「抱いてもいいですか」。元工作員は冒頭、そう日本語で話しかけたという。北朝鮮が一九七八年に拉致した田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さんと田口さんの長男、耕一郎さんが、韓国・釜山で八七年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元北朝鮮工作員と初めて面会した。
金元工作員は耕一郎さんに「お母さんは生きている」と語り、「韓国のお母さんになりますよ」とも言葉を掛けたという。母を知らない日本の子と、韓国で二児の母となった元工作員は涙で抱擁した。飯塚さんは面会後の会見で「日韓両国が拉致問題に共同で対応し、解決へ進めていけるきっかけになった」と話した。その言葉通り、問題が解決へ大きく前進することを切に望むばかりだ。
田口さんは東京都内の飲食店で働いていた七八年六月、二十二歳の時に拉致された。耕一郎さんは一歳だった。現在、拉致被害者家族会の代表を務める飯塚さんは当初、家族会のメンバーではなかったが、二〇〇二年九月の日朝首脳会談で北朝鮮が妹を「死亡」と説明したことに納得できず、家族会に参加した。耕一郎さんも〇四年、息子の名乗りを上げていた。
面会が実現した背景には、韓国側の変化がある。盧武鉉前政権は北朝鮮を刺激することを憂慮して日本政府が求める面会に応じなかったが、日本人拉致問題での協調に前向きな李明博政権が動き、今年二月の日韓外相会談で実現にこぎつけた。
だが、拉致問題解決への道のりはこれまでと同様、決して平たんではない。日本側は九二年の第八回日朝正常化交渉で田口八重子さんについて取り上げ、交渉は決裂。〇二年の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認め謝罪したが、日本政府と北朝鮮の溝は埋まらないままだ。
昨年秋には、北朝鮮はいったん合意した拉致被害者に関する再調査委員会の設置を先送りし、さらに米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除した。北朝鮮にとっては、日本に対して強気に出られる状況であり、今回の面会についてもかえって反発を強めかねないだろう。
突破口を開くためには日韓に加え、拉致問題を世界が共有するための努力が一段と必要だ。国連の人権理事会には今月、日本人拉致問題について「北朝鮮が効果的な行動をとることを要求する」との報告書が出され、再調査委員会の設置や日本への情報提供などを盛り込んだ。国際世論の盛り上げに、今回の面会を強力な追い風としたい。
公益法人では認められない多額の利益などが問題となっている京都市の財団法人「日本漢字能力検定協会」に対し、文部科学省は立ち入り調査した結果に基づき、抜本的な運営改善を行うよう文書で指導した。四月十五日までに報告を求めている。
文科省が指摘した問題点は多岐にわたる。事業利益は二〇〇七年度決算で約六億六千万円に上り、明らかにもうけすぎだった。過去にも検定料の引き下げなど指導を受けたにもかかわらず改められなかった。
業務運営にファミリー企業を介在させた不明朗な実態も明らかとなった。〇七年度は大久保昇理事長や親族が役員を務める関係企業四社と事業支出額の四割に当たる計二十四億八千万円で業務委託契約が結ばれた。このうち業務実態のない二社については、取引解消を含めて対応を求めている。
このほか、疑問点のある支出として、〇三年に「漢字資料館用」として約六億六千万円で購入された土地建物がある。〇四年に約三百四十五万円で購入した供養塔は、目的外支出として弁償などを求めている。私物化と言われても仕方がない。
著名人が名を連ねた理事会や評議員会の運営が形骸(けいがい)化していたことも問題だ。内部で支出などについてチェック機能が働かなかったのは当然である。
列挙された問題点をみると、公益法人としての自覚に欠けた運営と言わざるを得ない。記者会見も行わず説明責任も果たしていない。文科省は「社会的信頼を損なう事態で誠に遺憾」と批判し、大久保理事長の進退に言及したほどだ。再出発には、営利体質を徹底排除し、組織刷新も求めたい。業務委託などの問題が把握できなかった文科省の指導監督体制の甘さにも反省が必要だ。
(2009年3月12日掲載)