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spacerayashii
宣言

 1981年9月に始まり、実に24年の長きに渡った火曜サスペンス劇場が、2005年9月27日で終わ
ります。その最後の音楽録音が8月28日にありました。
 私は1988年から参加しました。それは単なる偶然から始まったのかもしれないが、私にとって何
か因果めいていたと思いました。
 1977年、中村雅俊の「辛子色のアルバム」で、日本テレビ音楽とのつき合いが始まります。この
アルバムがきっかけで、日本テレビ音楽とイイ関係に発展しました。ところが、1982年春、チーフ
プロデューサーの逆鱗にふれる大事件が発生した。何やらごちゃごちゃしている内に出入り禁止発
令。ようするに「クビ」です。しかも、日本テレビ四番町別館、日本テレビ音楽の半径100メー
トル以内に立ち入ってはならない、というおまけ付き、厳しいものでした。

 時は過ぎ、1988年、NТVのカネボウ・ヒューマンスペシャル「ダイヤリー」というドラマの劇
伴の仕事が入りました。作曲家でジャズピアニストの加古隆さんからの指名だと担当ディレクターが
いいました。「やってもらえるならぜひお願いしたい」といった。事件からかなりの時間が経ってい
たが、ディレクターはことの顛末を覚えていたようでした。
衝突したプロデューサーはすでに退社している。とっくに時効だと思っていたので私は忘れたふりを
していました。

ドラマ「ダイヤリー」が救世主となって日本テレビ音楽との関係が復活します。そして、その翌週か
ら火曜サスペンス劇場のスケジュールが入ってきたのです。
 この時、担当エンジニアは私の他に3人いたと記憶しています。作家によって、あるいはスタジオ
によって使い分けていたようでした。1990年あたりから専属のようになり今日まで続いたのです。
 何ごとも「始まりがあれば終わりがある」ということなのですが、終わったというより、視聴率の
低迷で打ち切られた、というのが、私、個人的に残念であります。

 ただ今こんにち、毎週分の音楽を録音するドラマは、この火曜サスペンス劇場だけではなかったの
だろうか。殆どの場合「溜め録り」といって、いろいろなシーンを想定した音楽を録音、それを使い
まわします。火曜サスペンス劇場は、シリーズ物であっても全て新録音、唯一無二のドラマだったと
思います。
 そしてその録音も唯一無二でありました。一発録音でした。その昔の2チャンネル同録そのままで
す。ミスによる差し替え、ダビング一切無し。誰かが間違えたらもう一度最初から。ですからミュー
ジシャンはベテラン中のベテランばかり。1回リハーサルして2回目本番。そして99パーセントOK
になります。

 こういったせっかちな録音には最新のテクノロジーを含めたマルチ録音は不向きであります。ミュ
ージシャンは恩恵にあずかっても、その後の作業に時間をとられ浪費につながります。録音に2時間
かかったとすれば、ミックスは急いでも2時間かかります。スタジオ時間短縮は製作費の大きな削減
です。

 音楽ロール数、40前後、2時間から2時間30分で録り終えます。作家、ミュージシャン、コンダク
ター、エンジニア、そしてテンポのよい的確なディレクション。決められた条件と時間内で、それぞ
れが、それぞれの立場で与えられた仕事を全うします。
 私は1回目のリハーサルで音楽の構成をおぼえます。時間勝負の録音はスコアに目をやっていたら
耳が集中しません。私にはボケ防止にもなりました。関係各位の皆様大変お疲れさまでございました。

 それにしても、年齢と関係あるのか、時代の流れなのか、私の身辺は何かと騒がしい今日この頃で
あります。この火曜サスペンス劇場を含め、三つのプロジェクトが終了しました。何れも長きにわた
っておつき合いさせていただきました。

 ソングレコードから間もなく発売になる「HAPPY」は14作目。偶然にも、火曜サスペンスと同じ
1988年に始まり、17年間続いたシリーズであります。途中ブランクがありましたが私は13作担当
しました。一貫してクニ河内アレンジ、ディレクション。実に刺激的なシリーズでありました。
 終わったのです。ソングレコードとはこれからも関わりは続くと思いますが、このシリーズの終わ
りは、人間の身体に例えれば、背骨が外れたようだと言えるかもしれない。(オオゲサ…スギ)

 もう一つは、実に天文学的ながきにわたりました。私のミキサー人生はこの人によってかたち作ら
れました。その始まりは1974年であります。
2003年「LUPIN THE THIRD JAZZ PLAYS THE "STANDARDS"」を最後に29年のおつき合いを
させていただきました。大野雄二さんありがとうございました。

「始まりがあれば終わりがある」私にとって終わりは、新たな始まりでもあります。大海原を泳ぎま
わるマグロのように留まることは出来ないのです。何故って、70歳までやると宣言したのですからで
す。…えぇぇ…、言ったよ、聞いてなかったの。


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