このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージ・意見等は、本欄の右側欄のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員(アメンバー読者ではありません)に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元情報は、サイバーエージェントによって管理されています。USA版も暫定的に公開中です。
H先生
比較宗教学の視点から、『梅原猛著作集第9巻-三人の祖師-』(小学館、2002)の「歎異抄」(pp.371-687)を熟読吟味してみました。梅原先生は、「歎異抄」を最高に高く評価していますが(人生最高の書とまで持ち上げています)、私は、とても、そのように受け止めることは、できませんでした。「歎異抄」は、全18条(pp.641-686)からなる親鸞による浄土真宗の根源的理念である"他力本願"の意味を誰にでも分かるくらい砕けた表現で解説したものです。最澄や空海の仏教論とその宗派の根源的理念を比較し、親鸞の浄土真宗の「南無阿弥陀仏」の誰にでも唱えられる経の単純さと深さを示したものです。そして、何の知識も徳もないどうしようもない悪人ですら、それだからこそ、善人よりも、より救済されなければならないと諭しています。実は、この部分の解釈をめぐって、悪人の方が尊重されているかのように解釈しているひとがいるようですが、そのようなひとたちは、仏教の理念と「歎異抄」に書かれている全体をとおしての意味と主張を理解できないのでしょう。梅原先生はそのあたりをきちんと解説しています。私は梅原先生の解説を読む前から、梅原先生による18条の現代訳を読むだけで、理解できました。親鸞は、鎌倉時代、京都から離れ、いまの水戸市より西に20kmに位置するいまの笠間市稲田(当時は常陸の国の稲田)で布教活動をしていた時期があり(p.366)、そのことを知ることができただけでも、著作集を読んでよかったと感じました。
桜井淳
T先生
つぎのURLに掲載されているチェルノブイリ等フィールドスタディの147枚の写真を拝見しました。大変よい写真であり、深く感激しました。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Photo/Photo.html
私がロシアの原子力研究機関や原子力発電所を訪問していた1990年代前半から半ば頃、先生は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所や周辺都市(キエフやミンスク等)、さらに、周辺国(ベラルーシ等)、そして、ロシアのモスクワ等、実に広範囲の地域のフィールドスタディを実施しており、その困難さと得られた情報の価値に、頭が下がります。
同じ頃、先生と同様、私もいっぱい写真を撮っており、月刊誌論文や著書(『ロシアの核が危ない!』や『桜井淳著作集第5巻-安全とは何か-』等)に利用しましたが、いま考えると、当時、よく、こまめに、記録を残していたものと我ながら感心しました。当時は、何を見ても、貴重に感じ、記録として残したかったのでしょう。感性が豊かだったのでしょう。しかし、最近10年間は、日本だけでなく、世界のどこに行っても、何を見ても、あまり感激せず、新たな記録すべき価値のある光景と位置づけることもできず、ただ、観て過ごすだけの毎日になってしまいました。いまは、携帯電話のカメラ機能でいとも簡単に写真が撮れるというのに、いや、だからこそ、便利さの裏返しとして、撮らなくなってしまったのかもしれません。
147枚の写真は、大変貴重な記録ですので、そのような形での写真の公開だけでなく、一枚一枚に、感性にあふれた長い説明文を入れ、単行本として、出版してください。先生が目指している記録として残すとはそういうことではないでしょうか。
桜井淳
【講演要旨】一昔前までは、そして、部分的には、今でも、ガン等を対象とした"放射線治療"には、半減期が極端に長いか比較的長い放射性同位元素(ラジオアイソトープ)が利用されていますが、安全規制が厳しくて手続きが煩雑であるため、面倒になってしまい、あまり歓迎されなくなりつつありますが、と言って、原子炉は、強い放射線が得られるものの、高い専門性を有するエンジニアグループと多額の建設費用がかかるため、さらに、建設から運転・定期点検の繰り返しによって、放射性同位元素よりもはるかに厳しい規制と手続きが要求されるために、経済的で、規制があまり厳しくなく超小型の加速器(電子、陽子、重イオン加速の線型加速器、サイクロトロン、シンクロトロン)の採用が研究・技術開発されており、京大原子炉実験場では、今夏から、加速器の核反応で発生した中性子を利用したホウ素中性子捕獲療法(BNCT)による脳腫瘍やその他の腫瘍の臨床試験治療を開始することになっており、"原子炉から加速器の時代"の世界的な幕開けを象徴する出来事と位置付けることができ、医療用加速器は、これまで、原子核実験に利用されてきた高エネルギー加速器のように、線型加速器であれば長さ100-200m、シンクロトロンであれば円周100-200mもなく、前者であれば長さmオーダー、後者であれば円周10-15mと、まったく革命的な条件、すなわち、超小型で低価格でメンテナンスフリー化を目指しており、たとえ、加速器の専門家がいなくても、メーカーとの点検保守契約さえしておけば、適切に技術管理でき、そのため、どの病院でも設置でき、病院だけでなく、これから、ガン治療のために、都道府県に少なくとも一台以上設置することが計画されている医療施設でも採用される可能性が高くなっており、ガン治療に新たな時代が到来する事も考えられますが、それは、あくまでも暫定的延命法に過ぎず、被ばく低減化と放射線によらない治療法(たとえば新薬服薬)の研究等も今以上に強力に推進して行かなければならないように思えます。
X先生
私は、これまで、理学、工学、社会科学の研究の手法を習得し、現在、まったく想定外の神学を学びつつあり、(神学については、これから本格的に学び、そして、研究しなければなりませんが)、思考の体系は、無限に大きく、特定の学問分野に閉ざされたり、過去に在籍したいくつかの組織(主に原研と東大)の社会的使命や価値観に制限されたり、その枠内に留まったり、座標系の原点をそこに置こうと考えたことは、一度も有りませんでした。ただし、人間の倫理観からして、あらゆるしがらみを乗り越えて、一宿一飯の恩義は、感じています。ただし、たとえば、原子力だけを例に採っても、安全規制につながる研究については、担当してきましたが、原子力の商業利用を推進するような研究や推進策とは無縁な位置におり(月刊誌論文において、編集者が、表題や小見出しや内容を多少編集して、私の意図と異なる表現もありましたが、月刊誌論文とは、誰のものでも、そのような側面は、よくあるものです)、そのようなことに関心がなく、そのような役割を担いたいと考えたことは、一度も有りませんでした(あえて言えば、いまの技術に対しての"合理的安全規制派")。ですから、原研在籍中から、自然エネルギー技術とエネルギー政策、非核文明、核廃絶等についても持論を展開しており(『桜井淳著作集第6巻-星野芳郎との対話-』参照)、原研という狭い世界から大きくはみ出し、そのはみ出し具合は、退職後、ますます強くなり、6年前からの社会科学研究による学位論文作成の過程で急膨張し、最近の神学研究において、爆発的な膨張を遂げています。もはや"ビッグバン"のような状態です。いただいた先のメールには、「中には、原則として、いまでも原研という狭い価値観の中に座標系を設け、その原点に身を置き、持論を展開していると見ているひともいるようです」とありましたが、まったくの検討外れであり、ここに、完全否定しておきます。以下に示す(本欄バックナンバー参照)、
--------------安全論----------------------
--------------技術論-----------------------
----------専攻する神学(ユダヤ教やキリスト教)--
---------神学哲学・神学倫理学---------------
--------比較宗教学のための儒教--------------
--------比較宗教学のための仏教-------------
-------比較宗教学のためのヒンドゥー教---------
------比較宗教学のためのイスラーム教---------
----基礎となる学問は旧約聖書(46冊)・新約聖書(27冊)
(ヘブライ語やギリシャ語で記載された一次資料の解読
による聖書解釈学と史的実証学)-------------------
-世界と日本の歴史、哲学(プラトン、ヘーゲル、マルクス
等)、これまで蓄積した専門知識(物理学、炉物理、原子力
安全、社会科学)と20冊の著書---------------------
のような、学問の種類と内容、それから私のたどった経歴(本欄バックナンバー参照)を検討したならば、そのような推測は、何の根拠も真実性もない、私の学問に対する妨害行為であり、営業妨害に該当します。「」のようなことは誰がどこで何を目的に主張しているのでしょうか。私が違うと言っているのに、なぜ、第三者がそのような主張ができるのでしょうか、軽薄にもほどがあり、こっけいでなりません。