3月16日付東京新聞社説
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009031602000081.html
『不当支配』認定 教育介入へ当然の判決
2009年3月16日
養護学校を訪れた東京都議が反論もさせないまま性教育を一方的に非難したのは旧教育基本法が禁じた「不当な支配」と認定された。現場に立ち入って教育の自主性を侵した行為を猛省すべきだ。
東京都立七生(ななお)養護学校(日野市、現・七生特別支援学校)では一九九七年、生徒同士の性的交渉が発覚し、その後も性に関した問題行動が多発、学校全体で性教育に取り組んでいた。
知的障害がある子供を対象とした学校で、分かりやすい性教育として、体の部位の名称を歌詞にして歌ったり、性器模型付き人形を用いていた。
保護者との話し合いも重ねており、担当していた養護教諭は都教委の研修に講師で招かれ、授業の様子を講演したこともあった。
都議三人は二〇〇三年、この養護学校を訪れた。東京地裁が判決で認定した視察状況はこうだ。
三人は保健室で校長らに性教育に使われている人形などを提示させ「常識では考えられない」「不適切なもの」などと述べた。養護教諭には「こういう教材を使うのをおかしいと思わないか」「感覚がまひしている」と非難した。
資料ファイルを持っていこうとする都議に教諭が「何を持っていくのか教えてください」と尋ねると、都議は「おれたちは国税と同じだ」とたしなめたという。
判決は事実関係をこう認定したうえで、旧教育基本法が禁じた「不当な支配」に当たると判定している。「単なる視察だった」という都議に対し、意見交換することなく、学校を一方的に非難した違法行為だった、ともしている。
判決に三都議は「視察と指摘で過激性教育が改善された意義は大きい」とコメントした。現場に介入した意図がうかがえる。成果を誇っており、反省がみられない。都民の負託を受けた現職議員として違法行為を恥じるべきだ。
都教委は本来、政治的干渉から教育現場を守る役割がある。しかし、都議に同調し、教育の自主性をゆがめる行為に加担した。判決を重く受け止めねばならない。
性教育は研究の歴史が浅く、さまざまな方法論がある。知的障害がある子供への性教育指導はさらなる工夫もいるだろう。特別支援学校では試行錯誤しながら実践の仕方を探っているのが実情だ。
学校の努力を調べないまま、都議のいう“常識”だけで判断できる問題ではない。強引な介入や干渉は現場を萎縮(いしゅく)させるだけだ。
やれやれ、さすがに「ドピュドピュ模型」や「人前オ ナニー」のことは書けなかったようで(嘲)。
今日の産経抄がこの東京社説が隠していることを書いていますので引用します。
3月16日付産経新聞朝刊1面コラム『産経抄』
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090316/edc0903160210000-n1.htm
日本初の本格的長編カラー劇映画「カルメン故郷に帰る」は、東京・浅草のストリッパーが、故郷の村に帰って混乱を巻き起こすコメディーだ。「わしが自分で裸で踊るより恥ずかしい」。娘が村でストリップをやると聞いて泣く父親に、笠智衆演じる小学校の校長先生がいう。 ▼「恥ずかしいということは人間だけが知っていることだ。尊いことだ。尊いことだよ」。人間だけが知る「尊いこと」を伝えるのが、教育のはずなのに、正反対の性教育がまかり通る学校があった。性器の部分が強調された男女の人形などを教材にしていた、東京都立七生(ななお)養護学校(日野市)もそのひとつだ。 ▼児童生徒が暮らす寮では、時や場所を選ばずに、性器の名称を口走ったり、触り合ったりしている、と保護者らから苦情が寄せられていた。集会室で自慰行為を始めた男子生徒に寮の職員が注意すると、「学校で恥ずかしいことじゃないと教わった」と答えたという。 ▼七生養護学校の過激な性教育が明るみに出たのは、平成15年に都議会で指摘した都議が視察し、それを小紙が報じたからだ。当時の教員らが、精神的苦痛を受けたなどとして訴訟を起こし、東京地裁は先週、都議の行為を「不当な支配」と認定した。 ▼何だか、従軍慰安婦問題を扱ったNHKの番組をめぐる騒動を思いだす。そもそも、昭和天皇を弁護人抜きで一方的に断罪する“法廷”など、放送に値するはずがないのに、政治的圧力の有無ばかりが取りざたされた。 ▼今回も裁判所は、性教育の内容については判断を示さなかった。問題の本質から目をそらした判決だ。元教員たちは、都教委に没収された教材を取り戻して、再び過激な性教育を広める決意を語っている。やれやれ。
by nekopon
【東京社説】「人前オ ナニー…