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【国際】『天安門鎮圧 今も罪悪感』 元解放軍兵士が告白2009年3月18日 朝刊
【滕州市(中国山東省)=平岩勇司】一九八九年の天安門事件で民主化運動鎮圧に加わった元人民解放軍兵士、張世軍氏(38)が十六日夜、本紙の取材に応じた。元兵士が二十年前の天安門事件の体験を語るのは異例。張氏は今月上旬、報道の自由や普通選挙の実施を求める公開書簡を胡錦濤国家主席に送っており、事件について「今も強い罪悪感がある」と語った。 「白い鉢巻きを頭に巻いた学生が血の中で倒れているのを見て、私の心は砕かれた」 張氏は山東省の自宅で、慎重に言葉を選びながら口を開いた。 当時十八歳だった張氏は河南省に駐屯する五十四軍で広報活動を担当。四月下旬、民主化運動が高まる北京へ向かった。「首都の秩序回復が目的と聞いていた。当初は武力鎮圧の命令はなく、実弾も配備されなかった」 六月三日夜、武力鎮圧を決意した共産党指導部から部隊に天安門広場南部へ向かうよう命令が下った。軍用機が低空飛行で弾薬を投下。広場への途中、市民から何度も抵抗を受けた。 「私も顔面に投石を受けて血を流したが、部隊は上空への警告射撃にとどめ、人民に発砲しなかった」 天安門事件をめぐる数々の証言や研究では、南部部隊は水平射撃を行わず、西部の三十八軍などが水平射撃に踏み切ったとされる。張氏は四日未明、広場に着くまでに多くの死傷者を目撃する。 「後日、通信封鎖が解除され(民衆を虐殺した)軍の行為を知った。『人民は父母のごとし、学生は弟妹のごとし』が軍のスローガンで、大半の兵士は発砲に反対だった」 罪悪感にさいなまれた張氏は退役を申請。すると「任務拒否」として軍を除名された。政治体制に疑問を感じ、山東省で中国革命の祖、孫文の勉強会を始めたが、九二年に「反党反社会主義罪」で逮捕。裁判を経ずに懲役三年の刑を受けた。 張氏は出所後、名誉回復を求めたが党中央から回答はなかった。今月六日、インターネット上で「共産党は天安門事件の悲劇の代価として、民主化を実現してほしい」と訴える書簡を公開。同時に事件の体験を語る決意をした。 書簡発表で当局に拘束される危険もあるが、十三歳の娘を持つ張氏は「私の血が流れることで、子どもの世代が自由になればいい」と語る。 <天安門事件> 1989年4月、改革派の胡耀邦・元総書記の死去をきっかけに民主化を求める学生デモが北京で発生、100万人規模に膨らんだ。当局は「反革命暴乱」と断定し、戒厳令を布告。6月3日夜から4日朝にかけて軍を投入し、武力で鎮圧した。当局が公表した犠牲者数は319人だが、実際にはそれを上回るとみられる。 (中国総局)
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