「お体の具合はどうですか」。伊丹市で中国残留孤児の「支援・相談員」として働く王春芳さん(42)=同市=が、孤児の江田秋子さん(63)に中国語で語りかけた。江田さんはほっとした様子で「リハビリに通っているので、首の痛みはましになったわ」と答えた。
支援・相談員は、国が残留邦人の支援策の一つとして昨年、設置した。伊丹市では、残留孤児を父に持つ王さんが採用された。市内約20世帯を回り、高齢化する孤児らの医療や介護などの相談に乗っている。
王さんの父祖君さん(66)は、終戦時、中国東北部で日本兵の軍服にくるまれ、置き去りにされていた。祖君さんは養父母に大事に育てられ、工場の幹部になった。次女の王さんは大学を卒業し、裁判所に勤務。安定した生活をしていた。
祖君さんは91年に永住帰国。王さんも2年後に来日した。だが帰国後、暮らしは一変。祖君さんは温泉施設で働いたが、日本語が分からず「アホ」「会社辞めろ」と言われた。
王さんも日本になじめず、全身に発疹ができるほどのストレスに苦しんだ。来日して間もないころ、保育所に預けていた子どもが毎日のように、おしっこでズボンをびしょ濡れにして帰って来た。王さんは、子どもに紙おむつをはかせるという日本の習慣を知らなかった。保育士からアドバイスももらえず、一人悩んだ。
そんな苦労に耐え、日本語を習得し、支援・相談員になった。江田さんは「これまでは役所に言葉が通じないので相談できなかった。でも、王さんになら何でも話せる」と心を開く。王さんは、週に何度も自転車をこいで孤児の家を回る。「親の苦労を知っているからこそ、自分が杖(つえ)になって支えたい」という思いを胸に。
〔阪神版〕
毎日新聞 2009年3月13日 地方版