2009/2/12
「生きる糧を得るということ」
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2005年02月02日(水)
小林靖夫兄を悼む
突然の訃報が届いた。小林靖夫さんが亡くなったという。あの人なつっこい笑顔が目に浮かぶ。本当にもう、この世にないのだろうか。
コバちゃんこと小林さんは、エールフランス日本支社の従業員であり、労働組合の委員長だった。世が世であれば、いやエールフランスがもう少しまともな企業体であれば、あるいは彼がもう少し世渡り上手でさえあれば、間違いなく支社の最高幹部となっていた人。フランス語の達人で、人品人柄申し分のない人だった。気骨があったばかりに徹底的に差別され、出世とは無縁の人生を送った。が、いつも明るさを失わなかった。
私は、東京の大田区で弁護士となった。もう30数年も前のことだ。そのころはまだ、羽田が外国航空の発着空港で、生きのよい外航労働者の労働運動が活発だった。新米弁護士は羽田空港の運動現場のそのまた最前線で鍛えられた。そのような組合の一つが、エールフランス労組だった。会社が、東京籍の客室乗務員全員をパリに移籍させるという提案をし全員が拒否した。会社は乱暴にも全員のクビを切った(管理人注:パリベースと引きかえに希望者は地上職に配置転換した。これとは別に太りすぎを理由に解雇されそうになったFさんの解雇も撤回させた)。無茶苦茶な会社と渡り合った労働組合の若き委員長がコバちゃんだった。これを支えた若い若い弁護士が私。法廷闘争は全面勝利。職場でも組合は勝った。(管理人注:会社を脅迫し服従させることによって個人的にエールフランス仏領ポリネシア地区タヒチ駐在員にあっさりと決まった。これはフランス人と同じエクスパトリェのポストで大変高いポストであった)
しかし、その後会社は労働組合を切り崩した。会社の意を受けた労使協調派が組合執行部を握り、使用者からの独立を標榜する旧執行部派を徹底して差別した。会社と労働組合執行部が一体となって暴力行為にまで及んでいる。この潮流間差別の中で、プライドを保った人々が抵抗を続けた。私が盛岡にいたころが、差別の最盛期。そしてコバちゃんは都労委への不当労働行為救済申し立ての先頭に立った。都労委では勝利和解だったが、そのころに定年を迎えた。あれから6年ほどになるだろうか。
オーイ、小林さんよ。人生とは何だ。生き甲斐とは何だ。何のために何を求めての人生なんだ。うまく立ち回ることもできたのに、あなたはどうして会社とくっつかなかったんだ。あなたが人生に求めたものはなんだったのか。
生前にはそんな会話は照れくさくてできなかった。でも、問いただしてももう手遅れだ。<澤藤弁護士のHPより>
その当時の弁護士は澤藤統一郎氏で客室乗務員の問題で空港カウンターの前で拡声器で『シュプレヒコール』をやっていたのが会社が最も怖れていた労働組合の羽田支部長をしていた管理人。丁度若き日の澤藤弁護士もいて何やら書類を読んでいた。近くの外人からは「あいつらは完全にいかれている」とか「労働者め!」などとはき捨てる言葉を耳にしたが無視した。小林氏は大学の先輩。パリのCGTという最強の労組委員長を日本に呼んだり当時は美しい時代であった。しかし自分がその後経営者として10年国外で生活してみると経営者の気持ちもよく理解できたし澤藤弁護士が言っているように「彼がもう少し世渡り上手でさえあれば」彼の人生は変わっていたかもしれない。それは彼自身の人生であるから何もいえないが60歳の定年までいたのだから........。すい臓が悪かったみたいです。私が赤坂の本社で商品企画をやっていたとき「ナポレオン街道」をつくり代理店研修の添乗員として氏を選んだ。少しでも会社とくっついてほしかったのだがその試みはうまくゆかなかった。彼は会社内のコンベルソであるトマス・トルケマーダたちを許せなかったのだろう。
一方私はタヒチの生活を民間外交官(員)として堪能した。その生活を30年前一冊の本にしたがすでに絶版である。外交官といえば天木氏のブログにこういうのがあったので引用しよう。
『最後にカーン・ロスの次の言葉を紹介してこのメール・マガジンを終える事にする。その言葉に私が100%共鳴する事はいうまでもない。
「・・・私が見出した問題点や欠陥はイギリス外交に特有のものというより、世界中の外交につきものだ・・・どうしたらいいのか。職業外交官というものはもはや不要なものであって、近い将来、絶滅するだろう。これからわれわれが直面するもっとも重要な課題や問題、つまり戦争、テロ、気候変動といった問題を、政府と外交官にだけ任せるのは無責任である。我々の手に外交を取り戻し、われわれ市民が外交を担うべきである。誰もが外交官なのだ・・・」。 独立外交官万歳!』
これからはNPOなどが民間外交の花形となるでしょう。とくにリンクにあるKIVA形式の援助が。バングラデッシュでは1万5千円は3ヶ月分の給料に相当する。それでミシンを買い新たに出発する女性の姿をNHKで見たとき胸にこみ上げるものがあった。私の将来は決まった。日本発の新しいKIVAを二年後にやろう。
20年前に会社を辞める直前に僕は「アデン・アラビア」の本を持ちパリにさよならを言うために旅行に出た。知り合いのエマニュエル・トッドは言う。
アデン・アラビアは当時の全共闘の必読書であり作者はトッド氏の祖父に当たるポール・二ザンである。
会社というサティアン参照
希望退職という脅迫退職
会社組織の中では英国でも日本でもその行動形態は全く同じでありこれはと思う有能な社員でも自分たちの存在を脅かす畏れのある場合(またその反対の場合でも),その社員がなんとなく居づらいような雰囲気を作ってゆく。昔『Collector』という英国の倒錯した猟奇映画の中にも差別され侮辱されているシーンがありましたね。これは15世紀のスペインの異端審問の例を挙げれば全く同じでありエールフランスだけでなく多くの裁判事例は似たようなものです。実はある特定の社員を差別したり残忍な行為をするということは表面はそうでも「本心はそうしないと自分もああなる」とか自分の会社に対する忠誠を示すことによって会社内での地位を築いていく。ですから昨日まで親友であった仲間も一瞬にして退職を強要するグループになってしまうのです。ですから一層忠誠心を示す必要が生じるわけです。丁度イザベラ女王のご機嫌をとり忠誠心を見せ付けるために隠れマラーノ(豚の意味)クリスチャン(本心はユダヤ教)たちが同志であるユダヤ人に豚を食わせるのと同じことです。
以下は異端審問が出たついでに管理人のウンチクを少々(いい加減にしろの声も聞こえてきますが)
『第二イザヤはトインビーによると「千年期・the Milleniumの間支配する王は,まだ神自身ではなく,単に別の代理者,すなわちメシアにすぎない。しかし,この世界が”別の世界”によって取って代わられるまでの間,”この世界”に出現する奇跡的な”至福千年期”=エデンの園(神の国ではなくて地上の楽園)の思想は,異なっているばかりでなく,結局において互いに相容れない二つの思想を妥協させようとする支持しがたい試みである。第一の思想,すなわち,第二イザヤ書の思想は,奇跡的に改善された未来主義的な現世王国の待望である。第二の思想は,”神の国=CIVITAS DEIは時間のうちに存在するものではなく,別な精神的次元に置かれているものであって,このように次元を異にしているからこそ,かえってわれわれの現世生活の中に浸透し,それを変貌させることが出来る,という思想である.......千年期の終末観思想が不可欠な思想的はしごの役目を果たしたかも知れないが,一度上に登ってしまえば,もうそのはしごはなくなっても差し支えない」(トインビー注;千年期が俗に未来の”黄金時代”の意味で用いられるのは,ここからきているのである)
キリストが王として統治する王国は,アカイメネス朝の王をユダヤ人の王に変え,おまけに未来に投影した,世界征服者としてのメシアによって打ち立てられるいかなる王国とも,同じ標準で計ることができない。ピラトに,「あなたの言うとおり,わたしは王である」と答えたのち,「私は真理についてあかしをするために生まれ,また,そのためにこの世にきたのである」<ヨハネ福音書,18・37>。この思いがけないことばは,あるいは無視することも出来よう。
このCIVITAS DEI(神の国)がいやしくも時間の次元に入ってくる限りにおいては,それは未来の夢としてではなくて,現在に浸透する精神的実在としてである。もしわれわれが,実際にどうして,神のみこころが天に行われているとおり,地にも行われるようになるか,ということを問うとすれば,その答えは,神学特有の表現を用いて言えば,神の遍在という概念の中には,超現世的平面における超越的存在だけでなしに,現世における,また,現世に生きるあらゆる人間の魂の中における内在が含まれる,ということになる。
キリスト教の神観では,神の超越的な面(あるいは”ペルソナ”(三位一体の神のおのおのの位格)は”父なる神”のうちに現れ,内面的な面は,”聖霊としての神”のうちに現れる。しかし,キリスト教の信仰の独特の,かつもっとも重要な特徴は,神が二元的存在でなくて三位一体であること,そして”子なる神”としての面において他の二つの面が統一され,この神秘によって,人間の頭では理解できないが,人間の胸ではっきりと感じることのできる一つのペルソナを形成していることである。”まことの神”であると同時に,”まことの人間”であるイエス・キリストのペルソナのうちに,神の社会と現世社会は,この世ではプロレタリアートの間に生まれ,罪人として死ぬが(注:バラバかイエスかという意味で),別の世界では”神の国”の王,神そのものであるところの王となる,共通の成員をもつ。一方は神的で他方は人間的な二つの性質がどうして単一の人格のうちに同居しうるのだろうか。この問いに対するいくつかの答えが,信条の形で,キリスト教父の手により,ヘレニック社会の哲学者の専門語を用いて作り上げられている。
どこまでも時間の流れの中にとどまる運動としての再生を考えるならば,それこそイエスがニコデモに説いている再生である。「だれでも新しく生まれなければ,神の国を見ることはできない」<ヨハネ福音書3・3> また,他の箇所で,かれが肉身をとって生まれてきた最大の目的と宣言しているところのものである。「わたしがきたのは,羊に命を得させ,豊かに得させるためである」<ヨハネ福音書10・10>
かつてヘレニック文明がはなやかに開化したときに,ムーサイ(ギリシャ神話の芸術を司る九人の女神)がアスクラの羊飼いヘシオドスに歌って聞かせた神誕歌のアンティフォ二が,解体期のヘレニック社会が動乱時代の断末魔の苦しみをし,世界国家の昏睡状態におちいりつつあったときに,天使たちがベツレヘムの羊飼いたちに歌って聞かせた別な神誕歌である。天使たちによって告げられた生誕は,ヘラスの再生でもなければ,ヘレニック社会と同種の社会の新生でもなかった。それは"神の国”の王の肉身による生誕であった。
エドワード・ギボンの「ローマ帝國衰亡史」を読むまでもなく,神を求めることによって自己の魂を救う努力をすることと,隣人に対する義務を果たす努力をすることとが対立することはない。<マタイ福音書,22章37〜39節>
しかし不可知論者に神を冒涜する機会が与えられた。勝利者となる宗教は通常,競争相手の主要な特徴のうちのあるものを引き継ぐことによって勝利を獲得するからである。勝利を得たキリスト教のパンテオンにおいて,マリアの,神の偉大なる母への変貌という形で,キュベレやイシス(ISIS)の姿が再現しているし,また戦うキリストのうちにミトラなどの面影が認められる..............なぜキリスト教は,ユダヤ教の,神は愛であるという洞察を承認し,宣言した後に,それと相容れない,ユダヤ教のねたむ神の概念をふたたび取り入れるようになったのか。それ以来絶えずキリスト教に大きな精神的損害を与えてきたこの逆行は,キリスト教がカイサル崇拝との生死にかかわる争いにおいて勝利を得るために支払った代価であった。教会の勝利によって平和が回復されたのちも,互いに相容れないヤーウエとキリストとの結びつきは解消するどころか,かえって一層強化された。勝利の瞬間に,キリスト教殉教者の非妥協的態度が,異教や異端を迫害するキリスト教会の不寛容に移行したのである
今日残っているパリサイ・ファリサイ派の中でも敬虔主義者のエノク書,ソロモン詩篇,モーセ被昇天はいずれも旧約外典となったが特にエノク書が外典になったため聖書はダヴィデ崇拝となった。
ロックフェラーは隠れマラーノと呼ばれるがそれらは13世紀に起源がある。
13世紀,スペインを支配していたマホメット教徒は北から攻めてきたキリスト教徒によって追放され,スペインはキリスト教国になった。次いでスペインを完全なキリスト教国としようとしたフェルナンドとイザベラによってユダヤ人はスペインを追放されることになった。ただ,キリスト教の洗礼を受けてクリスチャンになれば許された。...この頃,キリスト教に改宗するユダヤ人が沢山いた。その中には本当に改宗したものもいたが,表向きだけの者もいたのである。この偽のクリスチャンをマラノ(スペイン語で豚)と呼んだ。恐らく改宗者のほとんどが表向きだったに違いない。
一方,本気でクリスチャンになったという連中は自分の忠誠心を見せつけるために,激しく同胞のユダヤ人を迫害した。その一番有名な者がトマス・トルケマーダで,彼の異端審問所の残酷さは背筋が凍るものである。私(小石泉牧師)はこの男こそ実は最も熱心なユダヤ教徒ではなかったのだろうかと思っている。本当のクリスチャンは絶対にそんなことはしない。「敵を愛し迫害するもののために祈れ」と言ったキリストが許さないのだから。これは,しかし,ユダヤ人の歴史の同情すべき片面である。確かに彼らは迫害され,どこにも住むところなく悲惨な歴史を背負っている。マラノはこのように強制され,いやいやながらクリスチャンにならされた民族の悲劇である。ユダヤ人は豚を食べないからわざわざ豚をたべさせて調べた事からも来た名前のようである』おわり。(管理人注:こんなことをされたら誰だって反キリストになるよ!)
アランやジャン・ケレビッチの翻訳で知られる中澤紀雄氏だって最初はパリのオルリー空港のエールフランスで生活の糧を得ていた。人それぞれです。糧を得るということはその会社から給料を頂くということですから常識ある社会人として振舞うことは当たり前なことです。本当の人生とはピグミー,ホッテントットかコイサンマンになることか?そうではないでしょう。大氷河期を前にした秋の短い日差しのなかでありのままの現実を受け入れることも大切です。
2013年以降地球は大氷河期に入る参照
○ 退職勧奨と不法行為に係る裁判例
エール・フランス事件(東京高裁平成8年3月27日判決)
(事案の概要)
Xは、外国航空会社Yの日本支店旅客課において、接遇関係の事務を担当していた者である。Yは、昭和55年には大幅な赤字を累積させるようになったことから、労働組合との協議・合意の上、昭和56年3月から4月にかけて希望退職の募集を行った。Yは、Xが勤務成績及び技能において劣っているとの評価をしていたので、希望退職に応じてもらいたい従業員の基準に該当するものとして、退職勧奨の対象としたが、Xはこれに応じなかった。
希望退職募集期間を通じ、またその後も、Xに対しては強い退職要請がなされ、上司のZ等から嫌がらせや暴力行為を受けた。また、Yは、同年4月からXを一人だけ別室に移し、5月には遺失物係に配置換えし、そのいずれにおいても実質的な業務をさせなかったほか、同年12月には旅客課に配置換えをして統計作業に従事させた。
(判決の要旨)
〈嫌がらせ、暴力行為について、Zらが、Xに「やめろ。」などと大声で言ったこと、数回にわたりXを足蹴りし、殴ったこと、Xの机の上にゴミを撒き散らしたこと等の事実を認定した。〉
〈仕事差別について、〉Yは、Xにつき、入社以来、勤務成績及び勤務態度が悪く、チームの一員として他の職員と協調して上司の指示に従って正しく仕事をする態度に欠けるなどと評価してきたものであるところ、昭和56年3月、Yの日本支社再建策の実施の際に、Xが、右再建策について、「会社再建案は偽物だ。」等の言辞を繰り返すなどし、他の職員との協調性に乏しく、上司には反発し、他の職員から遊離した存在になっていたことなどから、B〈旅客部長〉らは、Xに対する態度を硬化させ、同年4月からXを一人だけセクレタリアの部屋に移し、会社再建についてのレポートの提出を命じるとして実質的な業務をさせず、同年5月、Xを遺失物係に配置替えをした後にも、実質的な仕事を与えておらず、同年12月初め、C〈Bの後任〉らはXに統計の仕事をするように命じたものということができる。
Xのこのような態度に照らすと、BがXをセクレタリアの部屋に移したことも理解できないではないが、Xが右のような態度を示すようになったことには、管理職等が、希望退職者の募集期間中とはいえ、勤務時間内外にわたり、Xに対して希望退職届を提出するよう強く要請し続けたことにもその一因があり、Xが前記のような態度を取ったことにつきXのみを責めることはできないものというべきであるから、Xをセクレタリアの部屋に移し、レポートの作成を命じて実質的な仕事をさせなかったことは、行き過ぎの措置というべきである。
そして、その後、遺失物係においても実質的な仕事を与えず、右係におけるXの勤務態度が著しく不良であったものと認めることができないのに、前記のとおり、Cは、Xに対し、全く無意味・無価値であるとまではいえないにしても、実質上の有用性はかなり低いものであった統計作業のみを行うよう命じ、その後本件期間終了までの約7か月間(統計作業を命じられてから当審口頭弁論終結まで約14年間)これに従事させたのであり、右の措置は、Yの再建策に反対を唱えるXに対し、C旅客部長がXの上司であるZ1を通じて命じたものであるから不当な差別であるといわざるを得ない。
Zらは、前記の行為〈嫌がらせ、暴力行為〉に基づく損害につき連帯して賠償責任を負うというべきである。
前記の暴力行為等は、業務遂行過程における些細な事柄に端を発して、いずれも就業時間中に就業場所において行われた被用者同士の行為であり、Xの損害は、Y会社の事業の執行行為を契機とし、これと密接な関連を有すると認められる行為によって加えられたものであるということができるので、民法715条1項にいうYの「事業ノ執行ニ付キ」行われたものであり、Y会社はXに対して損害賠償責任を負うというべきである。
〈また、〉前認定の仕事差別が、Yの被用者であるC及びZにより、Yの「事業ノ執行ニ付キ」行われたものであることは明らかであるから、YはXに対して損害賠償責任を負うというべきである。
こういう裁判が何回かあり最後は会社側が5000万円支払って終わり。フランス人は「君臨すれど統治せず」であるから何もタッチしない。外資と言ってもどこの外資でも労務管理は悪徳日本人管理者がやっているので同じようなもの。つまり外人のご機嫌をとって上ばかりみているから『ヒラメ管理者』と私は定義づけている。これだけの人数を首にしろ,さもないとお前も首だなんて脅かされて惨めなもんです。外資の管理職なんて「スト破り要員」にしかすぎないのですよ。私は意外とフランス人たちに人気があった。一番人生をエンジョイしていたかもしれない。過ぎ去った時間は二度と戻らないことを肝に銘じるべきであろう。人生の主役は自分ですからね。これから猛烈に解雇が起きると思いますが希望退職で辞めてはいけません。そんな義務は労働者にはありません。赤字出すのは経営者が莫迦だからです。よってたかって昨日の友が牙をむいてかかってきても毅然として役員呼んできて『指名解雇』にしたら♪と言えばいいのです。現在の法律では指名解雇はできませんから仮にそうなったら裁判所で『仮処分』申請すればすぐOKですよ。給料もらえて10年は遊んで暮らせるうえに最後は5000万円です。
課長とか部長さんですがね,実はヒラから部長まで単なる従業員にすぎないのです。つまり職制の延長線上の話。管理人は会社対会社のでかい裁判なんか海外でやりましたからよく知っております。裁判所が出す文章を見れば一目瞭然ですよ(管理人の場合は大阪地方裁判所)。部長XXではなく従業員XXと書かれますからね。それ以上は取締役です。取締役でなければ『お前は首だ』なんてほざく権利も権限もありません。仮に課長か部長に言われたら「今の発言テープにとってありますがよろしいでしょうか」なんて言ったら相手は震えあがるでしょう。こいつは食えない,解雇は出来そうにない,と。一応管理職は組合員ではありませんから『お前は首だ』で終わり。フランス人はどこの社長でも部長でも左よりですから管理職組合などがあるのです。日本の管理職は何を遠慮しているのでしょうか?そうはいってもこういう犯罪シンジケートと比べれば世界は『殺す側の論理と殺される側の論理』で成り立っていることは事実です。一人殺せば死刑が待っているが100万人殺せば英雄となれる論理でもある。
GIGA SCANDAL参照。そこに名前がある悪魔がもうすぐ日本にやってくる。最大野党の頭領を『脅迫して服従』させるためだ。その悪魔はアル・ゴアと同じイルミナティ6位階である。本物の元イルミナティ11位階の人から聞いた話だから嘘ではない。
「それからあの賢く抜け目のない男が現れた,神々への恐れを最初に発明した男が......。彼は一つの物語を,とても魅惑的な教えを案出し,いつわりの伝説のベールで真理を隠した。彼は恐ろしい神々の住まいを語る,回転する天球の,雷鳴が轟き稲妻の恐ろしい閃きが目をくらませるところ.......。こうして人々の周りに恐れの縄を張り巡らした。崇高なところに住む神々で彼らを取り囲み,呪文で魅了し,ひるませてーーーーそして無法が法と秩序に変わったのだ」<クリティアス>
彼はプラトンの曽祖父であるが,詩人であり,人民を「説得する」ために,すなわち脅迫して服従させるために宗教を作り出した賢くもずるい男を讃える(管理人注:讃えられているのは弁証法の父ヘラクレイトスのこと)。クリティアスの見解では,宗教とは偉大で賢明な政治家の堂々たるうそに他ならない,と。(カール・ポパー)
なお本ブログは株の記事も少し書いております。米国東部時間午後二時過ぎには日本の年金資金と思われる先物買いによる猛烈な米国株の買い支えが11月から連続しています。年金,郵貯(ゴールドマンによる)の買い上げによりそろそろ資金はカラカラですがどうも米国債の金利(毎年40〜70兆円)を国民のために使わずこの買い上げに使われている疑いが出ています。当局は近い将来中央銀行が一つになり世界の株式市場はすべて閉鎖されることを果たして知っているのでしょうか?昨年日本は頼まれもしないのにIMFに10兆円拠出した。ロンドンに行ったら笑われたよ。
サタンにのっとられたアメリカ
イルミナティの最高位ルシファーの花嫁
参考:澤藤弁護士とはこんな人
東京地方裁判所の案内
ロンドンでもバンコックでも朝散歩していてもカラスなど一羽もいない。害鳥だから行政が勝手に駆除しているのです。片や赤坂でも池袋でも朝はまるでカラスのラッシュでありその上終末ともなればハングル語や中国語ばかりが聞こえてくる。とくに公衆電話で朝鮮の女性がハングル語で相手と言い争って大声で喧嘩しているのなんか迫力があります。生命力を感じますね。カラス一羽駆除できない国ですが自殺誘導にかけては世界一。
(13歳以下の良い子に適当でない表現があります)死ぬのは勝手?いいでしょう。死にたけりゃ歴史に残る死に方をしてくれよ。曽根崎心中みたいに。母子抱き合って電車に刎ねられるなんて駄目だなあ。電車の遅れで何万人もの人の大事なアポが台なしになったりそういうこと考えないんだね。ポコチンにしゃぶりついてコオマン勝手にやって餓鬼が出来ちゃったから.....それはないだろう。あなたの夢は何?目の見えない人にとって目が見えることが唯一の夢なのですよ。死ぬなんて贅沢の極み。
「この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば, あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生(こんじょう)の鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり」
祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色,盛者必衰のことわりを
あらわす。おごれる人も久しからず,只
春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には
ほろびぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)
に同じ。 __平家物語より__
諸行無常・・この世に存在するすべてのものは
関係することであり,現象としてあらわれる全て
のものが流転し,一刻一刻変化しその全てが
また真実である。この世には実体と呼ばれる
ものはない。
現実をあるがままに認め,願っても叶わないような
ものは追い求めない。これが苦しみから救われる
路。
いかなる者もいつかは滅びる。あの泥のなかで
栄養を吸収し美しい華を咲かせる蓮の華を見て
ごらん。泥に汚されることなく転生し泥という
煩悩のなかで綺麗な華という花を咲かせる。
これぞ涅槃なり。だから事実をありのままに
受け止めなさい(如日知見)と。<管理人解説>
殺人的16分音符の6連符フレーズ
駅の発車音
◆殺人的16分音符の6連符フレーズ
普通,駅の発車音など,気にすることもなく流されてしまっているが,改めて耳をそばだてみると,生活の中に様々な音が導入されていることがわかる。「導入の意図」の検討にまで遡る必要があるだろう。
『週刊朝日』(5月1日付)の,「中央線で自殺多発は駅音楽のせい!?」という記事はその後,他紙でも後追い記事が出て,すでにかなり詳しく報じられた。
「耳に入ってくる音楽はすべて頭のなかで音符に置き換わる」という作曲家の玉木宏樹さんが主張していることなのだが,玉木さんは駅の発車音を各駅で聞いて,その場で5線紙に書き取っていた。以下は,玉木さんからうかがった話の要約。
●中央線沿線住民よ,怒れ!
新宿と渋谷の出発音は,ちゃんとした作曲家が関与して作成されたものだけあって,玉木さんの耳にも,新鮮でここちよく響く。それは5度調弦のバイオリンのアルペジオのような動きをしているのだが,なかなか耳コピーができなかったユニークなものだ。
今では両駅のフレーズは空んじてはいるが,強力な楽器用フレーズで,うたってみろといってうたえるものではない。こういう個性あふれるサウンドロゴは両駅のステータスにもぴったりで,ああ,今,いちばん旬の街に来たのだなあという印象を抱かせるものだ。
恵比寿,目黒,五反田は,うるさい16分音符が暴れ回り,しかも変なところで変拍子が入るため,なんでも楽譜化して聴いてしまう習性の自分に対しても非常に腹立たしいフレーズで,特に五反田は突然半音上に移調する,これぞ音の暴力だ。
最もひどいのが新橋で,中央線をゆうに凌駕するほどの殺人的16分音符の6連符フレーズが「ソミレドレミソミレドレミラミレドレミラミレドレミ」と絶叫する様は,死の直前のショパンの写真を思い出してしまうほど悲惨!後日,新橋で下車し,下の公園を歩いていてもその暴力性は容赦なかった。
問題の中央線だが,東中野は4分音符で,「レミドソ レミドー」。ありふれているが,落ち着いていて,チャイムはこの程度のメロディでいいのだ。中野は,時間調整するために停車時間は長いのに,発車時間になってあの最悪の新橋状態が出現する。まさに「中央線,地獄の音楽攻めの入り口」である。
高円寺,阿佐ヶ谷は,トニックのコードがうるさくアルペジオをかき鳴らし始めたと思った途端にブッツと中絶される。非常に不快。あんな短時間しか鳴らさないのなら,絶対に音楽は必要ない。
荻窪は五反田と同じ「地獄型」で,西荻窪は高円寺状態で無神経極まりない。吉祥寺はかすかで判然としなかった。
中央線,地獄の音楽の集大成が完成するのが,三鷹,特急「かいじ」通過,武蔵境,小金井,国分寺,西国分寺,立川だ。
単なる注意喚起音でなく,大音響で表にしゃしゃり出で音符が自己主張を開始する。それも音楽の振りをして。
だれひとり,あの音の暴力を告発しないのか?中央線の住民よ,怒ってください。あれは精神にも体にも悪い音楽モドキなのだから。
●『純正律』を提唱する訳
いまは,ヒーリングミュージックと称して「体によい音楽」の押しつけが激しい一方,このような「体に悪い音楽」の追放がされていないなら,日本はますます荒涼とした神経症国家になってしまうだろう。
オウム事件以来の意味不明な殺人の増加にもその兆候は出ているともいえる。
最近は「癒やしの音楽」という言葉が定着しつつあるが,日本のヒーリングミュージック界は,アルファ波が出るといえば雪崩を打って我も我もとなるし,「アダージョカラヤン」がヒットすれば,「アダージョ」なんて「ゆるやかに」という意味のイタリア語に過ぎないのに,なんでもかんでも「アダージョ」になってしまう。
いま,五感を通してのリラクセーションが盛んになりつつあるが,いちばん重要な音楽には,スキームとマテリアルが欠如しているので,日本のヒーリングミュージックには方法論が一切ない無政府状態である。重要なマテリアルとして,純正律を提唱したいのである。転載おわり■上の原文はここですがトップページは削除されています。
NHKの時刻を告げるピン・ポン・キ〜ンという最後の高音の金属音は一体何のためにあるのか?あれを聞いて眠れなくなった人も多いという。ちなみにフランスでは最後はあがらない。
アメリカの失業者の怯えた顔,顔(写真は上下ともCNNより)。他人に依存している限り幸福にはなれない。国が何かをしてくれるではなく国に何が出来るか,これが大切です。
もう誰もあなたを必要としていないと言われたら.......辛いでしょう。しかしあなたの存在を否定されたわけではないのですよ。あなたの悲劇は他人にとっては喜劇なのだから。でも永ちゃん的ノリで言えば「勝手にコオマンして子どもつくって自分たちの悲劇を子どもに伝染させるのは止めろ,って言いたい。つまり悲しみや不幸を振り撒くな,ってこと。世阿弥の『花伝書』にも書いてあるよ。
こちらは協和紙業のちり紙交換です。
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投稿者:patch5454
>自分たちの悲劇を子どもに伝染させるのは止めろ、
は本当にその通りだと思います。私の両親は現在もカルトの奴隷信者です。普段は優しい人間なんですが。 いくら組織に貢いだか見当もつきません。
でもおかげで宗教とは?生きるとは?について考えるようになったのかもしれません。 運命ですかね。
http://ameblo.jp/patch5454/
投稿者:島国の民
こんにちは。
>人生の主役は自分ですからね
昔、何気なくしゃべっていた自分の話の中に何か気に障ることがあったらしく、「あなたの頭の中ではいつも自分が主人公なんだね」と皮肉交じりに言われたことがあり、即座に「誰でも自分自身にとっては自分が主人公であるのは当たり前のことじゃないか。それとも他人を主人公にして生きているのか?」と問い返したことがありました。相手にその意味が通じていたかは今でもわかりません。
いつも体調が悪くて寝ている人がクラシック音楽を流していると不思議に表情が良くなるので、何か音楽の中に効果があるものが含まれているのかと思っていたところ、ヒーリングミュージックが登場してきました。
おかげさまでここの記事などからこの音というのが人間に様々な効果を与えるということも知ることができました。
いつも貴重な記事をありがとうございます。