魔坑にて 弐: ネット人格にプライドはありうるか!?2009年3月12日 ネットゲームの魔坑にて コメント (11)
先月の記事「転売バザーの生態調査!」は、結果的にコメント欄こそが記事本体というような展開を見せました。良い機会なので、新しく『ネットゲームの魔坑にて』と題した記事シリーズを立てておきます。
今回は、先月の記事「転売バザーの~」に付いたコメント36番目の全文転載から始めます。以下転載部分を囲みにて。HN“既に遅いですが。”さんより。
転載以上。話が色々盛り込まれているので、まず気になる文節ごとにレスを。
> #タガが外れているから痛い人が目立ちますが。
その‘タガ’のかなりの部分が共同幻想に基づいているんですよね。けれども、ネットゲーム内部であれば自身の‘タガが外せる’と判断してしまえる発想自体も実は丸ごと、当の共同幻想に規定されているわけです。つまり、‘ゲーム内だからという理由でタガを外した行為にでる自分’を、リアルの自分は自覚的であれ無自覚にであれ受け入れざるを得ない。けれどもそうした‘お約束’を知ってさえいれば、ゲーム内だからと‘タガ’を外してしまうのが本当は自分を貶める行為であることに気づけます。これは匿名掲示板などについても言えることです。
ポイントは、そこで貶められるものが「他者関係のなかで維持確認される自尊心」ではなく、「自分の自分自身へ向けたセルフリスペクト」であるということですね。両者の違いが分からないのは端的に幼稚さの証ですから、‘そのように見える’言動をするひとに対して周囲のプレイヤーはごく常識的に‘痛い’と感じてしまうわけです。
たとえば匿名による短絡思考の書き捨てや他者への中傷行為が、よく言われるように自身を安全圏に置いた行為ではありえず、実は自意識の基底レヴェルで深刻な自傷被害をもたらしていることに、やっている本人たちは無論気づきません。気づかないからこそどんな悪言を吐いても自分は傷つかないと誤認できるのですが、しかしそこで損なわれた、あるいは未成熟ゆえあらかじめ脆弱な自己評価こそが、その後の各人の実像をじかに形成していくという現実には抗いようがありません。
ちなみに、こうしてたかがゲームを巡って長文を巡らせるgoodbyeの身振りなどもまた、別の意味でごく常識的に‘痛い’ひとに見えているはずです。だとすれば、そんな人間のつらねる言葉を延々とここまで読み続けてきたあなた、コメントをいただいたHN“既に遅いですが。”さんではなく、コメントは書き込まずともウォッチャー感覚で面白がり今モニターに向かっているそこのあなた、もまた当然のことながら、まぎれもなく同様に、‘痛い’です。この局面では匿名性の有無が無意味化するのも、自らの行為に対しセルフリスペクトを保てているか否かこそが分水嶺になるからです。ならばもう、一緒に芝生を育ててしまうのもありですね。
> ・なぜPKをやっているのか。
そこでやや小難しい言い方のまま続けてしまいますが、ネットゲーム内部に侵入しているその共同幻想の‘輪郭’をより見極めたいというのがPK(Player Killer:他のプレイヤーを直接攻撃するひと)のスタイルをとる動機の前提にあるような気がします。このゲームを始めた初期のわたしは、「PKなんて超迷惑なだけじゃん。色付きの人らって、ちょっと頭おかしいんじゃない?」くらいに思う種のひとたちに、心情的にはむしろ近かった気がします。ただ“なぜそう思うのか”に時を待たず興味が移ったことは、いま思えばPKへの不快さを不快さのまま抱え続けるプレイヤーとの分岐点だったのかもしれません。これに続けて、↓
> ・なぜゲーム内の自らのキャラ名を晒してブログを書くのか。
キャラ名によるプレイヤーブログの存在を始めて知ったときも、「なんなんだこのひとたち、たかがゲームに入れ込み過ぎてちょっちキモイ」くらいに感じたものです。ブログというのはもっと日常や思考生活を広範に扱うものという先入観があったんですね。だからとりあえず自分でもやってみた、というのが理由の一つ。いざ始めてみると、内面的にこれはこれで継続するに足る一本の芯が通ったというのがもう一つ。
つまり当ブログの存在は3年前のわたしにとってすら、キモイ。いはんや世人にとりてをや。
> ・転売行為の是非はともかく、行為は悪質だと感じてらっしゃいますよね?
あるひとの抱えもつ‘善意’は、他者によっては通用しないケースが大いにあり得るという点で極めて主観的なものですよね。鄭和さんがコメントでそれを‘信仰’と表現された通り、その基盤には祈りにも近い深く個人的な思惟、もしくは他者に対する安易でイノセントな思い込みがあります。そしてこの基準に照らせば悪質と判断するしかないというニュアンスで、転売一般にではなく個別特定的に片桐さん(≒目の前で転売を始めてしまうスタイル)に対して、確かにわたしは悪質だと感じています。もっともそれ自体は記事中から読み取れるとしても話を俎上にのせるためのブースターに過ぎず、その行為を行為者本人が悪質と考えてやっているかどうかという別の問題こそが、個人的には関心の焦点だったわけです。
ただしこのことも、いわゆる‘中のひと’の人間性と短絡できるような直接関係はないと考えています。ここから以下、各論的なレスを一度離れます。
▼画像と予告
というわけでここからが本論部なのですが、すでに長過ぎるので一旦切って今回は終わります。続きはまたいつか。右上画像は、オスマン帝国との‘契約’前に終えたイスパニアイベントと、各国亡命行脚中の一光景です。鄭和さんとネモッティさんの画像は事前了承なしの掲載です。鄭和さんはこの記事でも再度お名前を拝借してますのでご登場いただきました。ネモさんは長く敵対私掠の間柄でしたが、実はそれ以前の低レベルの頃からフレだったりします。ないと思いますが万一画像掲載に問題あれば削除するのでお知らせを。
また今回の新記事シリーズ開始にあわせ先月の記事を事後的に「魔坑にて 壱:転売バザーの生態調査!」と改めます。記事シリーズ検索は左欄下方(テーマ別一覧)にて。
この記事シリーズは、読み手のかたからの反応によって後続するテーマを変えていきます。「壱」にいただいた反応から、見切り発車によるそうした方法もアリなのに気づきました。こうした経緯のため、「壱」へのコメントも、今後は当記事シリーズの最新記事にいただけると流れ的にまとめやすく、助かります。
忌憚ないコメントがいただければ、その流れから見えてくる新たなテーマもありそうだと期待します。ぜひ思うところをお気楽にコメントお寄せください。よろしくです。
今回は、先月の記事「転売バザーの~」に付いたコメント36番目の全文転載から始めます。以下転載部分を囲みにて。HN“既に遅いですが。”さんより。
初めて拝見しましたが、君たちまとめて面白いw
言いたいことがあるなら言えば良いし、やりたい事があるならやれば良いと思うんだ。好きなように自由にね。ただ他人に迷惑をかけている人は、バッシングされる事は覚悟しないと。
後、引っ掛かったのが・・・
>読み手のほうで勝手に読み取った掲載意図を頑なに信じ込んで、疑いもなくこちらにぶつけてくる
これ現実社会でも多いですよね。
逆を言えばDOLって見事に現実社会の縮図な気もします。
#タガが外れているから痛い人が目立ちますが。
本来全員日本人なのに、ゲーム内国籍に色が出てくるのも興味深い。
人が少ないから濃い人に引っ張られやすいのか、別の何かなのか。
映画で言うと"es"なんですか、コレについてのgoodbyeさんの考察が聞いてみたいな。
ついでにgoodbyeさんの心理にも興味が
・なぜPKをやっているのか。
・ゲーム内の自らのキャラ名を晒してブログを書くのか。
・(鄭和さんへのレスを読むに)転売行為の是非はともかく、行為は悪質だと感じてらっしゃいますよね?
転載以上。話が色々盛り込まれているので、まず気になる文節ごとにレスを。
> #タガが外れているから痛い人が目立ちますが。
その‘タガ’のかなりの部分が共同幻想に基づいているんですよね。けれども、ネットゲーム内部であれば自身の‘タガが外せる’と判断してしまえる発想自体も実は丸ごと、当の共同幻想に規定されているわけです。つまり、‘ゲーム内だからという理由でタガを外した行為にでる自分’を、リアルの自分は自覚的であれ無自覚にであれ受け入れざるを得ない。けれどもそうした‘お約束’を知ってさえいれば、ゲーム内だからと‘タガ’を外してしまうのが本当は自分を貶める行為であることに気づけます。これは匿名掲示板などについても言えることです。
ポイントは、そこで貶められるものが「他者関係のなかで維持確認される自尊心」ではなく、「自分の自分自身へ向けたセルフリスペクト」であるということですね。両者の違いが分からないのは端的に幼稚さの証ですから、‘そのように見える’言動をするひとに対して周囲のプレイヤーはごく常識的に‘痛い’と感じてしまうわけです。
たとえば匿名による短絡思考の書き捨てや他者への中傷行為が、よく言われるように自身を安全圏に置いた行為ではありえず、実は自意識の基底レヴェルで深刻な自傷被害をもたらしていることに、やっている本人たちは無論気づきません。気づかないからこそどんな悪言を吐いても自分は傷つかないと誤認できるのですが、しかしそこで損なわれた、あるいは未成熟ゆえあらかじめ脆弱な自己評価こそが、その後の各人の実像をじかに形成していくという現実には抗いようがありません。
ちなみに、こうしてたかがゲームを巡って長文を巡らせるgoodbyeの身振りなどもまた、別の意味でごく常識的に‘痛い’ひとに見えているはずです。だとすれば、そんな人間のつらねる言葉を延々とここまで読み続けてきたあなた、コメントをいただいたHN“既に遅いですが。”さんではなく、コメントは書き込まずともウォッチャー感覚で面白がり今モニターに向かっているそこのあなた、もまた当然のことながら、まぎれもなく同様に、‘痛い’です。この局面では匿名性の有無が無意味化するのも、自らの行為に対しセルフリスペクトを保てているか否かこそが分水嶺になるからです。ならばもう、一緒に芝生を育ててしまうのもありですね。
> ・なぜPKをやっているのか。
そこでやや小難しい言い方のまま続けてしまいますが、ネットゲーム内部に侵入しているその共同幻想の‘輪郭’をより見極めたいというのがPK(Player Killer:他のプレイヤーを直接攻撃するひと)のスタイルをとる動機の前提にあるような気がします。このゲームを始めた初期のわたしは、「PKなんて超迷惑なだけじゃん。色付きの人らって、ちょっと頭おかしいんじゃない?」くらいに思う種のひとたちに、心情的にはむしろ近かった気がします。ただ“なぜそう思うのか”に時を待たず興味が移ったことは、いま思えばPKへの不快さを不快さのまま抱え続けるプレイヤーとの分岐点だったのかもしれません。これに続けて、↓
> ・なぜゲーム内の自らのキャラ名を晒してブログを書くのか。
キャラ名によるプレイヤーブログの存在を始めて知ったときも、「なんなんだこのひとたち、たかがゲームに入れ込み過ぎてちょっちキモイ」くらいに感じたものです。ブログというのはもっと日常や思考生活を広範に扱うものという先入観があったんですね。だからとりあえず自分でもやってみた、というのが理由の一つ。いざ始めてみると、内面的にこれはこれで継続するに足る一本の芯が通ったというのがもう一つ。
つまり当ブログの存在は3年前のわたしにとってすら、キモイ。いはんや世人にとりてをや。
> ・転売行為の是非はともかく、行為は悪質だと感じてらっしゃいますよね?
あるひとの抱えもつ‘善意’は、他者によっては通用しないケースが大いにあり得るという点で極めて主観的なものですよね。鄭和さんがコメントでそれを‘信仰’と表現された通り、その基盤には祈りにも近い深く個人的な思惟、もしくは他者に対する安易でイノセントな思い込みがあります。そしてこの基準に照らせば悪質と判断するしかないというニュアンスで、転売一般にではなく個別特定的に片桐さん(≒目の前で転売を始めてしまうスタイル)に対して、確かにわたしは悪質だと感じています。もっともそれ自体は記事中から読み取れるとしても話を俎上にのせるためのブースターに過ぎず、その行為を行為者本人が悪質と考えてやっているかどうかという別の問題こそが、個人的には関心の焦点だったわけです。
ただしこのことも、いわゆる‘中のひと’の人間性と短絡できるような直接関係はないと考えています。ここから以下、各論的なレスを一度離れます。
▼画像と予告
というわけでここからが本論部なのですが、すでに長過ぎるので一旦切って今回は終わります。続きはまたいつか。右上画像は、オスマン帝国との‘契約’前に終えたイスパニアイベントと、各国亡命行脚中の一光景です。鄭和さんとネモッティさんの画像は事前了承なしの掲載です。鄭和さんはこの記事でも再度お名前を拝借してますのでご登場いただきました。ネモさんは長く敵対私掠の間柄でしたが、実はそれ以前の低レベルの頃からフレだったりします。ないと思いますが万一画像掲載に問題あれば削除するのでお知らせを。
また今回の新記事シリーズ開始にあわせ先月の記事を事後的に「魔坑にて 壱:転売バザーの生態調査!」と改めます。記事シリーズ検索は左欄下方(テーマ別一覧)にて。
この記事シリーズは、読み手のかたからの反応によって後続するテーマを変えていきます。「壱」にいただいた反応から、見切り発車によるそうした方法もアリなのに気づきました。こうした経緯のため、「壱」へのコメントも、今後は当記事シリーズの最新記事にいただけると流れ的にまとめやすく、助かります。
忌憚ないコメントがいただければ、その流れから見えてくる新たなテーマもありそうだと期待します。ぜひ思うところをお気楽にコメントお寄せください。よろしくです。
コメント
と言われそうな質問に対し丁寧にレスを頂きありがとうございます。
これを機会に少しgoodbyeさんの思考の世界に浸ってみようかと。
回答に関してはなるほど、発言者ですら気付かなかった切り口でまとめられており、お見事。
PKにはIQの高いパターン、EQの低いパターンがあると思います。
(ごくまれに両方備わっている人もいますが)
EQの低いパターンは論外として、個人的趣味としてIQの高い人がなぜPkを行なうのかに興味がありました。
多くはRPのためではありますが、goodbyeさんはもう一段高い所にいるような気がしたんです。(DOLとブログと両方を用いて壮大な検証をしている印象w)
ついでに前エントリにて、"goodbyeさんが本質的に語りたいのはどこか?"という疑問が私には難解で消化不良を起こしそうでしたが、少し解決に。
すると"片桐コーヒー >>>でも、無意識に逃げてることも、もちろんあるでしょうな。"という台詞から得たものが何であったのかが気になります。
また、もう一つのテーマ。行動原理についてもいつかお願いしますね。
"群集心理""英雄論"いろんな切り口があり面白いかと。
ここのブログは読むと思考がぐるぐる回ってくるので長文になり失礼しました。
以下コメントが続く事を願います。
過去ログを読めばわかるのですが(笑)、わたしのPKとしての活動期間はごくわずかだったり。それに加え直近の2月がそうでしたが、賞金首だけどPKしない期間が結構長いので、課金日数に換算すると5%以下かな。なのでPK一般を扱う思考に絡める素材としては不適格かも。ともあれ本文では流れをつくるために、質問個々への応答としては主観的にも不足な部分が生じました。2点だけ補足すると、
・現にPKをしている理由としては、もちろんゲームとしての面白さもあります。また週末の夜、恒常的にゲームに集中する時間をとる“模擬軍人”のスタイルがとれなくなった事情もあります。
・リアルとの外見上の切断という点では、「たとえば匿名による短絡思考の~」の箇所と、「なぜ自らのキャラ名を晒して~」というご質問には通底する問題軸がありますよね。キャラ名による言動と匿名のそれとはこの水準で重なる部分が大きく差異もまた決定的という辺り、要記事化ですね。
しかしこの文脈で自分のIQに言及されるとはw あの手の‘裏面’を読むテストは幼い頃から図抜けて得意だったので、内心で尊敬している頭脳明晰な友人たちの多くより自分が今でも高数値を叩き出すだろうことは予想できます。しかしそのことで、自分にはない彼らの凄さはまるで揺るぎません。検査法に問題あり。壮大な検証とおっしゃいますが、人生は壮大な実験であるという英語の慣用句も。左欄にて相互リンクのあるいずれも、この意味では等値ですよね。読み手“一般”に向けた意識配分は恐らく大きい方なので、違いがあるとすればそこでしょうか。
あとこれはきちんと応じれば禅問答にしかならないと前置きしますが、‘本質的に語りたいこと’というのは本当に語りうるものなのでしょうか。だとすればそれは本来的な意味での‘本質’ではなく、ただの言葉に頽落する危うさを感じます。「でも、無意識に逃げてることも、もちろんあるでしょうな」は、それ自体ただの言葉ですよね。発話者の意図とも聞き手の解釈とも無関係に、その台詞を得たこと自体が主観的にはチャットの成果でした。しかし成果として受容した‘感覚’は、そこに何を読み取るかという‘思考’とは、本質的には別物だと思うのです。
ただこういう記述は、読むひとのタイプによっては不愉快なだけかもしれません。わかる/わからないの判別のみに重点がある短絡思考系にとっては特にそうでしょう。であれば「こいつ意味ワカンネー」と感じつつ二度と見に来ないことをお勧めするわけですが、こういうひとたちに限ってたぶん何度も来たりします。そこは面白いところですよね。
で、彼らのために一番簡潔に答えるとすれば、『「でも、無意識に逃げてる~」という台詞から得たものは、その台詞自体である』となります。これではきっと意味わかりませんよね。
映画“es”についてどう答えようか思い巡らせたところ、モノクロ時代のドイツ映画まで連想が及んでとりとめがなくなりました。東京お茶の水のアテネフランセや渋谷のゲーテ・インスティテュートには、アジアでは恐らくそこだけにしか残存しないムルナウやシュトロハイムのフィルムが結構あるんですよね。今でも時々上映会にかかるはずですが、十代の後半に通い詰めたのは良い思い出だし財産になりました。流れに即したレスは、まあ後日。
あとたぶんこの記事はあまりコメント付かないと思います。そう思う根拠には「魔坑にて 壱」とは逆の試みも含まれるので、上手くいけば後述します。「壱」より反応があったら想定外ですが、それはそれで読めてない分、その事態にも興味はあります。
としか思えないので、どのあたりにそれを感じたのかお聞かせいただければ幸。
とはまた随分挑戦的なことで。
ソーカルごっこですかそーですか。そりゃ伸びないでしょうよ。
IQに言及されてはしゃぐような痛RPでまさか釣られるとクマー!
宮台、東。名前を出すことで5歳刻みの年代は見えますね。
ぐぴさんなら浅田で返すと思っていたので軽くショックでした。
教祖より若い偽中華なんて許せないキー。
まとめると、海戦記事待ってます。海戦記事待ってます。
大事なことなので二度言いました。
まあこれブログですから、適宜ネタはとります。でも狙いとか挑戦的という表現はハズレですね。そも個別に興味が持てるものでもないでしょう。むしろ「ごっこ」「はしゃぐ」「5歳刻み」、ここらへんが個人的に釣り、どーん。という感じ。ってこの段落は少し内輪です。
あとショックを緩和できるか微妙だけれど、その3人で話したことがあるのは浅田さんのみです。でも人口に膾炙した名を出すだけで何かを表出しちゃう種の発想自体がとてもつまらないですよね。東さんの名を出したのは、「宮台みたい」で相手に通じると思うひとならそう対置すれば少しはそのつまらなさが伝わるかもと思ったからです。よって5歳刻みに見るべきは、想定されうる‘宮台’読者の年代です。
まとめると、海戦記事待ってます。なんて要望は偽りです。 再見。
全然似てないと思いますが、露悪趣味のつりどんさんですね。でも正直ry
・・・わかる/わからないの判別ループつまんね。
キャラ名を出せということなら晒してもいいですが、無名なので意味もない。
記憶ではあなたとも一度しかお話ししたことがないですから。
浅田さんの伯父の後輩にして、今は亡きある人物の名前を間違えて
シャウトしてらした時にTELLしましたよ。これでおk?
これまでこのブログを、読めば読むほど誤解の余地が少ない明晰な文章
として(もちろん、誠実な体温や、馥郁たる余韻には欠けるけれど)
愛読してきただけに、今回の記事はなんだかなあと。
コメントへの反応はお定まりの”溝の外周に杭を打つような”調子なのに、
急に読み手にもたれかかるような記事投げるもんだから、ネタ化のつもり
でも、釣りにしか見えないわけですよ。
デカい釣り針投げ入れて、いやこれは錨ですと言われても。
まだポエムの方が面白かった。
個人的にはやっぱり昔書いてらした海戦総括が読みたいんだなあ。
たとえ1か月遅れでもね。
それを書けるだけの視野と腕を相備えるのはN鯖であなたぐらいだから。
三文字さんもそう思わない?w
記事本文は、書きたいことが難解な範疇に入る場合でも、関心さえあればどのひとにもわかる表現にできるだけ近づける努力はしています。これでも(笑)。 ただコメント欄は場合によってそういう配慮は省略してます。なのでもし本文についてであれば、どこらへんがわからないか特定してもらえると助かります。引用符とか面倒ならTellでもいいので。
あと、‘低脳’について。茂木健一郎さんがNHKで、「あたし頭が悪いんですけど、どうしたら良くなるんでしょうか」と質問してきたお婆さんのエピソードを紹介される途中「一番厄介なのは自分では頭がいいと思っているバカだ」と珍しく非NHK向けな発言をしていたことがありました。これ、ホントにそうなんですよね。ものの見かた考えかたが違う、というだけのことに優劣を持ち込むことが、どだい無意味だと思います。自己評価については特にそう思います。
まず、「これでおk」ってことはありません。匿名発言に対しあなたは誰なのかと問うのは、基本的には無駄ですよね。ただ一連の言葉選びに商会内のある人物によるいたずらの可能性を感じたので、彼も知っている別人の名を出していじり返したつもりだったのですが、全然別人であるなら興醒めでした。よってあなたのキャラ名は不要だし、履歴の披露も無用です。
で、縁のないかたからもらうコメントとしては、「海戦記事待ってます」が本当に「大事なこと」なら、最初のものは書き方に失敗しているように思います。今日のコメントも、それによって海戦記事を書こうという気持ちはまったく促進されませんでした。友人でも商会仲間でもない人間に投げかける期待としては文章が馴れ馴れしすぎるし、2chと言語空間の区別が付いてないというか、つまりまともな要望にはまったく見えない。
またどの記事も、それを楽しんでもらえる読み手の心理をわたしなりに想像して書いています。今回のみ「愛読」できないとして、それをこうした物言いで吐露してくるひとは、書き手としてはとくに読んでもらいたい相手ではありません。べつに読みに来るのは構わないけど、同じ調子のコメントはもういらないかな。匿名の吐き捨ても含め、今年付いたコメントのなかでは一番内容を感じません。「誠実な体温や、馥郁たる余韻」にあふれたブログを書く自由があなたにはあります。こんなところで他人におもねらず、今後はそちらでがんばってください。
馴れ馴れしすぎるとのこと、失礼しました。お詫びして退出します。
ともあれ、ネット人格にプライドはありうる、という命題はご自身で例証された
ようで。わかりやすく身をもったご説明ありがとうございました。ではでは。