中国は前漢の黄霸(こうは)という太守の話だ。2人の女が幼子を自分の子と太守に訴え出た。黄霸が部下に子を抱かせて取り合いをさせると、一方はいきなり子をひったくろうとする。が、もう一人は悲しそうにするばかりだ▲あれ、大岡裁きではと思った方、その通りだ。以前も小欄でちょっとふれた中国の「棠陰比事(とういんひじ)」という書物がネタ元で、むろん子の痛がるのを恐れた母が勝訴する。旧約聖書にも似た話があるから、親子の情は万国同じことを示してもいる▲とりわけ公正さと人情をみごと両立させる「大岡裁き」をこよなく愛した日本人だ。ならば中学1年の長女を残し両親が帰国することになったフィリピン人のカルデロンさん一家にも、13年間重ねた日本での親子の暮らしを引き裂かないですむ手立てはないかと思わざるをえない▲むろん不法入国した両親を退去させるのを不当とはいえない。入国管理当局にすれば日本で育った長女のり子さんの残留を認め、両親に面会のための再入国も認める異例の措置こそ「大岡裁き」といいたかろう。不法滞在を防ぎ、他の退去者と公平を図らねばならぬ立場も分かる▲しかし在留許可を求める市議会の意見書や2万人署名が物語る通り、十数年間は善良な暮らしを重ねてきた一家である。不法入国に何の責任もない13歳の少女の「私の母国は日本。家族とも離れたくない」との思いを引き裂いては、後世に名裁決と語り伝えられるのは難しかろう▲昔も今も人の心の最も柔らかく傷つきやすいところでつながっている親と子である。どんな峻厳(しゅんげん)な法も制度も、すべてはそこから生まれた人間の営みであることを忘れてほしくない。
毎日新聞 2009年3月14日 0時02分
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