開催主旨
  テーマ「スローネス」について
  京都について
  ディレクター
  京都ビエンナーレ2003 ロゴ
 

京都ビエンナーレ2003

 ますます深刻化してゆく環境危機、文明間を引き裂いてエスカレートしてゆく暴力――現代世界のこうした容赦のない問題に直面したとき、芸術にはいったい何ができるだろうか?
 たしかに芸術には、二酸化炭素の排出量を減少させたり、戦争を抑止したりする直接的な力はない。芸術の力とはむしろ、人間の心の深みに分け入って、そうした破壊や暴力の根元がどうなっているかを探査し描き出すことができる点にある。芸術の力はまた、世界の新しい見方、私たちが普通に当たり前としているのとはまったく違った世界像を示すことができる点にある。
 病気になったら、病院に行って薬をもらったり手術を受けてそれを直すのが当然だと、多くの人は考える。けれども病気の背後にはしばしば、それを引き起こしたひとつの悪い習慣が潜んでいるのだ。当面苦しんでいる症状をなくしたいだけなら、薬や手術に頼ればいいだろう。けれども、その病から完全に自由になりたければ、その習慣を変えなければならない。
 芸術とはいってみれば、私たちがどのように現実を見るか、どのように現実を考えるかという心の習慣について反省し、それを変えようとする試みである。芸術は特効薬ではない。それは私たちの習慣を変えるけれど、その変化には時間がかかる。芸術は、たんに生き続けるためには役立たない。そのかわり、生き続けるに値する生とは何かと問いかけ、そのように問うことを通して、生き続ける可能性を私たちに与えるのである。
 本質的な意味での芸術振興とは、立派な美術館や劇場のような施設を建造したり、莫大な予算を投じた美術展を開催することではない。また、すでにその芸術的価値が認められた傑作を紹介することでもなければ、今話題になっている有名な作品を一方的に展示することでもない。本当の意味での芸術振興とは、芸術の経験をきっかけとして、この世界の重要な問題について私たちが考え討論することができるような、コミュニケーションの空間を作り出すことなのである。そして何よりもそうした空間は、芸術的な遊び心に満ちたものでなければならないだろう。
 京都ビエンナーレ(2003年10月4日〜11月3日)は、そのような機会を作り出すことを目指して、京都芸術センターによって開催される。それは「ビエンナーレ」という言葉からふつう連想されるような、現代美術の大規模な展覧会ではない。そこには現代美術ばかりではなく、演劇、映像、舞踏、能、狂言、そして日本以外のアジアの伝統芸能など、さまざまな領域にわたる展示や公演が行なわれる。国内はもちろん、クロアチア、スロベニア、ブラジル、中国、フランス、アメリカその他の地域からアーティストが訪れる。展示や公演のほかに、ビエンナーレのメインテーマ「スローネス」をめぐるレクチュア、アーティスト・トーク、シンポジウムなどが開催される。それらをとおして、この世界のさまざまな問題について考える機会をもつことが重要だと考えている。
 京都ビエンナーレの本拠地となる京都芸術センターは、最初1869(明治2)年に建てられ、1931(昭和6)年に改装された明倫小学校の校舎を保存・改修したものである。市の中心部における人口減少に伴い、小学校は1993(平成5)年に廃校となり、2000年4月、京都芸術センターとして再生した。小学校とはそもそも明治維新以来の日本の近代化を象徴する施設であるが、他方では忙しい大人の社会から隔てられた特別な空間である。こうした建物の由来が、京都芸術センターに独特の雰囲気を与えている。オープン以来、センターは美術展示、演劇やダンス、伝統芸能の公演のほか、制作スタジオやワークショップの活動の拠点として機能してきた。また、国内外から芸術家を招待し制作活動を支援するアーティスト・イン・レジデンスのプログラムや、批評誌『Diatxt.(ダイアテキスト)』の出版も行なってきた。
 古いものを壊して新しいビルを建てるかわりに、古いものを使いながらその中で新しい試みを行なってゆくこと。この方針は、京都という都市のあり方にも、また京都ビエンナーレのテーマ「スローネス」にもふさわしいものだと思われる。ビエンナーレは、この京都芸術センターを中心として、京都市街のいくつかの場所を結ぶ形で開催される予定である。
 異なった文化を受け入れる寛容な心は、私たちが今日もっとも必要としているものだろう。私たちはまた、互いに異質性を認めながら他者と共存してゆく方法を探さなければならない。京都という街は、まさにそうした文化的な寛容性や共存のテクニックを、何世紀もかけて練り上げてきた伝統をもっている。京都ビエンナーレ2003は、私たちが異なった地域や文化圏から訪れるアーティストやその他の人々と出会う重要な機会となるだろう。芸術作品をただ展示したり鑑賞したりするのではなく、それに深くかかわってみることを通じて、コミュニケーションや相互理解を進めてゆきたいと考えるのである。

| English | Home |