「Demon・CracyとLaissez Faire」
国民の魂を救おうとするならば,大衆教育の水準を高めて,それを受けた者が,少なくとも,営利主義とプロパガンダの低級な形態にひっかからないようにすることが,唯一の方法である。<歴史の研究著者:アーノルド・トインビー>
この世は戦いの場である。闇は真の光に対抗するために、光を偽装して戦力を集めようとする。しかし、見極める目を養えば、真の光と、光を偽装する闇とを区別することは可能である。そういう目を皆が持てば『世界統一政府』は間違いなく失敗するだろう。
これはBeastと呼ばれるベルギーにあるEC本部とユタ州にあるモルモン教本部を結ぶスーパーコンピューターの呼称ですが恐れることは何もない。モルモン教はCIAですがイルミナティという光を偽装する組織をこの目で見てきた。Cisco Wheeler女史も言っているようにLUCIFERを崇拝するイルミナティという悪魔主義者であるオカルトの考えは『悪魔の狂気の論理』以外には全く論理的基盤を持っていない。それが分かれば畏れることは何もないのである。
LUCIFERとは神学者によって悪魔化されたと思われる。
『誰も,真新しい布ぎれで,古い着物につぎを当てはしない。そのつぎれは着物を引き破り,そして,破れがもっとひどくなるからである。だれも,新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら,その皮袋は張り裂け,酒は流れ出るし,皮袋もむだになる。だから,新しいぶとう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長持ちするであろう』
<マタイ福音書第9章16〜17節>
この比喩の出所である家庭経済では,むろん,この教えは文字通り実行できる。しかし,社会生活においては,社会はぶとう酒を入れる皮袋や着物のように,個人の所有物ではなくて,多くの人間の場の共通の基盤であるからして,人間が合理的計画にもとづき,意のままに生活をととのえてゆく能力は,著しく制限される。従ってそのために,この教訓は,家庭経済では常識であり,精神生活では実際的な知恵であるが,社会生活では実行困難な事柄である。社会生活とは民主主義であるDemonーCracyつまり悪魔の支配する社会のことである。
民主主義は,その賛美者によってしばしば,キリスト教の必然的帰結であると言われ,奴隷制度に対してとった態度を見れば,そう主張されるだけのことはあるが,奴隷制度と同じように明白な害悪である戦争に対して,なぜそれを一層悪化させるような影響を及ぼしたのであろうか。その答えは,民主主義が戦争という制度にぶつかる前に,地方的主権という制度にぶつかった事実のうちに見出される。民主主義と産業主義という新しい推進力が,地方国家という古い機械の中に導入されたために,政治的ナショナリズムと経済的ナショナリズムという,双子の奇形児が生まれた。民主主義の高邁な精神が異質的な媒体を通過して,このように低俗な形に変えられてしまったために,民主主義は戦争を阻止する働きをする代わりに,かえって勢いをつけることになったのである。
この点でも,西欧社会は,18世紀のナショナリズム出現前の時代には,比較的しあわせな状況にあった。例外は別にして,当時の西欧世界の地方主権国家は,国民全体の意思を遂行する手段ではなくて,事実上,王家の私有財産であった。王家と王家との間の戦争と婚姻とが,この財産,もしくは財産の一部分を,一つの王家から他の王家に移譲する方法であり,しかも,この二つの方法のうち,明らかに後の方が好まれた。ハプスブルク家の外交政策を賞賛した,あの有名な言葉,『戦争はほかの連中にやらせておけばよい。幸福なオーストリアよ,なんじは結婚せよ』が生まれたのは,この理由による。18世紀前半の三つの主要な戦争の名称〜スペイン王位継承戦争,ポーランド王位継承戦争,オーストリア王位継承戦争〜を見ただけでも,婚姻の協定がもつれてきて,どうにもならなくなったときに,はじめて戦争が起ったことがわかる。(管理人注:実は主に国家相手の金貸しであったユダヤの金融資本家が政略結婚で貴族の一員になりすましたので彼らは<宮廷ユダヤ>あるいは<黒い貴族>と呼ばれている。戦争の影には常に彼らがいた)
宮廷ユダヤ人の実態参照
それが可能になった理由はここにある。
この結婚外交には,確かに,あさましく,きたない所があった。王家の間の契約によって,領土と住民を,まるで地所を家畜もろとも譲り渡すように,ひとりの所有者からもうひとりの所有者に譲り渡すなどということは,民主主義の時代の今日の感覚からすれば,まことに嫌悪すべきことである。政治的ナショナリズムと同じように大きな害悪になった経済的ナショナリズムもやはり,同じ地方国家の窮屈なわくの中で作用した産業主義の歪曲によって産み出された。むろん,産業主義以前の時代の国際政治においても,経済的野心や経済的競争がなかったわけではない。実際,18世紀の重商主義のうちに,経済的ナショナリズムの典型的な現われが見られるし,また,スペイン領アメリカ植民地の奴隷売買の独占権を英国に与えた,ユトレヒト条約のあの有名な条項の示すように,市場や独占権の獲得ということが,18世紀の戦争の目的の中に含まれていた。
もし民主主義の本質が,フランス革命が欺瞞的に宣言したように,友愛の精神であるならば,産業主義がその可能性を完全に発揮するために不可欠の要件は,全世界的な協力である。産業主義の要求する社会体制は,18世紀の〜すなわち,製造の自由と,交換の自由〜の標語の中に,正しく表明されている。つまり勝手に作らせ,勝手に通らせよ!Laissez Faire! Laissez passer!である。
世界が小さな経済単位に分割されているのを見て,産業主義は150年前に,両方とも『世界的統一の方向を目指す』二通りの方法によって,世界の経済構造を改造する仕事に着手した。まず最初に,経済単位の大きさという点を考察すると,18世紀の終わりには,英国が西欧社会における最大の自由交易地域であったことがわかる。ところが,1788年に,北アメリカの旧英領植民地がフィラデルフィア憲法を採択し,各州間のすべての通商上の障壁を完全に撤去した。そして,それによって,やがて自然に膨張して今日の世界における最大の自由交易地域となった。
バスティーユの襲撃。実はこの革命そのものもAdam Weishauptから金が出ていた。
その数年後に,今度はフランス革命が,それまでフランスの経済的統一を妨げていた地方間の関税境界をことごとく撤廃した。19世紀の第二四半期には,ドイツが経済上の関税同盟を実現し,それが政治的統一のさきぶれになった。第三四半期には,イタリアが政治的統一をなしとげ,それと同時に経済的統一を確保した。アダム・スミスの弟子と宣言したピットが,自由貿易を促進する運動を開始し,それが19世紀中葉に,ピール,コブデン,グラッドストンなどの手によって完成された。また,アメリカ合衆国も,高関税政策を試みた後に,1832年から1860年にかけて,自由貿易の方向に向かって進んでいったし,ルイ・フィリップならびにナポレオン三世時代のフランスと,ビスマルク以前のドイツも同じコースをたどった。
しかし,それから形成が逆転し自由貿易政策は放棄されることになる。フランス革命の代弁者の説いた友愛の福音が,近代の最初の大きな民族主義戦争を引き起こした。要するにマンチェスター派は人間の本性を誤解していたのである。かれらは,経済的世界秩序といえども,ただ経済的基盤だけの上に築かれるものではない,ということを理解しなかった。かれらのまぎれもない理想主義にもかかわらず,かれらは『ヒトはパンのみで生きるものではない』ことを悟らなかった。このような致命的な誤りは,ヴィクトリア朝時代のイギリスの理想主義が結局そこから由来している。
民主主義のよき意図は,パンと魚の奇跡(マタイ福音書15章32〜39節)を行う神通力を持ち合わせるということである。しかし英国とアメリカの自由放任体制(laissez Faire)のもとで個人的利益のために発明された,半端な教育を受けた人間を集団的に奴隷化する,手のこんだ,精巧なからくりを,国家支配者がそっくり接収し.これらの知的用具をさらに映画やラジオで補強して,かれらの邪悪な目的のために利用した。ノースクリフ(アルフレッド・チャールズ・ノースクリフ,1865〜1922,英国ジャナリズム界の第一人者として活躍した)の後にヒットラーが現れた。
「あなたたちは,悪魔である父から出た者であって,その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって,真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言う時は,その本性から言っている。自分が偽り者であり,その父だからである」
ヨハネの福音書8〜44.
「ジェームズ・ガーフィールドは,まずロッジの正確な場所を隠蔽することから始めた。馬車がリヨン駅に向かって動き出すや,ガーフィールドは絹張りのヘアバンドをポケットから取り出し,私に目隠しをした......食事は小窓から差し出された。三日目の真夜中に,例の「7・3・1」の暗号音が,二度聞こえてきた。私は大急ぎで外套を着た。ガーフィールドがなかに入ってきた。彼は卑劣で冷酷な表情を浮かべながら,墓場の底から響いてくるような声でいった。......「シュミーズを着たら首に縄をかけ,裸足のまま,髪は結わずに待っていろ」あの中世的なイスタンブールだけでなく,近代文明の都パリのど真ん中でも,殺人が行なわれているのであろうか。このイニシエーシオンで私が死んだとしても,だれが気づくだろう。
グランドマスター(大師)が入ってきて,グランドオリエントの規則について最後の指示を与えた。......彼らは私を跪かせ,背をのけぞらせたうえで,短剣を喉に突き当てた。このような辛い姿勢のまま,私は誓いをしなければならなかった。
1)わたしは一切理由を尋ねることなく,ロッジの指令のすべてに盲目的に従うことを誓います。
2)わたしはメーソン以外のいかなる宗教にも所属しないことを誓います。
3)わたしはいかなる影響にも屈しないこと,ロッジの目標に向けられる,いかなる敵意も突き崩すことを誓います。
4)この誓約をわたしが破った場合には,今この胸に突き立てられている短剣すべてが,私を刺します。
入団者が同情心を起こしたりしないよう,生贄は等身大の人形の中に隠されている。こうすれば,殺人者が哀れな犠牲者の涙ながらの命乞いに直面することはない...........一歩後ろに身を引き,人形の上に置かれた蠅の飾りに焦点を合わせた。私は甲高い笑いとともに短剣を力の限り振り上げ,哀れな人間にこれを突き刺した。熱い鮮血が吹き出し,私の両肩に飛び散った。
これが永遠の地獄への洗礼式だった。私は今や,真実呪われた霊魂と化したのだ。神の被造物のなかで最低のものが,「人魔<ヒューマンデモン>」である。
私はついに地獄の試験を通ったのだ......私は頭を弁髪にしたが,髪はまだ血に染まっていた........グランドマスターに導かれてテーブルの前に進み出ると,その場でグランドオリエントのガーフィールドから,秘密結社の規則を印刷した文書を手渡された.........「跪き,刻印を受けよ。これは自由のブラザー,真の統一の子ら,公の友,を群集から見分けるためのものである。そして炉のなかから白熱した鉄の固まりを取り出すや,私の左こめかみに押し当てたのだ。肉は焼けただれてジュウジュウと音を立て,不快な臭気があたり一面に漂った.......この「獣の刻印」は永遠に耐えなければならない。
私には,獣であり,実際には悪魔である龍(ヒドラ)に自己紹介する務めがまだ残されていた。このように犯罪的でくだらない儀礼には少しも重要性を感じなかったが,七頭の龍との出会いには期待をかけていた。この獣こそ,世の全ての最高支配者なのだ。これら犯罪的な儀礼と空しい文句の,本当の目的を知りたいと思った。「悪魔に愛された女・殺人入団式より要約」
イルミナティの最高位階「ルシファーの花嫁」参照
これがイルミナティが『悪魔の狂気の論理以外の何ものでもない』証拠でもある。その悪魔の狂気のついでに....オカルトパワーではコリンズ家に劣るもののロスチャイルド家では2026年イスラエルのメギドの丘でサタンとキリスト(再臨後)の一騎打ちがあるという。その時,反キリストの軍隊を率いるのがMothers-of-Darkness<暗黒の母>であり13血流ファミリーを頂点に約400以上の血流に暗黒の母が配置される。シスコさんはロスチャイルド家の暗黒の母であった。
元ロスチャイルド家の召使が描いたルシファーと食事をするロスチャイルド家の風景。シスコさんによるとこれは間違っていない,とのことでした。<絵はロスチャイルドの陰謀より>