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父母の国で:中国残留孤児2世はいま/上 艾金海さん /兵庫

 ◇不自由な日本語、突然の解雇 働きたいが仕事ない--艾金海さん(54)=伊丹市

 国が中国残留孤児らに対する新しい支援策を始めてから、4月で1年になる。孤児たちの経済状態は一定程度上向いたが、主だった施策の対象はいわゆる「1世」のみ。その子どもの「2世」たちは対象外となっており、厳しい生活を強いられている人もいる。残留孤児と中国人との間に中国で生まれ、来日した2世たちがどんな人生を歩み、今、何を思っているのか。3人の姿を追った。【樋口岳大】

 2月4日午前6時。暗闇の中、伊丹市の自宅を出た中国残留孤児2世の艾(ガイ)金海さん(54)は、自転車をこぎ出した。4時間半、休みなくごみ捨て場を回り、アルミ缶を拾う。缶の売り値は、不況でピーク時の5分の1程度にまで下落しており、1キロ30円。この日の収入は835円だった。艾さんは手のひらの小銭を見つめ「とても生きていけない」とつぶやいた。

 艾さんの母、山川秀子さんは幼いころ、中国東北部で終戦を迎え、難民収容所で中国人に引き取られた。山川さんは農夫と結婚し、長男の艾さんが生まれた。山川さんは98年、艾さんらを連れて日本に永住帰国した。

 艾さんは来日後、国の自立指導員に紹介されたリサイクル工場でごみ分別の仕事に就いた。日給1万円で厚生年金や雇用保険などはなかった。8年間働いたが、07年に突然解雇された。

 日本語がうまく話せない艾さんは、その後、仕事を見つけられなかった。やむなくアルミ缶拾いを始めた。アルミの価格が高かった時は1日数千円の収入があったが、価格が急落し行き詰まった。今年1月には医療用具を洗浄する仕事が見つかったが、わずか1カ月で明確な理由も告げられずにクビになった。病気を抱えた妻もおり、食費や医療費を極端に切り詰めた生活は限界に近づいている。

 帰国した中国残留邦人は、2世らも含め推定10万人以上。2世には製造業などで単純労働をしている人が多く、長引く不況で、職を失い困窮する人が急増する恐れがある。艾さんは「働けるものなら働きたい。国は、日本語が不自由な2世の事情を考え、助けてほしい」と訴えた。

〔阪神版〕

毎日新聞 2009年3月11日 地方版

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