エホバの証人の高等教育と社会的地位について

《目次》

はじめに
ものみの塔協会の大学教育侮蔑
1992年の「新しい光」による教義変更
最低の教育水準と社会的地位に甘んじるエホバの証人

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はじめに

ものみの塔協会は長年の間、教育、特に高等教育を強く非難し、信者であるエホバの証人が大学教育を受けないように、ほとんど禁止に近い強い口調で、これを避けるように勧めてきました。この高等教育蔑視の教義には沢山の理由が挙げられて来ました。大学がいかに宗教に批判的な見方を教え、いかに人間を不道徳にさせるか、いかに大学で与えられる教育が実際の生活に役立たないか、等々、およそ考え得るすべての高等教育の欠点を挙げて、あらゆる機会に大学教育を受けることの空しさ、弊害を説き続けるものみの塔協会の態度は、1992年11月の「新しい光」による教義の大幅な変更が加えられ、大学教育を受けることは「自由」であるとされるまで続きました。このため、多くのエホバの証人が高等教育を受ける機会を逸し、優れた能力を発揮させる可能性のある証人達が、社会的に低い地位で低賃金の仕事を続ける姿がこの宗教の伝統となりました。1992年の教義変更は、長年にわたるエホバの証人社会の知的な弱体化と、社会的、経済的地位の低落化に歯止めをかける必要に迫られた結果と考えられます。この記事では、ものみの塔協会がとってきた高等教育に対する侮蔑的態度の歴史を、その出版物からたどるとともに、1992年の「新しい光」の意味と最近出版された、エホバの証人の知的弱体化、社会経済地位の低落化を如実に示す研究を紹介します。


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ものみの塔協会の大学教育侮蔑

「高等教育は何の役にも立たない」

 ものみの塔協会の一貫した立場は、高等教育は、ものみの塔協会の定めたエホバの証人の人生の目的からすると何の役にも立たない、という議論です。次の引用はものみの塔誌1956年5月15日号の英文版からの訳です。

この古い体制では、わたしたちは人間の「知恵」と是認を得るために勉強することになります。わたしたちは「み言葉を聞くだけでなく行う者になりなさい」と教えられています。高等教育の過程をたどっていくなら、わたしたちは神のみ言葉を聞くにも行うにも、ほとんど時間が無くなるでしょう。神の是認はこの古い世界のどの部分にもありません。これには哲学を広める教育機関も含まれます。そのような「知恵」はエホバの奉仕者としての個人の資質に何も貢献しません。なぜなら教育機関の目標はこれとは異なり、そのために作られていないからです。(ものみの塔(英文)1956年5月15日号315頁)

「高等教育を受けて金持ちになることは有害である」

 もう一つのものみの塔が繰り返す議論は、教育は自分の生活がまかなえるだけの職につけるだけで十分であり、それ以上の高度の教育は有害であるというものです。次の引用はものみの塔1967年2月1日号の英文版からの訳です。

たとえば若い人たちは自分たちの回りの物質的な見かけにすぐに影響されます。これは特に両親が、商業の世界で高額の給料をもらえる能力に高い価値をおく場合になおさらです。その結果、このような両親は世の「高等教育」機関で与えられる教育に心をとらわれます。彼らの願望は、単に他人の世話にならずに自分の手で働けるだけの技術を身につけることではありません。いいえ、彼らは高所得層に入りたいのです。(テサロニケ第一4:10−12)しかし何がそこで間違っているのでしょう。イエスは率直に金持ちが王国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりむずかしいであろうと言いました。(ルカ18:24、25)高等教育を得ることに専念する人たちは普通、「衣食をまかなう」だけで満足せず、金で買える「その他のすべて」を楽しみたいのです。(ものみの塔(英文)1967年2月1日号76頁)

 これは確かに大学教育の弊害ではあり、大学教育の一つの側面であることは間違いありません。しかし、ものみの塔協会はここでも、物事の一面のみを教え、それ以外の重要な側面があることを無視します。ここではものみの塔協会は、大学教育が多くの文化や技術を進歩させることにより、人類にとって計り知れない益をもたらしてきたこと、例えば医療技術や通信技術などの進歩はエホバの証人を含めた全人類が享受していることを、意図的に無視します。ものみの塔協会自身が現在の最先端の技術を駆使して勢力を拡大できる裏に、多数の高等教育機関で専心的に働いている人々がいることには決して注意を向けません。その根底にある信条は、「この世」を、滅び行くサタンが支配する世界と決めつけ、徹底的にそれを侮蔑することにあります。

 次の引用でも明らかなように、ものみの塔協会は教育をあくまで技術習得の手段とするように教えます。

あなたの学校が提供する履修課程を調べてみましたか。職業訓練の技術は教えられていますか。あるいは自分の家の近くの高校であなたに適した技術の実際的な訓練が教えられていませんか。たとえば、多くの学校では自動車修理工、コンピュータープログラミング、配管工などの訓練が得られます。「でも誰が大工や配管工になりたいでしょう」とある若者は尋ねるでしょう。若い時代、イエスは大工仕事を教えられました。確かにこれはイエスの生涯の仕事ではありませんが、彼は自分の技術をよく学んだので「大工」として知られていました。(マルコ6:3)(目ざめよ!(英文)1985年3月22日号18頁)

「高等教育を受けると信仰から離れる」

 ものみの塔協会のもう一つの反高等教育の理由は、エホバの証人の間に批判能力のあるグループが形成されることの危険でしょう。確かに大学教育を受け、物事を客観的、批判的に見る能力をつけた人間は、ものみの塔宗教のように、無批判に上から与えられる物を、「霊的食物」として丸呑みできる信者を必要とする宗教にとっては最も危険といえるでしょう。上に引用した節に続いて、次のようにものみの塔誌は教えます。

もし彼ら[高等教育を受ける者]がめざす教育に成功するためには、一生懸命勉強しなければなりません。聖書の研究、クリスチャン会衆との交わり、クリスチャン奉仕への参加がけずられます。この世との交わりが主になります。この世の哲学が彼らの心を占めます。その結果何が起こるでしょう。多分これは彼らの予想していなかった結果でしょうが、もし聖書が述べていることを真剣に受け止めていれば予想されたでしょう。−コリント第一15:33。コロサイ2:8。これは両親にとってもショックでしょう。というのもごく最近、息子に楽な生活をさせてやりたいと「良い教育」を受けさせた人が、わずか一年の大学教育の結果、息子がいくら金を払っても買えない信仰を失ってしまった経験をしています。(ものみの塔(英文)1967年2月1日号76頁)
このような理由から、高校教育に加えた大学教育は「わな」となります。人間の哲学によって「洗脳」され神と聖書への信仰が破壊されます。−コロサイ2:8。多くの大学の履修課程は、間もなく永遠になくなる古い事物の体制を支えている、進化論のような間違った理論に基づいています。−ヨハネ第一2:17。多くの教授は神と聖書に信仰がなく、積極的に無神論的な考えを教えています。これに加えて大学の雰囲気には薬物中毒の危険を含めて、道徳に対して退廃的な影響があります。(ものみの塔1975年9月1日543頁、英文版よりの訳))

 つまり、ものみの塔協会はエホバの証人が、自分の頭で物事を調査研究し、批判的に物を見る能力を習得することに対して最も警戒し、ただ頭を使わずに技術に専念できるような教育を奨励しているのです。次の記事も高等教育により、宗教に疑問を持つようになることの危険を教えています。

 数年前、極東の大都市に住んでいたクリスチャンの若い男性に、外国でさらに学ぶ機会が開かれました。この人はすでに十分な世俗の教育をうけ、給料のよい仕事に就いていましたが、それで十分だとは思いませんでした。生活状態をもっと良くしたかったのです。先ほど考慮したような聖書の考え方に沿って仲間のクリスチャンが説得にあたりましたが、男性は譲ろうとせず、計画を進めました。最初のうちは信仰を保ち続けようとしましたが、徐々に聖書の真理に対する認識を失い、疑いを抱くようになりました。わずか1年ほどで、男性は完全に信仰を失い、不可知論を唱えるようになりました。確かに、この男性は世俗の高等教育によってもっと高い地位を得て、ある程度の満足を得ました。しかし、一時的な栄光を得るために、信仰の破船ととこしえの命を失う危険を冒すという非常に大きな代償を払うことになりました。−テモテ第一1:19。(ものみの塔(日本文)1992年8月15日号28頁)

「ハルマゲドンが近いから高等教育を受けても役に立たない。その時間に奉仕をしなさい。」

 1960年代後半から1975年にかけては、エホバの証人の間にハルマゲドンへの期待が一気に高揚した時期でした。この頃には切迫した「この世の終わり」の教えを反映して大学教育の侮蔑、放棄の教えは更に先鋭化しました。ハルマゲドン後の新しい体制では大学教育は必要なくなり、ハルマゲドン前の残された時間は余りに短くて大学で勉強などしている場合ではない、というのがその理由でした。

[ハルマゲドンまで]少しの時間しか残されていないことを考えると、この事物の体制の中で職業を追い求めることは賢明でないばかりか極めて危険です。たくさんの兄弟や姉妹がよい収入を約束する奨学金や就職を提示されました。しかし彼らはこれらを断って霊的な事柄への関心を優先させました。(王国宣教1969年6月3頁、英文版よりの訳)

多くの高校では現在は学生カウンセラーがいて、高校を出た後大学へ行くことや、この事物の体制の中で将来の職業を追い求めることを勧めています。彼らに影響されてはなりません。先を行ってこの世の中で自分で何かを作り上げるようにという、悪魔の宣伝によって彼らに「洗脳」されてはなりません。この世界はほんの少ししか残された時間がないのです!この世が「将来」と言っているものは将来ではないのです。ですから賢明に、神の言葉の影響によってあなたの保護と祝福をもたらす人生の選択をすべきです。ベテルや宣教者奉仕で、開拓奉仕者や全時間奉仕者になることを目標としなければなりません。(ものみの塔(英文)1969年3月15日号171頁)

 ここでは高校の進路指導の教師たちが、生徒を「悪魔の宣伝を使って洗脳する」という過激で煽動的な表現でけなした後、エホバの証人たちに全時間を協会のための奉仕に使うように強い口調で命じ、究極の目的は組織拡大のための「開拓奉仕者」「全時間奉仕者」を増やすことであることを臆面もなく述べているのです。

 この協会の態度はその後の1980年代の後半にも続きます。例えば1989年に発行された「若い人が尋ねる質問」の177頁には次のように書かれています。

大学の学位を持っていれば就職に有利であるかもしれませんが、そうでないかもしれません。しかし一つの事は明らかです。つまり、「残された時は少なくなっている」ということです。(コリント第一7:29)大学教育から得られるとされる益のために大学で4年かそれ以上を過ごすのは、その残された時を活用する最善の方法と言えるでしょうか。−エフェソス5:16。 大学教育は、あなたを霊的な目標に導くものですか、それとも別の方向へそらすものでしょうか。


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1992年の「新しい光」による教義変更

 以上述べてきたような、ものみの塔協会の強硬な反大学教育の教義は、1992年11月1日号のものみの塔誌の記事により、次の引用で総括される大幅なの変更が加えられました。

今日の親と若いクリスチャンが、賛否両論を注意深く祈りのうちに比較考慮して、高校卒業後の勉強を取るか取らないかを決定する時、会衆内の他の人たちは彼らを批判すべきではありません。クリスチャンである親が子供たちに高校卒業後の教育を受けさせることを責任を持って決定するなら、それは彼らの自由です。(ものみの塔(日本文)1992年11月1日号19−20頁)

 ここではこのものみの塔協会の新しい高等教育に関する指示を見てみましょう。協会は先ず、教育の二つの大きな原則をあげます。それは「服従を示すため」と「全時間の開拓奉仕者として自活しなければならない」ということです。

まず第一に、大抵どの国でも、「カエサル」に対するふさわしい服従を示すため、クリスチャンである親は子供たちを学校に通わせなければなりません。(マルコ12:17。テトス3:1)若い証人たちに関して言えば、学業に携わる間、「何をしていても、人にではなくエホバに対するように魂をこめてそれに携わりなさい」と述べているコロサイ3章23節の言葉を忘れてはなりません。関係している二つ目の原則は、クリスチャンは全時間の開拓奉仕者であるとしても、自活できなければならないということです。(テサロニケ第二3:10−12)結婚している男子であれば、自分の妻と、生まれてくるかもしれない子供たちをきちんと扶養できなければなりません。困っている人たちに与えたり、地元でも世界中でも行われている伝道活動を支えたりするための余分も、幾らか見込んでおきます。−エフェソス4:28。テモテ第一5:8。(ものみの塔(日本文)1992年11月1日号17頁)

 これに続く節では、最低の義務教育だけでは「適切」で自活できるだけの「人並みの給料」が得られなくなっている状態を述べています。そして次の節では、それまで「真理」として教えられてきた協会の大学教育拒否の教義がもたらした結果を、それまでの教義に全く言及することなく、次のように述べています。

 今日、どのような状況がしばしば見られるでしょうか。幾つかの国では、良い意図を持つ大勢の若者たちが、開拓者になるために、最低限必要な学校教育を終了した後に学校を離れている、と報告されています。彼らには身に着けた技術もなければ、世俗的な資格もありません。親の援助がないなら、パートタイムの仕事を探さなければなりません。借金をせずに生活するため、非常に長い時間働くことを要求される仕事を受け入れなければならない人もいました。彼らは体力を使い果たし、開拓奉仕を断念しました。(ものみの塔(日本文)1992年11月1日号18頁)

 事実、長年の教育蔑視の教義の結果、このようにエホバの証人たちの社会的な地位の低下と収入の減少は深刻化していたのでした。そして次の節では、新しい見方として、より高度の教育を受けてより効果的に収入を得て全時間奉仕をするように指導しています。

クリスチャンは教育を、ある目的のための手段とみなすべきです。今の終わりの日における彼らの目的は、できるだけ多く、できるだけ効果的にエホバに仕えることです。自分の住んでいる国で、最低限の教育しか受けていない人が、あるいは高校程度の教育を受けた人であっても、開拓者として自活するには不十分な収入の仕事しか得られないのであれば、補助的な教育や訓練について考慮できるでしょう。それは、全時間奉仕という明確な目標を持った教育と訓練です。(ものみの塔(日本文)1992年11月1日号18頁)

 しかし、この「新しい光」を発表する記事の中でも、一貫して変わっていないのは「世の知恵」すなわち、ものみの塔協会の権威に疑問を抱かせる可能性のある人文系の教育を受けることを、相変わらず強硬に非難していることです。この記事には出てきませんが、他の記事から明らかな「危険思想」を教える可能性のある学科は、哲学、心理学、論理学、宗教学、倫理学、社会学、歴史学、人類学などがあげられるでしょう。

 付加的な課程を選択する場合、決して学者風を吹かせようとか、この世的に誉れのある職業を求めようという動機を抱いてはなりません。履修課程は慎重に選択すべきです。本誌は高等教育の危険を強調してきましたが、それは正当なことでした。高等教育の多くは聖書の「健全な教え」に反しているからです。(テトス2:1。テモテ第一6:20、21)(ものみの塔(日本文)1992年11月1日号20頁)

 そして無教育でも従順な人間の方が、教育を受けて批判的な人間よりも望ましいという、歴史的に見て多くの独裁専制政権が取ってきた反大学の論理(例えば中国文化大革命当時の大学の閉鎖は記憶に新しい)を、ものみの塔協会はそのまま堅持しています。

現在、旅行する監督として、あるいは協会の本部や支部の一つで責任ある立場を与えられて奉仕している人の中にも、基礎的な教育しか受けていない人たちが大勢います。彼らは忠実な開拓者であり、学ぶことを決してやめず、訓練を受け、より大きな責任を委ねられてきました。彼らは後悔していません。一方、彼らと同じ時代の人で、大学教育を受ける道を選んで脇道にそれ、信仰を破壊する哲学と「この世の知恵」に征服されてしまった人々もいます。−コリント第一1:19−21;3:19、20。コロサイ2:8。(ものみの塔(日本文)1992年11月1日号19頁)

 確かに大学は「知的独裁」を行う者、(これには「霊的食物」である教義の数々を独占的にエホバの証人に与えるものみの塔の統治体が典型と言えるでしょうが、)にとっては最大の敵であることは間違いありません。逆に見れば、大学教育の敵視の度合いにより、その指導者がいかにマインドコントロールによる「知的独裁」を行っているかがわかると言えるのではないでしょうか。


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最低の教育水準と社会的地位に甘んじるエホバの証人

 興味あることに、上に紹介した1992年のものみの塔誌の記事の中では、幾つかの職業を推薦しています。しかし、推薦される職業は常にパートタイムです。

幾つもの国の若い証人たちは、霊的な関心事を第一にしながら、パートタイムの仕事の準備として、会計士、熟練工、教師、翻訳者、通訳といった職業に関する課程を選んできました。そうした職業は、開拓者という主要な仕事に携わる彼らを十分に支えました。(マタイ6:33)それら多くの若者たちはその後、旅行する監督やベテル奉仕者になっています。(ものみの塔(日本文)1992年11月1日号20頁)

 これらの職業は確かにエホバの証人にとってはやり易い職業でしょう。この「新しい光」により、今までの少なくともアメリカで非常に多かったエホバの証人の職業である、パートタイムのビルの清掃夫(婦)のイメージは変わりつつあるかもしれません。(ビルの清掃は普通、夜間のビルを使用していない時に行われるため、昼間に全時間奉仕をしている開拓奉仕者がやれる職業としてアメリカでは盛んです。)

 次に紹介するのは1993年にアメリカで行われた全国宗教確認調査という社会学的研究です(Kosmin, B.A., Lechman, S.P.: "One Nation Under God" Crown Publisher 1994)。これは11万3千人という多数の人を対象にその宗教と社会的活動との関連を調査したものです。この調査には30の異なる宗教が含まれていました。この調査によるとエホバの証人の大学卒業者の率は全ての宗教の中で最低でした。左の数字は大学卒業者の率の高さの順位、右の数字は大学卒業者のパーセントを示します。

 1

ユニテリアン・ユニヴァーサリスト

49.5%

 2

ヒンズー教

47.0%

 3

ユダヤ教

46.7%

 7

不可知論者

36.3%

18

カトリック

20.0%

20

ルーテル派

18.0%

21

安息日再臨教団(セブンスデーアドベンティスト)

17.9%

27

バプテスト派

10.4%

28

ペンテコステ派

 6.9%

30

エホバの証人

 4.7%

 興味あることは、このエホバの証人の非常に低い教育率は高校の中退率にも反映していることです。高校入学後、決められた課程を終了して卒業する率が、全体の平均では80.9%(中退者19.1%)であるのに対し、エホバの証人で卒業まで高校に残る率はわずかに67.6%(中退者32.4%)に過ぎません。

 このことはもちろん、エホバの証人の収入の低さに反映してきます。エホバの証人は30の宗教の中で年収の額は24位でした。この調査では更に「総合社会地位」という順位づけを30の宗教に関して行いました。この順位付け(ランキング)には、住宅所有率、年間世帯所得、大学卒業率、全時間就職率の4つの要素が総合的に考慮されています。左の数字は総合社会地位のランキングです。ここでもエホバの証人は最低です。

 1

ユニテリアン・ユニヴァーサリスト

 2

ディサイプルズ教会

 3

不可知論者

 4

組合教会派(コングリゲーショナリスト)

 5

監督教会派(エピスコパリアン)

13

カトリック

26

バプテスト派

27

ペンテコステ派

28

安息日再臨教団(セブンスデーアドベンティスト)

30

エホバの証人

 この調査は、アメリカの社会と宗教の特殊性をある程度反映しているかも知れません。しかし、ものみの塔協会の反高等教育の姿勢が1992年の大学教育解禁の教義変更にも関わらず、エホバの証人を世界的に根強く支配していることを考えると、この調査結果に似たような事態は日本の社会でも必ず起こっているはずです。マインド・コントロールを徹底させるために、独立的な思考を養う大学教育を非難侮蔑してきたものみの塔協会は、この面でも証人の社会に深い傷を負わせているのです。

最後にブルガム卿が1828年にイギリスの議会で行ったスピーチから次の引用を紹介しましょう。

教育は人を導き易くするが、駆り立てにくくする。人を統制し易くするが、奴隷化することを不可能にする。

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本記事の執筆に当たっては Ralph Edwards 氏と Earl Hulbert 氏の助言と資料を使わせて頂きました。