ふるさとは怪モニュメントをして語らしむ
■民家の隣に石仏700体 究極 おれ様テーマパーク
理由不明 彫り師人生、快進撃 40歳で突然開花 宮崎・高鍋町の故岩岡保吉さん
岩岡保吉(やすきち)さん(1889-1977)。歴史上、まったくの無名といえるこの人物こそ、見る者を圧倒する摩訶(まか)不思議な石仏群「高鍋大師」を宮崎県高鍋町で彫りまくった男である。その数、ざっと700体。商売など、はなから無視した“おれ様テーマパーク”の開祖だ。
香川県に生まれた保吉さん。7歳のとき、家族で高鍋の地に移り住んだ。19歳で始めた精米業を40歳で子どもに任せ、なぜか石仏づくりに専念する。
1932年、日向灘を一望する小高い丘に約1ヘクタールの土地を購入。大分県・佐伯から呼び寄せた石工に学びながら石像を彫った。1年後に「四国88カ所巡り」をイメージした石仏88体を完成させたのだ。
どうして保吉さんは仕事を放り出してまで、石仏づくりに取り組んだのか。昭和初期、地元では持田古墳群(国指定史跡、4-7世紀)の盗掘が相次いでいた。これに心を痛めた保吉さんが「古墳を守り、葬られた先人の霊を慰める」ために石仏を安置した、と岩岡家には語り継がれている。
しかし、88体完成はほんの前奏曲に過ぎなかった。ここから、87歳で世を去るまでの怒とうの造形快進撃が始まるのだ。
不動明王、薬師如来、雷神、火よけの神…。存在感あふれる六メートル級の巨像はいずれも老年期の作品。なぜか水戸黄門、鶴亀の像もあり、保吉さんのほとばしる創作意欲が伝わってくる。石仏の多くは笑っている。「にこにこなカよくくらす人」などと文字が刻まれているものもあり、保吉さんの人柄が垣間見える。
「信仰心なのか、道楽か、芸術か。本当のところ、じいちゃんの本心は分かりません」。孫の岩岡保宏(やすひろ)さん(74)は笑う。
岩岡家の私有地にある高鍋大師。宗教法人とは無縁で、入場料を取るテーマパークでもない。年2回、地元の有志が草刈りをするなどして維持管理している。が、「墓守」を自任する保宏さんも東京の自宅と実家のある高鍋町を往復する身。「親族にも管理する後継者がいない。町に相談してもいい返事がない。これからどうなることやら…」。独り気をもんでいるのである。
【写真説明上】巨大な石仏を前に、親子連れも同じポーズでニッコリ
【写真説明中】故 岩岡さん
【写真説明下】岩岡さんが人知れず彫り続けた石仏群。 大小の像が小高い山の上にずらりと並ぶ
ホッとする優しさ 怒ったり笑ったり祈ったり…岩岡さんの作品群はユニーク
岩岡保吉さんが彫り続けた石像群は、はっきり言って粗っぽくやぼったい、と思う。でも、どこか「ホッとする」のはどうしてなんだろう。
牙をむき出した不動明王(約6メートル)でも「ウッシッシ」と笑い声が聞こえてきそうな不思議な柔らかさがある。両脇に小鬼を従えた大鬼(約2メートル)も、側面には「をにあらわれた」という素朴な言葉がひらがなで刻まれ、ついニッコリしてしまう。
まさに、荘厳さや気品とは無縁だが、深く心に残るという点で「世間遺産」の王道とも言えそうだ。
が、取材を進めると決して「遊び心」だけではない気がしてくる。孫の岩岡保宏さんの記憶では、おじいちゃんだった保吉さんは「体に気を付けろ」と口酸っぱく言っていたという。
だからだろうか。石仏の中には「あくまカゼ をいはらい」や「くサ木くすりあり」など健康を気遣うような文言が散見される。
保吉さんの優しさが石像群の柔らかさを醸し出しているのに違いない。
▲芸術? ▲信仰心? ▲それは言えない ▲というよりワカリマセ~ン ▲「をに」ですか… ▲メダルですか… |
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