「人権」という用語は、戦後広く流布し使用されるようになったものの、民主主義や個人主義と同様に、日本人にはどうも身体にフィットしない「貸衣装」のような気がするのは私だけでしょうか?最近、或る事がきっかけで、日本人には元々「人道」という精神風土があり、人権という言葉を借りずとも通じ合うのではないかということが気になっています。日本人は昔から何事にも一所懸命な(一つの所で命を懸けて頑張る)民族だからです。そして、武道(柔道や剣道)に限らず、生け花やお茶といったことにも、そのことを通して心を正し、人として真っ直ぐに(清明正直に)生きる「道」を求める民族だからです。いや、…だった、と言うべきでしょうか。
「人権」は英語で言えばhuman rights。同類の単語にhumanismやhumanitarianismがあります。そして勿論、この二語は違う意味を持っています。しかし日本では、前者が後者の意味合いで使われているようです。本来、前者(humanism)は人本主義とか人間中心主義といった意味で、「神」ではなく、「理性的人間」の中に善とか真理の源を追究する西欧的価値観を指します。さらにまた、宗教からの完全解放をも求めた思想です。しかし、彼らがいう「理性的人間」の中にはアジアやアフリカの民族は含まれていませんでした。少なくとも理性を持った人間とは考えていなかったのです。当然のこととして、西欧帝国主義時代にはアジア、アフリカの植民地の人々の人権は勿論のこと、教育やその地域の発展など一切考慮されず、資源の搾取しか眼中にはなかったのです。戦前の日本が、朝鮮半島、台湾、満州で行った施政と比較すれば、その違いは歴然です。しかし、日本の敗戦を機に、我が国をスケープゴートにして、帝国主義諸国の全ての罪悪を日本にのみ押し付けてきたのではなかったかという気がします。先の大戦後、アジア、アフリカの多くの植民地が過酷な戦いの後に独立しても、果たして西欧諸国は日本ほどの精神的、財政的な清算をしてきたのかという疑問が私の心の中では未だに晴れません。そして今もなお、「白人優位主義」は彼ら(被植民地側の人々も含む)の心の中のどこかに潜んでいると言っても過言ではないかも知れません。一方、後者(humanitarianism)は「人道主義」とか「博愛主義」を意味しています。しかし日本国内では、前者(humanism)がこの意味で誤用されているのが現実だと思います。本来、人が人として踏み行う「道」のことで、「人倫」とも同義であり、広く深い意味合いを有していた「人道」という言葉が片隅に追いやられ、今では自衛隊の「人道支援」といったようなことにしか使われていないのではないでしょうか。「人道」とは社会という枠組みを超えた、人としての「ありさま」や「生きざま」を問う概念だと思うのです。そして、そこにこそ古くからの「日本人の価値観」が延々と継承されてきたのではないかと思うのです。身近な例で言えば、本校で継承してきた「教育勅語」の教育理念があります。『父母ニ孝ニ…』で始まる12徳目の中に、まさに人としての「あり様」や「生き様」が具体的に述べてあります。世界人権宣言でいう「人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」ということも当然の徳目として含まれているのです。言うならば、『教育勅語』は「世界人権宣言」を先取りしたようなものだと思います。
さて、「世界人権宣言」が発せられて以来、既に60年を経ています。そこには、(第1条)「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」とありますが、つまりは、『人の理性と良心』に委ねているだけなのです。さらに、(第2条)の2「さらに、個人の属する国又は地域が独立国、信託統治地域、非自治地域、又は他の何らかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない」とも宣言しているにも拘らず、今も世界中で続いている人権侵害の実態を思えば、結局は『人間の理性と良心』に依存しているだけなのだと気付かされると思います。
冒頭で述べた、私が気になったきっかけとは、まもなく全校で行う「人権学習」で「人種差別に抗した先人の生き方に学ぶ」を一学年のテーマに選定したからです。そこでは、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害をはじめとした西欧世界に蔓延っていた過酷な人種差別に抗し、「人道主義」に基づいて行動した日本の先人達の精神を学ぶことができるからです。そして、そこには文官(杉原千畝)に限らず、旧日本帝国軍人たち、樋口季一郎少将や安江仙弘大佐、等々がいたことを伝えなければなりません。彼らの心の奥底には、日本人の「人道主義」が脈々と受け継がれていたことを。世界中がユダヤ人迫害を見て見ぬふりをし、あるいは黒人やアジア人を奴隷として酷使していた時代に、国際社会で敢然と「人種差別廃止」を唱えたのは日本のみであったことを。そしてまた、樋口季一郎少将は、偉大なユダヤ人の名を顕彰するゴールデンブックに、部下の安江大佐とともに「偉大なる人道主義者、ゼネラル樋口」と名を刻まれていることも。そして、「八紘一宇」(世界は一つ屋根の下の家族)という言葉を、まるで軍国主義そのもののように揶揄する人が多いのですが、戦前の日本にはその本来の精神を有した人々が数多く存在し、そして、確かにそれを実行したということを私達は後世に伝えなければいけないと思うのです。しかし、それを行うどころか、日本(人)を貶める日本人が驚くほど多いのはどうしてなのでしょうか。
(注)冒頭の写真は「ゴールデンブック」