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ロゴスレクシアヴォイド(論理空間弘法) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-03-14 314

とらドラ

1話で無理だと思った。この手のヒロインて作画に金かけてさえいれば一定の信者は

付くんだろうなあ…面白さはせいぜいが1/43かんなぎ、ギャグもせいぜいが1/38アキカン…


まあニンジン好き、ピーマン嫌いと言ったところで生産性が無いので(”客観的指標”である

DVD売り上げも互角みたいだし)、1話でわかる”かんなぎ”との決定的差異を指摘しておきましょうか。

それはカメラワークです。とらドラのカメラワークは、ポジション[位置]アングル[のぞき角]

サイズ[キャラのカメラへの接近度]もよく動きます。

一方でかんなぎは基本「アイレベル(=キャラクターたちと視聴者の目線が大体同じ、かつ距離感は

2メートルくらい?)」で固定です。


カメラワークの運動状態とは、キャラクターたちのその時点での「喜怒哀楽」と対応した集合であるとともに、

視聴者はここで強く共感するだろ」とクリエイターは予想して”振り”を設計しています。


よってカメラワークを動かすことの効用は、もちろん視聴者を右へ左へ「振らせる」ことです。

つまりカメラは原則として動かせば動かすほど、視聴者の情動を操作することができる”はず”なのですが、

あくまでこれは原則論であって、もともとキャラクターたちに共振していない視聴者にとっては、

まるで波長の汚いおんさAがおんさBを減衰させるように、白けてしまいます。


よって波長が合う一部の人たちには、とらドラは大変没入できるアニメとなるでしょう。

一方で”かんなぎ”ファン層は、その老若男女性癖などの傾向が割と散らばっているものと予想されます。

【関連記事】「かんなぎ」評完成版

http://d.hatena.ne.jp/supagetty/20090228/1235824797


追記:実写映画では「固定カメラ」は古い演出方法だとされてもう10年くらいになると思います。

最近の映画は全然見ていないのですが、パン[シーンの切り替え]を多用するミュージックビデオ出身のカントク

流れ込んでハリウッド映画は(象徴的には『アルマゲドン』のマイケルベイです)変わった、堕落したと

僕の好きだったある批評家が書いていました。

パンの多様は気の短いさいきんの観客を飽きさせないほどよい”刺激”になるわけです。最近見た映画では『トランスフォーマー』が

それやり過ぎて、もはや何が起こってるのかわからなかったのですがね(苦)。

逆に10年前の絶賛凋落中だった日本映画は、”アート”っぽい静謐さにこだわって市場縮小したと

批判されてたのですが、外国でポチポチと賞は取ってましたね。今はどうなってるんでしょう。

作豚作豚 2009/03/15 19:34 作スレからきますた

ゲスト


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