March 16, 2009

エッキー、エッキー、エッキー、エクシュタイン

21年前の1988年の冬、
ハノーバー・トーナメントの取材で初めて
キャッチの世界を覗き、それから10年毎年通った。
夏のオーストリアに秋冬のドイツ。

オーストリアはグラーツやウイーン、リンツ、
そしてシュタイヤーという田舎町にも行った。
ドイツはハノーバーとブレーメン。

私が取材に行き始めるより前は
ヨーロッパ・マットで最高の権威を誇っていた
「ハノーバー・トーナメント」
初ハノーバーはパンクラスに行く前の船木優治の取材がメインだった。
その頃まだ幼さが残っていた船木選手。新日本を退団するという
話で、それを藤波さんが引き止めにきたのだった。

家族旅行の内のたったの1日寄っての取材だったが、
東スポの川野辺さんや木明カメラマン、たしかファイトの
坂井さんも来てた。

大会終了後、プロモーターのオットー・ワンツが藤波さんや
船木選手、そして日本のマスコミを集めての食事会。
豚の膝の料理が出てきて、なんかびびったが、
食べなきゃ失礼と思い無理して食べたら、やたら旨かった。
それが強烈な印象に残っている。

食事会の終わりにオットーさんはマスコミ全員に土産を配った。
その中身はアディダスのコロンや石鹸、ボディーシャンプーが入った
アメニティー・セットだった。
その時からアディダスのコロンが気に入り、
いまでもたまに使っている。

その頃のキャッチは大いに栄え、最高の雰囲気があった。

それから何年かして出てきたのがエッキー・エクシュタイン。
オットー・ワンツのCWAの中で新星として出てきたエッキーは
すぐにCWAタッグチャンピオンになった。

それからまた10年、今回のNKPWAソウル大会に呼ぶことになった。
厳しい予算の中、人員削減を考えた際「エッキーには次回…」
とまで考えたが西村修の希望もあって完全決定とした。

エッキーはハノーバーのEWPのブッカーもやっており
前回の大会は私のルートでドラゴンゲートの新井選手
も出場している。

作り上げたルートはひとつひとつ大切にしなければと思っている。

さてJSN(ジミー鈴木ネットワーク)を生かした3・21ソウル大会、
秒読みとなってきた。
http://www.youtube.com/watch?v=7Jw5FMLEVf0&feature=PlayList&p=B1913127F7FE5522&playnext=1&playnext_from=PL&index=11
エッキー、エッキー、エッキー、エクシュタイン!

jimmysuzukiusa at 13:36 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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