東京の地下鉄とはひと味もふた味も違った雰囲気の大阪地下鉄は当時からファンにとっては魅力的でした。何しろ駅の天井が高いので地下独特の息苦しさを感じさせません。車両も大型で流石に私鉄王国大阪は地下鉄まですごいと感心したものです。
これは'63.11.9、地下鉄撮影の初挑戦です。車両は1118、場所は淀屋橋と思います。これでF2.8のレンズでもカメラを柱等に押さえつけてスローシャッターを切れば何とか画になる事が分かりました。ドーム型の大天井は大阪地下鉄のシンボル。是非これは撮ってみたかったのです。もうこの年の6月からは1号線は8両編成が開始されており、当時の地下鉄としては常識外の堂々たる列車になっていました。
上と同じ1100型の先頭車1107です。場所は中津、時は1年後の'65.1.17で、少しは地下鉄撮影の技も上達したようです。なお、この車は昭32年に登場した大阪地下鉄初のWN駆動高性能車でした。前の写真で分かりますが、扉はまだ片開き方式です。
'66.2.18、新大阪駅での1205です。この形式から片運転台、両開き扉と一層近代的になりました。
'65.1.17、中津です。この5000型は昭35年にデビューした当時の最新鋭車で、5500とのMM2両1組になっていました。
その相棒5500型で場所は? 天井が高いので中津から梅田、淀屋橋辺りに移動して撮ったと思われます。駅員の黒い制帽、詰め襟服、白手袋といういでたちが良いですね。
4号線の6107で場所は多分朝潮橋でしょう。日時も分かりませんが '67〜68年頃らしいです。この6100型は'64.10に4号線が弁天町から本町まで延長されたのを期に投入されました。それでもまだ2両編成で間に合っていたようです。
大阪の地下鉄を初めて訪れたのは昭35年、この時はまだカメラを持っていませんでした。先ず驚いたのは各主要駅の切符売り場前に回数券のバラ売りをする小母さんが何人もいることです。乗客も手慣れたもので無言でお金を出してすっと買って改札に入ります。正式な窓口で買うより早いとみえ結構繁盛していました。当時料金は15円全線均一で回数券は11枚綴りが150円。お客11人に売って15円の儲けが出る訳です。確か「立ちんぼの小母さん」と呼ばれていたような気がします。東京では考えられない商売で、大阪人の見栄を張らない実利主義と、またこれを黙認する市当局の度量の広さに感心しました。しかしこの商売も路線延長と共に均一料金制が無くなって姿を消してしまったようです。