社説
ソマリア沖派遣 海自に「無法」強いるとは
なりふり構わず、とはこのことだ。
浜田靖一防衛相が海上自衛隊に対してアフリカ・ソマリア沖で海賊対策に従事するための海上警備行動を発令した。護衛艦二隻、約四百人の部隊は、きょう出港する。
派遣の根拠となった海上警備行動は日本の領海が侵犯された場合を想定したもので、過去二回の発令はいずれも日本近海だ。それを一気に拡大解釈した。政府も無理は承知なのだ。
発令当日の十三日、政府は海賊対策のための自衛隊派遣を随時可能にする新しい法案「海賊対処法」を閣議決定した。今国会での成立を図るという。
海自にソマリア行きを命じた後で、出動の根拠となる法律づくりに乗り出すなど「泥縄」の極みであり、法治国家として許されることではない。
自由貿易の恩恵を享受している日本が、海賊の横行に手をこまねいているのは責任放棄だ。国連海洋法条約も海賊抑止への協力を求めている。政府はこう主張して派遣を強行した。
もっともらしく聞こえるが、前提が間違っている。海洋法条約一〇〇条が各国に要請しているのは「可能な範囲での協力」である。
憲法九条を有する日本がまず考えるべきは「日本が可能な海賊抑止への協力とは何か」であろう。実力部隊である海自を派遣しなければ国際的な貢献を果たせないとする考え方は、外交力のなさの裏返しといわねばならない。
湾岸戦争の際、日本は一兆円余に上る資金を提供したにもかかわらず、米国などから「国際貢献度は低い」と酷評された。以後、ペルシャ湾への掃海艇派遣を皮切りに、自衛隊の海外派遣が繰り返されている。
掃海艇派遣は戦後処理の一環だ。イラク派遣やインド洋派遣は曲がりなりにも法律に依拠していた。国連平和維持活動(PKO)も同様である。
今回の派遣は過去のどの海外派遣よりも筋が悪い。海自の部隊は警察官職務執行法に基づいて海賊と対峙(たいじ)することになる。銃や砲を使用できるのは、正当防衛か緊急避難に限られる。それを判断するのは海自の指揮官だ。これでは一線はたまるまい。
海賊新法では武器使用基準の緩和をうたっている。海自の制約は少なくなるが、「交戦」との境界があいまいになる懸念が生じる。外国船の警護を含め、国会での詰めた論議が必要だ。
なし崩し的な海外派遣が続き、この問題への国民の関心が薄れてしまうのではと憂慮する。「国益」の名の下に自衛隊の海外派遣を常態化することが許されるのかどうか。
緊急避難的な「とりあえず派遣」は政治の貧困以外の何ものでもない。政府の猛省を促したい。
[新潟日報3月14日(土)]