の慰安婦募集で官憲による強制連行の事実があったことを公式に認めたことを受け、7年に自民、社会、さきがけ三党連立の村山政権下で発足した。昨年1月、元慰安婦への拠出が完了したことや、来年3月にインドネシアの高齢者支援施設資金援助における「償い事業」が終了するのを機に、基金の解散を決定した。」
実際には何も確認できなかった日韓共同研究の事例もある。
さて,日本政府にどこまで真実を見つめる度量と勇気があるか。
それとも経済同友会の求めに従い,ここでも小さくない路線変更がありうるのか。
どちらにしても注目である。
「08年中に歴史研究成果公表 日中外相会談が合意」(東京新聞,11月16日)
「【ハノイ16日共同】麻生太郎外相は16日午前(日本時間同日昼)、中国の李肇星外相とハノイで会談し、日中歴史共同研究について2008年中の成果発表を目指すことで合意した。
歴史共同研究は、日中それぞれが10人の有識者で構成する委員会を立ち上げ、古代・中近世史と近現代史の分科会を設置。先の戦争の歴史に加え、戦後の日中関係の発展についても研究し、相互理解を深めることを目的とするとの認識でも一致した。
北朝鮮の核問題では、6カ国協議を通じて、具体的な成果に向けた日中の協力強化で一致。東シナ海のガス田問題をめぐっては、共同開発による早期解決を目指す方針をあらためて確認した。両氏はそれぞれ訪日、訪中を要請した」。
率先して軍に志願した人たちもいると聞くが,
個々の事例に即して,個々の事実に照らして判断するしかない問題。
「朝鮮の戦犯は「被害者」 韓国政府機関が名誉回復」(東京新聞,11月12日)
「【ソウル12日共同】韓国の政府機関「強制動員真相究明委員会」は12日、日本の植民地支配下で旧日本軍兵士となり、第2次大戦後、連合国側の軍事裁判でBC級戦犯として処罰された朝鮮半島出身の83人を「被害者」と認定、名誉回復を図ると発表した。聯合ニュースが伝えた。
韓国政府機関が朝鮮半島出身者の戦犯とされた人の名誉回復を行うのは初めてとみられる。同委員会は盧武鉉政権が進める「歴史の見直し」の一環として、強制連行などの実態を調査してきた。
BC級戦犯は極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁かれた戦争指導者(A級戦犯)と区別され、戦争中の捕虜虐待などの責任に問われた。同委員会は83人について、強制的に動員された上に日本の捕虜虐待の責任まで負わされ、二重の苦痛を受けたと認定。英国に残る裁判記録の調査で、明白な証拠なしに有罪判決を受けた事例も確認したという。
同委員会によると、BC級戦犯とされた朝鮮半島出身者は148人で、うち23人が死刑となった。戦犯とされた86人の遺族らが調査を求めていた。委員会は今回被害者認定されなかった3人も、今後の調査で認められる可能性があるとしている」。
11月13日は,朝から「原稿書きの人」である。
11時すぎにはこれを東京めがけてガッシンする。
ただちに外へ出て,大学へ。
12時30分から,昼食をとり,キャリア教育委員会を行っていく。
短時間に,すばやくあれこれを決めねばならない。
1時15分から「経済学-国民経済再建にまるで無関心の『構造改革』」。
研究室にもどると,学生たちの荷物がドッサリ。
3時からは3年ゼミ生たちによる「韓国『ナヌムの家』訪問の報告会」である。
いつもは全体教授会などが行われる大会議室の正面に学生がならぶ。
参加は学生,教員,職員,外部の学生,市民をふくめて50数名。
ビデオ「私たちは忘れない」を見て,
「慰安婦」問題とは何かについての入門的な解説を行い,
たくさんの写真を投影して夏の韓国訪問旅行の様子を紹介していく。
「日本軍『慰安婦』歴史館」の展示,
カン・イルチュルハルモニの証言,
参加した「水曜集会」の様子がメインである。
「あちこちで講演をしているそうだが,高校生の反応はどうか?」
「ナヌムの家にいる以外のハルモニはどこにいるのか?」
「ナヌムとはどういう意味か?」
「アジア平和基金のお金はうけとらないのに,賠償金を要求するのは?」
「こういう問題を学ぶことについてのご家族の反応は?」
フロアーからのそれぞれの質問に学生たちが答えていく。
こちらの出番は一つもなし。
段取りの悪いところはあったが,最後には大きな拍手をあびていた。
4時30分の終了である。
研究室にもどり,夏にナヌムの家へ同行してくれたみなさんの声を聞く。
「学ぶにとどめず,学びの成果を広める取り組みをしていることにはげまされる」。
おおむね,そのような感想であった。
学生とベテランの双方が互いに学びあう。
6時には,学生数名とチーム大人で,阪急「門戸厄神」近くの焼鳥屋へ。
何度もやってきた焼鳥屋である。
先輩ゼミ生がバイトをしていたこともある。
にぎやかに打ち上げを行っていく。
あいかわらずの食欲である。
報告会の場では,小学校以来という幼なじみの対面があり,
焼鳥屋では,同じ小学校の教師と生徒だったという新たな関係も判明する。
さらに,まじわりの輪の国籍も多様化していく。
9時には全体はおひらきである。
学生たちは家へもどり,チーム大人のみで二次会へ。
気持ちよく酒を飲んで,10時半の終了である。
家にもどって,バッタリと寝る。
学生たちのこうした活躍は,酒のサカナとしては,とてもよろしい。
知性のうらづけをもった,勇気ある行動だと思う。
さて,X JAPANの大ファンを自認した小泉純一郎氏は,どう受け止めているだろう。
「イ・スンファンと元Xジャパンのトシがジョイント」(朝日新聞,11月4日)。
「歌手のイ・スンファンとロックバンドのネル、日本の「Xジャパン」出身のトシが11月4日夜、ソウルのオリンピック公園体操競技場で「2006韓日平和コンサート」を開く。
日本、中国など外国との民間文化交流を目的に設立された国際文化交流会が主催し、日本の北海道日韓文化交流会などが後援するこのコンサートは、日韓両国の平和と関係発展をはかるために企画された。
公演収益の一部は、日本の従軍慰安婦だったハルモニたちの共同体である「ナヌムの家」に寄付され、トシが直接「ナヌムの家」を訪ねて寄付を贈ろうと公演に参加する。
イ・スンファンとトシはそれぞれのヒット曲を歌うのはもちろん、合同ステージも行う予定だ。
トシは日本のビジュアルロックのXジャパンでボーカリストとして活躍した」。
閣僚やそれに準ずる者であっても,「個人の責任」でなら,政府の方針に反する何を言っても許される。
それが安倍首相の判断である。
そのうち首相自身も「個人の責任」で,あれこれ勝手を言い出すのかも知れない。
あるいはこの国では,首相だけが内閣だとでもいいたいのだろうか?
「「麻生、下村発言まったく問題ない」首相 」(産経新聞,10月26日)。
「安倍晋三首相は26日夕、日本の核保有をめぐる論議を排除すべきではないとの麻生太郎外相発言や、慰安婦問題で旧日本軍の強制を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の前提となる事実関係の再調査に言及した下村博文官房副長官について「まったく問題ない」と問題視しない考えを示した」。
「外相発言について、首相は「私が言っているのが、内閣として言っていることだ」と重ねて強調。下村氏に関しても「議員の資格として言っていると思う」と述べた」。
「首相は「私も官房副長官時代には、議員の資格でいろいろな意見を言ったことがある。(下村氏も)個人の責任で言ってるのだろうから、まったく問題はない」と指摘。記者団が「議員としてならどのような発言でも構わないのか」などとただしたのに対しても、「私が申し上げた通りだ」と繰り返した」。
「歴史認識問題、首相「批判、甘んじて受ける」(日経新聞,10月10日)。
「「私が今まで述べてきたこととの関係で批判はあるだろう。その批判は甘んじて受ける」。安倍晋三首相は10日の衆院予算委員会で、歴史認識や靖国神社参拝などを巡り首相就任前の発言を軌道修正したことを事実上、認めた。民主党の前原誠司氏への答弁」。
「首相は就任前に1995年の村山富市首相談話や従軍慰安婦問題に関する93年の河野洋平官房長官談話に否定的な見解を示していたが、就任後は「私も含め政府として受け継いでいる」と明言。肯定的だった首相の靖国神社参拝についても、自らの参拝は明らかにしない方針を示している」。
「首相は10日の答弁で「見方はいろいろある」としたうえで「責任ある立場としては結果を出していくことが重要だ。今回、訪中、訪韓をすることによって首脳同士が率直な話し合いをできる関係をつくっていくことがまずは大切だと判断した」と説明した」。
①河野談話には再調査が必要,②強制性がなかった点では安倍首相も「考えを曲げた」「ひよった」ということではない,③村山談話もふくめて本来は修正の必要がある,④しかし時間がないので修正しない。
根っからのオール靖国内閣にふさわしい発言だが,しかし無責任きわまりない発言でもある。
再調査をいうなら,河野談話時の政府による調査の全容をまず公開してくれ。
あわせて従来の「考えを曲げた」わけではなく,2つの談話の修正が必要だと考えているのに,それを対外的に表明もせず,実行もしない内閣が,どうして「ひよって」いないことになるのか,その点もぜひ教えてほしい。
要するに,これは自分たちを支持してくれた自民党内右派勢力に対する下村氏自身の自己弁護だろう。
みっともない。
「河野談話は再調査必要 従軍慰安婦問題 下村副長官が認識」(北海道新聞,10月26日)。
「下村博文官房副長官は二十五日、東京都内で講演し、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた一九九三年の河野洋平官房長官談話について「個人的には、もう少し事実関係をよく研究し合い、その結果については時間をかけて客観的に科学的な知識をもっと収集して考えるべきではないかと思う」と述べ、再調査が必要との認識を示した」。
「安倍晋三首相も以前は河野談話に懐疑的だったが、首相就任後は同談話を踏襲する考えを示しており、これと食い違う側近の発言は野党から批判が出そうだ」。
「下村氏は講演で、河野談話と、植民地支配を謝罪した九五年の村山富市首相談話について「談話を修正するならもう一度閣議決定し直さないとならない。その時間を考えると、議論している時期ではない」と述べ、閣議決定を変更する考えがないことにも言及した」。
「その一方で、河野談話や村山談話を踏襲するとした首相発言に対し「一国会議員としての発言と首相としての発言は違って当然だ。首相が考えを曲げたとか、ひよったということではない」と述べ、首相が談話内容に必ずしも納得したわけではないとの見方を示した」。
「河野談話は、戦争中の従軍慰安婦が「意思に反して集められた」「官憲等が直接これに加担した」とし、官憲による「強制連行」の存在を認めている」。
アメリカ下院の国際関係委員会は,9月13日「従軍慰安婦動員関連決議案」(決議案759号)を可決した。
決議案はさらに米下院本会議に上程されるはずだったが,これを阻止しようとする日本政府からの激しい巻き返しがあったらしい。
以下の読売社説は,これといった根拠も示さず,この決議案を事実誤認と歴史の捏造にもとづくものと強弁し,日本政府がこれに反論せよと主張するもの。
「強制連行」がなかったことは,90年代半ばに学術レベルで決着がついたとあるが,ぜひその学術レベルの成果を具体的に特定してほしいものである。
つづく中央日報の記事は,同決議案の上程を阻むために日本政府が強力なロビー活動を行ったとするアメリカのボストングローブ誌の記事の紹介。
この紹介が事実であれば,「外務省は何をしていたのか」という読売社説の憤懣は杞憂にすぎなかったということになる。
「10月16日付・読売社説(2)-[『慰安婦』決議案]「日本政府はきちんと反論せよ」」(読売新聞,10月16日)。
「こんな問題の多い決議案を放置すれば、日米関係に禍根が残る。日本政府はきちんと反論すべきである。
米下院の国際関係委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題で日本非難決議案を議決した。
決議案は、「20万人もの女性が性奴隷にされた」「家から拉致され……性的な強制労働につかされた」などと、裏付けのない記述が数多く含まれている。
慰安婦問題は1990年代初頭、一部全国紙が、戦時勤労動員制度の「女子挺身(ていしん)隊」を“慰安婦狩り”だったと、歴史を捏造(ねつぞう)して報道したことから、日韓間の外交問題に発展した。
当時、「慰安婦狩りに従事した」と名乗り出た日本人もいて、これも「強制連行」の根拠とされた。だが、この証言は作り話だった。90年代半ばには、学術レベルでは「強制連行」はなかったことで決着がついた問題だ。
にもかかわらず、96年の国連人権小委員会報告書や今回の決議案のように、事実誤認や悪意に満ちた日本批判が繰り返されるのは、日本政府が毅然(きぜん)と反論してこなかったためである。
米下院委員会で議決されたのは初めてだ。外務省は何をしていたのか。本会議上程阻止が最優先だが、二度と失態を繰り返さぬようにすべきだ。
決議案には、「慰安婦の悲劇は20世紀で最大の人身売買」など、歴史認識へのバランス感覚を欠いた表現も目立つ。
第2次大戦中、ドイツは占領地域で組織的な“女性狩り”をしていた。にもかかわらず、米議会がこれを一度も問題にしていないのは、なぜか。
占領下の日本には、占領軍将兵専用の慰安婦施設があった。もとは占領軍将兵の性暴力を恐れた日本側の主導でできたものだが、占領軍の命令で設置された施設もあった。決議案に賛成した議員たちは、こうした事例も精査したのか。
慰安婦問題が混乱する原因は、93年の河野洋平官房長官談話にある。
河野談話は、確かな1次資料もないまま、官憲による慰安婦の「強制連行」を認めたかのような叙述を含む内容になっている。以後、「日本が強制連行を認めた」と喧伝(けんでん)される材料に利用された。
河野談話について、安倍首相は国会答弁で、継承する意向を表明した。同時に、「狭義の意味での強制性は事実を裏付けるものはない」とも指摘した。
狭義の強制性、つまり、官憲による「強制連行」がなかったことは確かではないか。首相はこう言いたいのだろう。
事実誤認や歴史の“捏造”まで、「継承」する必要がないのは当然である」。
「米下院慰安婦決議案「事実上廃棄」…日本、また執拗なロビー」(韓国・中央日報,10月17日)。
「日本政府に従軍慰安婦に対する責任認定と反省を促す内容の米議会決議案が、日本の執拗なロビーを受けて再び座礁する危機に処した。
この決議案は先月13日、下院国際関係委員会の審議を満場一致で通過、これまでより採択の可能性が高かったが、本会議上程という最後の峠を越すことができない。
米ボストングローブ誌は15日米下院が従軍慰安婦関連決議案(759号)採択を延ばしたが、これは日本のロビーのためだと報道した。新聞はまた「決議案が『事実上廃棄』され、表決に付さない」とすでに先月、米国韓人協会関係者らに伝えられたと報道した。
日本の反対ロビーは4月、レイン・エバンス(民主)議員とクリストファー・スミス(共和)議員が決議案を発議、本格化した。決議案は拘束力はないが、日本政府に対し▽従軍慰安婦動員の責任を認める▽戦争犯罪の無惨さを後世に教育する▽国連と国際赦めん委員会の勧告により犠牲者たちに賠償する--ことを具体的に要求している。
ここに日本政府は強力に反発した。決議案が採択されれば他の戦争犯罪に対する損害賠償要求も押し寄せると懸念したからとみられる。日本は裏で大物ロビイストを雇用、決議案が成立すれば米日関係が棄損すると警告し、議会の関係者らを説得した。代表的なロビイストが前共和党院内代表であるボブ・ミッシェル氏だ。ワシントンの最も影響力あるロビイストのうちの1人である彼は、デニス・ハスタート下院議長とヘンリー・ハイド国際関係委員長を集中攻略したということだ。
そのためか先月常任委を通過した決議案の本会議上程は先送りとなった。耐えかねた議員20人が先月22日、ハスタート議長に上程を促す書簡を送ったが、解答ははなかった。現在、下院は来月の中間選挙に備え、休会中だ。
最近の北核事態も決議案採択に否定的影響を与えているものということだ。韓日米が北核事態にしっかり対処するようにと願う米国としては日本との対立の可能性を生むことにもなる決議案採択にためらうほかないというのだ。
再び立証された日本の強大なロビー力も米国内で論争を起こしている。ボストングローブは「決議案759号の紆余曲折は外国政府のロビーが議員数十人の意志をどう曲げたのかを示したもの」と伝えた。日本は2001年と2005年にも慰安婦関連決議案が上程されることができないよう阻止した前歴がある。対外政策関連非政府機構であるアジアポリッシュポイントのミンディ・コトラー代表は「今回の事案は従軍慰安婦問題だけではなく、米国の政策決定グループに深く根付いた日本の影響力の問題を示している」と指摘した」。
あれこれ右往左往しながらも,本音は「オール靖国」の安倍政権。
その右派改憲団体との深いつながりを暴露,整理したのが以下の記事。
「改憲タカ派集団とのかかわり深く 安倍政権 “靖国史観”語る面々」(しんぶん赤旗,10月6日)。
見出しは「靖国ビデオ制作した日本会議と深い関係」「歴史教科書攻撃の議連メンバーが多数」「“靖国史観”語る面々語録 “改憲タカ派”ぞろいの安倍政権や自民党三役の発言をみると…」である。
「首相は『特定の歴史観、戦争観の是非について政治家が語ることについては謙虚であるべきだ』(三日、衆院本会議)といいますが、その顔ぶれは“靖国史観”という『特定の歴史観』を語ってきた面々です」。
「安倍首相の『美しい国、日本』というスローガンも『日本会議』そっくりです。同会議ホームページの『日本会議のご紹介』では『美しい日本を守り伝えるため、「誇りある国づくり」を合言葉に、提言し行動します』と宣言しています」。
「安倍政権には、かつて自民党の『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』のメンバーだった議員が多数入っています。いわば“同志”の集まりです」。「同会が発足したのは一九九七年二月。『中学歴史教科書に従軍慰安婦の記述が載ることに疑問をもつ』(同会編『歴史教科書への疑問』)議員約百人が名を連ねました。自民党政調会長の中川氏が代表を務め、安倍首相は事務局長、下村博文官房副長官が事務局次長でした」。
ぜひ,全文をごらんあれ。
安倍氏の言葉の上での歴史認識は日々〈進化〉しているようである。
目前の中韓首脳会談に向けた譲歩であり,アメリカの意向に沿うための譲歩である。
そして,もちろんそれは国会内外での強い批判に余儀なくされた譲歩でもある。
それにしても,こんな大事な問題について,中2日でこうもいうことが大きく変わるとは。
とはいえ,「慰安婦」でも,「自虐史観」でも,過去の発言を誤りだったとは認めない。
一貫する「信念」が売りだったはずだが,早くもボロボロ状態である。
「安倍首相 指導者に戦争責任 衆院予算委 村山談話継承も明言」(西日本新聞,10月6日)。
「安倍晋三首相は5日、就任後初めての衆院予算委員会で、先の戦争をめぐり、祖父の故岸信介元首相を含む指導者の責任を認めた。同時に(1)「植民地支配と侵略」を明記した1995年の村山富市首相談話(2)旧日本軍の強制を認めた従軍慰安婦問題に関する93年の河野洋平官房長官談話-の2つを、首相個人としても継承する考えを明言した。中韓両国首脳との会談を8、9の両日に控え、歴史認識で一歩踏み込んだ形だ」。
「安倍首相は、東条内閣の商工相だった岸元首相が太平洋戦争開戦の詔書に署名したことを問われ『開戦の結果、アジアの人たちに多くのつめ跡を残した。指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた』と述べた」。「首相は2日の衆院本会議で、A級戦犯として極東軍事裁判(東京裁判)で裁かれた国家指導者の責任を『具体的に断定することは適当でない』と言及を避けていた」。
「村山談話をめぐっては2日の衆院本会議で『先の大戦をめぐる政府の認識は、95年の首相談話などの通り、かつて植民地支配と侵略で多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えたというものだ』と答弁したが、この日は『私の内閣でも生きている。首相であり(継承するのは)当然だ』と明言。侵略や植民地支配の記述も「閣議決定した談話であり、国として示した通りだ」と認めた。河野談話に関しても『私を含め、現在の政府として受け継いでいる』と述べた」。
「安倍首相 “歴史認識判断するのは間違い” 『満州国』の評価避ける」(しんぶん赤旗,10月6日)。
「衆院予算委員会は五日、安倍晋三首相と全閣僚が出席して総括質疑に入りました。首相は、先の日本の戦争をめぐる一九九五年の村山富市首相談話について、『当然、生きている』とのべ、引き継ぐ考えを改めて示しました。しかし、日本が傀儡(かいらい)国家として『満州国』をつくったことについて問われると、『歴史の認識や分析について政治家が神のごとくに判断するのはまちがっている』とのべ、具体的事例については言及を避けました。民主党の菅直人代表代行への答弁」。
「菅氏は『村山談話を認めるなら、「満州国」の建国は侵略であり、まちがっていたというのが自然だ』と批判しました」。「安倍首相は、祖父・岸信介元首相が東条内閣当時、商工相として太平洋戦争の開戦詔書に署名したことについては、『当時はいろいろな状況があった。結果として、その時の判断はまちがっていた』とのべました」。
「安倍首相は、『従軍慰安婦』問題をめぐる九三年の河野洋平官房長官談話について『私の内閣で変更するものではない』とのべました。しかし、かつて同談話を批判していたことについては『当時、いろいろな議論があった』と開き直りました」。
菅氏は『首相は歴史教科書について自虐史観だと強くいってきた。一方で歴史認識を語りながら、首相になったら語らない』と批判。安倍首相は『申し上げてきたことは別にまちがっていなかった』と強弁しました」。
その歴史観に対する内外からの批判に,安倍氏が従来からの「信念」とは違う言葉を語らずにおれなくなっている。
とはいえ「信念」そのものが変わったわけではもちろんない。
中韓との首脳会談再開は結構なことだが,「玉虫色」の「あいまい戦術」で,どこまで安定した関係がつくれるものか。
必要なのは,はっきりとした謝罪と清算である。
その一方,アメリカは自身の国益のために日本を活用することに執着している。
背後には,東アジア市場の獲得をめぐる,米日欧の競争という経済問題もある。
「安倍晋三首相と中国、韓国首脳が8、9両日に行う会談で、靖国神社参拝など歴史認識問題を『克服』していくとの認識で一致することが固まった。これにより、中韓両国は、安倍首相が自らの参拝自粛を事実上表明したと受け止め、今後の関係改善を加速することで合意する方向だ。複数の日中、日韓関係筋が5日明らかにした」。
「ただ、首相は今後も靖国参拝に関して明言を避ける『あいまい戦術』を維持する意向で、日本と、中韓側がそれぞれ都合よく解釈できる“玉虫色”の決着となる」。
「中韓両国は、これまでの外交当局間の事前交渉で、小泉純一郎前首相の靖国参拝で途絶えた首脳会談を再開させるには、安倍氏の「自粛姿勢」の明確化が必要と主張していた」。
「このため、谷内正太郎外務事務次官は9月25日の戴秉国・中国外務次官との会談で、安倍氏の今後の靖国参拝について明確に否定はしないものの『中国側が「参拝しない」と受け取れるような表現』(日中関係筋)の『新見解』を提示。戴氏はいったん帰国し、胡錦濤国家主席の同意を得て、28日に急きょ再来日、安倍氏の訪中受け入れを回答していた」。
「韓国も、日本との事前交渉で『日韓双方が両国関係を妨害する行為をしない』との認識で一致したことを受け、訪韓受け入れに同意。日韓首脳会談でも、安倍首相が今後靖国参拝をしないと受け止めた上で『未来志向』の関係構築で一致する見通しだ」。
「安倍首相の中韓歴訪を歓迎、米政府が声明(日経,10月5日)」。
「米ホワイトハウスは4日、安倍晋三首相の中国と韓国への訪問計画を歓迎する声明を発表した。『東アジアの重要な同盟国である日本と韓国との間の緊密な協力を米政府は最大限重視している』と評価。『日本と中国の協力も共通の課題に取り組む上で重要だ』との見方を示した」。「米政府が外国首脳の第三国への訪問に関し事前に声明を発表するのは珍しい」。
「EUがASEANや韓国とのFTA交渉を加速」(日経新聞,10月5日)。
「欧州連合(EU)の欧州委員会は4日、東南アジア諸国連合(ASEAN)や韓国との自由貿易協定(FTA)交渉を最優先課題と位置付けた新たな通商政策を採択した。急成長するアジア市場で、EUは日本や米国に出遅れていると指摘。アジアでのFTA交渉を加速し、貿易や投資を大幅に拡大したい考えだ」。
靖国史観を公然と肯定するところに安倍氏の政治家として際立った特徴があり,内閣も「オール靖国」に近いものとして構成された。
それにもかかわらず,安倍氏は国会でそれを堂々と主張することができずにいる。これは,その歴史観への内外の批判がいかに強いかということの証明といえる。
政治の流れは政府の方針だけで決まりはしない。それは多くの市民・世論との力の衝突の結果としてのみ,決まっていく。
言い古された言葉だが,しかし,依然,政治の真理である。
それにしても,下の埼玉の上田県知事による「じゃまするな」発言は下劣にすぎる。
何が真実かを,正面から論じ合う勇気をもたない者の常套手段といってしまえばそれまでなのだが。
「歴史認識『政府見解』で『本音』隠し 安倍首相」(朝日新聞,10月4日)。
「安倍首相は4日まで3日間にわたった衆参両院の各党代表質問で、歴史認識を問われると決まって『特定の歴史観を語ることには謙虚でありたい』とかわし続けた。村山首相談話と河野官房長官談話についての自らの認識も示さず、『政府の立場』の説明にとどめた。自ら疑問を呈した『政府見解』を盾に持論を封印した形だが、矛盾は今後も問われそうだ」。
「『靖国神社がご指摘のような立場を有するかどうかわかりませんが、特定の歴史観の是非について政治家が語ることには謙虚であるべきだ』。首相は4日、共産党の市田忠義氏が「靖国神社が言うように先の戦争をアジア解放の正義の戦争という立場に立つのか」と問いかけると答えた」。
「同党の志位委員長は『靖国の立場と政府の立場は違うとも言わない。前の小泉内閣と比べても大きな歴史認識の後退だ』と訴える」。
「安倍氏は首相就任前の記者会見で、村山首相談話のうち『国策を誤った』など、戦争責任につながる核心部分についての自らの認識を明らかにしていなかった。代表質問でも『政府の認識』として引用しただけだ」。
「今年2月の衆院予算委で、当時官房長官だった安倍氏は『侵略戦争』の定義について『学問的に確定しているとは言えない』と述べていた」。
「従軍慰安婦問題では矛盾が際立つ。97年に『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』を立ち上げた直後、衆院決算委第2分科会では『河野官房長官談話の前提は崩れてきている』などと訴えていた」。
「持論を封じた首相の答弁には『手堅く、無難にやろうとしている』(片山虎之助参院自民党幹事長)との声がある。政権発足直後であることや8、9両日に中韓両国訪問を控えている事情があるとの見方だ。これに対し、野党側は『何も語らないのは、極めてひきょうな発想だ』(鳩山由紀夫民主党幹事長)と攻勢を強めている」。
「元慰安婦ら知事に要請 従軍慰安婦発言で 撤回と謝罪求める」(中日新聞,10月4日)。
「上田清司知事が六月定例県議会で『古今東西、慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない』と発言したことを受け、自ら従軍慰安婦だったと証言している韓国籍のイ・ヨンスさん(77)と支援者が三日、県庁を訪れ、発言の撤回と謝罪を求める要請書を県秘書課に提出した」。
「イさんら十数人は面会の約束がないまま知事室を訪ねたが不在だったため、開会中の県議会議事堂へ移動。議場に入ろうとする知事を取り囲んだ際、知事が『じゃまするな』と声を荒らげるひと幕があった」。
「直後にチョゴリ姿で記者会見したイさんは『私は当事者。知事の目の前ではっきりと証言したかった』と話した」。
「要請書では、知事の発言は事実に反し、人権侵害に当たると批判。『アジア各国の被害者』への謝罪を求めている」。
「イさんによると、十四歳だった一九四三(昭和十八)年十月、韓国・大邱の自宅にいたところを旧日本軍により強制連行され、台湾の軍基地で慰安婦として従事したという」。
安倍新内閣の顔ぶれについて。
①海外で戦争のできる国づくりへ5年で改憲,②侵略・加害の歴史を肯定,③それに応じた「愛国」教育,④ジェンダー・フリーは大嫌い,⑤大企業減税・庶民増税,⑥日米軍事同盟強化と軍拡推進……。
いかにも「反動的」というなつかしい言葉が似合う内閣である。それが誰にもわかりやすいのがこの内閣の特徴か。それだけに国民の運動をひろげる条件は拡大する。その条件をいかに効率的に活用しうるかどうか,そこがそれぞれ腕の見せどころ。
【改憲について】「党内切っての改憲・タカ派政治家が、要職をがっちり握った布陣」「五年という年限を区切って改憲をめざす安倍晋三首相のもと、憲法改悪と歴史問題での逆流がいっそうすすむ危険性」。
麻生太郎外相の留任。「同氏は首相の靖国参拝のみならず、天皇参拝も望ましいと発言して物議をかもした根っからの“靖国派”」。「改憲についても、『自民党結党以来の党是であり、必ず改正すべきだ』(八月二十七日)とのべるなど、強固な改憲論者」。
中川昭一政調会長。「今年の八月十五日に閣僚として靖国神社を参拝するなどタカ派の代表格」「安倍首相とは、歴史教科書を攻撃した『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』で行動を共にしてきた“盟友”」。
「閣僚の実に九人までが〇五年の衆院選で、改憲右翼団体・日本会議の応援を受けています。安倍氏の敷いた改憲・タカ派布陣からは、安倍首相がうたう「戦後レジーム(体制)からの脱却」が何を意味するのか、歴史逆行の危険性が見え隠れします」。
【教育について】「文部科学相ポストに、年来の教育基本法改悪論者である伊吹文明氏」「伊吹文科相は昨年十月の衆院予算委員会で、小泉純一郎首相(当時)に『郵政民営化と同じような熱意を持って…憲法の問題、教育基本法の問題、地域社会と家族の復権の問題に取り組んでもらいたい』と迫りました」。
「官邸主導の『教育改革』のために下村博文前文部科学政務官を官房副長官に、山谷えり子参院議員を教育再生担当補佐官に任命」。
「下村官房副長官は、右翼改憲団体の日本会議と連携する『教育基本法改正促進委員会』の委員長代理」「八月二十九日に開かれたシンポジウムでは『自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる』と発言」。
「山谷補佐官も『同改正促進委員会』理事。性教育・ジェンダーフリー教育を攻撃する自民党のプロジェクトチームでは安倍座長の下で事務局長」。
「下村・山谷両氏は〇四年の自民党英国教育調査団主要メンバー。安倍首相がモデルとするサッチャー教育改革を学び、選別と統制の『教育改革』を提唱する最右翼」。
【経済改革について】「財務相に就任したのは尾身幸次元経企庁長官。記者会見で『経済の活性化をしつつも、財政再建に取り組み後世にツケを残さない』と表明。税制『改正』については『本格的な検討は来年の秋以降』とし、参院選挙後に消費税増税に取り組む考えを表明」「その一方、財界・大企業が求める研究開発投資を促進するための企業減税を『考えたい』前向きな姿勢を」。
「『構造改革』の司令塔を仕切る経済財政担当相に任命されたのは大田弘子政策研究大学院大学教授」「竹中平蔵前総務相のブレーンの一人で、内閣府の政策統括官として経済財政諮問会議の政策作りを実務面で担当してきた経歴の持ち主」「自著(『良い増税 悪い増税』)で、所得税控除の大幅削減や課税最低限引き下げ、消費税引き上げの考えを示しています。一方、法人税減税の必要性を強調しています」。
「自民党税制調査会の会長を務めてきた柳沢伯夫元金融相は厚生労働相に就任。これまで消費税の二ケタ増税の必要性を表明」「記者会見でも社会保障の財源について『税の裏打ちは避けられない』と増税に言及」。
【安保・外交について】「在日米軍再編を推進してきた麻生太郎外相の留任、国防族議員の代表格である久間章生氏の防衛庁長官就任で、地球規模の問題に共同で対処する『世界の中の日米同盟』強化路線を継承する布陣」。
「従来は任期も比較的短く、自民党の要職に就いた議員が就任することはなかった防衛庁長官のポストに、前党総務会長の久間氏が就任したことは、来年度以降の『防衛省』昇格をにらんだ配置」「同氏は、日本の軍需産業代表や国防族議員が集まる『日米安保戦略会議』で、『日米関係を一歩でも米英関係や米豪関係に近づけたい』(五月十四日)などと発言。文字通り『海外で戦争する国』を目指しています」。
「麻生外相は、安倍首相が主張する集団的自衛権の行使について、インド洋へ派兵中の自衛隊艦船が米艦を『防衛』するという事例を挙げて容認を迫るなど、首相と共同歩調」「北朝鮮のミサイル発射問題では、『核を抱えたミサイルが日本に向けられるなら、被害を受けるまで何もしないわけにいかない』と述べ、『敵基地攻撃能力』の保有に理解を示しました」。
「新内閣全体を見ると、麻生氏以外にも中韓両国や北朝鮮への強硬発言を繰り返す閣僚が目立ち、ゆきづまった『アジア外交』にいっそうの影を落としかねません」。
化学兵器被害の解決を目指す共同行動がブログを立ちあげました。
関連の情報は以下のとおり。
==============転送・転載歓迎==========================================
2006.9.18版
■■ 戦前,日本で製造された毒ガス。
■■■ 戦後60年たった今でも,
■■■■ 日本と中国の多くの人たちの日常と未来が
■■■■■ 奪われ続けていることを知っていますか・・?
「化学兵器被害の解決を目指す共同行動」実行委員会より皆さまへ
初めまして。
この実行委員会は、旧日本軍遺棄化学兵器の被害者支援に携わる
4つの弁護団と4つのグループで構成されています。
私たちはすべての毒ガス被害者が安心して医療を受け,生活でき
るような補償の実現を目指しています。
ブログ開設しました! →→ http://blog.livedoor.jp/kaiketsu2006/
遺棄毒ガス被害事件のこと,裁判の状況,被害者たちの現状,
支援活動の内容 などなど随時UPしていきます。
◆皆様へのお願い ~力を貸してください~◆
・このメールを 皆様のお友達や各種MLへ転送してください。
・ 〃 皆様のブログやHPへ転載してください。
・皆様のブログやHPから共同行動ブログへリンクしてください。
(http://blog.livedoor.jp/kaiketsu2006/)
・裁判の傍聴(東京近郊の方ぜひお願いします)
・カンパ(被害者の来日費用など)
・資料の配布(配布可能なイベントなどお知らせください。バーターも可)
皆様のご協力よろしくお願いいたします。
【1】背景 ~毒ガス兵器の製造,遺棄~
戦前,広島県大久野島では,毒ガスが製造されていました。その毒ガスを
使った兵器は,中国に進駐していた日本軍に配備され,実戦使用されました。
敗戦前後、国際法で禁止されていた化学兵器使用の発覚を恐れた日本軍は,
大量の毒ガス兵器を組織的に中国の河川や地中に遺棄しました。そして戦後、
日本政府はその証拠を隠し続けました。
広島県大久野島以外でも、国内に毒ガス関連施設は複数ありました。
東京都新宿区:陸軍科学研究所(1919年組織的な化学戦の研究に着手)
千葉習志野市:陸軍習志野学校設立(1933年毒ガス戦の運用教育訓練開始)
その他:福岡県北九州市 曾根兵器製造所、神奈川県平塚市 相模海軍工廠
(毒ガスを砲弾等に填実。海軍では充填)
【2】現代の被害 ~平和な現代に起きている毒ガス被害事件~
戦後,中国ではおよそ2000人が遺棄毒ガスの被害に遭い,2003年から2005年
の3年間だけでも計49名(うち1名が死亡する)が被害に遭っています。
日本でも,2003年茨城県神栖市で,井戸水から毒ガス原料が発見され,住民
の方々が被害に遭っています。2005年に地中から発見されたコンクリート塊が
汚染源と考えられています。
環境省による調査報告→http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/
(日本国内に関してのみ)
【3】毒ガスの被害 ~毒ガスがすべてを奪う~
毒ガスにふれたり吸い込むと,神経,呼吸器,皮膚細胞が侵され,眼の痛み
や腫れ,視力の低下,皮膚のびらん,気管支炎,咳,免疫力低下,倦怠感と
いった様々な症状に苦しみます。これらの症状は治癒しないため、入退院や通
院を繰り返す生活になってしまうのです。
健康だった夫/妻が働けず,医療費や生活費にも事欠く・・。
元気だった子が,体育の授業に参加出来ず,走ることもできなくなる・・・。
「なぜ,平和な時代に被害に遭わなければいけないの」と彼/彼女らは言いま
す。
【4】救済を求めて(1) ~裁判~
1950年代から80年代に中国で発生した遺棄毒ガス事件の被害者らは,裁判を
2回に分けて起こし,現在東京高裁で懸命に闘っています。東京地裁は,ひと
つの裁判では国の責任を認めましたが,もう一方で,日本が毒ガス兵器を遺棄
した事実は認めたものの,国の責任を否定しています。
再来月、2006年11月に両裁判が結審を迎えます。
【5】救済を求めて(2) ~日中両国の被害者救済を~
戦前,広島県大久野島で毒ガス製造に関わった人たちも,製造する過程で触
れた毒ガスのため,今なお苦しんでいます。これらの国内の毒ガス被害者に対
する国による救済措置は1950年に始まりました。しかし,茨城県神栖市の被害
者への救済措置は決して十分とは言えず、被害者は,現在ある救済措置の継続
と拡充を環境省に求めています。
また、救済措置の対象外である中国の毒ガス被害者(2003年以降に被害)は,
医療保障などを日本政府に求めています。
毒ガス障害者の援護のしおり(日本国内の被害者が対象)
→http://www.pref.hiroshima.jp/fukushi/gentai/gas/index.html
神栖の被害者への健康被害に係る緊急措置
→http://city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/_kankyou/0102-08.htm
★カンパのお願い
毒ガス被害者救済を実現するため、支援のカンパを何卒よろしくお願いいた
します。
(主に裁判の原告や被害者の渡航費に使用させていただきます。)
郵便口座: 00160-8-583130
加入者名: 毒ガス被害者をサポートする会
※通信欄に「共同行動カンパ」とお書きください。
★傍聴のお願い
11月22日、30日に【4】の二つの裁判の最終弁論が行われます。
詳細は随時以下にUPします。傍聴にぜひお越しください!
http://blog.livedoor.jp/kaiketsu2006/archives/cat_50012450.html
■「化学兵器被害の解決を目指す共同行動」実行委員会 とは?
これまで旧日本軍遺棄化学兵器の被害者支援に携わってきた、以下の8つの
グループにより構成されています。前述【4】の裁判(2006年11月に結審)の
勝訴そして、日中被害者の全面的な救済を求めるべく活動しています。
旧日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件弁護団
遺棄化学兵器被害チチハル事件弁護団
敦化遺棄毒ガス被害事件弁護団
神栖町有機ヒ素被害弁護団
中国人戦争被害者の要求を支える会 http://www.suopei.org/index-j.html
毒ガス被害者をサポートする会 http://www.geocities.jp/dokugas2000/
ABC企画委員会 http://members2.jcom.ne.jp/wa-chiyoko/
China-Japan Network未来巡業 http://www.peace-justice.jp/
■問合せ先
「化学兵器被害の解決を目指す共同行動」実行委員会
中国人戦争被害者の要求を支える会 気付
TEL>>03-5396-6067 FAX>>03-5396-6068
E-mail>> kaiketsu2006@84qiqihar.net
9月11日から14日のゼミ韓国旅行に同行してくださった方が,それぞれのブログに感想を記されています。
ぜひご覧ください。
1つはF田弁護士の「弁護士fujita的日々」。
もう1つはT内さんの「大阪社保協事務局長のブログ」。
以下は,学生たちの「活躍」にふれた,その一部です。
「火を噴くような演説が続く中、石川ゼミ生達も、緊張した面持ちで、前面に並ぶ。3名が順番に発言。
これまで、どのように学んできたか 韓国・ナヌムの家で何を感じたのか これから、どう行動するのか
おそらく、政治的な集会参加は人生初、しかも、外国で、発言までしてしまったとは。
全くすごいものを見せていただいた」(F田さん)。
「11人の学生達が『私達は真実を学び、日本を戦争をしない国にするために、私達が日本を変えていきます』と言い切りました。
すごいすごい。
前日の晩には、『私達には何もできない』と語り、そして『日本政府も協力してください』という原稿を考えていたのに、当日、こんな風に言葉を変えました。
自分達で変えていくと言い切った彼女達に本当に感動し、涙がでました。
真実を学んだとき、人間は変わるんだと、そして自分達が動かなければ変わらないと、彼女達が言いました」(T内さん)。
靖国参拝をやめよという,アメリカ政界からの声が強まっている。
「米下院 靖国参拝 悪習やめよ 『遊就館の歴史観は誤り』」(しんぶん赤旗)。
「米下院外交委員会は十四日に日本と近隣諸国に関する公聴会を開き、小泉首相の靖国神社参拝に反対を表明してきたハイド委員長が、靖国神社の遊就館の歴史観を批判、是正を求めました。他の出席者からも、小泉首相や後継者の靖国参拝への厳しい批判が飛び出しました」。
「太平洋戦争に従軍した経験を持つハイド議員(共和党)は、遊就館の展示が日本の戦争について『西洋帝国主義の支配から解放するためだったと若い世代に教えているのは困ったことだ』と主張。『この博物館(遊就館)で教えられている歴史は事実に基づいていない、是正すべきだ』と語りました」。
「ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者であるラントス議員(民主党)もハイド議員の主張に呼応。『日本が過去の歴史に正直に取り組んでいないことは、日本自身にとって大きな危害となっている』と述べ、『日本の歴史健忘症の最も顕著な例が、日本首相の靖国参拝である』と指摘しました」。
「同議員は、A級戦犯をまつっている靖国神社への首相の参拝は、『ドイツのヒムラー(ナチス親衛隊総司令官)、ゲーリング(ナチ政権下でヒトラーに次ぐ実力者)らの墓に花輪を置くに等しい』とも語りました」。
「また、日本の次期首相への『メッセージはシンプルだ』とし、『戦争犯罪人に敬意を表することは道徳的に破綻(はたん)している。この習わしをやめなければならない』と述べました」。
「同議員は、侵略の歴史を美化する『新しい歴史教科書をつくる会』の教科書を日本政府が検定合格させたことにも言及。『南京大虐殺はなかった。日本は他のアジア諸国を帝国主義から守るために開戦しただけだ』とする教科書を『歴史修正主義』だと表現。将来の日米関係にとっても、『日本の超国粋主義者を除くすべての人々にとって、率直に公然と過去と向き合う日本の姿勢が最高の利益であることは明白だ』と語りました」。
その一方で,安倍氏は,いまだに靖国参拝への批判を,「中国,韓国」との関係という自分で勝手に設定した狭い視野の中でしか論ずることができずにいる。
「明確化求める声に反論 安倍氏、靖国参拝問題で」(東京新聞)。
「安倍晋三官房長官は14日の自民党青年局の討論会で、自らの靖国神社参拝の有無を明確化しない考えを重ねて示した上で『参拝に反対の人がはっきり言え、という。中国、韓国が嫌がることを言え、というのと等しく、何かちょっと変だなと感じている』と、明確化を求める声に反論した」。
「安倍氏は『この問題が外交、政治問題として利用される中にあって(参拝の有無を)宣言するつもりはない』と強調。靖国参拝に賛同する人には『私の思いをかなり理解してもらっている』とも述べた」。
『美しい国へ』で「闘う政治家」を自称する安倍氏ですが,はたして彼に,アメリカからの批判と「闘う」日は来るものでしょうか。あるいはこの問題については「アメリカいいなり」を証明するだけなのか。
他方で,靖国参拝を一大国際問題にした小泉内閣の一翼をになう公明党は。
「公明が運動方針案、首相の靖国参拝を批判 靖国問題」(読売新聞)。
「公明党は13日の常任役員会で、今後2年間の党の方向性を示す運動方針案を決めた」。「中国、韓国との関係について、首相の靖国神社参拝を批判し、『絶え間ない首脳間対話以外に解決の道はない』と安倍官房長官の首相就任を念頭に、靖国参拝をけん制している」。
「反面、自民党と対立の可能性がある、集団的自衛権の問題や新たな国立追悼施設の建設などには触れなかった」。
靖国へ行くなら入閣しない。そういうキッパリとした態度はやはりとれない。
政治のキャスティングボードを握るとこの政党は良くいうが,参拝中止に向けたその活用はまるで念頭されていない。
「けん制」するのは結構だが,この政府を支え続けた自らの過去の態度への評価を明快にせよ。
ついでに「運動方針は、30日の党大会で正式に決定される」。
「同案では、自民党との連立政権の成果に、経済再生、政治資金や政官業癒着構造の改革、社会保障制度の立て直しの三つを挙げた。今後の課題には、〈1〉教育改革〈2〉新しい経済成長〈3〉地域再生〈4〉格差抑制〈5〉少子高齢化――の五つを示した」。
これだけ「格差」を拡大させ,「少子化高齢化」を深刻化させておきながら,それを「成果」だと強弁したいらしい。
大会では,そのためにどのような具体的根拠が示されるのか,あるいは何も示すことができないのか,そこが1つの注目点。
「米下院国際関係委、日本の慰安婦関連決議案を可決」(朝日新聞)。
「米下院の国際関係委員会は13日、日本による第2次世界大戦中の従軍慰安婦動員に関する決議案(下院第759号決議案)を初めて審議し、これを可決した。『中国新聞網』が報じた」。
「同決議案は民主党のレイン・エバンズ議員と共和党のクリス・スミス議員が4月に提出したもので、日本政府に対し▽従軍慰安婦動員の事実と責任を認める▽従軍慰安婦問題が人権に反する問題であることを現在および次世代の日本国民に教育する▽慰安婦を否認するいかなる主張に対しても公に強く反論する▽国連やアムネスティ・インターナショナルの慰安婦関連勧告を履行する――ことを求めている」。
「同決議案は、日本政府の承諾の下で慰安婦に対して行われた暴行、強制堕胎、性暴力、人身売買などの反人類的犯罪は、20世紀における最大規模の人身売買事件であり、その被害者は20万人に達するとの歴史学者の見解に言及。また、第2次大戦の戦勝国および関係国との賠償協議において、日本政府はこの方面の戦争犯罪をいまだ完全に公開していないと指摘している」。
以下,WAMのML情報(810)から,この問題についての韓国での報道の様子を紹介しておきます。
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米下院国際関係委、慰安婦決議案 初採択の報道をお伝えします。
なお、関連記事および論評は、追ってお送りします。
1) 米下院国際関係委、慰安婦決議案 初採択 (聯合ニュース)
2) 米下院、慰安婦決議案初めての採択 (mbn)
3) 米下院、日本軍慰安婦決議案通過 (KBS)
1) ***************************
[聯合ニュース 2006-09-14 01:07]
米下院国際関係委、慰安婦決議案 初採択
日政府に慰安婦の責任認定など要求
下院の全体会議でも無難に処理されるもよう
(ワシントン=聯合ニュース) 金炳洙特派員= 米国下院国際関係委が1、3日(現地時間)第2次大戦当時日本の従軍慰安婦動員関連決議案(下院決議案759)を初めて上程し、全員一致で可決処理した。
この日採択された慰安婦決議案は、今年4月民主党レーン・エバンズ(イリノイ州)、共和党クリストファー・スミス(ニュージャジー州)議員が共同提出したもので、日本政府に対し、▲従軍慰安婦の動員の事実と責任を認めること ▲この問題が反人権的問題であることを現在と未来の世代に教育すること ▲慰安婦動員を否定するいかなる主張に対しても公開的に強く反論すること ▲国連および国際アムネスティ慰安婦勧告案を履行することなどを要求している。
米下院で慰安婦決議案が最終採択されれば、第2次大戦当時の日本の蛮行に対して米国社会はもちろん全世界に想起させ、今後慰安婦賠償問題などにおいて日本政府を圧迫する効果があると予想される。
これに先立ち、2001年と2005年にも慰安婦関連決議案が米議会に提出されたことがあるが、日本側のロビー活動によって、毎回上程すらできずに廃棄された。慰安婦決議案が下院主務常任委に初めて上程されて全員一致で通過したことによって、下院の全体会議でも無難に可決処理される可能性が高いと見込まれる。
決議案は、歴史家たちによればその被害者数が20万名に達する慰安婦強制動員が、20世紀に発生した人身売買事件の中で最も大きな事件として、彼女たちに対する暴行、強制堕胎、性暴行、人身売買など数多くの反倫理的犯罪が日本政府によって公式になされたり調整されたと指摘した。
また、日本政府が第2次大戦戦勝国および関連諸国との賠償交渉で、このような戦争犯罪に対して完全に明らかにせず、一部の日本教科書は第2次大戦中慰安婦の悲劇と別の蛮行を縮小記述しており、その上日本政府の役割を歪曲していると明らかにした。
一方、この間米国内韓人社会と慰安婦問題関連団体は、米議会での従軍慰安婦決議案上程および通過のために汎韓人社会次元で署名作業と共に地方区議員に手紙を送る運動など大々的なキャンペーンを繰り広げた。
2) ************************
[mbn TV 2006-09-14 08:47]
米下院、慰安婦決議案初めての採択
米下院国際関係委が、第2次大戦当時日本の従軍慰安婦動員関連決議案を初めて上程して全員一致で可決処理しました。
決議案は日本政府に対して従軍慰安婦動員事実を明白に認め、歴史的責任を受け入れること、反人間的でおぞましいこの犯罪に対して現在と未来の世代に教育することなどを要求しています。
今回の決議案は、強制的な拘束力があるものではありませんが、第2次大戦当時の慰安婦強制動員など日本の蛮行に対し、米国社会はもちろん全世界にこれを想起させることはもちろん、今後慰安婦賠償問題において日本政府を圧迫する効果があると予想されます。
3) ***********************
[KBS TV 2006-09-14 07:51]
米下院、日本軍慰安婦決議案通過
<アンカーコメント>
米下院国際関係委員会が、日本の従軍慰安婦動員を非難する決議案を全員一致で通過させました。ワシントンからミン・ギョンウク特派員が報道します。
<リポート>
日本が第2次大戦中に韓国人婦女子を戦場に引っ張っていき慰安婦として虐待した蛮行を非難する決議案が、ついに米下院国際関係委員会を通過しました。
日本軍慰安婦動員関連決議案は、2001年と昨年の二回にわたり提出されたが、日本のロビ活動ーで表決にも入ることができずに廃棄されていました。
今日下院国際関係委員会を通過した決議案は、日本政府に対して慰安婦動員事実を認めて歴史的責任を受け入れ、反倫理的でおぞましいこの犯罪に対し、現在と未来の世代を教育するように要求しました。
また、慰安婦に対する追加措置を決める時、国連女性暴行特別調査官とアムネスティのような国際人権団体の勧告を真剣に考慮することなどを要求しました。今回の決議案は、強制的拘束力があるものではありませんが、第2次大戦当時行われた日本の蛮行に対し、米国社会と全世界の注意を喚起させ、今後の慰安婦賠償問題において日本政府を圧迫する効果があると予想されます。
米下院国際関係委員会は、明日小泉総理の靖国神社参拝など日本の過去事問題で造成された韓国、中国との関係悪化問題などを扱う聴聞会を開く予定であり、日本軍慰安婦問題も扱われると見られます。
今日通過した決議案は、日本政府による慰安婦事件を20世紀に起きた最も大きな規模の人身売買事件だと規定しました。
ワシントンから、KBS ニュース ミン・ギョンウクでした。
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15日に米下院で開催予定の「日本の過去事聴聞会」の報道と、「慰安婦」決議案に関する論評記事(聯合)と社説(ソウル新聞)を紹介します。現在のところ韓国の新聞社で、社説・コラムとしして採り上げられたものは、この2社のものだけです。
1) 米下院、明日「日本の過去事聴聞会」開催 (聯合ニュース)
2) 米、慰安婦決議案、日本の過去の蛮行を告発する象徴的意味 (聯合ニュース)
3) <社説> 注目される米議会の従軍慰安婦審議 (ソウル新聞)
1) ***************************
[聯合ニュース 2006-09-14 01:10]
米下院、明日「日本の過去事聴聞会」開催
(ワシントン=聯合ニュース) ユン・ドンヨン特派員= 「日本の過去事聴聞会」が、14日午前米国下院国際関係委員会で開かれる。
国際関係委員会は、この日「日本の周辺国関係: バック トゥ ザ ヒューチャー(Back to the
Future)」という名の聴聞会で、小泉純一郎総理の靖国神社参拝など日本の過去事問題による韓国、中国などとの関係悪化問題およびこれと関連するアジア地域での米国の利害関係などを扱う。
この聴聞会は、本来7月27日に予定されていたが、当時米国を訪問したイラク総理の上・下院合同演説のために延期になっていた。当初、聴聞会の題名は、「日本の緊張した周辺国関係: バック トゥ ザ ヒューチャー(Back to the Future)」で
あった。
聴聞会の証人としては、日本通と知られるマイケル・グリーン前ホワイトハウスアジア担当選任補佐官、ミンディ・コトラーアジア政策ポイント(APP)局長、カット・キャンベル戦略国際研究所(CSIS)国際安保プログラム局長が出席する。
米議会が、日本の周辺国と緊張関係に対する憂慮のために、このような聴聞会を開催するのは初めてだと伝えられている。
2) ***************************
[聯合ニュース 2006/09/14 04:43]
米、慰安婦決議案、日本の過去の蛮行を告発する象徴的意味
日本の妨害ロビー活動にもかかわらず、可決されたことが大きな成果
(ワシントン=聯合ニュース) キム・ビョンス特派員= 米国下院の国際関係委が、13日(現地時間)第2次大戦当時の日本の従軍慰安婦の強制動員に関連した決議案を採択したことは、強制力はないが、日本の過去の蛮行に対し、米国をはじめとして国際社会に想起させる契機になったという点で、少なからぬ意味がある。
今まで、米国議会に慰安婦関連の決議案が提出されたのは、2001年と2005年に続き、今回が3回目。しかし、日本側の執拗な妨害ロビー活動に押さえこまれ、米国議会で表決はおろか、甲論乙駁のための議案の上程さえできないまま、ともに廃棄されてきた。
米議会は、この問題だけなく、日本の戦争捕虜虐待など、日本の過去事問題には蜜をなめたようにおとなしく、沈黙していた。日本は、今回も慰安婦決議案の採択を阻止するために、全方向のロビー活動を展開した。
日本は、政府が直接乗り出しもし、米国内の親日派の議員たちを前面に出し、ヘンリー・ハイド米下院国際関係委員長をはじめとする議員に相当な圧力と懐柔を行使したことが伝えられている。
決議案は、当初今年6月に上程・審議される予定だった。しかし、日本は6月末に小泉純一郎日本総理の米国訪問を前にして、大々的なロビー活動を繰り広げ、一時この決議案も光を見られないまま、またもや廃棄される危機に処しもした。
このような点から、慰安婦決議案の採択は、外交的に意味ある成果だという評価も出てきている。アメリカ国内の韓人社会と、慰安婦関連の諸NGO(非政府機構)も「対抗ロビー」を展開して、慰安婦決議案の処理の可否が韓日間の自尊心をかけた外交戦の様相を帯びもしたからだ。
今回決議案が通過したことは、何より米議会で超党派的に決議案が推進されたためだと分析されている。今回の決議案は、民主党のレーン・エバンズ(イリノイ州)、共和党のクリストファー・スミス(ニュージャジー州)議員が共同発議し、下院の国際関係委に所属する議員11人をはじめとする下院議員52人が署名した。
また、米国内の韓人社会などアジア諸国が連帯し、決議案通過の署名運動を繰り広げ、地方区議員に手紙を送るといったキャンペーンを行うなど、中間選挙を前にして、議会に政治的圧力を行使した点も相当部分作用したと分析されている。
過去の蛮行に対する損害賠償より、日本政府の責任の認定と現在および未来の世代への正しい教育などに決議案の焦点を合わせたことも、決議案の採択を助けたという解釈だ。
決議案は、「慰安婦」の強制動員が20万人に及ぶなど、20世紀に発生した人身売買事件の中で最大の事件であることを、米国をはじめとして国際社会に過去の日本の蛮行を再確認させる契機を提供したという評価もされている。
また、慰安婦に対する暴行、強制堕胎、性暴力、人身売買などが、日本政府によって公式になされたり、調整され、戦後の賠償交渉でもこの問題が充分にとり扱われず、さらに最近の日本の教科書でこの問題を縮小したり政府の役割を過小評価する動きがあることを明示的に告発した。
これにより、今回の決議案は強制性がない勧告決議案にもかかわらず、この間の過去事問題に関連し、痛烈な反省や再発防止の努力がなかった日本の態度を圧迫する象徴的な効果が少なくないだろうという期待ももたらしている。
3) **************************
[ソウル新聞 2006-09-14 09:12]
<社説> 注目される米議会の従軍慰安婦審議
米国下院が、現地時間で13日、日本従軍慰安婦動員関連決議案を審議した。従軍慰安婦動員に対して米議会に決議案が上程されたのは、今回が初めてだ。
決議案は、日本政府が、従軍慰安婦動員の責任を認めて再発防止を約束すること、この問題が反人権的問題であることを現在と未来の世代に教育すること、国連および国際アムネスティ慰安婦勧告案を履行することなどを主要内容に含んでいる。
慰安婦問題解決の正しい方向を提示したと評価できるだろう。内容はもちろん、決議案が米議会に初めて上程されたという点も注目したいと思う。
民主党所属レーン・エバンズ(イリノイ州)議員などが提出した決議案が2001年と2005年に2度も日本政府の強力なロビー活動で上程しえなかったが、今回は共和民主両党議員50名の支持署名を受け、本会議に上程されることになった。
日本政府が、いくら隠し、否認しても、歴史の真実を覆うことはできない。すでに、国連や国際アムネスティも、従軍慰安婦問題を国際社会に告発したことがあり、日本政府は従軍慰安婦問題が韓国と日本、中国と日本などの両国間の次元を越え、国際社会の共通関心事になっていることを悟らなければならない。
日本政府は、しかし事実認定と賠償義務は無視したまま、個人慰労金で責任をごまかしてきた。新しい総理として有力な阿倍晋三官房長官も、1993年の河野官房長官(当時)が日本軍と政府が関与した事実を認めた談話を発表した時、確実な証拠がないとし非難したことがあり、慰安婦問題解決の展望をより一層暗くさせている。
過去事問題は、日本が負っていかなければならない日本の問題だ。韓国、中国、米国など国際社会は、日本が歴史の責任を正面から扱っていくのか見守っている。米議会の決議案上程・審議を契機に、日本政府の姿勢の転換をもう一度求める。
9月14日のバスの中で,大人や学生たちの発言を聞いて,最後にしゃべらせてもらったもの。
①②と同じです。手元のメモからまとめています。
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学生たちの気持ちに様々な葛藤があったことが良くわかった。
言葉にしないと伝わらないことがあるものだ。
「キャーキャー,ワーワー」の外見だけからは想像がつかない。
同時には,人間の成長には勇気が必要ということも良くわかった。
M永さんの質問に答えて。
1つは,大人が同行してくれると自分の負担が物心両面で軽くなる。
2つは,たくさんの大人に「いまどきの若者」の可能性をしっかり見てほしい。
3つは,逆に学生にも「社会をまじめに考える大人」の存在を知ってほしい。
4つは,学生に,立場や考え方の違う人とも接してほしい。
そういう人間関係から誰に,何が生まれてくるかを楽しんでいるところもある。
ガイドの李さんに「こういう日本人をはじめて知った」といわれたことも新鮮な気づき。
日本にもどって,学生たちには「ハルモニからの宿題」を具体化してほしい。
あわせて,もっと深く学んでほしい。
学びはむしろこれからが本番。
特に,この社会をどう変えるかという切実な願いは,社会への学びをおのずと深くする。
「観光気分」というのも,実はとても大切なこと。
日韓双方の市民が,お互いを普通の人間,仲間として実感すること。
それが「もっと仲良くなろう」「対立を乗り越えよう」という力にもつながっていく。
秋からのみんなの飛躍に期待したい。
同行してくださって大人のみなさん,ありがとうございました。
①と同じです。
石川の手元のメモを石川がまとめていったものです。
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(T仲さん)
韓国へ来るときのフライト時間の短さに驚いた。
日本と何もかわらない。
身近な国という印象。
「ナヌムの家」にいくまでは,半分観光気分もあった。
日本が植民地にしていた国で,そんな気分でいていいのかとも思った。
ハルモニにはきびしいことをいわれるのではないかと思っていた。
しかし,日韓が兄弟のようにといってくれたのがうれしかった。
日韓の若い世代が,手をとりあって関係をかえていかねばと思った。
「水曜集会」に日本人の若い人がたくさん来ていたのにも驚いた。
若い世代の力で変えていきたい。
まず学内での報告会に向けてがんばりたい。
(W辺さん)
近い国で,日本と何もかわらない。
ハルモニはやさしかった。
WAM(女たちの戦争と平和資料館)へ行った時とは,ちがう実感。
被害者が生きて,話してくれている。
とてもやさしい気持ちになれた。
しかし,日本政府は謝罪をしない。
あらためて憤りを感じた。
「水曜集会」に韓国の中学生がたくさん来ていた。
日韓の歴史教育の落差を感ずる。
ハルモニが「あなたたちを愛している」といってくれたのがうれしかった。
夕べ,タクシーに乗って,まったく違う方向へ連れて行かれた。
みんなで乗っていても怖かった。
ハルモニは,もっと若いときに,たった1人で連れて行かれた。
どんなにこわい思いをしたかと思う。
先生,オカアサン方(同行のみなさん),ありがとう。
知らない政治や歴史を教えてくれて。
(H田さん)
半年勉強してきた。
WAMにも行って,それなりに知識はあるつもりだった。
でも自分の目で見て,感ずるものはまったく違った。
ハルモニの証言も,歴史館の内容も。
夕食のあと,リビングへおじゃました。
手をにぎってくれて「ドラマを見ていきなさい」といってくれた。
手がすごく小さかった。
こんな小さな人につらい思いをさせたのかと思うと本当にショックだった。
日本で何が自分にできるかをしっかり考えたい。
「水曜集会」では雰囲気にのまれそうになったが,ハルモニは毎週やっている。
すごいと思う。
大人のみなさん,ありがとうございました。
お世話になりました。
(K谷さん)
本ではたくさん学んできたが,「ナヌムの家」で感じることはとても大きかった。
ハルモニは病院に通いながら,日本の政府とたたかっている。
それをいままで知らなかったことをくやしく思った。
「水曜集会」では発言の機会をもらった。
発言のあとはたくさんの人に声をかけてもらった。
とてもいい経験になったと思う。
「タプコル公園」では鳥肌がたった。
かつてここから独立の運動が起こり,それが日本軍によって弾圧されたかと思うと。
その場に立つことは,とても勉強になる。
すでに中学や高校の歴史の先生たちとのつながりがある。
「9条の会」とのつながりもある。
日本は変わっていけると思うし,あきらめないで取り組むことが大切だと思う。
(T中さん)
4月にゼミがはじまってからの5ケ月は,ものすごく濃い時間だった。
「慰安婦」という言葉も知らなかった。
知っても,最初は同情だけだった。
ハルモニの証言のはりつめた雰囲気にはとまどった。
でも,食事の時など甘えてみると,手を握ってくれた。
抱いてもくれて,胸がしめつけられる思いがした。
この旅行を無駄にしたくない。
若い力で社会をかえたいし,憲法を守っていきたい。
大人のみなさん,オカアサンたちには甘えさせてもらった。
ゼミ生のみんなにも,たよりない私をサポートしてくれたことに感謝します。
(K光さん)
去年も参加したかったけれど,日程があわなかった。
ハルモニの証言を聞いて泣いてしまった。
私の祖母と顔も年も良く似ていた。
祖母がそういう被害を受けてもおかしくなかったということだ。
「ナヌムの家」で実感することの大切さを感じた。
まわりにいろいろな意見があるけれど,自分は変わらない。
その決意がかたまった。
私は石川ゼミではない。
みんなのように長く勉強してきたわけでもない。
不安だったが,今回,いい仲間ができたと思う。
今度くるときには,少しでも韓国語がわかるようになっていたい。
(U野さん)
この夏,部活で台湾とアメリカに行った。
どちらも「日本人ウエルカム」という雰囲気だった。
この国にはそれがないように思えた。
初日の夜にエステに行ったが,あまり会話もない。
この人は私のことをどう思って,してくれているのだろうと思った。
「ナヌムの家」へいくのは,すごく怖かった。
WAMでも,ショックが大きくて,貧血で倒れてしまった。
今回も,再現された「慰安所」や,たくさんのハルモニの顔のパネルに緊張した。
すごくこわかった。
「水曜集会」の朝,集会にいけないムン・ピルギさんと握手した。
その時に,来てよかったと思った。
ゼミでも,どうしてこんな勉強してるんだろうと思ったこともあった。
でも,つづけてきて良かった。
いま教職の免許をとっている。
子どもたちに本当のことを教えられる教師になりたい。
(M木さん)
つらく悲しい思いもした。
ハルモニと一緒にゴハンを食べるなど,楽しい思い出もできた。
「水曜集会」のあとや食事の時も楽しかった。
日韓が仲良くしなければならない。
ゼミ生ではないのに,最初から仲良くしてくれてうれしかった。
楽しい旅になった。
ありがとうございました。
(N瀬さん)
「水曜集会」が一番印象的だった。
証言の最中は,こわくてハルモニが直視でなきかった。
「ナヌムの家」に来たことを後悔する気分もあった。
でも集会の最後に,ハルモニがいってくれた。
「大好きだよ」「これから仲良くしてくれたらいいから」と。
その笑顔を裏切りたくないと思った。
集会に私たち以外の日本人がたくさんいたことにも感動した。
この旅行を支えてくださった大人のみなさん,ありがとうございました。
(T丸さん)
ハルモニの証言と「水曜集会」が印象的だった。
ショックだったのは,ハルモニがクニに帰れず,父の顔を忘れてしまったと言われたこと。
通常の生活では,そんなことはありえない。
集会でハルモニたちが叫んでいるのを聞いて,自分が追い込まれていく気分になった。
その場にいるのが辛かった。
でも発言の時に,前からハルモニの顔をみると,がんばらなきゃいけないと思えた。
いろんな人の影響があって,韓国はコワイ国と思っていたところもあった。
でも人はとても暖かい。
「ナヌムの家」のまわりの景色は,日本のそれとまったくかわらない。
ちゃんと知ることが大切だと思った。
(N田さん)
じつは韓国へくるのがすごくこわかった。
WAMでたくさんのことを知っていたから。
歴史館の内容は,知識としては知っていることが多かった。
しかし,「慰安所」の再現などはとてもショックだった。
ハルモニが証言で人と人の絆を大切にしようといっていた。
加害の国の人間にそう語りかけることはすごいことだと思う。
「水曜集会」では発言させてもらった。
発言の内容をバスの中ですごく考えた。
みんなにもたくさん意見をもらった。
みんなが一致団結しているというこの雰囲気が良くて,すごく好きだった。
ハルモニには,とてもやさしくされてうれしかった。
しっかり学びたいという目標は達成されたと思う。
あとは学内外の報告会で,いろんな人につたえていきたい。
日本では食べられなかったキムチも,こちらへ来て,少しだけ食べられるようになった。
以下は,9月14日韓国旅行最終日に,バスの中で話していただいた大人のみなさんの言葉です。
文章は,石川が手元のメモで勝手にまとめました。
文章責任は石川にあるものと思ってご覧ください。
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(U野さん)
『「慰安婦」と出会った女子大生たち』を読んだ。
今回の企画を知って,すぐに申し込みをした。
「ナヌムの家」でどうすごせば良いか,半分不安ももっていた。
ハルモニが市民どうしで仲良くすることを強調された。
日本で9条をまもる取り組みをすすめることが,ハルモニの願いにも通ずる。
そこが納得できて,気持ちが晴れた。
ありがたい機会だった。
学生とはあまり話をする機会がなかった。
私は「母親運動」をやっている。
50年前に核兵器廃絶の署名に取り組んだ女性たちに,最近話が聞けた。
戦前の女たちには,なんの権利もなかった。
子どもの親権さえなかった。
戦後を男たちにまかせてはおけないという気持ちが強かったとのこと。
若いみなさんも,男まかせでなく,自分たちで考えてほしい。
こういう勉強の機会をあたえられて幸せだと思う。
(T内さん)
「ナヌムの家」では,日本人であることをもっとしっかり考える必要があると思った。
自分に何ができるかを考えたい。
「水曜集会」で,自分たちが日本をかえていくと言い切ってくれたことに涙が出た。
うれしかった。
ソウルは大きくてキレイな町だが,一歩奥に入ると,鉄工所などがならぶ。
大阪とかわらないオッチャン・オバチャンの顔がある。
自分たちは韓国の人の流れの顔だと良くわかった。
みなさんは,来年は就職活動だが,日本の社会は男社会。
運動団体でもトップは男ばかり。
女が最前線に立つのはむずかしい。
しかし,そこを変えていく必要がある。
自分が主人公,自分が変えられる,仲間がいればそれができると思う。
(K賀さん)
はじめての韓国。
自分ひとりでは来ることができなかった。
「慰安婦」問題は,すごく昔から気になっていたもの。
自分の中でも消化できず,直面するのが怖かった。
卑怯な部分が自分にあった。
「慰安婦」も「南京」もネットでは誹謗中傷が多い。
マンガの中の「南京大虐殺」の場面が,単行本にする時には,消されてしまった。
集英社。
そのことについての市民の議論が盛り上がることもなかった。
ウソも100回いえばホントウになる。
実際に見たことを帰って伝えていきたい。
若いときからホントウのことを教えてもらえるみなさんは,とてもうらやましい。
日本を変える力になってほしい。
(M永さん)
9月10日の事前学習会で,良く勉強してると関心した。
すなおにキチンと学習すれば,こういう結論にたどりつくんだなと。
ハルモニの話に涙を流しながら感想を述べていた。
水曜集会の発言の内容を,夜遅くまで,自分たちだけで相談していた。
そういう学生たちの姿に感動した。
ハルモニたちは孫が来たようによろこんでいた。
学習がアタマだけでなく,カラダとココロを通じて入っていっているように見えた。
それが水曜集会での発言にもつながったと思う。
胸に熱い思いがある。
いまの日本は大変な方向に向かいつつある。
「慰安婦」問題もいましっかり考える必要があると思った。
これから過去の過ちを繰り返さないために。
日本からもってきた本を,スタッフのM山さんに見せた。
ハルモニの写真をみて「この方は亡くなった」「この方も亡くなった」と。
この問題には残り時間がない。
すでに水曜集会に参加できないハルモニもいる。
M山さんという日本の青年は,明日への希望。
京都の若い人たちもいて,他にもたくさん集会に。
みなさんは,自分たちが呼びかける側に立つと語ってくれた。
その姿をみて,未来は暗くないと思った。
若い人を支える大人がいることもすばらしい。
石川への質問。
学生さんの取り組みにどうして一般の大人を誘ってくださるのか。
(F田さん)
最初に謝罪。
ビデオ,水曜集会のみ音が入らず,画面がブレてしまった。
申し訳ない。ナレーションをいれて使っていただきたい。
日本人男性として「ナヌムの家」に行くのは,針のムシロに座りにいくようなもの。
しかし,行って感動した。
慰安所の管理を兵站部が管理していた写真には驚いた。
人間が「物資」として扱われていたということ。
最初にハルモニにあったときには視線のキツさ,バリアを感じた。
一緒に歌をうたったりして,最後の食事のときには握手もしてくれた。
日本人の男性にも握手をしてくれるのだなと,うれしく思えた。
9月10日にはじめてみなさんに会った時には,驚いた。
一見何も考えていない,普通のお嬢さんたちがホントウに「ナヌムの家」にいくのかと。
その外観と「水曜集会」での発言とのギャップの大きさに驚いた。
力をいただいた。
司法修習生など若い世代と接するときに,歴史問題を語ることに腰の引けるところがあった。
現在の訴訟の話が中心になる。
今回の旅行の成果として,どんな人に対しても訴えていきたいと思った。
裁判官・検察官・弁護士たちに。
そういうことができるんだと,学生たちをみて思った。
(Y田さん)
スタディ・ツアーは今日が最終日。
しかし,これは終わりではなく,むずかしいことがらのはじまりだと思う。
何かをしたいという思いをどう実行に移すかという宿題。
また,われわれ自身が体験していない事実をどう今後つたえていくかという問題も。
さらに侵略の事実となぜ私が被害者にという個人の心情の区別とかかわりを整理する必要もある。
「証言」の文脈と,リビングでの「雑談」の文脈。
それぞれのポジションで,力に応じて考えてほしい。
いつも接している本学の学生にこんな力があるのかと,あらためて驚かされた。
あえて苦言を呈すなら,海外には相応の「危険」があることもある。
そこへの適切な警戒心も,忘れずにもってほしい。
(Cさん)
これから何を自分でするかを考えたい。
今まで,知っていながら,知らぬそぶりをしていたところがある。
今回,反省させられた。
「ナヌムの家」を訪れる人の横のつながりをどうつくるか。
日韓の市民のつながりをどうつくるか。
自分にやれる最大限のことを,考えて実行していきたい。
みなさんは,良く勉強している。
問題に正面から向かいあおうとする気持ちをもっている人がたくさんいる。
そのことに感動している。
さらにまわりの人に輪をひろげる作業をしてほしい。
(F橋さん)
はじめての海外アジア旅行が韓国となった。
となりの国なのに知らないことがたくさんあると気付いた。
「ナヌムの家」に行って,昔と今の歴史のつながりを身をもって感じた。
その場に行ってみなければわからないことがある。
でも,これは最初の一歩。
『ハルモニからの宿題』という,みなさんの先輩たちの本のタイトルどおり。
宿題は提出せねばならない。
各人が考えるべきごとだと思う。
みなさんについては,ホントに元気だなと思った。
その素直さを,これからも正しくのばしていってほしいと思う。
最終日9月14日(木)は,8時ちょうどの起床であった。
荷物のかたづけをおえ,9時すぎには近くのスタバへブラブラと出る。
10時には全員ロビーに集合。
昨日のうちに「ナヌムの家」から「ケータイとメガネの忘れ物がある」と連絡があった。
落とし主はただちに判明。
日本へ送ってもらうようお願いしていく。
10時10分,ホテルを出る。
空港までの道のりだが,まずはチーム大人から1人ずつ感想を話していただく。
それぞれに様々な思いがある。
つづいて学生たちもしゃべっていく。
言葉にされてはじめて,こちらがわかることは少なくない。
人の成長や飛躍には,勇気が必要なことが良くわかる。
これらの内容は後日,要約をここに紹介したい。
11時すぎには,いつものお土産屋に到着である。
たくさんのキムチを試食し,残ったウォンを整理していく。
11時35分には再び出発。
学生全員のしゃべる時間を確保するため,バスはゆっくり走ってくれる。
最後にガイドのイ・インニ(李仁姫)さんが話してくれる。
「歴史の問題をこういうふうに考えている日本人にはじめて会いました」
「私は32才ですが,本当にはじめてです」
「とても感動しています」
「ガイドではなく1人の韓国人としてとてもうれしいです」
「私もがんばります」。
思わぬ激励に,こちらも感激させられる。
人の出会いとつながりは面白い。
12時には空港に到着し,手続きをとり,イさんとお別れの写真をとる。
空港内で韓国最後の食事をとり,2時20分には仁川空港を離陸。
4時前には関空に着陸。
近くて遠い「距離」である。
旅行の終わりを,関空ロビーで「社長」T中さんの言葉でしめる。
「3日前の旅行に出かけるときとは,ずいぶん気持ちが変わっていると思います」
「これは終わりではなく,出発点です」。
同行してくださったみなさんには,大変にお世話になりました。
特にC先生には,韓国での食事の予約から通訳まで,お世話になりっぱりしでした。
また,F田弁護士には,旅行中のビデオ撮影をお願いし,重い器材も運んでいただきました。
大人のみなさんの支えがあって,学生たちは充実の時間をとることができました。
本当にありがとうございました。
そして,学生のみんなにも,心からおつかれさまでした。
この秋の飛躍に期待しています。
ガイドのイさんと仁川空港で記念写真。
昼寝からノソノソと立ち上がり,5時にはホテルを後にする。
F田弁護士とともに,地図を頼りに南へ歩く。
5時30分には目的の「コリアハウス」に到着。
歴史の深い大きな建物。
いまは伝統文化の継承と保存を目的に運営されているらしい。
6時には,マッサージ組,ミュージカル組も集合し,大人全員での食事となる。
色とりどりの宮廷料理。
これを急いでパクパクと食べ,7時からは「民俗公演」の舞台(撮影禁止)を見る。
歌あり,踊りあり,演奏あり。
舞台横に解説が出る。
ハングル,英語,日本語,中国語で。
これらの言葉の主たちが,わだかまりなく交流できる社会をめざしたい。
若い女性たちの様々な遊びを踊りにこめた「カンガンスルレ」に驚かされる。
昨年の「水曜集会」でゼミ生が渡った「人の橋」があった。
月見の遊びで「ノッタリバリキ」というらしい。
さらに,グルグル走るのは鬼ごっこのようなもの。
「なるほど,そうだったのか」の瞬間である。
物事というのは学んでみるべきもの。
にぎやかな農楽の演奏には,フロアから何人かが舞台にあげられた。
わがチームからも,F田弁護士がひっぱり出され,太鼓をポクポクたたいていく。
最後は「アリラン」の合唱であり,昨日の「練習」がここで生きた。
みんなで歩いてホテルにもどり,9時30分には大人6人で居酒屋「詩人」へ。
2日前に4人で入った店である。
11時すぎまで,ビール,焼酎,マッコウリで盛り上がる。
話題は日韓の学生気質や学生運動など。
「はげしく学び,はげしく遊ぶ」。
お互いに,たっぷり充実の気分の夜となる。
1時からの水曜集会にかけつける。
京都の学生たちが先に来ており,ハルモニたちもすでに準備を終えている。
ただちに横幕をひろげていく。
書かれたのは「日本政府は謝罪せよ」。
「私たちは正しい歴史を学びたい」。
今回も,日本からの参加者が少なくない。
韓国の中学生たちが授業の一環で参加している。
元気に集会がはじまり,参加者たちの発言がつづく。
突然,声をかけられる。
神戸女学院で朝鮮語を教えてくださっているナム先生であった。
わざわざ学生たちの日程にあわせて,かけつけてくださった。
聞けば立命館のソ・スン先生とのつながりが深いとか。
まったくもって驚きの交流である。
京都の学生たちが発言し,いよいよゼミ生たちが発言していく。
大学での学び,歴史館に学んで,日本へ帰って。
U野・N田・K谷さんの力の入った言葉に,通訳が終わらぬうちに拍手がわく。
名古屋からの新日本婦人の会のグループであった。
通訳は同行のC先生である。
学生たちにいくつもテレビカメラが向けられる。
終了後,テグに住んでおられるイ・ヨンスハルモニと抱き合って記念写真。
このハルモニは68才から大学に通い,さらに大学院にも学ばれている。
こちらも何人かの方と交流をする。
熱気さめやらぬ中,集会参加者たちで,いつもの食堂へ移動する。
みんなでレーメンやビビンバを食べていく。
ここでもハルモニとの交流がある。
「大学図書館に寄贈します」とM山さんからハルモニの絵画集を預かる。
M山さんには旅行前からこの瞬間まで,まったくお世話になりっぱなし。
本当にありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
食後の2時すぎには「解散」とする。
あとは明日の朝まで自由時間。
学生だけでなく,大人のみなさんも。
ミュージカルへ,足つぼマッサージへと散っていく。
京都の学生たちに声をかけ,こちらはF田弁護士とホテルにもどる。
シャワーをあび,ビールを飲んで昼寝である。
大きな肩の荷をおろした気分。
とても気持ちの良い昼寝の時間となる。
日本大使館。集会のあいだ,誰一人窓から顔を出す者はいない。
集会参加者の様子。前列の黄色いゼッケンがハルモニたち。
さっそく横幕をひろげていく。
京都の学生たちはウチワに思いを。
報道するSBSテレビ。
発言する京都の学生たちと,通訳するM山さん。
発言するゼミ生たちと,通訳するC先生。
たくさんの願いのこもった横幕。
SBSの取材を受ける。
韓国の院生グループの取材も受ける。
発言する韓国の中学生たち。
集会終了後,テグのイ・ヨンスハルモニとも交流。
集会後の食堂でも,イ・ヨンスハルモニと。
9月13日(水)は,7時ちょうどの起床であった。
オンドルの熱と,ニワトリの絶叫がはげしい目覚ましがわりとなる。
朝の学生たちは,化粧にやたらと時間がかかる。
T内・M永・U野・K賀さんのチーム大人女性陣が食事づくりの先頭に立つ。
昨夜の夕食から,みなさんには大変にお世話になっている。
ホントウに助かりました。
ありがとうございます。
8時には中庭で朝食をとる。
今日も,とても天気がいい。
外での立ち食いが,なかなか楽しい。
学生たちは残った「韓国のり」を奪い合い,はげしいジャンケンをくりひろげる。
かたづけのあいだに,数人の学生とハルモニの部屋をたずねていく。
ムン・ピルギハルモニと,イ・オクソンハルモニ。
『「慰安婦」と出会った女子大生たち』に証言を掲載してくださったお二人である。
本をお渡しし,出版社からのお礼を届ける。
個室へあがらせていただくのははじめてだが,小さな部屋にそれぞれの個性があふれる。
去年より大きくなった白犬とも遊び,9時40分には「ナヌムの家」を出発する。
11時前にはホテルにもどり,チェックインをすませて,荷物を置く。
ただちに歩いて,近くの「タプコル公園」へ。
1919年に「3.1独立宣言」が読みあげられた場所である。
短い時間だが,それを記録したレリーフを見る。
公園前で何かの集会が行われていた。
ガイドさんに聞くと,セコムによる「不当解雇」に抗議するもの。
韓国も終身雇用制の急激な崩れが進んでいるらしい。
ガイドさんは,日本帝国主義による侵略の被害についても解説してくれる。
「ナヌムの家」周辺の朝の景色。
つくられる大量のゆで卵。
台所に立つ今朝の調理部隊。
朝日をあびての朝食である。
残った韓国のりの行方をかけた,はげしいジャンケン。
タプゴル公園にある大きなリレーフの1枚。
5時30分には,学習行事は終了。
買い出し,横断幕仕上げ,炭起こしなど,いくつかのチームにわかれてよるの行動開始である。
7時前には食事となる。
中庭で,9キロの肉を焼き,大量の野菜やキノコ,ニンニクなどを焼いていく。
こんなに天気の良い「ナヌムの家」の夜ははじめてである。
空にきれいな星が見える。
焼きながらトングで直接食べる肉もうまい。
エゴマや味噌もあって,食事の基本はサムギョプサル。
白いゴハンもある。
あっという間に食べ尽くしていく。
歌姫ペ・チュンヒハルモニも,いっしょに食事をしてくれる。
ハルモニたちの生活の場に,焼き肉などを持ち込んで交流している学生もいる。
甘えてひざまくらをしてもらっている学生もおり,こちらがビックリ。
若い女性(孫世代)には,こういう「交流」も可能なわけだ。
8時40分には京都チームが帰っていく。
明日の水曜集会で再合流の予定である。
満腹になり,かたづけをして,ホールに布団を敷いていく。
そこへペ・チュンヒハルモニがあらわれ,夜9時からのカラオケ大会となる。
80才をすぎても,堂々の歌いっぷりはかわらない。
いっしょにみんなで歌っていく。
練習していった「アリラン」や「イムジン河」は,あっさり「古い」と一蹴される。
10時すぎには「おひらき」である。
1階は女性,2階は男性(兼酒飲み場)という具合に分かれていく。
1階の学生たちは,明日の「水曜集会」にそなえてミーティング。
12時頃には眠ったらしい。
2階はM山さんをふくめ,5名で飲んで,語りあう。
最後の話題は,この場を訪れるたくさんの人を横につなげる工夫の問題。
現地の人手は豊かでない。
こちらからの支援強化が必要である。
全員でひとことずつを書いていく。
今年はワルモノもパワーアップする。
つかのまのくつろぎの大人チーム。
はじめて練炭を見た学生もいる。
にぎやかな食事風景。
ペ・チュンヒハルモニを中心に,カラオケ大会の開始である。
歌う学生たち。
負けじと歌う大人たち。
そして学生たちに強制されたM山さんも熱唱である。
4時すぎから,カン・イルチュルハルモニの証言をうかがう。
許可をもらい,写真とビデオの撮影をさせていただく。
ハルモニは,15才で被害にあわれている。
韓国へもどってきたのは,2000年になってから。
ある日,突然,巡査と軍人に連れ去られた。
解放から61年,いまだ「怨」が残されるのは日本政府の責任。
「独島・竹島」は日韓両国民が自由に行き来できる場所にしてほしい。
学校の先生がくるのはありがたい,本当のことを伝えてほしい。
日本は二度と戦争をしないでほしい,韓国と手をつないでほしい。
「慰安所」で軍人にあたまを壁にぶつけられ,後遺症でいまもひどい鼻血が出る。
再び戦争になれば何より若い世代が死んでしまう。
アメリカにも「慰安婦」問題の解決に取り組む人たちがいる。
戦争の反省もなく国連常任理事国になるというのはおかしい。
「慰安所」でのことを話すのはつらい。
「慰安所」が何をするところかもわからない年齢で強姦された。
「慰安所」で北海道から来た女性と友達になったが,日本人なので優遇されていた。
緊張すると手や口がふるえる後遺症もある。
幼かったので「慰安所」ではまだ生理も定期的ではなかった。
強姦による出血はあったが。
聞いてくれてありがとう。
話すのはつらいが,質問などしてほしい。
1時間ほどの証言であった。
つづいて質疑に入っていく。
(学生)自分の祖母と重なって,涙がとまらなかった。
平和な日本にしていきたい。
(ハルモニ)安倍長官は小泉首相よりこわいと思う。
(学生)日韓が兄弟のように仲良くといってくださるのはうれしい。
なぜ憎しみだけではないのか。
(ハルモニ)これからの若い世代に自分と同じ苦しみを味あわせたくない。
「慰安所」にいたことは親・兄弟にもいえなかった。
国と国は仲が悪いが,市民同士でつながりをつくりたい。
(学生)安倍さんの方が悪いという理由は。
(ハルモニ)韓国世論も「ナヌムの家」の仲間も,日本からの訪問客もそういう。
これ以上悪くなるのは不安。
(学生)安倍の祖父は岸,A級戦犯の容疑があった。
(ハルモニ)靖国には4回行った。
日本人「慰安婦」が千葉の施設「かにた村」にいた。
慰霊碑に手をあわせたが,これは本来,日本政府がつくるべきもの。
証言するハルモニと,聞く学生たち。
ゼミの学生がお礼のお菓子を手渡す。
京都の学生からもお菓子が渡される。
最後にみんなで記念撮影。
1時前には「ナヌムの家」に到着。
こちらにとっては4度目となる。
入り口付近に座っておられた,歌姫ペ・チュンヒハルモニにご挨拶。
4月からの新スタッフM山さんともはじめて会う。
忘れないうちにと,本学U野先生からあずかったカンパ等をお渡しする。
京都からの学生8名もほどなく到着。
一緒に「ナヌムの家」の来歴の解説を受け,2本のビデオに学んでいく。
『中国・武漢に生きる──元朝鮮人『慰安婦』」は河床淑(ハ・サンスク)さんの物語。
河さんは,16才で武漢に連れて行かれ,8ケ月間の「慰安婦」生活を送られている。
「慰安所」の名は「三成桜」。
つけられた日本名は「ひみこ」であった。
もう1本は『ひとつの史実──海南島従軍慰安婦の証言』。
日本で先日裁判があったばかりの問題である。
14才で「慰安婦」を強制された被害者の証言。
当時の「慰安所」の様子を覚えている,地元の方のインタビュー。
「中国人の男の首を斬るのを何度も見た」との言葉も出てくる。
全員無言での学習である。
ビデオのあと,総勢28名で「日本軍『慰安婦』歴史館」に移動する。
M山さんの解説で,入り口から順に展示の解説を受けていく。
展示には,昨年と若干かわったところもある様子。
再現された「慰安所」の前では,去年につづき学生が1人倒れてしまった。
京都から参加の女子学生である。
「この場」が体感させる衝撃は大きい。
晴天の「ナヌムの家」。これが正面からの光景。
内側からの景色。
ビデオに学ぶ学生たち。
「ナヌムの家」全体像の解説を聞く。
歴史館の入口・出口には,8.15記念の展示があった。ハルモニ一人一人の拉致・連行の経過などが示されている。
解説を聞き,展示に見入る学生たち。
「兵站部指定慰安所故郷」の看板。「慰安婦」は物資の1つとして管理された。
「慰安所」利用のためにつかわれた,上から「割引券」「クーポン券」「軍票」。
ありえた「慰安所」の1つタイプ。金ダライは沖縄で実際につかわれていたもの。
この部屋の前で学生が倒れた。
「責任者を処罰せよ」を描いた姜徳景さんの遺品。
「つないだ手がすごいちっちゃかった」ムン・ピルギハルモニの手形。
体調不十分で,翌日の「水曜集会」には参加できなかった。
元「慰安婦」であることを最初に告白したキム・ハクスンハルモニの手。
最初は顔は出されなかった。
2時間をかけた学びの衝撃は重い。
解説してくださったM山さんにお礼を述べ,お土産を渡す学生たち。
敷地内に置かれたいくつかのオブジェ。
9月12日(火)は,7時起床,そして8時半起床の二度寝であった。
ボケボケと時間をすごし,10時すぎにはロビーに降りる。
早くも,K谷・W辺・H田の3人組が,アイスを食べて歩いている。
とはいえ,学生たちも12時頃には寝ていたらしい。
10時30分にはバスで出発。
ガイドさんが日本列島と朝鮮半島の交流の歴史を簡単に語る。
「1910年から45年までは日本に侵略されましたから」。
当たり前の会話のひとつとして,そうした言葉がさらりと流れる。
こちらには胸の痛む言葉である。
11時すぎには朝昼兼用でビビンバを食べる。
「時間がないので急いで,急いで」。
バスにもどり,C先生に朝鮮語で「アリラン」を習う。
ハルモニの前で歌ってみてはどうかということである。
学生たちの覚えは早い。
その一方で,C先生もガイドさんも「イムジン河」の朝鮮語歌詞は知らないという。
「もともと北の歌なので」というのが理由らしい。
「年代によるのかも知れない」とも。
右側通行のクルマたち。空はすっきり晴れている。
「まぜるほど味がかわります」「おこげがおいしいです」。
食後にもらったアメも「おこげ味」。
5時40分,ホテルのロビーに集合である。
しばらく歩き,6時すぎには焼き肉屋「ノビチプ」に到着。
まずは腹ごしらえ。
肉もうまいが,野菜もうまい。
良く知られた店らしく,ソウルの観光地図にも名前がある。
ガツガツと食い,ワイワイとしゃべり,クピクピと飲む。
明日からの本番にそなえるひとときである。
満腹になったどころで,8時にいったん解散とする。
学生たちはホテルにもどり,全員そろって「あかすり」へ。
残るチーム大人は街を歩く。
歩く,歩く,歩く。
若い人の多いにぎやかな通りだが,人間同士の距離が不快でない。
自然な秩序が心地よい。
ホテルの近くへもどったところで,チーム大人も酒組・お茶組に分裂となる。
われわれ4人は「日本語まるでダメです」の酒のお店に入ってゆく。
こちらも「朝鮮語まるでダメです」の集まりである。
社会保障運動,中小企業運動に働くT内さん,M永さん。
そしてF田弁護士。
運動現場の実情や,今日までのお二人の生きた道など聞かせていただく。
それにしても,日本社会の崩れ落ちは深刻である。
政治の針路を,いまのうちに切り換えなければ。
11時には部屋にもどる。
明日にそなえて早寝である。
焼き肉バンザイを叫び,明日からの取り組みにエネルギーをため込むメンバーたち。
他大学から参加のC先生にシャッターを切らせての集合写真撮り。
もう少し礼儀というものをわきまえよ。
9月11日(月)は,8時15分の起床であった。
ドタバタと動いて,JR「加島」8時59分発の電車に乗る。
JR「尼崎」構内を走り,9時05分発の空港バスに間に合っていく。
中には,すでにM木・N瀬組が乗っていた。
10時30分には関空4Fの世界時計(左手)前に,1人を除き全員が集合。
今年は,学生11名に,同行のチーム大人が8名。
そして,こちらをふくめて,切りよく合計20名の部隊である。
搭乗手続き,両替,保険,出国手続きと済ませていく。
電車乗り間違えのN田さんも,どうにか間にあい追いついてくる。
1時ちょうどの関空発である。
しばらくして「まあ,こんなもんですわ」という機内食が出る。
航空会社はアシアナである。
まわりの話に相槌をうちながら,1人「ジェンダー論の人」となっていく。
3時前には仁川空港に到着。
あいかわらずデカイ空港である。
4時にならないうちに空港を出る。
ラッシュの時間にはまだ早く,1時間ほどでソウルに到着。
今年はクラウン・ホテルにチェックイン。
昨年までより時間が早く,そのゆとりが何か物足りなくさえ思えてくる。
同室の友人F田弁護士は,部屋に入るなり,日韓国際ケータイに取り組んでいった。
ガイドさんの各種説明に食いつく学生たち。
主な関心事は,ミュージカルとあかすりらしい。
「『安倍氏ブレーン』どんな人? 靖国、拉致、教育問題…」(東京新聞)。
これはなかなか腹のすわった記事だ。さらに,これを補足する「安倍政権の実態」ものがつづくことを期待したい。
「自民党総裁選が8日告示されたが、安倍晋三官房長官の当選は確実な情勢。その安倍氏を側面から支えるブレーンは『5人組』と呼ばれる保守系の論客たちだといわれる。どんな人物なのか。彼らの思想と経歴を検証すると、安倍氏が上梓(じょうし)したベストセラー本「美しい国へ」(文芸春秋)の原型が、くっきりと見えてくる(竹内洋一、山川剛史)」。
「六月三十日。都内のホテルの一室に、安倍氏側近の一人、下村博文衆院議員を囲み、四人の学者・有識者が集まった。メンバーは、伊藤哲夫・日本政策研究センター所長、東京基督教大の西岡力教授、福井県立大の島田洋一教授、高崎経済大の八木秀次教授。ここに京都大の中西輝政教授を加え、安倍氏のブレーン『五人組』と称される」。
「■思いっきり保守5人組
関係者によれば、この五人のメンバーは今春からこの日までに三回程度、一堂に会し、『安倍政権』の課題について議論してきた。安倍氏本人にも政策的な助言をしてきたという。五人のブレーンたちは、どんな考え方を持ち、どんな活動をしてきた人物なのか」。
「伊藤氏は一九八四年に発足した保守系シンクタンクの所長。月刊誌『明日への選択』を発行し、憲法、歴史、教育、外交・安全保障など幅広い問題に保守の立場から提言を続けている。伊藤氏に『安倍政権』への期待を聞くと、『私は有識者でもないし、取材には一切応じないことにしています』とだけ話した」。
「伊藤氏は同誌一昨年五月号で『「個」と「自由」なるものは、家族や社会や国家という「共同体」の中でこそその内実を得るのであり、その意味でもまず最も基本的な存在である「家族」の意義に目覚めなければならない』と主張。安倍氏も近著『美しい国へ』の中で同様に家族の価値を強調している」。
「安倍氏を支持する民間団体『「立ち上がれ!日本」ネットワーク』の呼び掛け人の一人でもある。呼び掛け人には、中西氏、西岡氏、八木氏も名を連ね、『草の根』保守の結集を目指すとしている。八月末には都内で『新政権に何を期待するか?』と題したシンポジウムを開き、三百五十人を集めた」。
「西岡氏は、『北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)』の常任副会長として、安倍氏と共同歩調を取ってきた。ただし、『安倍さんとは救う会の副会長として会うことはあるが、直接ものを聞かれたこともないし、助言をしたこともない。下村議員や伊藤さんを介した関係で、決してブレーンではない』と話す」。
「島田氏も『救う会』の副会長で、『安倍首相』にはこう求める」。
「『北朝鮮への国際的な圧力を高めることが大事だ。弾道ミサイルを発射した北朝鮮に対し、国連安保理の非難決議が採択されたのは、日本がリーダーシップを発揮したからで、外交面で安倍さんの実力が証明された。米国も日本が動かなければ、中東問題を優先しがちだ。安倍さんには、同盟国・米国を引っ張って北朝鮮への制裁決議を実現してほしい』」。
「さらに、いわゆる『従軍慰安婦』の強制連行を認めた河野談話を修正すべきだとして、『安倍さんにも直接、何度も言っている』と話す。『北朝鮮は、日本は拉致被害者より多くの従軍慰安婦を連行したと主張する。これに対し、日本政府は「人数が過大だ。すでに謝罪している』と反論しているが、これでは相手の主張を認めているようなもので、反論として最悪だ』」。
反論を自己目的とする前に,何が事実であったかを,政府がもっている情報のすべてを開示しながら(河野談話時点で調査したというものさえ秘匿している)明らかにすることが先決だろう。まずは事実だ。
「自身を含むメンバーが『ブレーン』と呼ばれることについては『安倍さんは常に自分の考えを自分の言葉で表現している。ブレーンというのは大げさ』と控えめだ。同時に『安倍さんは助言に対してビビッドで早い反応を示す。慰安婦問題でどこまで修正に踏み込むか、重要なポイントだと思う』と期待も寄せる。
「八木氏は憲法や政治思想が専門で、『新しい歴史教科書をつくる会』の会長も務めた。主な著書には『人権』にまつわる日本の現状を批判した『反「人権」宣言』(筑摩書房)などがある」。
「学者や教育関連団体、議員、俳優などを発起人に十月に正式発足する『日本教育再生機構』の準備室代表でもある。同機構はすでに『安倍政権の教育再生政策に期待し、全面的に協力』する立場を表明している」。
「同機構準備室は(1)伝統文化の継承と世界への発信(2)心を重視する道徳教育の充実(3)男女の違いを尊重し、家族を再興-など五つを基本方針に掲げている」。
「■皇位継承問題『女帝』に慎重
皇位継承問題では昨年五月、有識者会議で意見を求められ、『女帝』容認論を『天皇制廃絶論者の深謀遠慮』と批判。『初代の染色体は男系男子でなければ継承できない。(歴代の天皇は)一度の例外もなく男系継承されてきた。事実の重みがある』と主張した」。
「ちなみに、安倍氏も『女帝』には慎重な立場だ」。
それにしても「初代の染色体」とやらへのこのこだわりは,やはり心底「神の子」という理解にとりつかれているということか。あらためて,すごいものだと思う。
「一方、国際政治が専門の中西氏も、『現在の日本は歴史的衰退期にある』との危機感から、健全なナショナリズムに基づいた教育改革ひいては国家観の形成が必要だと説き続けている」。
「著書『日本の「敵」』(文芸春秋)では、日本の新しい国家目標に『歴史と伝統を重んじ、自立する日本』を挙げており、『精神面での誇りと自立意識の回復なしに、国際社会において責任感を伴った本当の協調と共存も不可能だ』と主張している」。
「安倍氏も日本の将来像として『自立する国家』『自信と誇りのもてる日本』を掲げており、重なる部分が多い」。
「国家観の形成とは切り離せない教育についても、中西氏は積極的に発言。三年前、中央教育審議会基本問題部会で意見を求められ、『教育基本法は、国民が国や社会の安全や危機管理に義務を負うことが前提になっておらず、日本のアキレスけんになる』と批判した」。
「最近まで『つくる会』の理事を務め、八木氏を中心とする日本教育再生機構にも代表発起人として名前を連ねている」。
「<デスクメモ> 総裁候補の三人は、いずれも涼しげな面立ちで、アクがない。毛並みのいいサラブレッドばかりだからか。一昔前の脂ぎった大物政治家たちはいまや希少種なのだ。政治家の家系出身でない総理を探すと、実に四代前の村山富市首相までさかのぼる。『格差社会』をつくったのが、どんな人たちかよくわかる。(充)」
このメモも,なかなか効いている。特権階層にとって「格差」は自らの「豊かさ」の別名でしかないのだから。
さすがは産経新聞である。安倍氏が村山談話にクビをかしげたことが,うれしくて仕方がないようす。そして,それを応援したくてたまらないらしい。
「安倍氏は次期政権の課題などを聞かれた6日のインタビューでは、村山談話にこだわらず、新政権として歴史認識を打ち出す可能性も示唆したが、7日の会見では『政権が変わるたびに、いちいち談話は必要ないのではないか』とも述べた。村山談話に対する安倍氏の微妙な思いがうかがえる」。
「村山談話は自社さ政権時代の11年前の8月15日に発表された。日本の過去を『植民地支配と侵略』の歴史とし、『痛切な反省』と『心からのお詫(わ)び』を表明している。旧社会党出身の村山首相、故野坂浩賢官房長官ら一部の閣僚と官僚だけで検討された後、突然、閣議に出されたものだ」。
「村山談話は中国や韓国には、あたかも外交文書のように受け取られ、その後の歴代内閣の歴史認識を縛ってきた。その意味で、村山談話の罪は重い。しかし、歴史認識というものは、学問や言論の自由が保障された社会では百人百様で、時の内閣の首相談話によって縛られるものではない」。
ようするに,産経がいいたいことは,かつての戦争に対する政府としての総括(一定の共通認識)は必要がないということらしい。
では産経はヒトラー政権によるホロコーストについても,その評価は「百人百様」だから,後の政府が「反省」などする必要はないとの立場なのだろうか。あるいは「反省」した戦後ドイツ政府による賠償もまた必要はないことをやっているとの立場なのか。
「平成5年8月に当時の河野洋平官房長官が出した談話も、同じことが言える。その後、河野談話にある『従軍慰安婦・強制連行』説は破綻(はたん)したにもかかわらず、それを批判しようとする閣僚の発言を封じてきた」。
ここには手前勝手な「百人百様」論だけではなく,あえて「破綻した」との独自の判断が加えられている。どうやらこれについては「百人百様」さえも,認めたくはないらしい。
しかし,「破綻」と断定する根拠はどこにあるのだろう?
「社説」というのは,産経新聞の社としての公式見解ということだが,そうであればせめて民衆法廷「国際女性戦犯法廷」の判決文への批判など,対立する議論への説得力ある反論のひとつくらいは出してはどうか。
あるいは産経新聞社からは,すでに何か道理のある「歴史認識」研究がただの一冊でも出版されていたろうか?
〈これは強制ですよという政府文書が見つからないから強制ではないのである〉。その手の驚くほど幼稚な立論(?)の他に,いったいどのような新たな研究があっただろう?
どうやら産経は靖国史観の世界的孤立の中で,その歴史観と心中の悲壮な覚悟のようである。
まあ,別に,止める必要はないと思うけど。
「安倍官房長官、歴史認識『村山談話の精神引き継ぐ』」(日経新聞)。
「安倍晋三官房長官は7日の記者会見で、歴史認識に関する1995年の村山富市首相談話については『政府として出した談話で、基本的にはその精神を引き継いでいく』と表明した。同時に『政権ができる時にそういう認識をさらに示す必要があるのかという気がする』と述べ、首相に就任した場合に自らの歴史認識を談話の形で示す考えはないことも強調した」。
「安倍氏は『先の大戦で多くの国々に大きな被害を与え、傷跡を残したことに対する率直な反省の中で平和で民主的な国をつくってきた』と指摘。そのうえで『戦争の歴史的な評価や原因については歴史家に任せるべきではないか』と語った」。
「被害を与え」「反省の中で」の箇所と,「戦争の歴史的な評価…は歴史家に」はどのように両立するのだろう?
さらにこの「戦争の歴史的な評価…」発言は,そもそも村山談話とどのように両立するのだろう?
「村山内閣総理大臣談話『戦後50周年の終戦記念日にあたって』(いわゆる村山談話)」には,次の文章がある(特に関連箇所にアンダーラインをつけておく)。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」。
安倍氏による,①かつての戦争を侵略戦争と認めないままで,②なんとかアジア外交の修復に道をひらこうとする基本路線の破綻が,この人をどこまでも深い矛盾の溝に落としこんでいる。
「海南島慰安婦訴訟、中国人8人の請求棄却 東京地裁」(朝日新聞)。
「中国・海南島で旧日本軍の慰安婦にされ苦痛を受けたとして、同島の中国人8人(うち2人は死亡)が日本政府を相手にそれぞれ2300万円の慰謝料と謝罪広告を求めた訴訟で、東京地裁は30日、原告側の請求をいずれも棄却する判決を言い渡した」。
「矢尾渉裁判長は被害の事実は大筋で認定したが、(1)加害行為から20年以上が過ぎて『時の壁(除斥期間)』により賠償請求権は消滅した(2)旧憲法下では国は損害を賠償する義務を負わない(国家無答責の法理)――として、日本政府の賠償義務を否定した。原告側は控訴する方針」。
「被害の事実」とは「加害の事実」であろうが,あるまじき加害を認定しながら償いの必要はないとする。この判決に,はたして人の血は通っているだろうか。
「海南島戦時性暴力被害訴訟 請求棄却、事実は認定 東京地裁」(しんぶん赤旗)。
「矢尾裁判長は請求を棄却した一方で、旧日本軍の兵士によって拉致、監禁された上、継続的に性的暴行を受けたとする原告らの主張を詳細に認定。被害時に受けた恐怖が今も消えず悪夢にうなされるなどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)についても認めました」。
「判決は、一九四七年に国家賠償法ができるまでは国に損害賠償を求めるための法律はなく、同法施行前に国家がおこなった行為について国は責任を取らなくてもよいとする法理を適用。また、旧日本軍による加害行為から同訴訟提訴までに二十年以上が経過し、一定期間の時が経過したことから原告の損害賠償請求権は消滅したと判断しました」。
「弁護団の小野寺利孝団長代行は、判決が原告一人ひとりについて旧日本軍による加害と被害を具体的に事実として認めたことは『重要だ』としつつ、『明らかな違法、不法行為を認めながら国の法的責任を不当にも免責した』と批判しました。『日本政府は判決の事実認定を真摯(しんし)に受けとめ、原告らだけでなく、すべての被害者に謝罪と賠償をおこなうべきだ』とのべました。
「(原告の)陳さんは今年三月の法廷で、十四歳のときから四年にわたって性暴力を受けつづけたことを生々しく証言しました。戦後解放されましたが差別を受け、流産・死産を八回も繰り返しました。判決後の会見では涙を何度もぬぐいながら『憤りを感じる。これだけの事実を知りながら責任を認めない。日本人に良心はあるのかと問いたい』と訴えました」。
藤原彰・栗屋憲太郎・吉田裕・山田朗『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(大月書店,1991年)を読み終える。
以下,遅ればせながら学んだことのいくつか。
・「まったく馬鹿馬鹿しい戦争であった」という,多くの犠牲にまったく無関心な沖縄戦への評価(28ページ)。総じて内外の犠牲者に心をよせる視角がない。
・対英米戦争に慎重だった天皇自身が,次第に開戦論に傾斜し,最終的には自分の納得で決断していく変化がある(69,93,168ページ)。天皇は開戦に反対した論は成り立たない。だから,宮中にも天皇の戦争責任をはっきり認める者がいた(150ページ)。
・戦前は立憲君主制で天皇に開戦をとめる権限がなかったという議論があるが,政府自身が天皇機関説を否定し天皇親政・天皇大権の絶対性を主張していた(78~9ページ)。
・戦中も天皇は陸軍・海軍から詳細な報告を受け,双方の情報を知りうる唯一の人物だった(102ページ)。その上で,積極的な軍事作戦の督促を行っていることも明らか(69~74ページ)。
・立憲君主制について昭和天皇は戦後も正しく理解できず,米軍の長期駐留を求めた「沖縄メッセージ」など,内閣の頭越しにアメリカと接触するなどを行っている(82ページ)。それは戦前の意識の継続である。
・「ノモンハン事件」については天皇自身が自らの命令によると認めており,関東軍の独走ではない(87ページ)。
・戦争継続の軍部を天皇が押しとどめて終戦を実現したという「聖断」論は神話にすぎない(98ページ)。それは45年の早い段階から準備されていく。
・「独白録」(「5人の会」による天皇からの聞き取りは46年3月18日・20日・22日,4月8日)は46年5月3日の東京裁判開廷をひかえての戦争責任に関する天皇自身の弁明書(116ページ)。天皇を訴追しないというアイゼンハワーに対するマッカーサーの電報を天皇周辺の寺崎が聞いたのは3月20日,さらに国際検察局筋の情報として天皇を被告・証人としないとの情報が側近・木戸に入るのは4月18日(127~9ページ)。
・寺崎は天皇の通訳をつとめる一方,国際検察局への情報提供者でもあり(134・6ページ),「独白録」にはアメリカへの情報提供という目的もあったと推定される(137ページ)。
・東京裁判への積極的協力のもとで,46年前半期には戦争責任を陸軍(東条等)にかぶせていくとの策が天皇側近グループによってとられ,天皇もそれに傾いていく(153ページ)。マッカーサーとの第1回会談で戦争責任を認めたというのは「政治神話」(154~5ページ)。
・東京裁判は連合国による一方的な裁きではなく,日本側協力者との「共謀」の結果として成り立った印象が強い。その点にニュールンベルク裁判との相違もある(157ページ)。
・東京裁判の最大のデメリットは国民の主体的参加が閉ざされ,多数が,われわれおよび天皇は軍部にだまされたという被害者意識しかもたなかったこと(160ページ)。
なお,和歌山方面にむけて講座「史的唯物論とジェンダー」の第3回レジュメをガッシン。
「ロシア政府、靖国問題で日本に慎重な対応を要求」(人民日報)。
ロシア外務省のクリフツォフ報道局副局長は,15日,次のように述べた。
「ロシア政府は、第二次世界大戦は周知のごとく人類に災難をもたらしたものであり、靖国神社への参拝は、同大戦の歴史に関わりをもつ、特に慎重に対処すべき問題であると認識している。日本政府はこのデリケートな問題に極めて真剣に対処し、かつて日本による侵略戦争の被害を受けた各国人民の感情と尊厳を傷つけてはならない」。
「小泉首相の靖国神社参拝について、15日付の英紙タイムズは国際面で『近隣国を怒らせた参拝』との見出しで報じた。記事は『(第2次世界大戦の)降伏の日に合わせて、処刑された戦争犯罪者の魂が安置されているとされる靖国神社を参拝した』と説明。中国、韓国が即座に反発を示したことを伝えた。英BBCラジオは靖国神社からの数分間のリポートで国民の参拝支持の声や参拝反対派と支持派の対立の様子などを伝えた」。
「一方、ロシアのモスクワ放送は『小泉首相は北京とソウルの警告をこれ見よがしに無視した』『さらなる中韓との関係悪化を確信する』などと分析した。ラヂオプレスが伝えた」。
ほう, ロシアもそういう立場からの発言なのか。
「次期首相の靖国参拝、米『自身で判断する問題』」(日経新聞)。
「米国務省のマコーマック報道官は15日の記者会見で、日本の次期首相の靖国神社参拝に関して『日本の政治家、日本の首相が彼ら自身で決定する問題だ』と指摘した」。
「そのうえで『摩擦はいつもあるだろう。大切なのは丁寧なやり方で摩擦を解決し、より平和で安定した地域をつくることだ』と述べ、靖国参拝問題を巡り、日本が対話を通じて中韓両国との関係改善を図るのが望ましいとの考えを示した」。
「報道官の発言は靖国参拝問題を『日本の国内問題』と位置づけて介入しないブッシュ政権の方針を日本の新内閣に対しても堅持しつつ日中、日韓の関係改善へ取り組みを促したものとみられる」。
「報道官は『東アジア地域の国々が歴史と向き合い、認識の違いに対処するのは重要だと考えている』とも語った。日中韓3カ国を中心に、アジア諸国が『未来に向かい、建設的で透明な関係を築くことが重要だ』とも強調した」。
とはいえ,今年の2度の日米首脳会談ではアメリカ側から靖国参拝問題が話題とされている。つまり,1)表向きの批判はしないけれど,2)さっさと自分で解決しろよと,それがアメリカの姿勢ということだろう。
それがアメリカの国益となることを,すでにアメリカ政府は繰り返し語ってきたのだから。
「韓国盧大統領『日本は歴史を真摯に反省すべき』」(朝日新聞)。
「盧武鉉大統領は15日、植民地からの解放を記念する式典「朝鮮半島光復61周年祝賀大会」でスピーチし、『日本は歴史を真摯(しんし)に反省し、再び過去の過ちを繰り返さないことを実際の行動で証明すべき』と述べた。盧大統領のスピーチの主な内容は次の通り」。
「韓国は地域の平和と協力に脅威を与える覇権主義に警戒する必要がある。日本は歴史を真摯に反省し、過去の戦争における罪行に対する謝罪を土台として、実際の行動によって過去の過ちを繰り返さないことを証明するべきだ」。
「日本は実際の行動を通じて、独島(日本名:竹島)の問題、歴史教科書の問題、靖国神社参拝問題、従軍慰安婦の問題などを解決するべきだ。ドイツはポーランドとの国境をオーデル川-ナイセ川線とすることを承認したほか、フランスやポーランドなどの隣国と歴史教科書を共同発行している。いずれも日本にとって手本になる」。
過去の歴史認識が,今日における日本の「覇権主義」の可能性と結んで問題とされ,また問題解決に向けた実際の行動においてはドイツが「手本」 になると示されている。
これもまた靖国問題が現在・未来と切断された過去の歴史問題などではないことを示す一例といえる。
小泉首相の靖国参拝をめぐる各国の反応から。
「日本人からみても、中国、韓国などの国民からみても、靖国神社は普通の神社ではない。それは人類の重要な歴史の評価に直接かかわり、第二次大戦の多くの被害国国民の感情を左右し、国際的正義と公理を認めるか覆すかに関係している。したがって、政府の指導者が参拝することは、単なる日本の内政ではなく、中日国交回復の政治的基礎にかかわり、日本の戦後復興の出発点にかかわり、第二次大戦後の国際秩序にかかわってくる。同時にもはや日本と中国との問題だけではなく、日本とアジアの被害国の間、日本と国際社会の間の問題になっている」。
かなりの長文である。
(韓国)「盧大統領『独島、教科書、靖国・軍慰安婦は実質的措置せねば』」(中央日報)。
直接,日本にふれたのは以下の箇所。
「盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は15日『日本は過去に対して心より反省し、これまでの謝罪を裏付ける実践をもって二度と過去のような過ちを繰り返す意思がないことを証明しなければならない』とし『独島(トクト、日本名竹島)、歴史教科書、靖国神社参拝、そして従軍慰安婦問題の解決のための実質的措置がそれだ』と述べた」。
「盧大統領はこの日、第61周年光復節祝辞を通じて日本の憲法改正論議に懸念を示しながら『第2次大戦が終わってから長い歳月が経ち、平和憲法改正をもって是非を論ずるのはいきすぎたこと。しかし日本は憲法を改正する前に先にすべきことがある』とした」。
「盧大統領は特に『地域の平和と協力秩序を脅かす覇権主義に警戒しなければならない』と前提した後『過去の北東アジアの平和を破ったことは列強国の覇権主義だったし、そのたびに韓半島は戦争の渦に巻き込まれなければならなかった。日露戦争、日清戦争もその名とは違い、列強国が我々の地で展開した侵略戦争だった』とし『不幸にも北東アジアには今も過去の不安な気運が立ち込めている』と言った」。
(東アジア)「靖国問題、アジア諸国は地域統合への影響懸念」(日経新聞)。
「中韓同様に第2次大戦で日本の侵略行為の被害を受けた国が多いアジアでは、日中、日韓関係の悪化に懸念を示す声や報道が目立った。安全保障や経済連携を通じた東アジアの地域統合構想に悪影響を与えかねないとする分析も聞かれた」。
「インドネシアのハッサン外相は15日『中国が批判を強めるなど東アジアの緊張が高まっている。アジア・太平洋地域全体の平和と安定にかかわる』と指摘。『日本政府は慎重に対処してほしい』とも要請した」。
「シンガポール外務省スポークスマンは『参拝は中韓や他のアジア地域を強く刺激する。東アジアの関係強化や協力を築くにあたり、何の役にも立たない』と断言。ベトナム外務省も『歴史を正しく認識することが日本と近隣諸国が友好・協力関係を発展させるうえで重要だ』とのコメントを発表した。台湾の呂慶龍・外交部(外務省)報道官は記者会見で『経済大国、日本が東アジアの平和と安定に貢献するよう希望する』と述べた」。
(アメリカ)「 首相参拝、米政府は日中・日韓関係悪化を懸念」(読売新聞)。
「米政府は、小泉首相の靖国神社参拝で日中、日韓関係が一層悪化し、北朝鮮の核問題などへの各国の対応の足並みが乱れかねないことを懸念している」。
「ブッシュ大統領は7月の読売新聞社などとの会見で、日中、日韓関係との関係改善は『わが国の国益だ』と指摘し、日本と近隣国との関係を注視していることを強調した。米国が中東やイラン問題への対応に追われる中、北朝鮮などアジアの問題では、同盟国の日本に指導力を発揮してもらいたいというのが米政権の『本音』だ」。
「ただ、大統領は、近隣国との関係改善は『(今後の)日本の指導者が決めることだ』と述べている。米政権内では、アジア外交の本格的な仕切り直しは『「ポスト小泉」を待つしかない』(ホワイトハウス関係者)との見方が一般的だ」。
政府による靖国史観の行動による公認を問題だと考えている国は,もちろん中国・韓国の2ケ国だけではない。
また,問題は「過去」の評価をつうじて,アジアの現在と未来にかかわっている。
過去に目を閉ざすことにより,現在と未来にもまた無責任な態度をとりつづけるのか否か。それがこの国に問われている。
主権者たるわれわれ国民一人一人の熟慮が求められるところである。
「小泉総理の靖国神社参拝に関する御手洗会長談話」(2006年8月15日・(社)日本経済団体連合会)
「小泉総理は、従前から『適切に判断する』と発言しておられましたので、今回もご自身の信念と判断に基づいて参拝されたものと推察します」。
「これまでも、日本経団連がこの問題について立ち入ることはしないと申し上げてまいりました。今回も個人の判断について、コメントをするのは差し控えたいと思います」。
その「ご自身の信念と判断」「個人の判断」を財界としてどう考えるのか。それが語るべきことの内容だろう。
このような無内容な「談話」を公表することの意図を,こちらが聞きたい。
「小泉首相の靖国神社参拝について」(2006年08月15日 社団法人 経済同友会 代表幹事 北城 恪太郎 )
「本日、小泉首相が靖国神社を参拝されたことは、かねてから明言されていたとおり、『国のために命を捧げられた方々に対する衷心からの追悼』の意を示されたものと思う」。
「次期首相には、わが国の安全と繁栄の確保に向けて、世界各国との相互理解と信頼の構築に資する外交政策を立案・実行していただきたい」。
日本経団連よりはマシである。
とはいえ経済同友会の「今後の日中関係への提言」(2006年5月9日)には次のような文章があったはず。
もう少しはっきりものがいえないものか。
①「過去に対する謙虚な反省の上に立って、中国政府・国民にその気持ちが正しく伝わる行動を続けなければならない」「相手側にとって、疑心暗鬼に繋がるような言動は慎むべきである。歴史への反省をもとにした戦後の平和国家への転換とその実績について、中国等アジア諸国に少しでも疑義を抱かせる言動を取ることは、他でもない戦後の日本の否定に繋がりかねず、日本の国益にとっても決してプラスにはならないことを自戒すべきである」。
②「近現代史の教育を充実させ、若者に過去の戦争という事実を正視させる努力が必要である」。
③「首脳レベルでの交流を早急に実現する上で大きな障害となっているのは、総理の靖国神社参拝問題である。この問題については、わが国が国際社会の中で占めている重要な地位と担っている責任に鑑み、自らの問題として主体的かつ積極的に解決すべきことであると考える」「『不戦の誓い』をする場として、政教分離の問題を含めて、靖国神社が適切か否か、日本国民の間にもコンセンサスは得られていないものと思われる。総理の靖国参拝の再考が求められると共に、総理の想いを国民と共に分かち合うべく、戦争による犠牲者すべてを慰霊し、不戦の誓いを行う追悼碑を国として建立することを要請したい」。
小泉首相は次のように述べたという(発言要旨の一部)。
「【参拝の思い】日本は過去の戦争を踏まえ、二度と戦争を起こしてはならない。戦争で命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対し、心からなる敬意と感謝の念をもって参拝している。今年もその気持ちに変わりはない」。
「【A級戦犯】戦争の責任を取って、戦犯として刑を受けている。それとこれ(参拝)とは別だ。特定の人のために参拝しているのではない。これは日本の文化だ。A級戦犯のために行っているのではない。戦没者全体に対して、哀悼の念を表するために参拝している」。
だが,第一に,靖国に祀られた「戦没者」には,空襲や原爆の犠牲となった一般市民はふくまれない。したがって,「戦争で命を投げ出さなければならなかった犠牲者」のすべてがここに祀られているわけではない。
第二に,靖国はかつての侵略戦争を肯定する立場から,戦死した軍人・軍属等の顕彰(功績などを世間に知らせ,表彰すること)を目的とする神社である。それは死者を弔う(死をいたむ,冥福を祈る)にとどまらない特別な意図をもった神社である。
第三に,小泉首相はこの国の政治を代表する立場にある人物である。
そうであれば,本来,首相が説明するべきことは,なぜ一国の代表が,上のような特殊な戦争観をもち,その目的にしたがって「特定の人」だけを祀っている靖国神社への参拝を行う必要があるのかという,その理由であった。問題をごまかしてはいけない。
また,このような思想と立場を「日本の文化」だと平然と語るところに,憲法や教育基本法の「改正」にこめられた小泉首相等の願望が見える。
「韓首相『日本は拉致問題より先に慰安婦問題の解決を』」(朝鮮日報)。
韓明淑(ハン・ミョンスク)首相が「ナヌムの家」を訪れた。
「歴史館を見学し、『強制動員や拉致は北朝鮮であれ他の国であれあってはならない。日本は(横田)めぐみさんの話で堂々としていたいのであれば、韓国にいる数多くのめぐみさんのような方々の問題を先に解決しなければならないだろう』と述べ、従軍慰安婦問題の解決に消極的な日本政府を批判した」。
自国(日本)の国家犯罪を不問にしながら,他国(北朝鮮)の犯罪だけを追求するのでは道理が通らない。筋の通った話である。
「拉致問題」の解決のためにも,日本政府はこの筋を通すべきであろう。
小泉首相の8.15靖国参拝にあたり,中国政府は抗議声明を発表した。
「日本軍国主義侵略戦争の被害国人民の感情を著しく傷つけ、中日関係の政治的基礎を破壊するこの行動に対し、中国政府は強く抗議する」。
「靖国神社に祀られているA級戦犯は、日本軍国主義が引き起こし、実施した対外侵略の画策者と指揮者であり、近代史においてアジア及び世界に多大な災いをもたらした元凶でもある」。
「小泉首相が国際社会・アジア隣国及び日本国民の関心と反対を無視し、これらの戦犯が祀られている靖国神社を意地を張って参拝することは、国際的正義に対する挑発であり、人類の良識を踏みにじるものでもある」。
「中国は日本軍国主義による対外侵略戦争の最大の被害国であり、中国人民はあの戦争で多大な災難を蒙った。この歴史を正しく認識し、対処することは、戦後中日関係が回復し発展できる政治的基礎であり、両国がともに未来に向かう重要な前提でもある」。
「中日関係の健全なる発展を維持することは、両国人民の根本的利益に合致し、アジア及び世界の平和と安定に寄与する。中国政府と人民は中日友好を大切にし、それに努力しているあらゆる日本の政治家と国民とともに、中日間の三つの政治文書のもとで、『歴史を鑑とし、未来に向ける』という精神に則り、両国の平和共存・代々友好・互恵協力・共同発展に怠ることなく取り組んでいく」。
「われわれは、日本各界の有識者が歴史的潮流に順応し、政治的障害を取り除いて、一日も早く中日関係を正常な発展軌道に戻るよう努力することと信じる」。
また韓国政府も次のように述べている。
「韓国政府『小泉首相の靖国参拝に深い失望と怒り』 」(朝鮮日報)。
「チュ・ギホ外交通商部スポークスマンは15日午前9時、緊急記者会見を開き、小泉総理の靖国参拝に関する声明を発表した」。
「『日本の首相が、8月15日に過去の日本の軍国主義と侵略主義の象徴である靖国神社を参拝したことに深い失望と怒りを感じる。国際社会が重ねて伝えてきた憂慮と反対の声にもかかわらず、国粋主義的な姿勢で靖国神社を参拝したことで、韓日関係をぎくしゃくさせ、北東アジアの友好協力関係を損なってきた点を厳重に指摘する』」。
「『韓国は、日本の責任ある指導者たちが靖国神社を参拝することで韓日友好関係はもちろんのこと、北東アジアの平和と協力を妨げることがないよう、再度強力に要請する』」。
「『日本が平和と共同繁栄に寄与しながら、国際社会で責任ある役割を担おうとする意志があるならば、何よりも歴史を直視し、これを行動で示すことで、近隣諸国との信頼を積み上げなければならないだろう』」。
中韓ともに,かつての侵略と軍国主義を肯定する靖国の歴史観を問題としている。
しかし,これと対照的なのが,「首相靖国参拝は日中関係の構造改革」(産経新聞)といったマスコミの一部の参拝賛美。
「小泉純一郎首相の6年連続の靖国神社参拝、中でも今回の8月15日の参拝は、『歴史カード』を手に譲歩を迫る中国と、歴史上の負い目からそれに従い続ける日本という、20年来固定化していた日中関係のあり方に『構造改革』をもたらした」。
「また、首相が5年前の自民党総裁選の公約だった15日の参拝を果たしたことは、本来は優れて国内問題である戦没者の慰霊・追悼のあり方を、外国の干渉下から取り戻し、日本人自身の手に取り戻す大きな契機にもなり得るものだ」。
「持続的な経済成長のために日本との協力が不可欠な中国側に、『思うような成果は上げられないのに、これ以上、靖国問題でもめ続けるのはもう辟易(へきえき)』(外務省幹部)といった受け止めも広まっている」。
「『中国は、日本人の心の問題に踏み込んだことをきっと後悔する』」
「首相はかつて周囲に、こう漏らしたことがある。その通り、中国による日本の政界、財界、マスコミ界も総動員した靖国参拝反対キャンペーンは、日本人の贖罪意識を強めるどころか、中国への警戒心や反中感情を高める結果になっている」。
「首相の靖国参拝は、敗戦国に対して優位に立ち続ける中国と、その言いなりになる日本という不正常な両国関係を、対等で普通の関係へと一歩近づけたのは間違いない」。
記事は,首相の靖国参拝を「戦没者の慰霊・追悼」に矮小化し,「日本人の心の問題」に矮小化するのだが,アジアの2000万人以上を殺害した侵略戦争の肯定を,なぜ「国内問題」に解消できるかについては,議論をまったく避けている。
このジャーナリズムのあり方は,いまさらながらに深刻である。
小泉首相の参拝に反対する取り組みは日本各地で行われたが,その報道は多くない。
「靖国参拝反対の人文字 ろうそくともしアピール」(東京新聞)。
「小泉純一郎首相の靖国参拝に反対する韓国、台湾、日本の市民や遺族らが14日、東京都内の公園に集まり、ろうそくを掲げて『YASUKUNI NO』の人文字をつくり、参拝反対をアピールした」。
「この日は韓国や台湾、沖縄の歌手らが集い、平和を訴える野外コンサートを開催。その後、参加した約800人が灯をともしたろうそくを手に人文字をつくった」。
「『平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動』と名付けた抗議行動の一環で、遺族らは『侵略戦争を指導したA級戦犯を顕彰する靖国神社に首相が参拝するのは、侵略を肯定するものだ』と反発を強めている。15日も抗議のデモ行進を計画している」。
たくさんの右翼にかこまれながらの「行動」となっているようだが,心から連帯の気持ちを届けたい。
「上海外資投資環境白書」発表 高コストが注目点(朝日新聞)。
上海市当局が「市内にある外資系企業へのアンケート調査結果をもとにまとめ」たもの。
高コストとして指摘されたものは「主に(1)オフィス賃貸料(2)不動産価格(3)人件費」の3つ。
その一方「充実した都市インフラ、質の高い労働力、良好な産業基盤といった優位点が、外資系企業の投資に対し、確かな保障と豊富な市場チャンスを提供していることがわかった」という。
「ナヌムの家」を訪問したり「水曜集会」に参加している「平和会」が,「8.9世界同時行動」に参加した。
他の新聞には記事が見当たらない。
「同会によると、同時行動は「慰安婦」問題の解決を目指そうと、ヨーロッパやアジア各国、オーストラリア、カナダなど世界二十七カ所で開かれた」。
なお,「VAWW-NETジャパン」のメール情報によれば,同日の日本国内の集会は,東京・大阪・名古屋・京都・神戸・広島などでも行われている。
8月9日付メールの一部。
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本日8月9日夕刻の世界連帯行動として行われる日本各地の行動を前に、日本軍「慰安婦」問題行動ネットワークは小泉純一郎首相に対し、「慰安婦」問題の真の解決を求めて以下の要請文を発表し、送付したことをご報告します。
この行動を前に昨日もまた一人、「慰安婦」被害者が亡くなられました。朝鮮民主主義人民共和国在住の「慰安婦」被害者パク・ヨンシムさんです。61年も彼女たちの存在を無視し、おとしめている間に、被害者に残された時間 はどんどん失われていきます。
*****以下転送歓迎*****
内閣総理大臣 小泉純一郎様
首相最後の仕事として、「慰安婦」問題の真の解決に即刻、着手することを強く要請します!
1991年に、韓国の金学順ハルモニが重い沈黙の扉を破り、自らの被害を告発して以来、韓国をはじめ朝鮮民主主義人民共和国、フィリピン、台湾、中国、インドネシア、東チモール、マレーシア・・・と、アジア各地の被害女性が姿を現し、壮絶な被害体験を語ってきました。性暴力被害者への偏見が根強い中、被害者がその被害を語ることは並大抵のことではありません。それにも関わらず多くの被害者が名乗り出て体験を語ってきたのは、日本政府が女性たちに加えた加害を明確に認め、謝罪し、法的責任を取ることなくしては、女性たちの尊厳と被害は回復されないからです。
この間、「慰安婦」問題は国際社会の大きな関心となり、国連人権委員会やILO専門家委員会、女性差別撤廃委員会等でも取り上げられ、何度も日本政府に勧告が出されてきました。しかし、日本政府は未だにこれらの勧告に向き合おうとしていません。
昨年8月10日、私たちは「戦後60年世界同時水曜デモin 東京」に取り組み、小泉首相に一刻も早い解決を求める要請書を届けると共に、世界各地から集められた55万を超える署名を韓国挺身隊問題対策協議会や被害女性と共に提出しました。本年3月にも第700回水曜デモに連帯する行動を行い、一刻も早い解決を訴えました。しかし、日本政府はこうした声を無視し続けています。国会では野党の議員で「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を提出していますが、政府は本気で取り組もうという姿勢を全く見せていません。今年度で解散する「女性のためのアジア平和国民基金」(国民基金)をもって「慰安婦」問題を終わりにしようとしていることは明白です。
この数年、被害女性たちの高齢化は一層深刻になり、毎月のように悲しい訃報が届いています。日本政府は、「生きているうちに解決を! このままでは死んでも死に切れない」という叫びをしっかり受け止め、小泉首相在任の最後の仕事として、被害者が納得する解決に早急に着手していただきますよう、強く要請いたします。
2006年8月9日
日本軍「慰安婦」問題行動ネットワーク
連絡先:〒169-0073 東京都新宿区百人町2-23-25 「売買春問題ととりくむ会」気付
以下,「ナヌムの家歴史館後援会」からのニュースに添付されていた案内です。
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元日本軍「慰安婦」被害者女性の体験と向き合う in ひらかた
「ナヌムの家」絵画・写真展
●日時 2006年9月1日(金)~6日(水) 午前10時~午後6時
ただし,初日は午後1時から,最終日は午後5時まで
●会場 枚方市ふれあいホール(京阪・枚方市駅京都側改札口前)
●展示内容
「ナヌムの家」のハルモニによる絵画(複製)24点
写真家・矢嶋宰氏によるハルモニの肖像写真10点
●入場料 無料
●9月2日(土)午後2時より,ビデオ上映(追悼・姜徳景ハルモニ)と講演会。
講師 池内靖子さん(立命館大学教員・ナヌムの家歴史館後援会共同代表)
会場 サンプラザ市民センター 視聴覚室
(京阪・枚方市駅京都側改札口からすぐ,サンプラザ3号館5階)
入場料 一般700円,大学生500円,高校生以下無料
●主催 「ナヌムの家」絵画・写真展 枚方実行委員会
共催 枚方市教職員組合,枚方市職員組合,枚方市労連,枚方・交野平和人権センター
協力 ナヌムの家歴史館後援会
後援 枚方市,枚方市教育委員会
「ナヌムの家」に暮らすハルモニが,国・自治体からの生活安定支援金をため,孤児のための奨学金を寄付したとのこと。
「最近は歩行もできないほど健康が悪化した金さんは『自分も親がいなかったので孤児として勉強できなかったのが心残り』とし、『親がいない子供たちに学べる機会が与えられるよう力になりたい』と語った」。
17才から20才までの「慰安婦」生活だったという。
「元慰安婦のチャンさん,オーストラリアで日帝の蛮行を証言へ」(中央日報)。
「講演に同行する挺身隊問題対策協議会(挺対協)のユン・ミヒャン事務総長は1日、『国際アムネスティオーストラリア支部の招待で行われる今回の講演は、アデレード、ホバート、メルボルン、シドニーで行われる予定』と述べた」。
ちなみにアムネスティについては,こちらから。
「安倍氏,8月15日は参拝せず 靖国争点,避ける狙い」(朝日新聞)。
「安倍氏は側近議員や学識経験者らの意見を踏まえ(1)総裁選などで靖国問題を争点化しない(2)参拝するかどうかは言わない(3)8月15日の参拝にはこだわらない――との方針を確認したという」。
今のところは,総裁選の乗り切り策の限りらしい。
とはいえ,仮に総裁選に勝てば,「参拝するな」の内外圧力はますます強くなるばかり。
いつまでも争点そらしで逃げられるものではないだろうに。
「昭和天皇,A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ」(7月20日,読売新聞)。
これでまた,靖国公式参拝を当然視する人々と,これを否定する人々との意見の対立が活発となりそう。
それにしても,まずはメモの信憑性が問題か。
昭和天皇による平和についての「親の心」は,果たしてどのようなものであったのか。
発言が事実であれば,「天皇の靖国参拝」を求める人々と,靖国を活用して戦争を進めたご本人との,意見の相違は明らかだが。
「昭和天皇『私はあれ以来参拝していない』 A級戦犯合祀」(「朝日新聞」7月20日)
こちらには,合祀当時の側近の発言が「裏付けられた」との文章があり,また『昭和天皇 独白録』にたずさわったという半藤一利さんの証言もある。
「私にとってはやっぱりという思い」だと語られている。
2時から館内でビデオ「私たちは忘れない」を見る。
「忘れない」とされているのは,戦死者たちへの「感謝と祈りと誇り」である。
アジア人2000万人を殺害する闘いの中での戦死が,「崇高な散華(さんげ)」と称賛される。
※ただし,手元の広辞苑によれば,「散華」は「仏に供養するために花を散布すること」であり,「華(はな)と散ると解し,戦死を指していう」のは「誤って」いるとある。
「遊就館」の展示も同じだが,このビデオにも殺された人々の目線はどこにも存在しない。
家族を殺され,土地や財産を奪われた人たちの思いは意図して「忘れ」さられている。
東京裁判による戦争総括は日本人に「いわれなき罪」を押しつけたものだとも。
50分ほどの映像だが,前列で見ていたあるお年寄りの1人が拍手をする。
会場を出る途中,「あなたたちのような若い人に見てほしかった」「明日からしっかり生きてね」と,年輩の人に声をかけられた学生もいた。
いわれた側は「あの映画見て,『しっかり』って,どういうこと?」と怒っていたが。
さらに3時すぎからは,もう1本のビデオ「君にめぐりあいたい」(1999年)を見る。
たくさんの特攻の姿,遺書,思い出が語られ,戦争は侵略でもなく,虐殺でもないと明言される。
ここでも戦死は「桜花のように散る」と美化されている。
東京裁判が歴史の偽造であることが,パール判事の言葉によって根拠づけられ,この歴史観にとらわれることは「日本人の名誉・誇り・尊厳への罪」だとされる。
「英霊につくす感謝の心はないのですか」。
ナレーションは語気強く,繰り返し問うてくる。
天皇への靖国参拝(御親拝)までもがよびかけられる。
2001年の自民党総裁選で,小泉候補が「参拝」公約を行なったのは,こうした力の獲得をめざしすものでもあったのだろう。
今年の8月15日には,1日に50万人の参拝者を迎え,そこに小泉首相の参拝を迎えようとする動きがある。
それはポスト小泉に対する靖国参拝への強い「激励」の意味をもつものでもあろう。
4時には,「遊就館」出口で感想をノートに記していく。
戦争での個々人の苦難と,戦争そのものの正当化は区別するべき問題である。
死者の追悼と侵略の肯定の意図的な混同を広めることは有害である。
何人かの学生たちも,それぞれに書き込みをしていたようだ。
「遊就館」を出て,靖国の境内を外に向かう。
「ここはやはり戦争の記録の場所ではなく,あの戦争が正しかったという歴史観教育の機関になっている」。
まわりをあるく学生たちと感想が一致する。
境内を出て,ただちに「羽田」に直行。
5時すぎには飛行場に着く。
お土産を買い,食事をとり,7時25分発の飛行機にのる。
これにて,今回の濃密東京ツアーはおしまいである。
次のゼミでは,互いの感想を交流したい。
以下は,「遊就館」1Fロビーでの学生たちの姿である。
さて,休憩後の再学習である。
戦後の話となるが,展示は「(GHQは)憲法や教育基本法の制定などで,日本の弱体化を図った」と明記する。
憲法敵視の姿勢は明白である。
戦後世界の独立の地図では,台湾や朝鮮が無視されており,あたかも世界の植民地支配に日本が無関係であるかのような描き方となっている。
5000枚ほどの遺族提供の写真の展示があるが,東条英機の死亡理由は「法務死」(死刑)とある,
A級戦犯の写真は3枚だけだが,特に大きな扱いはない。
人間魚雷「回転」の実物を見る。乗務員は狭い中で,コンパスをつかって敵艦との距離を計算したという。
命中はわずか7隻だけとのことである。
数々の遺品があるが,中国大陸ではいまだに遺骨収拾も追悼もできていない。
両国に本当の「和解」の歴史がないからである。
神道では「神霊」は,靖国にも護国神社にも家庭の神棚にも同時に存在することができるらしい。
だから,靖国神社と各地の護国神社の間に「分骨」のような仲介の儀式は存在しない。
現在では靖国は一宗教法人なので,かりに自衛官が「戦死」し,遺族がそれをのぞむなら「公務殉難者」としての合祀が可能になるらしい。
1時をすぎたところで,駆け足ではあるが,すべての展示を見終え,1Fロビーの小さな食堂に入っていく。
見学者は多いが,この食堂の利用者は多くない。
東京観光のひとつの「名所」と位置づけたツアーでは,外でしっかり食べる場所が決まっているからだろう。
メニューの中から,「海軍カレー」と「海軍コーヒー」を食べてみる。
コーヒーは普通のものだが,カレーにはちゃんと下の案内文がついていた(写真をクリックして拡大して読んでください)。
学生たちは,海軍カレーと現代のカレーを食べ比べており,「最後はやはり甘いもので」と,ソフトクリームなどをなめている。
食事をしながら,H川さんとあれこれ政治の話しをさせていただき,2時前にはお別れする。
9時から2時までの5時間もの長時間のおつきあいをいただいた。
H川さん,どうもありがとうございました。
またお会いしましょう。お元気で。
つづいてみんなで「遊就館」へ。
途中,食堂で昼食をとるには,一度展示コーナーを出ねばならない。
「食事の後も展示が見たいので」とH川さんが,受付にお願いしてくれる。
職員さんが融通をきかせてくださり,あっさりOKのお返事となる。
さて,解説である。
遊就館は1882年につくられ,関東大震災で倒壊する。
その後大正時代に再建され,さらに2002年7月に今日のものがつくられた。
遊就館のパンフレットには,日本文と英文で異なるところが少なくない。海外にむけて大っぴらには言いづらいことがあるのである。
1Fロビーの機関車は泰緬鉄道の開通式に走ったもの。
紀元2600年(1940年)につくられた海軍の零式戦闘機は最後は特攻機とされていった。
大伴家持の「海ゆかば」,漢文からとられた「遊就」の名の由来,
神話の人物がさも実在したかのような展示のあり方,
2002年のリニューアル以後,若い人たちにもわかりやすくとの配慮からパネルなど図示の資料がふえている。
尊皇倒幕の志士たちがさらに「錦の御旗」を手に「官軍」を名乗って旧権力を叩きつぶしていく過程。
征韓論をとなえた西郷は西南戦争で自決する。英霊ではないが後に恩赦を得て上野に銅像がつくられた。
欧米をまわった大久保等が西郷を抑えたのは「強兵が先」という理由で,「征韓」そものを否定したわけではない。
戦没者慰霊は天皇による儀式,天皇が神社にあたえた「御幣物」の実際,神武天皇の杖のトンビと金鵄勲章。
軍旗の旗竿の頂点には菊の紋章があり,16枚の花弁の数が旭日旗のまわりの光の数となっている。
日清戦争で得た莫大な賠償金(3億1000万円,当時の国家予算の4~5倍)はその後の軍費のもとになる。
しかし,日露戦争では賠償金なし。両国ともに戦争終結には国内事情が大きな役割を果たしていた。
1910年「韓国併合」,ここから先の展示には韓国・朝鮮の話しは一切でない。
人の魂が「英霊」となる仕掛けの儀式,実際に行なわれたNHKによる実況放送が流れている。
南京事件については,これによって「一般市民の生活に平和がよみがえった」との展示記述がある。
いったいどこが「平和」だったのか。
休憩中,H川さんに,遊就館のリニューアルオープンに必要とされた資金の出所をうかがってみる。
「130周年記念として80億円を目標にした募金活動が行なわれた」
「正確にはわからないが50億円ほどが集まったとされる」
「それによって遊就館のリニューアルと新しい参集殿の建設がなされた」。
休憩中の学生たちは,ほとんどがソファでグッスリ睡眠態勢にある。
聞けば,4~5時までおしゃべりをしていたという。
ただし,その話題には「昨日の資料館で考えたこと」もあったとか。
それでも,Nしょんががんばって「明治権力が天皇をひっぱりださずにおれなかった歴史」の経過を質問している。
写真は,1Fロビーの復元された「ゼロ戦」である。
7月2日(日)は,飯田橋のホテルロビーに8時30分の集合である。
ところが,W辺秘書からの電話でこちらが起こされたのは,すでに8時37分。
完全な寝倒しの朝である。
学生たちに先に行ってくれるようにいい,こちらはアタマから水をかぶって朝のスタート。
ビデオの早送りのスピードで動きまわって,どうにか約束の現地9時集合に間に合っていく。
人間,やればできるものである。
今日は靖国見学の1日である。
ガイドをお願いしたH川さんと,何事もなかったかのように,「靖国神社」の「社号標」前でお会いする。
ここからは,28年議員をつとめられたH川さんの名調子での案内である。
切り取られた社号標,別格官幣社の意味,大鳥居の前の日清戦争の「戦利品」である1対の獅子。
九段会館は旧軍人会館,大村益次郎像の姿,旧徳川家の拠点に明治の兵工廠などが,華族とはどういう制度か。
後の富国生命が戦前に献納した灯籠,例大祭の日取りの変化,大阪砲兵工廠から届けられた青銅の第二鳥居。
馬に乗り軍旗をもってくぐることのできる高さの神門。
新しい斎館がつくられたがA級戦犯合祀以後「御親拝」(天皇による参拝)ができない事情。
秀吉の軍が打ち負かされた記録もある戦利品「北関大捷碑」の朝鮮への返還の跡。
一般の人が参拝できない形でひっそりとおかれた「反賊」をまつる鎮霊社。
合祀する人々の魂を名簿に招く招魂斎庭と,そこを駐車場にせずにおれなかった靖国の経済事情。
※1台4万円で99台分,これの12ケ月で年間4752万円の収入となる。
45年11月19日の最後の招魂の儀式,78年のA級戦犯の合祀の経過。
最近の「東京裁判史観」の丸ごと否定の動きに対応したパール判事顕彰碑の建造(05年6月25日)。
軍鳩・軍犬・軍馬の像とそれぞれの苦難。
ここまでのすべて「遊就館」に入る前の解説である。
もっと時間があれば,見てほしいものが他にもたくさんあるとH川さんはいう。
靖国は7月13日から16日が「みたま祭り」(お盆のようなもの)だそうで,あちこに普段にない飾りつけがしてあった。
下の写真は神門の前と,旧富国生命が送った灯籠にあるレリーフの一部。
4時には「竹芝」を後にする。
礼服を着込んでいるわけだが,外はずいぶん湿度が高い。
汗をふきつつ,早稲田の「女たちの戦争と平和資料館」へと向かっていく。
4時30分の到着である。
11時30分に「大阪」を飛び立った学生たちは,機内で昼食をとり,2時すぎには先にここに着いている。
館長のN野さんに展示の解説をしてもらったというから,これ以上はないという豪華版の学習である。
コテコテの関西人が,無事,この資料館にたどりつくにあたっては,W辺秘書の力が大きかったという。
あとで「私は方向音痴だけど,地図を見ればなんとかなるものだと実感しました」と語っていた。
T中社長が,社長の肩書にふさわしい力を発揮して,N野さんにお礼の言葉を述べていく。 関西を離れると社長は,「知」の力がアップするらしい。
こちらは御陽気なW辺資料館事務局長(?)と,おしゃべりをかわし,あれもこれもと本を買う。
ゼミですでに学んだことも多いはずだが,あらためて資料館の展示で学生たちはアタマの整理がすすんだようす。
5時50分には資料館を後にする。
最寄りの地下鉄の伝言板で,黒板の書き置きを確認していく。
資料館に向かう途中,学生たちが残していたもの。
ちゃんとワルモノも描かれている。
資料館のみなさん,お世話になりました。
また次の機会にお会いしましょう。
「上田知事 『従軍慰安婦いなかった』 資料館記述,検討の意向」(埼玉新聞)
「『従軍慰安婦いなかった』 埼玉知事 展示記述の修正表明」(しんぶん赤旗)
かつての「慰安婦」に対する新たな侮辱の言葉が,またしても日本の政治家によって,投げつけられた。
6月27日の埼玉県議会での話である。
県立の博物館と資料館の展示は「近代史を、政府や国に国民・県民が苦しめられ苦難に耐えた闇の時代のように描かれている」。
まずは,自民党小島議員がその内容を批判する。
そして「子どもたちや県民が学ぶ施設が、偏った内容でよいのか」と展示内容の見直しを要求。
これに対して上田知事はこう語る。
「東西古今、『慰安婦』はいても『従軍慰安婦』はいない。兵のいるところに(『慰安婦』が)集まってきたり、兵を追いかけて民間業者が連れていったりするのであって、軍そのものが連れて行くなんてことは絶対にない」。
加えて「従軍慰安婦」について「間違った記述があるので、修正しなければならない」と。
自分の気に入らない見解に「偏っている」の言葉をつかうのは,論理なき論者の常套手段である。
同時に,それは自分こそ偏ることを知らない天下の基準と語る,ご大層な傲慢の証明でもある。
とはいえ,その手の議論に入るまでもなく,軍の直接的関与については,軍や政府自身の資料で明々白々の事実といえる。
それは日本政府によっても認められている。
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(93年8月4日)。
この談話には次のような節がある。
「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」。
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」。
また,内閣官房内閣外政審議会名で発表された,同日の調査結果「いわゆる従軍慰安婦問題について」は,より詳細にこれを語る。
いずれも,外務省の「アジア/戦後60周年」のページにあるものである。
今回の上田・小島両氏の議会におけるやりとりは,本当に質の悪い茶番といえる。
このような人間には,早々に政治の世界を去ってもらいたいものである。
次は,あるメールで受け取った,上田知事の抗議先。
どうぞ,みなさんご活用を。
抗議先:総務部広聴広報課広聴・知事への提言担当
Tel:048-830-2850 Fax:048-824-7345
E-mail:a2840-02@pref.saitama.lg.jp
「ワールドレポート 仏独 共同で歴史教科書」(赤旗)。
「このほどフランスとドイツの歴史学者の共同作業による初めての高校生向け歴史教科書が刊行されました。共同教科書の作成は世界的にもほとんど例がなく、十九世紀後半から第二次世界大戦まで三度戦火を交えた両国の和解を「もう一歩前進」(仏外務省)させるものと注目されています」。
「今年九月の新学期から使用されるこの教科書は、第二次世界大戦の終了から現在までの現代史を扱った高校最終学年用」。
「『「これまで高校での歴史教育は、フランス人の立場、見解によるものでした。したがって、たとえば、この教科書で取り上げられている『ドイツ人が戦後期をどのように生きてきたか、ドイツ人がナチスの犯罪の過去にどのような姿勢で向き合ってきたか』というようなテーマを、高校生たちは習うことがありませんでした。これは非常に大切なことだと思います』」
「いち早く教科書を入手した高校の歴史地理の教師ダンデロウ・ファビエンさんはこう語りました」。
加害の歴史に対する日本の姿勢との相違は決定的。
こういう真剣な努力がされなくちゃ。
6月8日,夕方5時,西宮アクタの東館で「第二次不二越強制連行・強制労働訴訟」を支援されているIさんと会う。
不二越というのは,富山に本社のある工作機械メーカーの名前である。
「『ハルモニからの宿題』を偶然本屋で見つけて,こんな近くにこんな取り組みをしている人がいたのかと思って」と,連絡をいただいたのがきっかけである。
初めてお会いするが,親しく7時半まで話し込む。
朝鮮人強制労働の実態,裁判闘争の様子,「慰安婦」問題とのかかわり。
老いた原告が亡くなっていく悔しさ。
最近の韓国の選挙結果,日本の市民運動の役割,改憲の動きなど。
話題は自由にとびまわる。
事前にながめていたホームページには「ナチ不二越」の文字があった。
気になったので「ナチ」の意味を聞いてみる。
「ナチスのことではないのです」。
「かつての天皇のお召し艦『那智』の名を,不二越自身がNACHIの名でつかっているのです」。
「大阪博覧会に出した製品を,天皇がほめたというのがきっかけです」。
なるほど,聞いて見るものである。
同社の「会社概況」から「沿革」へ,「1925年~」へとすすむと,たしかに巡洋艦「那智」の姿がある。
『「慰安婦」と出会った女子大生たち』をお渡しし,『不二越強制連行未払い賃金訴訟・報告集』をいただいてお別れする。
遠からず,またお会いすることもあるのだろう。
原告は,不二越からは,2000年7月11日に最高裁で「勝利和解」を勝ち取っている。
いまの第二次訴訟は,日本の国家責任を視野にふくめた訴訟である。
今日の日本の司法に,この手の問題での期待はしづらいが,しかし,がんばってほしい取り組みである。
いただいた『報告集』をながめて見ると,末尾の資料に「北日本新聞」1992年9月4日付が載せられている。
内容は,不二越で強制労働をさせられ,そこを逃亡した後,松代(長野県)大本営ちかくの「慰安所」に移送された朝鮮人女性がいるとのもの。
「責任者を処罰せよ」を描いた姜徳景ハルモニのことである。
なるほど,両者にはこのようなつながりもあるわけだ。
「CIA,ナチス戦犯のアイヒマン放置…公開文書で判明」(読売)。
「アイヒマンの逮捕で、西独のアデナウアー政権下で米国の反共政策などに協力していたナチス残党で、西独の官房長官にもなったハンス・グロプケらの存在が明らかになることを懸念」。
つまり,戦争犯罪の追求に,当座のアメリカの世界戦略が優先したということ。
その点は,戦後のヒロヒトの無罪放免や,巣鴨刑務所から岸信介等が出されたことと似たようなもの。
「比女性誘拐,38万円で売買 クラブ経営者ら5人逮捕」(東京)。
金が介在してはいるが,日本にも奴隷制の要素があるということか。
「慰安婦」問題だが,エバンス民主党下院議員による「従軍慰安婦動員非難決議案」の本会議上程が「事実上」決まったらしい。
そして,韓国の女性相がこれを支持する見解を発表している。
報道はすでに中国でも。
新聞記事から。
太平洋戦争の沖縄戦で弾薬の搬送などをする「軍夫」や「慰安婦」として従軍させられ死亡した朝鮮半島出身者を追悼する慰霊碑が沖縄県読谷村に建立され、除幕式が13日、行われた。
慰霊碑は「恨之碑(ハンのひ)」と名付けられた。処刑のため日本兵に連行される青年の足にすがりついて泣く母親を描いたレリーフ(縦約3メートル、横約1・8メートル)が石灰岩に埋め込まれている。
沖縄・慶良間諸島の阿嘉島に強制動員された韓国・慶尚北道出身の姜仁昌さん(85)らが、沖縄戦で亡くなった仲間を慰霊しようと発案。1999年に慶尚北道英陽郡に軍夫の慰霊碑を建てた後、沖縄県にも建立する準備が進められてきた。 (共同通信) - 5月13日18時6分更新 」
総理の靖国参拝を日中関係発展の「障害」と述べた,先日の経済同友会提言を受け,遺族会にもあらたな変化が見られるようす。
「〈靖国神社〉『分祀も検討の対象』古賀誠・遺族会会長提唱へ」。
日商山口会頭が提言を評価し,他方,提言をポスト小泉問題での財界による「福田支持」と受け取っての政治家内部の動きもある。
アジアの経済成長と,財界やアメリカをふくめた内外の批判を前に,「日本の伝統を金で売るのか」といった右からの「強気」発言は,すでに存在基盤を失いつつある。
また,「小泉・ブッシュ後の日米同盟,日中韓の歴史認識がカギ」は,この問題に対するアメリカ内部の認識の分岐を,次のように紹介している。
「小泉・ブッシュ後の日米同盟,日中韓の歴史認識がカギ
【ニューヨーク=大塚隆一】米ブッシュ政権の国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長を昨年末まで務めたマイケル・グリーン氏は12日、ニューヨークの日本クラブで講演し、小泉首相、ブッシュ大統領が退任後の日米同盟について、楽観的な展望を示しながらも、中国、韓国との歴史認識問題が影を落とす恐れがあると警告した。
日本語で講演したグリーン氏によると、日中韓の歴史問題については米国内でも意見が割れている。具体的には、<1>靖国参拝も支持する強硬な反中右派<2>日本に中国、韓国との関係改善を望みつつも、米国の介入は事態を複雑にするとして控えるブッシュ政権<3>基本的に親日だが、日本の役割が重要だからこそ米国が介入すべきだとする民主党右派<4>日本に批判的で、日米安保を強化すると米国もアジアで孤立すると主張する民主党左派やニューヨーク・タイムズ紙の論説委員会――などに分裂しているという。
サンフランシスコ講和条約における日本の戦後賠償は,日本経済の復興を最優先したものとなり,結局,二国間交渉による現物賠償は,インドネシア,フィリピン,ビルマ,南ベトナムの4ケ国に対する現物賠償だけとなりました。
51年の講和会議に,日本の侵略と植民地支配がもっとも深刻な被害を与えた南北朝鮮と中国はそもそも招請されておらず,両国への戦争責任処理および国交回復の課題はその後に残された重大課題となりました。
結局,韓国とのあいだでの国交回復は65年の日韓基本条約によって果たされます。そこにいたる交渉は51年から始められ,いわゆる「久保田発言」に象徴される日本側からの植民地支配正当化発言などにより,交渉は難航をつづけます。
65年の条約締結に際しても,日本側から誠意ある謝罪の姿勢は示されず,条約の内容についても日本側が「経済協力」の名目で差し出した金銭を,韓国側が「賠償金」として受け取るという,不正常なものとなりました。
2005年1月と8月の2度にわたって,韓国政府は,この条約締結にいたる日韓会談の関係文書を公開しました。日韓関係の付け焼き刃ではない,根本からの正常化,相互理解をめざす立場からの行動です。
これに呼応して,日本国内でも,日本政府が保有する関係文書の全面公開を求める取り組みがすすめられています。「日韓会談文書・全面公開を求める会」に,その取り組みの趣旨や内容の紹介があります。また,ここには韓国政府が公開した文書の一覧や,これと「慰安婦」問題のかかわりに関する文章も掲載されています。
6月3日には神戸で関係のシンポジウムも計画されていますので,ぜひ一度,サイトをのぞいてみてください。
京都のF田酒飲み弁護士のブログに,西日本新聞の慰安婦関連記事が紹介されていた。
ここにも同じものを残しておきたい。
裁判記録の「発見」者は,龍谷大学の戸塚先生だとある。
戸塚先生とは,昨年,歴史問題・東アジア問題でのシンポジウムをご一緒させていただいた。
西日本新聞掲載記事の写しは以下のとおり。ただし,判決全文の掲載はない。
判決の意義については,つづく歴史家たちの検討・評価を期待したい。
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慰安所の前身は「休憩所」 戦前の判決文に記載
戦前、中国・上海で従軍慰安婦を置いていた旧日本軍の海軍指定慰安所の前身が、「海軍指定休憩所」という名称の施設だったことが4日、戸塚悦朗龍谷大教授(国際人権法)の調査で分かった。
日本人女性をだまし、長崎から上海の慰安所に移送したとして、日本人経営者らを有罪とした1936年の2審(長崎控訴院)判決文に、事実関係が記載されていた。
判決文は長崎地検に保管されており、閲覧した戸塚教授は「慰安所の前身の名称が明らかになったのは初めて。国は資料を発掘し、慰安所や休憩所の実態を解明すべきだ」と話している。 2006年05月04日17時27分
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