2008/12/31
「ダヴィデとゴリアテの決闘の物語」
口に入ってくるものは,みな腹の中にはいり,そして,外に出て行くことを知らないのか。しかし,口から出て行くものは,心の中から出てくるのであって,それが人を汚すのである。というのは,悪い思い,殺人,姦淫,不品行,盗み,偽証,誹りは,心の中から出てくるのであって,これらのものが人を汚すのである。
<マタイ福音書第15章17〜20節>
ダヴィデとゴリアテ
解体期のヘレニック社会の内的プロレタリアートが,三つの異なった構成要素,すなわち,第一は,権利を剥奪され,住み慣れた土地を追われたこの社会自体の成員,第二は,部分的に権利を剥奪された,他の文明社会および未開社会の成員で,征服され,搾取されたが,住み慣れた土地を追われるところまではゆかなかった人々,第三は,二重に権利を剥奪された,これらの隷属民族からの徴募者で,安住の地を奪われただけでなく,奴隷にされ,遠い異郷の農園につれて行かれて,さんざんこき使われた人びとである。この三組の被害者の苦しみは,彼らの出身の異なるごとく異なっていたけれども,しかしかれらは,そういう差異を超越した,父祖伝来の社会的権利を奪われ,搾取される,社会ののけ者になるという,不可抗の経験を共有していた。
不当な扱いを受けたこれらの被害者が,彼らの運命に対してどういう反応をしたか,という点を調べてみると,彼らの反応の一つが,強暴な点にかけては,彼らの圧制者や搾取者の冷酷無残な残虐行為を凌ぐ,野蛮行為の爆発であったことが認められる。(管理人注:アシュケナジーカザール人の祖先はこうした三組の被害者のいずれかであったと想像するのは少しは可能性があるだろう)死物狂いのプロレタリアートの暴動の修羅場には,いつも同じ激情の調べが鳴り響く。われわれはこの調べをプトレマイオスの搾取体制に対する一連の反乱のうちにも,紀元前166年のユダス・マッカパイオスの蜂起から,紀元後132〜5年のパル・コーカパー(パレスチナのユダヤ人を率いてローマに反抗し,一時エルサレムを奪回した)の指揮のもとに行われた最後の決死隊にいたる,セレウコス朝ならびにローマ帝国のヘレニズム化政策に対する一連のユダヤ人の反乱のうちに見ることが出来る。
シチリアと南イタリアにも一連の奴隷一揆が起こっているが,この方は逃亡したトラキア人剣闘士スパルタカスの死物狂いの抵抗において頂点に達した。スパルタカスは紀元前73年から71年にわたり,イタリア半島をまたにかけて荒らしまわり,ローマの狼に対しその本拠に乗り込んで戦いを挑んだ。しかしながら,自殺的な暴力行為が,ヘレニック社会の内的プロレタリアートの行った唯一の応戦ではなかった。もうひとつ,まったく別な種類の応戦が行われ,それはキリスト教の中にその最高の表現を見出した。これは分離の意思の表現である。現に,マカベア書(聖書外典でアポクリファに収められている)のなかに伝えられている,あのおとなしい殉教者たち〜老教法学者エレアザルや七人の兄弟とその母〜がパリサイ派の精神的先祖であるが,このパリサイ・ファリサイ=ファリセー(Pharisees)というのは"分離する者”という意味であって,ラテン語系の表現に直せば”Seccessionists"とでも訳すべきか,彼らがみずから名のった名称である。このプロレタリアの"武装した力の人”がおさめた直接の物質的成功が,それは,後世の人びとの目を眩惑した。イエスにもっとも近い弟子たちでさえ,かれらの師が自分の運命を預言するのを聞いてあいそをつかし,その預言が事実となるに及んですっかり打ちのめされてしまったほどである。(管理人注:今日残っているパリサイ・ファリサイ派の中でも敬虔主義者のエノク書,ソロモン詩篇,モーセ被昇天はいずれも旧約外典となったが特にエノク書が外典になったため聖書はダヴィデ崇拝となった)
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ETHIOPIANS.......COME TO JERUSALEM FOR TO WORSHIP
Now an angel of the Lord said to Philip,"Go south to the road-the desert road-that goes down from Jerusalem to Gaza.So he started out,and on his way he met an Ethiopian eunuch,an important official in charge of all the teasury of Candace,Queen of the Ethiopians......
さて,主の天使はフィリポに,「ここをたって南に向かい,エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から,エチオピアの女王カンダケの高官で,女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が,エルサレムに礼拝に来て,帰る途中であった。<使途言行録8:26〜28>
Book of Ethiopian Enuch(エチピア語エノク書)は偽典とされたが,あくまでEnuch をEunuch(宦官=去勢された高官)として位置づけている。第一エノク書,第二エノク書はキリスト教の正典であったが外典とされた。それによってすべてダヴィデ崇拝に取って代わってしまった。ダヴィデの曽祖父ポアズは異邦人のモアブの女ルツからダヴィデの祖父オべテをもうけた。その後エノク魔術とか偽エノク書が現れた。
I,Jesus,have sent my angel to give you this testimony fot the churches.I am the Root and the OFFSPRING of DAVID,and the bright Morning Star
「わたし,イエスは使いを遣わし,諸協会のために以上のことをあなたがたに証した。わたしは,ダヴィデのひこばえ,その一族,輝く明けの明星である」ダヴィデはウリヤの妻によって,ソロモンをもうけた。つまり聖書はユダヤ教なのである。明けの明星とは「LUCIFER」である。(以上管理人注)
成長は創造的個人と創造的少数者によって成し遂げられるが,かれらは,なんらかの方法で仲間をともに前進させない限り,彼ら自身,前進を続けてゆくことができない。ところが非創造的な一般大衆は,常に圧倒的に多数であって,ひとまとめに変貌をとげ,瞬時に彼らの指導者と肩を並べるというわけにはいかない。暗愚な魂が聖者との交わりによって燃え上がるという,内面的恩寵に恵まれるのは,その聖者を出現せしめた奇跡とほとんど同程度にまれなことである。 指導者の任務は,その仲間を追随者にすることである。人類を一団として人類を越えたかなたにある目標に向かって動き出せることの出来る唯一の手段は,原始的でかつ普遍的なミメシスの能力を利用することである。このミメシスは一種の社会的教練である。オルフェウスの竪琴の霊妙な調べの聞こえない鈍感な耳も,教練係り下士官の号令ならよく聞こえる。
ハルメンの笛吹きがフリードリッヒ・ヴィルヘルム王のプロシア声をまねると,それまでぼんやり立っていた大衆は,機械的ににわかに動き出す。このようにして大衆に行わしめる展開によって,ちゃんと大衆についてこさせることができる。しかし,大衆は近道をしなければ指導者に追いつくことができず,破滅にいたる広い道の上(ルカ13:24狭い門参照)に展開することによって,はじめて隊伍をととのえて行進する余地を見出すことが出来る。生命を求めるために,どうしても破滅への道を歩まなければならないとすれば,この探求がしばしば不幸な結果に終わるとしても,驚くに当たらないことであろう。
『狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く,その道も広々として,そこから入る者が多い。しかし,命に通じる門はなんと狭く,その道も細いことか。それを見出す者は少ない』<ルカ:13:24>
さてタイトルにある「ダヴィデとゴリアテ」でありますが以下に適当な説明がありましたのでご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/cfsasaki/e/c1fb5e53b53826a5487b1dd366251563
ゴリアテとは
ダヴィデとは
ペリシテ人とは
サムエル記とは
PS:最近知ったのですが「ざまー見ろ」という言葉がありますが本当はZAMA(カルタゴ西南部の町で紀元前202年にローマ軍がカルタゴ軍を破った所)であり実は大変な意味を持つことが分かった次第です。カンナイの大敗の苦杯を喫したローマ軍が本腰を入れて歩兵戦法の改良に取りかかり,その結果ローマ軍は一躍,ヘレニック世界最強の軍隊に生まれ変わり,それから後は,ZAMA,キュノスケファライ,およびピュドナの勝利となり,さらに,ローマ人と蛮族との間およびローマ人同士の一連の戦争が行われた。つまりZAMAを見ろとはローマの歩兵部隊がハンニバルのスペイン人とガリア人の重騎兵に背後から駆り立てられ,両側面から攻撃を加えてきたアフリカ重騎兵に,まるで家畜を屠るように殺戮されそれから本腰を入れなおしカルタゴ西南部の町ZAMAを破ったということでした。お後がよろしいようで........。アクセスが減ってきて喜んでいます。適正アクセスは350位でしょうか。キャパを越えている方は見ないようにお願いします。ただ管理人が楽しんでいるだけですよ(笑)。
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