ダイヤ改正で廃止されたJRの寝台特急「富士・はやぶさ」が最後の運行をした。岡山駅では十四日未明、約二百人の鉄道ファンが名残を惜しんだ。
ブルートレインが昭和三十年代に登場して半世紀。ふるさとと都会をつなぐ長距離夜行列車として人気を博したが、新幹線や航空機に押されて利用者が減った。昭和がまた一つ消えた。
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。そう始まる岡山市出身の小説家・随筆家内田百の「阿房列車」は、鉄道紀行文の古典ともいわれる。百先生と鉄道の互いに根強い人気が相まって、今年は漫画版の「阿房列車」(小学館)も出版された。
第一列車の出発は一九五〇年。用事はない。名所旧跡も見ない。車窓から風景を眺め、車内で飲んでは食べ、相棒ととりとめのない話をする。飄々(ひょうひょう)とした味わいの裏には、世の中の功利、効率や合理主義へのからかいや憤りがある。
百が芸術院会員の推薦を辞退した話は有名だ。理由がふるっている。「会ニ入ルノガイヤナノデス。ナゼイヤカ。気ガ進マナイカラ。ナゼ気ガ進マナイカ。イヤダカラ」。
気骨の自由人は七一年、好物のシャンパンをストローですすりながら息を引き取った。八十一歳。新幹線新大阪―岡山間開通の前年だった。