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一言メッセージ :春風不相識 何事入羅帷

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自省録

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人生を建設するためには

 
2009.3.3

 人生を建設するためには一つ一つの行動からやって行かなくてはならない。
 そして個々の行動ができるかぎりその目的を果たすならばそれで満足すべきだ。
 しかるに個々の行動がその目的を果たすようにするのを、誰一人君に妨げうる者はいない。

 「ところが外側からなにかの障碍が起ってくるだろう。」

 しかし君が正しく、慎み深く、思慮深く行動するのを妨げうる者はいない。

 「だが、もしなにかほかの形の行動が妨げられたらどうする。」

 その場合にはその障碍を快く受け入れ、思慮分別をもって許されていることに転向すれば、
 ただちに他の行動――さきほど話していた人生建設にあてはまるような行動をもって
 これに代えることができるであろう。

            (マルクス・アウレリーウス『自省録』 神谷美恵子訳 第8章32)



 

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何も加えなければ

 
2009.1.29

 最初の知覚が報告するもの以上のことはいっさい自分にいってきかすな。
 
 だがそれが君のことをひどく悪くいっている、と人に告げられた。これはたしかに告げられた。
 しかし、君が損害を受けた、とは告げられなかった。
 
 私は自分の子供が病んでいるのを見る。それは見る。
 しかし、彼が危険に陥っているとは見ない。
 
 かように、つねに最初の知覚に留まり、
 自己の中から何者もこれに加えないようにすれば、
 君になにごとも起らないのである。
 
 あるいはそれよりもむしろ、宇宙の中に起る
 ありとあらゆることをわきまえている者として
 自分の考えを加えるがよい。

           (マルクス・アウレリーウス『自省録』神谷美恵子訳 第8章−49)

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波もなき入江

2008.6.18

 すべては主観にすぎないことを思え。
 その主観は、君の力でどうにでもなるのだ。
 したがって君の意のままに主観を除去するがよい。
 するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、
 見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江。


               (マルクス・アウレリーウス『自省録』 神谷美恵子訳 第12章22)



 

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働け、みじめな者としてではなく

2007.9.6

 働け、みじめな者としてではなく、人に憐れまれたり感心されたりしたい者としてでもなく働け。
 ただ一事を志せ、社会的理性の命ずるがままにあるいは行動し、あるいは行動せぬことを。


               (マルクス・アウレリーウス『自省録』 神谷美恵子訳 第9章12)

 

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すべて生起する事柄は

2007.8.19

 後に続いて来るものは前に来たものとつねに密接な関係を持っている。
 なぜならばこれは単にものを別々に取り上げて数えあげ、それがただ不可避的な順序を 
 持っているにすぎないというような場合とは異り、そこには合理的な連絡があるのである。
 そしてあたかもすべての存在が調和をもって組み合わされているように、
 すべて生起する事柄は単なる継続ではなく或る驚くべき親和性を現しているのである。 


                  (マルクス・アウレリーウス『自省録』 神谷美恵子訳 第4章45)

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