ふるさとは奇風習をして語らしむ

■「おポンプさま」で水を敬う

戦争、渇水時に活躍 生き証人神格化 長崎市や福岡市

長崎大水害のときにも活躍した、長崎市万才町の手押しポンプ  キーキーとさびた金属がこすれる音は、ほとばしる水の音にかき消された。触れると、寒風を忘れさせるくらい温かい。

 長崎市万才町にある老舗、長崎グランドホテル。その東側の壁際には、風格ある手押しポンプが鎮座する。今も現役だ。

 「終戦直後はつるべがある井戸だったんですが、やがて手押しポンプになり、代を重ねてきました。いつの時代も生活に欠かせない存在です」。近くで種苗店を営む木下博由さん(65)=同市築町=が語る。毎朝、店の花にやる水はここでくむ。近所の人も掃除に使う。「1番ありがたかったのが、1982年の長崎大水害。水道が断水したとき、このポンプがどれだけ市民の支えとなったか」。木下さんは、街角の石仏と向き合うようにポンプを見つめた。

 おポンプさま。福岡市のメーンストリート、大博通りにある手押しポンプは、神様のように呼ばれている。  このポンプ、福岡の歴史を紹介するため同通りに置かれたモニュメントの1つ。かつては民家の井戸で1945年の福岡大空襲や、78年の大渇水のときに活躍した。87年、通りの拡張工事で撤去される運命だったが、市民の強い働き掛けで保存された。

福岡市の大博通りにあるおポンプさま。博多の 歴史を見つめてきた  「水の大切さを物語る生き証人。それゆえポンプに『さま』をつけ、敬意を表したのでしょう」。都市プランニングを手掛ける福田紀子さん(59)=福岡市南区=が語る。20年近く前、福岡・博多部に残る手押しポンプを調べ、13基を確認した。おかみさんたちが話の花を咲かす、井戸端文化がまだ残っていた。

 福田さんと一緒に博多のポンプを再訪した。ところが見つからない。記憶にない新しいビルが次々に建ち、ポンプは姿を消していたのだ。「調査したのはバブル期。相次ぐビル建設のくい打ちで、地下の水脈が断たれたのでしょう。井戸が枯れれば、ポンプは死ぬ」と福田さん。時代の波にのまれる世間遺産の行く末は、なんとなく寂しい。

 奈良屋町の民家の前で福田さんが小さく叫んだ。「ありましたよ!」。庭先に鈍(にび)色に光るポンプがあった。この家のご主人、白石建蔵さん(48)に動かしてもらうと、水は流れ出た。「山笠のときも、勢い水に使っています。将来、部品がなくなっては困るので今のうちから買いだめしています」と白石さん。

 東京・墨田区は雨水を利用したポンプを中心にコミュニティースペースを設け、そこを「路地尊(ろじそん)」と名付けている。いのちの源、水を敬う「ポンプ信仰」は古今東西、絶えず変わらず。手押しポンプは、人の営みを優しく映す世間遺産だ。

【写真説明上】長崎大水害のときにも活躍した、長崎市万才町の手押しポンプ

【写真説明下】福岡市の大博通りにあるおポンプさま。博多の 歴史を見つめてきた

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