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「100年に1度の危機」なら、そこからの脱出には、明治維新や敗戦後に匹敵する国造りへのエネルギーが必要になる。それだけの大仕事に臨む戦略と実行する政治力があるのか。
国民の多くが麻生政権に問うているのは、まさにそこである。
麻生首相は与党幹部に、追加経済対策の検討を指示した。09年度補正予算案のほか、複数年度にわたる対策をつくる。各界各層の英知を集めて具体案を練り上げるという。
昨年10〜12月期の経済成長率は、第1次石油危機の時に次ぐ戦後2番目のマイナス幅になった。先導役だった輸出の落ち込みが大きい。欧米経済の底も見えないだけに、今後も外需に期待できない局面が続くだろう。
景気の底割れを防ぎ、失業者を支えるためには、財政面から切れ目なく対策を打っていくことが欠かせない。
ただし、対策を理由に総選挙を先送りするのはおかしい。国民の信任を得た政権をつくることが、危機の脱出には不可欠と考えるからだ。
ともあれ、秋までにある総選挙では、危機脱出を担うにふさわしいのはどの党かが最大の争点になろう。今度の経済対策はその力を国民に問うものになるはずだ。麻生首相と自民党はそう心得て立案してもらいたい。
民主党もそれに対抗する案を並行してつくり、国民へ示してほしい。
危機克服への戦略は、日本の未来を大きく左右する。将来の成長や社会の安定に向けた分野を位置づけ、そこへ人・物・金を集中させる。戦略づくりは、それを中心に据えるべきだ。
これから世界に類のないスピードで高齢化が進む。そのなかで、温室効果ガスの排出をできるだけ抑えた産業構造を築く。こうした課題を解決するには、知識を高度化しそれを担う人材を育成する必要があり、教育の充実がかつてないほど重要になってくる。
といって、つぎ込める財源には限りがある。対象を精選し、最少のコストで最大の効果を上げる工夫が欠かせない。無駄な道路やダムなど旧来型の公共事業は退場させて、本当に役立つ分野にこそ費用をかけたい。失業者のための財源も手厚くせねばならない。
将来の国民負担も含めて、それらの全体像を示すべきだ。
政府・与党の一部には、相続税を免除する代わりに無利子とした国債や、政府が独自の紙幣を発行し、財源にしようという動きがある。無利子国債は富裕層への優遇策であり、政府紙幣は通貨価値の信認を破壊する「禁じ手」だ。そんな策を必要とするほど破滅的な事態に至っているわけではない。
通常の国債を追加発行しつつ、財政規律を大切にする姿勢を政府が示す。それが、国民に信頼され、経済対策の効果を高めることになるだろう。
教育は、不当な支配に服してはならない。
教育基本法にこう、うたわれているのは「忠君愛国」でゆがめられた戦前の教育への反省からだ。その意味を改めてかみしめる司法判断が示された。
東京都内の養護学校で、性教育を視察した都議3人が教員を非難した。教員らが起こした訴訟で東京地裁は、その内容が「不当な支配」にあたると認め、都とともに賠償を命じた。
3都議は03年、都教育委員会職員らとともに学校を訪れた。性器がついた人形などの教材を見て、性教育の方法が不適切だと決めつけた。女性教員2人に高圧的な態度で「こういう教材を使うのはおかしいと思いませんか」「感覚が麻痺(まひ)している」と難じた。
これは穏当な視察ではない。都議らは「政治的な主義、信条」にもとづいて学校教育に介入、干渉しようとした。教育の自主性を害する危険な行為で「不当な支配」にあたる。判決の言うところは、そういうことだ。
きわめて妥当な判断である。教育に対する政治の介入への大きな警鐘といえる。都議らだけでなく、すべての政治家が教訓とすべきだ。
傍観していた都教委の職員らについては、判決は「不当な支配」から教師を守る義務に反した、と指摘した。都教委が「学習指導要領に反する」として教諭らを厳重注意としたことも、「裁量権の乱用だ」と批判した。
外部の不当な介入から教育の現場を守るべき教育委員会が、逆に介入の共犯だと指摘されたに等しい。
知的障害をもつ子どもたちが、性犯罪の被害者にも加害者にもならないためにどうしたらいいか。現場の教員らは日々悩みながら工夫を重ねていた。やり玉にあげられた人形は、自分のからだの部位を把握することも難しい子どもたちに、わかりやすいようにと考えた末の結果だ。
都教委自体、問題視される前はこの学校の教員を講師に招く研修会を共催していたほどだ。議会で追及された途端に手のひらを返すとはあきれる。
都教委からの厳重注意の後、性教育への取り組みが各地で低調になるなど、現場への影響も小さくなかった。
これだけでなく、日の丸・君が代をめぐる起立と斉唱を義務づけ、大量の教職員を処分してきた石原都政下の都教委では、現場の自主性を害するような政策が続いてきた。
教育基本法は06年に改正された。「不当な支配に服することなく」の後の「国民全体に対し直接に責任を負う」というくだりが、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と変わった。
行政の権限が強まった感は否めない。それだけに、管理強化で教育現場の萎縮(いしゅく)を招いてはならない。