K.OKADAワールドは、四国・高松在住の、私、岡田克彦の、趣味、ライフワークの、
作曲・ピアノ演奏をテーマにしたホームページです。
まず、私のホームページ入口のBGMには、私の一番好きな作品の一つの、ラヴェルの「ピアノ協奏曲 ト長調」の第2楽章の、作曲者ラヴェルの指揮で、
献呈者の女性ピアニスト、マルグリット・ロンのピアノの共演ライブのMP3を、添付しました。
ラヴェルとロンは、パリ音楽院のクラスメイトで、生涯に渡って厚い友情を保った仲間でしたが、このあたりのことは、ロンが晩年に執筆した、ラヴェルの回想記
「ラヴェル・・・・・回想のピアノ」(音楽の友社から和訳本が出ています。)に詳細に掲載されています。
〔関連エッセイ → 『ピアノ奏法について』 〕
たぶん、クラシック音楽愛好者の皆様には、この作品について、誰の指揮がいい、どのピアニストの演奏が好きだ、等、いろいろなご意見もあると思いますが、
私は、好き嫌い以前に、作曲者が指揮をして、その作品を献呈した親友ピアニストと共演しているこの演奏を、一番大切にしたいと思っています。
でも、ラヴェルとロンは、もう、この世の人ではありません。
これをお聴きになりながら、まずは、下記の蓮如執筆の、『白骨のお文』に示された、人間の無常観に思いを馳せ、若い皆様もいつか年老いることを予感したり、ヒポクラテスの言う
『芸術は長く人生は短い』ことを再確認し、今を生きていることの喜びをかみしめながら、その下の、私の住む四国高松の、五色台からの瀬戸内海の眺めをクリックして
ご入室になり、穏やかなひと時をお楽しみ下さい。
ホームページ副題の『楽器演奏仲間達との恍惚、不安、熱き心を忘れずに』は、アマチュア作曲家、兼、ピアニストとしてずっと活動してきた、私のこのあたりの思いを象徴したものです。
このBGMを聴いて、作曲者ラヴェルと献呈者ロンの間の友愛のことを知っても、何も感じないような、人間愛の欠落した皆様、及び、自己顕示欲、金銭欲、名誉欲を満たすためだけに
生存している皆様の、私のホームページへのご入室や、無礼極まりないコンタクトは、固くお断りしております。
理由はとても簡単なことです。
人間愛の欠落した利己主義者の皆様と触れ合う時間は無駄だから・・・・・、そんな暇があったら、私は、作曲したり、J.S.バッハ、ドビュッシー、ショパン、フォーレ、ラヴェルなどの
素晴らしい音楽作品を演奏していたいのです。
蓮如『白骨のお文』
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。
一生すぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、
桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも
中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかく
たのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
※ 現代意訳
人間が、いかに根無し草のようにフラフラと生きているかということを考えてみると、まあ、はかなくもあっけないのは、この世での一生の過ごし方、それはもう、夢・幻のようなものです。
というのは、いまだもって、1万年も生きることが出来る身体を得たという人は聞いたことがありません。
一生はあっという間に過ぎてしまうものです。
どこの誰が、100年も同じ姿形でいられるというのでしょうか。
自分が先か、他人が先か。
今日なのか、明日なのか。
先に死んだり、後で死んだり、死んで行く人は、雨のしずくや露の玉ほどにたくさんで、数えることは出来ないものです。
朝には、元気な顔をしていた人が、夕方には白骨になっているのです。
ちょっとばかり、予想だにしなかった出来事が起これば、たちまち、目は閉じてしまい、息も絶えてしまうのです。
艶やかな顔が、無慚にも変わり果てて、元気な時とはうって変わってしまうのです。
親兄弟、子供や孫、親戚が集まって、嘆き悲しんでも、もう生き返ることはありません。
しかたなく、葬式をして、火葬にすれば、そこには、白骨だけが残るだけです。
死んでしまえば、哀れというか、空しく勝手気ままに生きたことが愚かなことに思えてなりません。
人間の命は、はかないものであり、年寄だから、若いから、という区別はないのです。
誰もみんな、明日をどう生きていけば良いのかということを、いつも心の中にしっかりと据えて、「大事に生きよ」という自分
にかけられた命の願いに沿って、「命は大切なものだ。その命を大事に生きて行く自分になる」と繰り返し繰り返し自分に言い
聞かせていくべきものなのです。
あぁ、そのことは、私にとっては、もったいないことでしたねぇ。
さて、私の最も尊敬する作曲家は、J.S.バッハとクロード・ドビュッシー、です。
ピアノ演奏は、作曲や自作自演の合間に、ついでにやっている程度なのですが、フランス近代の室内楽曲を最も得意としていますが、ピアノソロにおいて私の一番好きな作品は、
下記をクリックして入室して聴けるようにしている、J.S.バッハの平均律第1巻24番(ロ短調) BWV869 のフーガ、ですので、是非、お試し下さい。
この、J.S.バッハの平均律第一巻24番のロ短調フーガを、久々に演奏する機会がやってまいりました。
それは、2009年4月19日午前10時から、高松市のサンポートタワー内1F展示場で開催される「第1回おいで MY フェスタ 2009」でのチャリティコンサートです。
2008年の秋、「おいで MY フェスタ」を主催する20歳代の若者が中心になった「香川県地域活性委員会」の理事から協力を頼まれ、参画することにしましたので、まずはそれについて
ご案内いたします。
『おいで MY フェスタ』と香川県地域活性委員会のこと
「岡田さん、協力してくださいよ。」
まだ32歳になったばかりの、香川県地域活性委員会理事長のF君が、その日私が演奏会をやっていた、高松市林町の逸(すぐる)珈琲店で、私に話しかけてきたのは、
2008年の秋のことでした。
彼の音楽仲間はロックバンドを組んでいろんな活動をしている20歳代の人達でした。彼自身は、ベースを担当していました。
30年以上の長期間にわたって、香川県の文化を発信する物産展と、100%のチャリティコンサートをドッキングさせた『おいで MY フェスタ』というイベントを続けてゆこうとしている、
彼のコンセプトには、正直、私自身、ショックを受けました。
「ああ、ついに、わが故郷の香川県の若者の中から、こういう発想がボトムアップで出てきたんだ。」
とても嬉しかったので、私は即答しました。
「よーし、わかりました。全面的に協力しましょう。でも、もう、ぼくは51歳のおじさんだから、表に出ないほうがいいよね。」
私は20歳代ではないので、ただのアマチュアクラシックピアニストならば、クラシックの作品を演奏すること以外、何の協力も出来ませんが、アマチュア作曲家なので、他ジャンルの音楽との
コラボやアレンジは、よくやっていますし、ほかの出演メンバーの提供音楽とのバランスを考えて自分のプログラムを組むことが出来ます。また、東京にいた33歳の1991年に、外務省後援の
チャリティコンサートをアマチュアとしてプロデュースし、アマチュアミュージシャンが唯一社会に貢献できることは、収益金の100%を寄附するチャリティコンサートであることを体感して
いました。
そして、ついに、これが地方都市のアマチュア音楽家達に広がり始めたこと、しかも、地方都市には既得権にしがみついた戦中派のピアノの先生や音楽評論家などが多く住んでいるため、
クラシック音楽の世界は金権腐敗がはびこっているために、こうした動きが、ジャズ、ポップス、ロックなどを演奏している若者達から沸き起こってきたことに深く感銘を受けましたので、
全面的に協力することにしました。
しかし、若い演奏家仲間達との合奏やコラボをする時の、私の持論は、若い連中とやっても、絶対に自分が若返ることはないということです(笑)。
若い音楽家仲間達とお付き合いするのは、自分がもう若くないことを認識するためなのです。
時間の流れには誰も逆らえないというあたり前のことを自覚していない年寄りは、ダンディーじゃないので、なりたくないものですね(笑)。
いや、それ以前に、どんな合奏やコラボ演奏のライブも、演奏者が演奏を楽しんでいる姿が聴衆に伝わらないようなものは意味がないですから、楽器演奏仲間達との年齢や性別を超えた
信頼関係のないものは、存在価値がないことは、あたり前のことですよね(笑)。
そういえば、自分が初めてチャリティコンサートを東京で企画したのは、33歳の時だったから、彼くらいの歳だったな、と思いながらも、
香川県のチャリティマインドは東京に比べるときわめて低いけど、30年以上にわたってリピートするという手法なら、チャリティの原点の、
「塵も積もれば山となる」寄附が可能だろうし、何よりも、郷土愛とチャリティマインドを定着させることが、この先の地方都市では
必須だろうと思いましたので、死ぬまで協力することにしました。
『第1回おいで MY フェスタ 2009』の2009年4月19日には、私の自作も含めたピアノソロと、親友の津軽三味線奏者の筒井君、彼の友人のボーカリストのS嬢とのコラボで、クラシック、
J-POP、香川県の民謡ごちゃ混ぜにした新作メドレーの初演で出演することにしました。
一方、物産展についても、いろいろご協力できましたし、17年前に、東京にいた頃、
外務省後援のチャリティコンサートをプロデュースした
経験 、ノウハウを全て、彼らのために提供しました。
2009年4月19日当日、私は、J.S.バッハの作品は、300年以上続いていますので、
「J.S.バッハは、『おいで MY フェスタ』のさしあたっての目標の30年の10倍だよ。頑張ってくれて有難う。」
という、彼ら若者達と出会えたことへの感謝の気持ちをこめて、J.S.バッハの平均律第一巻24番のロ短調フーガを演奏します。
コラボなど自作もやりますが、私の作品などは、初めて、ソナタ形式を採用した、J.S.バッハの平均律第一巻24番のロ短調フーガに
遠く及ばないことは決まっていますので、ひたすら、J.S.バッハのことを思いながら、特に第二主題の再現部などに涙しながら練習しています。
私が生まれ育った香川県のために若者達ががんばっているのだから、ただ、私は全ての自己顕示欲を捨ててベストをつくそうと思っています。
人間、自己顕示欲を捨て去れば、いろいろ出来るのですけど、もともと、自己顕示欲の充足のために、ストイックな頭脳労働の作曲は出来ないのですよ(笑)。
こうして出会ったF君は、若者ながらあっぱれな優しい男でしたので、一緒に活動するうちに、私は、彼のテーマソングまで作曲出来てしまいました。
F君は、照れているんだけど、意図せず自然に作曲出来てしまったのだから仕方ないのです(笑)。
彼のテーマソングが出来た理由は、神のみぞ知ることです(笑)。
まあ、今回に限ったことではなく、私は基本的に、明るく楽しく前向きに活動している時にいっぱい曲が出来るので、2006年9月19日に二人暮らしで介護していた母が逝去してから、
本来の調子を崩していたことは明白だな、と思いました。
2010年の第2回目までには、この作品と、ピアノ組曲『記憶の底の栗林公園 OP.111』をカップリングにして、CDを出すことにし、既に、東京の友人が社長をしている音楽事務所で
収録することにしています。
長年作曲をやって来て思うのですけど、やっぱり、私は、作曲の始まりで、一番最初のオリジナルモチーフが浮かぶ瞬間と、それを頭の中で響かせて、組み立てているプロセスが、
とても好きなのです。
こんな素敵なプロセスを体験できる機会を準備してくれた、F君に感謝をこめて、私のホームページトップに、ご紹介しました。
金融恐慌以来、真っ暗な世の中ですし、この先何が起こるかわかりません。それだけに、地域コミュニティーに基づいた相互扶助の気持ちのあった、昔の日本社会のいい面を取り戻さない
といけないと思っています。
「おいで MY フェスタ」を主催する20歳代の若者達の合言葉は、『ピンチはチャンスだ』、とのことで、30年以上という長期の企画ですから、何があるかわからないからこそ、こういう、
真っ暗な時代にスタートすることを前向きに考えています。
こういう、逆転の発想を実現していることは素晴らしいことですね。
現在20歳代の人達は、バブルの大量採用世代の、30歳代後半の皆様に比べて、はるかに素晴らしい感性の持ち主ですね。
親のしつけや育ちがいいのでしょう。
彼らは、いずれも演奏家仲間です。音楽の演奏は『額に汗して』行うものですから、第一回目の開始にあたっては、PRをインターネットに頼らずに企画運営している、
素晴らしい若者達です。
第一回目を開始した後で、ネットに載せるという、正しい手順で、彼らはインターネットを活用しています。
「知る人ぞ知る」という企画も、30年以上リピートすれば定着することでしょう。
『口コミ』という、地方都市の持つ一番有力な手法を使うやり方は、弘法大師、平賀源内、菊池寛などの文化人を輩出している、私の郷土の香川県らしいやり方だと思っています。
いずれ、「おいで MY フェスタ」、NPO法人にする予定の「香川県地域活性委員会」の公式ホームページは、携帯電話対応のものも含めて、第1回目が終わった後に作るそうですけど、
そんなことは、20歳代の彼らには、簡単なことでしょうね(笑)。
IT化が急速に進展する昨今にあっては、『若い』ことが最大の武器だと改めて痛感しています。
しかし、問題点抽出や問題解決、新たな企画の初めての開始にあたっては、素直で優しいハートと熱いパッションを持ったお人柄が一番大切なことを再確認しているところです。
第一、F君が、素直で優しいハートと熱いパッションを持った方でなかったら、こんな短期間で協力者が集まるわけないのですから・・・・・。
さらに、F君が、年下の若者を大切にしていることが、私は大変気に入りました。
この先の日本の大変な時代を考えると、若い皆様がのびのびと活躍できるような土壌を作らないといけないと、私は、彼から教わりました。
また、下記をクリックして、私の作曲作品一覧をご覧いただけるようにしています。私の作品数などは、750曲程度に過ぎません。モーツァルトやシューベルトには遠く及ばない程度の寡作ですが、
私がノンジャンルで作曲や編曲をしてきたことをご理解いただけると思います。
また、下記の私の執筆した注目エッセイと、それに添付されている私の自作ピアノ小品や室内楽曲、私がピアノで加わったフランス近代室内楽曲などの音楽をお聴きになれば、
大体のことはご理解いただけると思いますので、お試し下さい。