赤木智弘『「当たり前」をひっぱたく』河出書房新社

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赤木くんから発売前に頂いた。
書店には週末並ぶらしい。

彼は、
専門学校
就職してすぐ挫折
フリーターしながら放送大学

経たあとに、
東大の先端研でやってた
ジャーナリストコースにコンビニの深夜バイトをしながらやって来て、
当時から異彩を放っていた。
シャイで口下手なのだが話すと止まらない。

当時、学生をしごこうと、
「新書を毎日1冊読み感想を1200字で講義の掲示板に上げる」
という課題を与え、
結局それは主に「毎日買う」という負担が重くて毎日から3日毎に変わったのだが、
最後までそれについて来たのは赤木くんともう一人だけだった。
(他の受講者は、やる気があると言いながらも、
 なんらかのイクスキューズを並べて結局やらなかった)

ちなみに課題を出した本人である僕も、その課題を毎回対等にこなしていた。
大学なんてたいていは教える方が偉そうで学生にやらせるだけなのだから、
ある意味、学生の方は相当に怖がったんじゃないかとも思う。
(もちろん「対等に」というのは嘘で、
 僕にしてみれば既に読んだ本や、予め内容がある程度想像できているという
 明確なアドバンテージがあったのだが…)

たとえ興味がない分野でも、限られた時間で本を読み、
筆者の考えを客観的にまとめ、
それに対して他者の考えや自分の考えを並べてまとめていく。
更にそのまとめを、複数人で回し読む。

ジャーナリストに憧れる学生や
ジャーナリズムとは何かと思索する研究者は少なくないが、
ジャーナリズムや民主的な諸制度の実際に必要なのモノは
正確さと素早さと根気に裏打ちされた地道な行為の諸連鎖である。

そして学生に(あるいは教員にも)欠けているのはそういう能力(耐性)である。

赤木くんは、エリートでも既得権益者でもない。
ただ何かに対する、焦燥感のような責任感のような、そういう怒りに近い感情を抱え込んだまま、
ただ様々を見て、飲み込んで理解しようとして、思ったことを述べ続けてきた。

僕は、彼が何を考えているのか、どういう志向や思想を持つのか、ということには一切関心が無い。
そういうものは、個人的な経験から紡がれる、個人的なものであり(あるべきで)、
だから他者とは異なるユニークなそれとなっているはずなのである。
(ユニークとは、そもそもそういう意味だ)

故に大切なことは、
・他者の意見を聞いて受け止めること
・自分の考えや意見、感じ方、更には個人的なシチュエーションをまとめて述べること
・それらをぶつけ合いながら、更なる他者の意見やシチュエーションも放り込んでいくこと
という諸連鎖であって、それが民主的な諸制度やジャーナリズムにとって必要なものである。

雑誌や新聞、テレビというものがジャーナリズムなのではない。
ましてやそれらが民主的な諸制度なのでもない。

だから世の中に欠けているのはメディアやマスコミではない。
欠けているのは人間である。

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このページは、tokkieが2009年3月18日 11:58に書いたブログ記事です。

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